走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

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お台場の旧車三昧 ノスタルジック カーショー~その六~

「滝レーシングチーム」という名前をリアルに知っている世代はすでにかなりな年輩ではないかと思います。
それは、故滝進太郎氏が設立したプライベートなレーシングチームでした。実業家としてスーパーマーケットを経営し成功していた彼は1964年に個人的な趣味であったモータースポーツにのめり込み、当時最新鋭マシンであったロータス・エラン26Rを購入して、始まったばかりであった日本グランプリに出場し大活躍をします。その後に彼が購入したのはポルシェ・カレラ6で、当時の日産R380に対抗するにはこのクルマしかない・・・と目をつけたマシンでした。

現在のGT選手権以上にメーカーの威信をかけて争われていたのが当時の日本グランプリで、日産がミッドシップのR380を生沢徹のドライブで投入したのに対して、滝進太郎はポルシェから購入したままの「吊るし」のポルシェ・カレラ6で挑みます。
当時の技術では日本はまだまだヨーロッパに遅れを取っており、会社が総力を挙げて開発し、チューニングしたR380に対して、市販状態(もちろんコンペティションベースではありましたが)のポルシェ・カレラ6は互角以上の戦いをし、1967年の鈴鹿1000kmレースでは総合優勝を勝ち取ることになります。
しかし、彼の手腕が本当に発揮されたのは、レーシングドライバーとしてではなくチームマネージングで、現役を引退した後に設立した滝レーシングチームは、ワークスとして会社の経費で運営されていた日産やトヨタなどと異なり、日本で初めてスポンサーからの資金により運営されるプライベーターとして成立したレーシングチームでした。

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こうしたプライベートチームがメーカーワークスチームに伍して戦うためには、優秀なマシンとドライバーが必要で、滝レーシングチームはそれまでのカレラ6に加えて、カレラ10、そしてこのローラT70といった当時の最新鋭マシンを投入します。ドライバーも生沢徹、酒井正、長谷見昌弘といった当時のトップドライバーと契約し、まさにサーキットを暴れまわるのですが、子供の頃の私は周囲が「日本対外国」という対決図式で見ていたのに対して、純粋にそのレーシングカーの形に注目しており、性能がどうのとかドライバーがどうの・・・といったマニアの能書きを他所に、フロントにシェブロンマークを書き、車高が低いこのローラT70のスタイルに参ってしまっていました。

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つまり、他のクルマに比べて段違いに「格好良かった」のがこのローラT70で、その鮮烈な印象はずっと残っていたのです。写真でも見えますが、そのスポンサーの一つが田宮模型で、実際にモデル化されたLOLA T70は子供が買えるお値段ではなく、指を咥えて見ているしかなかったのですが、近年再販されたことからも、私のような根強いファンがいることの証ではないかと思います。

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ローラは建築会社で働く普通のサラリーマンであったエリック・ブロードレイにより設立されたメーカーで、趣味が高じて・・・というパターンなのですが、このT70はライバルが鋼管チューブラーフレームであった時代にアルミ製ツインチューブ・モノコックシャーシーを採用しており、ライバルに差をつけていました。最初に日本のレースに出場したT70はアメリカのCan-Amレースで酷使された後の中古だったのですが、それでも最新鋭の国産マシンと互角に渡り合えたことは日本の技術と欧米の差がまだまだ大きかったことを思い知らされる状況でした。

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エリック・ブロードレイはキャロル・シェルビーと共にフォードのル・マン参戦に協力し、GT40の開発に加わったことでも有名で、GT40の面影をこのT70にも見ることができます。

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デモ走行は限られたコース内であったためにキャブレターがカブってしまい、相当苦労をされていたようでした。
できればせめてメガ・ウェブのコース程度を走って欲しかったと思います。

そしてその隣にはローラT70を制して1968年日本グランプリで優勝した日産R381が展示されていました。

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日産R381は当時のFIA規定のグループ7カテゴリーに属するスポーツプロトタイプと呼ばれるレーシングカーでした。設計はスカイラインを設計した故桜井眞一郎氏で、鋼管パイプフレームにアルミハニカムパネルという構造でした。

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100%純血の国産マシンと思われているR381ですが、残念ながらエンジンは開発が間に合わず、シボレー製の5.5L V8エンジンを搭載していました。ということは、エンジンはLOLA T70と同じ(実際は5.5L、5.8L、6.3Lの三種)で、日本人が熱狂したこのレースはボディは違えど、アメリカのCan-Amレース用にチューンされたアメリカ製のV8エンジン同士で争われていたことになります。

これまでご紹介したクルマが日本グランプリで活躍したクルマであることに対して、こちらはル・マン24時間レースでの優勝車です。
残念ながら、日本グランプリと言えども、当時の欧米のレベルからすると草レースのようなものであったことに対して、こちらは正真正銘、日本のクルマが世界を制したと言えるマシンです。

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MAZDA 787Bは1991年のル・マン24時間レースにおいて総合優勝を果たしたクルマで、これは日本メーカーにとって初、そして日本メーカーとして唯一の総合優勝であることに加えて、ロータリーエンジン車として世界初の総合優勝でした。また、カーボンブレーキ装着車として初めてル・マンを制したマシンで、これだけの「初」づくしであることからも自動車史に残る名車として、日本のファンだけでなく、世界中のレースファンからも人気のあるモデルです。

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他のライバルチームをして、「自分達のチームの次に勝たせたかったチーム」と言わせたほど、マツダのエンジニアが、参加車唯一のロータリーエンジンと永年にわたり苦闘し、マシンを熟成させル・マンに挑戦し続けたことは評価されており、MAZDAチームが総合優秀を決めたときにはライバルチームがこぞって祝福のためにピットを訪れたと言われています。

