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走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

北米マーケットのアルファ・ロメオ

自動車メーカーにとって現在最も注目すべき販売市場は中国で、これからは中国やインドを始めとする新興国の需要が重要であることに異存はないと思います。
一方で海外の自動車メーカーにとって最も厳しいマーケットはと言うとそれは日本で、多くの自動車メーカーは日本市場を重要視しています。それは販売台数が見込めるからではなく、日本という市場でそのクルマが受け入れられるかどうかがそのクルマの品質の高さを証明するバロメーターとなるからです。
日本の国内市場はトヨタを始め6社もの乗用車メーカーがひしめき合う市場です。しかもその顧客は世界一品質に煩く神経質ですので、この市場で受け入れられるということはトップレベルのクルマの証明でもあります。
また、日本はクルマの使用環境という意味でも過酷です。真夏の渋滞する首都高でエアコンを全開にして長時間停車を余儀なくされるという状況は、どんなに過酷な環境試験にも負けない過酷さです。この状態でオーバーヒートしないクルマであれば世界中のどこに販売しても大丈夫と考える自動車メーカーは多いのです。

このように現在では日本人が認め、中国で販売が見込めるクルマを開発することが世界中の自動車メーカーの目標であると言えるのですが、以前は長らくこの目標となる市場は北米でした。戦後の北米以外の自動車メーカーにとって、戦災で国土が荒廃しておらず、戦勝国として豊かさを享受していたアメリカこそが自動車の販売先として最も有望な市場であったのです。
アルファ・ロメオが戦後に量産車メーカーに転換したのも北米市場を睨んでのことでした。それまでのヨーロッパ市場で富裕層に対して手作りに近い高級車を生産していたアルファ・ロメオは、戦争でこれまでの顧客であった富裕層がいなくなってしまったことは良く分かっていました。
一方で北米は自動車を購入することの出来る顧客の数がはるかに多いため、ここで販売するクルマはそれまでの手作り高級車ではなく量産車でなければならず、アルファ・ロメオが量産車メーカーに転換することは生き残るための必然でした。

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そして戦後のアルファ・ロメオの北米での販売はスタートすることになります。
最初のヒット作はGiulietta Spiderでした。それまでヨーロッパに旅行なぞしたこともなかった多くのアメリカ人が戦争のために兵士としてヨーロッパに滞在し、その間に見たヨーロッパの小型スポーツカーは復員した彼らに鮮烈な印象を残していました。
そのヨーロッパの高性能なスポーツカーを体現したクルマの一つがこのGiulietta Spiderだったのです。
アルファ・ロメオは1960年になるとそれまでのポルテロの工場だけでは生産が間に合わなくなるほどになっていました。そのために新たにアレーゼに工場を建設し、1963年にGiulia Sprintが新しいアレーゼの工場で生産されるようになり、アルファ・ロメオは年産15万台規模の自動車メーカーとなりました。
1970年にアルファ・ロメオは109,598台を世界中で販売しています。この販売数の殆どがヨーロッパと北米での販売で、アルファ・ロメオの黄金時代でした。

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1969年の広報写真より~アルファ・ロメオの北米カリフォルニアの拠点~

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1969年の広報写真より~サービススペース~

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1969年の広報写真より~ツール・マシンルーム~

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1969年の広報写真より~修理/訓練スペース~

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1969年の広報写真より~部品倉庫~

これを境にアルファ・ロメオの業績は悪化し、北米での販売も減少して行きます。
FORDによる買収を回避し、FIAT傘下になったアルファ・ロメオは減少した北米での販売を回復させるために、1989年に販売会社をクライスラーとの合弁で設立します。当時の北米での販売は1986年に年間8,201台にまで落ち込んでいました。
アルファ・ロメオはFIATの資本注入により工場設備を一新し、開発投資により新型モデルを北米市場に投入する予定でした。そのためにはクライスラーの北米市場に関する知見と販売ネットワークが必要不可欠で、事実クライスラーはその助力を惜しみませんでした。

しかし、実際には計画通りに新型車は完成しなかったのです。FIAT傘下になって最初の新型車であった待望のアルファ164は当初の計画から大幅に遅れ、その間に北米のアルファ・ロメオ販売店は販売するクルマがないという状況に追い込まれました。実際に、製造品質問題を抱えたアルファ75 Milanoと、もはや旧態化した115Spiderしか売るタマはなく、多くのディーラーはその契約を破棄しアルファ・ロメオの販売から撤退し、その状況に失望したクライスラーは合弁を解消することを決めてしまいます。
残ったアルファ・ロメオの単独での販売力は微弱で、結果1991年には何と649台しか販売できませんでした。
それでもアルファ・ロメオは1992年に発表された新型であるアルファ155を北米に投入すれば状況は改善されるであろうと考えていました。しかし、実際に先行して販売を開始したヨーロッパの市場でこの新型アルファ155は不評で、全く販売は延びませんでした。ついにアルファ・ロメオは当初の計画であったアルファ155の北米への輸出を断念します。この決断により、続いて計画されていた新型の916Spider/GTVやアルファ145の輸出も白紙となり、最終的には北米から撤退することになるのです。

かくして北米でのアルファ・ロメオはアルファ164が最後のモデルとなってしまいました。現在でも一部の熱烈なアルファ・ロメオファンはいるものの、アルファ164以降の魅力的なアルファ・ロメオが輸入されなかったこともあり、アルファ・ロメオというブランドイメージは北米においてはもはやほとんど消えてしまったと言って良いでしょう。
不思議な縁で、そのクライスラーとの提携によってアルファ・ロメオは北米に再び戻ろうとしています。情勢は予断を許しませんが、もしアルファ・ロメオが北米に戻ることができるならば、この誇らしげな広報写真のように、再び北米で多くのアルファ・ロメオファンを獲得して欲しいものです。

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テーマ:AlfaRomeo - ジャンル:車・バイク