Giulia Sprintのエンジンフードは「逆アリゲーター型」と言われるコクピット側が開く構造となっています。
従って、通常のアリゲーター型のフードと異なり、ミニチュアモデルにした時にはエンジン前部は殆ど見えず、むしろ後方のバルクヘッド側が良く見えることとなります。
従って、そのバルクヘッド側に取り付けられているヒューズボックスはエンジン本体のディテールアップレベルとバランスを取っておかないとみすぼらしく見えてしまいます。
これからご紹介するヒューズボックスの製作法は、残念ながら実車に忠実なものと言うより、本物「らしく」造るというフィクションが混ざったものであることをお断りしておきたいと思います。
こうしたミニチュアモデルにおいてはこの「らしさ」というのが重要 で、あくまで雰囲気重視である・・・と先に言い訳しておきましょう(苦笑)。
ヒューズボックスのサイズは実物のサイズをベースにすると小さくなり過ぎてしまうので、ボックス前面のラベルを印刷することのできるギリギリのサイズを基に製作します。
ラベルはGiulia Sprintのオーナーズマニュアルの説明画像を基に、PCで縮小できるギリギリまで小さくしてシルバーラベルに印刷します。厳密に言えばノーマルのGiulia SprintとGTAとではヒューズボックスの配列が異なっているのでしょうし、レーシングチューンの際に移設されたりしていますので、これも「らしさ」の範疇ということでお許しいただこうと思います(苦笑)。
今回はいつものシルバーラベルだと表面が輝きすぎてしまうので、ヘアーラインタイプのラベルを使用することにしました。こうしたPC用のプリンタラベルは模型の材料としても有用で、このラベルもその厚みは0.19mmと薄いものですので、エンジンルームの車台番号プレートなど様々な用途に利用することができます。
ヒューズボックスのために用意するのは1.2mm厚のプラ板と0.5mm厚のプラ板です。1.2mm厚のプラ板をヒューズボックスのラベルの大きさに切り出します。その上に約半分の幅の0.5mm厚のプラ板を貼り付けてフラットブラックで塗装しておきます。
そしてその段差の部分の1.2mm厚のプラ板側に0.5mm径のピンバイスで「適当に」穴を開けます。貫通してしまっても表面にはラベルを貼り付けますので気にしなくても大丈夫です。
写真のプラグコードをこれまた適当な長さに切って、開けた穴に二つ折りにして埋め込んで行きます。このサイズの加工となるともはやヘッドルーペは必需品です(泣)。
表面に先ほど印刷したラベルを貼り付けます。
室内への配線引き込みは各配線を束ねた1本のフレキシブルチューブで行われていますので、その再現をするのですが、最近は便利な材料が手に入るようになりました。
写真は極細の
金属スプリング なのですが、これはガンダムモデルのディテールアップ用の材料で、どうやら関節部分の動力配線の表現に利用されるもののようですが、その形状から自動車の配線などに使われるフレキシブルチューブ(カバー)や冷却ダクトのホースとして使用することができます。
続いてはバッテリーですが、ホワイトメタル製の別売パーツとキットのものとどちらを使うか悩んだ末に、キットのものを加工して使うことにしました。理由はエンジンルームのスペースで、ホワイトメタル製のものは若干寸法が大きいために、これから自作するオイルキャッチタンクのスペースがなくなってしまう恐れがあったためです。
まずはモールドされているターミナルを削り取り、1mm径のピンバイスで穴を開けておきます。
その後バッテリー本体をホワイトで塗装し、上面をラッカー系のフラットブラックで塗り分けます。バッテリー液の補充孔はエナメル系のイエローで窪みに塗料を置くように塗ってやります。少々はみ出しても乾燥後にエナメルシンナーで濡らした綿棒で表面を拭くと窪みの塗料だけが残りますので綺麗に仕上げることができます。
最近、こうした微細な部分の拭き取りに重宝しているのが写真の
フィニッシュマスター という拭き取り用のシリコン綿棒で、多孔質シリコンゴムを利用してシンナーを染み込ませて使う綿棒?です。しかもこのシリコンゴムは汚れてもシンナーで洗えば綺麗になるというスグレ物で、綿棒を多量に使用するウォッシングなどには有用だと思います。
ターミナルは0.8mm径のアルミ線をカットして差込み、内側から瞬間接着剤を少量つけて固定します。
バッテリー側面には何か説明書があると実感が高まりますので、例によって
ガンダムモデル用のデカール の中から適当なものを貼っておきます。
バッテリーのターミナルから伸びる配線コネクターは1.2mm厚のプラ板から加工して切り出します。適当な幅に切ったプラ板に1.0mm径のピンバイスで穴を開けます。そのサイズを基にデザインナイフで少しずつ両幅を狭めて行きます。
この時点で切り離してしまうと、加工や塗装が面倒ですので最後まで基のプラ板から切り離さずにおきます。次に配線を繋げるための穴を0.5mm径のピンバイスで側面に開けます。
この時点で塗装をします。一つはブラック、もう一つはレッドに塗り、0.43mm径のコードを接着したらデザインナイフで切り離します。
これも部品を飛ばして失くしてしまわないための知恵で、コードを接着してから切り離すことにより部品を失くす確率を一気に減らすことが出来ます。
断面を再度塗装すれば出来上がりです。
少し、オーバースケールですが目の限界(苦笑)です。 続いてブレーキサーボですが、ここはキットの部品をそのまま使います。丁寧にパーティングラインを削って処理をし、サーボ本体はシルバーとゴールドを1:1で混色した塗料を塗ります。マスターシリンダーは本体をフラットアルミで、マスター下部をクロームシルバーで塗って出来上がりです。
続いてオイルキャッチタンクの自作です。このパーツはキットには入っていませんので、一から造らなければなりません。用意するのは5mm角のプラ材と2mm径のプラ棒です。
まずは角棒を適当な大きさに切り離します。角棒は5mm角で少し厚みがあり過ぎるのでさらにエッチングソーで5mmX3.5mm程度にします。そしてキャップを2mm径の丸棒を輪切りにして接着します。
オイルチューブを差し込む部分を1mm径のピンバイスで開け、さらに8mm径のアルミ棒を取り付けておきます。全体をフラットアルミで塗装します。
リターン側はエンジンの下に隠しますので、タンク側の出口は以前にご紹介したマイクロラインでホースバンドを表現しておきます。
ちなみに写真で写っている塗装のための持ち手ですが、最近はTULLYSカフェでいただいて来た木製のマドラーに両面テープを巻きつけたものを使用しています。以前は割り箸を使っていたのですが、こちらの方が薄くて使い易いです。他にはアイスキャンデーの軸などがありますが、カマボコ板と共に
こうした身近なものを工夫して再利用するのも模型製作の楽しみの一つです(笑)。 エンジンルーム側への取り付けステーを0.1mm厚のアルミ板を細切りにして取り付けておきます。
こうした金属パーツを曲げるにはプライヤーと共に重宝するのが写真の真鍮製の角棒で東急ハンズなどで入手することができます。これをガイドにして曲げることにより90度の直角を出すことができます。
最終的な角度は取り付け時に現物合わせをしますので、今は曲げて取り付けるだけにしておきます。
ラジエーターは冒頭に書いたようにあまり見えませんので、手を加えるのは程ほどにしておきます。
キットの部品構成はラジエーター上部が別パーツになっており、ラジエーターホースがモールドされていますが、すでにエンジン側にラジエーターホースを取り付け済みですので、この部分は切り離してしまいます。
その替わりに0.8mmのアルミ線をホースの形に曲げて接着しておきます。エンジンをエンジンルームに搭載する際に、このアルミ線を芯にしてラジエーターホースを被せてその曲線を再現します。
ラジエーター本体はフラットブラック、上部の金属部はセミグロスブラックに塗ってラジエーターキャップをシルバーで塗れば出来上がりです。
ボデイマーキングの資料待ちのために引き続きシャーシーを組み立てて、コクピットもディテールアップして見たいと思います。
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日本においてトルコ共和国の情報は非常に少ないと言えるでしょう。
もちろん大多数の日本人はトルコという「国」があることを知っているとは思いますが、トルコという国に関する知識はその程度のもので、むしろ
現代のトルコについての一般的な情報は皆無と言って良い と思います。
たまにトルコが日本で脚光を浴びるのは、旧くは「飛んでイスタンブール」という歌謡曲(旧いっ!)がヒットしたときや、ソープランドと改名されたものの昔呼ばれていたトルコ○呂という不名誉な風俗産業であったり、最近では屋台などで人気のケバブというファーストフード程度ではないでしょうか。
私たちがトルコについて学校で習ったのは、遠くシルクロードの時代に遡り、ヨーロッパとアジアを結ぶ交易路の要衝として栄えた・・・だの、オスマン・トルコの栄枯盛衰だのという「過去のトルコ」に関することであり、この辺りが歴史教育の問題点だと思うのですが、
歴史(過去のこと)として教育が終わってしまい、その歴史から現在に至る連続性の末にある今の姿を教育しない ために、他国に関する知識が日本人が当惑する、外国人の「フジヤマ、ゲイシャ、サムライ、ニンジャ」という日本を形容する言葉と同様の知識に留まってしまっているのではと思います。
私自身もこのトルコ共和国に関する知識は似たようなレベルだったのですが、その知識を少しでも増やそうと思ったきっかけがBilgin Metin氏でした。
彼は素晴らしい日本語で文章を書くことのできる方で、私のブログの読者でもあります。そしてこのブログを書き始めたばかりのときに、現在まで続けているその
アクセスアワードにご応募 いただいて以来、折に触れてコメントを書き込んでいただいたり、私が病床にあった際にもご丁寧にお見舞いの言葉をいただいたりしました。
こうしたネット上での「知り合い」は直接お目にかかることが適わないために、どうしても深いお付き合いにはならないものなのですが、私自身はこのブログを通じて、お目にかかったことのない方や実名すら存じ上げない方でも、いただいたコメントやその方の書かれるブログ記事を通じて、単に「同好の志」であるからだけでなく、
考え方や生き方に共感できる方々と出会うことができた と思っています。そして幸いなことにネットという環境によりその出会いは日本に留まらず、こうして世界に広がっていることは素晴らしいことだと思います。
さて、私にとって、彼によりぐっと身近になったトルコ共和国ですが、調べて見ると日本との関係は古く、シルクロードの時代を除けば明治時代に遡ります。
それは「エルトゥールル号」遭難事件で、1890年(明治23年)、日本を親善のために訪問していたオスマン帝国(現在のトルコ共和国)の軍艦エルトゥールル号が帰国のために横浜を出航した後の9月16日22時に、和歌山県串本町沖の太平洋上で台風により座礁してしまいます。船は機関部に浸水したために蒸気爆発を起こして沈没。600名以上の乗組員の内、船長を始めとする587名が死亡または行方不明という大惨事となってしまいます。
かろうじて船を脱出した乗組員69名はやっとのことで樫野埼灯台下まで辿りつき、さらに数十メートルの断崖を這い登って難を逃れたのですが、それを救助したのが大島村(現在の串本町)の住民で、現在のように通信事情や経済事情が豊かではなかった明治時代に、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど献身的に生存者たちの救護に努め、この結果、近隣の寺や学校、灯台に収容された69名が無事に救出され生還することができたのです。
この知らせは明治政府にも伝えられ、明治天皇は政府として可能な限りの援助を行うように指示し、最終的には病院に収容され回復した乗組員を日本の軍艦2隻に分乗させて無事にトルコまで送り届けることとなったのです。
一方で日本の各新聞はこのニュースを報道し、それを受けて多くの義捐金が寄せられることとなりました。現代と違って困難に満ちた航海の末に、トルコから遠く異国の日本まで来て災難で命を落としてしまったトルコの乗組員に当時の日本国民は一様に同情し、その遺族の無念さを思ってのことだったのです。
しかし一方でこうして集まった義捐金も一体どうやって届けるか・・・という問題で宙に浮きかけていたのですが、その意気を誰よりも強く持ったのが山田寅次郎という人物で、彼は一民間人でありながらこの新聞報道を見て義を感じ、遺族に送る義捐金を集めるキャンペーンを行います。そうして集めた義捐金を携えて事件の2年後に彼は自ら単身でトルコに赴き、遺族にその義捐金を渡すことができました。
山田寅次郎が民間人ながら義捐金を持ってやってきたことがトルコで知られるや、彼は熱烈な歓迎を受け、皇帝アブデュルハミト2世に拝謁することとなりました。このとき、皇帝の要請でトルコに留まることを決意した彼はイスタンブールに貿易商店(現在の「商社」)を開き、士官学校で少壮の士官に日本語や日本のことを教え、日本政府の高官のイスタンブール訪問を手引きするなど、トルコと日本の間に国交が樹立されていない中で官民の交流に尽力したのですが、彼が士官学校で教鞭をとった際にその教えを受けた生徒の中には、後にトルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマル氏もおり、彼から多くの影響を受けたと言われています。
さらにトルコの人々にとって日本を好意的に見ることになる事件が発生します。
それはまだ山田寅次郎が存命でイスタンブールに滞在中に起こった日露戦争での日本の勝利でした。
オスマン朝時代、トルコは15世紀にビザンティン(東ローマ)帝国を滅ぼしヨーロッパ深くまでその支配地域を広げたのですが、17世紀末の第2次ウィーン包囲失敗後、その領土を次々と失い弱体化して行くこととなります(カルロヴィッツ講和条約)。その後、後退する一方のトルコが最もいじめられた相手がロシアでした。トルコは長らくロシアから圧力を受け続け、同様にロシアの南下圧力にさらされる日本に対して親近感を高めていたトルコの人々は、東の小国日本の日本海海戦の大勝利による日露戦争の勝利に対して日本人と同様に熱狂し、さらに
「小国と言えども確固たる信念で望めば大国怖れるに足らず」 という強い教訓を得たのです。
このように日本に対して好意的であったトルコでしたが、一方で日本においては「エルトゥールル号」遭難事件も山田寅次郎のことも忘れ去られ、歴史の表舞台に登場することはありませんでした。
しかし、このトルコの日本に対する連綿と続いていた友好感情を日本人に知らしめる事件が発生します。
それは「エルトゥールル号」遭難から約100年後の1985年で、
100年という年月は意図的に国民に伝え続ける努力をしなければ、忘れ去られてしまう年月 だと思うのですが、日本と違ってトルコではその日本から受けた親切を国民に学校教育を通じて折に触れて伝え続けていたのです。
1980年に勃発したイラン-イラク戦争はその戦火が続いた5年後の1985年に、イラクのサダム・フセインにより宣言された無差別撃墜宣言により一挙に緊迫の頂点を迎えます。設定された48時間というタイムリミットは各国がイラン在留の自国民を脱出させるのがやっとの期間で、事実、在留していた日本邦人215名はイラン脱出の方法を失ってしまいます。
当時の日本は政府専用機を持たず、自衛隊も専守防衛の立場から長距離を飛べる輸送機を装備していませんでした。加えて日本の航空会社はイランへの定期航路を持っていなかったために、日本人は通常であれば外国の定期便で行き来していたのですが、その定期便も臨時便も、自国の国民の脱出を最優先としたために日本人が乗れる余地はなくなってしまったのです。日本政府はJALに対して臨時便を出すように要請したのですが、JAL側は乗員の安全が確保できないとこれを拒否し、こうしたときに頼みのアメリカもその立場から最も標的にされやすいために、米軍が用意した輸送機も自国民の脱出に必要な最低限となってしまい、イラン在住の日本人はあわや棄民される寸前でした。
そして最後の手段として思いつかれたのが最も近隣の親日国であったトルコで、これまた随分都合の良い考えだったとは思いますが、当時の日本に他に策がなかったのも事実で、まさに「藁をもつかむ思い」だったのでしょう。正式な外交チャンネルとしては野村豊イラン駐在大使がトルコのビルレル駐在大使に救出を依頼したとされていますが、実は
トルコを動かした真のチャンネルはこの正式ルートではなく、かつての山田寅次郎と同様の民間ルートであった と言われています。
それは伊藤忠商事のトルコ・イスタンブール事務所長・森永堯(たかし)氏のチャンネルで、彼は当時のトルコ共和国首相であったトゥルグト・オザル首相と親密な関係にありました。
そのきっかけはオザル首相がまだ民間人であった時代にまで遡ります。
