カフェ・ド・ジュリアの最大の魅力はこの環境の中で放置されることで、皆が思い思いにこの豊かな時間を楽しむのがオトナのイベントたる所以だと思います。
従って殆どその会場内では何も催しものはないのですが、それでも今回は是非聞きたいと思う講演会がありました。それはARNAに関するもので、日産でこのプロジェクトに関わられた当時の商品開発本部副本部長である千野甫氏からお話を聞くことができました。

ARNAのことをご存知ない方に簡単にご説明しますと、
Alfa
Romeo-
Nissan
Automobiliの略で、その名前の通り日産とアルファ・ロメオが合弁で設立した自動車メーカーの名前です。
今でこそ当たり前のように行われている自動車メーカーのグローバルな経営統合ですが、このARNAが登場した1980年前後は経営統合はおろか自動車メーカー間の技術統合も殆ど見られませんでした。そういった意味ではこのARNAプロジェクトは現代の自動車メーカーの動きの先駆けであったとも言えるのですが、当時の両社には同床異夢とも言える其々に異なる思惑と事情があったのです。

ARNAプロジェクトは1979年3月にアルファ・ロメオから日産へのアプローチから始まりました。
当時の日産はヨーロッパで日本車としては上位の販売実績がありましたが、ヨーロッパ各国は厳しい輸入規制を実施しており、物理的にヨーロッパ圏外で生産したクルマを販売することは総量規制に阻まれ不可能な状態でした。日産は英国に生産工場を建設していましたが、ヨーロッパ本土にも更なる生産工場を建設することによりヨーロッパでの販売を強化しようと考えていたのですが、当時のフランスやイタリアは日本車に対して敵対意識を抱いており、直接的な工場建設は許可が下りず打開策が見つからないままこう着状態となっていたのです。
一方のアルファ・ロメオは経営状態が悪化しており、IRI(産業復興公社)の傘下でやっと経営を続けているという状態でした。北のポルテロ、アレーゼといった工場は生産設備が旧態化し、南の産業促進のために建設されたナポリの工場は度重なる労働ストと製造技術者のトレーニング不足から開店休業状態で、アルファ・ロメオは何らかの打開策を必要としていたのです。
このようにヨーロッパへの進出の足がかりが欲しい日産と、てっとり早くアルファ・スッドの後継車を開発し、最新の生産設備を導入し技術革新を図りたいと考えるアルファ・ロメオの思惑が一致し、この提携話は進められることとなりました。そのプロジェクトの中心となったのが新型パルサーで、この日産の新型FF車の開発スケジュールとアルファ・ロメオのスッドの後継モデルのスケジュールが一致したため、両社はパルサーをARNAの第一号モデルとしてナポリで製造することで合意します。

そもそもの奇遇はこのパルサーとアルファ・スッドのトレッドが殆ど同じであったことです。FF車ですから前後長はどうにでもなるものの、トレッドが大きく異なればシャーシーやサスペンスションなどの部品共有ができないのですが、パルサーの前後トレッドが1395/1376mmであったことに対して、アルファ・スッドは1385/1355mmで、この程度の差であればシャーシーを共有することができることが、このプロジェクト推進の決め手となりました。
一方で搭載するエンジンはパルサーが横置きエンジンであったことに対して、アルファ・スッドは水平対抗の縦置きエンジンで、その重心の低さとZ軸にクランクシャフトが位置することによる振動軽減など有利な点もあったのですが、このエンジン形式の違いによる設計変更は、ステアリングラックやナックルアームの変更に加えて、ダッシュボードの変更まで数多くの変更作業を必要としました。

