クルマ趣味に限らず何でもそうだと思うのですが、同好の志にとっては涙が出るほど素晴らしい環境が、全くその趣味のない方にとってはどーでも良いことってあると思うのです。
その好例が私の自宅の近所のクルマ屋さんだと思います。
そのお店とは…
オートジャンクションです。
おおよそ、スパルタンな四駆のオーナーでこの店を知らない方はいないという程、そのスジでは超有名なスペシャルショップです。特にミリタリージープに関しては日本で屈指のノウハウを持っており、全国からこの店を頼って軍用車両のレストアや整備の依頼が来るそうです。
事実、このショップの禁断のシャッターの奥にはとんでもないお宝が整備を待っているのです。
このショップでは第二次大戦中のWillis MBは当たり前?で、米軍のジープであれば、戦後のM38、M151はフツーに見ることができます。さらに、Ford GPWやDodge Command Carを始め、ランドローバーの野戦救急車なんてクルマもさらりと入庫していたりします。
いずれ潜入取材をさせていただこうと思っているのですが、そのジャンクヤードにはとんでもない「お宝」が部品取りのために積み上げられている一方で、たまに停めてある"For Sale"の物件は、写真のように完璧にレストアされた個体です。

ちなみにこのWillis MBは知るヒトぞ知る、第二次世界大戦で米軍で活躍した軍用車両です。
もちろん"Jeep"という愛称の方が遥かに有名で、戦後は四駆の総称として使用されるほどになった名称ですが、その由来は定かではなく、General Purpose(万能)もしくは Government-use(政府用)の G とホイールベース 80 インチの車両を表す識別符号の P から来た符号 GP から"Jeep"と命名されたという説と、漫画「ポパイ」に登場する「ユージン・ザ・ジープ」からという説などがあります。
そもそもの開発のきっかけは、1940年にアメリカ陸軍補給廠が、ポーランド侵攻におけるドイツ軍のキューベルワーゲン(かのビートルのご先祖)の活躍に注目し、自動車メーカーに小型軽量の多目的車両の開発オーダーを出したと言われています。各社競作となったこの車両は、最終的にはアメリカン・バンタム社が落札し、プロトタイプを製作することになったのですが、バンタム社の生産能力を危惧したアメリカ陸軍はこの設計図を公開し、Willis Overland社はWillis MAを、Ford Motor社もFord GPと呼ばれるプロトタイプを製作。3社合わせて数千台規模により実戦投入された結果、Willis MAに改良を加えたMBが正式採用されたのです。
最終的に、このWillis MBは第二次世界大戦中に、647,925台が製造され、さらにその水陸両用タイプのFord GPAも12,778台製造されるという大ヒットとなったのですが、戦場での信頼性だけでなく、その姿は、戦後進駐してきた占領軍の象徴としても敗戦国に強烈な印象を残したのです。

余談ですが私の父は学徒出陣で徴兵されましたが、幸いなことに既に戦場へ兵士を運ぶ輸送船なぞなく、本土決戦に備え内地で陸軍砲兵として敗戦を迎えたのですが、進駐して来た米軍のJeepを初めて見たときに、「こりゃ負けて当然…」と思ったそうです。
その理由の一つはWillis MBの卓越したデザインにあります。1940年と言えば、殆どのクルマは独立したフェンダーにライトポッドが取り付けられた現代の目から見た所謂「クラッシック・カー」のカタチをしていたのに対して、Willis MBはそのグリルにライトを埋め込み、従来のどのクルマにも似ていない機能美を身に付けていたのです。この普遍的なデザインがどれほど優れていたかは、現代のJeepにもその形状が受け継がれていることからも分かります。

実は、私もこのWillis MBのステアリングを握ったことがあります。学生時代にスキーで宿泊した赤倉高原のペンションのオーナーがこのWillis MBを所有しており、私に運転させてくれたのですが、その軽い車体と細いタイヤにより、雪道をナニゴトもなく走破できるため、面白くてスキーをせずに乗り回して遊ばせていただいたのですが、フロントガラスが取り払われていたため、とにかく寒かった経験があります。
その記憶もあり、このFor SaleのWillis MBにはちょっとソソられるものがありましたが…恐らく高くてとても買えないでしょう(苦笑)

ちなみにこのWillis MBは極めてオリジナルに忠実にレストアされているのですが、フロントウィンドウに取り付けられた赤い矢印のパーツは何のためのものだと思いますか?
どうぞ考えて見てください。
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