当時のトルコは農業が最大の産業であったのため、日本から技術を導入して農業用トラクターの製造を行おうとしていまいた。しかし、当時のトルコは国自体が経済破綻の危機に瀕しており、そんな国に資本を投下しようとする日本企業は皆無でした。そこで森永氏がオザル氏が勤務していた企業に協力して何とか工面した外貨でトラクターの部品を日本から輸入し、細々と組み立てるという事業をおこしたのです。
日本外交にとって長らく最大の武器であったのがこのような商社の持つ人脈 であり、政府外交がどうしてもその正式な外交・政治のチャンネルに偏りがちになってしまうのに対して、商社のビジネス絡みの持つチャンネルに、日本人の持つ「浪花節」的な義理人情が加わった独特の人脈は、こうした窮地に陥った場合には特に有効に機能するのではと思います。
かくして、トルコ政府は日本人を救出するためにトルコ航空の旅客機をテヘランに飛ばすことを決断します。もちろん
その決定のきっかけは日本政府からの正式要請があったからでも、森永氏とオザル首相の個人的な人間関係があったからだけでもなく、遠く明治時代に受けた日本人からの親切を忘れず、トルコが国民に伝え続けたことによるものに他なりません。 しかも、当時のトルコ航空の乗員は、JALがそうしたのと同様にこのフライトが危険任務であるために拒否権があるにも関わらず、その権利を誰一人として行使せずに、「通常のフライトと同様に」食事や酒といったサービス品を積み込んでテヘランに向かいました。そして無差別撃墜宣言のタイムリミットから残すところ1時間前という、当にギリギリで2機のトルコ航空機が混乱するテヘラン空港を相次いで離陸し、現地脱出を希望する日本邦人全員を脱出させることに成功したのです。
このハナシにはさらに余談があります。当時のイランには600人ものトルコ人が残されていました。そしてそれらのトルコ人の多くはこの脱出便に乗れず、500名ものトルコ人は最速でクルマを走らせても3日はかかる危険な陸路でイランを脱出して帰国せざるを得なかったのです。
自国民の脱出を最優先するのが国際常識であり、日本が逆の立場であれば間違いなくそうしたであろう状況の中で、トルコは、忘れられても誰も文句を言わないであろう100年も前の恩義を忘れずに、政府だけでなく国民も皆、日本人脱出に助力してくれたのです。 それは後に、このことが公になってもトルコ国内で問題とならなかったことからも明らかで、トルコ国民もこの政府の決断を支持してくれたのです。
この辺りの詳細なストーリーは森永堯氏の書かれた
「トルコ 世界一の親日国 危機一髪!イラン在留日本人を救出したトルコ航空」 に詳しく書かれていますので、興味を持たれた方は是非ご一読いただければと思います。
2006年1月に当時の小泉首相はトルコ公式訪問の事前説明で、トルコ航空によるテヘラン在留邦人救出事件の話を聞いて感激し、実際にその感謝の意を顕すためにトルコ航空の元総裁、元パイロット、元乗務員たち11名に日本政府から叙勲を行いました。通常、日本政府が外国人に対して行う叙勲は年間で20名程度なのだそうですが、この年はそれに加えて、トルコ航空関係者11名の大量叙勲を行ったのです。また、オザル首相はすでに亡くなっていたので、未亡人に小泉首相から感謝状が贈られました。
感激屋の小泉首相らしいエピソードではあるのですが、
この叙勲に異論のある日本人は誰一人いない でしょう。
そんなトルコの現代の事情を彼が「日本語」でブログで教えてくれることとなりました。しかも私たちのようなクルマ好きにとって更に興味深いトルコのクルマ事情についての記事ですので、期待して愛読させていただこうと思っています。
こう書くと彼にはプレッシャーになってしまうかも知れませんが(笑)、どうか気負わずにご自身のペースで気長に書いていただければと思います。
「トルコドライブ記」 と題された彼のブログの今後の展開に期待しています。
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個人的には
エンジンルームのディテールアップは「やり過ぎないこと」 だと思っています。
最近は様々なディテールアップの材料が手に入りますので、1/24スケール程度のエンジンでも超絶!なディテールアップが可能ですが、その部分を重点的に見せたいならともかく、今回のように個人的な思い入れのある特定の個体をモデルで再現する場合に重要なのはあくまで全体の雰囲気で、ほどほどにしておかないとエンジンルームばかりが目立ってしまうことになります。
余談ですが、かつて1/32スケールのF-14 Tomcatのスーパーディテールモデルを見たことがあるのですが、全てのハッチが開けられ、中には細かな電子装置がその配線まで再現されて詰め込まれていました。そのテクニックは素晴らしく製作に7年かかった・・・という執念にも感服したのですが、では一つの飛行機モデルとして全体を見たときにどうか?と問われると精巧なミニチュアではあるものの、ハイライトが散逸してしまいモデル全体としてはあまりにリアルで、そこしか印象に残らなかったことを思うと、自動車モデルにおいても
「見せ場」を意識して全体の雰囲気をそれに合わせて造るほうが、作品としては印象に残る のではないかと思います。
ですので、エンジンに関してもあまり追い込まずにディテールアップをして行きたいと思います。
エンジンのディテールアップのハイライトはやはりプラグコードだと思いますが、最初にプラグコードとディストリビューターを接続してしまうと、それ以外のパーツを組み立てるのに邪魔になってしまいますので、エンジンの構造を良く見ながら、どのパーツから組み上げるかを判断します。
エンジン本体とプラグソケットとなるビニールホースを接着済みのヘッドを組み付けたら、まずはウォーターバイパスチューブのパイピングを行います。バイパスチューブは質感の違いを出すためにフラットアルミで塗装しておきます。
エンドの部分はプラグソケットに利用した余り物のビニールホースを利用します。このホースはヒーターを装備している場合はバルクヘッド内のヒーターコアに繋がっているようですが、この個体はヒーターを装備していなかったとのことですので、ラジエーターのロア側にリターンしていると思われます。そこまで再現しても見えませんので適当に隠しておくことにします。
接続にはホースバンドが巻かれていますので、0.5mm幅のアルミテープを巻きつけてそれを再現します。写真のMr.マイクロラインは残念ながら製造中止となっていますので、市販のアルミテープなどをデザインナイフで切って使うとよいでしょう。
ラジエーター側のホースはキットではプラスチックでモールドされていますが、写真の
モデラーズ製のディテールアップパーツ に置き換えます。これは編み込みのホースですが、色が付いていませんのでフラットブラックで塗っておきます。また切り口は繊維が解けてしまいますので、瞬間接着剤を塗って固めておきます。同じくホースバンドはアルミテープで再現すると「それらしく」見えるようになります。
ウォーターバイパスチューブをエンジン本体に取り付けたら、ヘッドの部分にプラグコードを埋め込んでいきます。接着には爪楊枝の先につけたクリヤーボンドを使い、ビニールホース側に少量つけてコードを刺して乾燥させれば接着することができます。ディストリビューター側への接続はキャブレターの取り付け後に行いますので、まずはこのままにしておきます。
切り離したキャブレターはフラットアルミで塗装して、ディテールを際立たせるためにフラットブラックでスミ入れをしておきます。また調節部の蝶ネジ部分をゴールドで塗っておくとアクセントとなります。
0.1mm厚のアルミ板を切ってインシュレーターを作成します。エアファンネルの基部直径は1.2mmですので、1.3mm径のピンバイスで穴を開けます。
キャブレターをエンジンに装着したらプラグコードをデスビキャップに接続して行くのですが、ネットで見つけた 実車の写真を見るとプラグコードは2系統に束ねられています。
これには同じく1/12のオートバイモデルの余り物の太目のビニールホースを輪切りにしたものでそれを再現します。
また同時にイグニッションコイルに繋がるコードもこの時点で取り付けておきます。オイルキャップはシルバーとゴールドを1:1で混ぜた色を塗ると、独特の合金の表現をすることができます。オイルキャッチタンクに繋がるホースはオイルキャップに0.8mm径の穴を開け、アルミ線を曲げて取り付けた後に同じくビニールホースを繋いでおきます。
エンジンの反対側にはオイルフィルターを取り付けます。オイルフィルターはキットのものを使いますが、前回のストラトスの時に使ったガンダムモデル用のディテールアップデカールを貼るとオイルフィルターらしく見えるようになります。
恐らく完成してしまえば全くと言って良いほど見えないと思うのですが、それはちょっとしたコダワリで、こうして製作過程をご紹介しなければ、最終的には製作した者しか知らない「秘密」となるものです(苦笑)。
エンジン前部にはラジエーターファンとディストリビューターを動かすためのベルト部を取り付けます。
ディストリビューターはホワイトメタル製のパーツを使用しますが、ブラシ部を再現するためにマスキングテープを細切りにしたものにクリアーオレンジを塗って巻きつけるとそれっぽく見せることができます。
ラジエーターファンは説明書には白で塗るように指示されていますが、樹脂製ですのでレドームというクリームイエロー色で塗ることにしました。
ディテールアップしたエンジンが完成しました。
実は、キャブレターにあるフューエルラインも再現しようとして準備していたのですが、冒頭に書いた理由からあまりに煩くなってしまうので止めることにしました。
ご紹介した方法は私なりのやり方で、他にももっと簡単な方法はあるかも知れませんし、さらに一体どうやって造っているのかと思うほどの超絶技法を持つモデラーの方もいらっしゃると思いますので、必ずしも参考にはならないかも知れません(汗)。
しかし、実際にこうしてミニチュアで再現して見ると、改めて
アルファ・ロメオのこの4気筒DOHCエンジンが、その性能だけでなく機械としての美しさを持った素晴らしいエンジンである ことが分かります。
それは現代のハイブリッドやEVにない、各々の金属素材の輝きと部品が組み合わされた、当に”マッキナ”としての美しさを持っており、クルマ好きの趣味人がそのクルマに魅せられるのは、決してその性能やボディデザインだけではなく、こうしたメカニカルパーツの美しさもその要素としてあるのではと思います。
続いてエンジンルーム側に取り付けるヒューズボックス、オイルキャッチタンク、バッテリー、ラジエーター等を更にディテールアップを行って行きます。
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今までの人生の中で自分自身が行き詰ったり悩んだりしたときに読み続けて来たのが、本日ご紹介する「イリュージョン」という小説です。
「カモメのジョナサン」という往年のベストセラーの題名を知っていても、その作者についてご存知の方は少ないのではないかと思います。
リチャード・バック氏はこの「カモメのジョナサン」で一躍有名作家として世界中に知られるようになりました。
氏は自身がパイロットでもあり、「カモメのジョナサン」で擬人的に飛行術を学ぶカモメを描きましたが、この「イリュージョン」は第一次世界大戦後のアメリカに多く存在したバーンストーマーと呼ばれる遊覧飛行パイロットが主人公です。
第一次世界大戦が終わり、従軍したアメリカのパイロットはその多くが除隊を余儀なくされました。膨大な戦費のために軍縮を行ったアメリカ軍は、戦時中に養成したパイロットを引き続き職業軍人として雇用することができなかったのです。しかし一度空を飛び、その魅力に取りつかれたパイロット達は飛び続けるためにある者は郵便飛行士に、またある者は旅客機のパイロットに転進するのですが、そういった組織に所属するのではなくもっと気楽に大空を飛びたいと考えるパイロットは、地方を巡業する曲芸飛行団に所属したり、主人公のように各地を気ままに渡り歩き、各地で遊覧飛行を行うバーンストーマーとなることを選びます。バーンストーマーとは「納屋の扉を揺らす」という意味で、飛行機が低空を飛行すると農場の納屋がガタガタと音を立てることから名付けられた名前です。
この辺りの物語はかつてロバート・レッドフォード主演の映画、
「華麗なるヒコーキ野郎」 に描かれていますので、興味のある方はそちらも見られてはと思います。
彼らは練習機として大量に生産され、戦争が終わると共に、余剰となって民間に払い下げられたカーチス・ジェニーなどを愛機として地方を飛び歩いたのですが、そんな二人の飛行士がこの「イリュージョン」の主人公です。
現代に「救世主」を職業とし、そしてそれを辞めてバーンストーマーとなったドナルド・シモダ。そしてそのドナルドに商売仇でありながら惹かれて行くリチャード。
ドナルドは「救世主」を求めて自分の許にやってくる群集に対して癒しを与えたり病気を治したり、ちょっとした「奇跡」を起こし続けることに嫌気がさしていました。
そして、群集に向かってこう言います。
「ええと、私は自分が好まない道は歩くまいと思うのですよ。私が学んだのはまさにそういうことなのです。だから君達も、人に頼ったりしないで自分の好きなように生きなさい、そのためにも、私はどこかに行ってしまおうと決めたんです」 そしてドナルドは救世主を辞めバーンストーマーとしてどんなに飛んでも汚れたりオイル漏れしない、そして燃料も必要としない複葉機で旅に出てリチャードと会うのです。
なぜドナルドは辞めた救世主の仕事をリチャードに教えることにしたのか。それは最初に会ったときにリチャードがドナルドに言ったこの言葉がきっかけでした。
「人間が長い間飛べなかったのは空を飛べるわけがないって考えている人が圧倒的に多かったからなんだ、うまく言えないけど、人間は鳥にだってなれたんじゃないかと思うんだ、そして、今だって鳥になれると思うんだ、人間の格好をしたままでさ、大事なのは、やる気みたいなもので、ちゃんと空を飛ぶ方法があって、それを学んだり勉強したりする気持ちが大事なんだと思うね俺は」 ドナルドはリチャードに救世主という仕事について語り始めます。
「どうしても言いたいことがある。自由が欲しいときは他人に頼んじゃいけないんだよ、君が自由だと思えばもう君は自由なんだ、リチャード、このことのどこが一体難しいんだ?・・・」 そしてドナルドは「救世主入門」というテキストをリチャードに見せます。そしてそのテキストにはページ番号も目次もなく、どこを開いても、任意にページをめくればそこに一番知りたいことが書いてあるとのことでした。
「君にふりかかることは全て訓練である。訓練であることを自覚しておけば、君はそれをもっと楽しむことができる」 「責任を回避する一番の方法を教える。「私はすでに責任を果たした」そう大声で言いたまえ」 リチャードは不思議なことに読むと心が落ち着いて、暗記するまで何度も読み返し始めます。
そして少しずつドナルドの気持ちを理解し始めます。
「わかってきたよドン、君はせっかく学んだものを誰かに正しく伝えたいんだろう? 奇跡を求めて車椅子を何十台も押してくるんじゃなくて、ちゃんと話しを聞いて欲しいんだな? それが本当の救世主の仕事だと思うよ。」 そしてドナルドはついに、地方のラジオ放送に自ら進んで出演し、リスナーの質問にこう答えてしまいます。
「てめえはいかさま野郎だ」 「もちろん俺はいかさま師だ、この世界に生きている人間はみんなそうだ、本当の自分じゃないものになりすまして生きているのさ、いかさま師じゃない人がいたら紹介してくれ」 ドナルドはその結末を予期していて、自らの意思でそれを選んだのですが、それは全てのこの世のことが「イリュージョン(幻)」であることをリチャードに伝えるためであったのかも知れません。
私はまだ高校生だったときに初めてこの「イリュージョン」と出会いました。そしてそれから30年以上、折に触れては読み返す愛読書となったのですが、何度読んでもその時の自分に対してこの本は何かを語りかけてくれました。
私が読んでいるのは残念ながら原書ではなく村上龍氏の翻訳なのですが、後にその若き日の村上龍氏がこの翻訳をかなり自身の作品として、通常の翻訳以上にドラマチックに仕立てる創作を加えたことを知るのですが、そのことがこの作品の魅力を殺いでいるわけではなく、むしろリチャード・バックと村上龍の合作のような作品となっているのではと思います。
現在は村上龍氏の翻訳版は絶版となっているようですが、後に佐宗 鈴夫氏による原書に忠実な翻訳も刊行されており、こちらは現在でも入手することができます。私は読んだことがありませんので、ひょっとしたら今まで書いた内容と少し異なっているかも知れませんが、私にとって「イリュージョン」はこの村上龍氏の翻訳したものであり、私自身は文学研究者ではありませんので、敢えて読まないようにしています。
心が弱ったり迷ったりしているときに、「本」は何かしら答えを導き出すきっかけを与えてくれるものです。そしてその答えは「本」から得られるのではなく、自分の中にすでにあるその答えを再確認するためのきっかけに過ぎないのですが、その「きっかけ」となる愛読書をいつでも読めるように手許に置いておくことは大切なことだと思います。 クリック↓お願いします!
