走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Alfa RZの初期化~その四~

RZM1019.jpg

さて、ホイールをインチアップし、タイヤを交換したRZの印象ですが、乗り心地は劇的に改善されました。それまでは石のようなゴツゴツとした乗り心地で、道路の継ぎ目などを乗り越えるときにはガツンとしたボディへの衝撃を感じたのですが、インチアップでタイヤが薄くなったにも関わらずそれらの継ぎ目をストンといなしてくれます。前回の記事で書きましたように、タイヤはオーバークオリティとも言える性能で、RZの性能からすれば履きこなせないのではと思われたのですが、いざ走ってみるとそれは杞憂で、ド・ディオンアクスルの懐の深さを感じることができました。タイヤグリップは磐石で、RZの性能では限界に持ち込むことなぞできるはずもなく、ただただナニゴトもなくオンザレールで走るクルマとなってしまいました(苦笑)。
まぁ、余程のことがない限りRZを限界で走らせることはないでしょうし、仮にタイヤの限界が来たときにはシャーシーの限界はとっくに超えていると思われますので、オーナーにとってはすこぶる安全なクルマになったのではと思います。

こうして無事に懸案であった初期化は全て終了した・・・はずだったのですが、やはり乗っていると細かい悪さをしてくれます。
最初に訪れたのはフロントライトで、片側が点いたり消えたりの末に最後には点かなくなってしまいました。

RZM1020.jpg

ご承知のようにES30のフロントライトはその形状が特殊で、現在は欠品となっています。かろうじて入手できるのはフランス仕様のイエロータイプで、どうしても交換するとなると全部を取り替えなくてはなりません。
ライト本体の問題ではないことを祈りながらクイック・トレーディングでチェックしたのですが、結果はコネクターの不良でした。それもコネクターそのものの劣化による接点不良ではなく、コネクター端子に差し込まれたコードの先端のギボシ端子がちゃんとコードを噛んでいなかったというものでした。

RZM1021.jpg

コネクターそのものは新車から交換された形跡はありませんので、この接触不良はコネクターを製造した人間の作業ミスということになります。これが果たしてZAGATOで製造されたものなのか、下請けの部品業者(恐らくこちらだろうと思われます)により納品されたものなのかは定かではありませんが、いい加減な作業のツケは製造から20年後に遠く東洋のユーザーの下でこうして発見されるのですから面白いものです。

やれやれこんなもので済むのなら可愛いものだと思っていると、今度は電動ファンが廻らなくなってしまいました。

RZM1022.jpg

ラッシュ時の都内で渋滞に巻き込まれている最中だったので、何とかすこしでも空いている道を探して走ったのですが、ついに限界が来てしまいました。仕方なく路肩にクルマを停めてボンネットを開けて一旦エンジンを冷ますことにしたのですが、ただでさえ目立つRZが路肩にボンネットを開けて停まっていると良い晒し者で、タクシーの運転手が嬉しそうに寄ってきては「どうしたの?」と聞いてきます(笑)。
適当に答えていたのですが、次の質問は「これなんてクルマ?」というお約束の質問で、最後は「へぇ。初めて見たよ」で終わる繰り返しなのはいつものことで、タクシーの運転手の皆さんの格好の暇つぶしのネタになってしまいました(笑)。
連絡したところオーナーも心配して駆けつけてくれたのですが、冷却液でも差し入れてくれるのかと思いきや、持ってきてくれたのは缶コーヒーでした(笑)。

結局、首都高の渋滞が解消されるのを待って何とかクイック・トレーディングまで辿り着いたのですが、原因はやはりコネクターの接触不良でした。

RZM1023.jpg

個体差もあるかと思いますが、この年代のイタリア車は部品品質の問題に加えて製造品質の問題が加わり、こうした電装部品をいつ壊れるか分からない地雷に変えてしまっています。そしてそれを抜本的に解決するためにはハーネスを含めてコネクターを全て交換しなければならず、それは現実的ではありません。そうすると今回のように、何か問題があったときに関連した場所も併せてチェックしておく程度しかないのですが、それでも何もしないよりは遥かにマシでしょう。

RZM1024.jpg

そして新たな課題として浮上したのが「雨漏りの対策」で、世のRZオーナーはその殆どの方がアキラメて、むしろ雨の日は乗らないという抜本的な対策?で対処されているのではと思います。
今回は何とオーナーと一緒に台風直撃の最中にRZに乗るという無謀なシャワーリングテストを実施して、このRZのソフトトップの性能はいかばかりかを試す結果となりました(苦笑)。

私自身は過去にアルファ・ロメオの三種類のオープンに乗りました。それはSr.3/4の115Spider。そしてその後継モデルであった916Spiderなのですが、同型車に乗っている仲間の話を聞いて見ると、雨漏りに関してはその構造上の問題もさることながら、結構個体差によるものが多く、繰り返し乗り上げ駐車をしたことによるボディの歪みが影響していたり、ソフトトップを開閉するときに平坦な場所で行わなかったりする行為による幌骨の歪みなどが蓄積したりしている個体は、総じて雨漏りが他の同型車よりも酷いようです。

構造上のことを言えば、115Spiderはソフトトップのリア部分がボディに接続されているために、後ろからの雨漏りはなく、漏れる箇所はAピラーとソフトトップの接する部分からに集中しています。フロントウインドウの上部はメッキモールでできたリップがあるために、余程のことがない限り雨漏りはしない構造になっています。
では、Aピラーの上部からの漏れはどうかと言うと、三角窓の上部に集中しており、そこの隙間が「水みち」になっていると思われます。ただ何分旧いクルマですので、ボディの歪と幌骨の歪が合算され、雨漏りに関してはかなりの個体差があります。

一方で916SpiderはこのRZと同じ方式で、リアを2箇所のピンでFRP製のトノカバーに密着させ、フロントウインドウ部分は左右2箇所をラッチで留める構造となっています。
これも個体差がありますが、916Spiderの場合はリアからの雨漏りは殆どなく、Aピラーからの雨漏りも豪雨の高速走行時にポタポタ・・・程度で非常に優秀だったと思います。

916Spiderが前後4箇所でソフトトップをボディに密着させているのに対して、RZの場合は前2箇所、後ろ1箇所の三箇所で、その分、ソフトトップ全体の造りが916Spiderよりがっしりと出来ています。
RZのソフトトップの問題はこの三箇所というボディへの接続方法(構造的な問題)と、リップのゴムシールの問題で、特にリアのゴムシールが劣化していると後方からの雨漏りは相当なものだそうです。特にトノカバー上部の形状が絶妙に室内に向かってアールしており、あたかもウォータースライダーのような形状ですので、ゴムシールが機能しないと「漏ってくる」と言うより「流れ込んでくる」という状態になります。
この個体はゴムシールがしっかりとしており、後方からの雨漏りは殆どありませんでした。
一方で酷いのがAピラーの付根からの雨漏りで、先日の台風のときにはポタポタ・・・ではなく、水道栓をひねったように一筋の水が流れ込んで来ました。
それをじっくり観察してみたのですが(苦笑)、どうやら幌ではなくフロントウインドウ上部のゴムシールの形状に問題があるようです。

RZM1025.jpg

本来ならばフロントウインドウの上部の窪みに入ってきた水は左右に流れて行き、わずかに膨らんだ流路を通って青の矢印の方向に流れるように設計されているようです。
しかし、どう見てもこの流路には無理があり、明らかに物理の法則に反した流れになっていると同時に、赤矢印の方向に流れようとする水を堰き止めるにはそのゴムの形状が悪く、結果としてフロントウインドウからボディ上部に跳ね上げられる水はフロントウインドウ上部の流路を通って左右の赤矢印の方向に流れ、その先は室内・・・という状態になってしまっています。
それは普通の雨量でも、上り坂でノーズが上がったり加速をするとAピラーから雨漏りが始まり、一度漏ってくるとそこに流路(水みち)が出来てしまい、それから後はずっと漏り続けることからも明らかで、やはり構造上の問題であると思われます。

そこで、多少でも赤矢印の方向へ流れる流路に抵抗を加えてやり、本来の青矢印の方向に水を誘導してやれないかと考えて見ました。川の流れで考えて見れば良く分かると思うのですが、水はより抵抗の少ない方に流れて行きますので、完全に堰き止めなくてもその抵抗のバランスさえ変れば雨漏りは劇的に少なくなるのではと思い、ゴム板を切って抵抗を作ってみることにしました。

RZM1026.jpg

用意したのはホームセンターで売っている3mm厚のゴム板です。
それを適当な形状に切って、合成ゴム系の接着剤で貼り付けて見ました。

RZM1027.jpg

これで100%解決できるとは思わないのですが、多少とも効果があるのであれば、考え方は間違っていないことになりますので、更に形状を工夫して改良して見たいと思います。

次回のシャワーリングテストは是非ともオーナーにお願いしましょう(笑)。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村
スポンサーサイト

テーマ:アルファロメオ - ジャンル:車・バイク

Alfa RZの初期化~その参~

RZM1001.jpg

先日のテストドライブでチェックしたポイントに沿ってAlfa RZのメンテナンスを行いました。

まずはファンベルト関係の交換ですが、それには部品の手配という問題がありました。1980年代から90年代のアルファ・ロメオのゴム製ベルトは結構問題で、タイミングベルトはともかく、補器類のベルトの純正品はすでに入手が難しくなっています。しかもゴム部品は仮に純正部品があったとしても、その製造日や保管状況から新品でも劣化している場合があり、必ずしも良い選択とは言えないのです。
一方、北米ではアルファ164までのモデルに関しては様々なアフターパーツが入手できますので、ES30のベースとなったアルファ75 3.0Americaのパーツを流用することができるのですが、過去の経験からこの北米のアフターパーツで問題なのがガスケットとゴムパーツなのです。
この両者はどうしたわけか品質が悪く、ガスケットの中には交換して組み付けた途端にオイルが漏れたというものや、ラジエーターホースが半年と保たなかったなど、随分と粗悪なものに当たるケースがあります。もちろん全てではないのですが、事前にそれを判断することができないのが悩みで、純正品や確かなアフターパーツが入手できるにも関わらず、単に安いからという理由でこれらの部品を手配すると痛い目に逢ってしまいます。
ですので、今回のベルト交換に際してはこの北米での手配は最後の手段とし、極力国内手配をすることにしました。残念ながら・・・というか素晴らしいことにゴムベルトは世界的に見ても日本製が一番優れているのです。
もし、アルファ・ロメオのV6エンジンのタイミングベルトが日本製のもので手配できるのであればその耐久性は劇的に長くなるであろうと思います。

RZM1002.jpg

幸いなことにACのコンプレッサーベルトは日本のバンドー製のベルトを入手することができたのですが、その他のベルトはどうしてもサイズが合わず、イタリアの純正OEMメーカーであるDYCO製しかないか・・・と思っていたのですが、クイック・トレーディングの努力でContinental-Bosch製のベルトを国内手配することができました。品質的には全く問題がないと思いますので、これからの過酷な日本の真夏でも安心できると思います。

RZM1003.jpg

そして当然のことながら交換後のベルト鳴きは全くなくなりました。

次の課題はエアコンから冷風が出ないというものでしたが、原因は特定できたもののその修理は大変な作業となってしまいました。

RZM1004.jpg

コンソールをバラして見ると、やはり原因はACのダクトとヒーターダクトの切り替え部分でした。

RZM1005.jpg

この「悪名高い」歯車はどうしたことか樹脂製で、経年劣化で脆くなると樹脂の歯が欠けてしまうのです。

RZM1006.jpg

どうしてこんな耐久性を要求するメカ部品に樹脂を使うのか全く理解できませんが、アルファ・ロメオを始めとするイタリア車の多くはこの部品が樹脂製のはずですので、製造から10年以上が経過した個体は「爆弾を抱えている」と言っても良いでしょう。

さてこの欠けてしまったギアをどうするかなのですが、幸いなことに片側のギア部品は生きていましたので、クイック・トレーディングが選択した方法はギアの歯を「複製する」というものでした。

RZM1007.jpg

本当なら金属の挽き物にでも置き換えたいところですが、それには結構な製作コストがかかってしまいます。これはプラモデルなどの部品の複製にも使われている方法なのですが、シリコンで型を取って部品を複製するのですが、強度的にはオリジナルと大差ありませんので、扱いは慎重に行う必要があるでしょう。

RZM1008.jpg

RZM1009.jpg

幸いなことにRZはマニュアルエアコンですので、ダイアルを一気に廻したりせずに優しくゆっくり廻し、一旦切り替えたら極力動かさないようにすることにより長持ちさせることができると思います。

また、イタリア車全般に言えることですが、エアコンが効かない・・・と言われる原因の一つが切り替えフラップを完全に閉めずに、エアコン使用時も僅かにヒーターを動かしていることにあります。これはヒーターコアの保護のためで、夏場でもヒーターコアに冷却水を流してやることにより、内部の腐食を防止しているのですが、当然のことながらそうすると折角の冷気にヒーターからの暖かい空気が混ざってしまい、冷房効率を落としてしまっているのです。

RZM1010.jpg

クイック・トレーディングは「最後の選択」として手動でフラップを全閉できるように切り替えスイッチを付けてくれました。この最終兵器?を使うかどうかは暑さ次第だと思いますが、もともとがオープンのRZですので、その最後の手段の出番はまずないのでは・・・と思いますが、このオーナーはとにかく暑がりですので精神衛生上のお守りにはなるかも知れません(苦笑)。

尚、気になったハブからの異音ですが、その後に再現されず例によって「しばらく様子を見る」こととなりました。もしハブベアリングが磨耗した場合は、その初期にはブレーキを踏んだ際やステアリングを切った際に「ゴー」という擦過音がするようになりますので、その時に判断できるのではと思います。

そして、しばらくこのままでも良いのではと思っていたタイヤなのですが、オーナーの大英断?により交換することとなりました。
しかし、現在の16inchホイールのサイズではタイヤに選択肢がなく、決断をしたもののこう着状態だったのですが、夜な夜なネットを検索して怪しげなクルマを見つけるのが趣味のオーナーの努力により?何と17inchホイールを入手することができました。しかも「灯台下暮し」でそのホイールは先日取材させていただいたCollezioneにあったのです(苦笑)。

RZM1011.jpg

RZM1012JPG.jpg

このCollezioneのホイールはES30用に特注で製作されたもので、中古ながら程度も良かったために現物を見て即決で購入することにしました。

そうすると今度はタイヤの選択なのですが、これはオーナーにお任せすることにしました。そして以前からミシュラン党であったオーナーはやはりミシュランを選択したのですが、このタイヤもいざ入手するとなると結構な手間を強いられることになってしまいました。
確かにカタログには載っているサイズなのですが、そのタイヤはポルシェの純正装着タイヤで通常のルートでは手に入らず、いつもお世話になっているタイヤサービスにご尽力いただきようやく手に入れることができました。

