走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

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オスプレイの意図

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米海兵隊のオスプレイの配備問題は、現在の民主党政権の交渉力と国民への説明力がいかに稚拙であるかを明確にしてしまいました。

ご存知のようにV-22オスプレイはティルトローター方式(回転翼の角度が変更できる)の垂直離着陸機で、離着陸するときはヘリコプターのようにそのプロペラを回転翼として使用し、飛行しているときは普通の固定翼機のようにプロペラを推進機関として使用するという、人類が永年夢見てきた航空機です。

レシプロ機であろうがジェット機であろうが、離着陸に際して滑走することにより揚力を生み出す固定翼機と、ヘリコプターと呼ばれる翼を回転させることにより揚力を生み出す回転翼機は別々に進化してきました。
そしてその各々の航空機の進化のプロセスで誰もが一度は考えたことがあるのが、この二種類の飛行形式の融合で、ヘリコプターのように垂直に離着陸することができ、固定翼機のように高速でしかも長距離飛行できる航空機は、両方の形式の持つ欠点を解消することができる人類の夢でした。

その偉大なチャレンジにより最初に実用化されたVTOL(垂直離着陸機)がイギリスのHawker Shiddley(ホーカー・シドレー)社のHarrier(ハリアー)でした。

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第二次大戦後、各国では様々なVTOL機の研究が行われました。滑走路を必要とせずにどんな場所ででも離着陸することができ、空中では通常の航空機のように飛行できるVTOL機の軍事的価値は計り知れないものがあったのですが、その実用化は困難を極め、唯一実用化したのがこのハリアーと旧ソ連のYak-38 Forger(フォージャー)の2機種のみでした。

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ハリアーとフォージャーの決定的な違いは、ハリアーが搭載するジェットエンジン1基のノズルが動くようにして離着陸時は下向きに、水平飛行時には横向きにするようにしていたことに対して、フォージャーは離着陸用のエンジンと水平飛行用のエンジンの2基を別々に搭載していたことにあります。
結果としてフォージャーは機体が重くなり、搭載できる燃料も武器も少なくなってしまい何とか実用化したとは言え、とてもマトモに実戦で運用できる機体ではありませんでした。

一方のハリアーもその実用化に至るには厳しい道のりがありました。
回転翼のようにローターが回転することにより揚力を生み出すのではなく、ジェットエンジンのノズルを下向きにして揚力を発生させるということは、機体重量以上の出力(つまりロケットよのうなもの)を必要とするため、ジェットエンジンのパワーがそれだけ必要となり、それはやはりミサイルや爆弾などの搭載兵器の量を限定してしまいました。また、離着陸時に滑走路に向けてジェット排気を吹き付けることになるのも問題で、当初のコンセプトである「どこでも離着陸できる」という点からすると結局は不可能で、未舗装の地面では吹き上げた砂ぼこりがエンジンに吸い込まれダメージを与えてしまったり、草地であれば燃えて火事になってしまうという問題から、やはり運用する場所が限定されることとなりました。

それでもハリアーが実用化できたのはその可変ノズルで、兵装を搭載して離陸する場合は垂直方向ではなく、ノズルを斜め下向きにすることにより、STOL(短距離離着陸機)として運用することができたためで、それで正式空母ではなくヘリコプターなどが離発着する強襲揚陸艦の甲板で運用できたことはハリアーを運用する大きな必然性となりました。

ハリアーの初飛行は1960年と古く、とっくに現役を引退して当然の機種なのですが、それでも現役として使用されているのはハリアーに替わる後継機がないという理由で、途中で開発コストの問題でアキラメてしまったイギリスから開発を引き継ぎ、延々と改良を続けてまでアメリカ海兵隊がこのハリアーを運用しているのは、その戦略上で必要な機種であるからに他なりません。
そしてこのAV-8Bハリアーは岩国基地に駐留するアメリカ海兵隊により日本でも運用されている機種なのです。
オスプレイの配備問題を理解するためには、アメリカがこのハリアーやV-22オスプレイのようなVTOL機に拘る理由をまず理解する必要があります。

アメリカ海兵隊の役割は紛争地域に最も早く展開することにあります。またそれができるということが大きな紛争抑止力になっているのはご存知の通りで、極東における米軍の使命は第七艦隊の圧倒的攻撃力と、海兵隊の緊急展開力による抑止力にあるのです。
アメリカはベトナム戦争の教訓から、とにかく短期間で相手を叩き、いかに戦闘を継続させないかに重点を置いた戦略を取っています。
そのためには紛争の初期段階で投入できる海兵隊の兵力を世界に分散して配置しておく必要があります。だからこそ、米軍の極東戦略においてはグアムではなく日本の基地が重要となってくるのです。

じゃあ韓国はどうなんだ・・・と思われるかも知れません。確かに在韓米軍も重要ではあるのですが、現在はその規模を縮小する傾向にあります。その理由は韓国が駐留経費を日本ほど出してくれないからといった下世話な理由だけでなく、北朝鮮からの最初の攻撃で被害が出る恐れがあるからで、朝鮮半島有事の際には確実に被害が出る韓国国内に兵力を多く置いておくより、日本から出動したほうがより有効に北朝鮮に反撃できるからなのです。

これがアメリカが日本にオスプレイを展開させる大きな理由です。
オスプレイの最大速度は555km/hで従来のヘリコプターの1.5倍の速さで、航続距離は3.593km(空荷時)にのぼります。しかも空中給油装置を備えているためにこの航続距離はさらに伸びることとなります。
つまり、オスプレイは沖縄の基地からソウルまでの1,260kmを無給油で3時間弱で飛行できるのです。

私たちはオスプレイ配備に反対する前に、まずこのアメリカの極東戦略を理解しておく必要があります。
アメリカは今までのように世界中に兵力を分散して有事に備える・・・という財政負担はできなくなっています。そうするとオスプレイのような輸送手段を装備し、限られた基地からでもアメリカが考えるアメリカの国益を守るために出動できる(抑止力を発揮できる)ようにしておかなければならないのです。そして極東における米軍の抑止力に日本は日米安全保障条約により守られているのが現実なのです。

残念ながら日本のマスコミはオスプレイの安全性の問題点や反対運動に関しては一生懸命報道しますが、なぜそうまでして米軍がオスプレイの極東配備に固執するのかは殆ど報道しません。