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テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学
私がまだ学生だった大昔(笑)に初めてこれらのクルマを見たときのことは今でも良く覚えています。
それはシルエット・フォーミュラという名前で呼ばれていましたが、
どう見ても街中を走っているお馴染みのクルマにハリボテのようにゴテゴテと凸凹した外装パーツを貼り付けただけの安普請の、暴走族の延長のようなレーシングカー にしか見えませんでした。
しかし、後にそれが国際規格のGr.5というカテゴリーにより定められた「立派な」レーシングカーであることを知ることになりました。
1976年にFIAは、それまで2座席オープントップのプロトタイプレーシングカーで競われていた世界メーカー選手権を、グループ5・シルエットフォーミュラで競うことに変更しました。これは資金力のあるフェラーリやポルシェといった限られたメーカーのみが参加していたプロトタイプによるレースを、より多くのメーカーが参戦できるように改訂したもので、規定生産台数400台以上で市販車のイメージを残すことを条件にした、「シルエットフォーミュラ」という新しいカテゴリーで、要は外見が市販車のイメージを残していればその中味は何でもアリという乱暴な、後のDTMに受け継がれることになるカテゴリーでした。
確かに、外見が市販車を改造したように「見える」ことは多くの自動車メーカーが参戦しやすくなり、それで販売に結び付けようとする企業戦略にも合致したために、当初はポルシェ、BMW、ランチア、フォードといった欧州勢に加えて、ヨーロッパトヨタも参戦するなどと活況を呈していたのですが、いざ蓋を開けて見ると、ポルシェ935の「一人勝ち」となってしまい、各メーカーは次々と撤退して行ったために、結果として6年でこのシルエット・フォーミュラは終焉を迎えることとなりました。
一方の日本では当時スーパーカーブームの真っ盛りで、このシルエット・フォーミュラの「形」は当時のスーパーカー小僧達の心を鷲づかみにしました。何故なら、
カタログデータでしかその優劣が分からないスーパーカーと違って、実際のレースが行われ、目の前で勝敗がつくのですからこんなに分かりやすいハナシはなかったのです。 また、モーターライズキットと呼ばれた実際に走らせることのできるこれらのプラモデルもその人気に拍車をかけました。
当時プラモデル化されたシルエット・フォーミュラを思いつくままに挙げて見ますと、ポルシェ935、BMW3.5CSL、BMW M1、BMW320i Turbo、フォード・カプリ、ランチア・ストラトス、トヨタ・セリカLB Turboなどがありました。
そして、会場内の出店にそれらの懐かしいプラモデルを見つけてしまい、もう少しで買ってしまうところでした(苦笑)
そしてついに日本国内でもこのシルエット・フォーミュラレースが開催されることになります。
ヨーロッパに遅れること3年、1979年に富士グランチャンピオンレースの前座に開催された「富士スーパーシルエットシリーズ」がその最初なのですが、当時はマツダ・サバンナRX-3、
日産・フェアレディZが国内レース仕様のまま参加していたのですが、その後日産からは710型やPA10型のバイオレット・ターボが参戦し、トヨタはトムスがシュニッツァー・チューンのRA20系セリカLBターボを逆輸入して参戦し、どんどんと白熱して行くことになります。
そして1982年にはスーパーシルエットシリーズとして日本で絶頂期を迎えることになります。
日産はR30型スカイライン・S110型シルビア・910型ブルーバードを投入し、これら「日産ターボ軍団」とBMW-M1の激突で、富士や筑波サーキットで開催されたスーパーシルエット・レースは大人気となったのです。また参戦したドライバーも星野一義、長谷見昌弘といったトップドライバーが参戦したために、一時は国内のF2選手権などよりもずっと人気があったのです。
その走る姿はターボチャージャーのアフターファイアをマフラーから吐き出しながら、日常で見かけるクルマに「似た」レーシングカーが走るのですから、その白熱したデッドヒートに子供もそれらのクルマのオーナーであるオトナも同じように熱くなったのです。
実際に会場に展示されていたこのシルエット・フォーミュラを見たときの第一印象は、「そう言えばプラモデルを造ったよなぁ」というものだったのですが、改めてじっくり観察したときに、現代の洗練されたレーシングカーに比べるとあまりに、「安普請」で「野蛮」であることに驚きます。
正直言って、良くこんなレーシングカーで「命をかけて」走っていたものだと思いますが、当時は大真面目だったのですから、
レースというものはダイレクトに人間の闘争心にリンクしている のでしょう。
しかし、これまでの展示車である何でもアリのフェアレディZやこのスーパーシルエットを見て考えたのですが、この
外見が似ていれば中味は何でもアリという考え方は、これからのクルマのあり方の一つの可能性を示唆している のではないでしょうか。
つまり、現代のハイブリッドやEVという動力コンポーネントを使って、そのボディを過去の名車のものとすることにより、これらのクルマは立派に現代に蘇ることができるのではないかと思うのです。
もちろんオリジナル派の方にとっては「無礼千万」なことであるのは承知しています。しかし、
これらのクルマの現役時代を知らない現代の若者が自然にこれらのクルマを格好良いと思っているのは、それが旧いノスタルジックカーであるからではなく、単純にそのデザインを格好良いと思っているからなのではないか と思うのです。
クルマにとって動力コンポーネントが変わるということは、デザインも含めて全てリセットできるということで、内燃機(エンジン)を搭載することを前提に(制約された)自動車のパッケージングは全く新しい可能性を持つことになると思います。これからさらにこの動力コンポーネントがもっと小さくなれば、クルマのデザインは動力源や駆動系を軸にしたパッケージングを前提にせずとも様々な可能性を生むことになるでしょう
だとしたら、その新しいデザインの一つの可能性として、これらのノスタルジックカーのデザインをそのまま身に纏うこともあり得ると思うのですがいかがでしょうか。
むしろ分かりやすいこれらの新しい動力源の可能性として、こうしたノスタルジックカーへのコンバートはそれが商品として成立しなくとも、デモンストレーションとしてであれば随分と効果があると思います。
個人的には仕方なく形を変えざるを得なかった従来のレプリカモデルなどではなく、当時そのままのデザインと造りでEV化されたブガッティ アトランティックとかロールス・ロイス ファントムⅢなんて、これからの高級車のスタディモデルとしては素敵だなと思いますし、ヨタ8やS54B スカイラインなんかで往年の日本グランプリを再現するなんて面白いと思います。
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テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク
ボディのサーフェイサー塗装が終わったらボディの本塗装なのですが、一部カラーリングの資料待ちのため、先に室内のディテールアップの準備をします。それはロールケージの再現で、このクルマ特有のロールケージを自作しなければなりません。
材料は2mmφのプラ棒なのですが、ここでまた秘密兵器?の登場です。これは
フレックスロッド と呼ばれている材料で、手で簡単に曲げることのできるプラ材です。私は大昔に買って持っていたのですが、現在は製造中止となっているようですので入手難の材料です。通常のプラ棒でも田宮模型のものは折れてしまいますが、前回ご紹介したEverGreen製のものであれば少しずつ力を加えて行けば同様に曲げることができます。
ボディとシャーシーを仮組して定規である程度の寸法を測り、まずは目分量で少し長めにフレックスロッドを切り出して寸法を合わせながら調節して行きます。
写真のとおり大体の寸法が決まったらロールケージを組み上げます。
シャーシーに取り付けるための台座は0.5mm厚のプラ板に穴を開けてシャーシーに接着しておきます。
ロールケージはその後の加工に邪魔になりますので、この段階では寸法合わせのみとしまだ接着せずに置いておきます。
折角エレール製のA110からコンバートして来たシートですが、その後の資料でお預かりしたVTRを見ると、当初聞いていたコルビュー風のローバックシートではなく、運転席のみがSparco製のバケットシートであることが判明しました。これは決して寺島社長がボケ始めたワケではなく、何せ20年以上前の記憶ですから仕方ありません(苦笑)。
モデリングの際に必要となる情報は、実際にクルマをドライビングした際の記憶とは必ずしも合致せず、「エンジンヘッドの色は?」とか「プラグコードは何色でした?」などという質問に即答できるはずもありません(笑)。一方でハイカムが組まれていたか?とか、ギアレシオは・・・とかはモデリングに際しては関係ないハナシですので、クルマ趣味は実に面白いものであることを改めて認識することができました。
仕方ありませんので方針を変更することにし、秘蔵の?ホワイトメタル製のSparcoシートを使用することにします。
これも残念ながら現在は製造中止のようで、
こうしたディテールアップパーツも見つけたときに「とりあえず」買っておかなければ、後で必要になったときに後悔することになってしまいます。 ホワイトメタル製で結構な重量がありますので、片側だけの使用となると重量バランスに関して不安もありますが、このGiuliaに取り付けられていたのはまさにこのシートですので、何とか使ってみることにします。
コクピットはまだまだ追加の資料を待ってディテールアップをする予定ですので、一旦はここで作業を中断し、エンジンの組み立てに移ります。まずは仮り組みをしますが、これは今後の方針を決めるためで、実際にエンジンを組んで見て、どこをディテールアップするかを検討します。
プラスチックモデルにしては随分と細かいとこまで再現されているエンジンパーツですが、田宮模型にしては珍しくパーツの合いが悪く、削り合わせを必要とします。
エンジン本体は左右分割といったオーソドックスなものなのですが、何を間違えたのか左右のパーツのサイズが微妙に異なっておりカッチリと合いません。仕方がないので前側で左右を合わせてそのズレを全て後部に集中させて、削り込んで合わせることにしました。
後部パーツの肉厚が殆どなくなってしまっていることが分かるかと思いますが、田宮模型の製品でこれほど合わないのは珍しいことだと思います。また、エンジン前部のパーツやオイルパンもエンジン本体と微妙にサイズが違っており、随分と削り合わせをしなければなりませんでした。
それを除けばエンジンの再現性は良いと思います。
ヘッドカバーには吸気ダクトを取り付けるためのダボ穴が開けられているのですが、ファンネルにコンバートするためにこの穴は不要となります。例によって伸ばしランナーで穴を埋めてペーパーがけをして表面を均しておきます。
こうした
伸ばしランナーによる修正は、私の場合は極力同じキットのランナーを使う ようにしています。理由はプラスチックの材質が同じであるためで、違うメーカーのランナーを使用するとプラスチックの硬さが異なってしまうために表面を均す際に削りすぎたりしてうまく行かないことがあるのです。
キットが完成したら、余ったランナーは適当な長さに切りそろえて保管しておき、塗料の攪拌などに再利用するようにすれば無駄にならずに済むと思います。
エンジン関係のパーツの中で最初に加工が必要なのがキャブレターで、手持ちの
ホワイトメタル製のウェーバーキャブレター と比較してもこのキットのモールドの方が優れていますので、こちらを使うことにします。
しかし、キットはノーマルのGTAをモデル化しているために通常のエアクリーナーがキャブレターと一体でモールドされていますので、まずはエッチングソーでエアクリーナーを切り離します。
エアクリーナーの替わりにこの部分は
アルミ挽き物製のレーシングファンネル に置き換えることにします。
エンジン前の補器ベルトは一体で再現されています。これも一般的なパーツ割ですが、ベルトがどうしても厚くなっていますので、ヤスリで削って薄くしておきます。そうすると強度がなくなってしまいますので削るときに折れないように注意する必要があります。
キットのオルタネーターは単なる「筒」ですので、
ホワイトメタル製のアフターパーツ に置き換えます。
これらのホワイトメタル製のパーツは表面が酸化して白くなっていますので、金属ブラシで磨いてやると素材特有の輝きが戻ってきます。その後にメタルプライマーを全体に塗ると酸化防止にもなります。
エンジン本体の塗装を行います。Giuliaのエンジンはアルミ合金製ですので、Mr.メタルカラーのアルミ色を使ってエアブラシ塗装してみたのですが、発色が素晴らし過ぎてしまい、メッキされたようになってしまいました。
そこで、ヘッドの部分はMr.カラー8番のシルバーに替えて見たのですが、まだこちらの方が適度な艶でアルミ合金の鋳物っぽいのではないかと思います。
そこで本体の艶を抑えるためと、ディテールを際立たせるためにエナメルのセミグロスブラックでウォッシングをして見ましたが、ようやく納得できる質感を得ることができました。
続いてエンジンのディテールアップとして特徴あるツインプラグを再現してみたいと思います。所謂パイピングというものですが、私は超絶な技法を持つプロのモデラーではありませんので(苦笑)、自分でできる一番やり易い方法をご説明したいと思います。
まずはヘッドにモールドされたプラグキャップのモールドを削り、ピンバイスで穴を開けます。
用意するのはディテールアップパーツで売られている
プラグコード用のニクロム線 とビニールチューブです。資料写真を見ると、プラグコードの色はグリーンで永井製のシリコンケーブルではなく、純正の細いタイプのもののようですので、0.38mmφのものを使用することにします。ビニールチューブは丁度良い太さだったので、以前製作した1/12のDUCATI900に付属していたものの残りです。こうしたパーツの残り物は捨ててしまわずに取っておくと、イロイロと役に立つのです。
先日も買おうとして断念したのですが、飛行機モデルのアンテナ線に最適と言われている鮎釣り用の極細の金属製テグスを買いに釣り道具屋に行ったところ、その長さが最低でも12m!(当たり前)で、そんなもの一生かかっても使えないのでヤメてしまいました(苦笑)。
プラグキャップの再現にこのビニールチューブを使用します。ピンバイスで開けておいた穴にビニールチューブを適当な長さに切って接着して行きます。
ディストリビューター側も同様にビニールチューブを接着しておきます。少しオーバースケールですが、こうした
ディテールアップは「省略と強調」が重要 で、実車どおりに全て再現しても単にごちゃごちゃして見えるだけでかえって効果がなくなってしまうのです。
ここでエンジン本体にヘッドを接着していよいよパイピングを開始します。
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メカニカルパートのリセットが完了したら、ボディの最終仕上げを再度わたびき自動車で行います。
