皆様には大変ご心配をおかけしてしまいましたが、おかげさまで本日、無事に退院することができました。
突然の入院が1月20日で、二度のカテーテル手術の後心臓リハビリテーションを受けて10日後の退院は結構なスピードではないかと思います。10年前に同様の症状が出たら恐らくバイパス手術を行い、入院は最低でも1ヶ月になっていたことでしょう。
入院中にお見舞いに来ていただいた皆さん、メールで励ましのご連絡をいただいた皆さん、またブログにコメントを頂いた皆さんのお気持ちは本当に励みになりました。
まだまだこれからこのポンコツエンジンとどう付き合っていくかという整備方針の問題はありますが、ひとまずはまた公道を走ることができます。
この場を借りて取り急ぎのご報告と御礼をさせていただきます。
ありがとうございました。
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この記事は下書き状態で準備していたものですが、いつまでも病気のお断りネタが最新記事というのもあまり気分の良いものではありませんので(苦笑)、病院内のネットカフェからアップさせていただきます。
どんなクルマであれ、それを日常のアシとして使っている場合は、ナニゴトもないという状態は理想です(笑)
しかし、ナニゴトもない状態を維持するためには最低でも消耗品のメンテナンスは必要なのですが、そんな消耗品の中にあってオイルとタイヤは結構間違ったメンテナンスをされているのではと思います。
実はこのどちらにも賞味期限があるのですが、エンジンオイルに関して言えば、通常はその賞味期限が到来する前に交換のタイミングが来るためにさほどの問題はありません。例えばイタリア車の場合は一般的に走行5000km毎にオイル交換が推奨されています。平均的なドライバーでそのクルマがファーストカーである場合は、年間の走行は10,000km程度でしょうから、最低でも1年に2度はオイル交換をすることになります。
しかし、それが趣味クルマで1年間に1000kmしか走行しないとすると、オイル交換は5年に1度ということになります。オイルは酸化をするために永年の間に性能は劣化して行きますので、仮に走行距離が規定に達していなくても、5年もオイルを交換しないでいるとそのオイルは当初の性能を発揮はしないのです。最近の化学合成油の場合はそれでも劣化が遅いらしいのですが、個人的にはいくら走行距離が少なくても5年間オイル交換をせずに大切な趣味クルマを走らせる気にはなれません。
同様にタイヤもゴム製品である以上、オイルと同様に賞味期限があり、いくら磨耗が少なくても製造から年数が経ったタイヤはその性能が劣化してしまいます。私のクルマのタイヤの主治医であるタイヤサービスの鵜沢社長に言わせると、仮に新品のタイヤであってもその保管状況によって雲泥の差があるそうで、実際に安売りタイヤの中には売れ残りで在庫年数が経ったものが多く、その性能は保証できるものではないそうです。
私が管理している緑スパなのですが、昨年偏磨耗によりタイヤを2本交換したのですが、その後やはりもう2本の劣化が目立ってきました。確かに残溝はまだ十分なのですが、ゴムが硬化しておりノイズに加えてコーナーでのグリップが明らかに劣るようになってきました。また雨天時のハイドロプレーニングも頻発するようになるに至っては安全を考えるともう2本も交換するしかなく、タイヤサービスにその交換をお願いすることにしました。
交換するタイヤは2本のため、銘柄を選択する余地はなく当初のタイヤと同じピレリのP6です。このP6は往年のP6とは全く異なるタイヤですが、その性能は115Spiderには必要にして十分で、特に突出したところのないバランスの取れたタイヤだと思います。
実際に硬化したタイヤを外して見ると、残溝は十分であることが分かります。仮にこの状態が4本共同じであるならば我慢しても良いのかも知れません。しかし調べてみるとすでに製造から5年が経過していました。これは流石に賞味期限を過ぎたタイヤと言わざるを得ないでしょう。
例によってタイヤサービスではホイールを外した際に、その内側を丁寧に洗ってくれます。
タイヤ屋さんでこんなことをしてくれるところは他にはないでしょう。 この寒空の下で本当に申し訳ないのですが、日常の洗車では行き届かない部分ですので本当に有難いことです。
また、ホイールを外した際にはブレーキのチェックをするには良い機会です。ディスクの磨耗状態やパッドの残量を目視でチェックするのですが、フロントは約1mmほどディスクが磨耗していました。
