デカールが密着したら、機体の使用状況を想像しながら再現するための手順は同じで、この機体の状態を想像してみたいと思います。
前回の零式艦上戦闘機21型は、開戦初頭で部隊配備された後に機種改編で中古機となり、練習機として内地に戻って来た機体ということから、塗装も退色していただろうと想像したのですが、このスピットファイアはBattle of Britainに投入すべく製造された新鋭機であり、経年劣化で塗装が退色するといった状態ではなかったと思われます。一方でこのBattle of Britainは激戦で、パイロットは一日に3回以上迎撃に飛び立つのは日常だったと言われています。
すなわち、基地に着陸すると燃料と弾薬を補給してすぐにまた飛び上がるといったローテーションで、とても機体の清掃などを行っている余裕はなく、エンジンの整備なども夜間に行われていたのであろうと想像できます。
従って、機体表面にはオイルや機銃発射のススなどが付着した状態を再現し、さらに慌しい整備から各部のハッチの塗装が剥れた状態を再現することにします。
ウォッシングが終わった状態です。今回はフラットブラック2:レッドブラウン1の割合で薄めたエナメルシンナーを使いました。
ウォッシングのシンナーが乾燥したら次はスミ入れなのですが、ウォッシングで機体の汚れは充分再現できたと思いますので、スミ入れはパネルラインのみに止めるようにし、乾燥したらエナメルシンナーを含ませた綿棒で丁寧に余分な部分を拭き取ります。
機体上面はブラックで、機体下面はリアルタッチマーカーのブラウンでスミ入れしてみました。ちょっと煩くなってしまいましたが、機体の実感と言うよりこのキットのパネルラインの再現性が強調された結果となり、それはそれで良いのではと修正するのはヤメにしました(苦笑)
続いてパネルラインのチッピングですが、前回の零戦よりも多くしてみました。塗料が剥れる箇所は主翼、尾翼の前縁、機銃の装填パネル、エンジン点検パネル、そしてコクピットの乗降パネルです。スピットファイアはパイロットが乗降しやすいように、左側の機体パネルの一部が下に折れ曲がるようになっています。
最後にウェザリングですが、排気管からのスス汚れと機銃発射口と薬莢排出口からの汚れを再現して見ました。
何せ主翼には左右で8門の機銃が装備されていますので相当派手に汚れることとなってしまいました。
さて、前回の記事で日本でテストされた米軍のP-51C「マスタング」とP-40E「ウォーホーク」について触れましたが、太平洋戦争緒戦時の米国陸軍航空隊の正式戦闘機がP-40で、あの真珠湾攻撃の際に唯一迎撃に飛び立ったのがこのP-40B型で、その後の改良版がP-40E型です。
緒戦で破竹の進撃を果たした日本軍は、当時敵の飛行場を占領した際に無傷のP-40Eを鹵獲することに成功します。
その内の1機は内地に送られ、テスト飛行や研究用にされたのですが、一方でビルマのラングーンではその上昇力と強力な武装から、従来の日本機より迎撃能力が高いと判断され、残った鹵獲P-40Eによる臨時の防空隊が、飛行第五十戦隊の高野明中尉(陸士53期)以下4名の操縦者と整備隊で結成されました。
敵の飛行機をこうして戦闘に使用することは珍しくなく、ヨーロッパ戦線のドイツでも不時着した機体を修理して使用した例がありますが、それは敵に味方機と誤認させるための特殊な作戦に使用され、この日本の例のように通常の戦闘で使用されたのは珍しい例だと思います。しかし、残念ながら初陣の夜間迎撃では味方の飛行第十二戦隊所属の九七式重爆を誤って攻撃して不時着大破させるなどの失敗もあり、あまり活躍することなく三ヶ月ほどで解散してしまいました。
一方で内地に送られテストされたP-40Eは空戦能力では日本機に適わず、「怖れるに足らず」という結果だったのですが、唯一頑丈な機体であることから上昇力と急降下能力では優れており、仮に日本機を高空から先に発見し、急降下で一撃してそのまま降下し離脱されると、日本機では手も足も出ないことが分かり、日本でもそうした能力を持つ「局地戦闘機」のニーズが発生したのは前回の記事でお知らせした通りです。
テストパイロットという立場は偏らない冷静な分析力が求められるのですが、その結果の評価に当たっては戦時下ではどうしても味方の機種を贔屓目に見てしまい、欠点ばかりを探すようになってしまうものですが、1943年11月当時大学生だった佐々木氏(後に召集され陸軍少尉に任官)は、陸軍航空技術研究所で鹵獲展示されたP-40Eのコクピットに座る機会があり、日本機にはない防弾装備と小便を機外に排出するため操縦席に備え付けられた蛇腹状の管を見て、人間工学を配慮した設計に感銘を受けたと述懐しています。
テストパイロットとして飛行しなくても、ニュートラルな視点を持った学生であればこうした日米の用兵文化の差を瞬時に見抜くことができたのであろうと思います。
一方のP-51C「マスタング」は米国陸軍が誇る新鋭機で鹵獲するチャンスはなかったのですが、1945年(昭和20年)1月16日、中国蘇州の日本軍飛行場を機銃による掃射攻撃時に被弾後、近くの水田に不時着してしまいます。パイロットはシートベルトを自分で外すよりも早く日本兵に囲まれ引きずり出されて捕虜の身となりました。 彼はその後収容所を転々としますが、無事に生き残って最終的には札幌で終戦を迎えることとなります。
パイロットの名前はサミュエル・マクミラン(Smuel McMillan)少尉で、彼は本来の自機ではなく、たまたまオリバー・ストローブリッジ(Oliver E. Strawbridge)中尉の愛機であった「エヴァリナ」というニックネームの機体に乗って出撃したのですが、殆ど無傷であったこの機体は修理されて内地に送られテストされることになったのです。
当時の陸軍のテストパイロットであった黒江氏だけでなく、戦闘機の旋回性能・加速力などを重要視し飛行技量が物を言う巴戦を得意とした日本の陸海軍航空隊搭乗員間においても、アメリカ海軍機F6F「ヘルキャット」とならび、空戦性能でも日本陸海軍機にしばしば引けをとらない性能を見せたこのP-51Cは、自負心の強いベテラン搭乗員にさえ「なかなか手強い敵機」との評判でした。
黒江氏はこのP-51Cに乗り、味方の基地を巡回して模擬空戦を行って攻撃法の伝授をしたのですが、
「味方が自信を喪失しないため性能をすべて引き出さなかった」 そうです。
このP-51Cは最後にエンジンが焼きつきを起こして飛行不能になってしまいます。当然ながら予備のマーリンエンジン(ロールス・ロイス製ではなくパッカード社がライセンス生産)は日本にあるはずもなく、黒江氏は友人であった檜少佐(エースパイロットとして有名)にP-51を撃墜して不時着させてくれ・・・と無茶なお願いをします。実戦で撃墜するだけでなく、エンジンを傷つけるな・・・とは随分な要求ですが、檜少佐も快諾し実際にP-51を撃墜するのですが、伊勢湾上空であったため機体は海に沈んでしまいエンジンの鹵獲は成らなかったそうです。
それではスピットファイアの仕上げに移りましょう。
キャノピーは零戦と異なり枠が少ないものですから塗るのも簡単です。今回は面倒がらずにマスキングをして塗装しました。
またちゃんと前部キャノピー上のバックミラーもモールドされていますので、鏡面をシルバーで塗っておきます。
プロペラは先端部を黄色に塗るのですが、発色のためにまず黄色を塗ってからその部分をマスキングテープでカバーして、残る部分をフラットブラックで仕上げるとうまくできると思います。
特筆すべきはタイヤで、イギリスの飛行場は舗装された滑走路ばかりではなく、牧草地を均しただけの臨時飛行場も多かったために、主脚のタイヤは低圧のバルーンタイヤが装備されていました。AIRFIXはちゃんとそれも再現しており、着陸時にタイヤが潰れた状態で成型されています。そして例によって組立説明書にはちゃんとその取り付け角度が指示されています(笑)。
最後に主翼下のピトー管を取り付け、コクピット後ろのアンテナマストを取り付けます。
スピットファイアは好きな機体ですので、奮発してディスプレイベースを作って見ました。アガチス材のディスプレイベースに田宮模型の情景テクスチャーペイントの草(グリーン)を使って牧草地の飛行場っぽくします。
ディスプレイベースにベタ塗りするのではなく、わざと一部に塗ることにより、ジオラマではなくディスプレイベースであることを強調して見ました。
このAIRFIXの1/72キットはその出来が素晴らしく、今後の新金型での開発が楽しみなシリーズです。
残念ながら田宮模型やハセガワと言った日本製の素晴らしいキットと比べると、見劣りがする部分があるのも確かですが、そのお値段(日本製の1/3)と筆塗りを前提とした深いスジ彫りには好感が持てますし、デカールはそのバリエーションはないものの、質そのものは最高ですので、作ってみてストレスを感じることはありませんでした。実は、同じく新金型の上述したP-40Bも買ってしまいましたので、そのうち機会があれば造ってみたいと思っています(苦笑)。
繰り返しになりますが、安上がりな趣味として1/72スケールの飛行機からプラモデル復帰というのはアリだと思いますので、興味を持っていただけたなら是非、試してみてはいかがでしょうか。
随分と手の感覚も戻ってきましたので、次はいよいよ本題の頼まれ物を製作することにしましょう。
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わたびき自動車でボディリセットを行っている間に、クイック・トレーディングではメカニカルリセットが行われます。メカニカルリセットはエンジンだけでなく、ターボチャージャー、ミッション、デフに至るまで全て分解され、さらにラジエーターからエアコンやヒーターコアなどの補器類も全て取り外してチェックされるために、当に「バラバラ」の状態となります。
メカニカルリセットの考え方はあくまでメカニカルパーツを設計時の品質基準に近づけるというもので、オーナーの希望によるチューンアップはあくまでオプションというのが基本です。
まずはエンジンのリセットですが、イタリア車に限らず量産エンジンには製造公差があり、必ず部品のバラツキが存在します。エンジンのリセットに当たっては、部品を分解洗浄して単にリフレッシュするだけでなく、これらの
製造公差を極小化し、再度規定値で組み上げる ことにより、エンジンがファインチューンされることになります。これだけでも効果絶大で、私自身もアルファ164Q4のエンジンをクイック・トレーディングでヘッドオーバーホールしてもらった際にそれを実感することができました。今でも覚えていますが、オーバーホール後に最初に試運転をして近所を一周して帰ったときの私の第一声が・・・、
「何かやったでしょ?」 でした(苦笑)。
寺島社長によると、このファインチューニングの効果が高いのがイタリア車のエンジンで、言い換えればそれだけ製造公差が大きいと言え、ポルシェのエンジンに同様のファインチューニングを施しても、もともとの公差が少ないためにイタリア車ほどの効果は出ないそうです。寺島社長はさらに、
「吊るしのフェラーリ328のエンジンと同じ排気量のアルファ156GTAの3.2L V6エンジンとを比べると、このファインチューニングを行えば、確実にアルファ・ロメオのV6エンジンの方が性能もフィーリングも良くなる」 とのことですので、おそらく私たちは今まで新車であろうと中古車であろうと、
本当のエンジンの実力を知らずに過ごして来た のかも知れません。
ボディから下ろされたエンジンはまずヘッドとシリンダーブロックに分離され、ミッションケース、オイルパンを始め補器類が取り外されます。
エンジンパーツはさらに分解され、クランクシャフト、メタル、ピストン、コンロッドと部品毎に洗浄され、測定チェックされて引き続き使用できる部品と交換しなければならない部品に分類されます。