わたびき自動車では板金と塗装は担当が分かれており、一般的には
全ての作業ができるようになるために15年はかかる そうです。自分で出来る仕事と出来ない仕事を見極められるようになるのに5年、そして全ての作業ができるようになってからが本当の修行で、量産工場とは異なり市井の板金塗装工場においては二つとして同じクルマはなく、常に一台一台が異なる状況での作業となるのですから、それを見極めて適切な作業を行うということはやはりマニュアルによる作業ではなく、積み重ねてきた経験を多く必要とするのでしょう。
ボディ塗装とは別に、すでに取り外されている外装パーツは塗装前にそれぞれ単体でチェックされて補修されます。
特にフロントスポイラー(バンパー)はDeltaの場合、複雑な形状をしており、さらに走行中にかかるテンションのためにルーバーの支柱にヒビが入ったり折れたりしてしまっている場合が多いために、これらを入念に補修しておきます。
こちらはリアアンダースポイラー(バンパー)の塗装準備の例ですが、こうした樹脂パーツは剥離剤で塗装を剥がすだけでなく、サンディングペーパーで研磨することにより表面の状態もチェックされ、そのまま塗装工程に進んで良いかどうかを確認します。この辺りの作業はプラモデルと同様ですが、そのスケールは1/1ですので、同じ作業であっても大変な労力を必要とします(苦笑)。
細かい樹脂パーツも全て単体で同様の工程により塗装されるのですが、プラモデルの場合は爪楊枝やクリップなどでなるべくパーツ全体に塗装ができるように工夫するのに対して、実車の場合はこうして塗装ブースの中で吊り下げて塗装されます。
ドアノブは永年の使用で爪による傷などが入ってしまう部分です。これらもちゃんと表面処理されてコーティングされます。
実はこうした細部は意外と重要で、
人間が触るパーツの「使用感」は新車と中古車との差を歴然と見せつけてしまう部分 です。わたびき自動車での板金・塗装工においてはこうした部分も見過ごすことなく丁寧にリセットされて行きます。
フロントフードとリアハッチも単体で塗装準備されるのですが、単なる全塗装の場合はこうした作業も行われず、こうした可動部はボディから外されずに隙間をマスキングしただけで塗装されることが多いのです。
作業工程が前後しますが、ウインドウの下のボディ側は雨水のために錆が発生しやすい箇所です。この錆を放置するとどんどん進行して行きますので、細かく補修をしておきます。
そしてボディはいよいよ現在の塗装を剥離されて塗装準備に入ります。
剥離されたボディは金属のベースが露出しますので、ここからの作業は一気に行われます。防錆処理をする前の金属は空気中の湿気だけでも錆の原因となってしまうのです。
ボディも他のパーツと同様にサーフェイサーを塗装し、磨いて本塗装という工程を経るのですが、そこで使用される道具はプラモデルにも使用されているもので、例えば3M製のスポンジヤスリなどは元々は産業用に開発されたもので、それが今はプラモデルにも使用されるようになったものです。産業用のこうした道具は作業効率とコストを重視され開発されますので、その性能は素晴らしくプロが認めた道具には間違いがありません。
Deltaの場合はウインドウフレームが黒で塗装されていますので、これらはボディ塗装後にマスキングされて塗装されます。
ボディの塗装が終わると、単体で塗装された樹脂パーツを取り付けてボディ全体を粗磨き、中磨きを行います。
そこで、クルマはまたクイック・トレーディングに戻されて最終チェックを受けメカニカルパーツの動作チェックやセッティングが行われます。
そして、最後にわたびき自動車で最終の仕上げ磨きを行い、もう一度クイック・トレーディングで試運転を行ってからオーナーに引き渡されることとなります。
長らくお伝えしてきたLANCIA Deltaのリセットのご説明ですが、全体の工程図を載せておきましょう。以前から述べていますように、協力工場との密接なコラボレーションとコーディネーションがこの一連の作業に必要なことがお分かりいただけるかと思います。
最後にこの「リセット」という作業の価値について思うところを述べて見たいと思います。
おおよそ中古車を買う目的には二種類あると思います。一つは「安いから」で、この理由が中古車市場の存在意義であることは間違いないと思います。しかしごく少数であるもう一つの理由は、「新車で売ってないから」で、本当に欲しいクルマがすでに製造を終了しており、手に入れるためには中古車として買うしかない場合には、オーナーは中古車であるが故の「痛み」や「ヤレ」を何とかしてリカバリーし、欲しかった新車に近づけたいと願うのではないでしょうか。
その究極がフルレストアなのですが、一方でレストアは「新車の状態に戻す」ことであり、それはそのクルマの当時の技術レベルでの限界をも含めて、その状態を再現することに他なりません。クラッシックカーやヒストリックカーなどは日常の使用を前提としていないために、このレストアというアプローチは理解できますし、そもそも、そのクルマを欲しいと思った動機が日常に使うためのクルマにするためではないのですから、むしろレストアはそのクルマの価値を高めることになるでしょう。
一方でLANCIA Deltaのようなネオ・ヒストリックというジャンルのクルマはその立場が微妙です。それはオーナーの意思により、日常のクルマとして使用することも問題なくできますし、一方で「お宝」として大事に保管されることもあるでしょう。
つまり、
リセットとはそのネオ・ヒストリックカーを日常に使用しながら「お宝」とするためのアプローチ であり、日常の使用に耐えるためにモディファイされるパーツは慎重に選択され、それが本来のDeltaの外観や走行フィールを損なわないものに限られています。日常の使用に耐えるようにするために結果としてDeltaでなくなってしまっては何の意味もなく、それはプリウスにDeltaのボディを被せることと同義となってしまいます。
そのためのコストは決して安くはありません。世に流通しているDeltaの中古車価格と比較すれば勝負にはならないでしょう。
現在の中古車実勢価格はこの記事を書いている現在で、最安値のHF Integlare 16Vの65万円から最高値のHF Integrale Evoluzione Ⅱ Collezione(最終限定モデル)の545万円!までと多岐に亘っていますが、平均相場は254万円で、最終モデルでも製造から12年が経過していることを思うと、その値段は高値と言えるでしょう。
一方で、この製造から12年という年月はそれが「奇跡」と言われる未登録の新車であっても、確実に様々な部品を劣化させてしまうことは、今回の一連の記事をお読みいただければご理解いただけると思います。
悲しいことに
全ての物質はそれが人間の手で加工された時点から劣化変質して行きます。 変質そのものがその目的であるワインや醤油などを「熟成」と呼んでいるだけで、加工された時点での性質がその加工の目的である自動車のような場合は新車として工場を出た時点からこの劣化の時計の針は回り始めるのです。
リセットはその時計の針を元に戻すだけでなく、さらにその性能を現代の技術を使って製造当時には「あり得ない」クルマを造る「オーパーツ」とも言えるクルマにする作業です。 しかし、一方でこのリセットはどのクルマにもできることではありません。
ベース車両を含めた部品供給の問題。新車製造ラインの技術者以上にそのクルマのことを知り尽くしたメカニックの存在。卓越した個々の職人技によってそれらを支えるインフラの問題。そして最終的にはその価値を認める市場(顧客)の問題。
これらが全て揃わなければリセット作業は成り立ちません。仮に市場そのものがなく、オーナーの意向により一台のみのリセットであったとしても、それ以外の要素がなければやはりリセットは成り立ちません。そういった意味ではコストの問題を別にすれば、リセットの方がレストアよりもずっと難しいと言えるでしょう。
そして、リセット作業は未来永劫できるものではありません。上記の要素が欠けてしまったときにはリセットそのものは不可能となってしまうのです。
クイック・トレーディングによるとこのリセット車の価格はそのベース車両の程度と内装を含めてどこまでリセットするかにもよるそうなのですが、全体で車両価格も含めて400万円~500万円とのことです。
絶対的な価格は決して安くはない金額です。しかし、これまでお伝えして来た作業の内容を見ると、それが標準化された作業となっていることにより、一台限りの作業に比べるとコストが軽減されていることが良く分かります。
なぜならLANCIA Deltaの新車当時の価格は、HF Integlare 16Vが520万円、HF Integlare Evoluzione Iが545.5万円、そしてHF Integlare Evoluzione Ⅱが565万円だったのです。
新車価格と比較すれば、このリセットされたDeltaの価格が決して高くはないことが分かります。
もし、私がLANCIA Deltaに惚れ込んでどうしても欲しいと思うなら、新車未登録の「奇跡」のDeltaを500万円で買うのではなく、間違いなくリセットDeltaを買うでしょう。 そしてこのデタラメな事故修復を受けた「悲劇のDelta」はこのリセット作業のおかげで蘇ることができました。さらにこのリセット作業中に、このDeltaの居場所であった宮城は東日本大震災に見舞われました。仮にリセットに出されずにそのまま宮城に留まっていたならば何らかの被害を受けていたかもしれません。
「悲劇のDelta」は結果として「奇跡のDelta」となったのです。 最後になりましたが、一連の記事を書くことを快く承諾いただいたオーナーのY氏、多くの資料写真を提供いただき、素人の私が分からないことが出るたびに辛抱強くご説明いただいたクイック・トレーディング様及びわたびき自動車工業様に感謝の意を述べさせていただきます。
本当に勉強になりました。ありがとうございます。そして、これからも一台でも多くの「奇跡」を生み出していただけることを願って止みません。
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テーマ:イタリア車 - ジャンル:車・バイク
近年は減少傾向にあるスキー人口ですが、私たちが学生の時にはスキーとテニスは「軟派な学生のたしなみ」で、私もご多分にもれず、スキーを楽しんでいました。しかしそれは決して競技スキーといったストイックな路線に行くのではなく、あくまでゲレンデスキー専門で、もっぱら楽しむためのスキーでしかありませんでした。
しかも私の場合は、女の子にモテるために初級者に講習をする「教え方」の技術を磨くといったもので、自分がある程度滑ることができるようになると自分の上達そっちのけで、様々な講習法を勉強していました。
確かにスキー場で上手に滑る男子は格好良く見えるものですが、そこで勝負をしてもライバルが増えるだけですので、
「親身に一生懸命教えてくれる親切なヒト」 という路線で攻めることにしたのですが(苦笑)、結果として仲間が企画するスキーツアーに、男女を問わず初心者が参加することになると必ずお呼びがかかるようになってしまいましたので、スキーを使った社交術としては間違ってはいなかったのかも知れません(笑)。
社会人になり東京に転職で引っ越して来てからはスキーに行く機会も殆どなくなってしまっていたのですが、一昨年から体力の回復とリハビリを兼ねてスキーをまた始めることにしました。心筋梗塞のリハビリにスキー?と思われるかも知れませんが、私の主治医もスキーが好きで、幾つかの条件を守ればスキーはリハビリに効果的という結論となり安心して再開することにしたのですが、その条件とは決して極寒の吹雪のような状態で滑らない(心臓への負担を減らす)ということと、ロングコースを一気に滑り降りたりせずに、適度な休憩を挟みながらゆっくりと滑るというもので、それは私自身がずっとやってきたことでしたので、これらの制限は私にとって何ら制約とはなりませんでした。
手始めに行った場所は北海道のトマム!でそれはパウダースノーを求めてのことでした。スキーをやったことがある方には分かっていただけるかと思いますが、関東のスキー場の雪は雪質が重く、一度溶けて再びその上に雪が降ったりすると圧雪バーンになったりして脚への負担が大きくなってしまうのです。それに比べて、北海道は一度降った雪が溶けることがないためにサラサラの雪質で、ゲレンデ整備をされていても決して硬くならず、実に滑りやすい雪質で、脚への負担も少ないために30年!のブランクの後に再びスキーを始める場所として北海道を選んだのでした。
おかげで、随分と勘を取り戻せたのと同時に、脚力の衰えも実感することができたのですが、それらを補ってくれたのがレンタルスキーで借りたカービングスキーで、これまたスキー板の30年の進歩を実感することができました。
昔のスキー板はとにかく荷重移動をちゃんとして滑らなければ全くターンできなかったのですが、このカービングスキーは少々山足に荷重が残っていても、何とかターンできる・・・と言うか、曲がりたいなと思ったときには曲がっているといった感じで、脚力が衰えてしまっていてもスムーズに滑ることができるのです。
カービングスキーの理屈は分かっていたのですが、実際に履いて見てそれを実感することができました。しかし、このカービングスキーのおかげで、昔覚えた初心者へのスキーコーチングの方法も変更しなければなりませんでした(苦笑)。
それからは新たにスキー板も新調し、スキーシーズンになると週末は殆どスキー三昧で関東近郊の日帰りスキー場のメジャーなところは殆ど制覇?することになったのですから、やはり私はスキーが好きなのでしょう。と言うか、
同行した相手に少しでも上手くなってもらうことが好き なのかも知れません(苦笑)。
そんな週末スキーへのアシとして重宝するのが愛車のLANCIA Themaで、これまた新しい発見だったのですが、スタッドレスタイヤに履き替えてしまえば、そのFFと軽い車重から雪道も快適に走ることができます。
また、後席が3:2で可倒できてトランクスルーになる構造のために、スキーキャリアを用意しなくてもスキーを積み込むことが可能です。また広大なトランクスペースはそうしてスキーを積んでもまだまだスペースがあり、2人分であれば3泊4日程度のスキーツアーには何の問題もありません。
今回同行したのは笹本夫妻で、奥様は永年スキーを嗜むベテランスキーヤーとのことなのですが、一方の笹本氏は私と同世代ながら、若い時に交通事故で大怪我をしたこともあり、スキーは初心者で今までは奥様の付き合いで年に一度スキーに行く程度とのことでした。
以前から一度ご一緒にと約束していたこともあり、今回ようやくそれが実現したのですが、いつもの笹本家のスキーエクスプレスであるFIAT Puntoがご機嫌斜めということもあり、LANCIA Thema一台に3人で行くことになりました。
そうなると当然?のことながら私が笹本家にお迎えにあがる・・・というのは暗黙の「お約束」のようで(笑)、今回も当たり前のように私がお迎えに上がることとなってしまいました。
笹本家の駐車場にいつものようにクルマを停めて気が付いたのですが、そこにはアルファ・ロメオ
フィアット
ランチア
