世の中のクルマ好きと言われるヒトの中にも様々なタイプがあります。特にメンテナンスに関しては全く自分では何もしない方からおおよそ殆どのことを自ら行う方までいるのですが、その違いは単なる興味の対象の違いだけでなく、整備や工具の使い方の基本が良く分からないのでできない(怖い)という理由もあるのではないかと思います。
かく言う私もどちらかと言うと自分ではあまり整備をしない方だと思います。ある程度走行に影響しない部分は自分でも作業をしますし、当面何とか走行するための応急処置などは自分でやりますが、ちゃんとした整備はプロのメカニックの方にお任せしています。
しかし、あまりに簡単な作業に関しては、それが他のメンテナンスの「ついで」であればお願いするのですが、それだけの作業のお願いだと気が引けてしまうのも事実で、つい自分でやってしまうことになります。
かつてアルファ164Q4のメンテナンスの記事でプラスチック部品の破片地獄のことを書きましたが、LANCIA Themaのような
製造から20年以上が経過したクルマのプラスチック部品は経年劣化が避けられず、不用意に外すといとも簡単に壊れてしまう ために、それだけでこの年代のクルマの整備を敬遠するメンテナンスガレージもある位です。
今回のトラブルの発端はライトの点灯不良でした。最初は球切れかと思ったのですが、次に点灯したときにはちゃんと点灯したことからどうやら配線の導通不良かカプラーの断線であろうと想像できました。
そこで早速チェックして見るとやはりカプラーで、角度を変えて抜き差ししていると点灯します。
どうやらこれでカプラーの接触不良であることが判明したのですが、このカプラーはプラスチックの成型品に金属製の接点が組み合わされている一般的なものですので、前記のプラスチックの経年劣化により接触不良が起こっていると考えられました。
そこで、自動車部品量販店で交換用カプラーを購入して交換することにしました。購入したのはH4用でハイ、ロー、アースの三極の接点があるタイプです。
外してみたカプラーは酷い状態になっていました。
ケースのプラスチック部分が経年劣化で割れているだけでなく、接点の周囲が熱で溶けてしまっています。これでは
最悪は発火する恐れもあり危険 です。
作業としては切断した配線と新しいカプラーの配線を接続して終わりですので簡単な作業です。こんなものはブログでご紹介するほどのものではないのですが、配線の接続の基本でもありますのでこれから自分で作業をしてみようという方のためにご紹介することにしましょう。
用意する工具は電工ペンチと呼ばれる電気コードを加工するための特殊なペンチです。ホームセンターや自動車部品量販店などで購入することができますが、なくてもこの程度の配線接続であれば、普通のペンチとカッターナイフで充分です。でも配線を接続するためのコネクターは用意してください。確かに両端の導線を束ねて結ぶという荒業もありますが、あくまで応急処理に留めておく方が良いでしょう。これもホームセンターなどで雄と雌のセットで売っています。
まずは配線の皮膜を剥いて中の導線を剥きだしにします。
電工ペンチにはケーブルの太さに応じた様々な窪みがあり、それにケーブルを挟んで皮膜を剥くのですが、中の導線を切らないようにカッターでビニールを切れば同様に皮膜を剥くことができます。この辺の作業は昔モーターライズのプラモデルを作ったことがある方であれば何の問題もないかと思います。
次にその導線をコネクターに差込んで、電工ペンチで爪の部分を締めて抜けないように留めてやります。電工ペンチがなければもちろん普通のペンチで充分作業できます。コネクターには雄と雌がありますので形状に注意をしてください。写真のように留める場所は二箇所で、外側の爪はビニール皮膜の上にかかるようにします。
3本ともコネクターを接続した状態です。次に同様に車体側の配線にも同様の作業を行い、コネクターを接続してやります。当たり前ですが接続する配線同志は雄のコネクターと雌のコネクターでなければなりませんので形状に注意して接続してください。
コネクターを接続したらコネクター部分を保護するためにあらかじめ通しておいたシリコンチューブで保護をするのですが、これまた無ければ絶縁ビニールテープを巻いておいても構いません。当然ですが配線を繋げる際には注意して相手を間違えないようにしてください。コネクターは一度奥まで差し込んでしまうと抜くのが面倒ですので、少し刺した状態で点灯試験をしてちゃんとライトが点灯するかどうか確認してから本接続をすると良いでしょう。
たったこれだけの作業ですが、工具の使い方や電気配線接続の基本が分かると思いますので、怖がらずに機会があればチャンレンジして見てはどうでしょうか。
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前回の記事で自衛隊の災害救援活動に関して書いたのですが、自衛隊の最大の使命は国防であることは言うまでもありません。
日本が憲法第9条において軍隊を持つことを放棄しているにも関わらず、自衛隊の前身となる警察予備隊が朝鮮戦争の中での必要性から「泥縄的に」、米国より組織することを命令され、日米安保条約なる軍事同盟の庇護の下に専守防衛に特化してきたとしても、
現在の自衛隊が世界有数の装備を持つ「軍隊」である ことに変わりありません。
しかし一方で、その「軍隊」としての機能は充分かと問われると、自衛隊は現在に至るまでずっと機能不全に陥っていると思うのです。それは自衛隊に恒常的な武力行使のルールがないことで、私は
現在の自衛隊が本来の役割を充分に果たすことができないでいる理由がこのR.O.E.の不備ではないか と考えています。
R.O.E.とはRules of Engagementの略で、一般的には交戦規則と呼ばれています。交戦規則とはどのような事態に際して武力を行使して良いかを定めているもので、各国の軍隊は各々このR.O.E.が規定されています。そしてそれは一般的なR.O.E.に加えて作戦の都度特別に設定されるR.O.E.を含めて、本来の軍隊にとってはなくてはならないものなのです。
実は私たち一般市民にもR.O.E.は存在します。それは憲法上で規定されている「正当防衛」と「緊急避難」です。正当防衛は説明の必要はないと思いますが、緊急避難とは自らの生命に危険が及んだ際に人や物から生じた現在の危難に対して、自己または第三者の権利や利益(生命、身体、自由、または財産など)を守るため、他の手段が無いためにやむを得ず他人やその財産に危害を加えたとしても、やむを得ずに生じさせてしまった損害よりも避けようとした損害の方が大きい場合には犯罪とはならない(違法性が阻却される)というものです。
自衛隊の武力行使もこの「正当防衛」と「緊急避難」という考え方が基本となっています。なぜなら自衛隊は「自衛のための軍隊」であるために、その武力行使は基本的に防衛するためのものだからです。ただし「緊急避難」に関しては自衛隊を含め公務員はその公務の執行に際しての適用は極めて限定されており、特に自衛隊の作戦遂行に際して必要な民間所有物(土地や建物など)の収用に関しては自衛隊法で厳しく制限されています。
この「正当防衛」という基本概念が自衛隊の行動を必要以上に束縛しています。個人であれ組織であれ「正当防衛」が成立するためには、まず相手に攻撃する意思があることが明確であり、その攻撃による被害の程度が予測できなければなりません。
例えば見知らぬ人がナイフを手にして自分の方に向かってきた場合でも、必ずしもそれが自らを傷つけようとしているかどうかはまだ分かりません。「殺してやる」と叫びながら向かってきた場合か、若しくは自分に向かって刃物を振り回した時に初めて、それに対して応戦し、相手を無力化することが正当防衛として認められることになるのです。しかも
一般人の私たちと異なり、自衛隊には「逃げる」という選択肢はない のです。
またこの際でも、「警察比例の法則」なる考え方を基にそれが「正当防衛」か「過剰防衛」か判定されることになります。
この「警察比例の法則」とは聞きなれない言葉だと思いますが、簡単に言えば
相手の行使する武力に対して反撃する際には相応な武器によらなければならない というものです。
例えば、相手が拳銃であれば機関銃やロケット弾ではなく同程度の武器で応戦しなければならないという考え方です。
個人レベルでの「正当防衛」や警察レベルでの「警察比例の法則」はまだしも、自衛隊が相手にするのは軍隊であったり、特殊部隊であったりテロリストであったりするにも関わらず、それでもこのルールに従うのであれば、ます相手を誰何し、次に威嚇射撃をし、それでも相手が向かって来て、尚且つ相手が発砲し身の危険を感じた際に始めて応戦できるということになります。戦闘状態にある中でこんな手順を踏み、相手の武力に対して相応の程度の武器でしか応戦できないのであれば、
自衛隊員の命は幾つあっても足らない でしょう。それが喧嘩であれ戦闘であれ、先手を打ったほうが遥かに有利なのは自明で、ましてや戦闘状態の場合であれば、相手は威嚇射撃なぞするはずもなく、確実に最初から狙って撃ってくるのです。
