走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

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伝説のプラモ屋

おおよそ私たちの年代の男性で田宮模型という会社を知らない方はいないのではないでしょうか。
それはさしずめ、現在のTVゲームの会社のように当時の子供の世界での知名度ナンバーワンの企業なのですが、その田宮模型の社長である田宮俊作氏の自伝(社史)とも言える「田宮模型の仕事」と「伝説のプラモ屋」という書籍が2冊出版されています。

伝説のプラモ屋

私が生まれて初めて自分の意思で買ったプラモデル(これはマルサンという会社の登録商標だったようですが、一般的なので総称として使わせていただきます)は残念ながら田宮模型のものではありませんでした。
それはアメリカのレベル社の1/72スケールの飛行機のプラモデルでマッキCR42というイタリアの複葉戦闘機でした。今もって何故こんなマニアックなものを買ったのか定かではないのですが、塗料と筆を一緒に買ってもらい、シンナーの臭いがあまりに酷いので勝手口の土間で組み立てさせられたのを覚えています。もちろんその出来栄えは惨憺たるもので、素晴らしい箱絵(ボックスアート)とのあまりもの違いに愕然としたのですが、それでも自分の手で完成させたこの複葉機は暫く私の宝物でした。
その後もこのレベル社のポーランドのPZL P.11戦闘機だのロシアのI-11戦闘機など、どちらかと言うとゲテモノに属する飛行機のプラモデルを作っていた記憶があるのですが、今から思えば友人達が買っていた零戦やP-51Mustangといったメジャーなモデルには目もくれなかったのは、現在の気質のルーツだったのかも知れません(苦笑)

それ以来プラモデルは私の趣味となり、殆ど作らないにも係らず自分自身では趣味だと言えるほどになったのですが、過去から現在に至る間で最も多く作った(買った)のがこの田宮模型のプラモデルでした。
1960年代後半から1970年代はプラモデルの黎明期から成熟期で、数多くのメーカーがこの業界に参入して来ました。日本におけるプラモデルメーカーは静岡県に集中しており、それは偏に静岡県が木材加工が盛んで、その流れで木製模型のメーカーが多く誕生し、それらが木材を捨ててプラスチックを素材にしたモデルに転換したからなのですが、残念ながら私が模型屋に出入りしていた頃は木製模型は艦船模型の一部とゴム動力で飛ぶ飛行機程度しかなく、店の大半はこのプラモデルで占められていました。

価格の差は当然として、当時は輸入品と国産品の差は歴然としており、前述のレベル社やモノグラム社のプラモデルと国産のものを比べると、本当に情けなくなる程国産品は劣っていました。
私も自分の小遣いですぐに買うことができるのは国産品でしたが、店頭で比べて見るととてもその国産品を買う気にならず、ガマンして小遣いを貯めてモノグラム社のものやエアーフィックス社のプラモデルを買っていました。今から思えば随分と生意気な子供だったと思いますが、子供心にもその国産品のいい加減なモデルにはガマンができなかったのです。

そんな私にとっても別格だったのがこの田宮模型で、そのプラモデルは他の日本のメーカーとは明らかに異なっており、当時の欧米製のプラモデルに匹敵する出来栄えでした。
まずは箱絵です。例えば他の日本のメーカーの箱絵は「かろうじてそう見える」という酷いものだったり、素晴らしい箱絵であったとしても中味は???であったりで買ってから裏切られるのが当たり前だったのですが、田宮模型のものだけはその素晴らしい箱絵とその箱絵を裏切らない中味とで、安心して買うことができたのです。
なぜこれほどまでに箱絵が重要かと言うと、私が通っていた地元の模型店はちゃんと箱を開けて中味を見ることができたのですが、当時は買うまで中味を見せてくれない模型店もあり、箱絵だけを頼りに選ばざるを得なかった子供は、悩んだ末に買ってから中味を見てとても悔しい思いをしていたのです。

その後も気がつけば田宮模型のプラモデルを買っていました。1/35のミリタリーミニチュアシリーズでもタイガーI型などというメジャーなモデルには目もくれず、ブレン・ガンキャリアーだのシュビム・ワーゲンだのというゲテモノ?趣味は変わらず、1/700のウォーターラインシリーズ(これは静岡4社のプラモデルメーカーの共同シリーズでした)も田宮模型のものしか買わず、しかも戦艦や空母には目もくれず、軽巡洋艦や駆逐艦ばかりを作っていました(苦笑)
一時期は良く出来すぎた田宮模型の製品が物足りなくなったこともありましたが、それは贅沢というもので、作りにくい他社のキットと格闘した後に田宮模型のものを作ると、仮組みをしなくてもちゃんと組み上がるその品質にほっとしたものです。

この「伝説のプラモ屋」を読むと、当時の田宮模型自身も欧米のキットに負けないものを作る・・・という目標に向かって全社員が努力していたことが良く分かります。そして何より儲かるからではなく、模型を愛して自分達が納得したものだけを製品化するという姿勢が現在の田宮模型の地位を築き、日本だけでなく世界中のモデラーから信頼を集めているのだと思います。

残念ながらプラモデルそのものは田宮模型が発明したものではありませんし、その基幹技術であるプラスチック成型技術も一般的な工業技術であり、田宮模型が開発したものではありません。
このように要素技術の全てに特許性がなく、その分野を独占することができない環境であっても、他社の追随を許さずトップを走り続けることができるのは、田宮模型の製品と市場(顧客)に対する見識やその企業哲学がブレることなく一貫していたからであろうと思います。

昨今の世界的不況で製造業は史上最悪の状態にありますが、だからこそ問われるのがこの企業姿勢で、単にプラモデル屋の社史ではなく、その内容は製造業全般に従事する方にとって勇気づけられるものだと思いますので、機会があればご一読をオススメします。