RZM1013.jpg

このブログ記事に先立ってフェイスブックでこのタイヤを紹介したのですが、94Yという表記から1994年製造の旧いタイヤと思われてしまいました(苦笑)。タイヤはゴム製品ですので、ホースやベルトと同様に旧くなったタイヤは仮に新品であっても所期の性能が発揮されません。以前にも書きましたが、安売りタイヤで売られているものの中には製造年の旧い「売れ残り」が混ざっている場合がありますので、特殊なサイズでやむを得ず選択する場合はともかく、単に安いから・・・と買ってしまうと思わぬ失敗をしてしまうことがあります。‎
私も良く知らなかったのですが、このラベル上の94は荷重指数を指し、負荷能力670kg。Yは速度記号でロードインデックスに括弧がついている場合は時速300キロ超で走行可という意味だそうです。またミシュランでNはポルシェ承認タイプの意味とのことですがRZにはちょっとオーバークオリティなタイヤと言えるでしょう(笑)。

オーナーともども私もお世話になっているタイヤサービスさんに入庫していよいよタイヤ交換です。

RZM1014JPG.jpg

今回は社長と副社長(息子さん)のフルメンバーで交換作業を行ってくれました。

RZM1015.jpg

心配だった中古ホイールの歪みですが、ホイール単体でバランスチェックをしてみたところ重心は構造上、偏心していたものの、当てたりしたことによる歪みはなく、総じて言えば軽量で出来の良いホイールでした。

RZM1016.jpg

何度かのマッチングバランスの後に無事にタイヤ交換を終えることができました。
交換後のインプレッションはまた別の機会にしたいと思いますが、心配だった外観は思ったほど違和感はないと思うのですがいかがでしょうか。

RZM1017.jpg

こちらは交換前の純正16inchホイール装着状態です。

RZM1018.jpg

そしてこちらは17inchホイールに交換した状態です。たった1inchの差ですが、随分とホイールが大きくなったと感じます。

こうして懸案であったタイヤも無事に交換することになり、初期化プランはひとまず終了と思っていたのですが、そんなに簡単に許してはくれないのがアルファ・ロメオで、オーナーの許にあるときは良い子にしているのに対して、私がメンテナンスやチェックのために預かっているときに限ってダダをこねるようになってしまいました。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:アルファロメオ - ジャンル:車・バイク

お台場の旧車三昧 ノスタルジック カーショー~その六~

「滝レーシングチーム」という名前をリアルに知っている世代はすでにかなりな年輩ではないかと思います。
それは、故滝進太郎氏が設立したプライベートなレーシングチームでした。実業家としてスーパーマーケットを経営し成功していた彼は1964年に個人的な趣味であったモータースポーツにのめり込み、当時最新鋭マシンであったロータス・エラン26Rを購入して、始まったばかりであった日本グランプリに出場し大活躍をします。その後に彼が購入したのはポルシェ・カレラ6で、当時の日産R380に対抗するにはこのクルマしかない・・・と目をつけたマシンでした。

現在のGT選手権以上にメーカーの威信をかけて争われていたのが当時の日本グランプリで、日産がミッドシップのR380を生沢徹のドライブで投入したのに対して、滝進太郎はポルシェから購入したままの「吊るし」のポルシェ・カレラ6で挑みます。
当時の技術では日本はまだまだヨーロッパに遅れを取っており、会社が総力を挙げて開発し、チューニングしたR380に対して、市販状態(もちろんコンペティションベースではありましたが)のポルシェ・カレラ6は互角以上の戦いをし、1967年の鈴鹿1000kmレースでは総合優勝を勝ち取ることになります。
しかし、彼の手腕が本当に発揮されたのは、レーシングドライバーとしてではなくチームマネージングで、現役を引退した後に設立した滝レーシングチームは、ワークスとして会社の経費で運営されていた日産やトヨタなどと異なり、日本で初めてスポンサーからの資金により運営されるプライベーターとして成立したレーシングチームでした。

NCS102.jpg

こうしたプライベートチームがメーカーワークスチームに伍して戦うためには、優秀なマシンとドライバーが必要で、滝レーシングチームはそれまでのカレラ6に加えて、カレラ10、そしてこのローラT70といった当時の最新鋭マシンを投入します。ドライバーも生沢徹、酒井正、長谷見昌弘といった当時のトップドライバーと契約し、まさにサーキットを暴れまわるのですが、子供の頃の私は周囲が「日本対外国」という対決図式で見ていたのに対して、純粋にそのレーシングカーの形に注目しており、性能がどうのとかドライバーがどうの・・・といったマニアの能書きを他所に、フロントにシェブロンマークを書き、車高が低いこのローラT70のスタイルに参ってしまっていました。

NCS103.jpg

つまり、他のクルマに比べて段違いに「格好良かった」のがこのローラT70で、その鮮烈な印象はずっと残っていたのです。写真でも見えますが、そのスポンサーの一つが田宮模型で、実際にモデル化されたLOLA T70は子供が買えるお値段ではなく、指を咥えて見ているしかなかったのですが、近年再販されたことからも、私のような根強いファンがいることの証ではないかと思います。

NCS104.jpg

ローラは建築会社で働く普通のサラリーマンであったエリック・ブロードレイにより設立されたメーカーで、趣味が高じて・・・というパターンなのですが、このT70はライバルが鋼管チューブラーフレームであった時代にアルミ製ツインチューブ・モノコックシャーシーを採用しており、ライバルに差をつけていました。最初に日本のレースに出場したT70はアメリカのCan-Amレースで酷使された後の中古だったのですが、それでも最新鋭の国産マシンと互角に渡り合えたことは日本の技術と欧米の差がまだまだ大きかったことを思い知らされる状況でした。

NCS106.jpg

エリック・ブロードレイはキャロル・シェルビーと共にフォードのル・マン参戦に協力し、GT40の開発に加わったことでも有名で、GT40の面影をこのT70にも見ることができます。

NCS105.jpg

デモ走行は限られたコース内であったためにキャブレターがカブってしまい、相当苦労をされていたようでした。
できればせめてメガ・ウェブのコース程度を走って欲しかったと思います。

そしてその隣にはローラT70を制して1968年日本グランプリで優勝した日産R381が展示されていました。

NCS107.jpg

日産R381は当時のFIA規定のグループ7カテゴリーに属するスポーツプロトタイプと呼ばれるレーシングカーでした。設計はスカイラインを設計した故桜井眞一郎氏で、鋼管パイプフレームにアルミハニカムパネルという構造でした。

NCS108.jpg

100%純血の国産マシンと思われているR381ですが、残念ながらエンジンは開発が間に合わず、シボレー製の5.5L V8エンジンを搭載していました。ということは、エンジンはLOLA T70と同じ(実際は5.5L、5.8L、6.3Lの三種)で、日本人が熱狂したこのレースはボディは違えど、アメリカのCan-Amレース用にチューンされたアメリカ製のV8エンジン同士で争われていたことになります。

これまでご紹介したクルマが日本グランプリで活躍したクルマであることに対して、こちらはル・マン24時間レースでの優勝車です。
残念ながら、日本グランプリと言えども、当時の欧米のレベルからすると草レースのようなものであったことに対して、こちらは正真正銘、日本のクルマが世界を制したと言えるマシンです。

NCS109.jpg

MAZDA 787Bは1991年のル・マン24時間レースにおいて総合優勝を果たしたクルマで、これは日本メーカーにとって初、そして日本メーカーとして唯一の総合優勝であることに加えて、ロータリーエンジン車として世界初の総合優勝でした。また、カーボンブレーキ装着車として初めてル・マンを制したマシンで、これだけの「初」づくしであることからも自動車史に残る名車として、日本のファンだけでなく、世界中のレースファンからも人気のあるモデルです。

NCS110.jpg

他のライバルチームをして、「自分達のチームの次に勝たせたかったチーム」と言わせたほど、マツダのエンジニアが、参加車唯一のロータリーエンジンと永年にわたり苦闘し、マシンを熟成させル・マンに挑戦し続けたことは評価されており、MAZDAチームが総合優秀を決めたときにはライバルチームがこぞって祝福のためにピットを訪れたと言われています。

残念ながらLOLA T70以外の2台のデモ走行はありませんでしたが、787Bに関してはいつかそのR26Bロータリーエンジンの音を生で聞いてみたいものです。

ノスタルジックカーショーの会場では、このように誰もが知っている名車を間近に見ることができるのが魅力なのですが、一方で珍車に出会えることも楽しみの一つで、前回ご紹介したAPOLLO 3500GTに加えてもう一台の珍車がこちらでした。

NCS111.jpg

この写真から車名を言い当てられる方は相当のマニアだと思います(苦笑)。

NCS112.jpg

これは八王子にあったカロッツェリア・ワタナベという「工房」がホンダS600をベースに製作したグリフォンというクルマです。

NCS113.jpg

このクルマが製作された1970年当時は規制が厳しく、このような「改造車」にナンバーを取得するのは至難の技だったとのことです。

NCS114.jpg

ボディはグラスファイバーで造られており、専用のアルミホイールやウインドウなど全て、リデザインされています。
最初に造られた2台はフライング・ペガサスという車名で、モービル石油のCMや「電撃!!ストラダ5」という特撮ヒーロ番組に出演した後に、量産型として一部デザインを変更したものが「グリフォン」として発売されたそうです。

NCS115.jpg

そのお値段は車両持込で改造費用が150万円。納期は6ヶ月であったとのことですから、当時の物価からすると高額で、最終的に何台改造されたのかは定かではありません。

デザインそのものはZAGATOデザインのアルファ・ロメオJr.Zの影響が見て取れますが、日本でもこうしたカロッツェリアが存在していたことは記憶に留めておくべきだと思います。

会場ではスカイライン生誕55周年ということで、歴代のスカイラインが展示されていました。次回はそのスカイラインをご紹介したいと思います。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク

上海脱出指令

ここ近年は歴史小説がブームのようです。歴史には幾つかのターニングポイントがあり、「もし、あのときにこうしていれば・・・」という、その後の歴史が全く変ってしまったかもしれない瞬間があるものです。
そしてそれをシュミレートして見ることは誰もが考えることで、特に戦史においては戦国時代の合戦から第二次世界大戦に至るまで、その「IF」には事欠かず、多くの作家の皆さんがこの歴史IF小説を手がけていらっしゃいます。

私も試しに何作か読んで見たのですが、最初は面白かったのですがそのうち飽きてしまいました。その理由は、題材が日本の負け戦のきっかけとなった指揮官の判断ミスや天候などの条件を変えて、結果を勝ち戦に変えてしまうという、「後出しジャンケン」のようなものが多いことなのですが、加えてその「IF」がエスカレートし、最後には「もしこの兵器が開発されていたら・・・」などが加わるに至っては、もはや歴史の一つの考察を通り越して、歴史への冒涜としか思えない内容になってしまっているからです。

第二次世界大戦のIF小説に多いのがこれらのパターンで、単純に娯楽小説として笑いながら読むのが正当な楽しみ方なのかも知れませんが、多少なりとも史実を知りその本質を理解して読むと、そんな表面的なIFで歴史の大勢が変るはずもないことが分かります。
さらに、太平洋戦争に関して連合国側から見たIF小説を書くのであればもっと簡単で、真珠湾攻撃を予め暗号解読で知っていたアメリカ(ここまでは史実)が、本気で迎撃体勢を整えていたら・・・という一点のIFだけで、その後の戦争の行方は大きく変ってしまったであろうことは言うまでもないでしょう。

上海脱出指令

すなわち、戦争に関するIFはその双方に「言いたいことは一杯ある」のが常で、それを言い合っていても不毛なだけだということなのですが、これからご紹介するこの「上海脱出指令」は現実の史実を背景に描かれたフィクションで、最初は単なるアクション小説か・・・と思ったのですが、読んで見たらその設定と内容に唸らされてしまいました。それは歴史IF小説とは全く異なる、緻密な設定と時代考証に基づいた上での「荒唐無稽」なアクション大作だったのです。

実はこの作品に出会ったきっかけは昔の勤務先の同僚からの紹介でした。フェイスブックを通じてお互いの近況を知り合うようになったのですが、その彼女は読書家で、私などとは異なり実に様々なジャンルの本を継続して読まれている方です。その彼女の好きなジャンルの中にこのような戦争やメカをモチーフにした小説があったことに驚くと同時に、その彼女がAmazonにこの本の書評を書いて、私に勧めてくれたのでこれは読まねば・・・と入手したのですが、恐らくこのようなきっかけがなければ目にすることはなかったろうと思いますので、この縁を与えていただいたことには感謝に耐えません。

作者の工藤誉氏は何と大学の同窓でもあるのですが、この作品が処女作でそれまでは電子機器メーカーや自動車メーカーの学校法人などに勤務されていた背景のある方のようです。そんな背景のある氏がどうしてこの設定を思いついたのかは定かではありませんが、目のつけどころと言い、当時の状況と言い、相当なリサーチの上で書かれたものであることが分かると同時に、氏が相当な「好きモノ」であることが取り上げられる「小道具」から推察できます。

時代は日米開戦前夜の昭和16年の上海。当時の上海は租界が形成され、それぞれの国が主権を持つエリアに分割されていました。日本は欧米にまだ宣戦布告をしておらず、表向きは日中戦争の当事者は日本と蒋介石率いる国民革命軍との戦争だったのですが、中国に覇権を維持したいと考える列強各国は上海で表面的には平和的な商業活動を行いながら、日本の今後の出方のみならず、すでに始まっていたヨーロッパでの戦争に関する情報収集を行っていたのです。
そんな中にあって日本の誇る新鋭戦闘機である零式艦上戦闘機32型が墜落事故を起こします。32型は後に投入される新型戦闘機で、11型から始まる零式艦上戦闘機の改良型の3代目に当たります。その試作機に搭乗していたのはパイロットとその設計技術者で、パイロットは死亡し機体は焼失したのですが、設計技術者はパラシュートで脱出することに成功します。その新鋭戦闘機の秘密を秘匿するために、この技術者を一刻も早く救出したいとする日本と、零式艦上戦闘機の秘密を手に入れたいとするイギリスとの間に繰り広げられる壮絶な戦いを描いたのがこの小説なのですが、そのストーリーの詳細は読まれる方のお楽しみにしておきたいと思います。

しかし、作者の工藤氏のそのリサーチに敬意を表して、また、あまりその手のヲタク的な知識を持ち合わせていない読者の方の助けとなるように、この作品に登場するアイテムについて少し解説をしておきたいと思います。
ただし、こうした知識はこの小説をより面白く読むための助けになるとは思いますが、こうした知識なしに読まれたとしても、この作品の面白さをいささかも殺ぐものではないことを付け加えておきたいと思います。