過去の自衛隊は旧ソ連軍による北海道侵略を最大の有事として想定していました。これは東西冷戦時代の考え方で、日本を防共の盾とする米国の戦略の一部でもありました。しかし時代は変わり、もはやそのような事態は想定する必要がなくなりましたし、国際社会でも「戦争」という相手国に宣戦布告をして始まる国際法にのっとった戦闘は可能性としては低くなっています。
現在の日本を取り巻く「有事」とは大別すると四種類に分かれます。まず第一は北朝鮮からの中距離弾道ミサイルによる攻撃。そして第二は同じく北朝鮮からの少数の特殊部隊による攻撃(拉致も同様です)。第三は日本の領土内海域で実効支配を目論む周辺国からの領海(土)侵犯。そして第四はテロリストによる無差別攻撃です。
特に第四の可能性に対して日本はあまりに無防備なのはご存知の通りです。
福島原発の事故はこの国際テロを研究する機関に衝撃を与えました。それは
少数の訓練された特殊部隊であれば原子力発電所は簡単に制圧することができ、その原発からの放射能拡散はその国だけでなく周辺国にさえも甚大な被害を齎す可能性があることを、「テロリスト側に認識させた」ことです。 殆どの原子力発電所が海岸に設置されている日本において、10名程度の訓練された特殊部隊なりテロリストが上陸し、原子力発電所を制圧するのは簡単なことでしょう。
先日の北朝鮮からの脱北漁船を最初に発見したのが領海内で操業していた日本の「漁船」であったことは、これがもし日本海沿岸の原子力発電所を攻撃するための部隊が乗る船であったとしたら、海上保安庁も自衛隊も海上で発見し上陸前に阻止することができないことを露呈しています。かつてソビエトのMig-25が領空侵犯をして函館空港に亡命のために着陸したときに、「これが攻撃であったら…」と大問題になったのと同じくらい由々しき事態だと思うのですが、当時と異なりマスコミはその点に関しては殆ど触れません。
そして死んでも構わないと思っている特殊部隊やテロリストにとって、日本の原子力発電所の冷却システムを破壊し、炉心溶融を起こさせた上に隔壁を破壊することは、空港の厳しいセキュリテイをかいくぐり、旅客機に爆弾を持ち込んでハイジャックし、その飛行機もろともどこかに突っ込むより遥かに簡単な作戦なのです。
このような事態に対して
現在の自衛隊のR.O.E.はあまりに無力 です。
現在の自衛隊が武力を行使することができるのは、内閣総理大臣の承認の下に防衛大臣より発令される「海上警備行動」と呼ばれるものと、国会の承認の下に内閣総理大臣より発令される「防衛出動」の二種類しかありません。これがまさにシビリアン・コントロールと呼ばれるものなのですが、そのいずれも発令に当たっては即応性のかけらもなく、しかも高度な「政治的判断」を必要とするこれらの発令に際して、
現在のようなコロコロ替わる内閣総理大臣と「防衛に無知なことが最大のシビリアン・コントロール」と平気で言ってのける防衛大臣が、「適時に」「適切な」判断ができるとは思えない のです。
自衛隊には政権交代とは無関係の法制化された新しいR.O.E.が必要 です。昔のように相手国との関係が悪化して、戦争が起こるかも知れないという事態の中で、充分な議論と準備をして防衛出動命令を出せるような状況ではありませんし、漁船や不審船がちんたら領海を侵犯し、それに対して海上保安庁が当て逃げされても「充分に」時間をかけて対応をした後に、止むを得ず「海上警備行動」を発令するような時間の余裕のある事態ばかりではないのです。
私たちが自衛隊を国防力として認めるのであれば、現在の日本を取り巻く状況におけるシビリアン・コントロールはあまりに稚拙です。 私の提案は、「ここまでやったら撃ちますよ」という最終ラインを決めたR.O.E.を設定すべきというものです。どうせ今のままでも自衛隊は「最初の」国防手段ではなく、「最後の」国防手段ですし、またそうあるべきだと思いますので、その都度バカな政治家が判断するのではなく、公表されたR.O.E.法に則って自衛隊が行動する方が理にかなっています。そして、このR.O.E.では相手を確実に殲滅するために武器の使用を無制限に認めるべきで、警察比例などという一方側にしか適用されないルールに縛られるべきではありません。
攻撃命令がないまま、自分を殺そうと向かってくる相手に身を晒さなければならない自衛隊員も、その基本的人権である生存権を保証されている日本国民の一人であることを忘れてはならないと思います。
しかし、本来R.O.E.は軍事機密とされています。なぜなら相手のR.O.E.を知っていれば「その手前までは攻撃されない」ことが分かるからです。しかし、日本の自衛隊は自国の防衛のためだけに行動するのですから、堂々とR.O.E.を公表し、それに抵触した場合は躊躇わず武力を行使すべきです。
どうせ攻撃できないと思っている相手の持つ軍事力ほど馬鹿げているものはありませんし、抑止力にも何にもなりません。 100発100中の最新ハイテク兵器も、撃てなければただのオモチャでしかなく、相手にとっては脅威でも何でもないのです。
国際社会の良識ある国々はそのR.O.E.が妥当であれば、それにより被害を受けた相手国が何と言おうと、「自業自得」と判断するでしょう。
F-4EJ Phantomの後継機として導入後30年を経過した現在でも近代化改修を受け自衛隊の主力戦闘機であるF-15J Eagle。自衛隊がその配備機数において米国に次ぐF-15保有国であることは意外に知られていない事実でしょう。 そしていよいよF-15Jの後継主力戦闘機の最有力候補となったF-35。開発時から日本の技術も導入されていますが、そのステルス技術や最先端のコンピューターは高度な軍事機密です。問題はその調達価格と米国の判断によるライセンス生産が可能か否かにかかっているでしょう。この辺りの情報を分かりやすく報道しているのは現在のところフジテレビだけです。 永らく主力戦車として配備されてきた90式戦車の後継主力戦車がこの10式戦車です。90式戦車の開発された当時から世界の戦車の用兵思想は大きく転換し、最早、戦車対戦車の大規模戦闘が起こる可能性は低く、むしろテロリストやゲリラなどからの対戦車兵器に対する対応のほうが重視されるようになり、この10式戦車もその対応がなされているのが特徴です。 米国海軍アーレイ・バーグ級のイージス艦をベースに日本のハイテク技術を加えて建造された海上自衛隊初のイージス艦「こんごう」型の次世代型イージス艦がこの「あたご」型です。ステルス性も保持しておりイージス艦としては世界最大級です。 そして
自衛隊の国際貢献は災害及び復興派遣に特化すべき です。今回の東日本大震災での自衛隊の活躍は図らずも国際社会に自衛隊の能力を知らしめることができました。
国連による依頼に基づき、国連軍の傘下で紛争地域の事後処理部隊として派遣される自衛隊は、どの国の軍隊よりもその目的に貢献ができることを世界は認めてくれるのではないでしょうか。 もちろんその際には国連軍としての集団的自衛は当然で、今までのように隣の他国の部隊が攻撃されているのに応戦できないといった狭義の「正当防衛」という考え方ではなく、国連軍として一つの部隊が攻撃を受けたと解釈すべきだと思います。
東西冷戦が終結し、新しい国際秩序を模索する中においては残念なことに今後も地域紛争は絶えないでしょうし、宗教対立や経済利権争いの犠牲となるのはいつも弱者である市民です。自分たちで壊したものを自分たちで復旧するというのは忸怩たるものがありますが、国際社会の一員として日本のできることはこの復旧とさらに復興のための経済協力ではないでしょうか。
それを地道に行っていくことが、米国の言う意味ではなく本当の"Show the Flag"だと思います。 この意見は自衛隊の存在をを認めるか認めないかによって大きく変わるでしょうし、仮に自衛隊を認めたとしても現在の憲法解釈によって大きく変わるだろうと思います。
私自身は憲法改定論者でも軍国主義者でもありませんが、今回の東日本大震災で「国民の生命と財産を守る」ために奮闘する自衛隊員を見て、自衛隊と自衛隊員に最も効果的にその役割を果たしてもらうためには…、そして彼らを一人たりとも無駄死にさせないために…と考えた末の意見です。
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今回の東日本大震災に際して様々な機関が行った救援活動の中で自衛隊の活躍を評価しない方はいないでしょう。
阪神・淡路大震災以降、大規模災害時における自衛隊の有用性が広く国民に認識されたのはご存知の通りです。
自衛隊のような組織はその
即応性、自己完結性に加えて、その装備が災害時の一次的な救援活動に有効 なのですが、では「軍隊」であればどこの国でも同じことができるかと言うとそんなことはなく、自衛隊の今までの災害派遣の経験の中で蓄積された様々なノウハウが、
世界でも屈指の災害救援能力を持つ「軍隊」として海外からも高く評価 されているのです。
特にアメリカでは今回の東日本大震災における自衛隊の救援活動の報道を見て、米国民から「わが国の軍隊はなぜ災害時に日本のような救援活動をしないのか」と非難の声が上がったそうです。
しかし、