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テーマ:模型・プラモデル - ジャンル:趣味・実用

コメント

本当に・・・

夢がありましたよね。モケイ屋で箱の中のビニールと、説明書のインクのニオイだけでもワクワクしましたもんね。一つ買うのに3時間くらい迷ったりして・・。 でもタミヤは別格でしたね。金型の精度と説明書の出来は素晴らしかった。15年程前に暇があったら作ろうと思ってフェラーリ312Tの1/12モデル買ってありますが暇がないのと、作らなくても説明書と袋に入った部品見てるだけで満足です。

>kouichiさん
同世代の方なら分かると思いますが、あの模型屋での真剣な熱気は懐かしいですね。三共のピーナツシリーズが50円(だったかな・・・)で、300円のキットなんて夢の先(笑)でしたもんね。

自分も小さいときに模型店に通っては新製品をチェックしたり、貴重な在庫モノを
見つけるのが楽しみで、よく親に呆れられてました 笑
中でもタミヤが質感で他の追随を許さなかったのはコドモごころにもありありと
感じたもので、模型店主催のコンクールではタミヤのものでチャレンジすることが
多かった記憶があります。

ちょっと前はミニ四駆とか流行ったようですが、今のコにとってプラモはどうなんでしょうか。
ちなみにその通っていた模型店、最近通りがかったら終了していました 汗

  • 2008/12/18(木) 21:10:36 |
  • URL |
  • chifurinn #mwEy1mXw
  • [ 編集]

田宮模型の箱絵はガッシュ(不透明水彩)等かアクリルで描かれたモノだと思いますがその画がホントに良かったですね。あの画の感じがモデルに出せないものだろうかと思ったもんです。タミヤカラーを買い揃えて塗装しても箱絵のように雰囲気を出そうとしていましたね。

  • 2008/12/18(木) 22:09:39 |
  • URL |
  • Chousuke #-
  • [ 編集]

おお、田宮模型ですね。総合カタログは見てるだけでも楽しいです。
「パチッ特集号」の山田卓司氏のジオラマ作品にはいつも感動してました。
今でも実家の押入れの中には未完成のプラモデルが山積みになっています。子供の頃、兄貴に戦車や兵士を作ってもらって並べて遊んでたなあ、懐かしい(爆)

  • 2008/12/18(木) 23:48:46 |
  • URL |
  • oku #vqm8JHu.
  • [ 編集]

>chifurinnさん
私たちの世代にとってプラモデルに関する思い出を語ると尽きないですね。
今の子供は手を動かしてモノを作るより、モノを使って遊ぶほうが上手だと思いますね。
でも、プラモデルも当時は「子供の創造性をスポイルする」と非難されたんですよね。

>chousukeさん
またマニアックな視点ですね(笑)
田宮模型の箱絵は背景がない分、想像が膨らむ素晴らしいアートだと思いますが、一方で小松崎氏や高荷氏のような箱絵も復刻して欲しいと思いますね。

>okuさん
okuさんまで・・・(笑)
ジオラマを「情景」という新語で表現したり、それを写真に撮るということをも模型の楽しみとして提案したことは本当にスゴいと思いますね。私も父親にタバコの煙を吹きかけてもらいながら写真を撮りましたっけ・・・「硝煙に煙るロシア戦線のⅣ号戦車」なんて(苦笑)

タミヤもそうですが、当時イマイ?のクラシックカー1/12シリーズで、イターラとかビアンチ?といったモデルがありました。エンジンにモーターが入り、クランク軸からベルト(輪ゴム)でファン回り、カムシャフト(金属棒にカムを差し込んで)駆動でサイドバルブのタペットがスプリング入って動くのが見え(確かそうだったような)それらが連動して動いたような記憶があります。ミッションも簡易なものが付いており、ニュートラルもシフトレバーで選択でき、プロペラシャフト、デフからタイヤに駆動してました。ニュートラルのアイドリング位置からシフトレバーを入れれば走り始めました。勿論ボールナット?のステアリングも、ドラムブレーキまで伸びるブレーキレバーも可動しました。
今から40年程前ですが、今は復刻してませんかね?あれは今でもスゴかった。是非再販してもらいたい。長文コメントすみません。

僕はニチモが好きでした。
伊号潜水艦から1/200大和まで作りましたよ。ほとんど「素組み」でしたけどね。
でもやっぱり最後は田宮になっちゃいましたね・・戦車とかF1とかよく作りました

  • 2008/12/19(金) 22:12:25 |
  • URL |
  • シケイン #i/Urw1Fw
  • [ 編集]

今でもついつい・・・

今でもついつい模型屋を覗き込んでます(笑)
最初に作ったのはセンチュリオンとケッテンクラート、チェロキー、そして88mm砲。脈絡ないですね(苦笑)

  • 2008/12/20(土) 00:31:53 |
  • URL |
  • きゃつお #-
  • [ 編集]

>kouichiさん
復刻して欲しい思い出のキットってありますよね。特に大きなものは模型屋の一番上段にあったので子供では取れなかったのですが、大人が出して見ているのを一生懸命横から覗き込んだ思い出があります。

>シケインさん
シケインさんは木製模型じゃないんですか・・・?(笑)
それとも少年画報の付録の戦艦三笠とか・・・(爆)

>きゃつおさん
センチュリオンが初めてとはシブイですね。イスラエル軍仕様でしょうか・・・。
戦車もゲテモノ好きなので、スウェーデンのS戦車とかシュコダの38tとか好きですね。

僕のドゥカティ・・・
   カムシン・・・

  • 2008/12/20(土) 20:47:29 |
  • URL |
  • 笹本隆太郎 #-
  • [ 編集]

あああああああああああっ。
うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅうぅ。
おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお。

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