残念ながらLOLA T70以外の2台のデモ走行はありませんでしたが、787Bに関してはいつかそのR26Bロータリーエンジンの音を生で聞いてみたいものです。

ノスタルジックカーショーの会場では、このように誰もが知っている名車を間近に見ることができるのが魅力なのですが、一方で珍車に出会えることも楽しみの一つで、前回ご紹介したAPOLLO 3500GTに加えてもう一台の珍車がこちらでした。

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この写真から車名を言い当てられる方は相当のマニアだと思います(苦笑)。

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これは八王子にあったカロッツェリア・ワタナベという「工房」がホンダS600をベースに製作したグリフォンというクルマです。

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このクルマが製作された1970年当時は規制が厳しく、このような「改造車」にナンバーを取得するのは至難の技だったとのことです。

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ボディはグラスファイバーで造られており、専用のアルミホイールやウインドウなど全て、リデザインされています。
最初に造られた2台はフライング・ペガサスという車名で、モービル石油のCMや「電撃!!ストラダ5」という特撮ヒーロ番組に出演した後に、量産型として一部デザインを変更したものが「グリフォン」として発売されたそうです。

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そのお値段は車両持込で改造費用が150万円。納期は6ヶ月であったとのことですから、当時の物価からすると高額で、最終的に何台改造されたのかは定かではありません。

デザインそのものはZAGATOデザインのアルファ・ロメオJr.Zの影響が見て取れますが、日本でもこうしたカロッツェリアが存在していたことは記憶に留めておくべきだと思います。

会場ではスカイライン生誕55周年ということで、歴代のスカイラインが展示されていました。次回はそのスカイラインをご紹介したいと思います。

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コメント

懐かしい

「滝レーシング」懐かしいです。
このカレラ6で当時開通したばかりの名神高速をテスト走行と完熟走行を兼ねて走ったという話を知ってますか?仮ナンバーを付けていたとは言え現在では考えられない話ですよね。このカレラ6は数年前までは日本にありました。その後どうなのったかは判りません・・。
「渡辺雅夫」さんは数年前に亡くなられましたが日本の車史に開拓者として名を残さなければいけない方だと思います。「渡辺雅夫の名を残す会」を作りたいぐらいです。

>FANGIO長野さん
ご無沙汰です。カレラ6に限らず当時は東名や第三京浜で、様々なクルマがテスト走行をしたと聞いています。メーカーの新型車も夜中にこっそり・・・とやっていたそうですので、隔世の感がありますね。
カロッツエリア・ワタナベのような日本の自動車黎明期のガレージワーカーはイロイロと批判もされますが、当時の環境の中でそれを行った熱意と努力は評価されるべきだと思います。
大メーカーだけでなく、こうした市井の職人も日本の自動車文化発展を支えたのですから、是非とも何らかの形で記録として残したいですね。

  • 2012/06/25(月) 12:27:00 |
  • URL |
  • 名無しのアルフ #-
  • [ 編集]

↑自分の名前を入力するの忘れました(苦笑)。

  • 2012/06/25(月) 12:29:29 |
  • URL |
  • 510190 #-
  • [ 編集]

噂話か?

これは他人に聞いた話ですがなぜ自動車雑誌が「カロッツェリア・ワタナベ」を取り上げないか?ですが・・・。渡辺氏のご遺族がアメリカに永住してみえて資料等をお願いすると弁護士が現れて肖像権等を主張するそうです。要は金銭を要求するらしいのです。それで各誌が敬遠するのだとききました。まあ真意の程は当事者でないので定かではありませんが在りうる話ではありますがただの噂話かもしれません。

>FANGIO長野さん
そうなんですか。最近昭和ブームですから自動車雑誌ではなく、某公共放送とかがドキュメンタリーで取材でもしてくれませんかね(笑)。

  • 2012/06/25(月) 22:39:51 |
  • URL |
  • 510190 #-
  • [ 編集]

>510190さん
こう言う類の話は結構好きなんで時々話題にしてくださいね。

>FANGIO長野さん
ありがとうございます。機会があればまた記事にしたいと思いますのでよろしくご愛読ください。

  • 2012/06/26(火) 17:49:53 |
  • URL |
  • 510190 #-
  • [ 編集]

実はグリフォンは雑誌で一度だけしか見たことが無いのですがこのリアビューは覚えていましたので、なんとかわかりました!童夢もそうですが、1970年代、80年代にこのようなカロッツェリアが市販車として作ろうとした心意気はスゴイと思います。一応市販車ベースだっただけになんとか認可されたのでしょうね。
今は昔よりずっと認可されやすいはずですが、どうも白物家電なクルマばかりでがっかりしますね。。。

  • 2012/06/27(水) 20:55:59 |
  • URL |
  • masaking #-
  • [ 編集]

>masakingさん
EVがメインになれば今よりももっとクルマのデザインに自由度が増して、新たに日本でもカロッツエリア的なクルマ造りが出てくるような気がします。そのときにこうした過去のノウハウが少しでも伝承されると良いですね。イタリアのカロッツェリアのモノマネではなく、日本的なカロッツェリアがあって良いと思います。

  • 2012/06/27(水) 23:22:15 |
  • URL |
  • 510190 #-
  • [ 編集]

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「滝レーシングチーム」という名前をリアルに知っている世代はすでにかなりな年輩ではないかと思います。それは、故滝進太郎氏が設立したプライベートなレーシングチームでした。実業家としてスーパーマーケットを経営し成功していた彼は1964年に個人的な趣味であったモー...

  • 2012/06/26(火) 04:33:28 |
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