走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

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墜落機の修復 1

プラモデルを製作する記事をブログで書いていると久しぶりに友人からメールが来ました。
それも「お元気ですか~」とか「最近どう?」といった久しぶりの挨拶抜きに、いきなり、「プラモ上手いですね」というブログの感想で、これは何かあるな・・・と返信をして見ると、案の定、「お願いがあるんですが・・・」と頼まれてしまったのが、引越しの際に落として壊してしまったモデルの修復でした。

NP17002.jpg

この友人はフェラーリのミニチュアモデルコレクターで未だ作成中ながらそのコレクションを披露するためのHPまで開設しているのですが、多くのコレクターと同様に自身でモデルを造ることはありません。
実は彼のような多くのコレクターは自身でモデルを造ることはなく、もっぱら完成品のミニチュアモデルを収集することを趣味としています。以前は完成品モデルの完成度に満足できなかったコレクターがホワイトメタル製やレジン製の組み立てキットを製作するようになった例は多かったのですが、近年の完成品モデルはその仕上がりが素晴らしく、かつてのハンドメイドモデルのレベル以上の出来栄えですので、美しい塗装と精密な出来栄えを求めてわざわざ自分で造る必要は一気になくなってしまいました。
現在こうして自分自身で組み上げているモデラーはその出来栄えがどうこうではなく、自ら手を動かすことが好きな方や、どうしても市販モデルには飽き足らない方のみとなってしまい、1/43スケールの組み立てモデルは一時に比べると減ってしまったのが現状ではないかと思います。

Nieuport_17.jpg

さて、この彼が持ち込んできたのはフェラーリのモデルではなく、第一次大戦時の複葉戦闘機 Nieuport(ニューポール) 17でした。しかし、フェラーリコレクターの彼がフェラーリとは何の関係もない飛行機モデルを持っているはずはなく、このモデルはフェラーリのエンブレムである跳ね馬(Cavallino Rampante)の起源と言われる紋章が描かれたFrancesco Baracca(フランチェスコ・バラッカ)中佐の愛機なのです。

FBaracca_1.jpg

Francesco Baracca中佐は第一次大戦におけるイタリア空軍の撃墜王でイタリアの国民的英雄です。
彼はもともとは騎兵隊に所属していたのですが、航空機に興味を持ち、フランスで飛行訓練を受けた後にイタリア空軍に転属します。
第一次世界大戦にイタリアが連合国の一員として参戦することとなり、当初は偵察任務についていたのですが、その後に戦闘機に搭乗し、彼の才能は開花します。1916年4月に遭遇したオーストリア=ハンガリー軍のハンザ・ブランデンブルク偵察機を攻撃し不時着させた後、その年にさらに4機を撃墜した彼は、国際的な基準であるエースと呼ばれる5機撃墜を果たします。そしてそれを機に彼の機体にはこの「跳ね馬」がパーソナルマークとして描かれることとなったのです。
当時はまだ優雅な時代で、エースパイロットになると機体にはパイロットの家紋や自身のラッキーマークなど様々な塗装を独自に施すことができたのですが、その代表的な例がレッド・バロンと呼ばれたドイツ空軍の撃墜王であるリヒトホーフェン男爵で、彼の機体は赤に塗られていたために、味方のみならず敵からもすぐに見分けることができ、その目立つ機体からレッド・バロンと呼ばれる所以となっていました。

イタリアのトップエースであったバラッカ中佐のパーソナルマークであるこの跳ね馬の起源には諸説があります。その中の一つとして撃墜したドイツ空軍のパイロットが付けていたシュトゥットガルト市の市章をモチーフにしたとする説があるのですが、どうやら実際にはバラッカ中佐が騎兵将校時代に所属していたイタリア陸軍第11山岳騎兵連隊の紋章を自身の出自として描いたという説が有力とされています。

1917年5月にバラッカ中佐は新たに編成された戦闘機部隊第91中隊(第91スクァドリリア)の指揮官に任命されます。この部隊はバラッカ中佐のほかにイタリア空軍のエースが集まる「エース中隊」で、部隊全体としても突出した戦果を上げたのですが、バラッカ中佐自身もこの部隊で撃墜を重ね最終的には34機を撃墜し、第一次世界大戦におけるイタリア軍パイロットの中でトップとなります。

