走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

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ALFAROMEO Sport Collection 5

今度はイッキに50年も遡ってしまいました。何せアルファ・ロメオは1910年設立のメーカーですからその位の年数のギャップは当たり前かもしれません。

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アルファ・ロメオの戦後のGPシーン最後を飾るのがこのTipo159でした。
第二次大戦後に再開されたGPレースにアルファ・ロメオは戦前に開発していたTipo158で復帰します。このTipo158は当時のGPの規定であった1.5Lエンジンを搭載していたため、Alfetta(小さなアルファ)と名付けられたのですが、このTipo158の開発を担当したのはそれまでの主任設計者であったビットリオ・ヤーノに替わってその地位に就いたヨアッキーノ・コロンボでした。彼はスーパーチャージャー付きの1.5L直列8気筒DOHCエンジンを開発し、このTipo158に搭載したのですが、残念ながら1938年のモンツァで1-2フィニッシュを飾ったのを最後に、戦争のためGPレースは中止されてしまうのです。
戦後に再開されたGPレースに、戦前のTipo158で復帰したアルファ・ロメオでしたが、その戦闘力は全く衰えておらず、1946年のジュネーブGPで1-2-3位を独占するという快挙を成し遂げます。

日本と同じ敗戦国で、国土は空襲と地上戦で大きな打撃を受けたイタリアと、将来への不安でいっぱいだったイタリア人にとって、このGPレースでの圧倒的勝利はどれだけ勇気と自信を与えたかは想像に難くありません。アルファ・ロメオがその厳しい経営環境の際にもイタリア人に愛され続けた理由は、この一番厳しかった時代にイタリア人に希望を与えてくれたからなのでしょう。

そして、1951年にその改良版であるTipo159がGPレースに参戦します。そしてそれをドライブしたのがファン・マニュエル・ファンジオでした。
アルゼンチン出身のファンジオはF-1において通算51戦に出場し、優勝24回、そして5回のワールドチャンピオンタイトル獲得という、伝説の名ドライバーです。この5回のタイトル獲得という記録は2003年にミハエル・シューマッハーに破られるまで46年の間、世界最多記録であり続けたのです。

1950年にアルファ・ロメオからTipo158でGPに出場したファンジオは、その年はチームメイトであったニーノ・ファリーナにチャンピオンの座を渡しましたが、翌年のこのTipo159では圧倒的な強さを発揮し、初のワールドチャンピオンタイトルを獲得します。
ところが、アルファ・ロメオは量産車メーカーに転進するという経営方針の変更から、この年限りでGPレースから撤退してしまいます。
それ以降、彼はメルセデス、フェラーリ、マゼラーティと各チームを渡り歩くことになるのですが、彼に初のタイトルをもたらしたアルファ・ロメオとこのTipo159は彼自身にとっても忘れられないクルマであったと思います。

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私自身はミニチュアカーのコレクションにあたってGPカーには手を出さないと誓っていましたので、このTipo159が私のコレクションの中で初めてのGPカーです。従って、比較対照ができないため、造形がどーこうは言えないのですが、ただこのミニチュアモデルを見ていて感じることは…、

このコクピットから半身を乗り出し、鍋と大差ないヘルメットを被り、ノーメックスなどの不燃繊維でない単なる布のレーシングスーツを着て、カーボンコンポジットでもなければ安全タンクもないこのGPカーを、最高速300kmでサーキットを走らせたドライバーと、現代のF-1パイロットを単に勝利回数なんぞで比較してはいけないな…ということなのです。

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