オスプレイの安全性に関して言えば、確かに従来の航空機よりも劣るのは事実だと思います。それは単に設計上の問題だけではなく、その操縦上の問題でもあり、ハリアーもオスプレイもそのパイロットは固定翼と回転翼の両方の操縦技術を必要とします。
そして既に岩国基地に配備されているハリアーでも1971年の運用開始時から米英合わせて45名が操縦ミスで死亡しており、これはハリアーがこれまでに参加したフォークランド紛争などの実戦での死亡人数を上回っているのです。
そしてハリアーの事故が減ったのはパイロットがその操縦に習熟したからで、オスプレイのような新しいタイプの航空機にはその時間がある程度必要であることはやむを得ないことだと思います。

オスプレイもその1989年の初飛行から20年以上もかけてアメリカが「延々と」開発を続けて来た機種です。その開発段階においてはWidow Maker(未亡人製造機)と呼ばれるほど事故が頻発し、そもそも設計に無理があるのでは・・・と言われ続けて来たにも関わらず、この開発に執着し続けたのは上記の戦略上の理由からで、そうでなければ基地周辺の安全問題以前に、墜落したら確実に被害を被るパイロットも、オスプレイに乗らなければならない海兵隊員もたまったものではないでしょう。

オスプレイが一番危険なのは回転翼機―固定翼機に切り替わる時で、それ以外の状態では試作段階を除けば事故を起こしていないことからも、日本政府は独自に安全性の検証を行うなどという空手形で国民を誤魔化そうとせずに、運用上の制約をつける交渉をすべきだと思います。
すなわち、基地上空では上記の切り替え操作を禁止し、海上でのみ切り替えを行い、基地から離発着する際には回転翼モードのみで行うという運用上の制約をつけることにより、少なくとも事故が起こった場合でも市民への被害を無くすことができるでしょう。
そしてさらに、オスプレイの展開力を利用して、海兵隊の兵力の一部を沖縄からグアムへ移駐させるよう交渉し、最悪でもオスプレイの代わりに従来のヘリコプターの配備数を減らすように交渉するべきだと思います。そうすれば結果として安全性を確保しながら沖縄の基地を縮小することができると同時に、極東米軍の緊急展開力も維持することができるのではと思います。

私たちに必要なのはプラグマティック(現実主義)な合目的選択肢に基づく交渉戦術で、この選択肢のないヒステリックな反対運動だけでは何も解決しないのは原発問題もオスプレイ問題も同じだと思います。


(7月23日追記)

本日、オスプレイが岩国基地に搬入されました。マスコミは相変わらず反対するデモ運動や市町村の首長の要望書やら、その首長の「政府の対応に失望した」というコメントを報道するばかりで、わざわざヘリを飛ばしてまでオスプレイが陸揚げされる様子を映したりしています。
そんなことよりも私が驚いたのは、オスプレイが自動車運搬船(Lo-Lo船)で運べることのほうで、主翼を縦に廻すことにより通常の自動車運搬船のタラップで陸揚げできるということです。これなら世界中の多くの港にオスプレイを運搬することが可能で、しかも最低限の組み立てで運用できるのであれば、場合によってはそのまま港湾施設内から離陸することも可能でしょう。
単にオスプレイそのものが持つ機動力だけでなく、こうした分解輸送方法まで緊急展開のことを考慮して設計されていることの意味を一切コメントしない日本のマスコミには呆れるばかりです。

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記事の中でも述べましたが、オスプレイの作戦距離がどの国にとって一番脅威かは上の図を見ていただければ一目瞭然だと思います。そしてそのオスプレイの存在が日本にとっても、そして今後のアジアの緊張緩和のためにどれだけ重要かがお分かりいただけるのではと思います。

基地がある町の住民にとって安全の問題は重要であると思います。それは国益であったりアジアの平和などという現実感を伴わない利益よりも、毎日の問題として大きくのしかかってくる脅威だと思います。
それをバランシングするのが政治の役割で、今の日本の政治に欠けている大きな問題ではないでしょうか。

(7月29日追記)

ようやくマスコミのマトモな報道を見ることができました。
本日のフジテレビ「新報道2001」の中で、森本防衛相、石破議員が出席し、オスプレイの問題に関して明確な説明を行っていたのですが、その内容はこれが同じマスコミか・・・と思うほどマトモで説得力に満ちた説明と議論でした。
オスプレイの極東配備は中国との領土問題における抑止力のためであること。従来のCH-46という老朽化したヘリコプターは今後オスプレイに機種変更されること。また事故率も説明され、オスプレイそのものが取り立てて危険とは言えないこと。そして日米安保において日本の国内を飛行するのであるから、日本政府が責任を持って少なくともその安全性を確認すると同時にそれを国民に説明する責任は米国ではなく日本にあること。
またオスプレイのような機種が日本の災害派遣に、また有事の際の邦人救出に有効なのではという議論に始まり、日本の安全保障のためにはむしろ自衛隊がオスプレイを装備し、海兵隊的な緊急展開能力を持つ部隊を整備すべきではないかという一歩踏み込んだ議論までされていました。
ここでようやくオスプレイの問題はそもそも機体の安全性の問題ではなく、政府の説明とその手順のマズさという政治問題であることが明確になったのではと思います。

不思議なことに今回の番組はそれまでのヒステリックなオスプレイは危険・・・という一方的な論調ではなく、本来報道が果たすべきである、冷静で多面的な視点からの問題の解説という役割を果たしていたのではと思います。「そうでなければ出ない」と両氏が言ったのかも知れませんが、地元も今回のような説明がマスコミの報道を含めて、最初にされていればまた違った反応になったのではと思います。

原発事故の問題のときにも感じたのですが、政府はどうも国民を愚民だと思っているフシがあり、どうせ説明しても理解できないだろうからと適当にあしらっているような気さえします。現在のような様々なニュースソースとネットワークがある時代において、その愚民政策の結果は単に政治不信しか生み出さないことを政治家は肝に銘じておくべきだと思います。

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テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済

欺瞞の選択肢 ~原子力発電所は本当に必要なのか~

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多くの国民の理解と納得が得られないまま、多飯原発が再稼動されました。その決定のプロセスも、最終的に「総理判断・・・」という決定権者そのものも国民の完全な理解は得られていないのですから、後は日本人特有の現状是認という一種のアキラメに持ち込む戦法なのだろうと思うのですが、今回ばかりは多くの国民が国会前でデモを行って原発再稼動に異議を唱えています。
このデモも日本においては新しい民主運動の始まりを感じさせるもので、それまでの労働組合などの何らかの上部団体により「動員」されて行われていた大規模なデモに対して、ツイッターやフェイスブックなどでの呼びかけに応じて、「個々の意思で」参加しているこうした大規模なデモは60年安保以来ではないかと思います。しかも、安保闘争と大きく異なっているのはその世代層が幅広いことで、もし政治家がこのムーヴメントを正しく理解しなければ、「アラブの春」のように日本でも政権が転覆するような事態になるかも知れません。
このことだけでも、旧態依然とした日本の政治家が考える造反だの新党設立だのという世離れした政界の「一大事」より、この国会前のデモのほうが遥かに「一大事」であることを認識しなければ、政治家全員が放逐されることになるのではと思います。