加えてアルファ・ロメオが一歩も譲らなかったのが操縦安定性に関する部分で、キャンバー角など日産側と意見の異なる部分は徹底的に食い下がり一切の妥協をしなかったそうです。
実際の生産までのスケジュールは結構タイトで、当初の暫定スケジュールではデザインクレイが1980年5月に完成し、試作車は翌1981年の10月に完成、テスト期間9ヶ月の後の生産立ち上がりを1982年6月と、開発スタートから2年で生産を開始するというものでした。
合弁会社の設立に関しても並行してスケジューリングされたのですが、こちらは生産スケジュールのような純粋な技術問題とは異なり、複雑な要素が絡まり合うために当初のスケジュール通りにはすすまないこと必至でした。当初の計画では1979年9月に両社が覚書に調印して以降、1980年2月には合弁会社の設立契約に調印した後に、両国の政府に対し合弁会社設立の申請を行い、1980年5月には会社を設立する計画が最終的には1981年1月にまで遅れてしまいました。その理由はフィアットのアニエリ会長の猛烈な反対によるものだったそうで、最後はイタリア政府が押し切る形で決着したそうです。
ともかく何とか無事に設立された合弁会社ARNA社の設立趣旨とその概要は、
○設立趣旨
省資源、省エネルギーへの対応として燃費の良い小型車を共同で開発する
技術、経営ノウハウ、資本の国際レベルでの統合
アルファ・ロメオ社再建のためのラインアップ強化と経営基盤の拡充
日産のアルファ・ロメオの持つ伝統ある技術の習得
○合弁会社計画骨子
1)生産車型及び車両コンセプト
1982年生産開始予定のパルサーにアルファ・ロメオ社のパワートレーンを搭載し、内外装の一部を変更し、パルサーとの差異を図る。
2)生産販売計画台数(年)
イタリア国内30,000、イギリス12,000、欧州一般18,000 合計60,000台
3)搭載エンジン
1100ccシングル、1350および1500シングル/ツイン、4バレル
4)車型
3dHB、5dHB
○合弁会社概要
1)生産設備 ナポリ アベリーノ工場 15万平方メートル(45万坪) 地方自治体より土地は無償供与
2)資本金 250億リラ(70億円)持ち株比率:日産50:アルファ・ロメオ50
3)社員数 1100人
と、至ってホンキのもので、かくして1983年年末からARNAは生産を開始することになりました。しかし、ご存知のようにこの合弁は4年で解消されてしまいます。その理由は、アルファ・ロメオ社に日本車のヨーロッパ進出を許してしまったという非難が集中し、無視できない状態にまでなったことに加えて、日本とイタリアの生産文化、技術手法の違いを一つの製品にまとめ切れず、生産品質を安定させるのに時間を要してしまったこと。そして思ったほど生産コストが下がらなかったためでそうですが、その最初の理由は別にして、残りの理由は時間をかければ解決できた問題であろうと思います。
事実、それ以降の各国の自動車メーカーの海外進出や合弁は、ARNAが経験したであろう数々の障壁を乗り越えて成功し、自動車メーカーのグローバリゼーションを確立してきたのですから、その魁となった日産とアルファ・ロメオのこのプロジェクトは自動車史に残るチャレンジだったと言えるのではないでしょうか。
千野氏によって語られたARNAに関する数々のエピソードは、この会場でそれを聞くことの出来た人たちだけのものとしておきたいと思いますが、最後に彼が語ったエピソードは恐らく初めて明かされる真実で、本当に興味深い話でした。それは…

このクルマに関することでした(謎)
尚、このブログの記事は千野氏の講演をもとに私が構成して書いたもので、その内容に関する責任はあくまで筆者の私にあることを念のために付け加えておきたいと思います。
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意識的なのか偶然なのかは分かりませんが、今回のカフェ・ド・ジュリアは2台を一組にして展示しているケースを多く見かけました。その組み合わせは同じモデルであったり色違いであったりと絶妙で、見学する側からすると楽しませてもらいました。

二台のGT1300Juniorです。ホワイトとシルバーという地味なカラーの組み合わせでありながらその存在感は抜群でした。

今回の「つがい」の極めつけはほぼ同じ仕様のGTAです。どちらも以前にご紹介した川崎のデル・オートさんでレストアされたものですが、唯一と言ってよい外観上の違いは…。

バンパーの有無でした。しかしこれは実に興味深い対比で、GTAに限らずGiuliaのオーナーの悩みどころがこのバンパーを取り外すか否かなのです。

このつがいは2000GTVですが、そのボディコンディションは雲泥の差でした(笑)
シルバーの2000GTVは同行したR君の愛車で日本で唯一の純正AT仕様のものです。実は今回のイベントには参加が危ぶまれたのですが、何とか修理が間に合って参加することができました。その修理とはリアのサイドウインドーの交換で、走行中にガラスを飛ばしてしまうという失態を演じ、八方手を尽くしてようやく中古のガラスを手配できたために、参加することができたのです。
このガラスについてもいざ手配するために調べてみると実に興味深いものがありました。Giulia SprintのリアサイドガラスはStandardと呼ばれるクリアガラスのものと、Athermanousと呼ばれる断熱コーティングを施された薄いグリーンの二種類があるのです。しかもそのどちらが装着されているかはあまり明確なルールが見当たりません。一説によると初期型はクリアで後期型はグリーンとのことですがそれも定かではなく、事実R君の2000GTVは最後期モデルですがどうした訳かクリアガラスでした。
今回はガラスが丸ごと無くなってしまったので、このガラスに加えてガラスに付属していた金具類も全て手配しなければなりませんでした。その中で最も困ったのはチャネルモールディングと呼ばれるガラスをBピラーに接続する金属製のレールで、この部品は現在は欠品となっています。ちなみに部品番号は105.02.59.264.00(左)105.02.59.263.00(右)ですので、もし中古部品でも見つければ持っていて損はないでしょう。
今回は主治医のクイック・トレーディングでこのパーツを自作してもらい装着することができたのですが、こうした旧いクルマの場合は部品が壊れたり外れたりしても安易に捨ててはいけません。こんなものが…と思うような部品が欠品で手に入らなかったり、ASSYでしか入手できなかったりするのです。