海外で「軍隊」が災害時に派遣されるのは専らそれは治安維持のため で、日本では災害時でも大規模な略奪や暴動が起こらないため、自衛隊が銃器を持たず、「丸腰」で災害救援に特化した活動を行っていることも、海外からすると驚くべきことなのです。
即応性とはどれだけ短時間で災害地に到着し活動を開始できるかという点で、
自衛隊という組織はその緊急展開能力に優れている ことが今回の東日本大震災の際には証明されたのではないかと思います。しかしそれは単に自衛隊の組織能力によるものだけでなく、自衛隊に対して災害派遣要請を出す行政とのシステムの連携が確立されたからに他なりません。
このシステムは阪神・淡路大震災の教訓から得られた結果なのですが、あの当時は自衛隊の災害派遣は都道府県知事の要請を必要としており、その都道府県知事は各市区町村からの要請がなければ要請できないという、今から考えると笑い話のようなルールだったのです。
当時の記録を調べて見ると、地震が発生したのが平成7年1月17日午前5時46分で、最初に自衛隊に派遣要請がなされたのが午前6時30分。この事実だけを見るとまあまあのスピードと言えるのですが、これは大規模災害による派遣要請ではなく、ナンと伊丹警察署長名で倒壊した阪急伊丹駅での人命救助要請だったのです。
その後も各市区町村から救援要請は自衛隊に届きましたが、これはあくまで警察や消防が手一杯で手に負えなくなったことによる限定的な救援要請で、兵庫県知事より正式に派遣要請が自衛隊に対して為されたのは明けて18日の昼頃であったと記録にあります。
一方で自衛隊は徐々に入り始める情報から派遣要請を待たずに、午前7時14分に大阪府八尾の中部方面航空隊より「訓練」の名目でヘリコプターが神戸と淡路の被災状況を偵察するために出動しています。また、姫路の第三特科連隊は逆に兵庫県に派遣要請を出すように促したのですが明確な派遣要請は得られず、この電話連絡をもって派遣要請と見なす…と半ば「押し切る」形で出動しています。このように行政側の判断の遅れ(判断できないときの自動発動システムの不備)により折角の自衛隊の即応能力は充分発揮されませんでした。
災害地の首長がそれどころではない大混乱に陥り、行政側が思考停止状態になっているのですから、被災していない中央から要請すればと思うのですが、当時は社会党の村山首相の時代で、そもそも社会党は自衛隊は違憲という立場だったので自衛隊の派遣には消極的であったとも言われています。しかしもしそれが本当ならば、国家元首として
「国民の生命と財産を守る」 という第一命題とイデオロギーのどちらを優先すべきなのかすら分からなかったのかと情けなくなってしまいます。
また、出動した後も自衛隊は警察や消防との間で連携がうまく行かず、中には自衛隊員に対して心無い中傷や誹謗をする者もいたそうで、現在の状況からすると考えられないのですが、これらはたった15年前のことだったのです。
いずれにせよ、自衛隊の災害時での活動能力が広く国民に認知されたのがこの阪神・淡路大震災であったことは確かで、その教訓からこのあまりに非現実的な災害派遣要請ルールは見直されることとなります。
そして今回の東日本大震災の際には、その即応能力がいかんなく発揮されることになります。地震発生が3月11日の14時46分で、その4分後には防衛省災害対策本部が設置され、独自で情報収集を行うとともに、18時30分には防衛大臣より発せられた大規模災害派遣命令を受け、地震発生当日に自衛隊員8,400名を動員し、人命救助をスタートすることができたのです。そして意外に報道をされていないのですが、
自衛隊は全救助者の約70%に当たる約19,000名の被災者を救出 しました。
そしてさらに長期に亘る災害地での活動を支えるのが自衛隊の持つ自己完結性です。自衛隊は自分たちの野営装備で隊員を災害地に駐屯させることができるために、災害地の物資や資源を自分たちの活動のために消費する必要がなく、大規模な人員を災害地に投入することができるのです。そしてご存知の通り、その装備は同時に被災者への給食支援から給水、はては入浴に至るまで被災後の一次支援にも役立つのです。
自衛隊の装備品であるため「野外炊具1型改」という立派な名前がついています。その能力はハンパではなく、このトレーラーを牽引して移動中でも600人分の米飯を炊き上げることが可能であり、併載する万能調理器具と、車両後部のかまどの使用で惣菜の調理も可能(煮物程度、焦げやすいので推奨は出来ない)とのことです。その場合約200名分の食事(主食と副菜)が調理可能で、仮に味噌汁のみを6釜全てで調理すると1500名分調理が出来る(参考値、1釜あたり最大250名分の味噌汁の調理が可能)のです。 浄水セットは川の水など飲用に適さない水でも逆浸透型の濾過システムで飲用水として利用することが可能となります。 これまた「野外入浴セット2型」という名称が与えられています。写真は浴槽ですが、これにボイラー、揚水ポンプ、発電機が付属しユニットとなります。上記の浄水セットと併用することにより例えそれが泥水であっても水さえあれば入浴することができます。 御馴染みの自衛隊のCH-47J大型輸送ヘリコプター。最大積載量は11.2tで55人を運ぶことができます。 自衛隊の装備の中で災害救援に役立つのはこうした野営装備だけではありません。大型輸送ヘリコプターや救難ヘリコプターのような御馴染み?の装備とは別に、今回の支援に活躍した装備で一般国民が驚いたのではないかと思うものをご紹介しましょう。
まずは、LCACと呼ばれるホバークラフト型の大型上陸用舟艇です。このホバークラフトは戦車と強襲部隊を同時に揚陸するためのもので、60tもの搭載能力を持っています。
今回の地震と津波により港湾設備が破壊された地域では、この砂浜であればどこでも上陸することができるLCACは実に有用で、陸路でたどり着けない被災地に救援物資や車両を輸送し揚陸させるだけでなく、被災者の輸送にも活躍しました。
そしてこのLCACを搭載するおおすみ型輸送艦(米軍流に呼ぶと強襲揚陸艦)も物資や車両の輸送と揚陸だけでなく、海上のヘリポートとしても大活躍しました。
写真は「くにさき」。艦尾に大型ハッチがありLCACがそのまま発進(収納)することができます。 そして各国の軍隊の殆どが装備しているのですが、意外と知られていないのがこの架橋システムではないでしょうか。
もちろんこれは橋が破壊された戦場で、戦闘車両や補給トラックを渡河させるための装備ですが、被災地は戦場と同じで、これらの装備を使用すれば応急的に橋をかけることができるワケです。
しかし、
自衛隊の災害救援活動で最も優秀な装備は自衛隊員そのもの で、その対応と士気の高さは素晴らしいものがあったと思います。今回の東日本大震災に際して派遣された自衛隊員は予備自衛官を含めて最大時で人員約10万7,000名にものぼり、これはもちろん過去最大の災害投入人員となりました。
今回の東日本大震災で、自衛隊が災害時において素早い命令のもとに活動を開始さえすることができれば、
世界中のどの組織よりも最も効果的に人命を救助し、一次救援活動を行うことができることが証明された のではと思います。言い換えれば、自衛隊は世界中で最も災害救援活動に関して訓練され、その運用ノウハウを持っている「軍隊」であると言えるのです。
自衛隊の「国民の生命と財産を守る」という使命からするともちろん災害救援活動も重要な任務の一つではありますが、
本来の任務は国防 であり、昨今の日本を取り巻く情勢を考えると、災害時における自衛隊の活躍を喜んでばかりはいられないと思います。
阪神・淡路大震災以前は、武器ヲタクの集団、無駄飯食い(それはそれで素晴らしいことですが)、違憲団体などと陰口を言われた自衛隊が、ようやく国民にその存在を認知されその活動を評価されるようになったのですが、前記したように自衛隊という組織を効果的に運用するためには、
政治家による命令システムが必要不可欠 なのです。
次回は自衛隊の生殺与奪の鍵となるこのシビリアン・コントロールについて考えて見たいと思います。
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現在のアルファ・ロメオは低迷していると言って良いでしょう。このブログの読者の方はご存知の通り、アルファ・ロメオはその100年に及ぶ歴史の中で幾多の経営危機を経験して来ましたので、現在の状況は決して目新しいものではないのですが、アルファ156以降でアルファ・ロメオのオーナーになった方からすると、現在の状況は初めての経験で、心配で仕方ないのではないでしょうか。
特にディーラーにとっては「売るタマ」がないのが実情で、クルマの魅力以前の問題で、経営を考えると単に「冬の時代」などとは言っていられないと思います。 アルファ・ロメオの魅力はその歴史に裏付けられたスポーティイメージと独特のハンドリング、そして他の何物にも似ていないアルファ・ロメオと人目で分かるスタイリングだと思うのですが、それらのどれ一つも欠けることなく高度にバランスしたモデルこそが、アルファ・ロメオを復活させることができるのではないかと思います。