フロントに比べるとリアのディスクは磨耗が少ないことが分かります。いずれにせよ走行距離から考えるとこの状態は健全で、ブレーキには何も問題はありませんでした。
そしていよいよタイヤを組み付けて行くのですが、ここでもタイヤサービスの丁寧な作業を見ることができます。
古いタイヤを外したホイールの内側の汚れを丁寧に拭き取ってから新しいタイヤを組み付けます。
最初は標準的な方法で、タイヤ側に付けられたマークとホイール側のエアバルブの位置を合わせて、タイヤをホイールに組み付けてバランサーでチェックします。仮に、タイヤとホイールが共に真円であればこの状態でバランスは取れるのですが、そんなワケはなく、御覧のように重心がズレてしまっています。
そうすると再びホイールからタイヤを外して、少しづつ組み付ける位置をズラして行きながらバランスの良い場所を見つけて行くという作業を繰り返すのです。
これをマッチングバランスと呼ぶのですが、そこには数値の指示があるワケではなく、経験と勘によりどの程度ズラすかが決められます。今回も一度でバランスが合いました。
そして指示されたとおりウエイトを打ち込んで作業は終了です。
この手間がかかる作業の効果を体感できるドライバーが一体どれほどいるのか…とも思いますが、正しく装着されたタイヤはその初期性能をちゃんと発揮するだけでなく、偏磨耗や過大なロードノイズといったタイヤによる乗り心地にも確実に影響しているハズです。
しかし残念ながら、昨今のタイヤを取り巻く環境はとてもこうした作業のコストを吸収できるような利益構造ではなくなっているのが現状です。
何でも安ければ良いのではなく、自分が必要だと考えるものに対しては、正当な報酬を払うこともこのデフレ・スパイラルを脱出するきっかけになるのではと思います。 まぁ、そんな大上段なハナシはともかく、硬化したタイヤを履き替えた115Spiderはずいぶんとハンドリングが改善されました。
残溝のチェックだけでなく、一度ゴムの劣化を含めてタイヤをチェックして見てはいかがでしょうか…。
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しばらく更新が滞っていますので、ご心配をおかけしているのではないでしょうか。 実は、現在入院中です。生まれて初めての入院に手術。しかも予め計画されていたわけではない、緊急入院のため、何も準備できないまま突然、日常から隔絶されてしまいました。 さて、その原因なのですが、急性心筋梗塞で、日頃の不摂生の報いを受けてしまいました。 しかし、おかげさまで最新医療と素晴らしい医療スタッフのお陰で命拾いをしましたが、今しばらく入院しなければなりませんので、退院したらその辺りのこともまた書いてみたいと思っています。 ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません。
このブログには解析ツールを設定してあるのですが、その結果を見ていると皆さんがどのようにこのブログを読んでいただけているのかが分かり、興味深いものがあります。
今回は、その解析結果の一部をご紹介してみたいと思います。
これは昨年12月の日別のアクセス数です。ここでいうユニークアクセスとはその日に初めてこのブログにアクセスいただいた方の数で、トータルアクセスが複数回の方のアクセスを含めて合計した数を表しています。
月間トータルで見ると24,446回のアクセスがあり、日別のアクセス人数(延べ人数と言って良いでしょう)は11,448人となっています。一日平均では369人の方にご訪問いただいたこととなります。
複数回のアクセスと言っても実際にどの位アクセスしていただいているのかを見てみましょう。これはある日の解析ですが、1回という方が圧倒的に多いのは当然のことながら、11回~20回という方が続いて多いのが分かります。それにしても何度もアクセスしていただき有難いことです(苦笑)
一日の時間別アクセスを見てみましょう。これはある平日の時間別アクセス解析ですが、皆さんお昼休みや午後の休憩時間に多く見ていただいていることが分かります。また夕食後の時間もPCに向かわれる時間のようで多くの方にアクセスしていただいています。この時間分布は平日と休日では全く異なることから読者の皆さんの大多数がお仕事をされている方であろうと推測できます。また、この状況を見るとキリ番の達成時間によってはその番号をゲットすることがいかに難しいかが分かります。
では、皆さんはどのようにして私のブログに来ていただいているのでしょうか。これは同じ日のリンク元の解析です。