というイタリアの自動車メーカーの半数が揃ったことになり、あとフェラーリ、マゼラーティ、ランボルギーニがいればイタリア自動車全制覇となるのですが、残りの三台は一筋縄では行きませんのでこの夢の実現にはまだ時間がかかるでしょう(苦笑)。
今回の日帰りスキーの行き先に選んだ場所は、昨年初めて行って気に入った群馬の
川場スキー場 で、ここはとにかく施設が素晴らしいスキー場です。
屋内駐車場から直接ゲレンデに行くことができますし、リフトを2本乗り継げば山頂まで登ることができ、そのまま3kmもの初級者コースが続いているゲレンデは自分のフォームを矯正するにもコーチするにも最適のスキー場だと思います。
スキースクールで資格を持って教えているプロの方はともかく、素人スキーコーチのスタイルには大別すると二種類あり、一つはいきなり山の上に連れて行き、とにかく転びながらも下まで降りることにより自信をつけてもらうというやり方と、一つ一つの動作を丁寧に教えながら、身に着けた技術で滑ることのできるゲレンデを増やして行くというやり方なのですが、私の場合は後者で、前者のやり方も認めてはいますが、それでスキーを嫌いになってしまう危険性があるために、結果としてギャンブルとなるのではと思っています。
さらに、教え方も自分なりに工夫しており、全くの初心者はともかく、すでに経験のある今回の笹本氏のような場合は最初は何も言わずに、まずは滑っている姿を観察することにしています。そうすれば課題が見えて来ますし、そのスキースタイルから、
最初に何かを取り除かなければならないのか、何かを足さなければならないのかが分かります。 笹本氏の場合は、ボーゲンのスタイルは出来ていたのですが、ターンを曲がるための手段としか見ていないために、ムリな「力み」があり、斜面に対する恐怖心の方が先立っていました。
実は、スキー初心者の上達の障害になっているのがこの恐怖心で、その原因は「止まれない」という気持ちにあります。スキーが上手い方には釈迦に説法ですが、
スキーにおいて大事なことは止まることではなく、スピードコントロール だと思います。つまり、スピードコントロールができないので、結果として「止まれない」のであり、最後は「転ぶ」という手段で「止まって」いるのです。
ボーゲンであろうがウェーデルンであろうが、やっていることはスピードコントロールで、ターンは方向を変える手段だけではなく、スピードをコントロールする手段であることを身体で覚えることができれば、スキーは一気に楽しくなるものです。
また、理屈が分かることと、身体でそれができることは異なっており、理屈だけ教えてもダメですし、また方法論だけ教えても応用が効かなくなってしまいますので、私は
まず理屈を説明し、そのために何故そうするのかを説明し実際にやってもらう ことにより、短い時間で上達してもらうようにしています。
相手が子供だと理屈は不要ですが、オトナの場合は「いいからこうしろ」では余程の信頼関係がない限り効果は上がらないところは一般的な「コーチング」と言われている理論と何ら変わるところはありません。
しかし、そうして少しでも上達して頂くのを見るのが嬉しいですし、何よりもそれでスキーを好きになって頂くのが一番の喜びですので、私なりに本を読んだりDVDを見たりしてコーチングの勉強をしてきました。しかし、私のコーチングの技術はそこまでで、まずはそうしてスキーを好きになってもらえれば、そこから先にもっと上手くなりたいと思う方はスキースクールに入ってプロの指導を受けるのが一番だと思いますし、一方で上手くなくても良いからゲレンデスキーを楽しみたいと考えて、様々なスキー場を楽しむのもアリだと思います。
熟年のスキーの楽しみ方は決してスキー場での楽しみだけではなく、むしろスキーの後の楽しみがメインだったりします(苦笑)。
特にスキーで疲れた身体を癒してくれるのが温泉で、そのためにスキーに行くといっても過言ではないかも知れません。私が川場スキー場を気に入ったのは、そのコースレイアウトや施設だけではなく、近場に素晴らしい温泉があるからです。
その場所は
悠湯里庵 という日帰り温泉で、今のところ私の日帰り温泉ランキング1位の場所です(笑)。
それはとても温泉とは思えない施設で、ぱっと見は民芸館かと思える佇まいです。
中に入るとそこはやはり民芸館で、ロビーには素晴らしい「欄間」のコレクションが展示されています。
ロビーには囲炉裏があり、そこが喫煙場所となっているのも贅沢な空間です。
中には本当に博物館があり、火縄銃や鎧から根付に至るまでの様々な展示品があるのですが、左甚五郎作の欄間がさりげなく展示してあったりと、風呂上りにも楽しめる空間となっています。
体力の衰えた私たち熟年世代にとってスキーというスポーツは意外にアリ だと思います。相手があるわけではありませんので自分のペースで楽しむことができますし、自然と美しい景色を満喫し、このようにスポーツ後の楽しみもあるのですから、過去に経験された方だけでなく、これから始めるスポーツとしてもスキーは適していると思います。
さて、今シーズンはあと何回行けるでしょうか・・・。
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テーマ:ひとりごと - ジャンル:車・バイク
個人的には「いすゞ」は大好きな乗用車メーカー「でした」。
ご存知のように現在は乗用車から撤退し、本流?であるトラックに特化していますが、かつては魅力的な乗用車を世に出したメーカーです。
私が初めて自分で購入したクルマはいすゞで、PF50型と呼ばれたオペル・カデットの姉妹車として発売されたクルマでした。当時のいすゞはGMと提携しており、同じグループ内のオペル・カデットを世界戦略車としてGMのグループ各国でブランドを替えて販売していました。
私が中古で購入したジェミニは初期型のLSクーペでしたが、ちゃんと後席にも人が乗ることができ、さらにトランクルームも広く、他の国産クーペにはない魅力を持っていました。
私はそのオンボロジェミニを中古車屋の「前のオーナーは女性でしたよ」の一言で購入したのですが(笑)、学生だった当時は気に入らなかった親のギャランΣからやっと離れられることが嬉しくて、通学からレジャーのアシに毎日使い倒し、残念なことに卒業と同時に廃車にしてしまいました。
自らの手で愛車を廃車にしたのは、このジェミニと後のアルファ164Q4の2台だけなのですが、このジェミニのときの印象は強烈で、解体業者の店先で乗ってきた思い出の詰まった愛車が手続きが終わった途端に、手際よくホイールナットを外され、フォークリフトで持ち上げられてフォークを数回上下に動かすとタイヤが4本地面に落ちて外れ、そのままクルマの山の上にポンと置かれるところを目の当たりにしたときに、
二度と解体屋に直接クルマを持って行くのは止めよう と誓ったものでした(苦笑)。
そのジェミニの印象が強く、その後にFFとなったジェミニ・イルムシャー・ターボ(JT150)を購入し、さらにDOHCモデルのイルムシャーRS(JT190)という限定車に買い替え、結果として3台ものジェミニを乗り継ぐこととなってしまいました。
そしてこの会場で一渡り素晴らしいコンデションの旧車を見ながら奥に入っていくと、目に飛び込んできたのがそのジェミニだったのです。
それは不思議なオーラを放っていました。フルレストアされた誰もが驚嘆の声を上げるスカイラインGT-Rやトヨタ2000GTなどと異なり、自然に年齢を重ねたであろうこのジェミニはそれでもそのコンディションの良さが遠目にも分かる「佇まい」でした。本当に引き寄せられるようにこのジェミニに近づいて行ったのですが、自走で会場まで走って来たというその個体はタイムスリップして現代にやって来たかのようなクルマでした。
ワンオーナー、雨天未使用という謳い文句の通り、ボディには全くサビがなく、ちゃんと定期的に走らせていたということで、エンジンの調子も良いそうなので、そのまま乗り出せる個体でした。
最終モデルのZZ/Rという1.8LのDOHCエンジンを搭載したHPグレードなのですが、当時のいすゞが力を入れていたモータースポーツ(国内ラリー)に参戦するための限定車であったこともあり、その多くはすでに潰されてしまっており、このような形で大切にされ生き残っているZZ/Rは本当に貴重だと思います。
そのボディサイズは現代の基準で見るとあまりに小さく、1000ccクラスではないかと思えるほどなのですが、室内は広く、特に4drのセダンモデルはファミリーカーとしても問題なく使用できる広さを持っています。
スパルタンだったZZシリーズとは別に、ジェミニは当時からスポーティイメージとともに日本車とは「ちょっと違う」ヨーロッパの臭いのするカジュアルな雰囲気を持つクルマでした。
それが一般グレードであったLS/Gモデルで見ることができます。
当時はこのチェック柄のシートが実に新鮮で、事実女の子ウケも良かったために(笑)、私の初代LSの何の変哲もない黒のビニールレザーシートを何とかすべく悪あがきをしたものです。
いすゞの名車と言えばベレットであることに異論はないでしょう。ベレットGT、通称「ベレG」はいすゞを乗用車メーカーとしてトヨタや日産と同列に押し上げたクルマだったと思います。その中でもDOHCエンジンを搭載したGT-Rは鉄板で、今尚多くのオーナーが大切に乗っていますので街中でも見る機会があるモデルだと思います。
ボディサイドのストライプも有名なベレットGTのアクセントなのですが、全塗装の際に剥がされ、適当に貼られてしまう例が多いらしく、このショップの説明によると当時のカタログから「拘って」、その幅を再現しているとのことでした。
アルファ・ロメオをお手本にした・・・と言われているDOHCエンジンは、言われて見ればアルファ・ロメオのエンジンルームに見えてきます。
ベレットGTの現役当時は、圧倒的にアルファ・ロメオの方がマイナーな存在で、私の友人もGiulia Sprintでガソリンスタンドで店員に話しかけられたことがあるそうです。
「綺麗なベレGですね。ボク前から欲しかったんですよ~。いいなぁ・・・ベレG。」 現在ではようやく街中で見かけるベレットとGiuliaの数が拮抗してきたのではないかと思います(笑)。
そしてもう一台のいすゞの名車が117クーペです。
117クーペは自動車史に残るクルマで、ギアに在籍していた時代のジゥジアーロによるデザインの流麗なボディラインを持つクーペでありながら、彼のデザインによる一連のクーペと同様に、後席の居住性もちゃんと確保された4座のGTとして現在にも通用するデザインだと思います。
この初期モデルは「ハンドメイド」と呼ばれる職人の手作業によるボディワークで特に珍重されているのですが、当時のプレス技術ではジゥジアーロのデザインするラインが再現できなかったためで、後にコストダウンのために改悪?されてしまうのですが、それは決して全てが手作業で造られたのではなく、おおまかなボディラインはプレスで製造し、細かい部分を手作業で仕上げたというのが真相で、イタリアのカロッツエリアのような鉄板からの手叩きで製造したのではありませんでした。しかし、それほど当時のいすゞが何とかジゥジアーロのデザインに忠実に製造しようと苦労していたことが伺えます。
もう一つの117クーペの特徴は日本初のフューエルインジェクションを採用したことにあります。と言うか説明を聞いて私も初めて知ったのですが、それは後の排ガス規制や燃費改善のためのインジェクション方式ではなく、純粋にパワーアップのための採用だったそうです。新車の値段は172万円!で、頑張っても月産50台が限度であったため街中で見かけることは稀で、当時はそれ程「縁遠い」クルマでした(苦笑)。
室内も素晴らしい眺めです。一枚板で継ぎ目のないウッドが貼られたインパネは当時の高級車からすると取り立てて目新しいものではありませんが、ちゃんとコストをかけて丁寧に作られたことが伺える室内です。
その後に某メーカーがZAGATOデザインの限定車を製造する際に、その製造コストの問題(技術的には可能)から「勝手に」デザインを変更し、ZAGATOの逆鱗に触れて裁判沙汰になりかけたことを思うと、当時のいすゞは理解できていたかどうかは別にしてデザイナーの拘りを尊重していたのだろうと思います。
そしてジゥジアーロもそのいすゞの良心を理解していたために、いすゞとの関係はその後も続くことになります。
そして117クーペの後継モデルがこのピアッツァでした。1981年当時にこのクルマを見たときに度肝を抜かれたのを今でも覚えています。当時のモーターショーで見るコンセプトカーはあくまでコンセプトカーで、あまりに現実離れしており、そのコンセプトデザインがそのまま街中を走ることはなかったのですが、そのコンセプトカーの一台であったジゥジアーロの「Asso di Fiori」が本当に「そのままの形」で、しかも日本のいすゞから発売されたのです。
ピアッツアはその当時のどんなクルマとも異なっていました。意外に女の子ウケはせずに、私の周囲の女性は「マヨネーズみたい・・・」と心ない感想を口にしていましたが、それでも宇宙船のような内装は好評でした。
それは当時流行し始めたデジタル表示のメーターに加えて、ステアリングコラム周りに各種のスイッチを配し、ステアリングから手を離さずに操作ができるようになっていたりと、コンセプト通りの斬新なデザインでした。
初期のモデルは法規上の問題からフェンダーミラーが装着されており、デザインを台無しにしていましたが、それはジゥジアーロやいすゞの責任ではなく、後に法規が改正されドアミラーになったときにようやく伸びやかなボディラインを遮るものがなくなり、ピアッツアのデザインが完成したと思えたものでした。
しかし、残念なことに内装の素材品質が悪く、経年劣化で内装材が剥れたり取れたりしてしまうため、中古車としては寿命が短く、今見ても斬新なデザインであるピアッツアを後に買おうとすると、その内装のボロさに一気に興醒めしてしまったのですが、流石にこの個体はその状態が素晴らしく、これなら・・・と思わせてくれるものでした。
いすゞはその後もFFジェミニでもジゥジアーロにデザインを依頼していますので、いすゞとジゥジアーロとの関係は磐石かと思われたのですが、当時のいすゞもようやく乗用車メーカーとしての実力をつけ始めた時期で、それまではジゥジアーロデザインを「丸呑み」していたことに対して、このFFジェミニの際にはフロントデザインの変更を提案し、最終的にはジゥジアーロの理解を得られずに彼の名前を表に出すことはできませんでした。
ですので、当時の私はジゥジアーロデザインと知らずにジェミニに乗っていたのですが、室内空間の広さとトランクの使い勝手など、当時のFFジェミニもターボモデルやDOHCモデルといったスポーツモデルだけではなく、通常のグレードでもその魅力は充分で、「街の遊撃手」という意味不明のキャッチフレーズはともかく、フランスの有名なスタントチームを使った街中での
スタント走行のCM は一世を風靡し、随分と販売に貢献したものでした。
今回はその懐かしいFFジェミニを会場で見ることは適いませんでしたが、こうしていすゞのクルマを見ると、様々な思い出が蘇って来ました。おそらくこのイベントの正統な?楽しみ方が、こうした青春時代に過ごしたクルマと再会することなのでしょう。
しかしノスタルジーだけではクルマの未来はありませんので、引き続き未来へのヒントを考察して見たいと思います。