どんなにオイル管理を行っていても、シリンダーブロックの内部やバルブ周辺はカーボンが付着しドロドロに汚れています。
ピストンの洗浄前と洗浄後です。
付着したカーボンは単に汚れているという問題だけでなく、異常燃焼の原因にもなりますので、洗浄だけでも効果があるのですが、さらに傷や磨耗のチェックを行い、必要であれば交換を行うこととなります。
クランクシャフトも同様に洗浄して計測チェックを行います。クランクシャフトそのものはまず磨耗することはありませんが、クランクシャフトが磨耗するとメタルとのクリアランスが大きくなり、エンジンの異常振動を起こします。またオイル管理が悪かったり、高回転でオイル切れを起こすとメタルが消耗しているケースがあります。エンジンリセットに際しては、メタルは消耗品と考えて全て交換します。
またピストンやコンロッドも同様に測定チェックを行いますが、ピストンリングは全て交換します。
測定チェックに当たっては傷だけでなく、その重量もチェックしてメーカー基準値内であるかどうかを確認します。
WRCワークスカーのエンジンはその基準が更に厳しく、所謂、「バランス取り」されており、部品レベルから全くの別物と言えるのですが、オーナーの要望があればメーカー基準値以上の精度でのバランシングも可能とのことです。
仮にシリンダー内部に傷があったりした場合にはボーリングによりその傷を取り除くことになるのですが、そうした場合は、最悪シリンダー径が大きくなってしまい、ピストンクリアランスが大きくなり過ぎるような場合は全てのピストンをビッグボアのタイプに交換することになってしまいます。
この写真は違うDeltaのシリンダーですが、螺旋状のスジはピストンリングのガイドで問題ないのですが、赤丸で囲った縦の傷は圧縮が抜ける可能性がありますので研磨する必要があります。
また走行の多少に関わらず、製造から年数が経てば必ず劣化する部分の例が下の写真の例です。
この部分はエンジンを取り外してミッションケースを外さなければ見えない部分で、ご覧いただいた通り冷却水が漏れ出し、バランサーシャフトのシールはグリスが硬化しています。
これらはリセットでミッションケースを外すことにより、初めて交換できる部分です。
このように最初に分解してチェックをすることにより、
リセットの全体の工期とその費用を早期に見積り、それを基にオーナーと打ち合わせをするために、ボディリセットと同様に「どこまでやるか・・・」を明確にしてからの作業となります。 一方で、エンジンヘッドはカムシャフト、バルブなどの部品を取り外されて、表面研磨「面研」という作業を外注である金属加工の工場で行われます。
バルブも同様に洗浄してその重量を計測しチェックします。
Deltaのエンジンの問題はバルブガイドで、純正品の材質はあまり良いものではなく、現在供給されている部品も同様に品質に問題があるために、クイック・トレーディングは独自に製造した合金製のバルブガイドに交換するそうです。
こうした部品は単に新品に交換すれば良い(それでもしないよりマシですが)ものではなく、Deltaのエンジンを知り尽くしているとそのウィークポイントが分かっているために、こうした対策を施せるのだと思います。
面研されたヘッドにバルブをすり合わせながら組み付けて行きます。
さらにカムシャフトを組み込んで、タペットのシムを交換し調整して行きます。
当然のことながら通常のタイミングベルトの交換作業で行われる、テンショナープーリーやウォーターポンプも交換します。
Deltaのエンジンで外観上の問題はこのヘッドカバーで、熱で塗料が剥げてしまい、すいぶんとみすぼらしくなってしまいます。折角、リセットするのですから外観上も美しく戻したいものです。
まずはヘッドカバーの耐熱塗料を剥離します。
改めて、耐熱塗料の下地を塗装し、
ちゃんと元通りにマスキングして塗り分けて仕上げます。耐熱塗料はオリジナルよりも現代のものの方が品質が優れていますので、リセット後は以前のようにすぐに剥げることはありません。また、オーナーの希望により色を変えることも可能で、打ち合わせ時に相談に応じるとのことです。
メカニカルリセットはこのように全てを分解して行われるのですが、再度組み上げる技術がなければ分解することはできません。また単に消耗した部品を交換するだけでは、元々の弱点を克服することにはならないために、リセット作業に当たっては、エンジンに限らず全てのユニットが、
分解→洗浄→点検/計測→部品交換/対策→規定値で組付 というサイクルで行われます。
さらにこのサイクルで、「ここまでやるの?」というレベルでメカニカルパーツのリセットは続きます。
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こうしてマスキングで塗り分けを行うと、塗り分け部分ははっきりとしており、しかも上に塗った塗料のエッジが立ってしまいます。今回は少しでもそのエッジを均すためと塗り分け部分をボカすために、二色混合塗料はシンナーで薄めて、面相筆で乾燥した塗料を溶かすようにエッジに沿って少しずつ塗ってみましたが、あまり効果はありませんでした。
やはり最終的にはペーパーで均すしかないのでしょうが、そうすると表面のモールドも削ってしまう恐れがありますので、今回は我慢して次回への課題とします。
名人のフリーハンドでの塗り分けはこうしたマスキングテープによるエッジの問題もなく、やはり筆塗りの王道なのだと実感しました。
ここで下面を保護していたマスキングテープとマスキングゾルを剥がします。
さて、以前の記事で米軍が鹵獲接収した日本機をテスト飛行し、評価したハナシを書きましたが、もちろん日本でも同様のテストを行っていました。テストの対象は敵国の鹵獲した飛行機だけでなく、同盟国であったドイツの戦闘機も参考のために輸入し、テストをしていたことは前回のBf109の記事でお知らせしたとおりです。
さらに日本は同じくドイツの戦闘機であったフォッケウルフFw190A-5も輸入してテストしていました。それは1943年のことで、既に連合軍の反攻作戦は始まっており、危険と隣り合わせの中で海軍の潜水艦で日本まで輸送されました。この機は陸軍航空総監部で技術的な分析ののち飛行テストが行われ、その結果はメーカーの技術者も参照でき、後に五式戦闘機(キ-100)のエンジン排気の空力処理などの参考にされました。
この五式戦闘機は、以前に記事にした三式戦「飛燕」に搭載されたダイムラーベンツDB-601液冷エンジンの生産が滞ってしまったために、急遽エンジンを空冷エンジンに替えて設計された機体で、言うなれば「やっつけ仕事」でわずか三ヶ月で造られた戦闘機でした。
設計者にして見れば、搭載するエンジンをいきなり液冷から空冷に変えろと命令されるのは、自動車で言えばフロントのエンジンをリアに積めと言われるほどの大きな変更で、主任技師であった川崎航空機(現在の新明和工業)の土井氏は最初は抵抗したそうですが、エンジン生産の遅延から一時は230機もの三式戦がエンジンなしの状態で工場に滞留するという異常事態から、設計変更を承諾せざるを得ませんでした。
しかし、正面面積の小さい液冷エンジン装備を前提に設計されたスマートな胴体に、直径の大きな空冷エンジンを取り付けることには空力上も大きな問題があり、そこでドイツより輸入され、陸軍航空審査部にて試験機として鹵獲した連合軍機と共にテストされていたFw 190A-5の排気まわりの空力処理を参考にして、太くなった機首部分と細い胴体の段差に単排気管を並べ、段差で発生する乱流を排気ガスのジェット効果で吹き飛ばすようにして、ようやく量産に漕ぎ着けることができたのですが、実際の五式戦は急造設計にも関わらず、信頼性の高い空冷エンジンのおかげで稼働率も高く、その性能も意外に優れており、「もっと早く改造していれば・・・」とパイロットは悔しがったと言われています。
実際に上の写真で五式戦とFw190のエンジンカウリング横の排気管の写真を見比べていただければ、五式戦の設計がFw190の影響を受けていることが分かると思います。
このように戦時下に輸入されたFw190により、
無理して作ったDB-601エンジンの量産失敗のツケを返してもらった形 となったのですが、実際にドイツでもFw190はBf109よりも性能が優れていたにも関わらず、政治的な理由からBf109の量産を優先されたことは皮肉な符合と言えるでしょう。
そして、Fw190のテストで最も有名なものが、鹵獲した米軍のP-51C「マスタング」、
そしてP-40E「ウォーホーク」、
及び陸軍の新鋭戦闘機であった四式戦「疾風」、
三式戦「飛燕」
との全力直線飛行テストで、高度5,000mで行われたこの
航空史でも珍しいエアレース では、加速に優れるFw190はスタートで他機種を引き離すものの、3分後にはP-51Cに追い抜かれ、5分後の時点ではP-51Cの遥か後方に遅れてしまい、Fw190と「疾風」が大体同じ位置に、さらに少し後れて「飛燕」、さらに後方にP-40Eという結果となりました。
エンジン別で見ると、順位はパッカード(ロールス・ロイス)マーリンエンジン、BMW801エンジン、中島航空機(現富士重工)誉エンジン、川崎航空機(現新明和工業)ハ40(ダイムラー・ベンツDB-601)エンジン、アリソンV-0710エンジンとなり、
アリソン社以外は全て現在の自動車メーカーでもあるところが実に興味深い順位 と言えるでしょう。
後の米軍による四式戦「疾風」のテスト結果とは異なっていますが、燃料や整備状況などで違いが出たのは当然で、自動車以上に飛行機の性能はこうした要因に大きく左右される例だと思います。
機体の塗装が終わったら、まずはデカールの貼り付けです。塗装図を見るとデカールの上にまたデカールを貼らなければならない箇所がありますので、貼る順番に注意しながら貼って行きます。前回の零戦の経験からこのデカールはマークセッターを塗ることにより密着性が高まることが分かりましたので、今回はウォッシングの前に注意書き(ステンシル)も全て貼ってしまいます。
1/72スケールでは限界と思える程、機体に書かれた細かい注意書き(ステンシル)がデカールで再現されています。しかもその文字がちゃんと読めてしまうところが本当に凄いのですが、実際にこれらの小さなデカールを順番に貼るのはそれだけでも根気が要る作業です。
機体下面の国籍マークがないのですが、当時は様々な塗装があったようで、左右を黒と白に塗り分けた機体なんてのもありました。まあ、この翼のシルエットでは間違えようがないでしょうから、国籍マークは不要と判断されたのでしょう。
一方で、機体横の国籍マークと機体記号はオーバーサイズ気味で、塗装図のサイズで貼り付け位置を調整しても合いません(苦笑)。これはおそらくミスだと思われますので、どうしても気になる方は市販の別売りデカールを使うほうが良いでしょう。
デカールが密着したら、さらに機体表面の実感を増すための処理を行います。
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塗装のお話の前に、スピットファイアの好敵手であったドイツ空軍のメッサーシュミットBf109-E型についてのお話をしたいと思います。
この2機は実に好対照で、
片や一撃離脱型の高速戦闘機、そしてもう一方は迎撃戦闘機として開発された、まるで矛と盾のような関係 で、いずれ対決するのが運命のような二機でした。
メッサーシュミットBf109は1934年に開発が開始され、これも奇しくもスピットファイアと同じでした。設計者はロベルト・ベッサーで開発当初はバイエルン航空機製造という会社で、後にメッサーシュミット社に合併されたことから、当初はBf109という機体記号を与えられていました。(後にMe109と改称)
Bf109が搭載したエンジンはダイムラー・ベンツ製のDB-601で、