一方で素晴らしいコンディションであったのが隣の2000GTVで、サイドのプレスラインがバッチリと決まっているだけでなく車高の下げ具合も絶妙でした。

同じシルバーの2000GTVでも極上車もちゃんとあり、この個体は本当に素晴らしいコンディションでした。
それにしてもR君のヤル気のなさにはあきれるばかりで、たまたま会場で雑誌の取材を受けた折にも自分のクルマであるにも関わらず、クルマの解説を私にやらせたりと今回も全開でした(笑)


新車の時から日本にある…という「つがい」がこの2台でしょう。日本への正規輸入第一号車のGiulia Sprint GT1600と4R ZAGATOです。そのシングルナンバーと佇まいから醸し出される風格は別格でした。

別格と言えばおなじく友人の青ガエルさんの1600Junior-Zagatoも別格で、そのコンディションはずば抜けており雑誌で紹介されたりイベントで展示車に選ばれたりするのが良く分かります。

やっぱり気になるのは1750GTVです。私がGiulia系を手許に置くとすればその最右翼は1750で次がDuettoでしょう。
こうして会場内の素晴らしいクルマ達をのんびりと見て回ることができるのがこのカフェ・ド・ジュリアの最大の魅力なのですが、今回は更なるプレゼントがありました。
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カフェ・ド・ジュリアは昨年初めて見学させていただいたのですが、その会場はあまりにセンセーショナルでした。Giulia Sprint,Junior-Z,Giulia Super,1750/2000Berlinaに加えてSpiderというおおよそ街中では見かけることのないアルファ・ロメオ達が素晴らしいコンディションで、和紙の里という純日本庭園の中のあちこちに駐車している光景は本当に夢のようで、昨年のブログではその参加車の殆どをご紹介したのですが、今年は二回目ということもあり少しは心に余裕も出てきました(苦笑)
それにしても参加車のコンディションの素晴らしさには感服します。しかも、そのオリジナル度の高さも流石としか言いようがありません。聞けば日常からきちんとメンテナンスをし、正規のナンバーを取得している車両のみが参加を許されるそうですが、一見すると厳しい制限である一方で、よく考えて見るとそれは至極当たり前のことであることが分かります。旧いからとか希少車だからといって車検を切ってイベントのときだけ仮ナンバーをつけて走行するようなクルマ趣味とは一線を画したいと考える主催者の意図はひしひしと伝わってきますし、その見識の高さは参加車の素晴らしいコンディションにより体現されています。
さらに今年から参加料が大幅に下がったそうで、こうしたイベントは回を重ねる毎にあれもこれもと経費が肥大化してしまう傾向があるものですが、真摯にその内容を見直し無駄を省く姿勢は、同じくイベントを企画する側からしても見習うべきことだと思います。

さて、昨年は手当たり次第(苦笑)に参加車をご紹介したのですが、今年はテーマを絞ってご紹介しようと思います。
そして、そのテーマはやはりSpiderとなってしまいました。
カフェ・ド・ジュリアに参加できるSpiderはDuettoとSr.2までのモデルで、Spider全車種の中でもヒストリックに属するグループです。
特に今回圧巻であったのがDuettoで街中ではまず見かけることはないにも関わらず、素晴らしいコンディションのDuettoが多く参加していました。

ご存知の通りSpider Duettoは1966年にそれまでのGiulia Spiderの後継モデルとして発表されたモデルで、シャーシーは同じく新型として発表されたGiulia Sprintと共通でした。
発表当時のネーミングはSpider1600という素っ気無いものでしたが、ボディデザインは実に特徴的で、その起源は1956年に発表されたピニンファリーナのデザインスタディであるSuperflowに遡ります。年月をかけて熟成されたそのスタイリングは素晴らしく、実際の反響も素晴らしいものでした。アルファ・ロメオはさらにこの人気を煽るために、車名を公募するというキャンペーンを展開します。ちょっと俗的と思えなくもないのですが、蓋を開けてみれば多くの応募があり、その中から"Duetto"というネーミングが採用されました。もちろんこの名前はは二座席のSpiderと音楽用語の二重奏をかけたもので、ドライバーとパッセンジャーのハーモニーという何ともロマンチックなものだったのですが、残念なことに商標登録の問題から"Duetto"というネーミングは使われ続けることなくフェードアウトしてしまいます。
1600Spiderは発表の翌年の1967年にベースとなるGiulia Sprint Veloceのエンジンが1750ccに拡大されたことに伴って1750Spiderとなり、さらにその翌年には小排気量の1300ccエンジンを搭載したSpider1300Juniorも加わります。


Spiderの27年の歴史の中で、このボートテールの初期モデルは1969年までの3年間しか生産されませんでした。そしてコーダトロンカと呼ばれるリアを切り落としたスタイリングにマイナーチェンジをされることになります。


ボディ形式で大別されるSr.1からSr.4までのSpiderの歴史の中で、この初期のSr.1はその生産台数も少ないのですが、その人気はやはり高く、今年のカフェ・ド・ジュリアにも圧倒的に多くのSr.1が参加していました。