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テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク
いよいよ製作のスタートですが、まずはボディの塗装準備から始めます。
パーティングラインはなるべく目立たない場所に入るよう設計されているのですが、このキットの場合もボディの上面の両端にフロントからリアに走っている「峰」の部分を使って上手に処理しています。しかしパーティングラインのせいでこの峰が「切り立って」いますので、「丘」になってしまわないように、ペーパーで慎重に削ります。
このパーティングライン処理の最大の難所がCピラーの付け根の部分です。パーティングラインがバリのように出っ張っているだけでなく、ラインの左右に段差ができています。
これは金型の左右に寸法上の狂いがあるということで、従来の田宮模型では考えられないことです。特に最近の金型は昔と違って職人が手で彫るのではなく自動機が加工しているはずですので、この段差は加工時のデータ上の問題だと思います。下手に削るとボディラインを狂わせてしまいますし、窓枠のモールドを削ってしまう可能性がありますので、小さく畳んだペーパーで慎重に削ります。
次の問題はサイドミラーの取り付け部分です。キットではボディにその取り付けのための窪みがモールドされているのですが、実車にはない窪みですし、今回はVitaloniに変更しますので、この窪みを埋めて本来のボディ表面の状態に戻さなければなりません。
こうした窪みを埋める方法ですが、私の場合はランナーを炙って線を作ってそれをまず接着してから隙間にパテを盛っています。ラッカーパテはどうしても乾燥すると縮んでしまいますので、大きな窪みを埋めるためにはパテで埋める部分をなるべく少なくしておかなければなりません。そのために「足付け」と呼ばれるこうした処理を行うのですが、ポリエステルパテやエポキシパテを使えば収縮が起こりませんので、使用するパテを変えるのも良いかも知れません。
パテが乾燥したら表面をペーパーで均すのですが、またまた秘密兵器?の登場です。この
「タイラー」 という製品はプラ製の平面の台座にペーパーを貼ってあるもので、各種の番手のものが色分けされて販売されています。
使ってみた感想は、実に使いやすく、こうしたボディ表面の処理では余計な部分を削りすぎることなく仕上げることができました。
エンジンフードの裏面にはちゃんとプレスリブが再現されているのですが、突き出しピンの跡がありますので溶きパテを使って埋めておきます。
またエンジンルームのバルクヘッドのパーツにモールドされたリレーボックスは別に加工しますので削り取っておきます。
まずは室内ですが、キットではリアシートとリアトレーが一体でモールドされており、それをボディパーツに取り付けるようになっています。
リアシートは使用しませんのでまず、リアトレーとシートを切り離します。
実物はリアシートの下はボディパネルなのですが、キットではパネルの表現はありませんので、その再現をしなければなりません。
まずはシート下の窪みをプラペーパーで塞ぎます。
リアのフロアパネルには強度を増すためにプレスによりリブが入っています。実物を見たことがなければ適当に誤魔化してしまうのですが、残念なことにGiulia Sprintは身近にあるために(苦笑)、その形状も分かってしまいますので、プラ板で再現することにしました。
実物のリアはこのように複雑なパネルの形状をしています。
0.5mm厚のプラ板を切ってまずこのパネルの形状を作ります。
さらに溶きパテを塗ると段差がなだらかになり、その後パテが乾燥したらペーパーで表面を滑らかにして削りこんで行けばプレスされたパネルのように見えてきます。
リアトレーは切り離したために独立して取り付けなければなりません。ステーを2mmφのプラ棒で作成しそこに取り付けるようにします。横方向のステーはタイヤハウスに渡すことができるのでですが、それだけでは強度がありませんので、縦方向に柱を立てることにします。
こうした加工用に使うプラスチックの板や棒は様々なメーカーから販売されており、もともとは建築模型用の材料なのですが模型専門店で購入することができます。
一般的に手に入るのは田宮模型から発売されているプラバンやプラ棒という名前の工作用材料なのですが、各社の材質は微妙に異なっており、田宮模型のものは材質が硬く強度がある一方で、曲げたりする加工にはあまり向いていません。一方でこの
Ever Green製 のものは材質が柔らかく加工が容易で、様々な形状のものが揃っていますので重宝しています。
こうした補強はプラスチックを接着しただけでは強度がありませんので、中心にピンバイスで穴を開けて真鍮線を芯にするとしっかりと取り付けることができます。
リア以外のフロアパネルの形状は問題ありませんが、突き出しピンの跡が残っていますので削っておきます。このような加工をしても実際は殆ど見えることはないと思いますが、万が一見えてしまったときに興醒めになりますので、こうした手間をかけてしまうのですが、自己満足の世界なのかも知れません(笑)
ここまで準備できたらサーフェイサー吹きを行います。
キットのモールドは赤で、塗装しなくても出来上がりが栄えるようにとの配慮なのでしょうが、塗装を行うモデラーにとってはこの色は迷惑で、何色でボディを塗装するにしてもベースは白が一番楽なのです。
サーフェイサーを塗装する目的は本塗装のための下地だけでなく、ボディの窪みや傷などをチェックするためなのですが、やはり埋めておいたサイドミラーの穴のパテが縮んでしまっていました。
さらに溶きパテを盛って削ることにします。
パテが乾燥する間にボディの形状を見て見ましょう。赤のモールド色のときにはあまり気にならなかったのですが、こうしてサーフェイサーを塗るとボディの形状がはっきり分かるようになります。
フロントの形状はまずまずで問題ないと思います。特にGiulia Sprintで重要なのがフロントの下部の丸みで、ここが印象を決めるアクセントとなっていることが良く分かります。
サイドビューでやはりこのキットの問題点が露呈します。特に
リアウインドウからテールへの「尻下がり」がキットでは足りない ことが分かるかと思います。
テールの形状に関してもキットでは角張り過ぎており、このせいでテールの絞込みが緩く見えてしまっています。 実際に上から見ると、テールの絞込みはちゃんと再現されていますので、やはりリアの傾斜が足りないこととテールの形状がこうした印象に影響しているのでしょう。
また、キットで足りない部分がボディ両端の「峰」の高さで、下の写真でそれが良く分かると思うのですが、実車のこの部分は意外にしっかりと峰があるのです。
この部分の修正は大変な作業ですので、「心を鬼にして」目を瞑ることにします。いつの日かGiulia Sprintの決定版がレジンキットではなく通常のインジェクションキットで発売されることを願っていますが、現在のプラスチックモデルの市場を見ると難しいかも知れませんので、
納得の行くGiulia Sprintのモデルを手にしたければボディ形状にも手を付けるしかない でしょう。
さて、パテが乾燥したら再度削って滑らかにして、もう一度サーフェイサーを吹きます。
可動するボンネットは合わせがきっちりとし過ぎており、サーフェイサーを塗装して本塗装をすると浮き上がってしまうので、この段階で裏面を削ってスリ合わせをしておきます。
さらに続いて室内にロールケージを自作して行きます。
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このように「わたびき自動車」でボディリセットを行っている間に並行して、クイック・トレーディングではメカニカルリセットが行われているのですが、ボディは最終塗装前にクイック・トレーディングに一度戻され、リセットが完了したメカニカルパーツの搭載が行われます。
その際に足回りのリセットも行い、ボディに取り付けられることになるのですが、他のパーツと同様に足回りのパーツも殆ど全てがリセットされます。特に、足回りは経年劣化と走行距離によって最も消耗している部分ですし、またリセットの効果を実感できる部分でもあります。
足回りもアームやリンクロッドまで全て分解し、部品のチェックを行いますが、特にブッシュやラバーブーツなどのゴム関係の部品はその殆どが交換されることになります。こうしたゴム類は経年劣化で必ずダメになる部品で、走行距離がいかに少なくても確実に消耗劣化します。
中古車市場においては走行距離がクルマの程度の目安とされ、
走行が少ない個体=程度の良い個体=メンテナンス不要 と語られることが多いのですが、それらが全く当てはまらないのがこのゴム類で、製造から年数が経てば基本的には交換すべきパーツです。
中古並行のアルファ164Q4に8年間で15万キロ乗った感想ですが、
クルマの消耗劣化は走ったことにより劣化するものと、走らなかったことにより劣化するものがある と思います。走って劣化する部分はクルマの設計段階で交換を前提に設計され、さらに補修部品も手に入れやすいのですが、走らなかったことより(走行に関係なく)劣化する部品は、劣化しないように設計段階で一体化されていたり密封されていたりしており、それを交換するとなるとASSY交換となってしまったり、部品が手に入らないといった思わぬ障害が立ちはだかることがあります。
一番良いのはコンスタントに適度に走っている個体で、初期化メンテナンスを前提とした場合では、製造年数X5000kmあたりが最もコンディションの良い個体ではないかと思います。
走行距離に全く関係なく劣化する部品の一例がこのエンジンマウントです。走行しなくてもエンジンはマウントに載っていますので、年数が経てばマウントのゴムは劣化し潰れてしまいます。マウントが潰れるとエンジンの高さが下がり、エンジンの振動が大きくなったりミッションリンケージの角度が変わりシフトフィールが悪くなったりします。Deltaの場合はラジエーターファンはラジエーターハウジングに取り付けられていますが、Giulia系の場合はファンがエンジン側に付いているために、エンジンの位置が下がるとファンの位置も下がり、最悪はハウジングにファンの羽が当たり、砕け散ってしまうこともあるそうです。
そしてもう一つの例が配線部品です。イタリア車の配線は日本車と比較してその部品品質も製造品質も劣っており、新車のときからもトラブルの元となっていることはご存知のとおりですが、Deltaのようなエンジンルームの熱が抜けにくいクルマの場合は、その劣化がさらに進行しやすくトラブルの元凶となっています。
リセットに際してはこれらの配線も全てチェックし、トラブルの元であるコネクターを極力、耐熱耐久性の高い国産部品に置き換えて行きます。
電気系統のトラブルはその追求が面倒で、配線を順番にチェックして行くという推理ゲームとなってしまい時間がかかるのが常なのですが、こうしてリセットの際にその問題を事前に対処しておくことにより安心して乗ることができるようになるとのことです。
金属パーツは全てチェックされた後にブラスト処理され再塗装され、ブッシュ類を全て交換します。
またハブベアリングも基本的には交換されることになります。このベアリングも走行距離に関係なく劣化していく部品で、シーリングされたベアリング内のグリスは回転することにより潤滑性を保っていますが、一方で動かないままでいるとグリスは写真のように硬化してしまいます。
Deltaのショックアブソーバーは入手難の部品ですが、KONI製、BILSTEIN製ともにオーバーホールが可能です。またクイック・トレーディングは秘蔵の?ストックパーツも持っているそうです。
アッパーマウントは基本的にはウレタン製のブッシュでリプレイスするのですが、オーナーの希望でピロボール化することも可能だそうです。
コイルスプリングは余程のことがない限り交換の必要はないとのことですが、乗り心地に影響するストラットブッシュなどは全て交換することにより新車の乗り味が戻ってくるそうです。
エンジンリセットの記事で書き漏らしたのですが、こうした部品は全てブラスト処理の後に再塗装されるのですが、オーナーの希望により保護メッキ処理も可能とのことです。実はこうしたメッキ処理は協力工場を見つけるのが難しく、持込部品のメッキはメッキ槽を部品から出る不純物で汚してしまうためにメッキ屋に断られるケースが多いのですが、クイック・トレーディングでは持ち込み部品を徹底的に洗浄し脱脂することにより(それでもメッキ屋にダメ出しされるそうですが・・・)、こうしたメッキ処理も可能とのことです。
クラッチやブレーキの油圧シリンダーも経年劣化する部品です。これらもその後のトラブルを未然に防ぐために、交換されるかオーバーホールされ初期の機能を回復します。
近代化のモディファイとしてはインパネ照明のLED化が挙げられます。イタリア車の場合はインパネ照明が経年劣化で(新車からとも言えますが・・・)暗くなってしまい、製造年数によってはそろそろ球切れの連鎖に見舞われる時期です。これはオプションだそうですが、基盤の配線を作り直してLED化をしているそうです。
LEDの光色も選べますし、ちゃんと照度の調整も可能とのことですので、今後はリセットに際しては多くのオーナーがLED化するのではないかと思います。
ブレーキパーツも全てオーバーホールされるのですが、Deltaのリアブレーキキャリパーは欠品となっています。クイック・トレーディングでは独自のルートでこのキャリパーを確保しているそうです。重要保安部品ですので、不安を抱えたままでは安心して乗ることはできませんので、こうした部品を安定して確保していることはリセット作業を継続して行うことができる前提となっています。
そしていよいよボディにリセットしたエンジンやミッションなどのメカニカルパーツを取り付けて行きます。
殆ど全てのパーツを再度取り付けるのですから、それは
製造工場の最終アッセンブリー工程のようなものなのですが、それが個々に分業化されたライン作業ではなく、原則として一人のメカニックにより行われる のですから、要求される技術はワンオフでクルマを製作するようなものでしょう。
こうしてエンジンや足回りが再度搭載されたボディはわたびき自動車に戻されて、最終塗装の仕上げ工程に移ることになります。
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テーマ:イタリア車 - ジャンル:車・バイク
1月に行く予定だったJCCAのNew Year Meetingでしたが、都合が悪くなってしまい残念に思っていたところ、パシフィコ横浜で開催されたこの「Nostargic 2days」というイベントを友人の笹本氏から聞き、是非に・・・ということでご一緒することとなりました。
このイベントは雑誌「Nostargic Hiro」を出版している芸文社が主催するイベントで、基本的には国内外産の旧車と呼ばれる1970年代~80年代の車の展示会で、モーターショーとの最大の違いは、出展している会社がそれらの車を実際に販売しており、もし気に入った場合は「買える」という敷居の低さにあります。
そうした中古車販売業者だけでなく、旧車をレストアするボディワークショップや、モディファイするメンテナンスガレージなども自社の技術をアピールする場所として展示ブースでは工夫を凝らしてディスプレイしています。