○海軍陸戦隊
パラシュートで脱出した設計技師を探し出して救出する主人公である工藤少尉が所属していたのがこの海軍陸戦隊という設定にまず唸ってしまいました。
意外に知られていないのが日本の海軍陸戦隊で、当時の海軍軍人の中(陸軍はもっと)でもこの海軍陸戦隊を単に船乗りに鉄砲を持たせただけ・・・と小馬鹿にする風潮がありました。
日本海軍陸戦隊は、現代では世界最強と言われるアメリカ海兵隊のベースとなったものなのですが、海兵隊そのものは世界に旧くから存在しており、その起源は帆船時代にまで遡ります。当時の海戦はお互いの船が並走し、片舷の大砲を撃ち合うといった戦い方で、最後は船を横付けして相手の船に乗り込んで奪取するというのが一般的な戦い方でした。そのために軍艦には敵艦に乗り込んで戦うための兵士が乗り込んでおり、これが現代の海兵隊の元祖です。また海兵隊は艦内の治安維持にあたる憲兵の役割も担っており、屈強な上に知識レベルも高いエリートがその任に当たっていました。
「バウンティ号の反乱」という映画をご覧になったことがある方もいらっしゃるかと思いますが、当時の軍艦の乗組員の勤務環境は苛酷で、そんな彼らに戦闘時以外で武器を持たすとあっという間に反乱がおきて船を乗っ取られてしまったのです。そこで武装した海兵隊員の平常の任務は艦内の治安秩序の維持であったのです。
そして後年になってこれまでの任務に加えて、強行上陸や潜入上陸して上陸地点の確保という役割が加わることにより、海兵隊は特殊訓練を受け、最新鋭の特殊装備を持つスペシャリスト部隊としての意義を持つことになります。
つまり通常の陸軍の部隊と比べて小人数での作戦をこなさなければならないために、一人一人が多能化した少数精鋭でなければならず、また限られた装備で本隊が上陸してくるまでその場所を確保しなければならないために、コマンド部隊のようなサバイバル能力を持つ必要があり、そして狭い艦内での戦闘を前提とした特殊武器の装備といった、現代のネイビーシールズのような役割を果たしていたのが日本海軍陸戦隊で、上海において押し寄せる抗日ゲリラから圧倒的少数の部隊で邦人を守るという任務を遂行していた日本海軍陸戦隊の優秀さに感銘を受けたアメリカは、この日本海軍陸戦隊をモデルにして海兵隊を設立したと言われています。
主人公の超人的な活躍は彼が日本海軍陸戦隊員であったという背景とすることにより、そのリアリティを高めることに成功しています。

○零式艦上戦闘機32型

3A6M3_Type32_Tainan_Kokutai_V174.jpg

言わずと知れた日本海軍の名戦闘機ですが、その各型の違いについてはあまりご存じないのではと思います。最初に配備されたのが11型と呼ばれるもので、そのデビューは中国戦線でした。11型は試作量産機と言えるもので、その翼端は空母搭載のために折り畳まれるようにはなっていませんでした。そして量産型の21型となっていよいよ本格的な空母での運用がスタートし、翼端を折り畳むことにより空母のエレベーターに搭載できるようになりました。真珠湾攻撃に参加したのはこの21型ですが、その配備は遅れに遅れ、ようやく間に合ったというのが真相で、多くのパイロットは11型を使って訓練を行ったと言われています。その21型の改良版が32型で、翼端の折り畳み部分を切り飛ばして翼を短くして、新しく2段過給の栄21型エンジンを装備しており、それまでの21型に比べて、最高速度、降下速度は向上し、高速での横転性能も向上したのですが、一方で搭載燃料が少なくなってしまい、21型に比べると航続距離が短くなるという欠点もありました。
この32型の試作1号機の初飛行は昭和16年7月14日ですから、この作品の設定には合っているのですが、試験飛行を中国で行ったという史実はなく、作者のフィクションだと思います。
作品ではアメリカやイギリスが零式艦上戦闘機の秘密を探ろうと躍起になっていますが、実際は殆どノーマークでした。そこには人種偏見があり、アジア人に自分達より優れた航空機を開発する能力なぞあるわけがないと思われていたのです。日米が開戦して実際に日本の戦闘機に空中戦で圧倒されるまで、日本はまだ第一次世界大戦時の複葉機を運用していると思われており、実際に目の当たりにしても日本はドイツから技術供与を受けているに違いないと信じ込まれていました。これも史実ですが、唯一中国で日本の新鋭戦闘機である零式艦上戦闘機や一式戦「隼」(この二機は引き込み脚の低翼単葉戦闘機であったために混同されていました)との戦闘を経験した、米国義勇航空隊(フライング・タイガース)のクレア・シェンノート将軍がアメリカ国防省あてにこの日本の戦闘機の性能について警告するためにレポートを送っているのですが、上記の偏見から完全に無視されてしまったのです。
また小ネタですが、この小説では零式艦上戦闘機の設計者であった堀越二郎技師が過労で倒れ、その部下であった小野寺技師がこの32型の設計を担当し、試験飛行に同乗したことになっていますが、堀越技師が実際に過労で倒れたのは史実通りではあるものの、この32型を担当したのは、同じく三菱航空機で一式陸攻の設計を担当した本庄季郎技師でした。しかし、そこまでリサーチして小野寺技師という架空の人物を創り出した作者のリサーチ力には恐れ入ります。

○ヴィッカース・クロスレイ装甲車

1Shanghai1937IJA_armored_cars.jpg

こんな渋い脇役が登場するとは思いませんでした。
ヴィッカース・クロスレイ装甲車はイギリスのヴィッカース社が開発した装輪装甲車で、戦車のようなキャタピラを持たないため、軽量、安価でしかも舗装路においての走行性能が高いことから、もともとは飛行場の警備用として開発されたものでした。しかし、上海のような市街地における警備用としては需要があり、日本海軍は1925年型のM25四輪装甲車をイギリスより輸入して配備していました。
装甲は5.5mmと薄いもので、小銃弾に対する防護能力しかなかったのですが、車体上部の旋回する銃塔にはヴィッカース製の機関銃を2門装備し、最高速度も64km/hであったために市街地を走って、戦闘地域に駆けつけることができました。日本海軍陸戦隊が装備していたものはタイヤもソリッドタイヤで、敵弾を受けてもパンクしなかったこともこうした市街戦には有効でした。実際に海軍陸戦隊はこのヴィッカース・クロスレイ装甲車を効果的に運用し、上海の日本人租界に対する抗日ゲリラの攻撃を応援部隊の到着まで2週間にわたり守り切ることができました。
このあたりの史実にも忠実なのがこの作品で、この装甲車の運用方法である敵銃弾の盾に装甲車を前面に出し、その後方から兵士が歩いて敵に近づくという戦術がちゃんと描かれています。

○パッカード

5795px-1937_Packard_Super_Eight.jpg

この小説には車種までは書かれていませんが、年代から見て恐らくパッカード・エイトだと思われます。パッカードは戦前のアメリカの高級車で、イギリスのロールス・ロイス、ドイツのメルセデス・ベンツと比べても遜色ないクルマでした。歴代のアメリカ大統領もこのパッカードを専用車としており、戦後も皇室の御料車として使用されるほど、アメリカを代表する高級車でした。あえて作品でロールス・ロイスではなくパッカードを登場させた作者の見識には恐れ入りました。

○ベルグマン短機関銃

2800px-Bergmann_MP18_1.jpg

正確にはベルグマンMP18短機関銃です。海軍陸戦隊の装備として描かれているのがこの短機関銃ですが、もともとは第一次世界大戦の塹壕戦から生まれた機関銃で、塹壕の中の敵兵を効果的に掃討するために開発された機関銃でした。そして海軍陸戦隊では狭い艦内での敵の掃討に有効という目的から採用されました。このような装備は通常の兵士が銃剣突撃も想定した槍のように大柄な小銃(歩兵銃)を装備していたことと比較して、当然市街戦においても有効なのですが、当時の日本軍でこのような機関銃を装備していた部隊はなく、いかに海軍陸戦隊がコストをかけて近代的な装備をしていたかが分かります。

○モーゼル1912

4o0640036711547002184.jpg

これも正確にはモーゼルM1912と呼ばれる拳銃です。モーゼルと聞けば殆どの方が思い浮かべるのはC96というトリガーの前に弾倉がある自動拳銃だと思いますが、このM1912はリーフ・ロックという特殊な閉鎖機構を持った自動拳銃で、コンパクトでありながら威力があるということで、将校の護身用として人気のあったモデルです。

○メルセデス25

Mercedes-Benz_W25.jpg

これまた正確にはメルセデスW25で、1934年に開発されたメルセデスのGPカーです。そのレイアウトはコンベンショナルで、フロントにスーパーチャージャー付の直列8気筒DOHCエンジンを搭載しリアを駆動するというFR形式でした。このW25には面白い逸話があり、当時のGP規定では車両重量が750kgまでと定められていました。しかし、このW25がデビューレース前の車検で規定重量を1kgオーバーしていることが判明してしまい、チームの監督であった有名なアルフレート・ノイバウアは窮余の策としてボディの塗装を剥がすよう指示します。徹夜作業で白いナショナルカラーの塗装を削り落とし、辛くも再計量を通過すると、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュのドライブにより見事デビューウィンを果たしたのですが、ボディがアルミ製であったために塗装を剥がすとシルバーの地肌が露出し、そのことからシルバー・アローと呼ばれるようになり、それまで白であったドイツのナショナルカラーをシルバーに変更するきっかけとなったと言われています。

○アウトウニオンA型

PWAGEN.jpg

現在のAUDIの前身であるメーカーがこのアウトウニオンで、この作品のクライマックスで用いられているのがこのアウトウニオンのGPカー、P-WagenのAタイプです。
P-Wagenはこの作品に書かれているとおり、フェルディナンド・ポルシェ博士によって開発された、現代のF-1マシンの基礎となったマシンです。その最大の特徴はエンジンをミッドシップ(車体中央)に搭載していたことで、45度V型16気筒4.35LエンジンはこのP-Wagenを時速250km/h以上のスピードで走らせることができました。
一方でその挙動は現在のミッドシップマシン以上に過激で、実際に乗りこなすのは難しく、ベルント・ローゼンマイヤーを始めとする数人しかいなかったと言われています。
作品では、この初期モデルのA型を公道仕様に改造したモデルを登場させていますが、実際にそのようなモデルが造られた史実はもちろんありません。
作品ではこのP-Wagenで上海の街路を走って警戒線を突破する設定となっていますが、そのクライマックスのアクション描写はともかく、小野寺技師とこのP-Wagenの開発に携わり、引退して上海に移り住んでいたヴェルナーとの技術者同士の会話が実に素晴らしく、戦闘機とGPマシンというどちらも極限で戦う機械の設計者として通じるものがあり、これらの描写もこの作品に単なるアクション小説に留まらない魅力を与えています。

作品全体はちょっと「詰め込みすぎ」という印象がありますが、私のようなヲタクでも突っ込みどころなく楽しく読める作品でした。そして単なるアクション小説として読んだとしてもその設定に無理がなく、テンポ良くストーリーが進んでいくために一気に読むことができます。
処女作ということで、作者には充分にリサーチする時間があったと思いますし、その構想も練りに練られた末のものであったろうと思います。
作者の今後の作品にも期待したいのですが、願わくばこの作品のコンセプトを引き継いで、史実を曲げることなく、その史実をベースにしたサイドストーリー的な新しいフィクションを創作して欲しいと思います。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

お台場の旧車三昧 ノスタルジック カーショー~その伍~

ノスタルジックカーショーの本来のメインは国産旧車で、まさに「ノスタルジック」なのですが、今回は少し傾向が異なっており、これまでお知らせしたスーパーカーとアメリカ車の展示が多く、相対的にそれ以外の車種は低調という印象でした。
ヨーロッパ車の展示は少なかったのですが、その中で頑張っていたのはこの出展社でなかなか魅力的な車種を展示していました。

現実的に「買える」ベック550Spiderです。ポルシェのレプリカですが、実物のお値段は一般人に買えるようなお値段ではありませんので、このレプリカは日本でも多く輸入されました。

NCS094.jpg

途中合流した友人の笹本氏は相当ハマっており、「冷やかし」の商談ではなく「半マジ」の商談をしていました(苦笑)。

NCS084.jpg

素晴らしいコンディションのLANCIA Fulviaでした。ラリーチューンなど一切されていない「吊るし」のフルヴィアで、貴重品のホイールセンターキャップもピカピカでした。

NCS085.jpg

爆安価格のALFAROMEO 2600 Sprintです。右ハンドルで伊藤忠モータースが唯一正規で輸入した個体で、ずっと伊藤忠モータースの社長の許にあったそうです。現在はサーキット仕様に改造されていますが、オリジナルパーツは全て揃っているとのことで、現状渡しでのお値段でした。そして元に戻すのであれば結果として「それなり」のお値段となるとのことでしたので、ようやく納得?できました。

NCS086.jpg

不可解だったのがこのリアに貼られたコンレロのエンブレムで、2600Sprintにコンレロが関わったのでしょうか?謎です・・・。

NCS087.jpg

これもミントコンディションのAUTOBIANCHI A112 Abarthでした。昔は街中で結構見かけたのですが、最近は殆ど見かけなくなってしまいました。欲を言えばこうした展示会に持ってくるのであればAbarth仕様ではなく、Eliteと呼ばれた通常バージョンなんかが展示してあると、思わず「逝ってしまう」方が出るような気がします(苦笑)。

NCS088.jpg

これまた美しいFIAT X1/9でした。恐らくカンパニョーロのホイールを除けばオリジナルコンディションだと思うのですが、私にとっては駐車場で見た個体の印象が強すぎました。

NCS089.jpg

NCS090.jpg

NCS091.jpg

これは珍車でした。上の三枚の写真からこのクルマの名前を素性を言い当てられる方がいらっしゃるでしょうか・・・。
私も初めて見たのですが、こんなクルマに出会えるのがこうした展示会の醍醐味です。

NCS092.jpg

このクルマは1962年式のAPOLLO 3500GTというもので、説明によるとアメリカのインターナショナル・モータースという会社がイタリアのインターメカニカ社に発注し、88台製造したものだそうです。
外観はフロントがフェラーリ275にリアがジャガーE-Typeと、何となくアメリカ人の好きなヨーロッパ車の格好良いところを継ぎ接ぎしたような外観です(笑)。
エンジンはビュイックのアルミ製V8エンジンを搭載しています。
ゲテモノと切り捨ててしまえばそれまでのクルマなのですが、何となく全体としては纏まっており、不思議なクルマでした。

NCS093.jpg

私達の世代にとって懐かしいのがタイサン-スターカードのフェラーリF40です。

NCS097.jpg

NCS098.jpg

NCS099.jpg

もちろん売り物ではなく純粋な展示車だったのですが、レース出場時の状態のまま保存されているようで、接触の跡など生々しい状態で保存されていました。
最後は自走で会場を出て行ったのですが、おそらくローダーが待機しているのでしょう。

NCS100.jpg

ポルシェは台数はそこそこあったのですが、どうも影が薄かったように思いました。こうした会場では展示の方法やボディカラーなども重要なのかも知れません。

NCS101.jpg

少し前まではこうした展示会での最大派閥であったMiniはこの老舗の出展社のみでした。それでも根強いファンがいるのがこのMiniで、BMW-Miniがオリジナルデザインだと思っている若者がいる現在の状況からすると、もっとこうしたイベントなどを通じて世間に露出して欲しいクルマです。