確かに歴代のSpiderの中でこのSr.1は独特の魅力を持っていると思います。Sr.2へのマイナーチェンジは正常な進化であったとは思うのですが、現代の目で見るとこの伸びやかにラウンドしたテールは美しく、Spiderのオリジナルデザインとしての最大のチャームポイントだと思います。
その魅力に皆さんは惹きつけられたのでしょう。オーナーの方を見ていると幌の丁寧な開け方から、その後に紫外線からダッシュボードを守るためにタオルでカバーしたり、本当に大切にしていることが窺われる所作でした。
次回はSpider以外に気になったクルマをご紹介しましょう。
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それにしても最近の東京地方は天候が不順で、真冬と春を行ったり来たりしています。
季節外れの雪が降ったかと思えば、一転して翌日は春らしい陽気に戻るという状態で、ようやくクルマのイベントシーズンが到来したのですが、このロシアンルーレットのような天気の入れ替わりの裏に当たってしまえば、折角のイベント当日も真冬のような悲惨な天気になってしまうのです。
先日お知らせしたカフェ・ド・ジュリアも前日の降雪からするとその悲惨な天気の番かと思われたのですが、一転して春の好天に恵まれました。私にとっては久しぶりのオープン日和で集合場所である高坂SAに向けて関越道を北上することにしました。

早朝の関越道はまだ渋滞はなかったのですが、前日との温度差から霧が発生し速度規制が行われていました。本来ならば速度規制があれば渋滞するのは必至なのですが、走行しているクルマは全くペースダウンする様子がありません。もう少し霧が濃くなり視界が遮られるようならば速度規制なぞしなくても自然にペースダウンし渋滞するのでしょうが、走行に支障が感じられないためにクルマはスムーズに流れているのです。
そのおかげで思ったより早く集合場所に到着しました。早朝のSAはやはり混雑していますが、面白いことに駐車するクルマ達はちゃんと棲み分けられており、一般のドライバーのクルマとツーリングに出かけるバイクの集団とは別の離れた場所にツーリングに出かけるクルマの集団が個々に集まっています。

カフェ・ド・ジュリアに向かうアルファ・ロメオ達も、それが別に知り合いでなくても、不思議と近くに駐車するようになるのはこの法則どおりで、私たちが駐車した場所にはいつの間にか他のアルファ・ロメオも集まっていました。

さて、それでは会場に向けて出発です。今回の仲間は5台で先頭は幹事?のR君の運転するGiulia Sprint 2000GTV、そして青ガエルさんのJunor-Z 1600という2台の参加車に、見学車のFiat Punto Cabrioletでやって来たOさんに笹本氏のアルファ164Q4に加えて私の916Spiderの3台という陣容なのですが、よく考えるとアルファ164オーナーズクラブのメンバーである5人が全員別々のクルマに乗って来るというのもナンとも複雑な景色です(苦笑)

昨年と同様にお年寄りのハイキング集団をクルマで追い越しながら到着した会場は、これまたお年寄りでいっぱいでした。先頭の会場入りする2台と別れて、残る3台は見学者用の駐車場に駐車したのですが、この駐車場がすでにタダゴトではありません。

そこにはアルファ・ロメオに限らずフィアット、フェラーリと様々なイタリア車が駐車していました。恐らく会場であるこの「和紙の里」の駐車場では普段見ることのない光景でしょうが、私たちにとってもそうそう見ることのない光景が…、

このアルファ・スッドとアルフエッタ・セダンの2台が並んで駐車している光景です。この2台は素晴らしいコンディションで錆のないアルファ・スッドはアルフィスタにとっても非日常の極みと言えるでしょう。

それにしてもこのアルファ・スッドは素晴らしいコンディションでした。極論を言わせていただければGiulia Sprintにそれなりの資金を注ぎ込んでボディレストアをするのは別に珍しいことではありませんが、この至極普通のアルファ・スッドのボディをきちんとレストアする行為はなかなかできるものではなく、数多くのアルファ・スッドが錆により朽ち果ててしまっていることを考えると、あたかも朱鷺を保護するような行為ではないでしょうか。

何の変哲もないと言えばオーナーさんに失礼なのですが、この何の変哲もないところにとても好感が持てたSpider Sr.3です。最近は程度の良い個体が減ってきたSr.3のSpiderですがこうしてきちんとメンテナンスされた個体を見るとほっとします。

このクルマをご存知の方は少ないかも知れません。これはDTMで勝ちまくったアルファ155V6TIを開発してレース活動をしていたALFA CORSEが日本のために限定で制作したALFA CORSE GTVです。いずれ機会があればこのクルマに関する誕生秘話をお伝えしたいと思っているのですが、この個体は今となっては珍しい全てのパーツが揃っているクルマでした。

好みの問題はともかく、殆ど全ての部分にモディファイが施されたFIAT X1/9です。このX1/9も最近は殆ど見かけなくなってしまいましたが、今見ると絶妙のボディサイズとそのパワーのバランスが優れたコンパクトスポーツです。
残念ながら現在このカテゴリーは絶滅してしまいましたが、是非復活してもらいたいコンセプトです。