日本における最初のアルファ・ロメオ冬の時代は伊藤忠モータースの販売撤退でした。当時のアルファ・ロメオは製造品質に問題があり、上記の三点を満たすどんなに魅力的なモデルがあったとしても、クルマとしての信頼性がなければ競争力なぞあるワケもなく、マニアの指名買いのみではディーラーとして経営ができない事態となっていました。どんなに魅力的なクルマであっても、国内に正規ティーラーがなくなるということはメンテナンスや部品供給の問題から販売が先細りになることは必至で、後にアルファロメオ・ジャパンが設立され大沢商会やコーンズ・モータースが販売に乗り出すまでの間、日本ではアルファ・ロメオは死んだも同然の状態となったのです。
東日本大震災の影響で国産車が減産を余儀なくされた一時期、即納状態で販売できるアウディやVW、そしてBMWなどのドイツメーカーは販売を伸ばしたのですが、その恩恵にもフィアットは殆ど預かることができませんでした。
それは単にフィアットも売るタマが無かったからで、
ドイツメーカーのコンパクトクラスのモデルに比べて、フィアットやアルファ・ロメオが製造品質において劣っていたわけではない と思います。
アルファ・ロメオはその危機的な時期にあって、いつもスペシャル・モデルを発表しそれを販売の起爆剤として来ました。それはSZ(ES30)では成功した?のですが、残念ながら8C Competizioneではそのイメージを他のモデルに引き摺りすぎて失敗しているような気がします。
しかし、次に発表された
4C Conceptではその8C Competizioneのイメージが見事に昇華されています。 この4C Conceptはまず商品企画が優れています。私はアルファ・ロメオのスポーティモデルにとって重要なポイントはそのサイズと軽さだと思っています。歴代のアルファ・ロメオのスポーティモデルは決してマルチシリンダーエンジンを使った高出力とそれを受け止める強靭なシャーシーの組み合わせではありませんでした。もちろんTipo33のようなモデルもありましたが、それでも現代の基準で見たときにはそのコンパクトさに驚くことでしょう。
むしろ販売やスポーツイメージに寄与したのは、一連のZAGATOデザインのモデルやGiulia Sprint GTAなどで、これらは
軽量なボディに4気筒DOHCエンジンを搭載したモデル でした。しかもそのStradaleモデルは過度なチューニングは為されておらず、オーナーのドライビングテクニックと資金力によりチューンアップの余地が充分に残されていたのです。
さて、今年の3月のジュネーヴで発表されたこの4C Conceptですが、8C Competizioneのときとは異なり、発表当初から市販化を前提としていました。
ミッドに搭載するエンジンも「現実的」な三代目Giuliettaに搭載されている1.7リッター直列4気筒ターボで、そのパワーは200hp以上というのが公式発表ですが、実際のGiuliettaのエンジンは235hpを発生していますので、現実的には「それ以上」と見て間違いはないでしょう。一方で車重は、8C Competizioneで採用されたカーボン・ファイバー製のシャシーにアルミニウムで作られたサブフレームの組み合わせから、850kg!と言われていることから、素晴らしい走行性能を予感させることができます。実際、設計予測値では0-100kmの加速を5秒で達成し、最高速度は250km/hとのことですので、立派なスーパースポーツモデルと言うことができます。
もちろん実際に市販化される場合に、この高価なシャーシー形式が採用されるかどうかは定かではありませんが、仮に車重が1t前後になったとしても「必要にして充分」で、この4Cを見かけだけのコスメクルマになることはないでしょう。
サスペンスションはコンベンショナルなフロントがダブルウィッシュボーン、リアがマクファーソン・ストラットで、重量配分は40:60とのことですので、これが電子制御デバイスなしの制御系であれば随分と乗り手を選ぶモデルになると思うのですが、アルファ・ロメオはこのモデルにアルファTCTと呼ばれる乾式のデュアル・クラッチ・トランスミッションを採用し、例のD.N.A.システムも採用するとのことですので、一般のドライバーにも充分乗りこなすことのできるモデルになるのではと思います。
ちなみにD.N.A.システムとはエンジンや電子制御系装置の特性を統合的に「D=ダイナミック」「N=ノーマル」「A=オール・ウェザー」の3種類に切り替えられるシステムで、ダイナミックな動力性能と、環境適合性や効率性、さらに高い快適性を合わせ持つことが可能で、なおかつあらゆる路面状況下において安全にクルマをコントロールできるという、現代のアルファ・ロメオ自慢の技術です。私にはさっぱり理解ができないのですが、すでに「MiTo」などの市販モデルに採用されているこのシステムは電子制御であるが故に、そのプログラミングを変更して発展させることが可能で、どうやらこの4C Conceptではさらに進化したバージョンが搭載されるということです。
願わくば、
電子デバイスなしの6MTバージョンなんかも検討して欲しい のですが、それはこのご時世では「ないものねだり」でしょう。
3月のジュネーヴで発表されたこの4C Conceptですが、更に9月のフランクフルトでもさらに煮詰めたモデルが展示されていました。外見上の違いは発表時に身に纏っていた「ラーヴァ(溶岩)・レッド」と名付けられたマット・レッドから今度は「液体金属(Fluid Metal)」という名前のシルバー・グレイに変更されていたのですが、敢えてSpiderモデルなどのボディ形式を変更して来なかったのは単なる開発資金不足ではなく、市販化へ向けた開発に集中したためだろうと思うことにしましょう(苦笑)
ボディデザインはカロッツエリアではなく、アルファ・ロメオの社内デザインセンターであるCentro Stileだそうですが、そのデザインは伝統のレッドよりもこのシルバーの方が映えるのではと思います。
8C Competizoneは一般ユーザーには「高嶺の花」であり、事実イメージリーダー的要素が強いモデルであったと思うのですが、この4Cはその全長4m以下、ホイールベース2.4m以下というサイズといい、Giuliettaと共通のエンジンといい、当に「手の届く」スペシャルモデルであって欲しいと思います。
可能であれば、ある程度重量を犠牲にしても販売価格をあまり上げずに、限定モデルではなくカタログモデルとして販売して欲しいと思いますし、この4Cがアルファ・ロメオ復活の起爆剤になって欲しいと心から願っています。
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こうして長々とブログを書き連ねているのですが、
私には身の周りの出来事や文献を調べたことを文章にすることはできても、物語を創作をする才能はない と思っています。
そんな私がクルマを題材にしたShort Storyを書いてみようと思ったのは、以前に読者の皆さんに薦められたことがきっかけでした。正直言って、薦められるまではそんなことは思ってもみなかったのですが、短編小説であれば大掛かりな構成を用意する必要はありませんし、クルマを題材にするのであれば、今まで自分自身で経験したことや周囲のクルマ仲間の話をベースにフィクション化することができるのではないかと思うようになったのです。
しかし2年前に試しに書いた最初の作品は惨憺たるものでした。構成が甘いのは初めてだから仕方がなかったとしても、題材として取り上げたクルマは単に物語に登場するだけで、そのクルマの魅力が全く描ききれていなかったのです。その後も習作として数編の短編を書いて見たのですが、今度は短編であるが故の難しさを思い知るだけの結果でした。
しかし、不思議なものでそうして書いているうちに少しですが読めるものが出来るようになってきました。そして自分の作品であるが故に、あまり読み返して筆を入れすぎても自己嫌悪に陥るだけであることも分かってきました(苦笑)。
世の中の作家と呼ばれている人たちは、一番の愛読者である自分自身の批評の目からどうやって作品を守っているのでしょうか。 などと弱気なことを言っていても仕方ありませんので、思い切って第一作のShort Storyをお目にかけたいと思います。第一作の題材はもちろん、ALFAROMEO Giulia Sprintです。
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Giuliaの気遣い 彼女とGiuliaは相性が悪かった。
彼女を乗せると必ずと言って良いほどトラブルに見舞われることからも、それは相性が悪いという表現以外には考えられないことだった。
幸いにもクルマに何の興味のない女性が簡単に口にするような、「こんなクルマ手放して…」という慈悲のないことこそ言わなかったが、何らかの嫉妬に似た感情をGiuliaに対して隠し持っていることは、常日頃から周囲の仲間に言われる「女性の心理に鈍感」な私にも何となく感じることができた。
確かにGiuliaとの暮らしは彼女との時間より遥かに長く、その擬人的な名前も含めて彼女の嫉妬心を掻き立てるには充分なことなのかも知れない。