NCS095.jpg

こちらもメンテナンスガレージの老舗ですが、MG-TDという渋いクルマを持ち込んでいました。このお店のスタンスは車両の展示・販売というより相談の受付で、お店まで訪ねなくても様々な相談ができるのもこうしたイベントでのメリットだと思います。

NCS096.jpg

ひっそりと売り物として置いてあったCITOROEN DS Wagonです。DSのワゴンモデルには商用車(コルメシアル)と後列にジャンプシートを追加したブレーク、そして8人乗りのファミリエールがあるのですが、この個体がそのどれであるのかをチェックするのを忘れました(苦笑)。いずれにしてもフランスが実用車を作るときは徹底的にやるために、このDSワゴンは自分の目的に合うと究極のクルマになるでしょう。

そして今回のイベントの目玉である展示車がこのLOLA T70でした。

NCS102.jpg

私達よりも少し上の年代の方にとって滝レーシングチームのローラT70ほど記憶に残るレーシングカーはないのではと思います。次回はこのローラT70のお話から始めたいと思います。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク

お台場の旧車三昧 ノスタルジック カーショー~その四~

中断してしまいましたが、再びノスタルジックカーショーの会場に戻りましょう。
最近の流行なのか、それともたまたまなのかは定かではありませんが、今回の会場での最大派閥?はいつもの国産旧車ではなく、アメリカ車でした。
確かに、50年代から70年代のアメリカ車は根強い人気があり、特にMOPARと呼ばれるスポーティカーは日本だけでなく本国でも多くのマニアが大切に維持しているのですが、それでも人気には波があり映画や雑誌の影響か、盛り上がったり下火になったりを繰り返しているような気がします。

そんな中にあって現在はと言うと、「盛り上がっている」ほうの時代に入るのではと思います。その理由はやはりリバイバルカーの影響で、アメリカの各メーカーが当時の車名とスタイリングをベースにした新車を発売すると同時に、そのベースとなったオリジナルモデルに脚光が当たり、相乗効果で売れているようです。

NCS061.jpg

PLYMOUTH Cudaです。個人的には1970年以降のダッジ-クライスラーのBプラットフォームと呼ばれたそれまでのボディよりも全長が短く、幅が広いボディを持つクーペが大好きです。一番好きなのはDODGE Challengerなのですが、残念ながら会場で見ることはできませんでした。

NCS062.jpg

こちらは同じくクライスラー系列のDODGE Chargerです。NASCARと呼ばれたストックカーレースに出場して大活躍したモデルで、そのカラフルなボディとスポンサーステッカーは子供の頃に見て衝撃を受けたことを憶えています。

NCS063.jpg

やはり一番人気なのは一連のFORD Mustangのラインアップで、こちらは珍しいBOSSです。Mustangの中でもレースホモロゲーション用に開発されたモデルです。

NCS064.jpg

映画などでも有名なのがこのMustang Mach 1というモデルで、この個体はその最高峰とも言える429cu.in.のV8エンジンにラムエアチャージャーを搭載したモデルで、1971年の1年間のみ生産された希少モデルです。そして「売約済」の札が下げられていました(苦笑)。

NCS065.jpg

とにかく会場ではMustangの展示車が多く、アメリカ車は年式によって細かい差異があるために見ていて飽きません。現在のMustangは随分と過去のイメージをうまくリデザインしていると思いますが、やはりオリジナルデザインに勝ることはできないことを再確認できました。

NCS066.jpg

アメリカン・グラフィティの世界を堪能できるのがこのCHEVROLET Bel Airではないかと思います。特にこの初代のベル・エアはそのサイズも手頃で、1950年代のアメリカ車のデザインエッセンスが詰まったクルマだと思います。

NCS067.jpg

NCS068.jpg

私のとってベル・エアのイメージはこの個体で、スカイブルーとホワイトのツートーンが一番似合っていると思います。もちろんそれはカリフォルニアの太陽の下になければならず、自分で所有するのはあまりに気恥ずかしいのですが、この展示車は素晴らしいコンディションでした。

NCS069.jpg

NCS070.jpg

NCS072.jpg

アメ車と言えばピックアップ・・・という方も多いのではないかと思いますが、今回の展示車の中では殆ど見かけませんでした。唯一の展示車?がこのDODGEのモデルで、残念ながらその内容については良く分からないのですが、そのスタイリングは異彩を放っていました。

NCS071.jpg

アメ車はどーも・・・という方でもコブラが嫌いという方はいないのではないでしょうか。とかく曲がらない、パワーだけ、大味などと評されるアメリカ車のスポーツカーの中にあって、このコブラだけは別格扱いで、その暴力的なパワーもイギリスのAC Aceをベースとしているために認められているようです。しかし、その感覚はアメリカ人にとっても同様で、ヨーロッパ車のコンパクトなボディにアメリカ製のハイパワーV8を搭載したら・・・という単なるクルマ好きの考えそうなコンセプトから生まれたのがこのSHELBY Cobraです。

NCS073.jpg

NCS074.jpg

コブラと言えば殆どの方がこの427コブラを思い浮かべるのではないでしょうか。確かに初期の289ユニットを搭載したスリークなボディではなくこのグラマラスなボディの方が迫力があることも確かだと思います。

しかし、究極のコブラはこの427ではなく、こちらです。

NCS075.jpg

SHELBY Daytona(Cobra Daytona Coupe)と呼ばれているのがこのクーペです。
デイトナ・クーペはシェルビーがル・マン24時間レースでフェラーリに勝つために開発し、たった6台のみが製造されたレーシングモデルです。
そして1964年のル・マンではフェラーリ250GTOを制して優勝したのですが、仮に売り物があれば、フェラーリ250GTOよりも高値がつくほど貴重なクルマです。

NCS078.jpg

実はこの展示車はその6台の内の1台ではなく、SHELBYによって再生産されたリプロダクションモデルです。
ご存知のようにこれまでもコブラは様々なメーカーがレプリカを製作して来ました。それは外見だけコブラに似せたものから、忠実にコブラを複製したものまで様々だったのですが、SHELBY社が新たに再生産を始めると、その由緒とクオリティから他のレプリカモデルを淘汰してしまいました。

NCS082.jpg

今回SHELBY Asia社が持ち込んだ各モデルは、もはやレプリカというレベルではなく、再生産モデルと言って良いクオリティでした。ちょうどロータス7とケーターハムの関係と言えば分かりやすいでしょうか。それは当時のコブラをベースに近代化を加えたモデルで、スーパー7と同様にコブラというクルマがある種エバーグリーンな魅力を持っていることの証ではないかと思います。

NCS081.jpg

その中にあってこのDaytona Coupeの出来栄えは素晴らしく、「本物」を手に入れることが実質上不可能な今にあっては、限りなく「本物」のDaytona Coupeを現代の公道でドライブすることができるこの展示車は、ひょっとしたら本物以上に魅力的かも知れません。

NCS076.jpg

エンジンはフロントミッドシップに収められているところも実車に忠実で、このクルマが何かを妥協したレプリカではなく、まさに再生産(リプロダクション)モデルであることが分かります。

NCS077.jpg

ホイールも現代のタイヤを履きこなすためにインチアップされていますが、ちゃんとハリブラント製のマグネシウムホイールを再現しています。

NCS079.jpg

ラジエーターの熱はエンジンルームには流れずに外部に放熱されるようになっているところもオリジナルと同じです。

NCS083.jpg

コクピットは一番近代化されている部分だと思います。それでもメーターの配置などは極力オリジナルに忠実に配置されています。

NCS080.jpg

こうして細部を見ていただくと、このクルマが市井のレプリカメーカーによるモデルではなく、オリジナル以上のクオリティを持ちながら、オリジナルに忠実に製作されたモデルであることがお分かりいただけるのではと思います。
仮にオリジナルがあったとしても、それを現代の公道で走らせることは叶わないでしょうから、このリプロダクションは当を得ていると思います。

個人的には今回のBest of ShowがこのDaytona Coupeでした。正直・・・欲しいです(笑)。

続いて意外に少数派であったヨーロッパの旧車をご紹介しましょう。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク

饒舌な親友 ~LANCIA Delta Integrare 16V Evoluzione Ⅱ試乗記 その参~

辰巳PAでは休憩と共に、それまでのテストの感想をメモしたり、新たな疑問点を頭の中で整理してからまた出発です。

RDELTA012.jpg

そして9号線を箱崎JCTに向かって走っているときに例のアンダーステアの謎がようやく解けました。
それは何台かのクルマを追い抜いたときで、交通マナーとしてはいささか良くないことですが、走行車線と追い越し車線の両方をジグザグに走行せざるを得なかったときに、明らかに今まで感じていたアンダーステアを感じなかったのです。
それは電動パワステか・・・?と思うほどの豹変振りで、それまでのゆっくりしたステアリング操作のときに感じていたアンダーステアが、クイックなステアリング操作を行うとニュートラルステアに変わり、思ったとおりにクルマの向きを変えることができたのです。

面白くなった私は道路が空いた場所で高速レーンチェンジを試してみました。
すると、4WDの安定したトラクションと高いシャーシ剛性に加えて、素晴らしいサスセッティングの全てがバランスされていることを感じることができ、水平移動しているのか?と思うほどにクルマは右へ左へとボディの揺り返し、所謂「お釣り」がなくレーンチェンジをすることができるのです。

RDELTA017.jpg

そして極め付きは箱崎JCTから環状線(C1)への合流路でした。首都高を走ったことのある方はご存知だと思いますが、首都高環状線はJCTの合流路だけでなく逆バンクのカーブが多く、雨の日などにオーバーズピードで突っ込むと随分と怖い思いをすることがあります。そもそもどうしてこのうような設計をしたのか・・・と思うのですが、考えて見れば首都高環状線は東京オリンピックを目指して造られた道で、当時のクルマの性能を基準としたのであれば、カーブにバンクをつけて設計する必要はなかったのでしょう。それを抜本的に改修せずに、スリップ防止のためかザラザラした高μ舗装を施したりするので、余計にタイヤグリップが変化してしまい、雨の日などは余程路面のことを知っていないとかえって危険な道路なのですが、その逆バンクの合流路を結構なスピードで走り抜けることができたのです。ゴムも硬化して山は5分山程度のBS Playzは、この路面では相当なロードノイズを発生させますが、クルマそのものは物理の法則に抗いながらも全く破綻の兆しはなく、切り込んで行った舵角はそのままで、アクセルコントロールでクルマの挙動を安定させることができました。

では、今までのステアリング操作とは何が違ったのでしょう・・・。それはどうやらステアリングの切り始めのスピードで、アクセル開度を一定にして少しづつ切り増しをして行くようなステアリング操作をしたときのデルタは安定志向で、反対に一気に舵角を与えるようなステアリング操作をしたときにはまさに、「人馬一体」の動きをするのです。
それはあたかも「人感センサー」でも仕込んであるのかと思えるほどで、のんびり走りたいと思っているときにはゆっくりとした挙動を示し、「やる気」になっているときにはそれに応えてくれるのです。

さらにそれを確かめるべく、合流した環状線(C1)の銀座から新橋までの入り組んだ細かいカーブを「やる気モード」で走って見ました。すると、やはりこれがデルタだよなぁ・・・という気分を味わうことができました。
これは高速のS字カーブを抜けるときに顕著で、荷重移動がスムーズに行われるために安心して踏んで行くことができます。特にデルタはアクセルオン時の挙動がナチュラルで、ステアリング操作に加えてアクセル開度を組み合わせることにより、アンダーステアからニュートラルステア(弱オーバーステア?)までを自由にコントロールできることが分かりました。
これは病み付きになる楽しさですが、ドライバーの快楽のためと言うよりもラリーマシンには必要不可欠なセッティングなのかも知れません。

では、ブレーキは?と言うと、これまた現代のクルマに慣れている方にはちょっと頼りないと感じるかもしれません。
デルタのブレーキは踏力でガツンと効くタイプではなく、ブレーキペダルのストロークに応じて効くタイプのセッティングです。すなわち止めるためのブレーキと言うより、スピードコントロールのためのブレーキと言うことができます。決して制動距離が長いという意味ではなく、ラリーにおいてはそちらの方が重要であるための合目的なセッティングですので、アクセルのオンオフに加えてブレーキを使うとさらに面白いようにクルマの挙動をコントロールすることができるのです。

この二面性は実に有難いセッティングで、日常使いのクルマがいつもシビアな挙動をするものだと、疲れていたり気持ちが盛り上がっていないときなどは、その運転で余計に疲れてしまうのですが、デルタはそのドライバーの両方の状態に最適の挙動で応えてくれるのです。
技術的にどうしたらそれが可能なのかは良く分かりませんが、昨今の電子デバイスを一切使わずにそれが実現できていることは本当に驚くべきことだと思います。

RDELTA013.jpg

そして、個人的なオススメなのですが、デルタを初めて手に入れる方は、最初はタイヤを新調せずにまずはデルタに慣れることをオススメします。デルタのシャーシーは充分な余力がありますので、タイヤグリップがなくなってもまだステアリング操作でクルマの体勢を維持することができます。低い速度領域で充分デルタの挙動を理解してからタイヤを新調すると、どこまでがタイヤのお陰か・・・が分かると思います。

繰り返しになりますが、デルタにはABS以外のアクティブうんにゃら・・・や可変制御ダンパーなどの電子デバイスは一切ありません。それはすなわち、自分自身のドライビングミスを助けてくれるのは、デルタのメカニカルなシャーシーダイナミクスしかないということです。大切なデルタで事故を起こさないためにも、まずは自分のドライビングスキルとデルタの限界との関係を見極めるために、ボロいタイヤでわざと限界領域を下げてチェックしてみてはいかがでしょうか。

RDELTA014.jpg

汐留のチッタナポリに行こうと思ったのは、寺島社長のところに送られてくるイタリアのデルタオーナーの写真に影響されたからで、イタリアの街並みとデルタとのコンビネーションが実に素晴らしかったからに他なりません。
早朝のチッタナポリは私だけでなく、雑誌の取材か他にもクルマの撮影をしているグループがいましたが、お互いに撮影場所を譲り合いながら無事に様々な写真を撮ることができました。相手は機材も立派なプロカメラマンであることに対して、こちらはシロートのコンクパクトカメラによる撮影ですので、写真の出来栄えは比べるべくもありませんが、モデル(被写体)はこちらの方が上手であったと自負しています(笑)。

RDELTA015JPG.jpg

ここまでのテストドライブでデルタの本質が少し分かって来ましたので、ここから第三京浜の都筑PAまでは少しお楽しみドライブとすることにしました。札の辻交差点から下道でレインボーブリッジを渡り、湾岸線に乗ったらK3-K2経由で第三京浜の目的地までは、今までの環状線と違って高速でのデルタの挙動を楽しむことができるルートです。

都筑PAでのミーティングの後は少しワインディングを試すために、横浜横須賀道路を走って湘南国際村周辺のワインディングを経由して逗葉新道を使って都内に戻って来ることにしました。
テストドライブという意味ではこのルートは最早余計だったかも知れません。今までのルートでデルタが懐の深い、真のドライバーズカーであることは充分分かりましたので、それを再確認するために走っただけのことになってしまいましたが、お陰でこのルートを走りながら、何故、デルタが走って楽しいのか・・・。他の走って楽しいクルマと何が同じで何が違うのか・・・について考えることができました。

