走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

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West Meets East

カフェ・ド・ジュリアの最大の魅力はこの環境の中で放置されることで、皆が思い思いにこの豊かな時間を楽しむのがオトナのイベントたる所以だと思います。
従って殆どその会場内では何も催しものはないのですが、それでも今回は是非聞きたいと思う講演会がありました。それはARNAに関するもので、日産でこのプロジェクトに関わられた当時の商品開発本部副本部長である千野甫氏からお話を聞くことができました。

ARNA001_20100426093939.jpg

ARNAのことをご存知ない方に簡単にご説明しますと、Alfa Romeo-Nissan Automobiliの略で、その名前の通り日産とアルファ・ロメオが合弁で設立した自動車メーカーの名前です。
今でこそ当たり前のように行われている自動車メーカーのグローバルな経営統合ですが、このARNAが登場した1980年前後は経営統合はおろか自動車メーカー間の技術統合も殆ど見られませんでした。そういった意味ではこのARNAプロジェクトは現代の自動車メーカーの動きの先駆けであったとも言えるのですが、当時の両社には同床異夢とも言える其々に異なる思惑と事情があったのです。

ARNA002_20100426093939.jpg

ARNAプロジェクトは1979年3月にアルファ・ロメオから日産へのアプローチから始まりました。
当時の日産はヨーロッパで日本車としては上位の販売実績がありましたが、ヨーロッパ各国は厳しい輸入規制を実施しており、物理的にヨーロッパ圏外で生産したクルマを販売することは総量規制に阻まれ不可能な状態でした。日産は英国に生産工場を建設していましたが、ヨーロッパ本土にも更なる生産工場を建設することによりヨーロッパでの販売を強化しようと考えていたのですが、当時のフランスやイタリアは日本車に対して敵対意識を抱いており、直接的な工場建設は許可が下りず打開策が見つからないままこう着状態となっていたのです。

一方のアルファ・ロメオは経営状態が悪化しており、IRI(産業復興公社)の傘下でやっと経営を続けているという状態でした。北のポルテロ、アレーゼといった工場は生産設備が旧態化し、南の産業促進のために建設されたナポリの工場は度重なる労働ストと製造技術者のトレーニング不足から開店休業状態で、アルファ・ロメオは何らかの打開策を必要としていたのです。

このようにヨーロッパへの進出の足がかりが欲しい日産と、てっとり早くアルファ・スッドの後継車を開発し、最新の生産設備を導入し技術革新を図りたいと考えるアルファ・ロメオの思惑が一致し、この提携話は進められることとなりました。そのプロジェクトの中心となったのが新型パルサーで、この日産の新型FF車の開発スケジュールとアルファ・ロメオのスッドの後継モデルのスケジュールが一致したため、両社はパルサーをARNAの第一号モデルとしてナポリで製造することで合意します。

ARNA003.jpg

そもそもの奇遇はこのパルサーとアルファ・スッドのトレッドが殆ど同じであったことです。FF車ですから前後長はどうにでもなるものの、トレッドが大きく異なればシャーシーやサスペンスションなどの部品共有ができないのですが、パルサーの前後トレッドが1395/1376mmであったことに対して、アルファ・スッドは1385/1355mmで、この程度の差であればシャーシーを共有することができることが、このプロジェクト推進の決め手となりました。
一方で搭載するエンジンはパルサーが横置きエンジンであったことに対して、アルファ・スッドは水平対抗の縦置きエンジンで、その重心の低さとZ軸にクランクシャフトが位置することによる振動軽減など有利な点もあったのですが、このエンジン形式の違いによる設計変更は、ステアリングラックやナックルアームの変更に加えて、ダッシュボードの変更まで数多くの変更作業を必要としました。

ARNA004.jpg

加えてアルファ・ロメオが一歩も譲らなかったのが操縦安定性に関する部分で、キャンバー角など日産側と意見の異なる部分は徹底的に食い下がり一切の妥協をしなかったそうです。
実際の生産までのスケジュールは結構タイトで、当初の暫定スケジュールではデザインクレイが1980年5月に完成し、試作車は翌1981年の10月に完成、テスト期間9ヶ月の後の生産立ち上がりを1982年6月と、開発スタートから2年で生産を開始するというものでした。

合弁会社の設立に関しても並行してスケジューリングされたのですが、こちらは生産スケジュールのような純粋な技術問題とは異なり、複雑な要素が絡まり合うために当初のスケジュール通りにはすすまないこと必至でした。当初の計画では1979年9月に両社が覚書に調印して以降、1980年2月には合弁会社の設立契約に調印した後に、両国の政府に対し合弁会社設立の申請を行い、1980年5月には会社を設立する計画が最終的には1981年1月にまで遅れてしまいました。その理由はフィアットのアニエリ会長の猛烈な反対によるものだったそうで、最後はイタリア政府が押し切る形で決着したそうです。