やはり圧倒的に多いのが「直リンク」と呼ばれるこのブログそのものをブックマークする方法です。後はリンクを貼っていただいている他のブログやHPから来る方法なのですが、検索エンジン経由で来られた方もいらっしゃいます。
では、どのような検索でこのブログがヒットしたのでしょうか。
やはり一番多いのが「アルファロメオ」という言葉で、続いてこのブログそのものを探すワードが続きます。しかしこの日一日で138もの検索ワードでこのブログがヒットし、実際にそれをきっかけに訪問いただいているのですから、これには本当にビックリしています。中にはその検索ワードで来ていただいたとしてもあまりお役には立てなかったろうな…と思うものもありますが、それが縁で引き続きご愛読いただいているのであればそれはそれで有難いことだと思っています。
さて、読者の皆さんがどこにお住まいなのかも興味がある点ですので解析して見ましょう。
やはり人口比からすると、東京、愛知、大阪が多いのは分かるのですが、4位に山形というのはやはり某氏のアクセスでしょう(笑)。しかし40都道府県からご覧いただいていることは本当に励みになり嬉しいことです。
しかしそれ以上に驚いたのはこのブログが世界中の方々に読まれているということです。
この解析結果はどの言語で読んでいただいているかを表したものです。日本が圧倒的に多いのは当然ですが、アメリカ、イギリスを始めイタリアからもお読みいただいているようです。この解析結果は日別のものですので、毎日見ていると現在のところ15ヶ国からアクセスがあるようです。恐らくWebの翻訳ツールを使用してお読みいただいているのでしょうが、まだまだ翻訳しきれていない部分もあるでしょうから、相当読みにくいのではないかと思います。
ブログの有難さや威力を思い知ったと同時に少し恐ろしくなったのも事実です。しかし商業用のブログではありませんから、多くの皆さんにご支持いただけるのは結果だと考え、それを目標とはせずにこれからも書きたいことを書いていこうと思います。 これからもご愛読をよろしくお願いいたします。
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日々、雑誌の編集に携わっている皆さんには本当に申し訳ないのですが、最近の自動車雑誌がどうもつまらないと思っているのは私だけではないようです。
事実、自動車雑誌の発行部数は減り続け、あの老舗雑誌も休刊を余儀なくされることになるに至っては単に出版不況だけがその要因ではないような気がします。
もちろん自動車趣味の人口が減っているのが最大の要因であることはその通りだと思うのですが、不況だからこそ、また実車の趣味がままならないからこそ、雑誌でその気持ちを紛らわすのもアリで、どうもそうした現実に編集方針がついて行けていないような気がします。
残念ながら発売される新車の殆どがエコだハイブリッドだの大合唱である現在、新車を乗り比べたりその性能や装備を云々する記事は五十歩百歩で魅力が薄いのは仕方ないとは思いますが、一方でそれに引きずられるように趣味車の記事も何だか迫力がなくなっているように思います。
確かに雑誌の生命線である広告収入の減少により、制作費の削減は相当厳しいものがあると思いますが、
景気低迷→広告収入の減少→発行部数の減少→制作費用の削減という負のスパイラルを抜け出すことができなければ、今後もこの低迷は続くであろうことを思うと、愛読している各雑誌の制作に関わる皆さんには何とか頑張っていただきたいと願うばかりです。 では一方で海外のこうした自動車雑誌はどのような状況かと言うと、これが意外と頑張っているように思います。日本で多く愛読されている海外の趣味車雑誌の代表格と言えばイギリスの
Classic and Sportscar誌 で、以前は定期購読するほど頻繁に購入して読んでいました。
この雑誌の最大の特徴はクラッシックカー、ヴィンテージカーから現代のスポーツカーまでが豊富に掲載されていることで、その写真の美しさと記事の興味深さは毎号読んでいて飽きませんでした。
一方でイタリア車に絞った雑誌で有名なのが
Auto Italia誌 でこれまたイギリスで出版されている雑誌です。その名前の通りこの雑誌の最大の特徴は、イタリア車のみを取り上げているところで、よくもまあ続くものだと思いますが(苦笑)、毎号毎号が魅力的な記事が満載されています。
少し古いのですが手許にあるAuto Italia誌の表紙をご紹介するだけで、この雑誌がいかにマニアックなものであるかがお分かりいただけるのではないかと思います。
簡単に内容をご紹介しますと…、
Fiat Punto Abarth
Abarth Simca 1300 OT
