走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ALFA ROMEO Sport Collection 69

今年もF-1が無事に開幕しました。レギュレーションの変更により電子デバイスが禁止された今年のシーズンはよりドライバーの技量が試される波乱の年となりそうですが、残念ながらそこにはアルファ・ロメオはいません。
アルファ・ロメオは1987年を最後にF-1から撤退しましたので、もうすでに20年が経過したことになります。最後はオゼッラにエンジンを供給するという形での参加だったのですが、そのオゼッラもフォンドメタルに吸収されてしまい今は存在しないチームです。1987年と言えば、ホンダがどんどん頭角を現わしてきた時期でもあり、新旧交替の年でもありました。
F-1最後のアルファ・ロメオは全くパッとしない成績でしたが、アルファ・ロメオは近代F-1史に輝かしい成績を残しています。戦争による中断の後、1950年に初エントリーしたアルファ・ロメオはTipo158により初戦のイギリスGPでいきなり1位から4位までを独占するという完全勝利を成し遂げます。
その後もマクラーレン、ブラバムなどの有力チームにエンジンを供給した後に、シャーシーも独自に開発するフルコンストラクターとしてもF-1に参戦し続けたのです。

179C122.jpg

今回ご紹介するTipo179Cに関しては以前一度ご紹介していますので、クルマに関してはそちらを参照していただければと思いますが、歴代のアルファ・ロメオF-1は蒼々たるドライバーによってドライブされています。
その中の一人が今日ご紹介するマリオ・アンドレッティです。

マリオ・アンドレッティと聞いて、CARTで活躍していることを知っていても、F-1と結びつけることができるのは相当古くからのモータースポーツファンではないでしょうか。実は彼はF-1、インディー500、デイトナ500を制覇した唯一のドライバーなのです。
マリオ・アンドレッティは1940年にイタリア領モンタナ・ディストリア(現クロアチア)で生まれ、戦後に家族ともどもアメリカに移住した移民でした。その後アメリカ国籍を取得したために、レーシングヒストリー上はアメリカ人ドライバーとして記録されているのですが、名前のとおり彼の「血」はイタリア人だと言えます。
1964年にアメリカの国内USACレース(現在のCART)に参戦した後、1968年になるとスポットでF-1にも参戦するようになります。その才能はF-1デビュー戦のアメリカGPでいきなりポールポジションを獲得したことにより注目を集めるようになります。
そして1976年にコーリン・チャップマン率いるロータスと契約しF-1にフル参戦するようになると、彼の安定したドライビングと高いマシンセッティング能力により、低迷していたロータスをどんどん上位に押し上げて行くようになりました。そしてついに1978年のシーズンでは年間6勝を挙げ、ワールドチャンピオンのタイトルを獲得するのです。

1981年にアルファ・ロメオと契約した彼でしたが、その成績は振るわず、最高だったのは初戦のアメリカGPの4位に留まりました。
彼のこれまでの戦績からすると、残念ながらこれは彼の問題ではなく、Tipo179Cの信頼性の問題でした。何故ならチームメイトのジャコメリも同様にカナダGPでの4位が最高で、チーム全体での完走率は50%と半分のレースにリタイアしていたのですから、いくら名手と言えどもどうしようもなかったのでしょう。
そしてこのシーズンを機に、アンドレッティはF-1引退を決意するのですが、彼の能力を高く評価していたウイリアムズやフェラーリまでもがスポットでのエントリーを依頼し、その期待に答えた彼は、フェラーリを駆り、イタリアGPでは予選1位、決勝3位と有終の美を飾ってF-1界に別れを告げたのです。
しかし、彼はレースから引退する気なぞは全くなく、アメリカに戻ってCARTに復帰した後も活躍を続け、1984年にはCARTの年間タイトルを獲得したのですから大したものだと思います。

またアンドレッティ一家はレーシングファミリーとして活躍していることで有名です。息子のマイケル・アンドレッティは父親同様にF-1とCART両方に参戦しているドライバーです。最近では親子2代のレーサーも珍しくなくなって来ましたが、アメリカのアンサー家やフォイト家と並び、その全員がトップドライバーとして活躍している例は少なく、アンドレッティ家はその少ない例に数えられています。

付属するミニチュアモデルは以前にご紹介した車番23番のジャコメリ車に対して、22番のアンドレッティがドライブしたものですが、2台並べてみると微妙にマルボロレッドの色が異なっています。具体的には23番の色のほうがオレンジっぽいのですが、これが実車に忠実なのか、はたまたモデル化の際のミスなのかが定かではありません。どなたかマルボロレッドの変遷についてご存知の方がいらっしゃれば是非ご教示ください。

DSC01578.jpg

DSC01579.jpg

DSC01580.jpg

DSC01581.jpg


クリック↓お願いします!
b_01.gif

スポンサーサイト

テーマ:ミニカー - ジャンル:車・バイク

コメント

これは、もうすぐもりおかさんが出てきますね?
そう言えば、最近アンドレッティの孫もインディ出てますよ。

  • 2008/04/09(水) 12:53:18 |
  • URL |
  • BUSSO #-
  • [ 編集]

呼ばれましたか・・?