アルファ75の中でもホモロゲーションモデルであったTurbo Evoluzioneは大切にされ、数多くの個体が生き残っているのですが、部品の供給事情はノーマルのアルファ75以上に厳しい状況でこれからが正念場だと聞きます。
見学車の駐車場ですでにお腹一杯ですが、さらに会場に入るとそこには周囲の日本的な景色に意外にマッチした色とりどりのアルファ・ロメオ達が集まっていました。

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自動車メーカーにとって現在最も注目すべき販売市場は中国で、これからは中国やインドを始めとする新興国の需要が重要であることに異存はないと思います。
一方で海外の自動車メーカーにとって最も厳しいマーケットはと言うとそれは日本で、多くの自動車メーカーは日本市場を重要視しています。それは販売台数が見込めるからではなく、
日本という市場でそのクルマが受け入れられるかどうかがそのクルマの品質の高さを証明するバロメーターとなるからです。
日本の国内市場はトヨタを始め6社もの乗用車メーカーがひしめき合う市場です。しかもその顧客は世界一品質に煩く神経質ですので、この市場で受け入れられるということはトップレベルのクルマの証明でもあります。
また、日本はクルマの使用環境という意味でも過酷です。真夏の渋滞する首都高でエアコンを全開にして長時間停車を余儀なくされるという状況は、どんなに過酷な環境試験にも負けない過酷さです。この状態でオーバーヒートしないクルマであれば世界中のどこに販売しても大丈夫と考える自動車メーカーは多いのです。
このように現在では日本人が認め、中国で販売が見込めるクルマを開発することが世界中の自動車メーカーの目標であると言えるのですが、以前は長らくこの目標となる市場は北米でした。
戦後の北米以外の自動車メーカーにとって、戦災で国土が荒廃しておらず、戦勝国として豊かさを享受していたアメリカこそが自動車の販売先として最も有望な市場であったのです。アルファ・ロメオが戦後に量産車メーカーに転換したのも北米市場を睨んでのことでした。それまでのヨーロッパ市場で富裕層に対して手作りに近い高級車を生産していたアルファ・ロメオは、戦争でこれまでの顧客であった富裕層がいなくなってしまったことは良く分かっていました。
一方で
北米は自動車を購入することの出来る顧客の数がはるかに多いため、ここで販売するクルマはそれまでの手作り高級車ではなく量産車でなければならず、アルファ・ロメオが量産車メーカーに転換することは生き残るための必然でした。
そして戦後のアルファ・ロメオの北米での販売はスタートすることになります。
最初のヒット作はGiulietta Spiderでした。それまでヨーロッパに旅行なぞしたこともなかった多くのアメリカ人が戦争のために兵士としてヨーロッパに滞在し、その間に見たヨーロッパの小型スポーツカーは復員した彼らに鮮烈な印象を残していました。
そのヨーロッパの高性能なスポーツカーを体現したクルマの一つがこのGiulietta Spiderだったのです。
アルファ・ロメオは1960年になるとそれまでのポルテロの工場だけでは生産が間に合わなくなるほどになっていました。そのために新たにアレーゼに工場を建設し、1963年にGiulia Sprintが新しいアレーゼの工場で生産されるようになり、アルファ・ロメオは年産15万台規模の自動車メーカーとなりました。
1970年にアルファ・ロメオは109,598台を世界中で販売しています。この販売数の殆どがヨーロッパと北米での販売で、アルファ・ロメオの黄金時代でした。
1969年の広報写真より~アルファ・ロメオの北米カリフォルニアの拠点~
1969年の広報写真より~サービススペース~
1969年の広報写真より~ツール・マシンルーム~
1969年の広報写真より~修理/訓練スペース~
1969年の広報写真より~部品倉庫~これを境にアルファ・ロメオの業績は悪化し、北米での販売も減少して行きます。
FORDによる買収を回避し、FIAT傘下になったアルファ・ロメオは減少した北米での販売を回復させるために、1989年に販売会社をクライスラーとの合弁で設立します。当時の北米での販売は1986年に年間8,201台にまで落ち込んでいました。
アルファ・ロメオはFIATの資本注入により工場設備を一新し、開発投資により新型モデルを北米市場に投入する予定でした。そのためにはクライスラーの北米市場に関する知見と販売ネットワークが必要不可欠で、事実クライスラーはその助力を惜しみませんでした。
しかし、実際には計画通りに新型車は完成しなかったのです。FIAT傘下になって最初の新型車であった待望のアルファ164は当初の計画から大幅に遅れ、その間に北米のアルファ・ロメオ販売店は販売するクルマがないという状況に追い込まれました。実際に、製造品質問題を抱えたアルファ75 Milanoと、もはや旧態化した115Spiderしか売るタマはなく、多くのディーラーはその契約を破棄しアルファ・ロメオの販売から撤退し、その状況に失望したクライスラーは合弁を解消することを決めてしまいます。
残ったアルファ・ロメオの単独での販売力は微弱で、結果1991年には何と649台しか販売できませんでした。
それでもアルファ・ロメオは1992年に発表された新型であるアルファ155を北米に投入すれば状況は改善されるであろうと考えていました。しかし、実際に先行して販売を開始したヨーロッパの市場でこの新型アルファ155は不評で、全く販売は延びませんでした。ついにアルファ・ロメオは当初の計画であったアルファ155の北米への輸出を断念します。この決断により、続いて計画されていた新型の916Spider/GTVやアルファ145の輸出も白紙となり、最終的には北米から撤退することになるのです。
かくして北米でのアルファ・ロメオはアルファ164が最後のモデルとなってしまいました。現在でも一部の熱烈なアルファ・ロメオファンはいるものの、アルファ164以降の魅力的なアルファ・ロメオが輸入されなかったこともあり、アルファ・ロメオというブランドイメージは北米においてはもはやほとんど消えてしまったと言って良いでしょう。
不思議な縁で、そのクライスラーとの提携によってアルファ・ロメオは北米に再び戻ろうとしています。情勢は予断を許しませんが、もしアルファ・ロメオが北米に戻ることができるならば、この誇らしげな広報写真のように、再び北米で多くのアルファ・ロメオファンを獲得して欲しいものです。
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東京にお住まいでない方にはあまり関係がない話題かも知れませんが、この近年は東京の交通事情が随分と改善されたのではないかと思います。
その代表的な例が
首都高速道路の積年の工事完了で、この3月の末に中央環状線の工事完了により4号線と3号線が繋がりました。このルートにより、ようやく東名高速、中央高速、関越自動車道、東北自動車道、常磐自動車道への相互接続が首都高の都心環状線(C1)を経由せずにできるようになったのです。