零戦の記事 でも触れましたので詳しくはそちらをご覧いただければと思いますが、スピットファイアが搭載したロールス・ロイス マーリンエンジンとの最大の差は、燃料直接噴射ポンプ、つまり現在で言う燃料噴射装置を使用していたことです。
一方のマーリンエンジンは信頼性のある従来からあったキャブレター方式であったのですが、地上を走る自動車と異なり、航空機の場合はマイナスGがかかるとキャブレターへのガソリン供給が途切れてしまい、エンジンが息継ぎを起こしてしまうことがあったのに対して、燃料噴射の場合はそういったことがなく、スピットファイア(ハリケーンも同様)との空中戦においてこの一瞬を衝き、多くのイギリス機が撃墜されてしまいました。さらにマーリンエンジンが通常のV型エンジンであったことに対してDB-601は倒立V型で、機首に機関銃を装備するスペースを作ることができたりと、エンジン単体で見たときにはDB-601の方が優れていると言えました。
機体の性能はBf109E-3が最大速度555km/hに対してスピットファイアMk.Iは586km/hと優速で、さらに格闘性能も前述のエンジンの問題を除けばスピットファイアのほうが優れていたことに加えて、航続距離が短いためにBf109はイギリス本土上空で10分~15分程しか戦闘をできなかったことから、総合的な性能ではスピットファイアに軍配が上がったのですが、空中戦はパイロットの錬度が大きく影響し、当時のドイツ空軍はすでにベテランのパイロットが多くいたことに対して、イギリス空軍は速成の新米パイロットが多かったことから、
個々の空中戦ではほぼ互角であった と言われています。
あまりに有名なエピソードとして語られている話ですが、苦戦中のドイツ戦闘機部隊を叱咤のために訪れた空軍元帥であったゲーリンクが、「何か希望は?」と各戦闘機部隊長に尋ねた際に、エースパイロットとして有名なガーラントは、「スピットファイアを配備して欲しい」と答えたと言われていますが、これは史実ではなく、実際は要望していたBf109の改良を急いで欲しいというものだったとのことです。
実はこのBf109-Eは日本にも輸入されテストされています。
Battle of Britainが失敗に終わり、ドイツが攻撃の矛先をロシアに向けていた1941年1月から6月にかけて、ドイツ・イタリアに日本陸軍の山下奉文航空総監を団長(後にシンガポール攻略の司令官)とする軍事視察団が派遣されました。
当時の日本はドイツ・イタリアと三国同盟を締結し、アメリカとの開戦を視野に入れて準備を始めていたのですが、一方でドイツはアメリカを戦争に巻き込みたくはなく、むしろ日本には満州側からロシアを攻めて欲しいと願っていましたので、この軍事視察団を受け入れて破格のもてなしをしたのですが、この際にレーゲンスブルクのメッサーシュミット工場でBf109E-3の展示飛行を見学し、実験用に輸入する話が決まりました。しかし当時、このE-3型は旧型となっており、前線ではすでにBattle of Britainの戦訓から大幅に改良されたF型が配備されていたのですが、当時のドイツは日本の航空技術をナメており、日本に売るのなら旧型のE-3で充分と判断してのことでした。
そして同年6月にはBf109E-3型3機が神戸に到着し、岐阜県の陸軍各務原飛行場に移し試験飛行が行われました。当時の日本陸軍は格闘性能を重視しており、武装も7.7mmか12.7mm機銃2門が標準装備で、最高速や加速力などは二の次とされていました。確かに日本の戦闘機パイロットは巴戦(格闘戦を日本では「巴戦」と呼んでいました)を好み、軽快な戦闘機を第一に考えていたのです。
しかし、一方で中国戦線の経験から単に格闘性能だけでなく、重武装と速度重視の迎撃戦闘機(日本では「局地戦闘機」と呼んでいました)のニーズが高まっており、新たに開発されていたキ-44(のちの二式単座戦闘機「鍾馗」)との間で性能比較が行われたのですが、速度・加速力・上昇性能・航続距離・格闘戦能力など、全ての要素で全面的にキ-44が上回っていました。
しかし、これで根強い巴戦至上主義の日本陸軍で採用が危ぶまれていたキ-44の正式採用が決まる一方で、
「メッサーシュミット怖るに足らず」 という結果となったのですが、搭載されていたDB-601エンジンは好評で、前回の零戦の記事で触れたようにライセンス生産を行うこととなったのです。
そして謎なのがこの3機のBf109の行方で、その後の消息が定かではありません。恐らくエンジンはライセンス生産時の参考としてバラバラにされ、機体はスクラップになったのではないかと思います。
さて、引き続きスピットファイアの製作に戻りましょう。胴体下面には空気取り入れ口やラジエーターなどが別パーツで用意されていますが、筆塗りの場合はなるべく平面な状態が望ましいので、これらは塗装後に改めて取り付けることにして、まずは下面色であるダックエッググリーンを塗ります。
機首の空気取り入れ口はパーツ成型の都合上分割されていますので、その継ぎ目を溶きパテを使って埋めて整形しておきます。
これらのパーツを取り付けて改めて取り付けたラジエーターなどに下面色を塗装します。
上面色を塗る前にマスキングを行い、今度は上面色の塗装に移ります。
マスキングにはマスキングゾルとマスキングテープを使います。マスキングゾルは主翼下面などの塗料が垂れる部分を保護するために、マスキングテープは上面色との塗り分け部分のために使用します。
マスキングが終わったらいよいよ上面塗装を行いますが、これまでの作業で手の皮脂が付いていますので、まずはエナメルシンナーで表面を拭いておきます。
イギリス機の場合の上面色は二色の迷彩が基本です。このモデルはダークアースとダークグリーンの二色でどちらも明度はほぼ同じですので、どちらの色を先に塗っても良さそうですが、色の定着の良さからベースはダークアースで塗ることにします。
筆塗りの場合はどうしても塗膜が厚くなってしまいますので、こうした重ね塗りは避けたいところです。そのためには別々にマスキングして塗装することにより重ね塗りを避けて塗膜を均一にする方法もあるのですが、面倒くさいのと(苦笑)、最後に塗るダークグリーンはなるべく薄めに塗ることにして今回は重ね塗りをすることにします。
下地となるダークアースの塗装が終了しました。
次にダークグリーンの塗装ですが、ベテランのモデラーはフリーハンドで筆塗りをするそうですが、流石に私はそこまで上手くありませんので、マスキングをすることにします。
マスキングの方法はイロイロあるのですが、まずは
塗装図を実物と同じ大きさに拡大して印刷 します。最近の国産キットの場合はちゃんと塗装図にスケール表示が書いてありますので、拡大/縮小倍率の設定でモデルと同じ大きさにできるのですが、AIRFIXの箱の塗装図にはスケールの表示がありませんでしたので、目分量でPC上で設定し印刷をして合わせて見るというアナログな方法を使いましたが、三回目でほぼ原寸大となりましたのでこんないい加減なやり方でも何とかなるものです(苦笑)。
次にその印刷した
塗装図を事務用のクリアーファイルに入れます。 クリアーファイルは100円ショップで売っている薄手の透明なものがこれからの作業にはピッタリです。
クリアーファイルの上に両面テープを貼ると、中の塗装図が透けて見えますので、その塗り分け線をペンでなぞって、デザインナイフで切り出せば、マスキングシートの完成 です。
私は油性のペンを使って失敗してしまったのですが、使用するのは鉛筆にするか切り出すマスキングシート部分にはペンの跡を残さないようにしてください。油性のペンを使用すると塗装をするときに溶け出してしまいます。
平面図を基にに切り出したマスキングテープを立体物に貼るのはそれなりの工夫も必要ですが、機体のモールドをガイドにして塗り分け部分さえ皺にならずに貼り付けることができればまずは成功です。
そして二色目のダークグリーンを塗装します。下地がダークアースですので、それほど厚塗りしなくても色ムラもなく塗装することができました。もともと深目に彫られたスジ彫りも塗料で埋まって丁度良い深さになりました。
塗料が乾燥したらマスキングシートを剥がしますが、下面色のカバー部分はまだ剥がさずにおき、上面色の塗り分けのマスクのみを剥がします。
マスキングシートを使って塗り分けましたので、境目がはっきりとしており、さらに塗料の厚みが目立っています。
これらを修正し、塗り分けの境目をボカす処理を行いながらさらに塗装を続けますが、ここからは実感を高めるための塗装のフィニッシングです。
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リセット作業はまずクイック・トレーディングで全体のチェックから始まります。そしてエンジン、ミッション、デフといったメカニカルパーツとジェネレーター、スターターモーター、エアコンユニット、パワステポンプ、ラジエーターなどの補器類をボディから取り外し、さらに内装のリペアを行う場合はそれも取り外してから板金塗装工場にボディを送ります。
最終的には足回りもリセットするために取り外すのですが、それでは移動ができなくなってしまいますので、最低限クルマを移動させることができるだけのパーツを残しておきます。
板金塗装工場はこれからのボディ修復に備えて、ガラスウインドウ(専門の業者が別途行います)、スポイラーやウインドウモール類、ライトユニット、ドアノブなどの樹脂パーツ、エンブレムなどを全て取り外します。
さらにボディの歪みをチェックし、今回のように修正が必要な場合は修正機に載せるために、ここで足回りも取り外してしまいます。足回りの取り外しはクイック・トレーデンングのスタッフが板金塗装工場に出向いて行います。
外した足回りはオーバーホールされボディ完成後に再び取り付けられることになります。
マフラーもこのように腐食が進行していましたので、交換しなければなりません。
今回のボディ修正に当たってはリアセクションの腐食が酷く、とても修正で引っ張ることができませんでしたので、その腐食した部分を切り取らねばなりませんでした。
これは明らかに最初の事故修復の二次災害で、防錆処理をせずに取り付けられたリアメンバーがまず腐食し、その腐食がパネルに進行したもの と思われました。新品のリアメンバーもこのようにグサグサになっていました。
そしてさらに腐食が進行して、最終的にはリアエンドのアンダーパネルに及んでいました。
こうなると最早、リペアは不可能ですので、
リアエンドのパネルから後ろ部分を移植する しかありません。
モノコック構造のボディは構造上、車体の剛性に影響しますので、単に腐食した部分のみをリペアすれば良いというものではなく、場合によってはその応力を担っている部分全体を補修しなければなりません。
今回、切り取ったリアエンドのパネル部分は剛性に影響を与えている部分ではなかったのですが、切り取らざるを得なかったために、クイック・トレーディングは在庫していたDeltaをドナーにすることを決断します。そうするとこのドナーは廃車にするしかないのですが、そのクルマからパネル以後を切り取って移植することとなりました。
単に移植と言っても、切り取った部分をそのまま溶接することはできません。移植する部分はあくまで一部であり、
ドナーのパネルも全く腐食がないものではありませんので、当然ドナーパネルの補修を行う 必要がありました。
この作業はこれからのボディリペアの基本作業となる工程です。まずは腐食している部分をブラスト処理して腐食部分を露出させます。
この段階で、鉄板を残すか切り取るかを決定するのですが、このパネルは腐食が進行していたために部分的に切り取るしかありませんでした。
切り取った部分は別の鉄板で新たに作成し、溶接して再生します。
このような平板な部分はまだ良いのですが、腐食している部分は平板ばかりではありません。リアエンドのサイド部分も同様に腐食が進行していたのですが、ここは移植することができませんので、再生処理を行うことになります。