好感が持てるのは、そのブースが決してコストをかけて大掛かりな造作をしたものではなく、モーターショーで見られる華々しい演出とは無縁の手造り感があり、それもまた敷居の低さに繋がっており、
気軽にクルマをじっくりと見ることができる居心地の良いイベント でした。
今回は案内人の笹本氏と私たちよりも「ちょっと」年代が上のO氏と私という3人での見学となったのですが、同じクルマを見ていても微妙に「見所」が異なっていたのは、その個々のクルマに関する原体験が異なっていたからでしょう。
それにしても、いつもはヒトのことを「ヲタク」呼ばわりしている笹本氏が展示されている各車の実に細部にまで精通しており、「思い出す」と言うより「語り出す」といった勢いで、普段の彼とは打って変わったマシンガントークで説明を始めたのには本当に驚きました。しかも彼の知識は自分自身の車歴の豊富さから来るものだけでなく、所有したことのない車に関してまで実に良く知っているのです。
今回の彼の姿を目の当たりにしたことにより、今後どれだけ彼からヲタク呼ばわりされようとも、ちっとも痛くも痒くもなくなってしまいました(笑)。 いつもとは反対ですが、その詳しい解説は
彼のブログ で説明されていますので、そちらをお読みいただいた方が分かりやすいかと思います(爆)ので、私は少し切り口を替えて今回のイベントで感じたことを書いてみたいと思います。
まずは客層なのですが、こうしたイベントに来るのは私たちのようにそのクルマ達が現役であった時代に免許を取り、クルマに熱中した世代のオジサンばかりかと思っていたのですが、現役世代を知らない若いクルマ好きの方が多く来場していたのがとても印象的でした。
昨今は新車を売るためには、まず若い人たちに「免許を取ろう」とCMで訴えなければならないほど、若い世代の免許人口が減っているそうです。
私たちの世代は18歳になるのを待ちわびて免許を取ったものですが、現代の都市部においては、クルマを運転する必要がなくなっているだけでなく、若い世代がクルマに魅力を感じられなくなってしまっているのが自動車業界にとっては最大の問題なのですが、それはもはやクルマが軽自動車やエコカーに代表される「移動の道具」としての地位しかなく、そのクルマを所有することやドライビングに魅力を感じる新車の需要が減っていることを意味しています。
しかし、一方でクルマそのものに魅力を感じる若者は確実に存在し、
彼らにとっては70年代~80年代のこうしたクルマは単なる懐古趣味ではなく、「新車と比較検討して購入する対象」となっているのではと思います。 確かに、そのデザインは最近の新車にない独自性に満ち溢れていますし、何よりも他人との差別化という意味では、彼らと同世代の友人達だけでなく彼らの父親世代にもアピールするでしょう。
今回のイベントだけだったのかも知れませんが、意外にAE86系は陰を潜めており、旧車の鉄板?であるフェアレディZ、箱スカ、ケンメリといった日産/プリンス車勢を多く見かけました。特にフェアレディZは私が感じたこの旧車のトレンドを顕著に表していました。
私たちの世代にとってフェアレディZは現役のときからの憧れでしたが、会場で展示されていたフェアレディZはまさに百花繚乱状態で、オリジナルに忠実にレストアされた個体や当時のモディファイ(改造)を再現した個体に加えて、現代のエンジンに載せ替えて様々なパーツを変更し、もはや外観がフェアレディZであるだけ・・・といったものまで、実に様々なアプローチが見られました。その中でも一番元気が良かったのが最後の「何でもアリ」というフェアレディZで、考えて見ればそのデザインはエバーグリーンな魅力を持っていますので、それをさらに乗り易く、壊れにくくモディファイするためのアプローチであれば、もともとのS/L型直6エンジンに拘る必要はないのかも知れません。
そんなことを考えていたら、私の思いを見透かしたかのように出展社の社長さん(親父さん)と思しき方が近寄ってきて話しかけられました。
その方によると、フェアレディZのエンジンルームは自由度があり、ミッションを含めて「何でも載せる」ことができるそうです。その方は続けて、
「オリジナルがどーこうとかを言わなければ、シーケンシャルATであろうが何でも載せることができるし、Zを最新のパーツで仕上げて乗ってもらうためにイロイロやってるんだよね~」 とこれからの旧車の一つの方向性を示唆していました。
一方で、オリジナルに忠実なのが箱スカ(C10)で、やはりGT-Rという歴史的な名車がある故なのでしょうが、改造例は圧倒的にGT-Rをターゲットにしたものが多く、その出来栄えでしか差別化が計られていないところはフェアレディZと比較すると少し寂しく感じました。
同じく歴史を背負ってしまっていたのがケンメリ(C110)のスカイラインで、こちらも二極化していました。それは希少車であるGT-Rか、レース仕様の改造車かというもので、さずかに「族車仕様」はいませんでしたが、そちらもある種のトレンドになっているのであろうことは、先日の「三浦ツーリング」の際に目の当たりにしました(苦笑)。
そして、今回のイベントで個人的に刺さったのがあるメイクスの展示車たちだったのですが、結構な種類が展示されており、それは現役時代の地味さを知っているだけに意外な光景でした。
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テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク
最近は、
「お前のブログはクルマネタじゃなくプラモネタばかりだ」 とか、
「走ってナンボ」じゃなく「造ってナンボ」に改名したら・・・? と、陰口どころか面と向かって言われるようになってしまっていますが、懲りずにまたプラモデルを造って行きたいと思います(苦笑)。
LANCIA Stratos HFの製作記事では様々なツールや社外パーツを使って、基本的なカーモデルの製作についてご説明したのですが、それはStratos特有のテクニックではなく、基本的にはカーモデル全般に適用されるテクニックです。そして1/72スケールの零式艦上戦闘機21型とSpitfire Mk.Iaの製作記事では、筆塗りにより使用感の再現というテクニックについてご紹介しました。
このテクニックは飛行機モデルだけでなく、戦車などのAFVモデルにも応用できるテクニックですし、カーモデルであってもこうしたテクニックを使うことにより、使い込まれたクルマを表現することができるのですが、今回の製作テーマはある特定の車両の再現というものです。
こうしてプラモデル製作を趣味にしていると、
「自分の愛車をプラモデルで再現してくれ」 と頼まれることがあります。過去にもそういった依頼は結構あったのですが、それはせいぜいボディカラーをその依頼主の愛車と同じ色に塗り、ナンバープレートを自作する程度で、アフターパーツで売っていればそのクルマが履いていた純正以外のホイールまで交換することは可能ですが、社外品のエアロパーツなどでドレスアップをされてしまうと、再現するにしても当時の私の製作技術では不可能で、結果として依頼主と同じボディカラー程度で許してもらったものでした。それでも大感激されましたので、
自分の愛車、それが現在のものであれ、過去のものであれ、がミニチュアモデルとなって手許にあるというのはクルマ好きの方にとっては格別のものなのでしょう。 近年、国産ミニチュアカーの新製品が新車ではなく昭和の時代のクルマ達が多いのは、単にコレクター向きの市場だけではなく、過去に乗っていた(憧れだった)クルマということで、コレクターではない普通のオトナにもアピールしているのではないかと思います。
しかし、今回依頼されたテーマはお世話になっているクイック・トレーディングの寺島社長が1990年に参戦したタルガ・フローリオの出場車を再現するという難題です(苦笑)。
寺島社長はWRC、パリ・ダカールラリー、タルガ・タスマニアラリーと海外のレースに参戦した経験が豊富で、その際の様々なノウハウが現在の仕事にもフィードバックされているのですが(たぶん・・・)、他のレースが最新の戦闘力を持ったクルマでガチで勝ちに行っているのに対して、このタルガ・フローリオはヒストリックカーレースのためにその出場車は最新のモデルではなく、AlfaRomeoのGiulia Sprint GTAでした。海外のこうしたヒストリックカーレースではその出場規程が厳格で、クルマの素性を証明するFIAの認定するHistoric Regularity Car Passを取得していなければならず、しかもそれだけでも参加希望者が多いために、主催者によりさらに絞り込まれるという出場するだけでも「狭き門」です。
しかし、ちゃんとクラス入賞をしてしまうところは流石なのですが、ドライバーもさることながら、このGiulia Sprint GTAは寺島社長の所有車ではなく現地調達?したもので、それもアルファ・ロメオのレーシングチームとして有名な
Chiapparini の所有するクルマだったのです。
その模様はドキュメンタリー番組としてテレビ朝日により放映されましたので、現在では珍しくない日本からのこうした海外での文化的にも認知されているレースイベントへの参加が、いかに当時は珍しいものであったかを物語っています。
寺島社長が借り出したChappariniの許にあったGiulia Sprint GTAは基本的には外観はほぼノーマルですが、そのチューニングはAutoDeltaのワークスチューンに準じたもので、サーキットでのスプリントレースとは異なり、タルガ・フローリオのような公道レースを走るにはかなり大変だったとのことですが、それはモデル化にあたっては障害とはならないことはせめてもの救いではあります(笑)
外観はほぼノーマルですので、特別な改造は必要ないのですが、室内はロールケージが組まれており、シートもレース用のバケットシートに交換されレーシングハーネスが取り付けられています。これらを再現しなければなりませんので幾つかの追加工作が必要となるでしょう。
最大の問題はカラーリングの再現で、レース出場に際して貼られたステッカーやゼッケンなどはこのクルマ特有のものですので、それを限られた資料写真(スナップですが)から再現するのが今回の製作において最大の課題ではないかと思います。
ベースとなるキットは悩んだのですが、やはり田宮模型の1/24スケールのものにしました。実はこのGiulia Sprintのモデルは歴史的にも不遇で、これだけメジャーな車種であるにも関わらず、1/43スケールのホワイトメタル製やレジン製のガレージキットを除けば、殆どキット化されませんでした。
そんな中でようやく発売されたのがグンゼ産業(現GSIクレオス)の1/24スケールハイテクモデルで、このキットはホワイトメタル製のシャーシーにプラスチック製のボディパーツ、エッチングでできた細部パーツなどが組み合わされた上級者向きのもので、造り上げるだけでも結構大変なものでした。後に簡素化したプラスチックパーツだけのキットも発売されたのですが、これらも全て現在は絶版になっています。
一方で田宮模型のものはグンゼに遅れて二番手として発売されたのですが、グンゼのキットとの差はエンジンや足回りが忠実にパーツ化されているだけでなく、田宮模型特有の部品成形のシャープさと組み立て易さで、こうした改造をするベースには適したキットと言えます。ただし、おいおいご説明して行きますが、どうした訳かこのキットは普通の田宮スタンダードとは程遠く、パーツ同士の組み合わせなどが往年のESCIのキットレベルで、組み立てに当たっては加工が必要な箇所があります。
また、残念なことにこの田宮模型のキットも現在は生産休止となっており、一度再生産されたのですが現在は店頭在庫のみとなっているようです。私は発売されたときに買ってストックしていたので、今回はその手持ちのキットを使用することにしましたが、
もし店頭で見かけた方は「とりあえず」買っておくこと をオススメします。
ジゥジアーロデザインのGiulia Sprintの外観は実に複雑な曲面で構成されており、グンゼのキットの時もそうでしたが、その造形について賛否両論があり、この田宮模型のものに関してもベストとは言えず、「どっちもどっち」という評価であることは、いかにGiulia Sprintのボディが見るヒトによって感じ方が異なっているかを物語っていると思うのですが、私自身も田宮模型のものは面構成が少し直線的すぎる気がします。
この辺りは感覚の違いですので、自分が納得できればそれで良いと思いますので、今回の製作にあたってはボディを修正はせずに、個体の再現に注力したいと思います。
それではキットを見てみましょう。
パーツ構成そのものは田宮スタンダードと呼べるもので、ハセガワのStoratos製作時に泣かされたボディとシャーシーの合体もさほど問題もなさそうです。特筆すべきはエンジンの再現で、ちゃんとGTA特有のツインプラグのヘッドが再現され、ボンネットも可動し完成後はエンジンを見せることができるようになっています。当初はボンネットを固定するつもりでいたのですが、このエンジンパーツを見ているうちに、エンジンルームも手を入れてみたくなって来ました(苦笑)。
一方で、資料としてお預かりした写真などを見ると、前述したようにこの個体特有の改造箇所があります。
一番の大物はレーシングモディファイで、室内は後席が取り払われロールケージが入っています。これは仕方ありませんので改造して造るしかないでしょう(泣)。
シートもGTAのストラダーレ仕様とは異なり、コルビュー風のバケットシートにレーシングハーネスが取り付けられており、ステアリングも純正がヘレボーレ製のウッドステアリングだったことに対して、MoMo製のPrototipoに交換されています。そして写真で見るとサイドミラーがVitaloniのSebringミラーに交換されています。
こうした変更はこの個体を特徴づけるものですので無視するワケには行きません。
さてこれらのパーツをどうするか困ったのですが、思い切ってストックしてあるキットから流用することにしました。そのキットとはUnion製のアルピーヌA110で、随分と旧いキットです。実はこのキットはエレールというフランスのメーカーの金型を流用したキットで、Unionという日本のメーカーが再販したものです。当時は1/24スケールでアルピーヌA110のキットというのはこのエレール製のみで、永らく市場から消えていましたのでUnionの再販には狂喜して買ったものです。
「最上級者向け」と謳っているだけあって確かに初心者には手に負えず、組み上げるのも一苦労なキットなのですが、設計がフランスのメーカーだけあってその細部への拘りは行き届いており、ゴルディーニチューンのエンジンもちゃんと再現されており、製作に当たってはチャレンジ精神を掻き立てるキットでした。しかし、現在は田宮模型から決定版とも言えるキットが発売されており、わざわざこのUnion製のキットを造る意味が薄れてしまいました。
そして有難いことにこのキットのパーツから上記の改造用パーツが流用できるので、恐らく造ることのないことからこのキットを潰す決断をしました。
まずはシートですが、左が標準のシートで右がA110のバケットシートです。