このことは実は画期的な改善で、今までは関越自動車道から東名高速道に行こうとすると、関越練馬の出口を出て外環道を経由して首都高速5号線を走り、都心環状線を通って3号線に乗り換え、用賀から東名高速へ至るという実に効率の悪いルートを通るしかなく、
東京から放射線状に延びる各高速道路への接続が都心環状線を経由しなければ出来ないという最悪の構造だったのです。このコンセプトは江戸時代の江戸城を中心とした街道の設計から何も進歩しておらず、都心に何の用事もないクルマがただ通過するためだけに都心環状線に殺到するという、経済効率の面から考えても莫大な損失を長年に亘って被り続けてきたのです。

しかも都心環状線を中心とした首都高速の設計は東京オリンピックが開催された昭和39年にまでさかのぼる旧い設計で、どう考えても現在のような交通量を想定していない設計です。例えばその
合流地点は2車線の道路と2車線の道路を2車線の道路に合流させるという子供でも計算が合わないのが分かる設計で、渋滞するのが当たり前の構造と来ています。
道路そのものも平気で逆バンクのコーナーを放置していたり、阪神淡路大震災級の地震が起こったら単に倒壊では済まないような華奢な橋脚であったり、その問題を挙げたら枚挙に暇がないほどです。
さらにその平均速度から考えると世界一高額と言っても良いその通行料は、渋滞にうんざりしたアメリカから赴任してきたビジネスマン曰く、「クルマから離れることの出来ない駐車場」と言わしめるほどで、到着の時間を約束して首都高を使って都内を移動することはまずムリなことでした。
それでも少しづつ改良が加えられ最近は随分と走りやすくなったと思います。開通当初からのジャンクションは車線の数こそ変わらないものの、車線をわざと絞って合流部分で無駄な割り込み競争による渋滞を緩和するようにしたり、コーナーの曲率を的確に把握できるよう車線の塗り方や色に工夫をしたり、抜本的ではないものの地道な改良に加えて、中央環状線のような新しい路線の建設による抜本的な改良により、ようやく少しは「時間が読める」ようになって来たのではないかと思います。

それにしても意外に短時間でこの中央環状線が完成したのは驚きました。この中央環状線よりもはるか以前から計画されている外環道の西側部分はその着工の目処すらたっていないのに対して、この中央環状線の新宿線はその路線の全てがトンネルで、山手通りの下を通るために用地買収の問題が最小限で済んだことが大きな要因でしょう。
加えて、トンネルを掘る工法が著しく進歩したことも工期短縮の要因で、実際に山手通りはこの工事期間中も車線規制こそ行われたものの、通行止めにすることなく東京都内の環状六号線としての役割を果たし続けました。

その最新兵器?はこのシールドマシンのようで、このジェットモグラ(旧いっ)のようなマシンが地下をどんどん掘り進んで行ったようです。この分だと続く品川線も予定通り建設できるでしょう。