RDELTA018.jpg

私達のようなクルマ好きにとってクルマは人間のようなところがあります。ですので、人間同士に相性があるように好きなクルマも人それぞれだと思います。

「かしこまりました。ご主人様。」という家政婦のように、御願いしたことをちゃんとやってくれるクルマが好きな方もいるでしょう。

現代のクルマはさしずめ優秀な執事のようなもので、「旦那様のことは私が一番存じ上げております」と、こちらが黙っていても必要なことを見越してやってくれることを心地良いと感じる方もいるでしょう。

反対に全く言うことを聞かず、わざとじゃないか・・・と思うほどこちらを裏切り続けるのですが、ふとした時に最高の表情を見せてくれるツンデレの恋人のようなクルマが好きな方もいるでしょう。

RDELTA019.jpg

じゃあデルタは何だろう・・・と考えたのですが、その結論は「饒舌な親友」でした。
デルタはこちらの気分をちゃんと察してくれますが、決して黙って見ていてはくれません。いつもちゃんと話しかけてくれ、こちらもその話を聞く耳を持つ必要があります。そしてお互いのその会話がかみ合うと、その時間は親友とバーのカウンターで交わす人生についての話のように、実に芳醇で含蓄に富み、後味の良い時間を過ごすことができるのです。

恐らくデルタのオーナーは乗るたびにデルタとのその芳醇な会話を楽しんでいるのでしょう。ラリーウェポンとしてのデルタは単なる一面でしかなく、オーナーカーとしてのデルタはその爪も牙も単に喧嘩の強い友人の武器であり、一番楽しいのはその友人との会話なのだと思います。

今まで何人ものデルタオーナーにお話をお伺いしたのですが、皆さんが購入のきっかけとして挙げていた「WRCの活躍」は単なるきっかけで、手に入れてからのこの濃密な関係についてあまり語られなかったのは、親友の素晴らしさを他人に語るのが気恥ずかしかったのか、どうせ話しても分からないだろうと思ったのかも知れません。
もし、私自身がデルタのオーナーであったなら、気恥ずかしくて話さなかったでしょう。

デルタは一生の親友となり得るクルマです。もちろんあなた自身もその親友にとって「語るに足る」友である必要もあるのですが・・・。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イタリア車 - ジャンル:車・バイク

隠された爪 ~LANCIA Delta Integrare 16V Evoluzione Ⅱ試乗記 その弐~

今回のデルタ試乗(名前が長いのでこの記事でのデルタとはDelta Integrale 16V Evoluzione Ⅱのことです)はいつもの初期化のためのテストドライブと異なり、そのクルマがどういうクルマなのかを感じるための試乗ですので、自分のアタマの中のチェックリストを一旦白紙にして、クルマの状態を把握するのではなく、様々なシチュエーションでのクルマの挙動を重点的にテストすることにしました。
しかし、今や新車の試乗車がない以上、このデルタの魔力の謎を探るためには、リセットデルタのような限りなく新車に近い個体でなければ、私のようなシロートドライバーではそれがそのクルマの味なのか個体差によるものなのかが分からないため、今回の機会は願ってもないことで、中古車であることから逆算してそのクルマの新車の状態を想像するという必要がないことは本当に有難いことです。

RDELTA001.jpg

借り出したリセットデルタは、エヴォルツィオーネⅡという最終モデルの中でもジアラ(黄色)という220台限定で製造されたモデルでした。
今回の試乗のメニューの中には「白金台アルファロメオクラブ」が主催する「朝カフェ」という日曜日の朝のミーティングで皆さんに見ていただくという目的もありましたので、その前日の夕方に借り出すことにし、自宅の駐車場に戻るまでの間、ちょい乗りで街中を少し走って見ることにしました。

RDELTA002.jpg

私の体格は身長180cm、体重75kgと大柄で、手足の長さはこれまた標準的なアジア人の長さ(つまり白人に比べて短い)だと思います。
そんな私が今まで乗り継いできたイタリア車の多くはドライビングポジションが自然に決まらず、どこか無理やり身体を合わせなければならなかったのですが、デルタの運転席に乗り込み、シートポジションを合わせるとそこにステアリングがあれば・・・と思うところにステアリングがあり、このくらい膝を伸ばしてペダルに届けば・・・と思うところにABCペダルがあるという理想的なポジションを取ることができます。

RDELTA006.jpg

シートはレカロ製のもので、サイドサポートがしっかりしており、自然に腰が固定されるために少々ハードなドライビングをしても身体が持っていかれることもないでしょう。

私がドライビングポジションを合わせた状態でのリアシートです。

RDELTA005.jpg

新車をショールームなどで検分する際に、私が真っ先にテストするのがこれで、カタログで車内寸法を見ても良く分かりませんので、自分のドラポジで合わせたフロントシートの後ろのリアシートに同じく私がどのような姿勢で座ることができるかが、私にとってその4シーターキャビンの良否を判断する材料となります。

膝には余裕がありませんが、短い足のおかげで(苦笑)、膝を斜めにせずに後席にも座ることができます。ヘッドルームもちゃんと余裕があり、このサイズの4drHBとしてデルタはなかなか優秀なキャビンルームを有していると思います。

RDELTA007.jpg

RDELTA008.jpg

室内の造りはこの時代のイタリア車としては標準で、現代のクルマのような立体的なダッシュボードの造型や、クレジットカードも入らないほどの各パネルの合わせなどは望むべくもありませんが、反対に現代のクルマにはないプリミティブなスポーツセダン(4drHBですが・・・)特有の空間があります。インパネのデザインはともかく、その照明は時代を感じさせるもので、現代であれば当たり前の各メーターの透過照明がなく、メーターパネル全体を照らすランプがついているだけです。これでは真っ暗な夜道を走るのであればともかく、都会の明るい夜道ではインパネの照明は無いに等しく感じます。

RDELTA003.jpg

左右に配置されたスピードメーターとタコメーターは各々の針が向かい合って見えるように配置されています。つまり左のスピードメーターの針は9時が始点で時計回りに上がって行き、一方で右のタコメーターの針は3時を始点として上がって行きます。これは演出と言うよりデルタのようなスポーツマシンのドライブには必然的な装備で、互いに始点が水平に配置されているために、ドライバーは最も有効なトルクバンド上の回転数とスピードの両方を一瞥しただけで見ることができます。そしてパネル正面にはブースト計が鎮座しており、常に視界に納めることができるのも、このクルマが常に最も効率よくパワーを出し続けねばならないラリーマシンであることを感じさせてくれます。
デルタのメーターは「適当に」配置されているのではなく、その種類と配置はドライバーにとって必要なものを優先的に配置した結果であることが分かります。

ちなみに、クイック・トレーディングではこのデモカーにもリセットオプションの一つであるLED照明を組み込む予定とのことですので、この照明の暗さは随分と改善されると思います。

RDELTA004.jpg

走り出してすぐに感じる点はシフトの剛性感です。アルファ・ロメオのシフトフィールはお世辞にも良いとは言えず、どちらかと言うと「ぐにゃぐにゃ」な感触で、唯一コクッコクッとしたシフトフィールだったのがゲトラグ製のMTを装備したアルファ164Q4でした。
しかし、デルタのシフトフィールはそのゲトラグを凌ぐ剛性感で、シフトゲートも短く、確実に各ギアにエンゲージすることができます。思わずクイックシフターでも入っているのかと聞いたほどのショートストロークなのですが、人間の感覚にマッチしており、とても気持ちの良いシフトでした。

次に感じたのは残念ながらボディからの軋み音でした。しかし、街中のチョイ乗りではこれがシャーシーを含めたモノコック全体の問題なのかが分かりませんので、次の日の本格試乗のチェックポイントにすることにし、この日は早々に駐車場にクルマを納めることにしました。
それにしても、私の駐車スペースには様々なクルマが入れ替わりで駐まるために、ご近所の方は私がクルマ関係の仕事をしていると思っているようです(苦笑)。

翌日は夜明けと同時に駐車場をスタートして「朝カフェ」の会場である第三京浜の都筑PAに向かうまでの間とその後にテストドライブをすることにしました。
その最初のルートは首都高5号線中台入口から板橋JCTを経由して中央環状線(C2)で南下。葛西JCTから湾岸線を経由して辰巳PAで一旦休憩。9号線で都心に戻り、箱崎JCTを経由して環状線(C1)に入り、新橋ランプを降りて汐留のチッタイタリアで車両撮影をこなすというルートで、休日の早朝でクルマが少ない場合には、ここまでの間でも結構様々なテストをすることができます。

RDELTA009.jpg

まずはガソリンスタンドに立ち寄り、テストドライブの大前提となるタイヤの空気圧のチェックと、自分の朝食の買出しです(笑)

そして首都高に乗って少し走ると昨晩の疑問が氷解しました。
デルタのボディはフルモノコックとは思えないほど、シャーシーと上モノが別の仕立てです。すなわち、ストラットを含むシャーシーの剛性は高く、フロアが変にグニャっとしたりする感覚は一切ありません。しかし、一方でドアから上のボディは結構ユルく、現代のクルマのモノコック全体の高剛性とは全く違うものでした。

カタログデータを見るとデルタの車重は1,340kgで、現代の基準で見ると充分に軽いのですが、聞けばワークスデルタはホワイトボディを酸漬けしてさらに鉄板を薄くして軽量化し、最終的にはトータルで200kg以上減量したそうです。ワークスデルタは車内にロールケージを張り巡らせるのですから、大切なのはシャーシー(フロアパン)の剛性で、上モノはどーでも良いのでしょう。
車内は結構ガタピシ言いますが、それがボディ全体が緩いことによる音ではなく、この辺りからまずこのクルマがホモロゲーションモデルを出自にしていることが窺われます。

RDELTA010.jpg

RDELTA011.jpg

フロントストラットには標準のタワーバーが装着されているのに加えて、リアにはクイック・トレーディングのオプションパーツであったタワーバーが装着されています。この2本のタワーバーがシャーシーの剛性に大きく寄与していることは言うまでもないでしょう。

次のチェックポイントは板橋JCTの緩い下りの合流カーブです。
ここでデルタの意外な面を見ることになりました。それはステアリングで、ゆっくりとステアリングを切り増ししながらコーナーを曲がっているときに鈍重?と思えるほどのアンダーステアを感じたのです。
切っても切っても曲がっていかない・・・というか、途中で切り増しをしないとラインをトレースできないほどだったのですが、最初はアルファ164Q4のヴィスコマチックのような電子制御が一切ないフルタイム4WDなのでこんなもんか・・・と思ってしまいました。

ちなみにタイヤサイズはノーマルの205/45/16で、BSのPlayzというすでに賞味期限の終わったタイヤが装着されていました。しかし、このボロタイヤ(苦笑)のお陰でかえってクルマの特性が際立ち、さらにテストドライブを安全に行わせてくれることをこの後に知ることになります。

中央環状(C2)に入るとアップダウンの続く緩いワインディングで、サスの追随性をチェックすることができます。ノーマルのデルタの足回りは決してガチガチなセッティングではなく、こうしたアップダウンのカーブでもトラクションが抜けたりすることはありません。むしろ安心して踏んでいける足回りだと思います。ある程度の乗り心地を確保しながらのこのサスの仕事は流石で、ストラダーレとして絶妙のセッティングだと思いました。しかし、緩いワインディングでのアンダーステアは相変わらずです。

江北JCTからのC2は殆ど直線で、チェックするポイントは高速走行時の走行安定性くらいしかありませんが、ホイールベースがたった2,480mmしかないデルタは安定して真っ直ぐに走ることができます。特筆すべきはエンジンの特性で、シフトダウンして加速をしても過激なターボラグは一切ありません。最初はターボが死んでいるのかと思ったほどナニゴトも感じないので、思わずブーストメーターを見たほどです。
ターボチャージャーの過給を感じることができるという点では、私のテーマの方が遥かに過激なのですが、一方でスピードはちゃんと出ていますので、どうやらこのデルタのターボはマイルドなセッティングをされているようです。

これも後から聞いたのですが、エヴォルツィオーネⅠはもっと過激なセッティングとのことですから、ランチアはWRCから引退した後のモデルであるこのエボルツィオーネⅡには、一般ユーザーの乗り易さ重視のセッティングをしたのでしょう。それでもエンジンの最高出力はこのエボルツィオーネⅡの方が高いのですから、おそらくターボチャージャーの耐久性に関してはこのエボルツィオーネⅡの方が優れているのではないかと思います。
しかし、それは遅いという意味ではなく、ターボチャージャーの過給を感じながらの加速ではなく、「いつの間にか」ちゃんとスピードは出ていますので、ランチアのその「お気持ち」は有難いのですが、これでは却って免許が危ないかも知れません(笑)。

そしてこの後のテストで、それまでずっと感じていたアンダーステアが単に「隠された爪」であったことが分かりました。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イタリア車 - ジャンル:車・バイク

魔力の謎 ~LANCIA Delta HF Integrare 16V Evoluzione Ⅱ試乗記 その壱~

1986年5月2日。WRCラリー選手権、ツール・ド・コルスの2日目。
この日がこれからご紹介するLANCIA Delta HF Integrale 16V Evoluzione Ⅱが生まれるきっかけの日でした。
そしてこの日は稀代のラリードライバーHenri Toivonenの命日でもあります。

当時グループBカーで争われていたWRCのチャンピオンシップはその性能が過激になりすぎてしまい、事故が頻発するようになっていました。
グループBは1981年からFISA(国際自動車スポーツ連盟)によって規定された市販車をベースとした改造車のカテゴリーで、連続する1年間に200台の製造が必要でした。しかし、実際には市販車をベースに改造したのではどんどん戦闘力がなくなって行き、各メーカーは言い訳程度にその外観を市販車に似せたものの、車体は完全に専用設計し、その性能はもはやWRCのような公道を走るには危険すぎるものとなっていたのです。

DeltaS4.jpg

彼がドライブしていたのはLANCIA Delta S4で、名前こそデルタと呼んでいましたが、その中身はチューブラーフレームにミッドシップエンジンと、市販車のデルタとは全く異なった設計で、その過激なエンジンチューニングとあまりに低すぎるパワーウェイトレシオ(2kg/ps以下)のために、プロのラリードライバーでも乗りこなすことが難しいクルマでした。
そしてアンリ・トイヴォネンは、かの名ラリードライバーであるマルク・アレンをして、このデルタS4を乗りこなせる唯一のドライバーと言わしめたほどの名手であったのですが、その彼はSS(スペシャル・ステージ)18のコルテ-タベルナ間のコース上7km付近の左カーブでコースオフし、そのまま崖下へ転落してしまいます。
車体側面を木の幹が貫き、クルマは炎上し、後続のブルーノ・サビーとミキ・ビアシオンが車を停めて必死の救助を試みるものの、燃えやすいマグネシウムホイールを装着し、ケブラー樹脂とプラスチックで覆われたデルタS4の車体はあっという間に全焼してしまい、コ・ドライバーのセルジオ・クレストとともに還らぬ人となってしまいました。

FISAはこの事故のわずか2日後に翌年からのチャンピオンシップをグループBからより市販車に近い、改造範囲が限られたグループAに移行することを決定します。
しかし、ランチアはグループAに適合する市販車をデルタしか持っていませんでした。

Delta GTi.e.

