
人間は思い入れが強すぎると、頭の中でその対象を美化して見すぎる傾向があるのではと思います。それは初恋の相手だったり、若き日のアイドル歌手だったりするのですが、その当時の思い入れが強いほどその記憶は鮮烈で、まるで時間が止まったかのように蘇ってくるものです。
以前からブログに書いているのですが、私の現在のようなクルマ趣味の原体験が後輩のGiulia Sprint 2000GTVで、その後輩に連れられて初めてアシを踏み入れた神戸の御影にあったCafe Veloceや柳原メンテナンスでアルファ・ロメオに限らず様々なクルマを見るにつれて、それまでのクルマ観は全く変わってしまいました。今でこそヲタクだヘンタイだと言われますが(苦笑)、大学生の私は当時の平均的なクルマ好きだったと思います。
当時の平均的なクルマ好きは間違っても、「アルファ・ロメオはええなぁ~」とか「ポルシェはナローやろっ!」などと言ってはならず、「スカGはソレ・タコ・デュアルやで」とか「セリカはやっぱダルマやな」とか言っているとフツーに仲間との会話が成立するのでした。さらに私は軟弱でしたので、雑誌「POPEYE」のクルマ記事を読み漁り、どんなクルマが女の子ウケするのかを日夜研究するレベルであったのが、いきなりフルチューンのGiulia Sprint GTAだの、Alpine A110なぞに触れてしまったのですから、そこからは完全にクルマの趣味が変わってしまいました。
そうなると不思議なもので、最早周囲の仲間のクルマ談義がちっとも面白くなくなってしまい、誰かが新車を買った・・・なぞと聞こうものならすぐに皆で試乗に出かけていたのですが、その興味も失せてしまいました。

そんなヘンタイに目覚めた?私にとって一番欲しかったのがアルファ・ロメオのAlfetta GTでした。初めて見たのはCafe Veloceの前だったと思います。スラリと伸びたフロントノーズと4灯のヘッドライトにうっとりし、スパっと切り落とされ逆スラントで処理されたリアの造形に悩殺され、乗り込むとステアリングの正面にタコメーターだけが独立しておかれ、スピードメーターや他のメーター類は中央に「追いやられて」いる内装に外見とはアンバランスなスパルタンさを感じ、それ以来Alfetta GTは私にとって特別なクルマとなりました。しかしその好きな理由はあくまで感覚的なものであり、現在のようにイグアナの流れを汲むジゥジアーロのデザインがどーのとか、トランスアクスル&ド・ディオンがどーのなどというヲタクっぽい能書きは一切ありませんでした。
ある意味では純粋とも言える、あくまで感覚的な「好き」だったのですが、それは相手を全く知らないにも係わらず好きになってしまう「一目ぼれ」と同じで、その後にこの年代のアルファ・ロメオの製造品質の劣悪さによるAlfetta GTの地獄の数々を見聞きしても、それは私の中でのAlfetta GTの評価を下げることはありませんでした。
それ以来、いつも心のどこかにAlfetta GTが棲み続けてはいるのですが、数少ない売り物を発見し、いざ見る段になると躊躇してしまいます。イベントなどでオーナーに大切にされているAlfetta GTを見るのはとても嬉しいのですが、売り物となると、これまた同窓会で初恋の相手に会うようなもので、記憶の中で美化された新車のAlfetta GTとの落差をどうしても埋めることができず、「見なければ良かった・・・」と思ってしまうのです。

そんな中でこのブログを読んでくれている仲間から情報が来ました。川崎のデル・オートさんに売り物が出るとの情報です。しかもそれはAlfetta GTの中でも最終モデルであるV6エンジンを搭載したGTV6というモデルだということなので、久しぶりに心の封印を解いて?見に行くことにしました。
入庫したばかりで何も手を入れていない仕入れた状態のままのGTV6は随分と歳を取っているように見えました。
それは周囲にあるレストアされたもっと旧いGiuliaやGiuliettaと見比べてしまうから余計にそう見えたのかも知れません。実際、レストア済みの新車以上のGiuliettaとこの古ぼけたGTV6には車齢で30年の隔たりがあるのです。