確かに、実際に開通した山手トンネルを走ってみるとその断面は円筒状で、このシールドマシンの直径の大きさを実感することができます。
シロートの勝手な想像ですが、実はこのシールド工法によるトンネル建設は都会の道路建設に画期的な解決策をもたらすのではないかと思います。
都心の渋滞を解決するためには道路建設が必要で、その道路を建設するためには予算措置に加えて、用地買収の問題と環境対策が重くのしかかります。そしてやっと用地買収ができたとしても、今度は道路を建設する工事期間とその期間中の渋滞などによる経済損失は、結果としてその道路を建設するメリットすら吹っ飛ぶほどの問題となってしまいます。
どんなに電気自動車が普及しても、その自動車が走るには道路が必要で、
直面する渋滞問題は電気自動車であろうと内燃機関自動車であろうと同じだと思います。
随分と渋滞が緩和された首都高5号線と都心環状線の渋滞表示板を見ると、的確な道路計画の大切さの陰に隠れた建設技術革新の重要さを実感することができました。
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日本人にとって一年を感じる季節は春でしょう。満開の桜を見るとまた一年が過ぎ新しい年が始まることを実感する方は多いのではないかと思います。
暦上での新年は1月1日ですし、最近はグローバリゼーションの影響で会社の決算も3月決算から12月決算に変更されるケースも多いと聞きますが、日本人のメンタリティではやはり4月が新年度で、気持ちを新たにすることができるのはやはり桜のシーズンを迎えてこそなのかも知れません。

しかし、アルフィスタにとって桜以上に一年を思い起こさせてくれるのがALFA ROMEO DAYではないでしょうか。
蓼科を舞台に毎年5月のゴールデンウイークの次の週の土日に行われるALFA ROMEO DAYは、スケジュールと場所が決まっていることから、参加する私たちにとっても迎えてくださる地元の皆さんにとっても、「ああまた一年が経ったのだな…」と思わせてくれるイベントです。
一昨年までは蓼科のグリーンバレーと岳麓公園を会場に開催されていたALFA ROMEO DAYも20周年を機に昨年からは新しい会場に場所を移して新たなる歴史を刻み始めたのですが、その感慨もあっと言うまでもう一年が経ってしまいました。

毎年、2日目に参加させていただき、クラブメンバーのためにラウンジを開設しているのですが、そのメニューも年々エスカレートして行き、昨年はついに他の参加者の方からケータリングサービスと間違われるほどになりました(苦笑)

参加者が思い思いに楽しむことの出来るこのイベントに今年も参加させていただこうと思います。
そして、好評?のラウンジのメニューを考えるのも楽しみになっていますので、今年も皆さんとオープンランチを楽しめればと思っています。
ALFA ROMEO DAYの参加要領を以下にご紹介しておきますが、ラウンジの参加は原則としてアルファ164オーナーズクラブのメンバーの方に限らせていただきます。ラウンジでのランチ希望の方はクラブHPのメンバー専用BBSに書き込みをお願いしますね。
ALFA ROMEO DAY 2010
アルファ・ロメオの100周年をみなさんとともに祝いましょう!■CENTENARIO ALFA ROMEO!
今年は「アルファ・ロメオ100周年」の年です。この記念すべき年にあたり、日本全国のAlfistiの皆さんとアルファ・ロメオの過去・現在・未来を祝おうではありませんか。
今年は会場にアルファ・ロメオ歴代代表モデルを特別展示の予定です。
珍しいアルファ・ロメオにお乗りのオーナーの方、貴方の愛車を参加者の皆さんにお披露目してくださいませんか。
■特別ゲストはENGINE編集長・鈴木正文氏。
今年のゲストはENGINE編集長・鈴木正文氏を招聘。
さまざまなアルファ・ロメオ体験談を語っていただくトークショーを予定しています(9日開催予定)。
また、毎年好評の新車試乗会や、豪華景品の当たる抽選会などなど、ALFA ROMEO DAYならではのお楽しみが盛り沢山。
もちろん、アルファ・ロメオ関連ショップによるバザールも開催いたします。
■八ヶ岳ツーリングが復活! アルファ・タクシーや撮影会も開催!
好評だった八ヶ岳ツーリングが復活します。土曜日から参加の方には、八ヶ岳の高原ルートを走るツーリングを楽しんでいただきます。
また、蓼科AROC有志によるヒストリック・アルファの同乗イベント「アルファ・タクシー」も実施。
ちょっと旧いアルファ・ロメオを体験できるチャンスです。
ホテル内ガーデンでは愛車の記念撮影会を開催。通常は入場できない素敵なガーデンをバックに、貴方の愛車の魅力的な姿態をカメラマンが撮影し、プリントをプレゼントします。
■大好評の新会場で今年も開催。
今年も昨年同様、宿泊先は蓼科湖畔のリゾート施設「アートランド・ホテル蓼科」。
蓼科で最も伝統あるリゾートホテルで、かけ流しの温泉や露天風呂、
景観抜群のラウンジ、マリー・ローランサン美術館も併設しています。
夜はちょっとドレスアップして懇親パーティーをお楽しみください。
美味しい料理もタップリご用意してあります。
また、9日(日曜日)の会場となる八ヶ岳高原「富士見パノラマリゾート」は、
冬季はスキー場、夏季はパラグライダーやMTBコースで著名な総合レジャー施設です。
施設内にはレストランも併設されていますし、トイレも完備しています。
また、会場に隣接した駐車場ではバーベキューも可能です。
※バーベキュー会場を移動します。
今年は歴代モデルの特別展示を予定しているため、昨年のように同じ会場内(第3駐車場)にはバーベキュースペースが用意できません。
バーベキューをご予定の方は、会場(第3駐車場)に隣接する小広場か、会場から1段上の第2駐車場、あるいは臨時駐車場として使用する第4駐車場のいずれかの場所をご利用ください。
ALFA ROMEO DAY 2010 開催要領
●開催日:2010年5月8日(土)~9日(日)
●開催地:蓼科湖畔「アートランド・ホテル蓼科」(8日)
八ヶ岳高原「富士見パノラマリゾート」(9日)
●募集台数:最大300台(宿泊は100台限定)
●参加費用
(1)宿泊2日間コース ¥42,000(大人2名/車両1台/1部屋使用)
参加費用・宿泊費(1泊2食付)・パーティー代・記念品代を含む
同乗者追加料金:大人1名(中学生以上) \15,000
小学生以下1名 \9,000
(寝具・食事の必要ない乳児は無料)
※お一人様での参加は¥27,000。ただし相部屋となります。
(2)1日参加コース ¥12,000(参加車両1台につき)
参加費用・記念品代を含む。同乗者の入場は無料。
(※注)5月8日、9日とも昼食は参加費用に含まれていません。
●申込み方法:
(1)参加申込書/誓約書に必要事項をご記入の上、
(2)参加費用をお振込みいただき、
(3)振込用紙の控え(コピー可)とともに、
(4)下記事務局までFAXまたは郵送でお送りください。
(振込者名は申込み者名と同一でお願いします)
(5)ウェッブサイトからもお申し込みいただけます。
4月上旬より申込み開始の予定です。詳しくは下記ウェッブサイトをご覧ください。
※メール配信でご案内を差し上げた方にはウェッブサイトからの申込みをお薦めします。
●振込先:みずほ銀行・渋谷中央支店/普通口座 2425269 アルファロメオデイ 事務局
●申込先/問合せ先:〒114-0002 東京都北区王子4-1-15
黛 健司 方 ALFA ROMEO DAY 事務局
TEL=090-3106-6324/FAX=03-3912-9665
E-mail:info@alfaday.com
●申込み締切:2010年4月22日(木)当日消印有効
※参加予定台数に達し次第受付を締切らせていただきますので、お早めに申込みください。
※正式な参加受領書の発送は4月下旬からとなります。
●ウェッブサイト:http://www.alfaday.com/
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これだけのイベントですとやはりタイムスケジュールどおりに進行させることは難しく、本当ならばお昼前に始まるはずであったパレードランもスケジュールが押してしまい、遅れてのコースインとなりました。