私の許にGiuliaがやってきたのは10年前。私が大学を卒業するときだった。当時、Giuliaは2年上の先輩の許にあり、決して充分とは言えないものの最低限のメンテナンスを受けながら、それでもその魅力を失うことなく元気に走っていた。先輩は卒業して大手商社に就職し、しばらく連絡も途切れてしまっていたのだが、突然連絡があり、仕事で海外赴任することになったのでGiuliaを私に譲りたいと言い出したのだ。
大学の正門前の喫茶店で久しぶりに会った先輩は随分と大人びて見えたのを覚えている。
「どうしてボクなんですか。」
「お前がコイツを運転している姿がアタマに浮かんだのさ。」
「それだけで譲る気になるもんですか。」
「コイツは乗り手を選ぶんだよ。訳知り顔のマニアには乗って欲しくないんだ。」
「ただ一つ条件がある。」
まだ何となく納得できないでいる私に先輩は真顔でこう切り出した。
「女とコイツを両天秤にだけはかけないでくれ。」
「どういう意味です?」
「コイツは女に嫉妬を焼くんだ。そして女もコイツにきっと嫉妬を焼くだろう。」
「それに耐えかねてコイツを手放したりすると、それからのお前の人生はきっとつまらんものになるぞ。」
「じゃあボクに彼女を作るなってことになるじゃないですか。それはちょっと困るなぁ。」
「そんなことは言ってないさ。ただコイツと女を比べるなと言ってるんだ。女のためにコイツを手放すようなことはしないでくれ。逆も同じで、コイツのために女と別れるのも禁止だ。」
「なんだか無茶苦茶ですね。」
「先輩はなんだかんだ言ってボクに彼女ができないと思って車を譲ろうとしてるんじゃないですか。」
先輩はただ笑っているだけだったが、その笑顔は何か未来を見透かしたような笑顔だった。
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こうしてGiuliaは私の手許にやってきた。
左ハンドルも、パワーアシストのないステアリングも、ヘンな場所から生えたシフトノブにも慣れるのに時間はかからなかった。
と言うか、いつの間にか自然にGiuliaを操れるようになっていた。
それまでは決して峠を攻めたりするドライビングをしたことはなかったが、コーナーを曲がるときにGiuliaは自分自身と一緒に曲がって行くような気がした。過去に乗ったことのあるクルマは一緒にというよりクルマが先に曲がって行くような感覚だったのだが、そのことに気がついたのもGiuliaと暮らし始めてからのことだった。
先輩からメンテナンスに関してもあれこれと指示されたのだが、不思議なことに殆ど覚えてはいなかった。唯一、女云々という言葉だけが鮮明に心に残っていた。
近所にメンテナンスガレージがなかったこともあり、大抵の整備は自分自身で行ってきた。もちろんそれまではクルマの整備なぞしたことはなかったが、不思議なことに先輩から貰ったサービスマニュアルを見ながら、何となくやっているうちにいつの間にか殆どのメンテナンスはできるようになっていた。先輩によるとその北米版のサービスマニュアルは素人にもメンテナンスができるように書いてあるとのことだったが、確かに記載されているとおりに作業をすると私のような素人でもちゃんとメンテナンスができるのだった。
そして不思議なことにそうしてメンテナンスするとGiuliaは確実に機嫌が良くなった。
父親のクルマであった無難なだけが取柄の国産高級セダンを屋根つきのガレージから追い出して、徐々に買い揃えていった工具とともにガレージはGiuliaの棲家となり、私とGiuliaは晴れた休日を待つようになった。
確かに私はシングルドライバーだった。助手席に最後に人を乗せたのは先輩を空港に送るときで、そのときも最後にと先輩にドライバーズシートを譲ろうとしたのだが、コイツはもうお前のものだからと先輩は頑としてステアリングを握ろうとはしなかった。
オーナーズクラブやアルファ・ロメオのイベントがあることも知っていたが、どうしても参加する気にはなれなかった。他のGiuliaは単なる同型車で、自分のGiuliaとは似て非なるものでしかなかった。メンテナンスも他人任せにしなかったのはGiuliaと自分自身の濃密な時間を邪魔されたくなかったのかも知れない。
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彼女は大学の同級生だった。しかし学生時代に出会ったことはなく、友人との飲み会で会社の同期の女の子と紹介されたのが初めてだった。
話をするうちに同じ大学であることが分かり、急速に仲良くなっていったのだが、特に自分から告白したワケではなく、いつの間にか自然に付き合い始めていた。
そして図らずもGiuliaに続いて彼女も私にはなくてはならないものとなった。
彼女とのデートには父親のクルマを使った。Giuliaを引っ張り出すことを考えたこともあったが、どこかに先輩のあの言葉が引っかかっていた。お互いに会わなければ嫉妬を焼くこともないだろうと考えたからだったのだが、彼女との付き合いが深くなるにつれ、Giuliaとの時間が減ったことも確かだった。
1ヵ月振りに開けたガレージの中でGiuliaは薄らと埃を被って佇んでいた。ドライバーズシートに座り、チョークレバーを引いてアクセルペダルを数回煽った時点で、イグニッションキーを廻す前に何故かバッテリーが上がっているのが分かった。そしてその予想通りエンジンに火は入らなかった。
私にはGiuliaが放っておかれたことで私を責めているように思えた。
父親のクルマからジャンプコードでバッテリーを繋ぎ、しばらくエンジンをアイドリングさせながら私はドライバーズシートにただ座っていた。
最初はカブり気味だったエンジンが徐々になめらかな回転になっていく過程は、まるでGiuliaの機嫌が少しづつ良くなっているような気がした。
私は悩んだ末にGiuliaと彼女を会わせることにした。先輩の言葉は相変わらず気にはなったが、Giuliaも彼女も失いたくはなかった。
そしてGiuliaのことを彼女に話したのだが、もちろん先輩の例の言葉を伝えることはしなかった。
彼女はアルファ・ロメオというメーカーは何となく知っていたがGiuliaのことは全く知らなかった。考えて見れば彼女にクルマの話をしたことはなかったし、デートには明らかに親から借りたと分かる分不相応な国産高級セダンを使っていたために、彼女からすると私は大してクルマには興味がないのだろうと思っていたようだった。ひょっとすると私もクルマの話題を敢えて避けていたのかも知れない。
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彼女と一緒に久しぶりにガレージの扉を開けた。ガレージの扉から差し込む光の中でGiuliaは薄らと埃を被ったまま佇んでいた。本当は前夜にメンテナンスをしておこうと思っていたのだが、何だかGiuliaにその魂胆を見透かされるような気がしてできなかった。
「このクルマだったのね。」
「ずっと聞けないでいたんだけど、ひょっとしたら二股かけられてるんじゃないかと思ってたの。」
「どうしてそう思ったんだい。」
「何となく。休日にデートしているときに、あなたは誰かとの約束を断って私と逢っているような感じがしていたの。」
彼女はGiuliaと私の関係をすぐに見抜いてしまった。相手が人間であろうとクルマであろうと彼女には大した違いはなかったのかも知れない。
「でも綺麗なクルマね。アルファ・ロメオって言うからもっと新しいのかと思ってたんだけど、すごく小さいのに何だかセクシーな感じがするわ。」
彼女はBertoneだのジゥジアーロデザインだのといった知識は全く持ち合わせてはいなかったが、そこには初めて紹介された恋人の女友達を値踏みするような、冷静を装いながらもリベラルな観察眼があった。
そして最後に先輩が座った助手席に彼女が初めて座った。
その日、Giuliaは機嫌が良かった。久しぶりのロングツーリングだったのだが、終始Giuliaは快調で、気難しいところは微塵もなかった。いつもはキャブがカブり気味になる首都高の渋滞も、愚図ることもなく切り抜けることができた。
私にはGiuliaが彼女に精一杯気を遣いながら自分の存在をアピールしているように思えた。
私はシングルドライバーを卒業することにした。彼女とのデートにはそれまでの国産高級セダンではなくGiuliaを使うことにしたのだが、それは同時にGiuliaに一人で乗る機会がなくなることを意味していた。
しかし、Giuliaの気遣いは長くは続かなかった。最初はワイパーが急に動かなくなったり、ライトが片目になったりと可愛いものだったが、それは徐々に酷くなり、最悪だったのはホテルの駐車場の出口で立ち往生したことだった。例の駐車場の出入口にある目隠し暖簾からちょうどフロントガラスが出たところでエンジンが止まってしまったのだ。しかもその出口は上り坂になっていたため、もとの駐車場に惰性で戻るしかなかったのだが、彼女をタクシーで帰して駐車場に戻ると、Giuliaはナニゴトもなかったようにエンジンがかかるのだった。