いかに繊細な作業であるかがお分かりいただけると思います。
常に原形に忠実に、元々はプレス成型されたパネルを手作業により再生して行きます。 一方でアンダーボディを縦に走るメンバーはボディ剛性を担う重要な部分です。幸いなことにここには大きな問題はありませんでしたが、リアからの腐食がエンドの部分に及んでいましたので、同様に再生処理を行います。
これでようやくリアパネルを移植することが可能になります。
手作業で再生されたパネルは、このように原形に忠実であるが故にフィッティングには何の問題もありません。
しかし、一旦塗装してしまえばこれらの作業の結果を見ることはなく、こうして過程を撮影していなければ陽の目を見ることのない作業です。
ボディのリセットはこうした「見えない作業」の積み重ね であり、そこに板金塗装工場の知られざる作業品質があるのです。
さらにトーイングフックのあるリアエンドを溶接して取り付けてリアセクションの補修は完了です。
しかし、追突のダメージはボディの歪みだけではありませんでした。リアのタワーポストやタイヤハウスにクラックが入っていたのですが、水が溜まりやすい場所であるため、ここを放置すると腐食の原因となりますので、同様に補修を行います。
普通の事故修復であれば亀裂にコーキング剤を塗りこんで塗装するでしょう。それだけでも立派な事故修復と言えるのですが、表面にクラックが入っているということは袋状になっている内側にもクラックが入っているはずです。しかし、その部分は外から見ることができないのです。
わたびき自動車ではわざわざ外板を切り取ってその内部にも防錆処理を施します。
切り取った外板は同様の鉄板を切り出して補修します。
さらにつじつま合わせのために曲げられてしまったリアゲートも元に戻す作業が加わります。
写真は作業の内容が分かりやすいように工程を前後させていますので、リアセクションのパネル修復前の状態ですが、ボディを修正すると、当たり前ですがリアゲートのチリも全く問題なく合います。
ボディ表面は最終的に全塗装を行いますが、ここでリアセクションに防錆処理を施します。
サーフェイサーを塗り、下回りは上塗り塗装を行います。
ドナーのDeltaの塗色はレッドで、Collezioneのレッドはダークレッドですので、どの部分を移植したかが分かるかと思います。
この後に全体のボディ修復を行ってから表面塗装に移るのですが、
事故のダメージを修復するのであれば、ここまでやって初めて「現状に復した」と言える ので、この作業のコストは相手方に請求できる作業です。もちろん保険会社に対しての説明は必要ですし、保険会社の査定部門の見解が異なっていたり、クルマの残存価値との修復コストの比較をした上での妥協はあるかも知れませんが、
私たちユーザーからするとブツけられた愛車を修復するに際して、この作業を要求することはちっとも不当だとは思えません。 しかし一方で、ここまでの作業ができる板金塗装工場は限られてしまうのも現状だと思います。
この作業ができるのは、この作業品質を常に維持することができる技術力と、その資金的な裏づけを保証することができるメンテナンス・ガレージとの連携が必要不可欠 で、綿引自動車においてはこの作業は「当たり前」で、特別に手をかけたわけではなく、日常の修復作業なのです。
板金塗装作業の実態があまり表に出ることがなかったのは、この作業者側の「当たり前」という認識も関係しており、「当たり前」のことを声高に語る必要はないと考えて来たからではないかと思いますが、一方で
私たちオーナー側からするとその、「当たり前」がちっとも「当たり前」ではなく、板金塗装作業の実態は当に「当たり前」が工場によって異なる、「ピンキリ」の状態である ことが今回の取材でよく分かりました。
さらにボディリセット作業は続きますが、この品質基準で行われるボディのリセット作業は、一般の板金塗装工場とは明らかに異なる手間と技術を必要とする作業です。
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例によってコクピットの組み立てからです。イギリス機の機内色はエアクラフトグレイグリーン(BS283)という色で、
特別色として販売 されているのですが、そのためだけに買うのも勿体無いので、調色して作ることにします。
写真はハリケーンの機体内部色ですが、グレイグリーンというより「黄緑色」という感じですので、米軍機用の機体内部色にグリーンを混ぜて見ました。
調色したときはちょっと明るすぎる感じだったのですが、ウォッシングやウェザリングをすることにより、トーンが落ちて結果オーライとなりました。
例によって1/72スケールですので完成してキャノピーを取り付けると内部は殆ど見えませんが、折角精密に再現されていますので、ちゃんと塗装して仕上げます。
気になったのが椅子のサイドの厚みで、ボッテリと見えてしまいますので、ナイフでエッジを削って薄く見えるようにしておきます。
胴体側面にモールドされている機器類もフラットブラックやクロームシルバーで塗り分けますが、結構適当です(苦笑)。
計器盤はデカールで再現されていますが、中央の射撃照準器が邪魔になりますので、予めデカールの干渉する部分をデザインナイフで切っておくと良いでしょう。
コクピット後方の酸素ボンベまでパーツで再現されていますが、これまた完成してしまえば殆ど見えません。酸素ボンベは機体内部色で塗られていたようですが、少しでも目立てば・・・とフラットアルミで塗装して見ましたが、恐らく徒労でしょう(苦笑)。
コクピットが完成したら胴体を貼り合わせます。説明書ではプロペラをこのときに胴体に取り付けるように指示されていますが、これからの工程で邪魔になりますので、プロペラは最後に取り付けることにします。しかし、そうするとプロペラは可動しなくなってしまいますが、プロペラが廻ることがスケールモデルにとって重要ではありませんし、かえってスピンナー(プロペラ中心のカバー)と胴体のガタの原因となったり、廻ることが破損の原因になったりしますので、固定してしまうほうが安全だと思います。
コクピットを挟み込んだことにより合わせ目に少し隙間ができてしまいました。接着剤が乾燥したらパテを盛って隙間を埋めておきます。これからの作業ではコクピットを汚してしまう可能性がありますので、マスキングテープで保護しておきます。
胴体の合わせ目は800番のペーパーで削って合わせ目を消します。その際にスジ彫りも消えてしまいますので、このようにマスキングテープをガイドにして、再度スジ彫りを彫りなおしておきます。
主翼を貼り合わせる前に、主脚収納部分と主翼に装備された7.62mm機関銃の薬莢排出口の内側を塗装しておきます。
この機体の場合は主脚収納部は主翼下面色と同じなので、予めMr.Colorの26番「ダック・エッグ・グリーン」で塗っておき、薬莢排出口の部分はフラットブラックで塗装しておきます。
このスピットファイアの初期型であるMk.1aは7.62mm機銃を8門も装備していました。
実は、第二次大戦の戦闘機の武装は各国によってその思想が異なっています。大別すると大口径機関砲を装備し、
「一撃必殺」を 目指すか、口径は小さくても多数の機関銃を装備し、
「数撃ちゃ当たる」 と考えるかのどちらかなのですが、Battle of Britainで戦ったイギリス空軍のこのスピットファイアもハリケーンも多銃装備型でどちらも7.62mm機関銃を8門装備していました。装備していたこの
ブローニング製の7.62mm機銃は現在も現役で使用されており、発射初速が速く弾道が低伸する(真っ直ぐに弾が飛ぶので照準しやすい)名機関銃 です。そして片翼4門ずつの機銃の弾道を交差させずに扇型になるよう調整することにより、空戦機動中で機体が不安定な状態あっても、敵の進行方向に発射することにより弾幕を造ることができ、敵機がその弾幕に突っ込んでしまえば、確実に相手に損害を与えることができたのです。
これは迎撃戦闘機という要求からは理に適っており、相手を確実に撃墜できなくても損害を与えることにより、相手に爆撃を断念させることができれば、迎撃戦闘機としての役割は達成されたことになります。
事実、多くのドイツ空軍の爆撃機がイギリス上空で撃墜されただけでなく、損害を受けた機の搭乗員は機上で戦死したり、エンジンに被弾した機はドーバー海峡を渡って基地に帰還することができず、その多くが海上に不時着し失われました。こうしてドイツ空軍の爆撃機隊は消耗して行き、イギリス本土上の制空権を握ることができず、結果として侵攻作戦をアキラメさせたのですから、イギリスはこの小口径機銃の多銃装備によりこの戦いに戦略的に勝利したことになります。
対戦闘機戦闘においても、ベテランの搭乗員であれば一撃必殺も可能であったでしょうが、新米パイロットにとっては、空中戦ではそれができる射撃位置につくことすら難しく、どうしても遠くから機体が不安定なままで射撃を開始してしまうことが多く、そういった場合は機銃の弾道が定まらないために相手に命中させることは困難なのですが、こうした多銃装備の場合は、上述したように弾幕を張ることができるため、少なくとも相手に味方への攻撃をあきらめさせたり、多少なりとも損害を与えることができれば、続く戦闘飛行を断念させることができたのです。
これも少数の戦闘機で防空戦闘を行うための戦術で、弾がなくなれば着陸してすぐに補給することができる自国の領土上での迎撃戦闘に特化したことによる武装でした。しかし、やはり7.62mm機銃では破壊力がなく、後の発展型では機銃の数を減らして12.7mm機銃や20mm機関砲を装備するようになりました。
一方相手方であったドイツ空軍の主力戦闘機であったメッサーシュミットBf109E-3型は主翼内に20mm機関砲を2門と胴体機首に7.92mm機関銃2門という装備で、どちらかというと
一撃必殺型の侵攻戦闘機 と言えました。
大口径の機関砲は当たればその破壊力は凄まじいものがありますが、一方で発射初速が低く弾道が不安定なことに加えて、携行する弾数が少なくなってしまい、折角相手を捕らえても弾がない・・・といったことになってしまいます。
しかし、これは戦闘機を開発する際の要求性能から決定されたものであり、メッサーシュミットBf-109は一撃離脱型の高速戦闘機を目指していたこともあり、あまり空中戦を想定していなかったことから、大口径の機関砲を装備し、一発でも命中すれば相手を確実に破壊できる威力の方を好んだのでしょう。これは当時のパイロットの希望にも沿ったものでもあり、スペイン内戦などで実戦経験も豊富であったドイツ空軍の戦闘機パイロットは、自分達の飛行技術にも自信を持っており、敵機を撃墜することに拘ったのではないかと思います。
零式艦上戦闘機もその装備する20mm機関砲の威力は絶大で、当たると確実に敵機を撃墜することができたそうですが、メッサーシュミットBf-109と同様の問題を抱えており、「ションベン弾」と呼ばれるほど発射初速の遅さから弾道が弧を描いて落ちていってしまうことに加えて、3秒も連射すると撃ち尽してしまうほどの携行弾数の少なさから、あまり評判は良くなかったと言われています。従って零戦の場合はその優秀な空戦性能により相手を追い詰め、近距離からここぞという時に短い連射でダダダッと20mm機関砲を発射するという戦闘方法で、メッサーシュミットBf-109のように高速で突っ込み、一撃すると離脱し、また上昇して索敵するという戦闘方法とは異なっていたことは、
中世の騎士が馬上で槍を持った戦い方と武士の刀による戦い方の差と同じ であることは、実に興味深い違いだと思います。
胴体に続いて主翼と尾翼を取り付けます。素晴らしいのがこれらのパーツの組み合わせで、殆ど修正が必要ないほどばっちりと組みあがります。前回の記事で気になった主翼前部と胴体下部の接合部分ですが、段々と気にならなくなって来ましたので、プラペーパーを挟むのは止めにしました(苦笑)