Lamborghini Gallardo twin test
Lancia Dilambda
Ferrari 195 Inter
Alfa Romeo 155 2.5V6TI
Alfa Romeo GTV Buyer's Guide
といった内容で、こんな記事が月刊で続くのですから恐れ入ります。しかも特筆すべきはその写真の美しさで、オリジナル写真を使用しているだけでなく、実に手間のかかる撮影を行っていることが分かります。主な洋書取り扱い店で見ることが可能だと思いますので、機会があれば是非手にとって見ていただきたい内容です。
確かに英語で書かれた記事には抵抗があるかも知れませんが、イタリア語やフランス語と異なり英語であれば何とか読むことができると思いますし、大好きなクルマの記事ですと斜め読みでも何となくその内容が分かるものです(苦笑)
こうした海外の雑誌も昔に比べると随分と入手しやすくなりましたし、書籍独特の為替レートも昔に比べるとリーズナブルになって来ました。
日本の雑誌がつまらないから…という消極的な理由からでなく、もっと気軽に読んでみてはいかがでしょうか。 クリック↓お願いします!
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自動車先進国の中でもイギリスでは多くのブランドが消え、残ったブランドもその名前を残すのみで自国の資本ではなくなってしまいました。あのロールス・ロイスもMiniも現在はBMW傘下ですし、ジャガーはFord傘下でさらにその行く末は不透明な状態です。かつてご紹介したアストン・マーティンも現在は投資家集団によって経営されています。
一方で消えてしまったブランドも枚挙に暇がなく、その中の一つが今回ご紹介するSunbeamです。
なぜ今回Sunbeamを取り上げようかと思ったのかというと、昨年訪れたイベントでトヨタ博物館が所蔵する1922年 Sunbeam Grandprixを見たからなのですが、これほどまでの先進的なメーカーが何故消えていかざるを得なかったのかに興味を持ったからに他なりません。
Sunbeam Motor Company Ltd.は1905年にイギリスで設立されました。創業者のジョン・マーストンは自転車製造で成功した人物で、その技術の延長線として自動車製造に参入したのですが、1909年にSunbeam社に加わったルイス・コータレンはレースが技術を進歩させるという信念のもと、レースカーを開発し様々なレースに参戦するようになります。
こうして進歩したSunbeam車はロールス・ロイスやベントレーと並ぶ少量生産の高級車メーカーとしての地位を確立するようになったのですが、ロールス・ロイスが例のパルテノン宮殿を模したと言われる特徴あるグリルと豪華なコーチワークによる様々なボディデザインで派手であったことに比べると、どちらかと言うと地味で控えめなデザインでした。
第一次世界大戦の軍需景気の中でSunbeam社は発展したのですが、第一次世界大戦後はより経営基盤を強固にするためにフランスのダラック社と合併することとなります。ダラック社はアルファ・ロメオが最初にライセンス生産したほどのメーカーでその技術力には定評があるメーカーで、すでにイギリスのTarbtot社を傘下に収めていたダラック社は、Sunbam-Tarbot-Darracq社としてイギリスとフランスにおいて自動車生産を行う大企業となります。
Sunbeamはこれで安定した経営基盤を得ることができ、1920年代はまさにSunbeamの光り輝く時代でした。
しかし、1929年に始まった世界大恐慌を、STD(Sunbeam-Tarbot-Darracq)は生き残ることができませんでした。1935年には同社は破産管財人の手に渡り、ウイリアムズ・ルーツ(William Rootes)に売却されることになります。その売却時点で商業的に上手くいっていたSTD生産車種はTarbotだけで、Sunbeamのモデルは斜陽となっていました。
当時、後のジャガーを設立するウィリアム・ライオンズはSunbeamを買い取ろうとしますが不調に終わり、後にジャガーを設立することになるのですが、もしこのときにSunbeamがウイリアム・ライオンズに買われていたら、後の運命は大きく変わっていたかも知れません。
さて、新たに傘下に入ることになったルーツ・グループは現在のバッジエンジニアリングの先駆者で、同じ量産シャシーに異なる車体とエンジンを架装して別々の市場に投入し、それまでのブランドイメージをうまく利用しながらコストを抑えて利益を上げることを得意としていました。