それでも彼女はGiuliaに乗るのを止めなかった。それはGiuliaと彼女の戦いのようで、お互いに意地になっているとしか思えなかった。そして彼女はこの戦いのルールだと思っているかのように、決して私にGiuliaを降りてくれとは言わなかった。それを口にするとこの勝負は負けだと思っているのか、どんなトラブルに逢っても彼女は決して文句を言わなかった。
そんなある日のことだった。彼女が長期出張になり久しぶりに一人でGiuliaと過ごす週末が訪れた。金曜の夜にガレージでGiuliaのエンジンオイルを交換し、少し同期が狂い始めたキャブレターを調整し、翌朝は箱根にGiuliaを連れ出すことにした。
箱根へのルートは決まっていた。かつてシングルドライバーだったときには毎週末と言ってよいほど私とGiuliaは箱根に出かけていた。
東名高速を御殿場まで飛ばし、長尾峠のタイトなコーナーを駆け上り、箱根スカイラインから芦ノ湖スカイラインを経て箱根新道を下り、小田原厚木道路で東名高速に戻るのがいつものルートだった。
Giuliaもこのルートはお気に入りで、私とGiuliaはまるで一つになったかのように、お互いが思ったとおり走ることができた。
それは突然のことだった。ちょうど芦ノ湖スカイラインの山羊さんコーナーと呼ばれる展望台を過ぎて緩い下りのワインディングに差し掛かったときだった。Giuliaのブレーキが突然利かなくなってしまった。所謂ブレーキ抜けというトラブルだが、前夜にブレーキフルードもチェックしていたし、問題はないはずだった。
その後のことはスローモーションのようだった。不思議なことに初めての経験だったにも関わらず、私は全くパニックに陥らなかった。心のどこかでGiuliaを信用していたのかも知れない。
オーバーレブを覚悟してギアを1速に落とし、サイドブレーキを使いながらやっとのことでGiuliaを路肩に停めたとき、初めて自分が冷や汗をかいていることに気づいた。
ローダーを待つ間、静かな時間だけが流れていった。様々な思いが交差する私に対して、Giuliaはナニゴトもなかったように涼しい顔をして路肩に佇んでいた。
私にはGiuliaが彼女を認めて自ら身を引いたように思えた。彼女を乗せていないときにそれを私に告げたのは、Giuliaのせめてもの気遣いのように感じられた。
私はGiuliaを降りることにした。それは先輩の言いつけどおりGiuliaと彼女とを両天秤にかけたのではなく、むしろGiuliaのほうから別れを切り出されたような気がしたからだった。
そのことを告げたとき、彼女は何も言わなかった。どちらかが選ばれたのではない結末は、勝ち負けを超越した女同士にしか分からない共感のような感情があったのかも知れない。
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最後にガレージでGiuliaのメンテナンスをし、学生時代の後輩に久しぶりに連絡をし、Giuliaを譲ることを告げた。
「どうしてボクなんですか。」
「お前がコイツを運転している姿がアタマに浮かんだのさ。」
「それだけで譲る気になるもんですか。」
「コイツは乗り手を選ぶんだよ。訳知り顔のマニアには乗って欲しくないんだ。」
「ただ一つ条件がある。」
あのときと同じ大学の正門前の喫茶店で私は静かに話し始めた。
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いかがでしたでしょうか。自分自身ではすでに何度も読み返し筆を入れ続けてきたのですが、だんだん「弄り壊し」のようになってしまったので、敢えて皆さんに見ていただこうと公開することにしました。
設定も構成もベタですが、Giuliaを愛するオーナーの心象を少しは描けたかなと思っています。
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テーマ:ひとりごと - ジャンル:車・バイク
地道な捜査はまだまだ続きました(苦笑)
それは未だに主犯格の容疑者に到達していなかったからで、随分と症状が改善されたものの、ウインカーの問題とは別にアイドリングのハンチングは収まってはいなかったのです。
そしてついに主犯格の一つに捜査の手をつけることになってしまいました。この容疑者は大物で、仮にコイツが主犯だとすると捜査陣にも相当な覚悟が必要となります。
その容疑者の名前は…
「デジプレックス」 で、コイツはこの年代のフィアット系列車の数々を廃車に追い込んだ犯罪歴のある超大物の容疑者です。
写真はデジプレックスⅡ 当時のフィアットは電子制御の実験段階で、現在では当たり前のエンジンマネージメントを一つのコンピュータで行う方式に対して、点火系の制御のみをこのデジプレックスというコンピュータで制御していました。これには諸説あり、BOSCHの燃料噴射ユニットとマレリのデジプレックスを組み合わせることにより部品購買先のバランスを取った(マレリへの配慮?)という説や、危険分散で別々にした説などイロイロですが、特に後者は説得力がなく、仮にどちらか一方でもトラブルを起こすと結局エンジン不調になるのですから、
危険が分散されたと言うより倍増した と言う方が現実的でしょう。
デジプレックスとは負圧進角トランジスター点火システムで、要は圧縮工程に入ったシリンダー内のピストンの位置を感知してプラグに点火させる制御システムです。現在はクランクポジションセンサーやカムポジションセンサーからの信号で、燃料制御とともに集中して一つのコンピュータで制御されているのですが、キャブレターを使用していた時代はディストリビューター内部のシャフトに取り付けられたガバナーとインテークマニホールド負圧を利用した真空進角装置(ダイヤフラム)を用いていました。
時代がキャブレターから燃料噴射形式に移行し、さらにそれをコンピュータで制御するようになる過渡期に生まれたのがこのデジプレックスで、乱暴に言えばそれは単にその点火制御を従来の機械式から電気信号化しただけのものです。ところがこのデジプレックスなるユニットはその信頼性においては機械式に及ばず、初期の半導体や基盤の耐熱性の問題から70℃がその作動限界と言われていました。しかも機械式に比べて修理がきかないため、トラブルを起こすと交換するしかなく、さらにそのお値段は5万とも8万とも言われるため、
デジプレックスを採用している中古イタリア車にとってこれが逝くと致命傷となっている のです。
しかし、今回のトラブルは複合要因であり、主犯格の容疑者であってもいきなり逮捕して交換するのはリスクが多すぎます。そこでオトリ捜査を行うことにしました。それは解体車からデジプレックスを借りて一旦交換して見るという方法で、仮に症状が改善されなければこの容疑者を無罪放免するというものでした。
幸いなことに知り合いの解体業者は私のThemaと同じ形式のデジプレックスを在庫してくれていました。購入を前提としてお願いして借り受けることにしたのですが、中古品と言えどもその部品は結構なお値段しますので、仮にこれが主犯であれば逮捕を諦めることになるかも知れません。
手許に届いたデジプレックスを交換して見たのですが、幸いなことに?全く症状に変化はありませんでした。と言うことは、今回のストール団にこの極悪人デジプレックス氏は関与していないということで、オトリの大役を果たしてくれたデジプレックスは晴れて無罪放免とすることができました。
それでは主犯は一体誰なのでしょうか…。引き続き従犯を含めて主治医の地道な捜査は続きました。
そして次の従犯として検挙されたのが
「ブローオフバルブ」 でした。
私自身、今までターボチャージャーを装備したクルマに乗った経験は、父親が所有していたギャランΣGSR Turboと初めて新車で購入したいすゞジェミニ・イルムシャーTurboのニ車種しかありませんし、その当時は単に運転するだけでメンテナンスに関しては全くシロートで知識もありませんでしたので、最初に主治医からブローオフバルブと聞いてもすぐにはどのようなものかは分かりませんでした。
ブローオフバルブとは、ターボチャージャー付きのエンジンでスロットルバルブの開閉時にターボチャージャーとスロットルバルブ間の余剰圧力を逃がすためのものです。
ターボチャージャーの過給圧が掛かった状態で急にスロットルを閉じると、ターボチャージャーで圧縮された吸入空気はスロットルに遮られてしまい、この際に圧縮された空気はターボチャージャーまで逆流し回転しているコンプレッサーに逆回転方向の圧力を与えてしまいます。これがサージングという現象で、これによりターボチャージャーの回転速度が急激に失われて過給圧も低下してしまいます。その結果、再加速時にスロットルレスポンスの悪化を招いたり、最悪の場合にはタービンブレードやタービンのメインシャフトが変形・破損してしまうのですが、その圧力を逃がす役割を果たしているのがこのブローオフバルブなのです。
しかしこのブローオフバルブが正しく作動していないと「吹き戻し」によりエンジンに悪影響を与える可能性があり、エアフロメーターで計算された吸入空気量によるもの以上に燃料を供給してしまい、プラグがカブったり、エンジンの息継ぎやストールの原因となることがあるのです。