パレードランとはサーキットを先導車に続いて走行するというもので、前車を追い越してはいけないという制約の中での走行ですので、スポーツ走行のように全開で走れるワケでも、コーナーを攻めることができるワケでもありません。
と書くとナンだかつまらなさそうに見えるかもしれませんが、一方でパレードランには独特の楽しみ方があるのです。
通常のサーキット走行は同乗は禁止でドライバーのみとなってしまいますが、パレードランは乗車定員までであれば友人や家族も一緒に乗ることができます。また、レースやスポーツ走行であればどうしても目を三角にして(笑)、少しでも速く走ろうとするものですが、パレードランであれば周囲のクルマや景色を見ながらのんびりと走行することができるため、全く違った発見もあるのです。

ということで、私自身は今回は助手席でパレードランを楽しませていただくことにしました。本当ならばオープンにして写真を撮りまくるところなのですが、今回はレギュレーションでトップを畳むのも窓を開けるのも禁止とのことでしたので、仕方なく幌を閉めた状態でのコースインとなってしまいました。

今回のパレードランはピットロードから2列でコースインし、コースを一周してメインストレートで記念撮影をした後に、さらにコースを1周するというものでした。さすがに200台近いクルマが一度にコースを走るため、ストレートではそこそこのスピードであっても、各コーナー手前では渋滞となってしまいます。

しかし、助手席の私は渋滞していることを幸いにのんびりと撮影することができます。それにしても前も後ろもアルファ・ロメオだらけという光景は素晴らしいものがあります。

サイドミラーに映る光景にも感動です。

周囲のクルマはと言うと皆考えていることは同じで、あちこちで同乗者は写真を撮っています(笑)

今回のパレードランのベストショットです。富士山に向かう笹本氏の164Q4の雄姿ですが、こんな写真が撮れるのもパレードランならではです。
繰り返しになりますが、参加記念品と入場料を考えるとこのパレードランの参加費が5000円というのは激安?ではないかと思います。
今回のVITALE ITALIAは初参加だったのですが、1日を目いっぱい楽しむことができるイベントでした。サーキットでレースやスポーツ走行はちょっと…という方も、イベントでこうしたパレードランやファミリー走行などに参加して見るのはいかがでしょうか?実際にコースを走って見るとテレビで見るF-1のオンボード映像がどれだけ凄いものであるかを実感することができますよ。
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