その方針に従い、第二次世界大戦後にSunbeam-Tarbotというブランドで開発投入されたのがSunbeam-Tarbot80と90で、さらに1953年にはSunbeam-Tarbot90をベースとしたスポーツモデル、Sunbeam Alpineが発売されます。
そして、さらに二代目となる1959年発売のAlpineをベースにフォード製のV8エンジンを搭載したモデルがこのSunbeam Tigerなのです。
そもそものきっかけはキャロル・シェルビーが企画したAC Cobraで、Sunbeam Alpineと同様に小柄なデザインの英国製スポーツカーの非力なエンジンを米国製の大排気量V8に置き換えることにより、北米市場で魅力のあるスポーツカーを作ろうと考えたことにあります。
同じくキャロル・シェルビーにその開発を依頼し、1964年にAlpine Sr.4にCobraと同じフォード260V8エンジンが積まれたTigerがデビューすることになります。
当初の260V8ユニットを搭載したTiger Sr.1は北米市場で好評をもって販売され、1967年までに6495台が生産されました。
そして後にCobraと同様に289ユニット(4727cc)を搭載したSr.2に進化するのですが、ルーツグループ自体がクライスラーに売却されてしまいます。クライスラー傘下になったSunbeamにフォード製ユニットを搭載することはできないため、これからの発展が期待されたTigerは終焉を迎えることとなります。
クライスラーは既に買収していたSimcaとルーツを統合し、「売れ筋」の車種を残して販売しようとしますが、そもそも継ぎ接ぎで生き残ってきた各ブランドに「売れ筋」などという車種は残っておらず、結果としてその全てのブランドが消えていったのは当然のことでした。
現実的には最後のSunbeamと呼んでよいこのTigerにはそれでも古き良きSunbeamの名残が残っており、各所にその魅力的なディテールを見ることができます。
この個体はハードトップを装備していますが、簡単に脱着することができ、ソフトトップとすることが可能です。
最大の魅力はこのテールで、当時良く見ることのできた縦長のテールレンズとそれに続くフィン状のリアの処理が控えめながらスタイリングのアクセントとなっています。
Tarbotミラーと呼ばれた砲弾型のサイドミラーは当時の英国製スポーツカーの定番とも言えるミラーで、その視界は劣悪だったものの魅力的な装備です。
室内は当時の英国車定番のレザーとウッドパネルですが、それは豪華なものではなく、むしろチープと言って良い作りです。このことからもSunbeam Tigerはグランドツアラーではなく、あくまでスパルタンなスポーツカーとして企画されていたことが分かります。
これは標準装備であったのかどうか定かではありませんが、ロックボルト式のホイールであるにも関わらず、センターのキャップはノックオフ式のスピンナーが装備されています。
Sunbeamのように消えていったブランドと現在まで生き残っているブランドの差は、経営が健全だった時代にどれだけそのブランドの独自性を市場で確立したかの違いではないかと思います。 もし、そのブランドイメージがしっかりと確立されていれば、仮にその後の経営環境の変化により売却されることがあっても、ブランドそのものは生き残っていくのではないでしょうか。
残念ながらルーツ・グループが買収したブランドはSunbeamを始め、どれもそのブランドイメージが強固なものではなかったために、結果としてその全てのブランドは消えてしまいました。
もしSunbeamがAC Cobraと同様にこのTigerをうまく発展させ、スマートなスタイリングにパワフルなV8エンジンを搭載した魅力的なスポーツモデルを生産し続けていたならば、戦前と同様にSunbeamのスポーツイメージは継承され、今なおブランドとして生き残っていたのではと思います。
太陽の光(Sunbeam)は天気の悪いときにこそしっかりと思い続けなければ、そのまま再び見ることなく夜の闇に包まれてしまうという結末はあまりに皮肉的ではないでしょうか。
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昨年は様々なヒストリックイベントに出かけたので、ブガッティを多く見ることができました。
現在のブガッティはその名前が残るのみでブガッティが最も輝いていた戦前とは全く無縁であることが残念なのですが、その最も輝かしい時代であった戦前のブガッティを描いた作品が、本日ご紹介する
藤田宜永氏の「鋼鉄の騎士」 です。