続いて塗装ですが、まずは下面色から始めます。
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「ばんきん」と入力し漢字変換すると
「板金」 と出てきますが、自動車修理の「ばんきん」は、
「鈑金」 と書くそうです。通常の変換では出てこないということは当用漢字ではない?文字ですので、この記事でも「板金」と記載させていただきますが、その「板金塗装」の作業は文字通りボディを修復する「板金」とそれを「塗装」する作業の二種に大別されます。
実はこの
「板金」と「塗装」とは全く独立した作業 で、その異なる作業がセットになっていることが、私たちオーナーにとってこの作業に関する理解を複雑にしているのではないかと思います。
例を挙げれば、「塗装」のためにボディを「板金」すると考えれば、丸ごとボディ部品を交換しようが、凹んだ部分にパテを盛ろうが、結果として表面の「塗装」のためのボディは修復されたことになります。一方で、この「板金」を「塗装」のためではなく、クルマの重要部品の一部として考え、その機能を「修復」(レストア)するというスタンスで考えれば、全く違うアプローチになろうかと思います。
つまり、
外観を修復するために 「板金」し「塗装」するのか、ボディの機能を修復するために 「板金」し、その仕上げのために「塗装」するのかによって、「板金」作業の内容は大きく異なると言えます。
特に現代のクルマに関して言えば、プレス機で製造されたモノコック構造のボディ全体の一部をプレス機を使わずに修復する作業は、様々な設備や特殊な工具に加えて、その材質を知り尽くした作業のノウハウとその作業に当たる職人の「技」を必要とします。
クイック・トレーディングのリセット作業には必ずこのボディの機能修復作業が含まれます。リセットの目的からするとそれは当然で、クルマはメカニカルパーツのみで走るのではなく、それをボディに載せて初めて機能するのですから、まずはそのプラットフォームであるボディありきというアプローチは、リセットというコンセプトからすると当たり前のことと言えます。そしてそのボディの機能回復技術に優れた外注工場の一つがわたびき自動車なのです。
ボディの板金によるリセット作業は大別すると二種類に分かれます。それは
歪みの修復と剛性の修復 です。
歪みの修復は人間に例えると整体と同じで、事故によるものだけでなく、オーナーが自覚していなくても路肩にヒットしていたり、片輪だけの乗り上げ駐車、また駐車場の形状が悪く傾斜地であったりしても、ボディにダメージが蓄積されて歪が出ている場合があります。
今回、事故の影響を計測したところボディ左右で15mmもの歪みがありました。それを修正せずにリアゲートやリアメンバーを取り付けたのですから、当然部品同士が合う訳がなく、そのためにあちこちをわざと歪めて無理矢理合わせた結果、ゲートのチリが合わなくなっていました。
仮に事故歴がなかったとしても、
永年に亘りあちこちから応力が加わったボディの部品を外すことは危険と隣り合わせの作業です。 ネジやボルトで繋がっていても、それを一旦外すことにより再度取り付けようとするとネジ穴が合わなかったりすることは往々にしてありますし、後述しますが、ボディの腐食によりその部品や取り付け基部が外すことにより崩壊してしまうこともあるのです。製造から年月が経過したクルマは「付いてるものは外すな・・・」と言われているのはそのためなのですが、リセット作業においてはその修復を前提として外せるものは全て外すことになります。
このことが、一般的に行われている塗装のための板金作業と異なっている点で、板金塗装工場はこのことを良く知っているために、余計な作業を行わなくても済むように、極力外す必要のない部品は外さずにマスキングして塗装を行うのです。下の写真をご覧いただけると分かると思いますが、リセット作業に際してはガラスを始め、樹脂パーツを含めて、外せるものは全て外してボディを丸裸にします。
足回りやエンジンなどのパーツと同様にイタリア車の場合はこの樹脂パーツが鬼門で、経年劣化で脆くなった樹脂パーツはこうした脱着の際に破損してしまうケースが多く、またそのパーツの中には手に入らないものも多いために、最も脱着したくないパーツ類なのですが、それでも
リセット作業のためにはそのリスクを冒してでも外してしまわなければボディの修復はできない のです。
歪みの修正はセレットと呼ばれる修正機を使って行われます。修正作業は簡単に言えば、正しい寸法になるようゲージにボディを固定し、ボディを引っ張っぱることにより少しずつ矯正して行くのですが、金属は元に戻ろうとする力がありますので、それをうまく利用して少しずつテンションを加えてボディを元の状態に戻して行きます。
こうしてまずはボディ側の歪を戻したのですが、いかにワンオーナーの上物とは言え、ボディは錆びによる腐食が進行していました。リアセクションの錆は、防錆処理を行わずにメンバーを取り付けたために、窪みに溜まった水分により腐食が進行したことによるもので、
いい加減な修復が結果として二次災害を招いた ことになります。
事故の修理のための板金塗装に限って言えば、保険会社には標準工賃という基準があります。もちろんそれは作業内容によって定められているのですが、どこまでを事故修理とするかはその作業の必要性によって保険会社の査定が変わります。
その説明と交渉を行うのがメンテナンス・ガレージやディーラーの仕事で、保険会社に対して合理的な説明を行うことができ、保険会社との信頼関係を構築しているメンテナンス・ガレージとそうでないところの差は、仮に同じ事故の修復を行ったとしたら大きく異なっており、またその作業を行うことができる板金塗装工場のネットワークを持っているかどうかで、実際の修復結果はさらに大きく異なることになるのは、前回のC.A.E.ストラトスの事故修復からもご理解いただけるのではないかと思います。 しかし、残念なことに前回の事故修復は保険会社との示談が成立しているために、今回の事故修復の後始末とも言えるボディの修正とリア周辺の板金作業はリセット作業の一環として行われ、Y氏の持ち出しとなってしまいました。
そして全ての部品を外して、さらにボディのチェックを行っていくと、腐食はリアだけでなくフロアパネルやフロントの各所に及んでいました。
いかに製造段階で防錆処理を施していても、
製造から15年に亘り日常で使用されているクルマのボディ腐食は避けられません。 これらの腐食が即トラブルに繋がる訳ではありませんが、明らかにボディ剛性を損なっており、そのままにしておくと腐食はさらに進行し、メンテナンスのために部品を交換しなければならなくなったときに初めて、その腐食により部品が外せない(取り付けられない)といったことになるのです。
リセット作業ではこれらの腐食部分を徹底的に取り除いて、その修復を行うことが含まれているのですが、そのためには様々な板金技術を総動員することとなります。
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前回の記事で筆塗りだけで造ったAIRFIX製の1/72スケール零式艦上戦闘機21型のことを書かせていただいたのですが、その新金型のAIRFIXのキットがいたく気に入ったので、懲りもせずに同じく新金型という「謳い文句」に惹かれて続けて購入してしまいました(苦笑)。
前回の零戦ではAIRFIXというイギリスのメーカー故に「肩の力が抜けている」と評したのですが、このメーカーが新たに新金型で発売したのは、第二次世界大戦におけるイギリス空軍の名機中の名機であるSupermarine Spitfire(スピットファイア)です。
実は、私自身はイギリス機好きで、過去にも書きましたが、最初に買ったAIRFIX製のキットが1/72スケールのBoulton Paul Defiant(デファイアント)という変態駄作機でした。
このデファイアントについてはまたどこかでご紹介したいと思いますが、普通の子供が見向きもしない機種であったことは確かで、だからこそ模型屋で売れ残って値引きされていたのですが、私自身にとっては安いから買ったのではなく、何かアヤシイ?魅力のある機種だったのです。
イギリス人にとってこのSpitfireは特別な思い入れのある機種で、第二次世界大戦を代表する戦闘機であるだけでなく、ドイツ軍のイギリス侵攻を断念させた航空戦(Battle of Britain)の主役で、このキットもその航空戦の際に活躍したMk.1aをモデル化しています。
スピットファイアの原型は1934年にまで遡り、数々の試作の後、1936年にようやく最終試作機として初飛行を果たします。設計にあたったのはR.J.ミッチェル技師で、彼はそれまで流麗な流線型を持つ機体を設計し、世界的な飛行機レースであった「シュナイダー・トロフィー・レース」という水上飛行機のレースでフランスやイタリアとその優勝を争い、結果3度の優勝を得ていた名デザイナーです。
彼の設計コンセプトはそのシュナイダー・トロフィー・レースに出場したS6Bをベースにしており、出来上がった試作機はその特徴ある楕円形の主翼と引き締まったボディに加えて、ロールス・ロイス製のマーリンエンジンを搭載したことにより、その外観に違わず高性能を発揮しました。
このロールス・ロイス製のマーリンエンジンは第二次世界大戦を代表する航空エンジンで、水冷式のV型12気筒、OHC方式のカムシャフトに、吸気/排気に各々2バルブを装備した高性能エンジンで、後に連合軍の様々な航空機に搭載され第二次世界大戦を通じて使用された名エンジンです。
このエンジンを搭載したことにより、スピットファイアは迎撃戦闘機として必要な上昇力とスピードを得ることができ、また特徴ある楕円翼により軽快な運動性を発揮し、イギリス空軍の主力戦闘機として活躍することとなります。
1940年7月に始まったドイツ空軍によるイギリス攻撃の際に、このスピットファイアはまだ量産中で、主力戦闘機はHawker Harricane(ハリケーン)でしたが、
イギリス空軍は新兵器として開発したレーダーによりドイツ空軍の動向をいち早く察知し、迎撃部隊に対して目標を指示することができたために、対爆撃機にはハリケーンの部隊を、対護衛戦闘機にはスピットファイアの部隊を振り分けることにより効率良く迎撃戦闘を行い、圧倒的に少数の戦闘機と常に基地が空爆に晒されるという悪条件の中、何とかドイツ軍のイギリス侵攻を断念させることに成功します。
このBattle of Britainはイギリスにとっていまだに語り継がれる戦いであると共に、その主役であったスピットファイアはイギリス人にとって当に「救国戦闘機」で、彼らにとっては特別な思い入れのある機種であるために、AIRFIX社もこれまで何度もモデル化しているのですが、その戦いから70周年となることを記念する意味でも、再生したAIRFIX社にとって当然のことながら真っ先に新しく設計しなおさねばならない機種で、零戦と異なり
肩どころか全身に力の入った渾身の作品 となっています。
パーツ割りは前回の零戦と同様に、主翼の上半角が狂わないように下翼部分は左右繋がって成型されており、組み立てやすそうなキットです。
スジ彫りは零戦と同様に、筆塗りを前提とした彫りの深いものですが、さらに細かく機体のパネルラインが再現されています。またコクピットは1/72スケールでのプラスチックパーツの限界と思えるほど凝っており、バルクヘッドと呼ばれるコクピットの背面のパネルに加えて、酸素ボンベまでがパーツ化されています。