ステアリングも同様で左がヘレボーレで右がPrototipoです。モールドがダルなのは年代モノですので仕方ありませんが、スポークに穴を開けたりしてブラッシュアップをしたいと思います。
そしてサイドミラーですが、同じく左が純正のミラーで右がSebringミラーです。
おおよその製作方針が決まりましたので、それでは早速製作を始めることにしましょう。
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エンジン本体のリセットに続いて、それ以外のメカニカルパーツも同様にリセットされます。
ミッションはケースから抜いて、ギアとシンクロを全て分解します。
洗浄が終わったらギアの磨耗を測定して、酷ければギアを交換します。また、シンクロはほぼ交換となってしまいます。
フライホイールも洗浄し、磨耗や歪みをチェックの後にブラスト処理を行います。
クラッチは良い機会ですので交換となります。
そして改めて全ての部品を組みなおし、ミッションケースに収めます。
リアにあるデファレンシャルギアも同様に分解されチェックされて行きます。
ケースは殆どのリセット車は腐食しているために、ブラスト処理をして錆を取り除き再塗装されます。
デファレンシャルギアの問題は、そのオイルシールでこのシールが劣化するとオイル漏れを起こしてしまいます。残念ながら殆どのDeltaは経年劣化のためにこのオイルシールを交換しなければならないのですが、この部品は特殊サイズで純正部品が欠品となっている現在は入手が不可能となっています。クイックトレーディングでは特注でこのオイルシールを製造して部品をキープしているそうですが、当然のことながら純正部品の品質よりも優れており、シール性も耐久性も高くなっているそうです。
次はDelta Integraleのキモでもあるターボチャージャーのリセットです。ターボチャージャーは高回転で内部のタービンが回転するために、排気煙で内部が汚れて磨耗劣化を起こしてしまうため、リセット作業では見過ごせない箇所です。
Deltaのターボチャージャーはギャレット製のものですが、専用部品で現在では入手が難しく、仮に新品が手に入ったとしても高価な部品です。
しかもこうした精密部品はそれが新品であったとしても、永年に亘って部品庫に保管されていると内部が劣化しており、そのまま使用できない場合もありますので、クイック・トレーディングでは基本的には完全に分解してオーバーホールしているそうです。ターボチャージャーのオーバーホールにはその交換部品を含めて特殊な技術を必要とするために協力工場で行われるのですが、こうしたネットワークがリセット作業には重要であることは以前の記事でもお伝えしたとおりです。
ラジエーターはDeltaの弱点の一つで、エンジンルームが狭いことに加えてターボチャージャーを装備したことによりエンジン発熱量の増加から、冷却能力が劣っています。
その対策としてラジエーターはアルミ製のものに置き換え、ホース類も劣化や膨張により漏れの出にくいシリコンゴム製に交換しています。
写真は別の車両のものです 水回りのもう一つの問題はヒーターコアで、腐食により破れると冷却水が漏れ出してしまいます。単体で圧力をかけて水を循環させて漏れをチェックします。
またヒーターバルブは純正品は樹脂製で耐久性に劣り、全閉しないためにエアコンの効きが悪いという問題があります。
対策品として金属製の全閉するタイプのヒーターバルブに交換することも可能ですが、全閉しない…というのには理由があり、夏場でヒーターを使わない時期であっても多少でも冷却水をヒーターコア内部に循環させることにより腐食を防ぐ効果があるのです。仮に全閉できるようにすると、この冷却水の流れが断たれてしまいますので、夏場でも定期的にヒーターを入れることによりヒーターコアの腐食予防をしなければなりません。
エアコンユニットについてもコンデンサーからエキスパンションバルブ、エバポレーターまで全て洗浄しチェックします。
コンプレッサーも必要に応じてオーバーホールを行い、まずはエアコンを完調に稼働するようにします。
過去にご紹介した
Nano Cool も標準で充填すると、悪名高い?Deltaのエアコンは夏場でも寒いほど効くようになるそうです。
Deltaに限らずこの時代のイタリア車のエアコンは効かないというのが定説です。それには理由があり、まずは元々の設計の問題です。当時のイタリア車は設計時にエアコンの装着を想定しておらず、限られたスペースにエアコンのユニットを押し込まなければならなかったために、本来のサイズより小さなものしか装着できず、そのために容量が不足しているケースです。
次に車内の吹きだし口の設計の問題です。日本人は冷気が直接カラダに当たるのを好み、ヨーロッパ人はもともと家の中でも局所空調を好まないことから、日本人には風が弱いように感じるのです。
これらの設計の問題はさておき、エアコンのリセットは初期性能を最大限に回復させることに重点を置いて行われます。
そのためには、さらにブロワーモーターを分解洗浄し、ブロワーボックスを洗浄することにより、匂いの発生源となるカビや汚れを取り除きます。ファンの風量を回復させれば、エアコンの冷気はより強く室内に流れ込むようになるために体感的にも冷える感じがします。
パワーステアリングはイタリア車全般に共通する弱点です。これも日本人との運転スタイルの違いで、日本人は駐車スペースの狭さから据え切りをしてしまうのですが、イタリア車の設計はパワーアシスト程度としか考えておらず、そのためにステアリングラックを痛めてしまうケースが多いのですが、Deltaの場合も同様で、リセットに際してはまずラックとポンプはリビルトすることになります。
メカニカルリセットに当たっては関連する部品を全て交換するかオーバーホールを行って、徹底的に初期化を行います。 メカニカルパーツは単体で機能しているものだけでなく、相互に関連して機能していますので、一部のみの部品の機能を回復させると、結果として弱っている部分にかえって負荷がかかることになります。
このことは水周りのトラブルで経験された方も多いかと思います。ホースからの冷却水漏れを治すと圧力が回復し、今度はヒーターコアを破ってしまうということは良く聞く話です。
メカニカルリセットはまだまだ続きます。
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テーマ:イタリア車 - ジャンル:車・バイク
私の今の姿を知る方々には信じてもらえないかも知れませんが、アルファ164Q4を愛車にする以前の私は、「クルマの集まり」なるものに参加することには否定的でした。アルファ75TSで始まった私のイタ車生活は途切れることなくその後20年以上継続し、おそらくこれからも一生続いていくことであろうと思っていますが、そのアルファ・ロメオとの生活もアルファ155V6まではあくまで単独の趣味であり、あの有名なALFAROMEO DAYにすら参加したことはなかったのです。
理由は至極単純で、徒党を組むことが嫌であったことと、アルファ・ロメオに乗って集まる方々に対するちょっと排他的かなという根拠のない偏見があったのですが、深層心理には一度参加してしまうと、「どっぷりと嵌りそう」という恐れがあったためで、結果としてそれは現実のものとなってしまいましたので、ある意味では自己分析がちゃんと出来ていたのでしょう(苦笑)。
そして、昨年からお邪魔するようになったのがこの「白金台アルファロメオクラブ」なる集まりで、この名前もいつの間にか決まったようで、「クラブ」と銘打っていながらもそこには特に縛りも制限もなく、ただアルファ・ロメオを中心としたクルマ好きが集まる集団で、入会の基準があるとすれば、スマートな(体型は別)熱いクルマ好きで、クルマとヒトと人生を楽しむことのできる「語るに足る」人ということになるのでしょうか・・・(笑)。
実はこうした曖昧でありながら一人一人にとっては明確な?基準が一番難しく、一方で皆がそのことを理解し、そのマナーを身につけていると、同型車や同メイクスといった客観的な基準により集まる集団よりも遥かに居心地が良い ことは、最初にお誘いいただいた「房総ツーリング」で実感させていただいていました。
それまではツーリングを中心に集まっていたのですが、今回はもう少し身近に集まりたいね・・・とのことから「朝カフェ」と題した早朝のミーティングが企画され、そちらにもお邪魔することにしました。
その模様は、参加した
笹本氏のブログ や主催者の一人である
ZAGATORさんのブログ で両氏が書かれていますので、併せてご覧いただければと思います。
この「朝カフェ」の集合場所は第三京浜の都筑PAで、この場所はアルファ164オーナーズクラブの「寄り合い」の場所でもあります。しかし、「寄り合い」なるミーティングが開催されるのは夜で、こうして早朝にこの場所に来る機会はなかったためにとても新鮮でした。
集まった面々はツーリングに参加した方々が中心でしたが、私自身は前回の新春ツーリングに欠席してしまったために初対面の方も多く、それでも皆同じスタンスのクルマ好きであるためにすぐに打ち解けてクルマ談義で盛り上がることができます。
今回は
COLLEZIONE の方々が参加してくださり、Giulietta SpiderとAlfetta GTV2.0という強烈な2台で参加されてコーヒーとサンドイッチのサービスをして下さいました。当然のことながらこれらの荷物はGiulietta Spiderには積めないために、Alfettraを荷物運搬車として使っているところが恐れ多いのですが、会費100円で暖かいコーヒーと美味しいサンドイッチを頂き、さらに「おみやげ」まで用意していただいたのですから、おそらくアシが出てしまったであろうと思います。
次回からは会費を上げてでも、あまり無理のないようにして頂いたほうが気を使わずに済むかと思います。
実はこのGiulietta Spiderは有名な個体で、私も過去のイベントで写真を撮っています。
こちらが2008年のLa Festa Mille Miglinaのスタート時で明治神宮の参道で撮影したものです。
そしてこちらが2009年のLa Festa Mille Migliaの写真で、ゴール間近の「海ほたる」で撮影したものです。
業務連絡となってしまいますが、リサイズ前の画像サイズは3456X2304pixelと大容量で、大判の印刷にも耐えるサイズですので必要ならばご連絡ください。
一方のAlfetta GTV2.0は売り物とのことですが、そのクルマは素晴らしいコンディションでした。実はこの年代のクルマがアルファ・ロメオの中でも一番タマが少なく、Giuliaなどがレストアされて素晴らしいコンディションで流通していることに対して、70年代後半から80年代のアルファ・ロメオは輸入された台数そのものが少なかったことに加えて、部品の入手の問題やボディの腐食が酷いために、早々に捨てられてしまう例が多いのです。
ちなみにこれから買おうというチャレンジャーの方(笑)のためにに朗報ですが、この年代のアルファ・ロメオは北米で販売されていたために、アメリカには純正からOEMまで様々なアフターパーツが販売されていますので、考えようによってはこれからが正念場になるアルファ155以降のモデルよりも部品の状況は良いかも知れません。
当時のモディファイの定番であったロナール製のホイールです。純正も格好良いのですが、このロナールのホイールはベストマッチだと思います。
以前の記事にも書きましたが、私自身はAlfetta GTのボディデザインが好きで、いつかはGTV6を・・・と狙っていましたので、コレ幸いと見学させていただいたのですが、コクピットに座る勇気がありませんでした。
理由は至極単純で、そんなことをしたら最後、どうしても欲しくなってしまうからだったのですが、そのコンディションは本当に素晴らしく、これから他の個体を見る機会があるときに、これがベンチマークになってしまうのは少し困ってしまいました(苦笑)。
まだしばらくはミニチュアカーで我慢です(笑)。ちなみにこのミニチュアカーのホイールが純正です。
さて、皆さんは思い思いに助手席試乗に出かけて行ったのですが、私は居残りをしてゆっくりとお話をさせていただく機会のほうを取りました。私にとってはこの時間が一番楽しく、さらに皆さんが思い思いのクルマの助手席試乗を終えて帰ってきてその感想を語り合っているのを聞いているのが楽しかったのは、根っからの「幹事病」なのかも知れません。
そんな試乗車?の中にあって異彩を放っていたのがこのアルピーヌ・V6ターボではなかったかと思います。私は永年イタリア車ばかり乗っており、集まるのもイタリア車ばかり・・・という環境にいましたので、どうしても見方がイタリア車寄りになってしまい、その対極にあるドイツ車はそのクルマの出来がいかに良くてもどうも苦手なのですが、一方でフランス車となると同じラテン系ということもあり親近感があるのです。
事実、過去に勤めていた会社の役員のお嬢様に免許を取って初めてのクルマについて相談を受けて、ルノー・ルーテシアのバカラという高級仕様車をオススメし、さらにその中古車の上物を探して乗っていただいたり、同じく元上司のセカンドカーとしてプジョー・106S16のSifo Specialといったレアな仕様のクルマを買っていただいたりしていました。
このアルピーヌ・V6ターボは個人的にはずっと射程圏内のクルマで(笑)、何度か逝きそうになったことのあるクルマでした。かつてルーテシアの出物を探して相談に行ったCinqというフランス車専門のスペシャルショップにあったアルピーヌ・ターボV6・ルマンという特別仕様を危うく買いそうになったこともあるのです。
このクルマの問題は二つで、一つはエンジンルームの熱排気で構造上の問題からエンジンルームの熱が抜けず、冬場でもオーバーヒートすることが多々あり、夏場の首都高の渋滞などは即アウトと言われるほど、とにかく熱害対策に苦労するクルマです。そして二つ目は内装で、そのデザインはアバンギャルドで素晴らしいのですが、樹脂の材質がとにかく悪く、経年劣化でボロボロになってしまうのですが、この個体はコンディションが素晴らしく、あとは熱対策をどうするかですが、これは新しいオーナーのこれからのお楽しみでしょう(笑)
アルピーヌとは不思議な縁で、かつて関西にいた頃に遊びに行っていた柳原メンテナンスがアルピーヌA110を「一山幾ら」で輸入し、ちょうどそれがコンテナで到着したときに居合わせたために、社長のA110チェックにご一緒させていただく機会を得て、初めて見るA110に完全にヤラれてしまって以来、アルピーヌは心の隅にずっと棲み続けているクルマです。
残念ながら私の体格と身長ではアタマがルーフに当たってしまい、とても長時間は乗れないと分かってしまったのですが、一方で同じアルピーヌでもこのターボV6は大丈夫で、シートバックを寝かせ、「手長猿」となってしまうドライビングポジションさえ我慢すれば、充分に乗れるサイズでした。
オーナーの方には失礼ながら、いつか「地獄クルマを訪ねて」の対象車として取材させていただきたいクルマです。
話したりクルマを見たりするのに夢中で、あまり写真を撮るヒマがなかったのですが、それほど楽しいひと時でした。企画してくださった白金台アルファロメオクラブの幹事の皆さんに感謝です。
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