作品そのものは日本推理作家協会賞を受賞していることからもお分かりのように、あくまでフィクションであり推理小説に分類されるものです。ところがその内容はカテゴリーを超えて当時の自動車レースを見事なまでに描いており、レース小説と言っても良い作品となっています。
原稿ベースで2500枚という超大作で読み応えも十分なのですが、簡単にそのあらすじをご紹介しましょう。
舞台は1936年から1939年という第二次世界大戦前夜のフランスと日本で、歴史的にはナチス・ドイツの台頭と共産主義革命が成功したソ連との間で、フランスに戦争の影が忍び寄る時代です。
子爵である千代延宗平の次男として生まれた主人公の千代延義正は華族でありながら、すでに革命活動家の兄に感化され、共産党の革命思想に憧れを抱き自らも活動に身を投じるようになります。
ところが、ある事件をきっかけに兄を失うこととなり、自身も心に大きな傷を負ってしまいます。
息子の行動を危ぶむ父は、自らがフランス駐在武官となったことを幸いに、義正をフランスに帯同し、義正を日本から離そうとします。
一方の義正はそのフランスで見たグランプリレースに魅了されてしまいます。当時のグランプリレースはメルセデスとアウトウニオンが台頭し、アルファ・ロメオがかろうじて健闘しているもののブガッティはその性能からとても勝ち目のない状態となっていました。しかもドイツ勢はヒットラーの国策としてレースに勝つことに力を入れており、もはやメーカーやドライバーのレベルでの戦いではなくなっていました。
義正は自らがグランプリに出場することを熱望するようになりますが、父親はそんなことを許すはずもなく、家出同然で自動車整備工場に職を得た義正は、そこで自動車の構造と整備技術を学びながらレースに出場する機会を窺います。
そんな義正に手を差し伸べたのが父親の友人であるシャルル・トゥルニエ男爵で、彼の亡くなった息子のために購入したブガッティT59を義正のために惜しげもなく提供し、彼のレース出場を応援します。
一方の義正はレースにのめり込む一方で、フランス、ドイツ、ソ連、そして日本のスパイ戦争に巻き込まれてしまいます。
この物語は縦軸にこのスパイミステリー、そして横軸にグランプリレースという全く異なるテーマが見事に融合されており、クライマックスではその両軸が絡み合い白熱したレース描写と手に汗握るスパイ戦争。そして解き明かされる謎と読み手を全く飽きさせない作品となっています。
登場するドライバーは全て架空の人物ですが、誰かしらモチーフにした実在のドライバーがおり、またメルセデスやアウトウニオン、そしてアルファ・ロメオなどの描写も実に的確で、作者のリサーチの確かさが窺い知れます。
私たちのようなクルマ好きにしてみれば、どんなにストーリーが優れていても、クルマの記述や描写が間違っていると興ざめしてしまうもの ですが、この作品では当時のグランプリレースの模様やドライバーの心理などに加えて、何よりもクルマの描写が素晴らしく、主人公の駆るブガッティの当時の劣勢を見事に描いています。
主人公が乗るブガッティT59は1933年から1935年にかけて製造されたグランプリレーサーですので、この小説の舞台である1939年ではライバルには性能的には劣っており、3257ccの8気筒エンジンからの250hpという出力では勝負にはならなかったのですが、文中ではブガッティにこだわる主人公にこのT59をさらにチューンアップさせることにより何とか互角に戦えるようにします。さらにレースの天候を雨にすることによりライバルとの性能差を縮め、そのレース展開に信憑性を持たせているところなどは流石としか言い様がありません。
さて主人公はブガッティでレースに勝つことができるのか。そして一方の謎のスパイ事件の真相は…。
是非、お読みいただきたい作品です。
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最近はカレンダーを頂くことがめっきり少なくなってしまいました。
以前は仕事上の取引先やらショップやらがカレンダーや手帳を毎年競うように持ってきていただいたものですが、不景気になると真っ先に縮小されるのがこうした販促物で、これもご時世ですからやむをえないことと思います。
かと言って頂けるものであると何でも良いかというと全くそんなことはなく、お気に入りのカレンダーや手帳があり、その会社から頂けなくなると寂しいだけでなく、困ってしまうのも事実です。
アルファ・ロメオもユーザー向けに素晴らしいカレンダーを製作していました。特にMuseo AlfaRomeoの所蔵車を紹介したシリーズは本当に素晴らしく、毎年楽しみにしていたのですがいつしかそれもやめてしまい、近年はアルファ・ロメオのカレンダーを部屋に飾ることはなくなっていたのですが、今年は久しぶりにカレンダーを頂きました。