そんな中で、先日国会調査委員会による福島原発の事故報告書が提出されました。あまりに遅い・・・という点は置いておくにしても、この調査報告書の内容で一番注目すべきなのはこの事故が天災ではなく、人災であると断じていることです。
またこの報告書の中で当時の管首相の行動に対する批判が書かれていますが、理論上の批判は尤もだとしても、あの時に東電も原子力委員会も、本来首相に正確な情報と専門家としての助言をするべき人たちが誰一人として当事者能力がなかった中で、首相が正確な状況分析をするために現場に出向いたことは、少なくとも管首相に国家元首としての当事者意識があったことを証明しており、そのことを日本人はもっと評価すべきだと思います。少なくとも冷静な海外のメディアは彼の行動を決して批判などせず、むしろ当事者である東電と原子力の専門家が事故に直面して何ら機能しなかったことこそが問題であると断じているのです。

日本人は台風や地震、果ては火山の噴火といった天災に晒されながら生活して来ました。ですので日本人の精神構造の中には天災は甘受するしかなく、過ぎたことを悔やむより生き残ったものが生活を再建すべく黙々と働く・・・という精神文化が醸成されてきました。それほどまで他国と比べると天災に晒されてきた日本人は「天災」と聞くと「じゃあ仕方ない」となってしまうのですが、一方でその天災に備えるために先人達が様々な知恵を絞って対策を立ててきたのも事実で、その先人の経験と知恵を上回る天災が襲ってきたときに人間の無力さを思い知ると同時に、自然に対する畏敬の念を思い起こさせてくれます。

しかしながら今回の福島原発の事故はその自然に対する畏敬の念の欠如ではなく、人為的なミスや保身の結果引き起こされた事故であることが明らかになるにつれ、そんな人間が原子力というエネルギーを安全に利用することなどできないのではないかという思いに至ります。
私を含め日本人の多くは、原子力発電をクリーンで安全なエネルギー源だと思い込まされて来ました。確かに日本のような資源輸入国にとって、不安定な原油供給の問題を考えなくて済む原子力発電は国策としても魅力でしたし、地球温暖化対策としても原子力発電はクリーンエネルギーだと言われればその通りでしょう。

しかし、私達は今回の事故まで、原子力発電所がこれほどまで適当でいい加減で無責任に稼動されていることを知りませんでした。
100歩譲って原子力発電は「現在の」日本にとっては止むを得ないエネルギー源だとしても、その適当でいい加減で無責任な稼動システムが100%改善されないままに、「ほら、他に手が無いんだから仕方ないでしょう」と再稼動させることには全く理解も納得もできないのです。

現在の状況での原発再稼動は、飲酒運転と同じで、事故を起こしたときに取り返しがつかなくなることを承知しながら、単に不便だから・・・という理由でハンドルを握るようなもので、それに同乗しなければならない国民に対して、「じゃあ雨の中歩いて帰る?」、「事故を起こさないうように気をつけて運転するから・・・」と言って説得しているように思えます。そして、最大の欺瞞はこの例えと同様に、飲酒運転のクルマに乗るか、歩いて帰るかという二者択一の選択を迫っていることで、運転代行を頼んだり飲酒していない友達を呼ぶといったそれ以外の選択肢を意識的に排除していることにあります。

今回の再稼動の決定に際しては、夏場の電力不足が最大の要因であったろうと思います。火力発電のコスト高や地球温暖化への影響はそれほど大きく議論されませんでした。と言うことは、「電気が足りない」というただ一点の理由で、原子力発電所の存続が容認されたということになるのですが、ここに大きな欺瞞があると思います。
電力不足を解消する手段は原子力発電だけではないはずなのですが、少なくともそれらの代替案が真剣に議論されたことも試みられた形跡もなく、ただいたずらに時間だけが過ぎ、結果として時間切れとなり原子力発電以外に手段がなくなったので、最初から原子力発電しかなかったのではないと思うのです。

電力需要

実際に電力が深刻に不足するのは夏場の昼間だけで、それ以外の時間帯は余剰電力があるのはご存知の通りです。
残念ながら、電気は保管しておくことが非常に難しいために、その電力需要に応じて発電所の稼動率を調整しているのですが、その需要のピーク時に発電所がフル稼働しても間に合わないから電力不足だと言っているので、つまり現在の発電設備全体は常にピーク時を想定して設置されており、それ以外の時には止まっている(遊んでいる)ということなのです。

では、本当に電気は蓄めておくことができないのでしょうか。
例えば水力発電で揚水発電という方式があります。これはダムから発電のために流した水を、夜間の余剰電力を使って再度ダムに汲み上げる方式です。つまり電気を蓄めておけない代わりに、発電の素となる水を貯めるという方式なのですが、明日から・・・というわけにはいかず、ダムの環境要因や設備工事などを考えると一朝一夕にはできませんし、仮にできたとしても発電タービンの能力以上には発電できないことには変わりありません。

それでは電力供給の総量を増やすための方法は、原子力発電に限らずその時点で何らかの方法で発電する以外に本当にないのでしょうか。
実際に余力のある夜間などの余剰電力をピーク時に利用する方法はあるのではと思います。
ご存知のように昨今のEVの進歩を見れば日本のバッテリー技術は世界最高レベルにあります。日産リーフ一台の蓄電量で普通の家庭の2日分の電力が賄える・・・という宣伝が本当だとすると、各町内に小規模の蓄電所を設置して夜間に蓄電しておき、そこから昼間のピーク時の不足分を供給することも可能なはずだと思います。
実際に蓄電効率が悪くても何もないよりも遥かにマシでしょうし、大量生産することによりバッテリーのコストダウンも可能だと思います。しかもこのプロジェクトによりさらにバッテリー技術が進歩し、その生産から設置までの内需も拡大することになるでしょう。