調べて見ると幸いなことにタービンの破損はなかったのですが、やはりブローオフバルブはちゃんと作動していませんでした。これを疑ったのは主治医の永年の経験からで、暫く預けた私のThemaを試乗した際にターボチャージャーが作動するハズの高回転域での頭打ち現象に気がついたからでした。
常日頃から同じクルマを運転しているとこうした徐々に訪れる劣化には気がつきにくいものです。主治医のように様々なクルマに乗っていると、その感覚が常にリセットされるために気がつくことができるのでしょう。オーナーズクラブなどで仲間のクルマに試乗したり、こうして主治医に試乗してもらうことにより、徐々に劣化する箇所を発見することができるのでこうした機会は実に有難いものです。
ブローオフバルブは結局交換することとなったのですが、吹き戻しによりエアフローメーターのフラップが随分と叩かれており、これもハンチングの原因となっていました。今回は見逃すことにしましたが、いずれ近いうちにこ奴も逮捕しなければならないでしょう。
そしていよいよ残るは主犯のみとなりました。主治医の地道な捜査は、主犯を除いてその構成員の殆どを壊滅させていたのですが、この主犯はなかなか姿を現しません。相変わらずウインカーとストールとの関連性は見つかりませんでした。しかし残る接点はアースしかありませんので、配線図とは異なるアースが施されているのでしょう。
そしてやっと見つかったのがリアウインカーのアースで、ナンと
燃料ポンプのアースと同じ接点で接続されていた のです。そのアースが接点の緩みにより不充分となり、ウインカーを出すと燃料ポンプに充分な電流が供給されず、燃料の供給が少なくなりエンジンがストールしていたのです。この回路図にないアースが工場で製造段階で間違って施されたのか、後のメンテナンスの際に施されたのかは定かではありませんが、通常では考えられないことだけは確かです。
かくしてエンジンストール団という犯罪者集団はその主犯であったアースを含めて全員が逮捕されました。まだ一部泳がせているヤツ(エアフローメーター)はいますが、犯人は特定されていますので逮捕は時間(資金)の問題です(苦笑)
この成果はいきなり主犯を逮捕して終わりにしなかった主治医の捜査手法によるもので、こうした地道な捜査がメンテナンスガレージの評判を支えているのではないかと思います。
複合要因によるトラブルの場合は、その主な原因のみを取り除いても完治しないために、オーナーからすると
「あそこはちゃんと治せない(治してくれない)」 という印象を持たれてしまうのではないかと思います。充分な説明をせずに早く出庫しようとするガレージ側にも問題があるとは思いますが、お手軽に問題を済ませてしまおうとするオーナー側にも問題があるのではと思います。もちろん最大の問題はその費用で、こうした地道な調査の後でも交換する部品はアース接点の部品のみといった結果もあり得るのです。
旧いクルマのトラブルメンテナンスは犯罪の構図に似ており、ヤクの売人ばかり捕まえても供給源を断たないと犯罪はなくならず、供給源だけ逮捕しても売人は新しい供給源を見つけて再犯してしまうという例と同じではないかと思います。
地道な捜査が必要なのは警察もメカニックも同じなのでしょう。 クリック↓お願いします!
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テーマ:イタリア車 - ジャンル:車・バイク
数あるトラブルの中で一番始末に終えないのが再現性のないトラブル ではないかと思います。
特にイタリア車に多いのがこのテのトラブルで、全くウンともスンとも言わなかったクルマが次の日にはナニゴトもなかったように普通に動いたり、整備工場に整備を依頼するとそのトラブルが全く出現しないために原因が究明できないといったものは、仮に復旧したとしてもそれは問題が解決したワケではありませんので、またいつ起こるかも知れず、精神衛生上も実に宜しくないトラブルです。
私のThemaに起こったトラブルも最初は再現性のないものでした。症状としては突然のエンジンストールで、最初は単なるクラッチミートの失敗によるエンストかと思った位です。なぜならキーをひねるとすぐに再度始動することができたからで、その後はフツーに走っていましたのでしばらくは忘れていたのですが、それはだんだんと頻発するようになって来ました。しかし相変わらず再始動するとナニゴトもなく走ることができるのです。
そしてタチの悪いことに主治医のもとでは全くその症状が出ないために、まずは自分でその原因を突き止めなければなりませんでした。とは言っても、できることは現象面からその規則性を発見することだけで、どのような状況でエンジンストールが起こるのかを書き留めることから始めました。
まずエンジン回転が2000rpm以上の時にはエンジンストールは起こらないことが分かりました。つまりアクセルオンで走っているときには起こらないのです。それはアイドリング状態のときのみで水温の高低による影響はなく、エンジンが温まってもストールする頻度に変化はありませんでした。
そうこうしているうちに一つの規則性が見えて来ました。それはウインカーを出すとエンジンが止まるというもので、特に左折時には必ずといって良いほどストールするようになって来ました。もちろん再度キーをひねると再始動するのは相変わらずで、路上で立ち往生することはなかったのですが、ウインカーを出さないワケには行かず、曲がるときにはエンジン再始動の準備?をして曲がらなければならない状態でした。
こうなると様子を見て…という観察段階は限界となり、再度主治医のクイック・トレーディングに相談をすることにしたのですが、エンジン不調に関連する点火系、燃料系、制御系コンピューター等とウインカーとの電気的な関連性がないためににわかには信じてはもらえませんでした(泣)。私自身も理論的には関係のないことは分かっているのですが、確かに現実はウインカーを出すとエンジン回転が不安定になりドロップしてしまうので、
「そんなバカな…」 と笑われてもそう主張するしかありませんでした。しかも、それはいつも発生するというワケではないことがさらに状況の共有を困難にしていました。
しかし、ようやく主治医の近所でその現象が頻発するようになりました。これはチャンス!(笑)とすぐに主治医のところに駆けつけ、恐る恐る主治医の目の前でウインカーを出すと…、エンジンがストールしました。
主治医も自身で試したのですが、やはりウインカーを出すとエンジンがストールします。
「ほらぁ」 と胸を張って見たところで原因が分かるワケではありません(爆)ので、主治医に暫くクルマを預けることにしたのですが、このエンジンストールは様々な原因がからみ合った、さながら
生活習慣病のような複合要因によるもの だったのです。
製造から年数が経過したイタリア車、その製造が80年代から90年代前半の場合は、トラブルの原因が単なる経年劣化によるものに加えて、そもそもの部品の品質と製造品質の問題からトラブルシューティングを複雑なものにしています。つまり、劣悪な品質の部品をいい加減に組み付けて完成させたことが、年数を経ることにより他の部分にも影響を与えて二次、三次のトラブルを引き起こすことがあるのです。
従って単にそのトラブルの主原因を突き止めて治療したとしても症状がスッキリ改善しないという、
まるで中高年の健康管理のような状態 となるのです。
そのことを良く分かっている主治医はいきなり主原因にアプローチはしませんでした。確かにサービスマニュアルの配線図を見てもウインカーとエンジンには何の関連もないために、現物の配線を辿ってチェックして行くしかなかったのですが、そもそもアイドリングのハンチングには他の要因もあることが分かっていましたので、ウインカーを出していない状態でまずはアイドリングを安定させることに主眼を置いたメンテナンスから始めました。
まず疑われたのは
アイドリングスイッチ で、アイドリングが安定しない場合は最初にアプローチする部分と言えます。これはスロットルポジションセンサーと呼ばれるユニットで、アイドリングスイッチはアイドリング制御のトリガーとなっています。スロットル全閉時にスロットルポジションセンサーがスロットル全閉を検出しないと、アイドリング制御に入らずアイドリングが一定しません。逆にスロットルをわずかに開いているのに、スロットル全閉と判断するとアイドリング回転数まで引き下げようとするため、エンジン回転が小刻みに上がったり下がったり(ハンチング)することになります。
幸いなことに中古パーツを入手できましたので、導通を確認して取りかえることにしました。もちろんこうしたパーツは新品に交換することが一番なのは言うまでもありませんが、入手難であるために程度の良い中古パーツの存在は本当に有難いことです。
ご承知のように、まだまだ走ることのできるクルマが廃車となって行くのは、実はこうした消耗品以外の部品の欠品によるもので、事故やエンジンブローなどの費用対効果を考えて断念されたケースよりも、些細な部品が欠品で入手できない(入手する努力を放棄した)場合が圧倒的に多いのです。
もちろんアイドリングスイッチを交換したからと言って問題が解決したワケではありませんでした。そして次に疑われたのが