しかし、1918年6月19日、機銃掃射による対地攻撃を行っていたバラッカ中佐はオーストリア陸軍の対空砲火を浴びてしまいます。致命的な損害を受けたバラッカ機はモンテロ山付近に墜落し、機体と共にバラッカ中佐の戦死が確認されるのですが、バラッカ中佐は拳銃を握って絶命しており、どうやら墜落時には生存していたものの、機体から脱出できなかったために焼死を避けて自決したものと思われています。

バラッカ中佐はこのNieuport 17以外にも多くの機種に搭乗しており、当初は複座のNieuport 10に搭乗した後、戦闘機であるNieuport 11、そしてこの17を経て、彼の最後の愛機はSpad Ⅶ型でした。
実はこれらの飛行機はすべてフランスのもので、意外に知られていませんが、かつてフランスは航空先進国でした。フランス航空史については別に機会があればご説明したいと思いますが、第一次大戦において連合軍を勝利に導いた航空機の多くはフランス製で、事実、性能的にも当時の敵国であったドイツ製の航空機と互角以上の戦いをしていたのがこのNieuportやSpadといったフランスの航空機でした。イタリア空軍の英雄のバラッカ中佐の功績も彼の愛機であったフランス製の戦闘機の性能に支えられていたと言っても良いでしょう。

それでは何故、このバラッカ中佐のパーソナルマークがフェラーリのエンブレムとして用いられるようになったのかと言うと、これまた諸説が入り乱れています。
フェラーリ側の公式な説明によると、1923年6月にラベンナ市の郊外で開催された"第1回チルクィット・デル・サビオ"をたまたま観戦していたバラッカ中佐の母であるパオリナ・バラッカ伯爵夫人が、ドライバーとして初優勝したスクーデリア・フェラーリ(SCUDERIA FERRARI)の創始者であるエンツィオ・フェラーリのドライビングに感激して、亡き息子の機体のエンブレムであったこの「跳ね馬」マークをエンツィオ・フェラーリに贈ったというものなのですが、これはかなり脚色されたもののようで、現実的にはバラッカ家の家紋でも何でもないこのエンブレムを個人の判断で譲渡することはできなかっただろうと思われます。

F-104S_ASA-M-7027.jpg

有力な説は、エンツィオの実兄であるアルフレード・フェラーリがバラッカ中佐の指揮する第91中隊に所属していたことに由来するというものです。事実、この跳ね馬のエンブレムは部隊の記章として引き継がれており、現在のイタリア空軍の第9戦闘航空団を始めとする複数の部隊がこの跳ね馬のエンブレムを部隊記章としているのはやはりエース部隊であった第91中隊にあやかろうとするものなのでしょう。

fa10.jpg

その経緯はともかくとして、イタリアを代表するスポーツカーメーカーとなったフェラーリが使用するこの跳ね馬のエンブレムを、今さら「勝手に使うな」などという無粋なことをイタリア空軍が言うはずもなく、現在ではむしろ円満にお互いが仲良く使用しているようで、事実、フィオラノのテストコース前にはフェラーリのエンブレムが描かれた真紅のF-104が展示されています。

NP17001.jpg

NP17003.jpg

さて、問題の墜落した機体の修復ですが、幸いなことに欠品もなさそうですので、修復そのものはそれほど困難ではなさそうです。
しかし、修復してはい終わりでは面白くありませんので、何とも味気ないディスプレイ台を新しくジオラマ風のものに製作しなおして見たいと思います。

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テーマ:模型・プラモデル - ジャンル:趣味・実用

コメント

やった〜
キリバンゲット〜

512BBがほしいっす。

  • 2012/08/17(金) 19:03:38 |
  • URL |
  • なごやまる #-
  • [ 編集]

>なごやまるさん
この記事に書き込んでも無効ですよ~。上の記事のコメント欄に御願いします(笑)

  • 2012/08/17(金) 19:07:08 |
  • URL |
  • 510190 #-
  • [ 編集]

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