さらに、発送電を分離することにより再生可能資源(ソーラーや風力など)で発電した電力もそうして各地域で蓄電しておくことができれば、単に一時凌ぎの設備ではなく長期的にも発電所の負荷を減らすことができると思うのです。
昔は各町内に防火水槽があり、そこに雨水を溜めて火事の際の消火に使っていましたし、それ以外にも道路の水撒きに使っていた記憶があるのですが、町内蓄電はまさにその発想です。
その設置コストの問題も原子力発電所の設置コストや火力発電所の新設コストと比較すれば莫大とは言えないのではないかと思います。何より、原子力発電所がひとたび事故を起こしたときの国民の蒙る負担を考えれば、既存の原子力発電所に再稼動のための安全対策コストを注ぎ込むよりも遥かに合理的だと思います。加えて言うなら使用済核燃料棒の最終処分方法すら現在の日本にはないのですから、今後発生するそれらのコストも加えれば、今まで言われてきた原子力発電のコストが安いなどとは誰も信じることなぞできないでしょう。

さらに日本の原子力発電所には自然災害以外にもリスクがあります。それは北朝鮮によるテロに対するリスクで、日本海側の海岸沿いに設置されている原子力発電所は、せいぜい一個分隊(8名)程度の工作員で簡単に占拠し破壊することが可能でしょう。冬場の大陸高気圧により強い北風が吹く時期に、原子力発電所の冷却系統が破壊されメルトダウンすればどうなるかは福島原発の事故を見れば容易に想像できると思います。

原子力発電以外の代替案がどんなに荒唐無稽なアイディアだったとしても、またその実現のためには様々な障害があったとしても、そういった原子力以外の代替案を真剣に検討すらせずに(検討した結果を公表せずに)、一直線に原子力発電の再開というのは単なる結論誘導であり、何か理由が別のところにあるのではと思ってしまいます。

確かに、原子力発電はその用地買収から地元の振興策まで含めると大きな金が動く事業ですし、そこに様々な利権が絡むのは容易に想像ができます。それらの原子力利権団体が、あれほどの事故があったにも関わらず、何とかして原発を再稼動させようとする背景にはこれらの利権が大きく絡んでいます。それは単に国内の利権だけではなく、海外での利権も含まれており、将来的に原子力発電所は無くしますと言っている日本は、その原子力発電プラントを今現在も輸出しているのです。

今、世界は日本の福島原発の事故の推移だけでなく、日本の原発政策の行方も見守っています。
日本の領土内で発見されたシェールガスやメタンハイドレートもこれからの日本のエネルギー政策に大きく影響するでしょう。
しかし、今回の原発再稼動に至る経緯を見る限り、また、今後も現在の利権体質がある限り、日本のエネルギー政策は真に国民全体の利益となるような合理的な判断をされるとは思えません。
そしてその利権による判断にNoと言えるのは民意だけであり、政治家も自らが失業するリスクを冒してまで利権にはしがみつかないでしょう。
国会前のデモは国民が政治家の美辞麗句にはもはや騙されず、もっともらしい選択肢にも疑問を持つことができることを表しています。

原発の再稼動にYesであってもNoであっても、その判断はあらゆる選択肢が国民に提示された上での判断であるべきで、国民は単に原発再稼動に対してではなく、この意思決定のプロセスそのものにNoと言っていることを全ての政治家は良く考えるべきだと思います。

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テーマ:環境・資源・エネルギー - ジャンル:政治・経済

自動車趣味のセレクトショップ

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永年趣味クルマに乗っていると、様々な機会から販売店やメンテナンス・ガレージを訪れることがあります。雑誌に取り上げられることが多いショップであったり、広告を多く出しているショップは当たり前ですが、クルマ仲間の主治医や、紹介された「隠れた名店」など、名前を知っているだけの店から実際に訪れたことのある店まで、東京都内のイタリア車専門店に関して言えば殆ど知っていると言っても良いほどになってしまったのですが、そんな中にあって今回ご紹介するCOLLEZIONEは私の中では「名前は知っている」というカテゴリーに属するお店でした。

それは決して敷居が高かったからでも、あまり食指が動かなかったからでもなく、単に機会がなかったからで、以前から雑誌の広告などで目にしていた在庫車のラインアップは、イタリア車を始めとするラテン車好きにはなかなか「刺さる」ラインアップでしたし、その目黒通り沿いというロケーションから店の前を通る事が多く、いつかは覘いて見たいと思いながらなかなか機会がないだけだったのですが、最近ご一緒させていただくようになった「白金台アルファロメオクラブ」なるグループの方が新たにクルマを入れ替えることになり、その納車のご案内をいただいたので、ちょうど良い機会と思いお邪魔することにしました。

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私自身は代表の成瀬氏とは何度か「一方的に」遭遇しています。それはLaFesta Mille Migliaのエントラントと見学者としてであり、彼がドライブするALFAROMEO Giulietta Spiderはこのイベントの常連で、ナビゲーターを務める専務の金沢氏とともに、私自身にとっては「勝手に」顔見知りの関係でした。そして、昨年お邪魔したFIAT CAFÉでのクリスマスパーティで初めて実際に成瀬氏にお目にかかり、その物静かな風貌に違わぬジェントルな物腰に失礼ながら「違和感」を覚えたのも事実だったのです。

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おおよそ商売をする方の中で、自分が扱う商品を嫌いな方はいないでしょう。しかし、単に嫌いでないというだけではラテン車を扱う商売をするには不向きで、オーナーの多くは永年ラテン車を乗り継いできた「猛者」揃いですし、理詰めで売るにはその商品としてのラテン車はあまりに理不尽なことが多いために(苦笑)、顧客以上にラテン車に対する熱意と愛情を必要とするのではないかと思うのです。
ですので、私が今まで出会ったこの「業界」の方々は皆さんオーナー以上にマニアックな方が多く、本当に「大好きで」その商売をやっていることがその物腰から感じ取れる方々ばかりだったのです。

しかし、不思議なことに成瀬氏からも金沢氏からも、その物腰からこの「変態オーラ」(笑)を感じ取ることができないのです。どちらかと言うとお二人ともクルマ商売とは無縁の方々のように見受けられましたし、むしろ保険会社かハウスメーカーで仕事をしています・・・と紹介されたほうがしっくり来たかも知れません。
私自身はこうしてお目にかかってから以前にも増して、COLLEZIONEに興味が湧いてきたのですが、それはこのご両名の印象のギャップが果たして本当にギャップであるのか、それともちゃんと「変態」嗜好が隠されているのかを知りたいと思ったのです。

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初めて訪れたCOLLEZIONEの等々力ショールームは私にとってはかつてバーキン7やシボレー・アストロのSTARCRAFT仕様などを扱っていた「マルカツ」のショールームがあった場所で、それは目黒通り沿いの目立つ「一等地」にありました。
建物は目黒通り沿いの1Fと裏通りからアクセスする2Fからなり、初めてこのショールームに足を踏み入れて私が感じたのはやはり「違和感」でした。
それは1Fのショールームで、そこに並べられているのは紛れもなく販売車なのですが、通常の中古車販売店特有の「買ってください」的な雰囲気が感じられないのです。