O2センサー です。
O2センサーは燃焼後に残った酸素の量を計測するもので、それによりエンジンの燃焼状態をモニターしています。
通常はエキゾーストマニフォールドの直後に取り付けられており、触媒を通して浄化される前のシリンダーがら排出された直後の排気をモニターするものです。
この排気中の残留酸素濃度を計測することにより空気の量に対するガソリン濃度の高低が分かるのですが、最も燃焼効率の良いガソリン濃度である理論空燃費(ガソリン:空気=1:15)を維持するために、このセンサーからの情報で、排気に酸素が残っている場合はガソリンを追加し、酸素が少ない場合はガソリンを減らしたりしているのです。しかし、このO2センサーはその取りつけ位置から排気熱に晒されるために経年劣化が避けられない部品です。センサーの感度が悪くなると正しくガソリンの濃度調整が行われなくなるために、アイドリング不調の原因となることが考えられました。
街乗りだけでエンジンを高回転まで廻さないクルマと、ちゃんとエンジンを高回転まで廻しているクルマでエンジンの調子が異なるのはこのO2センサーも影響しています。高回転までエンジンを廻すと排気圧が上がり、センサー表面の汚れを吹き飛ばす効果もあるようで、それは燃費の向上にも繋がっているのです。
私の場合はアクセルオンでのエンジン高回転時にはストールが起こらなかったことからも、このO2センサーも主犯ではないにせよ充分従犯の可能性がありました。
流石にこれは中古パーツではなく新品を手配することにしましたが、純正部品の番号で部品をオーダーするとどういうワケかコネクターの形状が異なったものが届いてしまい装着することができません。仕方がないのでネットで汎用品を購入することにしたのですが、O2センサーはそのコネクター形状にさえ気をつければ汎用品で充分だと思います。
こうしてあたかも組織犯罪の撲滅捜査のように従犯を順番に逮捕して行きながら、エンジンストールの原因となっている組織壊滅に向けて主犯を追い詰めて行くことにしたのですが、
相変わらず主犯は犯行を繰り返しています。 しかし、組織の構成員は確実に減っていますので組織壊滅は時間の問題と思われたのですが、それにはまだまだ捜査が必要でした。
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テーマ:イタリア車 - ジャンル:車・バイク
静養と言えば「読書」が定番だと思うのですが、私も同様でこの一年は随分と本を読む機会が増えたと思います。
もともと読書が好きで、どちらかというと速読派のためイッキ読みをしてしまい、読み終わった本も溜まる一方となってしまいます。
よくゴミ捨て場に束ねた本が捨ててあるのを見かけることがありますが、
私には本を捨てることがどうしてもできません。 中学生のときに図書部に所属し、一時は図書館の司書になろうかと思ったことがあるのですが、その図書部の活動の中に痛んだ本の修復というのがありました。ボロボロになった表紙や装丁を再度製本し、黄ばんだ断面は切り落としたりして修理するのですが、これらの作業を通じて本を大切に扱うと共に、それが例え自分には気に入らない作品であったとしても、こうして世に出たからには次の読み手はひょっとしたら一生の座右の書となるかも知れないと考えるようになったのです。
しかも、本は仮にその時の自分が気に入らなかったとしても、年齢を重ね改めて読み返したときには全然違う感じ方をすることもありますので、まずます捨てられなくなってしまうのです。
しかし、本棚はクルマ関係の雑誌やカタログ類で溢れ、さらに本はその前に山詰みにされ、その山がどんどん部屋の中で増えてくるにつれ、流石に永遠に手許に置いておくワケにはいかなくなってしまいました。仕方なく一念発起し本を整理することにしたのですが、前記の理由から捨てることは憚られるため買取店に持っていくことにし、手許に残す本、捨てる本を選別することにしました。
こうして本の山を整理しているとかつて読んだ懐かしい本が出てきました。今日はその懐かしい本の中からコンチネンタル・サーカスと呼ばれるロードレース世界選手権(WGP)を描いた不朽の名作をご紹介したいと思います。
それは
「ウインディーⅠ」「ウインディーⅡ」そして「チャンピオン・ライダー」 という三部作で作者は泉優二氏です。
泉優二氏は映画監督を目指したこともある映像作家で、サッカーの魅力に取り付かれヨーロッパに活動の拠点を移して1977年からヨーロッパサッカーの取材を始めます。そんな中で出会ったのが当時の日本では全く知られていなかったWGPというオートバイレースで、その350ccクラスのチャンピオンライダー片山敬済選手の活躍を映像化することになります。現在ではMotoGPとしてメジャーになったオートバイレースも当時の日本では殆ど知られておらず、オートバイレーサーは単なる暴走族の延長としか思われていなかったのですが、現在と異なり当時はワークスマシーンに混ざってプライベーターも出場しており、まだまだそのプライベーターにも勝つチャンスがあった「旧き良き時代」でした。
私はこの本を1988年に購入したのですが、当時はF-1グランプリがブームで私自身は大してオートバイレースに思い入れはなかったのですが、そのブームの延長線で何気なく購入したことを覚えています。しかし、読み進むうちにその内容にグイグイ引き込まれ、最後には涙を流すほど感動してしまったのです。こうして
この本は私の「殿堂」入りとなり、その後も何度も読み返している愛読書の一冊となりました。 物語は1973年のフィンランドのWGP第11戦から始まります。主人公の杉本敬は日本でチャンピオンになった後にヨーロッパのWGPにチャンレンジするために渡欧したライダーです。しかし彼を待っていたのは日本でのチャンピオンなどというプライドは吹っ飛ぶほどの過酷なレースでした。WGPに比べれば遠い極東のレースなどは草レースと同様だったのです。
WSPはヨーロッパ各地のサーキットを転戦し半年に亘るシーズンで10~12レースを走らなければならず、さらにこのWSPとは別に開催されるインターナショナルレースにも参戦すると、年間で40~50レースをこなさなければならなかったのです。そして一部のワークスライダーを除き、プライベートライダーは走るだけでなく、サーキットを移動するための運搬車のドライバーやチームマネジメントからコックまでの全てを自分でこなさなければなりません。それまでの彼はサーキットに行けばマシンが準備されており、それに乗って走るだけで良かったのに対して、ここでは走るまでの準備に走ること以上のエネルギーと時間を費やさなければならないのでした。
ストイックに自分自身を追い詰め、自分自身だけでなく周囲の人間に対しても自分のレースのために行動することを求める彼も、時折見せるその人間味に惹かれ仲間と呼べる理解者が周囲に集まって来ます。しかし彼はそれになかなか気がつきません。彼にとってはレースに勝つことが全てで、その過程は重要ではなかったのです。
しかし、事故による怪我、仲間の死、ライバルの苦悩を通じて自分自身にとっての「走ることの意味」を考えるようになります。
サーキットを転戦するレース参加者はコンチネンタル・サーカスと呼ばれるように全体が一つの家族であり、レースを走ることは全てではなく生活の一部であることを感じるにつれ、自分一人で走っているのではないことに気がつくのです。そうしてようやく内面の渇望が満たされ新しい人生の目標に向かう決心をした時にその悲劇が訪れます。
物語について多くを語るのは控えますが、
特筆すべきはそのレース描写で、あたかも自分自身が走っているかのような錯覚に陥ります。 そしてライダーの心理描写が素晴らしく、作者自身がレーシングライダーではないかとまで思わせるほどです。おそらく作者が小説家ではなく映像作家であることが多分に影響しているのだと思われますが、映像とは異なりレースでの一瞬の出来事を切り取りその描写をする時のスピード感と、レース外での人間描写のスピード感のギャップがこの小説をより一層魅力的なものにしています。
この本が書かれてからすでに30年以上が経過していますが、レーシングライダーを取り巻く環境が変わったとしても、その心理は不変ではないかと思います。そして未だにこれらを超えるレーシングシーンを描いた本に出会ったことがないことからも、この作者の非凡な才能を確認することができます。
ウィンディーはかつて映画化もされましたが、残念ながら原作を超えることはできなかったのではと思います。
映像作家である氏が書いた小説の方が映像よりも優れているというのも皮肉なハナシ だとは思いますが、それほどこの小説が単にストーリーとしてだけでなく、その描写も含めて素晴らしいからなのでしょう。
現在は絶版となっているようですが、唯一無二の小説ですので是非再版して欲しいと思いますが、中古でも販売されているようですので、興味のある方は是非ご一読いただければと思います。
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テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学