そういえばアルファもF-1出ていましたね(笑) それとアルファがマクラーレンにエンジン供給していたことは知りませんでした。
調べてみたら1970年に数レースだけ出ているみたいですね。
どうもアルファのF-1カーというとブラバムの、それも特にBT46B(ファンカー)+ニキラウダのイメージが強烈ですが。
それと詳しくは判りませんがマールボロカラーって結構変わっている気がします。アルファのマールボロカラーは実車を見たことが無いのですが、
マクラーレンではM26までのオレンジっぽい色からMP4になってからは、かなり蛍光の強いピンクがかった色に見えます。
またインディカーのペンスキーのマールボロカラーはそれとは違ってタバコのパッケージに近い「真紅」でした。
蛍光色は光の加減でかなり違って見えるので、模型にするにも大変でしょうね。

そうそう親子2代のレーサーといえばグラハム-デイモン・ヒル親子が好きでしたが、デイモンはトップにいた期間は短かったですね。今年はピケやロズベルグなど2世ドライバーが多いですが、そのなかでも中島一貴にはぜひがんぱって欲しいもんです。

>BUSSOさん
親子三代なんて格好良いですよね。アル・アンサーとかAJフォイトとか昔のNASCARのTV中継見て憧れましたが、未だに名前が出てきますもんね。もちろん世代は交代してますが・・・。

>もりおかさん
さすがヲタクですね(笑)
詳しい解説ありがとうございます。私達の世代は実物なんか眼にすることは叶いませんからタミヤのプラモデルでしか実感できなかったんですよね。ヤードレー・マクラーレンなんか懐かしいです(笑)

カートに乗るマリオは190さんだけではなかったんですね?
勉強になります。

  • 2008/04/09(水) 20:43:01 |
  • URL |
  • 笹本隆太郎 #-
  • [ 編集]

>笹本さん
うまいっ!座布団100枚っ(クドイ)

おっと

ヤードレー・マクラーレンっていうのもまた古いですねぇ(苦笑) デニス・ハルムですか?
ところでさっきの書き込みで書いたM26までというのは間違いですね。厳密にはM30までだったようです。
でもM27~M30はヘロヘロで全く印象がありません・・。
NASCARではデイル・アーンハートが好きでした。死んじゃったけど。

>もりおかさん
ヲタク大爆発ですね~。でもみんな最初はタミヤのプラモデルで憶えたんじゃないのかなぁ・・・。

確かに最初はタミヤ★☆かもしれませんね。でもマールボロレッドってタミヤカラーでは再現できたんでしょうか?
かなり後、ちょうどMP4/5Bのころにマールボロレッドのスプレーが出たのは覚えていますが。あれはモデラーズだったかな?

  • 2008/04/09(水) 23:28:46 |
  • URL |
  • もりおか #-
  • [ 編集]

>もりおかさん
覚えていますよ。確かモデラーズからだったと思いますが、かなりオレンジっぽかったですね。

オレンジ

碩学の皆さんの間でつい最近の話で恐縮ですが、90年代の半ばに高騰する開発費とシューマッハーの非常に高額なサラリーを賄うために、フェラーリはマルボロのスポンサーシップを強化しましたね。その結果、伝統の赤色が酷くオレンジかかった赤色に変更されたと、(少なくともイギリスの)モータージャーナリストの間で非難轟々でした。テレビ画面でしか見ない私には違いが分りませんでしたが。

でも、マルボロの煙草の箱を見る限り、そんなにオレンジには見えないんですがねー。

>ただすけさん
面白い情報をありがとうございます。マルボロは最も伝統あるF-1のスポンサーなのでその歴史だけでも1冊の本が書けるでしょうね。
個人的にはマルボロのスポンサーが最も似合ったマシンはマクラーレンで、ドライバーはメルツァリオだと思います。

フェラーリの色が明るくなったのはおそらく1997年のF310Bからだと思います。この車は前年のF310の改良型ですが、リアウィングの翼端板が黒から赤へ変わったこともあり、別の車のように見えますね。96年まではマールボロのプライオリティチームはマクラーレンだったのですが、成績不振でスポンサーを降りてからフェラーリ1本にしたので、「金上げるからマールボロカラーにしろ」ということなんでしょう。最近のフェラーリはそのころとはまた変わってメタリックレッドですねぇ。それと同時にマールボロのロゴも3Dになっているし。
ちなみに田宮だと3種類出ていますね↓
http://www.tamiya.com/japan/products/list/tamiya_spray/kit85001.htm

正統派イタリアンレッドはTS8、明るくなった赤はTS49、メタリックレッドはTS18が近いのでは? と思います。

>もりおかさん
もはや何も言うことはありません。ただただ脱帽です・・・。

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

  • 2016/12/06(火) 09:52:17 |
  • |
  • #
  • [ 編集]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://ig510190.blog83.fc2.com/tb.php/433-aaa85341
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。