正直言って、田宮製の1/72の同キットと比較すると劣っている部分があるのも確かですが、クルマと同じく模型というのはCADで設計する時代になっても、その設計者の思い入れが反映されるもので、その意味ではイギリスのAIRFIX社の思い入れを感じることができるこちらのキットの方が個人的には好ましく思えます。
デカールは一種のみで、Battle of Britainの際に最前線の基地であったBiggin Hillに展開していた第610飛行中隊(Squadron)の有名な機体を再現することができます。デカールは特に表示はなかったのですが、零戦と同様にカルトグラフ製と思われ、これでもかとばかりに細かい機体の注意書き(ステンシル)が再現されています。
これまた有名な機体ですので、数多くの別売デカールが販売されていますので、他人と違うものを・・・と考えるモデラーにとっても「選り取り見取り」だと思います。
このキットも前回の零戦と同様に筆塗りで仕上げようと思っていますが、造り方は基本的に同じですので、細かな説明は省いて、組み立てに当たって注意する箇所や経緯を飛行機に関する薀蓄?と共にご紹介して行くことにします。
例によって機体全体のバランスを見るために仮組みをしてみました。基本的なパーツ割りは零戦と同様なのですが、主翼上下と左右の胴体を合わせるための雄と雌の合わせがきつく、どうしても少し浮いてしまいますので、雄側のピンを削って調整しておきます。今回はパーツ同士の合わせが良かったので残しましたが、削り合わせが必要な場合はいっそのこと切り飛ばしてしまっても良いかと思います。
パーツ同士の合わせは概ね良好なのですが、主翼全縁と胴体との合わせ目が少し大きく感じます。
パテで埋めて補修しようかと思ったのですが、今回はプラペーパーという紙状の薄い板を使って隙間を埋めようと思います。
このように隙間にペーパーを挟んで余分な部分を切り取って整形することにより隙間を狭くすることができます。
それでは製作に取りかかりましょう。
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長らくお伝えしてきたC.A.E. Stratosの事故修復記ですが、その事故修復は少なくともその修復技術に関しては、日本でトップクラスの技術が結集されて完了した例だと思います。しかし、このように徹底的に事故修復されるのは稀で、
同じ事故修復であってもそれが私たちオーナーが期待するレベルで、「正しく」行われないとどのような結果になるか・・・ というお話がこれから皆さんにお伝えするこのDeltaのことです。
貰い事故の場合であれ、過失割合が発生する事故であれ、殆どの皆さんは自分自身も任意保険に加入しているでしょうから、それは保険事故として扱われ、基本的に代金の支払いは保険会社から修理工場になされます。その支払い方そのものは何の問題もないのですが、
こと板金修理に関してはメカニカルトラブルと異なり、その外観をもって修復されたかどうかを判断するしか術がなく、残念ながらその作業内容はブラックボックスと化しており、果たして期待に見合うものであったのかどうかが分からないのも実際ではないでしょうか。 これは私の主治医であるクイック・トレーディングにリセットのために持ちこまれたLANCIA Deltaの例です。
「リセット」とはクイック・トレーディングが永年LANCIA Deltaを扱ってきた経験から、単に外観をリフレッシュしたり、対処療法的に壊れた部品を交換するだけでなく、まず徹底的に分解し、ボディそのもののベースからの修復と塗装を含めて将来のトラブル発生の可能性を検討し、交換するべき部品は交換し、さらに現代の技術で弱点をカバーする対策を施して再度組み上げる手法で、その完成度は製造から20年を経た中古車とは思えない仕上がりなのですが、それは単に中古車を販売するための手段だけではなく、
自身の愛車をこのリセット作業に預けるユーザーも多く、それだけこのLANCIA Deltaというクルマを愛するユーザーが多いことの証明 だと思います。
Y氏は仙台でLANCIA Deltaの最終モデルであるCorrezioneに新車から乗り続けて来た生粋のイタ車乗りの方です。Y氏はこのDeltaに惚れ込んでおり、ずっと乗り続けたいと考えて遠く仙台からクイック・トレーディングへ愛車をこのリセット作業のために預けることにしました。
実は、Y氏のDeltaはこのリセットで入庫する数年前に事故を経験していました。その事故とは信号待ちの際に後方から追突されたというもので、Y氏はその愛車の修理を新車で購入した地元のディーラーに任せることにしました。Y氏とこのディーラーとの付き合いは長く、日常のメンテナンスもお願いしていましたのでこの判断は至極当然であり、さらにY氏は
「追加費用がかかっても構わないので完全に修復して欲しい」 とお願いしました。これがY氏の板金修理の「期待レベル」であったことは明らかです。
Y氏からすると、こうして板金するのであるから仮に事故に関係していない部分に錆などの問題があったとしても、丁度良い機会なので手入れをしたいとの思いからだったのですが、私たちのようなクルマ好きからするとこれも自然なことで、「災い転じて福と為す」というポジティブ思考によるものでした。
そしてディーラー経由での板金修理は完了し、DeltaはY氏の許に戻ってきました。修理費用は後方からの追突でしたので全額相手の保険会社から支払われました。
外観は板金と塗装により美しく修復されていましたが、Y氏には気になった点がありました。それはリアゲートの合わせで、どうしても少し浮いているように見え、実際に信号待ちで停まっていると後ろのクルマのドライバーから、「リアゲートが閉まっていないよ」と親切に教えてもらうことがある程でした。
リアゲートの開閉そのものは多少スムーズではないものの、ロックされないといったことはなかったために、Y氏はあまり気に留めてはいなかったのですが、今回リセットに持ち込んだ際にその点を指摘し、クイック・トレーディングは初めてこのクルマに事故歴があったことを知ることになります。
しかし、後方からの追突による板金修理などは一般的な事故修復で、前回のストラトスのような大事故であればともかく、今回の事故修復はごく一般的な?追突であり、
全損と両天秤にかけるようなものではなく、多かれ少なかれ永年クルマを運転していると経験するレベルの事故 だったのです。
このように外観を見るとワンオーナーの上物で、通常中古車のDeltaとして流通するのであればグッド・コンディションと呼ばれるレベルです。それをさらにリセットするのですから、オーナーのこのクルマに対する愛情と思い入れを感じることができます。
それはクイック・トレーディングも同じで、当初は通常レベルのリセット作業で充分リセットは可能だろうと想像していました。
リセットをするためにはその対象となる個体のレベルが重要で、どんなクルマであってもリセットは可能とのことですが、その費用対効果を考えるとやはり「これは無理」という個体はあるそうです。
一般論では、やはり中古車として
様々なオーナーの手を経てきた個体と、ワンオーナーでずっとディーラーメンテナンスを受けて来た個体とでは、リセットベースとしての程度は大きく異なっているもの です。
リセット作業にあたってはメカニカルパーツを極力取り外し、ボディの程度をチェックすることから始められます。
いかにワンオーナーの上物とは言え、製造から15年以上が経過していることを考えると、やはり見えない部分の程度はボディを丸裸にしてチェックしなければ分からない のです。
そしてボディのチェックをしていたときに驚愕の事実が発覚します。
それは事故修理の板金作業で、その作業が例のリアゲートの「浮き」に大きく影響していたのです。
後方からの追突によりリアボディが歪んでしまっていたのですが、どうやらそれを修復せずに、新品のリアゲートを取り付けようとしたのですが、当然ながらボディ側が歪んでいるのでリアゲートはすんなりと合わず、それを無理矢理合わせるために、折角の新品のリアゲート側を曲げて調整したために、ゲートが浮いたように見えてしまっていたのです。
内部には職人が忘れたのか研磨スポンジが残っていました(苦笑)。
さらに追突によりリアのメンバーも交換されているのですが、ここでさらにこの板金修理の作業レベルが明らかになります。通常メンバーのようなパーツは無塗装で供給されます。それを取り付ける際には板金塗装をする側が下地に防錆処理を施してサーフェイサーを塗って塗装するものなのですが、このメンバーを見ると部品番号のラベルがそのまま残っていたのです。
つまり、この板金工場は部品として入荷したメンバーをそのまま防錆処理をせずに取り付け、その上からボディ色を塗装をしたのです。ラベルに付着したスプレーミストからも分かるように、その塗装も「パー吹き」という一回サッとスプレーしただけの塗装で、こんな状態で取り付けられたメンバーであればすぐに錆びてしまうと思うのですが、これも
開けてみなければ分からない「パンドラの箱」 でした。
そして、さらにここにも「つじつま合わせ」の跡が残っていました。ボディ側の歪みをそのままにしてメンバーを取り付けなければならなかったためにボルト穴が合わず、メンバーを曲げて調節していました。
一口で「板金修理」と言ってもその作業品質は大きく異なります。それは単にコストをかければ出来るというものではなく、
どこまで修復するか(できるか)・・・という目標(技術)レベルが大きく影響する のです。
すなわち、外観だけ治せば良いという目標レベルであると、この程度の板金作業は「当たり前」と言えるかも知れません。そして、メカニカルなメンテナンスとは異なり、一度塗装されてしまえば内部は分からなくなってしまい、私たちオーナーはこの「パンドラの箱」を開けて見る機会はなくなってしまいます。
それをプロである業者は良く知っているからこそ、事故歴のある中古車が敬遠されてしまう のでしょう。
結果として、オーナーのY氏の「期待レベル」の事故修復とはかけ離れたレベルでの修複(これを「修復」と呼ぶのであれば・・・)となってしまっていたのですが、敢えて言わせてもらえば、
この作業は一般の国産車ユーザーが脚代わりに乗っているクルマであったとしても、とても許容できる修理とは言えない でしょう。これが正規ディーラーの外注先であったこの板金塗装工場の技術レベルであったのか、その発注をしたディーラーの見識であるのかは定かではありませんが、もしこれが世間一般での事故修復作業の平均レベルであるのであれば、私たちのようなクルマを移動のための道具以上に愛する者にとっては、とても安心して修復を任せることはできません。
ストラトスの記事でも書きましたが、その目標レベル、言い換えれば板金工場の作業(技術)標準が高い場合は、事故車は「新車以上」になる可能性があるのですが、残念ながらそのような作業標準を持つ板金工場は稀で、しかも私たちはその作業内容を知る術がないのも現実なのです。
こうしてリセット作業は、事故板金の「後始末」から始まることとなりました。
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いよいよ最終仕上げですが、
1/72スケールの大戦機製作上の最大の問題が風防(キャノピー)の塗装 ではないかと思います。
現代と違って昔はプレキシガラス(アクリル)の素材や成型技術が発達しておらず、キャノピーは平面に近い状態のガラスをフレームで組み上げた状態でした。
戦闘機にとって、敵よりも先に相手を見つけるためには、コクピットからの視界は重要 ですので、このフレームは視界の妨げになり実に邪魔なものなのです。
第一次世界大戦で活躍した複葉機からよりスピードの出る単葉機の時代になっても、パイロットはその視界の悪さを嫌い、例え風雨に晒されたとしても風防のないコクピットを好んでいましたし、現代のようにレーダーで敵を捕捉するジェット戦闘機でさえ、目視による会敵は重要で、その視界を確保するためにフレームのないドーム型のキャノピーにパイロットは半身を晒すほどの姿勢で乗り込んでいます。