LANCIA Deltaは1979年に発表されたランチアの小型ハッチバック(ノッチバック版はPrisma)で、発表からすでに7年が経過し、モデルとしては末期を迎えたクルマでした。
しかし、ランチアはそのデルタにトルセン式のセンターデフを持つフルタイム4WDを搭載し、それまでHF Turboに搭載されていた1.6LのDOHCターボエンジンを2.0Lに拡大して搭載したHF 4WDを急遽開発します。
ランチアのワークスはその実質はマシンの開発からレースの運営までを行うことのできるABARTHのグループが担当しており、彼らにとっては制約の多い市販車をチューンアップし、そのベース車から想像も出来ないようなパフォーマンスを引き出すことはまさに「お家芸」で、彼らはこの7年オチのベース車であるデルタを見事にWRCで戦えるマシーンに変貌させてしまいます。

Lancia-Delta_HF4WD.jpg

Delta HF 4WDはこうしてグループA元年である1987年のWRCにデビューします。そしてライバルであるAUDI 200 Quattoro、Ford Sierra XR4X4、MAZDA 323 4WD、などの他社の4WDを蹴散らして年間タイトルを獲得します。

Delta Integrale

ランチア-アバルトのワークスはさらにデルタの改良を重ね、翌1988年の途中にはブリスターフェンダーでトレッドを拡大し、エンジンもよりパワーアップしたDelta HF Integraleを投入し、またも年間タイトルを獲得します。
さらに1989年にはこれまでの8VのDOHCエンジンを16V化したDelta HF Integrale 16Vを投入し、3年連続でWRCの年間タイトルを獲得することに成功します。この時点でベース車のデルタは発表から10年が経過したモデルで、一方他社が続々と新型モデルを投入してくるのに対しての3年連続の勝利というのは、前代未聞のことでした。

そして、ランチアの勝利はこれに留まらず、さらに1990年、1991年と連続で年間タイトルを獲得するに至って、他のチームは、一丸となって「打倒ランチア」という布陣を引いて戦っていたのですが、一方のランチアはジレンマに陥っていたのです。
それは発表から12年が経過し、市販車としてはマーケットでの競争力を失っているデルタがどれだけWRCで勝利してもその販売には寄与せず、むしろ次期モデルの開発と市場への投入を難しくしていたのです。
すなわち、モデルチェンジした新型デルタを発売したならば、引き続きWRCに参戦してそれまでのデルタの勝利を引き継がねばならず、もしそこで勝つことができなければ、市販車としてどんなに新型デルタが優れていたとしてもユーザーは失望し、販売は伸び悩んでしまうだろうということです。
ランチアにとってデルタの勝利は新型デルタを葬り去ることとなってしまったのです。
そこでランチアが下した結論は、デルタのWRC参戦を会社と分離してプライベートチームであるJolly Clubに任せ、自分達は陰でマシンの改良を行い、表面的にはランチアはWRCから撤退したという体裁をとるというものでした。また当時のランチアの経営状態はWRCにうつつを抜かしているような状況ではなく、親会社であるFIATは強行にWRCからの撤退を要求していたことも背景にあったと言われています。

Delta Integrale Evo1

そんな中にあって1992年にHF Integrale 16V Evoluzioneは生まれます。それまでのブリスターフェンダーは完全にボディと一体化され、車体の剛性はさらに向上し、各部のリファインとさらに強化されたエンジンを持つこのエボルツィオーネは、そのベースモデルであるデルタが発売されてから13年後のWRCでさらに年間タイトルを獲得するのです。

こうしてデルタのWRCでの戦いは終わりました。
ランチアは完全にWRCから撤退し、デルタの6年連続WRCメイクスタイトル獲得は前人未到の伝説となりました。

そしてデルタのストーリーは終わるかに思えたのですが、ランチアはWRCから完全に撤退した1993年に「最後の」デルタを発売します。それはWRCを戦うためのホモロゲーションマシンではなく、その6年間の戦いを支えてくれたユーザーに向けた感謝のモデルで、最大出力をさらに向上させ、ホイールはインチアップされて16inchとなり、各所に様々な改良が施されたHF Integrale 16V Evoluzione Ⅱは1995年まで生産され、本当にデルタのストーリーは完結することになるのです。

Delta Integrale Evo2

現在でも多くのユーザーに愛され、また新たなオーナーを生み出しているデルタを語る上で、このWRCでの活躍は無視できない背景ですし、実際にWRCに参戦したからこそ、本来ならばとっくにモデルチェンジされていたはずのデルタが、その性能においてライバルとなる他社の新型車に対して常にアドバンテージを持ち続けて来たのだと思います。
そして、全てのデルタオーナーがそれを誇りに思うと同時に、購入したきっかけの一つとして挙げているのは尤もなことだと思います。

しかし、その事実を素直に認めたとしても、この記事を書いている現在、基本設計が33年前の何の変哲もない小型5ドアハッチバック車であるデルタを、そしてさらにそれが最終モデルであったとしても、その製造から17年が経過した立派な?中古車を、これほどまでの高値で購入するユーザーが後を絶たないことの理由としてはあまりに希薄です。
しかも、ユーザーの殆どはデルタをアルファ・ロメオのジュリアスプリントのようにセカンドカーとして保有するのではなく、ファーストカーとして使用するために購入しているのです。

私自身はクイック・トレーディングが主治医であるために、ずっと身近にデルタを見て来ました。
あるときは見るも無残なオンボロを、そしてリセットカーというコンセプトでデルタを新車以上のコンディションにリビルトし始めてからは、エンジンを下ろされてイタリア品質の配線や配管が剥き出しになった部品取り車のようなデルタが、やがて新車と見紛うような上物に変って行く様子を見続けてきました。
しかし、そのことがかえってデルタを味わうチャンスを遠ざけていました。敢えて言うなら、私自身がそれほどデルタに興味がなかったからなのかも知れません。

しかし、多くのデルタオーナーと親しくなるにつれ、これほどまでにデルタが愛される理由に興味が湧いてきました。つまり一般人がおおよそ理解できないであろう私のような変態オーナーですら理解できない(笑)、何か得体の知れない魔力がデルタにあるのではないか・・・と思い始めたのです。それはきっと、オーナーにとって「WRCのチャンプマシンを保有する喜び・・・」などという通り一遍の理由ではないはずです。
これまで、出来上がる傍からオーナーの許に嫁いでいたリセットデルタですが、ようやくデモカーが出来上がったのを機に、そのデルタの謎を私なりに解き明かしてみようと思い、このリセットデルタを借り出すことにしました。

過去の記事でも書きましたが、私がテストドライブを行うときには最低でも半日程度の時間を使って、街中、高速道路、ワインディングと一通り走ってみることにしています。私自身はあくまで素人のアベレージドライバーで、レーサーや自動車ジャーナリストの方々のように一瞬でそのクルマの本質を見抜くような力はありません。ですので、それを少しでも補うためには長い時間乗らなければならないのですが、今回の試乗でデルタが愛される理由がほんの少しだけ分かった気がしています。

次回からの記事で、私なりに感じたデルタの魔力について書いて見たいと思います。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イタリア車 - ジャンル:車・バイク

お台場の旧車三昧 ノスタルジック カーショー~その参~

スーパーカーと言えばこのクルマでしょう。
恐らく、子供からオトナまで・・・そして、現代の目で見てもナニモノとも違うそのスタイリングはやはり永遠のスーパーカーとしての資質を持っていると思います。

そのLAMBORGHINI Countach LP400もミウラと同様に全て御開帳して展示されており、そのコンディションはミウラ以上に素晴らしいものでした。

NCS040.jpg

NCS044.jpg

カウンタックはその後にマイナーチェンジされ、最終的にはオーバーフェンダーやリアウイングなどが装備されたアニバーサリーという最終モデルも展示されていましたが、やはり一番美しいのがその初期モデルであることが良く分かります。

NCS041.jpg

NCS042.jpg

エンジンルームもご覧の通りです。それは単に磨き上げただけのものではなく、きちんとメンテナンスされたメカニズムが持つ美しさで、このカウンタックもきっとナニゴトもなく走るのだろうと思いました。

NCS043JPG.jpg

こちらはLANCIA Storatosでそのスタイリングからスーパーカーと呼ばれ、その括りで見られていましたが、WRCラリーに参戦するために造られた"Purpose Built"カーで、スーパーカーとはちょっと違うと思います。

NCS045.jpg

ストラトスのロードゴーイングモデルはあくまでグループ4規定の「連続した12ヶ月に400台を生産したモデル」という条件をクリアするために製造されました。

NCS046.jpg

しかし、実際は搭載するDinoのV6エンジンの供給が途絶えがちで、その製造は遅れて、本当は400台も生産されていないのではないか・・・と疑われているのですが、1974年にようやくホモロゲーションを獲得し、それ以降このストラトスはWRCで快進撃をすることになります。

NCS047.jpg

この個体も全てに手が入っており、当時のランチアが手を抜きまくったストラトスのロードゴーイングモデルの「後始末」をちゃんと行っていることが窺われます。

NCS048.jpg

FERRARIがミッドシップに移行する過渡期のモデルがこの330GTCで、現在のフェラーリ主力モデルがまたフロントエンジンに戻っていることから、「静かに」人気が上がってきているモデルです。

NCS049.jpg

330GTCはあくまでGTで、この個体のような渋いカラーが似合います。日本もそろそろフェラーリは「赤」から卒業しつつあるのは喜ばしいことだと思います。

そのご近所には違う業者がスーパーカーを並べていたのですが、これらのクルマが「ノスタルジックカー」か・・・と言われるとちょっと違うのではと思いました。

NCS050.jpg

私にとってFERRARI F50はノスタルジックでも何でもないのですが、考えて見れば発売は1995年ですから、もうすぐ20年!。歳は取りたくないものだとしみじみ思ってしまいました。

NCS051.jpg

とにかくこの一角はスーパーカーショーと化しており、それ以外の展示スペースとは完全に雰囲気が異なっており、ある出展者が「あのクルマ達が来るのはおかしい」とボヤいてました。
私達見学者にとっては一度に見ることができるのは有難いことだと思っていたのですが、聞けば、出展者にとってはゆっくりと持って来たクルマについて話をしようと思っても、派手な爆音は迷惑なこともあるのでしょう。

NCS052.jpg

FERRARI ENZOも御開帳されていました。ミニチュアモデルでしか御開帳シーンを見たことがなかったので、写真を撮りまくってしまいました。

NCS053.jpg

NCS054.jpg

NCS055.jpg

こうして見ると、このクルマがF-1をベースに開発された2座のクーペであることが良く分かります。というかメカニズムはまんまF-1でした。

NCS056.jpg

PAGANI ZONDA!です。私は名前だけは知っていたのですが、実物を初めて見ました。

NCS057.jpg

このリアビューを見ると、良いとか悪いとかいう評論は不要で、ただただ凄いとしか言い様がありません(苦笑)。

NCS058.jpg

JAGUARもインポーター?が車両を持ち込んでいました。新旧のXKを並べて展示する・・・というコンセプトは分かるのですが、見学者の目はE-typeばかりに行ってしまい、新型車の方は殆ど見向きもされていませんでした。

NCS059.jpg

今回の会場で一番大掛かりな造作をして臨んでいたのがVWで新しいBeetleを展示していました。前作のビートルがデザインアイディアをそのまま商品化したら「売れてしまった」コトに対して、今回のビートルは「真剣に」デザインされており、初代ビートルに似ている必要はないのでは・・・と思わせるクオリティでした。きっと売れるんでしょう(苦笑)。

NCS060.jpg

さて、ようやく心を落ち着けて本来のノスタルジックカーの世界に入って行きたいと思います。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク

お台場の旧車三昧 ノスタルジック カーショー~その弐~

いよいよ会場へ入場したのですが、会場内にはそれほど大掛かりな造作はなく、広い駐車場に展示車とテントが立ち並んでおり、それはモーターショーなどとは比べるべくもないのですが、私にとってはモーターショーよりも遥かに気分が高揚する「お宝」が並んでいる光景には、ついつい気持ちが散逸してしまい目が泳いでしまいます(笑)。
こういうときにはまず深呼吸をして心を落ち着けてから順番に展示車を見て廻ることにします。

NCS022.jpg

入ってすぐに目に飛び込んできたのはポインター号です。私たちの世代にはあまりに懐かしいウルトラセブンの劇中車なのですが、当時はメーカーとのタイアップなどという発想はなく、前作のウルトラマンではなんと円谷監督の愛車であったシボレー・コルベアにステッカーを貼り付けただけで登場していました。その劇中車が意外に反響が高かったために、その次回作であるウルトラセブンでは、もう少しコストをかけて改造したのがこのポインター号です。

NCS025.jpg

ベース車両は1957年クライスラー・インペリアルクラウンというモデルです。写真の通りどこから見てもテールフィンがついた当時のアメリカの高級セダン(写真は1958年モデル)なのですが、このクルマを円谷プロダクションはフロント周りを改造し、リアに整流板を取り付けてポインター号に仕立て上げます。
もともとポインター号のイメージがあったのか、それともベース車ありきで、製作年度からすると10年オチの中古車屋に転がっていたこのインペリアルクラウンを見つけたからなのかは定かではありませんが、結果として出来上がったポインター号はその強烈なインパクトから当時の子供達の心を鷲づかみにし、今尚、ウルトラシリーズの劇中車の代表作としてすぐに名前が挙がるクルマです。

NCS024.jpg

番組には複数のポインター号が出てくるシーンもあるそうなのですが、それは合成で、実際に製作されたのは一台きりなのだそうです。しかし、こうして様々なイベントに登場しているこのポインター号は、円谷プロが製作したオリジナルのポインター号ではなく、個人のマニアの方が自費でレプリカを製作したものなのだそうで、その熱意には恐れ入ります。
実際のポインター号が1957年式であるのに対して、このレプリカは1958年式をベースに改造されているそうなのですが、正直、どこがどう違うのか良く分かりません(苦笑)。

その詳細に関してはオーナーのHPに詳説されていますので、興味のある方はそちらをご覧いただければと思うのですが、ちゃんと自走でフツーにドライブして家族を乗せて出かける・・・というこのポインター号には私もかつて首都高で遭遇したことがあります。渋滞でノロノロ運転する車列の中にポインター号を見つけたときには思わず二度見してしまいました(笑)。

NCS021.jpg

オーナーのサービス精神は凄まじいものがあり、デモ走行時にはちゃんとウルトラ警備隊のコスプレをしてくれます。

NCS019.jpg

室内はウルトラ警備隊の個人装備(笑)以外はいたってフツーでした。

NCS023.jpg

それにしても、1958年式のアメ車を日常で乗るのも相当大変だと思うのですが、それがこのポインター号となると街中での注目度はいかばかりかと思います。オーナーの熱意とサービス精神がなければ成り立たない所業です。