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個人差もあるかと思いますが、私自身は幹線道路沿いにある中古車販売店のあの雰囲気があまり好きではありません。それは一物一価の中古車をただ並べて「叩き売っている」ように見えてしまい、その展示の仕方だけでどうも買う気が失せてしまうのですが、このショールームはまるで個人のガレージにお邪魔したような不思議な感覚だったのです。しかもそこにあるのは珠玉のクルマばかりで、さらに言うならばそれぞれのモデルが一番多く売れ、人気のある「売れ線」のボディカラーではなく、ちょっとハズれたものが多く、その展示車達から醸し出される雰囲気が益々、個人が自分の趣味で集めたクルマ達のガレージというイメージを強調しているのです。

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成瀬氏はBMWのメンテナンススタッフとしてこの「業界」のキャリアをスタートさせます。当初は現在のお仕事をするようになるとは全く考えていなかったそうなのですが、BMWがアプルーブドカーと銘打って中古車を積極的に扱うことになり、中古車認定査定士の資格を取得したころから、BMW以外のクルマも見て見たい・・・という欲求が強くなったそうです。そして氏は意を決してBMWを退職することにします。そして門を叩いたのが今は無きラテン車の有名店であったロ・スコントで、ここで氏は初めて営業のキャリアを積むことになります。
整備士の資格経験があり、中古車の査定ができ、営業経験を積むことができれば独立開業は視野に入ると思うのですが、氏はBMWを退職し、ロ・スコントに入社する際にこの明確な自らのキャリアビジョンを持っていたそうです。

そして、氏はロ・スコントでカルチャーショックを受けることになります。それはラテン車との出会いで、BMWに在籍していると味わうことのできない、クルマ全体から走ることの楽しさを伝えてくるクルマ達でした。
特に刺さったのはFIAT PandaやPEUGEOT 205GTIなどの小型車で、それまでのBMWのラインアップにない、これらのグレードの持つ日常で走ることの楽しさを味わうことのできるクルマ達に惚れ込むことになります。
成瀬氏にとってのキーワードは「軽い」「回る」「廻る」のようで、お好みはライトウェイトなボディに天井まで回るエンジンにクイックなステアリングという所謂、「ボーイズレーサー」的なクルマで、しかもその外観からは目を吊り上げた「ヤル気」を感じさせない独特のセンスをこれらのラテン車から得ることができたのではないかと思います。
そのセンスはちゃんとプライベートで乗られているGiulietta Spiderにも顕れており、小排気量で軽いボディを引っ張るという嗜好に沿った選択であることが見て取れます。

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COLLEZIONEのクルマ選びに関する哲学は、上質なオーナーから上質なクルマを手に入れ、それをまた上質なオーナーに引き継ぐというもので、イタリア車を始めとするラテン車が、単に年式や走行距離ではなく、その乗り手のメンテナンスによってコンディションを維持されて行く場合もあれば、乗り潰されてしまう場合もあることを体験上知っているからに他なりません。
また、そのクルマを大切にメンテナンスしてきたオーナーだからこそ知っている整備のノウハウも多く、そういった情報も含めて引き継ぐことができるのも個人買取の妙味なのだそうです。
余程のことがなければオークションでは仕入れないという氏の方針も、この考え方からすれば至極当然で、中古車査定士であるからこそ、その査定の限界もご存知なのだろうと思います。

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こう書くと、仕入れに関しては「待ち」の姿勢のように見えてしまうかも知れないのですが、唯一、積極的に取りに行くのが希少色であったり、変わった仕様のモデルなのだそうです。
これも氏独特の選択眼で、ラテン車において希少色のモデルを新車で「納期がかかっても」買うオーナーはクルマを大切にする方が多く、またそのモデルをCOLLEZIONEで買う方もクルマ好きで同様に大切に扱ってくれるからだそうですが、実際に今回納車に立ち合わせていただいたALFAROMEO 939 Spiderもシャンパンゴールドという希少色で、しかもFERRARI F355との入れ替えとのことですので、COLLEZIONEでは一般の中古車販売店とは異なる不思議な入庫や買い替えが日常で繰り広げられているのです。

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COLLEZIONEという店を理解する上で一番分かりやすいのはアパレルのファストファッションの店とセレクトショップの違いではないかと思います。
幹線道路沿いの大規模な中古車販売店が、売れ線で旬のクルマを大量に在庫して売っているファストファッション店だとすると、COLLEZIONEは独自のネットワークと自身のセンスで仕入れた、ちょっと素敵な服を売るセレクトショップだと思います。

以前の記事で書いたのですが、ラテン車に限らず自動車業界はこれから苦難の時代になると思うのですが、氏にこれからの経営課題は・・・?と尋ねると意外な答えが返って来ました。
私はこの質問をする際に、顧客層の拡大やら仕入れの多様化など現実の経営者としての直近の課題に対する答えを思い描いていたのですが、氏から返ってきた答えは、
「若いヒトを育てる」というものでした。
それは若い社員だけでなく、若いユーザーも同様で、若者に夢を提供し、その夢の実現のお手伝いをすることが年長者の役割だと考えているのだそうです。
そう聞けば、「仕事を休んで」ヒストリックカーイベントに出場していることも、そうして世間に露出することにより、多くの人々にクルマ趣味の楽しみを伝えたいとしていることが分かりますし、若い社員の皆さんが実に礼儀正しく、一生懸命に働いている姿も氏の「若いヒトを育てる」という理想が着実に実行されていることが分かります。

氏の柔らかい物腰の裏にはちゃんと熱いラテン車への思い入れも、その経営理念も隠されていることが分かりました。
そして、「お客様に自分の趣味を押し付けるようなことはしません」と言っていたにも関わらず、たまたま居合わせたお客様にお話を伺うと、

「以前、クルマを買い換えようと思って相談したら、そんなクルマは買うなと言われたんだよね~」

という証言?を得ることができました(笑)。
セレクトショップのオーナーはそうでなくちゃいけません(笑)が、一方でただの頑固親父になってもいけないのは商売の道理で、どうやら押し付けにならないようにちゃんとお客様に見合った「見立て」もされているようです。

まずは気軽に氏の「ガレージ」を訪ねてクルマについて話をしてみてはいかがでしょうか。
柔らかい物腰と丁寧な言葉遣いで、ちゃんとダメなものはダメとアドバイスしてくれると思いますよ。