実例をご紹介しましょう。第二次世界大戦の戦闘機の中でも最良の中の一機である米軍のP-51 マスタングですが、その初期型であるB/C型までは写真のように風防はフレームで囲われており、さらにファストバックと呼ばれる後方視界が限られてしまうタイプのスタイルでした。
当然、この風防はパイロットには不評で、機体を供与されたイギリス空軍は、独自にその中央部をバブル型のタイプに改良しました。これは設計したロバート・マルコム技師の名前を取って「マルコム・フード」と名付けられたのですが、パイロットにも好評であったために米軍も配備済の機体を含めてこのタイプに改造しました。
そして後の発展型であるD型では完全にバブルタイプのキャノピーに改良され、パイロットの視界は劇的に改善されることになりました。日本では最後まで対応できるアクリル材料とその加工の技術がなく、このバブル型のキャノピーを採用することができなかったのです。
さて、零戦のキャノピーのフレームは機体色で塗られていましたので、モデルではそれを塗り分ける必要があります。
これにも幾つかの方法がありますが、基本的には細かくマスキングするかフリーハンドで塗るかに大別されます。マスキングも当然、この零戦のような細かいフレームで構成されている場合は面倒で、特に1/72スケールともなるとあまりに細かくなりすぎてしまい、マスキングテープをカットする際に傷をつけてしまったりする失敗の可能性も大きくなります。
幸いなことに・・・というか、きっと意図的なのだと思いますが、このキットのキャノピーはフレームのモールドが凸型で再現されていますので、今回はマスキングをせずにフリーハンドで筆塗りしてみようと思います。
面相筆でフレームを塗る場合はまず下部周辺のフレームを塗ってから、前部、中央部、後部とブロック毎に塗るようにします。
少々はみ出しても塗料が乾燥した後に、爪楊枝の先をデザインナイフで斜めに削って極細のヘラを作り、それにシンナーを含ませて削れば、ハミ出した塗料を剥がすことができますので、あまり怖がらずにむしろエッジが波打たないように心がけながら塗装します。
クリアパーツですので接着には充分注意して、サラサラタイプではない普通の接着剤をチョンチョンと点付けして接着します。もちろん一番良いのは、前回ご紹介した水性の速乾クリアの接着剤を使うことですが、わざわざ購入しなくても、通常のプラモデル用の接着剤でも問題はありません。
曲がってしまっていたプロペラは瞬間接着剤で矯正して組み立てます。プラスチック樹脂の材質もメーカーによって個性があり、このAIRFIXのプラスチックは適度な柔らかさを持っているのですが、それが仇になっているのが細かいパーツで、今回のケースの様に曲がってしまったり、エッジなどのモールドが少しダルな成型になっています。この辺りもメーカーの個性が反映される部分でしょうが、昔からAIRFIXのプラスチックはヤスリやペーパーなどで整形しやすかったのに対して、当時の国産のキットのプラスチック樹脂は硬く、部品をランナーから切り離す際に細かな部品はすぐに折れてしまったりしたので、そんなところでも「舶来上等」を実感したものでした。
最後に翼端灯を塗装して、後は主脚、尾脚、着艦フック、アンテナ、ピトー管などの小物パーツを取り付ければ完成なのですが、ナンと説明図に主脚の取り付け角度が指示されています。
こんな注意書きがあるキットは初めてですが、考えてみると、そこまで厳密に角度を調整しなくとも、出来上がったモデルを着陸姿勢でディスプレイする場合に、この角度が狂っていると随分とイメージを悪くしてしまいますので、参考値としてでもこうして表示されているのは有難いことだと思います。しかし、分度器で角度を測ってまで取り付けるヒトはいるのでしょうか・・・(笑)
キットには「増槽」と呼ばれる落下式の外部燃料タンクも付属していますが、内地の練習機ですので今回は取り付けないことにしました。
そしてようやく完成です。
今までの製作中の写真では1/72スケールの大きさが実感できなかった方もいらっしゃると思いますので、参考までに横に缶コーヒーを置いて見ました。これでどの位の大きさか分かっていただけるのでは?と思います。
1/72スケールはこうしてお気楽に造ってコレクションをするには最適なサイズですが、やはり小さいために細部の再現には限界があり、それを気にし始めると追加加工をして見たり、別売りのエッチングパーツやレジンパーツなどを使ってみたくなるのも人情だと思います。今回は筆塗りで塗装し、最小限の工具で組み立てるということをテーマにして製作しましたので、一切の加工はせずに、全てキットのパーツをそのまま使って組み上げました。危うくピトー管は金属パイプと金属線を使って置き換えたくなりましたがぐっと堪えました(笑)
そして造り上げて見た感想ですが、私のような老眼モデラーが(苦笑)、1/72スケールの飛行機を造るのであれば、一機をあまり深追いして追加工作をせずに、むしろ様々な機種を数多く作って楽しむ方が精神的にも健全ではないかと思います。
その意味でも、AIRFIX社からこれから発売されるであろう新金型のキットは、パーツの精度も良くストレスなく組みあがりますし、筆塗りに適した適度な深さのスジ彫りと上質なカルトグラフのデカールに加えて、爆安価格ですのでオススメできるキットだと思います。
筆塗りの塗装でも、機体表面に様々な技法を使って「使用感」を表現することにより、このような小さなキットでもオモチャっぽくなるのを避けられたのではないかと思います。
写真では分かりにくいのですが、零戦の特徴でもある主翼の「捩り下げ」と呼ばれる微妙な角度もちゃんと再現されています。正直言って、これには本当に驚きました。AIRFIX恐るべし・・・です(笑)。
しかしながら、こうして書くのは簡単ですが、やはり
筆による塗装は塗料の濃度調整や筆運びなど、多くの部分に「手の慣れ」が必要 で、しばらくプラモデルを造っていないとこうした手先の感覚が鈍ってしまい、再び思い出すまでには失敗を繰り返すこととなってしまいます。
様々な分野の職人の手先が超人的な技を生み出しているのは、決して才能や訓練だけではなく、毎日の作業でその手が慣れているからで、ブランクが開いてしまうと職人もやはりその手先の感覚を戻すのに苦労するそうです。
久しぶりに筆塗りをやって見ましたが、やはりプラモデル造りの原点は筆塗りだと思います。私たちの年代のモデラーは皆、お小遣いをためて塗料を買って、はみ出た接着剤でベトベトになったプラモデルに、学校で使う図工用の丸筆一本で塗料をベタベタと塗るところから始めたのです。
よく、「昔はよく造ったけどなぁ・・・」と嘆いている「引退モデラー」の方がいらっしゃいますが、昔と比べるとキットも工具も確実に進歩しています。不思議なもので、自転車のように一度身体が覚えたその感覚は、僅かのリハビリ?と練習で取り戻せますので、その
「手の感覚」さえ戻れば確実に昔よりも上手く造ることができるはず だと思います。
今回のAIRFIXのキットと基本的な工具や塗料を買い揃えても、総額で3,000円もあれば充分でしょう。
老眼だから・・・とアキラメずに、良く出来たこのような簡単なキットからまた造り始めてはいかがでしょうか?
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模型製作の続きの前に、読者の方から海外には日本のような味方識別の方法はなかったのか?というご質問をいただきましたので、前回の記事でご紹介した味方識別帯のハナシをしたいと思います。
確かに、敵か味方かを識別する問題は交戦国双方の課題であったろうと思いますが、イギリス機の一部に主翼前縁に色を塗った例があるくらいで、恒常的なカラーリングの例はありませんが、例外的なカラーリングがInvasion(侵攻) Stripeと呼ばれる黒と白のストライプです。
写真はイギリス空軍のスピットファイアに描かれたInvasion Stripeですが、これは連合軍のヨーロッパ大陸への大規模な反撃作戦のきっかけとなったノルマンディ上陸作戦に参加する機体に描かれたものです。様々な機種が多数この作戦に参加したために、地上から味方に攻撃されないためや空中での同士討ちを避けるために、作戦期間中限定(ヨーロッパ大陸に侵攻するにつれて引き続き残された例もあり)で描かれたカラーリングです。確かにこれだけ派手だと目立ちますので間違いも少なかったでしょうが、結果は地上の味方を鼓舞するという成果はあったものの、ノルマンディ上陸作戦当日に反撃したドイツ空軍機は2機のフォッケウルフFw190のみで、これだけ周到に準備したにも関わらず、空中での同士討ちはおろか、空中戦そのものがなかったというのは皮肉な史実です。
さて、本題に戻りますがクルマのモデルと違って、飛行機のモデル(特に軍用機)は単に綺麗に色を塗っただけでは、いかにもプラモデルといった感じになり、それが小さいモデルであっても全体的にのっぺりと見えてしまいがちです。
したがって、仕上がりでより実感を高めるためには、
クルマのモデルの塗装とは異なったアプローチが必要 となります。
まずは
機体上面の退色表現 です。前述したように、この機体は工場ではなく基地で整備員の手で機体上面色を塗装されたように思われます。すなわち、工場と違ってそれほど念入りには塗装されなかっただろうと想像できますので、紫外線で退色した表現をするために主翼上面と水平尾翼のところどころを1500番~2000番程度の細かいペーパーで削ってやります。そうすることによって、最も紫外線が当たる翼の上面に最初に下地として塗ったカーキグリーンを部分的に露出させることができます。
南方のラバウルなどに配属された機体だと、相当退色が激しかったと思われますが、内地配属の機体ですのであまりやりすぎないように止めます。
ペーパーで機体表面を削りますので跡が残りますが、これはこの後の工程である程度修正できます。それでも削る箇所は最小限に止めるようにします。
次にエナメルシンナーにレッドブラウンをベースにフラットブラックを少し混ぜた塗料を垂らす程度に薄め、そのシンナーを大き目の平筆で機体の進行方向(つまり機首から後方へ)に塗ります。これはウォッシングという技法で、
機体の汚れを表現する 方法です。最初は色がついているかいないか程度に薄めて、物足りないようであれば少しずつ色を足して塗り重ねるほうが良いでしょう。
ここまで出来上がったら残った注意書きのデカールを貼ります。全て貼ってからウォッシングをしても良いのですが、小さなデカールはウォッシングの際に剥れてしまうリスクがありますし、折角の繊細な注意書きがウォッシングのせいで隠れてしまうのも残念なのでこの順序としました。どのデカールを先に貼っておくかはその大きさをベースに決めれば良いと思います。
主翼上面に貼る赤い警戒線はデカールでは「ロ」の形になっていますが、貼るときに曲がってしまいますので、「ロ」ではなく「コ」状にカットしておきます。私はそれを怠って左側が少し曲がってしまいました(泣)。また貼ってから気づいたのですが、右翼側にだけ記載のある「足踏」という文字が天地逆になっています。やはり日本語の読めないスタッフが校正をしたのでしょうから仕方ないでしょう(苦笑)。もしこの記事をご覧になって製作される方は、予め文字部分を切り取っておいて逆に貼ってください。(全く目立ちませんが・・・)
他の注意書の中にもアヤシイものもありますが小さくて読めませんし、単調な塗装の機体が少しでも賑やかになりますので一応指定どおり貼ることにします。
さらにこのキットの最大の特徴でもある良くできたスジ彫りにスミ入れをして
パネルラインを強調 します。
機体上面にはブラック、下面の明灰白色部分はブラックだとハイライトが付きすぎますので濃いグレーでスミ入れをすることにしました。