それはいつもパーツを輸入しているAlfissimo InternationalのJason Minos氏からのプレゼントで、ドイツで制作されたプライベートフォトによる美しいカレンダーでした。
制作しているこの
HEEL社 は出版社のようですが、カレンダーの他のラインアップを見てみると相当マニアックで、他にも欲しくなってしまいました(苦笑)。
このアルファ・ロメオのカレンダーに関しては、どうやらオーナーカーを撮影したものらしく、ヴィンテージモデル以外は何かしらモディファイされているのがご愛嬌ですが、12枚組の美しい写真は充分楽しませてくれそうです。
日本ではあまり馴染みのないカレンダーですので、皆さんにもご紹介したいと思います。
1月は1939年 6C2500 Sport Cabrioletです。トゥーリング社のアルミによるボディが架装され最高速度155km/hを誇った美しいモデルです。
2月は1987年 75 Turbo Evoluzineです。500台が限定で製作されたホモロゲーションモデルで、今なお75オーナーがモディファイのお手本としているルックスです。写真で見る限り、ホイールとシートはノンオリジナルですが素晴らしいコンディションです。
3月は1989年 115Spider Sr.4です。身近なモデルですのでどうしても辛口になってしまいますが、ホイールはノンオリジナルでこのインチアップはちょっと??です(笑)
4月は1月と同様の1937年 6C2500ですが、こちらはアルファ・ロメオオリジナルのB Pescaraというモデルです。
5月は1977年 Montrealです。Tipo33のV8エンジンをフロントに搭載し、アルファ・ロメオが戦前のように高級GTカーとして企画したモデルですが、残念ながら失敗に終わり思ったほど販売されなかったモデルですが、ベルトーネデザインのそのスタイリングは独特で、今なお希少車として珍重されているモデルです。見たところこれはオリジナルのようです。
6月は1967年 Giulia Sprint GT1300 Juniorです。GTAではないところが中々シブイ選択ですが、ホイールはオリジナルではなくクロモドラ製にモディファイされています。
7月は1978年 Alfetta GTV2.0です。大好きなモデルなのですが、これまた残念ながらホイールはロナール製に変更されています。ロナール製のホイールへのコンバートは全然OKなのですが、ボディと同色に塗装してしまうのはどうでしょうか…(苦笑)
8月は以前と同じ6C2500ですが、こちらは戦後の1947年に製造されたSS Cabrioletというモデルです。ボディデザインはピニンファリーナで、戦後すぐにこのようなモデルが製造されたのですから恐れ入ります。
9月は1962年 Giulia 1600 Spider Veloceです。Giulietta Spiderとして発表され後にベースとなるSprintボディがGiuliaに発展したことに伴い、マイナーチェンジされたモデルです。
10月は1961年 2600 Spiderです。直列6気筒エンジンを搭載したハイエンドモデルで、トゥーリング社によるボディが他のピニンファリーナデザインと一線を画すモデルです。
11月はもはや何も言うことのない2008年 8C Competizioneです。ようやく街中でも見かけるようになりましたが、それでも希少なのは間違いなく、出会ったら一日幸せを感じることができます(笑)
12月は6C2500のシリーズでも珍しい1947年 Sport Berlinaです。これも戦前から戦後にかけて製造された6C2500シリーズの一台で、ボディはトゥーリング社が担当しました。
このカレンダーも素晴らしいのですが、できればアルファ・ロメオに以前のようなカレンダーを企画してもらいたいものです。
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新年あけましておめでとうございます。 今年も皆様と皆様の愛車との生活が楽しく輝かしいものでありますようお祈りしております。
一年の計は元旦にありと言いますが、特に計は立てずに継続は力なり…を心の拠り所に今年もブログを書き続けることができればと思っています。
どうぞ倍旧のお引き立てを賜りますようお願いいたします。
2010年 元旦
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