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矛と盾 追補

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私が前回のブログで「最良の結果」と書いた北朝鮮の弾道ミサイル(人工衛星)発射(打ち上げ)実験は見事なまでの失敗に終わり、SM-3もPAC-3も出番はありませんでした。

しかし一方でもう一つ期待すると書いた、これからの日本に必要な安全保障に関する議論は一向に始まる様子はなく、あれだけ準備したJ-ALERTと呼ばれる緊急通報システムが機能しなかったことばかりが問題視されています。
しかし、この問題も恐らくしばらくすると沈静化してしまい、誰も本質論を議論せずにまたもとの日常に戻っていくのだろうと思います。

北朝鮮からもし弾道ミサイルが日本に向けて発射されたらそのミサイルは7分後に日本に着弾します。
仮に北朝鮮が今回のように発射予告をし、それが充分な準備期間の後であったとしても、J-ALERTが完璧に機能し、国民にその発射を知らせてからたった7分しか猶予はないとすると、国民にしてみればどーすれば良いのといった状態でしょうし、今回の通報の遅れもそれを前提とし、「どーせどうしようもないじゃん」という感覚があったために、「間違っていても早い情報」ではなく「正しい情報」を優先した結果ではないかと思います。
事実、政府は米国からもたらされた発射情報を自衛隊止まりの情報とし、その理由を不確実な情報だから確認が必要だったと説明し、通報が遅れないためには日本独自の監視衛星が必要という論理にすり替えているのは、もはや滑稽としか言いようがありません。

私たちが本当に考えなければならないのは、前回の記事で書いたように弾道ミサイルの迎撃システムが完全ではないことを前提に、そのたった7分でミサイルが飛んでくる距離にある近隣国が、どんなに世界が圧力をかけてもせっせと核爆弾とそれを撃つためのミサイルを開発し、その標的の一つがこの日本であるという現実に対して、何をすべきかを真剣に考えることではないかと思います。

私たち日本人は第二次世界大戦以後、戦争というものに現実感を持たずに過ごして来ました。朝鮮戦争もベトナム戦争も当時の日本にとっては経済特需をもたらしたある種の「幸運」で、湾岸戦争以降の中東での紛争も自衛隊の一部隊が派遣された程度で、派遣された自衛隊員の家族はともかく、多くの日本国民はそれを対岸の火事くらいにしか思っていませんでした。
湾岸戦争で初めてCNNが戦場から衛星生中継を行って以降、戦争は世界中の人々にとって一気に「身近なもの」となりました。しかし、その戦争にリアリティを持たない人にとっては、映画やTVゲームの映像と何ら変わることのないパフォーマンスでしかなく、以前には望んでも得ることができなかったこれらの情報を得ることができるようになっても、それを受ける側にこのリアリティがなければ、数あるニューストピックの一つとしてしか受け取られないのが実際ではないかと思います。
すなわち、私たちがリアリティをもってその事実を感じるのは映像でも同情心でもなく、「自分の問題」と感じる想像力であり、この感覚がなければどんな問題も解決するための積極的な行動に結びつかないだろうと思います。

私たちが北朝鮮のミサイル開発の問題をリアリティを持って考えるためには、別のテーマとして置き換えてみるのも一つの方法かも知れません。そこでこんな身近なテーマに置き換えてみました。

あなたの家の二軒隣に変な家族が住んでいる家があります。その家族は隣の家とは親戚関係になるのですが、考え方の違いから仲が悪く、過去には殴り合いの大喧嘩をしたこともあるのですが、今はお互いに口喧嘩をする程度で殴り合いにまでは発展していません。
この家族の親は自分勝手で、子供達を働かせてその稼ぎで親だけは美味しいものを食べて、趣味のパチンコや競馬にお金を使うだけでなく、その最大の趣味は武器収集で、最近ハマっているのが「火炎瓶」造りです。

その家の子供たちはいつもお腹を空かせており、見かねて近所が惣菜をおすそ分けしたり、お菓子を分けてあげるのですが、それすら親がみんな食べてしまい、子供の口にはなかなか入らないようです。
近所と何か話すときにはいつも脅迫口調で、夜中に大音量で音楽を流すのでそれを注意すると、「止めてやるから飯をくれ」といった調子で、それで止めてくれるなら・・・とお米をあげても今度は太鼓を叩き、約束が違うじゃないかと文句を言っても、「止めると言ったのは音楽で、太鼓じゃない」と放言し、「太鼓も止めて欲しいのなら今度はもっと美味しいオカズをくれ」と要求する有様でした。
町内会でもその家族を問題視していますが、「放っておけ」とか「まあ穏便に」とか意見が分かれているのが現状です。

ある日、その親が作った火炎瓶を投げる練習をすると言い出しました。さすがに近所の手前もあり火炎瓶にはガソリンを入れずに投げる練習をするだけだと言い、危なくないように大通りに向かって投げるから安心しろと、練習をする日などは教えてくれたのですが、そもそもなぜ火炎瓶を造るのかが良く分からないことに加えて、あまり手先が器用とは思えないためにその火炎瓶の出来栄えも相当怪しく、また運動神経もあるとは思えないのでちゃんと大通りまで投げられるのかも疑わしいので、町内会でも止めてくれと申し入れたのですが、「オレが自分の家で何をしようとオレの勝手だ」と言うことを聞いてくれません。

仕方ないので余計な出費でしたが、万全ではないものの塀を高くする工事を行って、さらに消火器も購入し、万が一火炎瓶が飛んできても火事にならないようにしました。さらにその家から火炎瓶が投げられたら分かるように、物干し台に家族を登らせて見張るように言いつけておきました。
近所には高層マンションがあり、その最上階に住む日頃から仲の良いそのお金持ちは、高価な望遠鏡を持っており、その家を見渡すことができるので、当日はベランダから見張って火炎瓶が投げられそうになったら電話で教えてくれることになっていました。

いよいよ練習をする日がやって来ました。戦々恐々として待ち構えていたのですが、やはりあまりに運動神経が悪かったために投げた火炎瓶は大通りまでは届かず、その家の前の路地に落ちただけだったのですが、問題は見張っているように言いつけた家族で、火炎瓶が投げられたことを言わなかったのです。
その見張り役の家族は、せっかく高層マンションの友人から電話を受けたにも関わらず、自分の目では見えなかったので言わなかったと説明し、これから自分の目で見るためには物干し台をもっと高くするべきだと言っています。