ともかく何とか無事に設立された合弁会社ARNA社の設立趣旨とその概要は、

○設立趣旨
 省資源、省エネルギーへの対応として燃費の良い小型車を共同で開発する
 技術、経営ノウハウ、資本の国際レベルでの統合
 アルファ・ロメオ社再建のためのラインアップ強化と経営基盤の拡充
 日産のアルファ・ロメオの持つ伝統ある技術の習得 

○合弁会社計画骨子

1)生産車型及び車両コンセプト
  1982年生産開始予定のパルサーにアルファ・ロメオ社のパワートレーンを搭載し、内外装の一部を変更し、パルサーとの差異を図る。
2)生産販売計画台数(年)
  イタリア国内30,000、イギリス12,000、欧州一般18,000 合計60,000台
3)搭載エンジン
  1100ccシングル、1350および1500シングル/ツイン、4バレル
4)車型
  3dHB、5dHB

○合弁会社概要

1)生産設備 ナポリ アベリーノ工場 15万平方メートル(45万坪) 地方自治体より土地は無償供与
2)資本金 250億リラ(70億円)持ち株比率:日産50:アルファ・ロメオ50
3)社員数 1100人 

と、至ってホンキのもので、かくして1983年年末からARNAは生産を開始することになりました。しかし、ご存知のようにこの合弁は4年で解消されてしまいます。その理由は、アルファ・ロメオ社に日本車のヨーロッパ進出を許してしまったという非難が集中し、無視できない状態にまでなったことに加えて、日本とイタリアの生産文化、技術手法の違いを一つの製品にまとめ切れず、生産品質を安定させるのに時間を要してしまったこと。そして思ったほど生産コストが下がらなかったためでそうですが、その最初の理由は別にして、残りの理由は時間をかければ解決できた問題であろうと思います。

事実、それ以降の各国の自動車メーカーの海外進出や合弁は、ARNAが経験したであろう数々の障壁を乗り越えて成功し、自動車メーカーのグローバリゼーションを確立してきたのですから、その魁となった日産とアルファ・ロメオのこのプロジェクトは自動車史に残るチャレンジだったと言えるのではないでしょうか。

千野氏によって語られたARNAに関する数々のエピソードは、この会場でそれを聞くことの出来た人たちだけのものとしておきたいと思いますが、最後に彼が語ったエピソードは恐らく初めて明かされる真実で、本当に興味深い話でした。それは…

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このクルマに関することでした(謎)

尚、このブログの記事は千野氏の講演をもとに私が構成して書いたもので、その内容に関する責任はあくまで筆者の私にあることを念のために付け加えておきたいと思います。

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テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク

コメント

アルナの講演

初コメントさせていただきます、
当日私もお話しを拝聴させていただきました。

カフェドジュリアアルナ講演者のお名前ですが
千野様で千葉は間違いだと思います。

  • 2010/04/29(木) 08:42:32 |
  • URL |
  • m-davidoff #f7UJVILk
  • [ 編集]

>m-davidoffさま
はじめまして。初コメントありがとうございます。ご指摘の通りお名前が間違っておりました。これは失礼なハナシですので、謹んで本文を訂正させていただきました。
今後ともご指導賜りますようお願いいたします。
それにしても面白い講演で、もっと聞いてみたかったですね。

講演会を楽しみにしていたのですが、寝坊して間に合いませんでした…。でも、希少なARNAを見ることができたのは本当にラッキーでした。

  • 2010/04/29(木) 22:03:43 |
  • URL |
  • mamezo #-
  • [ 編集]

>mamezoさん
残念でしたね。やはり早起きは三文の得かと・・・(笑)
私もARNAを初めて見たのですが、感激しました。昔、友人がラングレーに乗ってたので、その記憶とダブってナンだか初めてなのに懐かしいクルマでした。

懐かしい~。
昔、妹がこの型のパルサーに乗ってました。残してあればグリルをつけてなんちゃってARNAを作ったと思います。

  • 2010/04/30(金) 10:27:49 |
  • URL |
  • なごやまる #-
  • [ 編集]

>なごやまるさん
パルサーのモデルにミラノX1というのがありましたね。ARNAを連想させたのはこのモデルだけだったような気がします(苦笑)

ARNAの話、興味深いですね。「その時、歴史が動いた」的なw
ARNAって錆びないスッド(失礼)=日本工場製のボディだと思ってたんですが、残念ながらそうともいえないようですね。

  • 2010/05/04(火) 09:49:36 |
  • URL |
  • pekepeke #-
  • [ 編集]

>pekepekeさん
イタリアではsudは見ないけどARNAはまだ見かけると聞いたことがあります。絶対数は少ないでしょうが生き残っているのはARNAの方が多いのかも知れませんね。

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