そしてもう一台の劇中車がこのバットモービルでした。

NCS026.jpg

このバットモービルはポインター号のように個人が製作したレプリカではなく、実際に映画で使われたもので、以前の東京コンクールデレガンスにも展示されたのですが、今回はデモ走行を行っていました。

NCS027.jpg

実際の走行は意外にフツーで、火を吹くワケでも爆音を轟かせるワケでもありません。同時に様々なクルマが会場内をデモ走行しており、それらのクルマ達があまりに派手な爆音だったからかも知れませんが、その外見とは裏腹に静かに走行しているのがかえって印象的でした。会場にいる間に何度かデモ走行があったのですが、人間の慣れとは恐ろしいもので、後ろをバットモービルが通り過ぎてもそれが当たり前になってしまいました(爆)。

家族をこうしたイベントに連れ出す口実として、このような劇中車を展示することは意味があり、マニア目線のこうしたイベントの雰囲気を随分と和らげていた2台でした。

しかし、今回の会場でこの2台の劇中車よりもインパクトがあったのはキャステル・オート・サービスが持ち込んだ往年のスーパーカー達でした。

NCS028.jpg

とにかく展示されているクルマ達のコンディションが素晴らしかったのがキャステル・オート・サービスで、それはすでに新車以上のクオリティでした。

例えばこのLAMBORGHINI Miuraですが、

NCS029.jpg

これだけ御開帳(笑)するのは、そのクオリティに余程自信がなければとてもできるものではありません。

NCS030.jpg

新車発売当時のミウラはLAMBORGHINIの意に反して、「やむを得ず」発売されたクルマでした。

NCS031.jpg

それはスタディモデルとして発表されたミウラの評判があまりに良く、オーダーが次々と入ってしまい、充分な開発テストを行う間もなく販売せざるを得なかったためで、新車時には様々な問題を抱えたクルマでした。

NCS032.jpg

しかし、このクルマのコンディションはレストアというレベルを超えて、そうした新車時の不安材料が解消されたリビルトと呼べる仕上がりでした。

NCS033.jpg

一方、こちらのミウラは御開帳できない事情があったのではなく、デモ走行車として用意されていたものでした。
見ているとセル一発でエンジンがかかり、アイドリングもバラつくことなく安定して12気筒に火が入っている様子は、このミウラが完全に調整されていることが伺われました。

NCS034.jpg

キャステル・オート・サービスのミウラを見ていると、街乗りのファーストカーとして使えるのではないか・・・とさえ思えてしまいます。

そしてこのコーナーではさらに驚愕のクルマ達を見ることになります。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク

お台場の旧車三昧 ノスタルジック カーショー~その壱~

ヒストリーガレージを後にして次に向かったノスタルジック カーショーの会場は、最近話題のガンダムがそそり立っているDiverCityの南側にある青海駐車場でした。
こは通常は青空の臨時駐車場なのですが、フジテレビの夏のイベントやJCCAのニューイヤーミーティングなどの会場にもなっている場所で、都内で駅からも歩いて行ける距離でこれだけのスペースを確保できる会場はそうそうないために、こうしたイベントには絶好の立地です。しかし一方で、天候に左右される青空の会場は主催者にとっては博打のようなもので、イベントを企画したことのある経験からすると実に胃が痛くなる場所でもあると思います。

お台場のクルマ関係のイベントで過去に訪れたことのあるものは、JCCAのニューイヤーミーティングと潮風公園で開催された東京コンクール・デレガンスくらいしかないのですが、いずれも好天に恵まれ、私自身は今まで酷い目に逢ったことはないのですが、今回も無風の薄曇という絶好のコンディションでの開催となりました。

会場の向かいにはこれまた巨大な臨時駐車場が用意されていますので、クルマで訪れたとしても全く不安がないのもこのお台場の良いとことなのですが、私の場合はこの来場者駐車場からイベントは始まっています。
それは会場内の展示車に決して劣らないマニアックな来場車が駐車しているためで、そんな美味しそうなオカズを前に素通りすることなぞできるはずはありません(笑)。そして気がつけば駐車場に小一時間ほどもいることになってしまい、すでに会場に入る前に充分お腹一杯となってしまうほどだったのですが、皆さん来場する時間帯もまちまちですので、駐車場でどんなクルマに逢えるかもこうしたイベントの楽しみの一つではないかと思います。

こうしたイベントの駐車場では、私のような変態な来場者も他にいるでしょうから、自分自身のクルマも「見学される」ことを前提とするのがマナーだと思っています。ですので、ちゃんと洗車してクルマを離れる際には車内も綺麗に片付けておき、さらにクルマを駐める場所も考えなければなりません。
駐車場の誘導員がいる場合はムリですが、今回は誰もいなかったために、まずはゆっくりと駐車場をくまなく走り、見学すべきクルマをチェックするのと同時に、どこに駐めると一番良いか・・・を考えるのですが、最終的にLANCIA Delta Integraleのブルーラゴスという限定色のボディカラーのクルマの横にしました(苦笑)。

NCS001.jpg

クルマを駐めたらそれまで物色?しておいたクルマを見学に向かいます。これでは車上荒らしのようですが、もしオーナーの方が近くにいらっしゃれば、ちゃんと声をかけてから写真を撮るのもマナーで、駐車場のクルマは展示車ではありませんのでそうした配慮も必要だと思います。

それでは物色した獲物?を順にご紹介して行きましょう。

NCS002.jpg

最初に目をつけた?のがこのランサーのラリー仕様です。私の年代にとってランサーと言えばエボリューションではなく、このGSRです。しかもこのクルマはオリジナルではないかと思えるほどのラリー装備で、ナンバーから推察するに新車からずっと登録されてきたように見受けられました。これがレプリカだとしたらそのエネルギーたるや凄まじいものでしょうし、オリジナルでラリーに参戦し続けてきた個体であったとしたら、それは博物館に入るべきレベルの個体でしょう。

NCS003.jpg

美しいポルシェ356クーペです。このボディカラーは実に似合っており、オーナーの趣味が窺えます。ポルシェ界の「へら鮒」と呼ばれているのがこの356で、911の原点でもあるために最後にはここに行き着く(戻る)と言われています。私自身はポルシェというクルマは認めてはいるものの、どうも今まで縁がなかったクルマですが、見るのは大好きで(笑)、この356もじっくりと観察させていただきました。

NCS004.jpg

これまた素晴らしいカマロです。おそらくレストアされたものだとは思いますが、珍しいSSのコンバーチブルです。個人的にはこの時代のMOPARと呼ばれるアメリカ車は大好きで、特に1970年のダッジ・チャレンジャーは大好物なのですが、このカマロもソフトトップの色がボディカラーとマッチしており、思わず乗り逃げしたいと思うクルマでした。

NCS005.jpg

ヒストリー・ガレージにあったほうが良いほどのコンディションのコロナ(RT20)でした。前年に発売された日産ブルーバードを打倒すべくトヨタが1960年に発表したコロナは、日本車離れをした流麗なデザインで好評を博しました。第一回日本グランプリでのクラス優勝もその販売を伸ばす後押しをしたと言われています。

NCS006.jpg

トヨタ・クラウンのピックアップです。それまでのクラウンの商用車はマスターラインと呼ばれトヨタは乗用車と商用車の車名を分けて差別化を図っていたのですが、シャシー、エンジンなど基本的なボディはクラウンと共通でした。このS50系からはステーションワゴンやピックアップもセダンと同じく、クラウンと呼ばれるようになりました。この時代のクラウンやセドリックはローダウンするとやたらと格好良く見えるのが特徴で、昔からオンボロ中古車はサーファー御用達だったのですが、現在ではそんな風に使い倒すのは勿体無いほどレストアされた素晴らしい個体を見かけるようになりました。

NCS007.jpg

NCS008.jpg

個人的に刺さった?のがこの三菱ラムダでした。父親が三菱銀行に勤務していたために、実家で初めて買ったマイカーは三菱のコルトでした。その後にコルトはコルト・ギャランとなり、さらにギャラン・シグマと三菱車を乗り継ぐことになるのですが、三菱のセダンはどれもどこか「もっさり」としており、私にはちっとも良いと思えませんでした。
父親がシグマに買い換えると言い出したときに、何とかラムダを買わせようとしたのですが、父は最後まで2ドアはダメだと聞きませんでした。後になって分かったことですが、当時の銀行には妙なヒエラルキーがあり、父がシグマに買い換えることが「できた」のは支店長になったからで、ゴルフなどで会社の人に会う際にラムダだとチャラチャラしてると思われたのだそうです。今考えると平気で若いときからアルファ・ロメオに乗っていた私を父は理解できなかったろうと思いますが、当時の日本の財閥系企業ではそれも当たり前の処世術だったのでしょう。

NCS016.jpg

数台いるのでは・・・と勝手に期待していたのですが、いすゞ車はこのべレットGTR一台だけでした。私だけかも知れませんが、最近街中でべレットを良く見かけます。絶対数は希少なのですが、元気に待中で走っているところを見ると嬉しくなるクルマです。

NCS009.jpg

NCS010.jpg

LANCIA Delta Integraleの中でも希少車と言われているこのブルーラゴスなのですが、会場にはもう一台駐まっていました。こちらはボンネットがカーボン製に交換された「やる気」仕様なのですが、Deltaは大切にノーマル状態を維持しても、こうしてチューンアップしてもサマになるのは、やはりその出自がホモロゲーションモデルだからでしょう。

NCS011.jpg

NCS012.jpg

NCS013.jpg

これも会場内で展示されていても不思議ではないX1/9でした。ボディレストアも行き届いており、全塗装されたデイトナイエロー?がとても美しい個体でした。モディファイも好感が持てるもので、シュノーケルにバンパーレス、リアスポイラーに加えてサイドミラーはセブリングといった定番のモデイファイでしたが、ひょっとするとかつてのクイック・トレーディングが販売したパーツを使用しているのかも知れません。内装もご覧の通りで、これも危うく乗り逃げするところでした(笑)。

NCS014.jpg

NCS015.jpg

イエローと言えば、このFERRARI 308GTBも美しいイエローでした。これもおそらく全塗装されたものだとは思いますが、イエローは色調の選択が難しく、オーナーも随分と悩んだのではないかと思います。

NCS017.jpg

NCS018.jpg

個人的に勝手に選ぶノスタルジック カーショー駐車場コンクール・デレガンス大賞がこのLOTUS EUROPEです。
本当に素晴らしいコンディションであることはこの写真からでも分かっていただけると思いますが、私が大賞にした理由はそのセンスです。ブラックにゴールドラインという定番のJPSカラーではなく、敢えて薄いメタリックブルーをチョイスしたそのセンスが素晴らしく、クルマのコンディションとともに駐車場内で「光って」いました。
オーナーの方がこのブログをご覧になっているかどうか分かりませんが、もし読者の方であれば是非ご連絡をいただきたいと思います。何か「大賞」を用意したいと思います(笑)。

さて、これでようやく会場に入ることができます。そして会場では先日訪れたパシフィコ横浜でのノスタルジック 2Daysとはまた異なる、凄まじい光景が広がっていました。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク

お台場の旧車三昧 ヒストリー・ガレージ~その参~

日本の自動車史において今までご紹介してきたクルマは名車と呼ばれるクルマ達でした。それは技術的に革新的であったりデザインが秀逸であったりと、何か新しいことにチャレンジしたクルマ達で、結果として少量生産しかできなかったり、レースで好成績を挙げたり、セールス成績が良かったりと名車となりうる実績が伴っています。

一方でトヨタのクラウンというクルマは決して名車と呼ばれるクルマではないでしょう。しかし、歴代のクラウンほど日本の経済成長と日本人の平均的な高級感の変遷を映し出したクルマはないのではと思います。
「いつかはクラウン」という名コピーが表していたように、クラウンは平均的な日本人の持つクルマの頂点でした。レクサスというブランドができた現在はその構図は変ってしまったのですが、それまでのオーナードライバーはようやくカローラを買えるようになり、所得が増えるに従ってコロナ、マークⅡとクルマを買い替えて、クラウンを買ったときに「ああ、オレもクラウンに乗れるようになったんだ」とそれまで頑張ってきた自分に満足したものでした。

私たちクルマ好きはクルマを絶対的な価値観で見ていますので、そのクルマの排気量や装備、価格で比べたりはしないのですが、日本の経済成長の歴史においてマイカーは自分の生活の豊かさの象徴で、クラウンが買える余裕がある人はカローラを買うことはありませんでした。そしてトヨタを始め日本のメーカーはその豊かさの「階段」に沿ったモデルをラインアップすることにより、販売を伸ばして来ました。
そしてその「階段」は以前の記事に書いたようなヨーロッパにある「階級」ではなく、日本においては誰もが頑張れば登ることができる階段であるからこそ、「いつかはクラウン」だったのです。
イタリアでもし「いつかはマゼラーティ」という宣伝をしたら、殆どの人は???となるでしょう。
すなわち歴代クラウンを見るときに、私達はその年代の日本経済の豊かさとその当時の日本人が考える「平均的」高級観を見ることができるのです。

しかし考えて見れば、そのようなコンセプトで一つのメーカーが大衆車から高級車までを生産し、その時代の要求に応じて(リードして)モデルチェンジを繰り返してきたメーカーはないでしょう。
ヨーロッパでは各メーカーが「分担して」そのヒエラルキーを維持していますし、それがブランドイメージを形成するものです。アメリカにおいてもキャデラック、リンカーンはそれをどこが生産しているかではなく、そのブランドは独立したものとして捕らえられています。
しかし、クラウンはあくまでトヨタのクラウンで、セドリックはあくまで日産のセドリックで、それを日本人の誰もが当たり前のこととして受け入れ、そのメーカーが同時に大衆車を造っていようとトラックを造っていようと気にはしませんでした。
実はこのことも日本において階級という考え方がないことの証明ではないかと思います。

MWF051_20120605135311.jpg

MWF052_20120605135310.jpg

1955年に発表されたRSD型クラウンが日本におけるハイオーナーカーとしてのスタートでした。最初から自家用車として設計され、それまでの外国メーカーのノックダウン生産ではなく、国内技術のみで製造されたこのクラウンを見たときに、「ようやく日本もここまで来たか・・・」と日本人は戦後の復興の成果を肌で感じたのではないでしょうか。
一方でそのデザインは当時の日本人に最も馴染みのあった高級車であるアメリカ車の影響を色濃く映し出しています。おそらく当時の日本人にとって高級車のデザインに対する独自の見識がなく、結果として最も馴染みのあるアメリカ車のモチーフを模倣するしかなかったのだろうと思います。
実は、このRSD型クラウンの最初期モデルはフロントガラスがスプリットウインドウとなっています。発売当事において、ガラス製造を担当した旭ガラスにその曲面に対応した強化ガラスを製造する技術がなかったそうで、是非一度スプリットガラスの実車を見て見たいものです。