今回の火炎瓶投げの練習はどうやら失敗したようで、それまでは失敗を認めないその家も、さすがに投げ方に問題があったと失敗を認めていますが、それでアキラメるとはとても思えず、親の沽券にも関わるでしょうから子供達への手前もあり、これからもっと火炎瓶造りに精を出すでしょうし、また投げる練習をすると言い出すのではないかと思っています。さらにこれまでの経緯から、止めてくれと言っても何か交換条件を言ってくるでしょうし、それで約束を守ってくれるとはとても思えません。


もし、こんな現実があなたの近所に起こっていたらどうでしょう。毎日家族でこの問題を話し合い、町内会にも日参して他のご近所とともに何とか解決すべく行動しないでしょうか。

私たちは日々正解のない問題に直面しています。それは日本人が大好きなクイズ番組のように、「ピンポン!」と「ブー!」で瞬時に正誤が分かるような問題ではなく、マイケル・サンデル教授の行う授業のように、一人一人が自分の考えを持たなければ解決できる方向すら分からない問題だと思います。
そのためには私たちは自分の問題として考える想像力と現実を直視するリアリズムを持つ必要があります。

この北朝鮮の問題も、原発問題も、年金問題も・・・、私たちが「我が家の問題」として、専門家任せにせずに本気で真剣に考えるに値する問題だと思います。

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テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済

矛と盾

連日のニュースで伝えられているとおり、現在の日本が直面している様々な問題の内で最も憂慮すべき問題の一つが北朝鮮が発射準備をしている弾道ミサイル実験の問題ではないかと思います。
残念ながらこの実験が北朝鮮が公言している人工衛星の打ち上げという平和利用のためであると信じている人は、北朝鮮国民以外には世界中に誰もいないでしょうし、北朝鮮の国民の中でもそれを信じている人は極少数かも知れません。
日本のマスコミの論調は、「実験が失敗し、日本に落ちてきたら・・・」という目先の心配に終始していますが、仮に実験が成功したら北朝鮮は長距離弾道ミサイルの実用化に成功したということになり、新たな安全保障上の問題が発生するであろうことに目をつぶっているとしか思えません。

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発射されるICBM(大陸間弾道ミサイル)

元来、ICBM(大陸間弾道ミサイル)やSLBM(潜水艦発射型弾道ミサイル)はアメリカと旧ソ連により開発され、その兵器の開発技術が宇宙ロケットに「転用された」のが実際で、核爆弾を搭載して目標に落とす技術と、その代わりに人間や人工衛星を載せて宇宙空間の軌道に打ち上げる技術が同源であることは軍事の素人にも容易に想像できるでしょう。
悲しいことに宇宙開発はこうした軍事面と一体となって行われてきたので、人工衛星を自力で打ち上げることのできる国は、「その気になれば」いつでもICBM(核弾頭を持っていなくても)を造ることができると世界に公言することになり、一国の安全保障上の観点で見ると人工衛星を打ち上げることよりも遥かに重要なことなのです。

そしてICBMが実用化されたときに、その最大の防御方法はそれを無力化するための迎撃兵器ではなく、同様のミサイルを保有して「撃ったら撃ち返すぞ」という抑止力しかなかったとは皮肉な話で、結果としてアメリカとソ連は双方がより多くの核ミサイルを保有すべく競争をするという実に人間にとって無駄な愚行を行って来たことはご存知の通りです。
しかし、一方でこのICBMという兵器はその技術力と経済力を持つ国だけが保有することができ、貧国やその技術のない国にとっては持ちたくても持てない贅沢な兵器であると同時に、その保有大国である国々がお互いに牽制しあうだけの「冷戦」であったために、結果として世界秩序(それが万人にとって幸福な秩序であったかどうかは別にして)が何とか保たれていたのですが、現代の複雑化した世界情勢は、外交交渉や経済制裁はおろか武力介入でもコントロールできなくなってしまっているのが実際ではないかと思います。

こうした弾道ミサイルの迎撃は弾道ミサイルを実用化するよりもはるかに難しい技術で、未だに実用化されているとは言い難い状態であることはこれまた意外と知られていません。
例えば、通常のミサイルでも飛行機から発射される飛行機を撃墜するための「空対空」ミサイルの場合は、基本的には「逃げ回る」、「目を晦ませる」、というミサイルそのものを撃墜するという方法ではありません。
現在でもミサイル回避の有効な方法は、ミサイルが追いつけないような急旋回をして逃げたり、レーダー誘導型のミサイルに対しては、チャフと呼ばれるアルミ箔を細かく切ったものを撒き散らしてミサイルのレーダー波をかく乱したり、ステルス技術を用いてそもそもレーダーに映らないようにするのが一般的な防御法です。

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米軍が装備する最も長射程のレーダー誘導型空対空ミサイル AIM-54フェニックス

また、赤外線センサーを装備して熱源である自機のジェットエンジンをめがけて飛んでくるミサイルに対しては、フレアーという火の玉を発射してそちらにミサイルが飛んで行くように仕向けたりという防御方法しかなく、要は敵のミサイルを撃墜するのではなく、「当たらない」ようにすることによって無力化しているのです。

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最もポピュラーな赤外線探知型ミサイル AIM-9サイドワインダー

フレアF15
F-15 Eagleの編隊から散布されるフレアー

また地上から発射される「地対空」ミサイルに関しては地上から出されるミサイルの誘導電波をキャッチし、その妨害電波を出してかく乱するというのが一般的な防御方法で、これまたミサイルそのものを撃墜するのではなく、単に「当たらない」ようにする方法です。

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地対空ミサイル SA-6

ミサイルそのものを撃墜する方法は対艦ミサイルに対する防御方法で、イージス艦に代表される戦闘艦艇の一般的な装備はスタンダードミサイルと呼ばれているSM-2が、まずは飛んでくるミサイルを遠方で撃墜し、それで「撃ち漏らした」ミサイルはCIWSと呼ばれるバルカン砲(連続発射できる機関砲)で弾幕を張って撃ち落とすというシステムです。

トマホーク
対艦(地)ミサイル トマホーク

ここで重要なのは「撃ち漏らす」という状況で、スタンダードミサイルはレーダー誘導ですので、目標を個別に割り当てなければ何発ものスタンダードミサイルが一発の対艦ミサイルに向かって行ってしまいます。すなわちレーダー管制を必要とするために、一度に多くのミサイルが向かってくるとその目標の割り当てが間に合わなくなってしまうのです。また、弾道ミサイルと異なり対艦ミサイルのスピードが遅いこともこの迎撃システムを有効なものとしています。