もちろん、レストア前のGiuliettaの状態がどれほどのものであるかは理屈では分かっているつもりです。そして、このGTV6ならばGiuliettaよりも遥かに少ない労力で自分自身で納得できるレベルにまでリフレッシュしてやることができるのも同様に理屈では分かっています。
それでも、このGTV6を見たときに悲しくなってしまったのは事実です。この個体の名誉のために書くと、これは中古車市場に出回る(そんなタマは滅多にありませんが・・・)平均的なGTV6だと思います。ボディパネルの浮き錆びを補修し、劣化した樹脂パーツを磨いてやれば、退色の少ないホワイトのボディカラーであることも幸いして、全塗装しなくとも随分と見栄えが良くなると思います。


室内を見ると、ダッシュボードの割れは最小限で充分補修で修理できるレベルです。シートはノーマルが一部ファブリックであるのに対してオプションであったフルレザーですが、前席の状態がソコソコであったのに対して後部座席のシートは盛大に破れていました。しかし、これも張り替えてしまえば問題ないと思います。
意外かも知れませんが、こうしたシートの補修はボディのレストアに比べると遥かに簡単で、特にレザーシートの補修が一番簡単です。ファブリックの場合は元布の新品が入手できなければオリジナルには戻せませんが、レザーの場合はそれが余程特殊な型押しでもされていない限り、オリジナルと遜色ない状態に修復が可能なのです。
余談ですが、皆さんはレザーシートとベロアやモケットなどのファブリックのシートとどちらが高級だとお考えでしょうか。
馬車の時代は、前部の御者が座る屋根のない御者台のシートはレザーで、その後ろの室内シートはファブリックでした。すなわちファブリックのシートの方が高級だったワケです。その理由はレザーシートの耐久性で、少々雨に濡れても痛みが少ないために御者台にはレザーが使用され、後部のファブリックシートは痛んだら惜しげもなく張り替えられたのです。素晴らしいゴブラン織りのシートも耐久性がないからこそ高級なので、その儚さが高級の証だったのでしょう。そう考えれば、以前のマゼラーティはロールス・ロイスなぞが足許にも及ばない高級車と呼べるでしょう(笑)。

ハナシをGTV6に戻しましょう(笑)
GTV6のエンジンは定評あるV6SOHCです。しかも「アルファ6譲り」と表現されることの多いこのV6エンジンはSOHCの2.5Lで、限りなくそのオリジナルに近いエンジンです。
SZ/RZ(ES30)を最後にアルファ・ロメオはFFベースとなり、それに伴いエンジンは横置きとされてしまいましたので、このAlfettaのシャーシーが縦置きエンジンの最後となります。横置きエンジンのスペースメリットは認めるとしても、一方で縦置きエンジンのメリットも多く、重心をZ軸に近く配置できるという物理的なメリットだけでなく、排気管を自然に等長化できるなどエンジンを縦に置く必然性は計り知れません。
その縦置きエンジンのスペース効率が悪いというネガを消すために、ミッションをエンジンから切り離し、リアに配置するトランスアクスル方式のGTV6は、そのエンジンレイアウトから最もこの名器であるV6を唄わせることのできるクルマだと思います。しかも、GTV6は北米で販売されていましたからアメリカ経由でパーツ手配ができるのは有難いことです。
初恋の相手が私自身と同様に歳を重ねているのは当たり前でしょう。クルマも同様で新車から年月が経つと歳を重ねるのは当たり前なのですが、問題はその歳の取り方で、オーナーの許で愛されながら歳を取ったクルマは、それがどんなにヤレていてもそこには生きて元気に走ろうとするオーラが感じられるのです。
抽象的な表現しかできないことがもどかしいのですが、そのオーラはポンコツの軽自動車であろうがフェラーリであろうが同じで、「私はまだまだ走れるよ!」と訴えて来るのです。
それは私が日頃言っている「佇まい」とは少し異なっており、クルマの中に宿る魂のようなものなのかも知れません。
このGTV6からもそのオーラは感じられたのですが、私には初恋への思い入れが強すぎたのでしょう。もっとニュートラルな気持ちであればこのGTV6と一緒に歳を重ねたいと思ったかも知れません。
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