MWF053.jpg

MWF054.jpg

そして1962年に発表された二代目のRS41型クラウンは、初代のクラウンとは全く異なるトヨタ独自の・・・と言うより日本独自のデザインとして発表されました。
それは現在の目で見ても5ナンバーサイズでありながら、はるかに大きく見えます。そしてその押し出しの立派さこそがこの二代目クラウンの目指したもので、フロントグリルの間を一面のパネルで設え、リアもシンプルな造型のランプを極力端に寄せて、その間を同様に一枚のパネルで覆うことにより全幅を広く見せることに成功しています。同様にボディサイドのメッキラインも全長を長く見せるためのもので、このクラウンのデザインが日本国内特有の事情を反映したものであることが分かります。

MWF055.jpg

MWF056.jpg

ところが1969年に発表された三代目のMS51型クラウンは、先代の見栄や虚勢から脱却したデザインです。
特にこの2ドアハードドップはクラウンを購入するオーナー層に精神的な余裕も出てきたことが表れています。
それまでのクラウンはあくまでコンベンショナルな4ドアセダンでなければならず、それはファミリーユースだけでなく、仕事でお客様を乗せたりするケースもあれば、冠婚葬祭などのフォーマルな場所にも乗って行かねばならない、ある種オールマイティな使い方をされなければならなかったのですが、この三代目となりようやく真のパーソナルユースとなったことが分かります。すなわち、「高級」が歯を食いしばって頑張って到達するものであった時代から、「贅沢」という生活の余裕となったことが覗われるのです。

このようにたった三台のクラウンを見ることにより、戦後の日本が歩んできた物質的、精神的豊かさの変遷が分かるのは実に興味深いことだと思います。それは単なるクルマのデザイン史ではなく、文化人類学的に考察することもできる対象で、そのためにはクラウンが最適であるところに、トヨタが行ってきた実に見事な日本経済と日本人に対するマーケティングの歴史をも見て取ることができるのではないかと思います。

さて、ようやく本来の目的であるノスタルジックカーショーの会場に向かうことにしましょう。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク

お台場の旧車三昧 ヒストリー・ガレージ~その弐~

やはりヒストリー・ガレージで一番充実しているのが国産車の展示車です。その中にはトヨタ車以外のクルマも含まれており、そのトヨタ車以外の展示車は明らかにトヨタが歴史的名車として認めたクルマばかりです。
まずは展示車のなかからトヨタ車以外のクルマをご紹介しましょう。

MWF039.jpg

言わずと知れたHONDA S600です。別にご紹介しますが、隣にはライバルであったトヨタスポーツ800が展示されていました。この二車は実に対照的な二台で、ホンダがDOHCエンジンというメカニズムにより性能を引き出していたことに対して、トヨタは大衆車であったパブリカのエンジンとシャーシーを流用しながら空力と軽量化に優れたボディによりライバルとして拮抗していたことはこの両社のクルマ作りの哲学の違いを明確に表しています。

MWF040.jpg

いすゞからはやはりこの117Coupeが選ばれていました。このクルマもトヨタからは決して生まれなかったであろうモデルで、ジゥジアーロデザインのまま当時の製造技術の及ばないところは手造りで造られたモデルです。もし、トヨタであれば間違いなく量産に対応してデザインを変更していたでしょう。

MWF043.jpg

MAZDAからはやはりコスモスポーツが選ばれていました。これも順当で、世界でも珍しいロータリーエンジンを始めて実用化して搭載した「夢のクルマ」でした。そのデザインもその夢を具現化するためのデザインで、実用性はなかったかも知れませんが、それまでのクルマとは違うことをアピールするためには充分すぎるほど素晴らしいデザインです。

MWF041.jpg

BC戦争と言ってもご存知ない方のほうが多いかもしれません。それは日産とトヨタが市場で繰り広げたブルーバードとコロナの販売競争のことで、この510型のブルーバードはコンサバティブなデザインでありながらどこかスポーティで人気を博したクルマです。当時の販売競争とは別に、現在での人気は圧倒的にこのブルーバードが勝っているのは面白い現象だと思います。

MWF042.jpg

どうしてこのクルマが展示されているのか良く分からなかったのですが、ダットサン1000トラックです。説明のプレートを見ると、どうやら1958年のオーストラリアラリーで優勝したダットサン210セダンをベースに造られたトラックであったからのようで、その耐久性をアピールして販売が好調だったのでしょう。確かに言われてみれば、子供の頃にはトヨエースと呼ばれたトラックよりもこちらのダットサントラックの方を多く見かけたような気がします。

続いてはトヨタ車のご紹介ですが、ご存知のように愛知県のトヨタ博物館を比べるとトヨタ車に限らず、その所蔵車は及ぶべくもない規模ですが、一方でトヨタが自分達にとって歴史的に重要と思われるモデルを選りすぐっているとも言えます。

MWF044.jpg

HONDA S600の隣でコクピットを公開試乗させていたトヨタ スポーツ800です。

MWF045.jpg

やはりトヨタと言えばこの2000GTでしょう。いまだにこの2000GTを超えるインパクトのある名車がトヨタから出ていないのは残念なことですが、あえて言わせてもらえれば、それはこの2000GTがトヨタにとって実験的な少量生産車であり、利益を目的とはしていなかったからではないかと思います。

MWF046.jpg

トヨタのカローラは日産のサニーと並び本当の大衆車であったと思います。この二種のクルマは一気に街中に溢れて、ようやく一般の家庭にマイカーが普及し始めたことを実感しました。

MWF047.jpg

今回のイベントではもう一台カローラが展示されていました。こちらは個人オーナーのクルマでこうした大衆車が素晴らしいコンディションで残されていることは驚くべきことです。

MWF048.jpg

カローラのスポーツモデルとして発売されたのがこのTE27型のレビン/トレノ(展示車はトレノ)で、このモスグリーンのボディカラーとビス留めされたオーバーフェンダーは当時の憧れでした。
クルマが移動の道具としてだけでなく、ようやく趣味としてスポーツドライブにも使われるようになる時代の幕開けでした。

MWF049.jpg

レビン/トレノより一足先に発売されたのがこのコロナ1600GT(RT55)で、ライバルのブルーバードSSSとその性能を競い合いました。先進のDOHCエンジンを搭載し、トランスミッションは2000GTと共通という贅沢なGTで当時のレースで大活躍しました。

MWF050.jpg

前出したトヨタ スポーツ800のベースとなったのがこのパブリカで、そのモデルの中でも珍しいコンバーチブルです。当時の日本でコンバーチブルを買う購買層がどれほどあったのかは分かりませんが、屋根がなくなっただけで日本車とは思えないお洒落な雰囲気となりました。

MWF051.jpg

セリカは私を含め、当時の若者の憧れでした。フォード・マスタングが採用したフルチョイス方式というオプション装備品をオーダーで組み合わせるという方式を日本で始めて採用したのがこのセリカで、スポーツカーほどスパルタンではないスペシャリティカーという新しいカテゴリーを日本に定着させたのはこのセリカでした。

MWF052.jpg

そしてスペシャリティカーの頂点となったのがこのソアラで、上質な内装にデジタルメーターなどの先端装備を備えた高級GTカーというジャンルを定着させました。しかし、当時の私は街中で「指を咥えて」見ているしかありませんでした(苦笑)。

このヒストリーガレージで圧巻なのは歴代クラウンの展示です。次回はその「いつかはクラウン」というコピーが示すとおり、多くの日本のオーナードライバーが頂点と考えていたクラウンの変遷をご紹介したいと思います。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク

旭日のメッサー~AIRFIX 1/48 Bf-109E-7の製作2~

仮組みが終わったらいよいよ組み立てに入ります。
飛行機のモデルの場合は余程のことがない限り、組み立て説明書の順番に沿って組み立てるのですが、殆どのキットはコクピットから組み立てをスタートします。このAIRFIXのキットも世の中のキットと同様にコクピットの組み立てを最初に行うように指示されています。

1/48スケールの場合は1/72スケールと異なり、ある程度コクピットが再現されていますし、アフターパーツでレジン製のコンバージョンパーツやエッチング製の細かいディテールアップパーツなども発売されており、それらを使うと超絶?なディテールアップをすることができます。そうして造り込まれた作品を見ると感動すら覚えるのですが、実際にそれらを使うとなると、キットが三箱くらい買えてしまうほどのお値段になってしまうために、余程思い入れのある機種でない限り、全ての作品にこれらのパーツを使うというのは合理的ではないかも知れません。

今回は最小限のディテールアップを行いますが、基本的にはキットのパーツをベースにしたいと思います。

24BF109016.jpg

しかし、シートベルトに関しては素晴らしいアフターパーツが新発売されました。それはFine Moldsという日本のメーカーから発売されたもので、その最大の特徴はエッチングという手法を使わずに、ABS樹脂でシートベルトが造られているのです。

FG1.jpg

このFine Moldsという会社は新興メーカーですが、宮崎アニメの「紅の豚」の版権を取得し、アニメに登場する戦闘飛行艇をモデル化したことで一躍有名になったメーカーです。宮崎監督の許には日本の殆どのプラスチックモデルメーカーがそのモデル化の交渉に訪れたのですが、宮崎監督は首を縦に振らなかったそうです。
その理由は「飛行機」に対する思い入れで、宮崎監督は単にその形を再現するだけのモデル化を望んでおらず、どんなに高額なロイヤリティを提示されようと、また素晴らしい技術を持ったメーカーであったとしても、この作品の主人公が乗る飛行艇に思い入れがあったのです。

映画をご覧になった方も多いかと思いますが、モデルとなったのはイタリアのサボイアS.21戦闘飛行艇ですが、宮崎監督は見る人が見ないと分からないような変更を加えており、Fine Moldsの社長はまずは試作モデルを・・・という要求に基づき、実機の資料や当時の飛行艇の様々な文献を研究し、その一見すると分からないような変更に加えて航空力学的な問題点を指摘して、宮崎監督を唸らせたそうです。
宮崎監督はモデル化にあたって、アニメの飛行艇を単に忠実に再現できる技術ではなく、飛行機をどれだけ知っているかに加えて、その熱い思いがあるメーカーに「忠実に」アニメの飛行艇をモデル化して欲しいと考えていたからなのですが、結果として合格したのは当時無名だったFine Moldsという会社であったのです。

確かに、モデル化することは現在の様々なコンピュータ機器を使えば可能でしょう。今や、プラスチックモデルの設計は3D CADや実物の三次元測定機などを使えば、形を忠実に再現するという点においては「どこでも同じ」という状況にあります。さらに、自動金型彫刻機やスライド金型などの製造機械を使えば、それを精密にモデル化することも可能でしょう。しかし、組み立てる側に立った配慮やその実物に対する思いをモデルに込めるのは人間にしかできないことで、その思いがあるかないか・・・がそのモデルの良否を分けるのではないかと思います。
私がイギリスのメーカーであるAIRFIXのSpitfireにそれを感じたのも、イギリス人のSpitfireに対する「思い」を感じたからに他なりません。
モデラーの中には、ここの形状がどーのとか、ここが再現されてないからこのキットはダメとか言う評論が昔からありますが、その「思い」を感じることができればそれらは瑣末なことだと思います。

もし、お時間がありましたら、上記リンクからFine MoldsのHPで「Fine Molds」の主張というアピールをお読みいただければと思います。それは決してプラモデルがどうこうではなく、日本の「モノ造り」はこれからどうあるべきかを示唆していると思います。

24BF109017.jpg

製作に戻りましょう(笑)。
若干オーバースケール気味ではあるのですが、写真のようにバックルも含めて微細なモールドでシートベルトが成型されています。またABS樹脂は曲げることができるため、接着する際に好きな形に曲げることができるのも特徴で、お値段は1000円程するのですが、4座分のシートベルトが入ってることを考えるとお買い得と言えるでしょう。この新発売のシートベルトを試しに使ってみることにしました。

24BF109014.jpg

キットのシートはシートベルトがモールドされているのですが、単なる凸モールドで全く実感がありませんので、まずはこのモールドを削り取っておき、シートの背面にはシートベルトを通す穴をピンバイスであらかじめ開けておきます。

24BF109015.jpg

コクピットは少ないパーツで構成されており、1/48スケールのモデルとしては標準的なものです。

24BF109018.jpg

今回の作品はキャノピーを開けた状態で制作しようと思っていますので、コクピットの側面も少しディテールアップをしておきます。
省略されている補器類を適当にプラバンで作成して接着しておきます。

24BF109020.jpg

24BF109021.jpg

コクピット内部は実機の写真も参考にするのですが、一番参考になるのは大スケールのモデルで、1/48スケールのディテールアップにはよりサイズの大きな1/32スケールのキットが一番参考になるのです。

写真はチェコのエデュアルドというメーカーの1/32スケールのBf-109E型のキットの説明書です。このエデュアルドというメーカーに関してはいずれ触れたいと思うのですが、個人的には今最も注目しているメーカーです。

24BF109025.jpg

24BF109026jpg.jpg

24BF109027.jpg

さすがにこの再現度を1/48スケールに持ち込むワケには行きませんが参考にしながら部品を追加しておきます。

まずは機内色であるRLM02というグレー色をエアブラシで塗装します。一つ一つのパーツは細かいものですので、ある程度組み上げておいてから塗装します。

24BF109019.jpg

シートベルトは写真の通りオーバースケールですが、この位の方がかえって実感が増すのではと思います。

24BF109022JPG.jpg

計器盤は最大の見せ場で、できればエッチングパーツに置き換えたいところですが、キットのモールドを利用して塗装でどこまでできるかチャレンジすることにしました。

24BF109024.jpg

この計器盤の写真は博物館に展示されているものですので、松本零士氏の漫画でも有名なREVI/C12Dと呼ばれる射撃照準器も含めてオリジナル状態をキープしています。

24BF109028.jpg

一方でこちらは飛行可能な機体のもので、射撃照準器がない(当たり前ですね)ことに加えて、計器類は現代のものに変更されたり加えられたりしていることが分かります。

これらの写真や1/32スケールのキットを基に見栄えも考えながら塗装をして行きます。

24BF109029.jpg

ますは計器版のベースをダークグレーで塗装します。メーター下部は写真を参考にフラットブラックでベースを塗装します。
続いてメーター内部をグロスブラックで塗装します。ここは塗装するというより塗料を載せるようにすればハミ出さずに塗ることができます。
最後に計器の外周部をフラットホワイトで塗装し、さらに細かいスイッチ類を写真を参考に見栄えも加えて(適当に)塗り分けます。

24BF109030.jpg

さらにコクピット全体をエッジをRLM02にホワイトを加えて明るくした塗料でドライブラシを行い、ウェザリングでエナメルのレッドブラウンとフラットブラックを1:1に混ぜた塗料を薄めて立体感を加えます。

24BF109031.jpg

24BF109032.jpg

あまりディテールアップはしないでと決めていたのですが、コクピットはちょっとやってしまいました(苦笑)。
引き続き組み立てを進めます。

クリック↓お願いします!

にほんブログ村 車ブログ アルファロメオへ
にほんブログ村

テーマ:模型・プラモデル - ジャンル:趣味・実用

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。