そしてさらに重要なことは、こうした戦術ミサイル(飛行機や艦艇を狙ったもの)の防衛システムはミサイルが目標にさえ当たらなければ後はどうなっても良いという考え方に基づいており、破片が海に落ちようが燃料が尽きたミサイルが地上に落ちて被害が出ようが、戦争状態なので「仕方ない」と無視されていることにあります。

このように敵をミサイルで攻撃するよりも遥かに困難なのが敵のミサイルを無力化することで、さらにその迎撃戦闘で「一切の」被害が出ないようにすることは至難の技であることは意外に知られていないのです。

地上の目標を狙って弾道ミサイルが発射された例として挙げられるのは、湾岸戦争時にスカッドミサイルがイスラエルとサウジアラビアに向けて発射されたことで、一方でその迎撃システムとしてPAC-2と呼ばれるパトリオットミサイルが使用されたのを記憶されている方も多いのではと思います。
報道では迎撃は成功したことになっていますが、アメリカ軍の発表によれば命中率はサウジアラビアで70%、イスラエルで40%で、実際にはこれよりも低い確率だったのではないかと見られています。これはPAC-2ミサイルが爆発で飛散する破片によって目標を破壊する方式であったため、弾道ミサイルにその破片が命中しても弾頭の機能を無力化できずに目標外に落ちて被害が出る場合があったからとのことですが、一説ではそもそも当たらなかったとも言われています。

今回、自衛隊が配備したのがこのPAC-2の発展形であるPAC-3システムとイージス艦から発射するSM-2スタンダードミサイルの発展形であるSM-3なのですが、考え方は弾道ミサイルが大気圏外または成層圏にいるときにはSM-3で迎撃し、地上に落ちてくる場合は近距離にまで到達したらPAC-3で打ち落とすという二段構えの迎撃システムです。
何がどう発展したのかを詳しく書くとあまりにヲタクっぽくなってしまいますので控えますが(笑)、問題はSM-3とPAC-3の両方で迎撃成功率を担保していることにあります。

SM3.jpg
SM-3ミサイル

PAC3.jpg
PAC-3ミサイル

北朝鮮は人口衛星を打ち上げると公言していますので、もしこのミサイル発射が「無事」に成功したら大気圏外まで飛んで行くのは当然で、その成功した「人工衛星ロケット」をSM-3で打ち落とすことができるでしょうか?
仮に軌道を逸れていると判断して、大気圏に再突入し地表に落下する恐れがあると判断できたとしても、その判断を北朝鮮も支持するとは思えず、大気圏外で破壊することは、「成功した人工衛星」を勝手に破壊されたという口実を北朝鮮に与えることになります。
日本もアメリカも北朝鮮に対して実験を中止するように「強く要求」していますが、「強行したら撃墜するぞ」とまでは言えません。人工衛星の打ち上げは人類の権利である・・・と強弁されればその通りで、その権利を他国は侵害することはできません。
もし仮にこの成功した「人工衛星」を破壊したりしたら、その事実を北朝鮮側に良いように利用され、内政干渉だ賠償金だ何だのとこれからどんな要求をされるか分かったものではありません。
つまり政治的にはイージス艦から大気圏外の目標にSM-3は撃てないということではないでしょうか。

それでは、「不幸にして」失敗し大気圏内に落ちてくる場合ですが、もしこれが通常の人工衛星ロケットであれば軌道を維持できずに大気圏内に落ちてくるような場合は、自爆装置が作動して大気圏内で個々の破片が燃え尽きてしまうように粉々にしてしまうものではないかと思うのですが、そんな期待をせずに、ある程度の塊が地上にまで落ちてくると想定しましょう。
そうすると、落ちてくる破片の中から地表まで到達して被害が出そうなものを特定し、現実的にはそれをPAC-3で撃ち落すしか手段がないことになります。そしてさらにPAC-3の命中率、破片の数とPAC-3の弾数、空中で破壊した場合の破片被害・・・という不確定要素がそれに加わることになります。

アメリカを始めとする全世界は、この発射実験と迎撃を固唾を呑んで見守っています。
それは単に世界平和を願う善意からだけではなく、アメリカにとってはこの巨費を投じて造った迎撃システムが実験ではなく、初めて実用される機会であり、仮に成功したら各国にどんどん輸出することができるビジネスチャンスとなります。一方で失敗したら・・・、アメリカ議会からの突き上げは必至で、大統領を始めとする開発にゴーサインを出した歴代の責任者は窮地に陥るでしょう。また既にこのシステムを導入している国々にとっては、この高価な装備がオモチャになってしまうかどうかの正念場となるでしょう。
一方で北朝鮮の実験が成功したら安全保障上の新たな頭痛のタネが生まれることになり、問題は北朝鮮がこのロケットを中東を始めとする社会主義国に輸出することで、その脅威は極東アジアに留まらないであろうことです。

おそらく一番良い結末は、発射を思いとどまらせることではなく、北朝鮮のロケット実験が見事なまでに失敗し、かつSM-3もPAC-3も出番がないことで、それは太古の昔から、矛と盾はどちらが本当に強いかを試すことなく、その真価が分からないままでいることがお互いにとって一番平和なことと同じであると思います。

それにしても、日本のマスコミがこの問題をきちんと解説しないことにはホトホト呆れるばかりです。
北朝鮮が何故このようなミサイルの発射実験をこの時期に強行するのか・・・という北朝鮮の政治事情に関する解説はともかく、PAC-3やSM-3などという迎撃ミサイルの性能や、これらのジレンマと言って良い問題点については殆ど説明されず、識者と言われる軍事評論家の方々もその迎撃システムの解説に終始し、本当に有効なのかどうかについては口をつぐんでいるとしか思えません。
私がこのブログに書いているようなことは決して軍事機密でもなんでもなく、軍事評論家の方々にとっては常識レベルのことですので、いたずらに不安を煽ってはいけないというマスコミの自主規制なのか、はたまた政府からの圧力なのかは分かりませんが、いずれにせよ国民が本当に知るべきことを伝えていないのは、原発事故とその後の対応に関するニュースと同様で、日本のマスコミはもはや中立を旨とする報道機関の体を為していないのではと思います。

最近の日本近辺に起こっている様々な事象を見るにつけ、私たちは最早、日米安全保障条約に頼り切るのではなく、最終的には米軍との共同作戦を前提とするにしても、一義的には独自の安全保障に対する考え方を持ち、行動することが必要な時期に来ていると思うのですが、その是非を議論するための情報が国民に正しく知らされていないことは憂慮すべきことだと思います。

この北朝鮮のミサイル発射実験が中止されようが失敗しようが、はたまた成功しようが、その後の日本でこの問題が正確な情報とその分析に基づいてきちんと議論されることを願って止みません。


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