スミ入れには以前ご紹介したガンダム用の
リアルタッチマーカー を使用します。リアルタッチマーカーはスジ彫りのみを残して綺麗に拭き取るのではなく、すこし汚れを残し目にして拭き取ります。ちょっとやりすぎの感がありますが、この辺は好みの分かれるところだと思います。
加えて、
塗料が剥げてジュラルミンの地肌が露出 した感じを表現するために、面相筆でエナメルのクロームシルバーを部分的にポツポツと塗って行きます。これはチッピングという技法なのですが、主翼上面の20mm機関砲の装填ハッチ、カウリングの継ぎ目、主翼付け根の搭乗員が踏む部分、地上で機体の向きを変えるために整備員が押す水平尾翼の前縁など、実際に塗料が剥れやすい場所を想像しながら、規則的にならないように注意して自然な感じを出すように表現します。今回は内地の機体であることから控え目にしました。
さらに表現を加えて行きます。
この当時の日本の航空燃料は相当品質の悪いものであったと思われます。またエンジンの潤滑油やガスケットも同様で、ある程度のオイル漏れもあったでしょう。従ってかなり排気管からススが出たと思いますので、
排気管からの排気汚れ を表現します。これまた以前ご紹介したウエザリングマスターを使います。このときに注意すべきは主脚カバーで、飛行中はカバーが閉まっていますので、後で忘れないようにカバー側にも同様に汚れを表現します。
最後に主翼の20mm機関砲を発射した際に
銃口と薬莢排出口から出る汚れ も併せて表現して見ました。
この機体は訓練機でしたので、実際に実弾発射訓練を行ったかどうか定かではありませんが、教官が操縦して防空戦闘にも出撃したようですので、ここは敢えて汚して見ました。
このように
機体表面に起こる様々な現象を再現することにより、モデルとしての実感がどんどん増して行く と思うのですがいかがでしょうか。
ちなみに、航空燃料といってもレシプロ機の場合は基本的には自動車用と同じガソリンで、最低でも現代のレギュラーガソリン程度のオクタン価がないと、エンジンが不調になったりして所期の性能が発揮できなかったようです。当時の標準的な日本の航空燃料のオクタン価は91で、後に開発された高性能エンジンはオクタン価100を前提として設計されていたそうですが、敗戦時までこのオクタン価のガソリンが安定して供給されることはありませんでした。
事実、戦中戦後に米軍に鹵獲接収された日本軍の軍用機を性能評価のために、米軍側できちんとメンテナンスし、ハイオクタン燃料(140オクタン)を使って試験飛行をしたら、その性能は全てにおいて日本で把握していた最高性能を上回ったと言われています。
例えば、当時米軍が世界最高という自信を持っていたP-51D マスタングに対して、陸軍の四式戦(キ-84)「疾風」はこのハイオクタン燃料を入れて高性能プラグ(米軍機の標準プラグ)に交換したところ、最高速度は高度6,000mにおいて687km/hをマークし、これはP-51Dより速かったと言われています。
また操縦性能も良好で、総合評価で米軍のテストパイロットにより、「日本の戦闘機のベスト」と評価されました。
その当時の国力の差を思い知らされるもう一つのエピソードをご紹介しましょう。
それは同じく陸軍の三式戦(キ-61)「飛燕」についてです。この戦闘機は日本では珍しく空冷エンジンではなく液冷エンジンを装備していました。液冷エンジンとは殆どの自動車と同様にラジエーターを装備しエンジンを冷却するタイプのエンジンですが、当時の同盟国であったドイツでメッサーシュミットMe109に搭載されていたダイムラー・ベンツ製のDB-601というV型12気筒エンジンをライセンス生産することにより搭載していました。しかし、物資不足からクランクシャフトの材質にニッケル合金を使うことができず、さらに精密工作機械がなかったことから、本来ならば型鋳造で量産するべきクランクシャフトを手造りでの切削加工(旋盤加工)で製造せざるを得ず、結果として所期の性能が発揮できない機種となった上に、エンジン製造が間に合わず、工場では「首なし」機体が溜まる一方という体たらくだったそうです。ちなみにこの「飛燕」も米軍のテストでは好成績を収め、「メッサーシュミットよりも良い」という評価を受けました。
ちなみに、このDB-601エンジンは同じくイタリアでもライセンス生産され、その生産を担当したのがアルファ・ロメオで、レースでの宿敵であったドイツのエンジンを製造することが余程悔しかったのか、アルファ・ロメオのエンジニアはさらなるチューニングを施し、アルファ・ロメオ製のDB-601は、オリジナルが1,100hpであったことに対して1,175hpを発揮したと言われています。
結局、戦争の勝敗は局地的な戦闘の勝利によって決まるのではなく、兵器ひとつを取って見ても、こうした要素技術や材料の品質などの積み重ねによる双方の国力の差で決まるものなのでしょう。仮にフェラーリのようなスーパーカーを設計し、製造することができても、粗悪な部品と組み立て技術に加えて(かつてのイタリア車のようなハナシですが・・・)、品質の劣る燃料を入れてしまえば、とてもマトモに走ることもできす、結局はナニゴトもなく走る軽自動車にも及ばないのと同じことなのですが、そんなことすら分からなくなってしまうのが戦争なのでしょう。
随分と脱線してしまいましたが、次回はいよいよ最終仕上げを行います。
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続けて機体上面の塗装です。
下面色との塗り分け部分はマスキングゾルでカバー しておきます。
最終的に使用するのはMr.カラー124番、暗緑色(三菱系)という色なのですが、後に退色している表現をするためとモールド色である明るいグレーをそのまま下地色としてしまうと色載りが悪いので、まずはMr.カラー54番、カーキグリーンを塗ります。
あくまで下地ですのである程度筆ムラが残っても構いません。むしろ塗膜が厚くなってモールドが埋まってしまう方がボテっとした仕上がりになってしまいますので縦、横の一度塗り程度で終わりにします。
乾燥したら続いて機体上面色である暗緑色を塗装します。すでにベースにカーキグリーンを塗っていますので、シンナーで薄めた塗料で同様に塗装します。
とにかくラッカー系の塗料を使った筆塗りのコツは
一度に塗ろうとせずに、薄めた塗料を乾燥を繰り返しながら塗り重ねること です。面倒かも知れませんが、結果として部屋もそれほど汚さず、気楽に短い時間で作業できますので、作業環境に制限があったり製作時間の限られたモデラーには筆塗りを極めるのも楽しい作業ではないかと思います。
機体上面の塗装が終わったら保護のために塗っておいた下面部のマスキングゾルを剥がします。
機体上面と下面の塗り分け部分は波状のようですので、平筆ではなく丸筆でその部分のみを塗り分けます。機体が小さく、主翼も取り付け済みですので胴体部分の塗り分けに際しては機体を固定することが重要で、私の場合はカマボコ板を両面テープで机に貼り付けて固定冶具としています。
塗り分け部分は少しボカシを入れたいと思います。スプレー塗装の場合はこのボカシはマスキングテープを浮かせることにより比較的簡単に再現できるのですが、
筆塗りの場合は上面色と下面色を1:1に混ぜた塗料を境目に塗る ことにより表現します。
もっと自然にボカシを入れたい場合は、さらに上面色と下面色を2:1と1:2に混ぜた塗料を先ほどの1:1で混ぜたラインの両端に描き込めばより自然な感じに仕上がります。
この筑波航空隊所属の実機も、元々は開戦初期に機体全面を明灰白色で塗られて工場からロールアウトし、後に基地で整備員により機体上面を暗緑色で塗装されたものと思われますので、ちょっと雑くらいで丁度良いのではと思います。
カウリングは艶消しのブラックとブルーを1:1に混ぜた色を塗ります。表面が乾燥したらカウリングの裏側はエナメルのブラックで塗っておきます。
排気管は胴体側にモールドされていますので、レッドブラウンにシルバーを少し混ぜた塗料で焼けた排気管を表現します。
胴体にエンジンを取り付けたらカウリングを接着します。1/72スケールだとエンジンは殆ど見えません(泣)
この段階で機体にデカールを貼り付けます。デカールの貼り付けには以前にご紹介したマークセッターを使って念入りに密着させます。特に機体番号などの余白部分があるデカールは注意が必要で、
クルマのモデルと違って塗装表面が荒れているために、透明なデカール部分が密着していないと白くボケて見えるシルバリングという現象が起こってしまいます。 これを避けるためには念入りに透明な部分を切り取ってやればよいのですが、当然のことながら失敗のリスクも高まります。また、このキットのデカールには細かい機体の注意書きまで再現されているのですが、これらは後に貼り付けますので、この段階では日の丸と主翼下と尾翼の機体番号、主翼前縁の味方識別帯のみ貼り付けます。
この味方識別帯についてですが、実は日本の大戦機特有のものです。
空中戦に際して最も重要な点は、敵よりも早く相手を見つけることなのですが、さらに重要なことはそれが敵か味方かを瞬時に識別することです。 自機に向かってくる飛行機が一番の脅威ですので、真正面から見えた姿から瞬時にそれが自機を攻撃してくる敵機か、自分を援護してくれる僚機かどうかを判断しなければあっという間に撃墜されてしまいます。しかし飛行中に敵味方を識別するのは容易ではなく、ましてや相手の機種を見分けるのはさらに至難です。
あの撃墜王として有名な坂井三郎氏も、後方機銃を備えたSBDドーントレス爆撃機の編隊を、
前方機銃しか持たない敵の戦闘機(F-4F ワイルドキャット)と見誤り、
不意打ちのために後方から接近した際に敵の編隊から集中砲火を浴びて空中で重傷を負うというミスをしています。
坂井氏はこのときに頭部に銃弾を受けてしまい、意識朦朧状態になりながらも奇跡的に帰還するのですが、右目の視力を失ってしまいます。普通であれば戦闘機はおろかパイロットとしての寿命は尽きてしまうのですが、その実戦経験の豊富さから戦闘機パイロットとしての復帰を果たします。もちろん本人もそれを望んだのでしょうが、次々と戦死するベテラン搭乗員の不足から、上司としても止むを得ない決断であったのでしょう。
そして片目のまま戦闘を続けた坂井氏は、またも敵味方を見誤ってしまいます。硫黄島の防衛戦が激化する最中、坂井氏は敵のF6Fヘルキャットの編隊を味方編隊と見誤り、
合流するために単機で接近してしまいます。敵のF6Fは15機の編隊で、15対1というとんでもない劣勢で空中戦を行うこととなってしまいました。それでも坂井氏は次々と攻撃してくる敵機を翻弄しながら脱出し、機体には一発の被弾もなかったと言われています。
日本に限らず、こうした空中戦の証言にはどうしても戦果を過大に解釈してしまったり、後に誇大に語られた部分も多く、事実かどうかは後世において様々な検証と敵味方の双方からの確認を必要とするのですが、この15対1の激戦はその戦闘に参加した米海軍パイロットの証言とも一致しており、当時の零戦対F6Fの性能差(圧倒的にF6Fが優位)を加えると、坂井氏が類稀な操縦技術と永年実戦に参加することによって会得した勝負カンを持っていたことが分かるエピソードです。
このように日本の大戦機が主翼の前縁にオレンジ色の帯を書いていたのは、正面から見たときにその色で味方であることをアピールするためで、仮に敵機にもそれでバレてしまったとしても、それ以上に同士討ちの方が問題だったのでしょう。
さて、普通であればこのままどんどん組み立てて完成!ということになるのですが、子供であればともかく、私はオトナですので(笑)、これからの仕上げ段階で幾つかのテクニックを使って実感を増して見ようと思います。
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