リーマンショックから世界的な不況に見舞われた昨年末、私は
Quo Vadis と題した記事の中で、自動車業界も私たちユーザーも自動車の明るい未来を思い描けない…と書きました。
そして一年過ぎた今、状況はさらに悪化しているような気がします。
世界的不況はより出口の見えない状況となり、二番底はおろか三番底までが噂されるようになり、先日のCOP15では世界各国がこの場に及んで団結はおろか、共通認識すら持てないことを露呈してしまいました。
日本はと言うと政権交代によりパラダイムが変革するのでは…という期待は見事に裏切られ、どんな政党の看板を揚げていたとしても、もはや旧態化した政治家という人種には、世の中を変革するパワーがなくなってしまっていることが明確になりつつあります。
考えて見れば、私たちが子供の頃に思い描いていた21世紀は希望に満ちたものでした。クルマはエアカーとなり空中を移動し、チューブの中を高速で走る列車は空を縦横無尽に駆け巡っていました。そして宇宙ステーションはとっくに実用化され、人々は宇宙エレベーターを使って行き来し、月は観光名所になっていました。
SF小説家のジュール・ベルヌが言っていたように、「人間が想像できることは必ず実現する」とは、げだし名言ではありますが、人間は思い描いた輝かしい未来とは別の、悲観的想像を現実のものとしてしまいました。
残念ながら現在の様々な技術は人類の進歩のためではなく、何とかして悪化を遅らせる方法でしかないのですが、自動車の技術も同様で、「夢のクルマ」の実現とはかけ離れた場つなぎ的な方法論の実現に終始しています。
自動車の車輪を転がして移動するという基本的な方法論はその誕生から何一つ変わっていません。動力が動物から蒸気へ、そして石油を燃やす内燃機関へと変化したのはそれがその時代に最も効率が良いエネルギー源であったからで、そういった意味では自動車は何も変わらずに現代まで生き延びてきました。
これから将来にその動力が電気になろうと水素になろうと、それは単に動力源が変わっただけのことで、自動車そのものが革新的に進歩したことではないでしょう。 実は、現在の自動車の進歩に今ひとつ夢を持てないのはこれが理由ではないかと思うのです。
排気ガスという内燃機関の宿命とも呼べる副産物をいかに少なくするか…という技術革新は自動車という機能とは直接的には関係がありません。
私たちが望んでいる夢の自動車への技術革新は、単に排気ガスがきれいで燃費の良いクルマなどではなく、走れば走るほど二酸化炭素を吸収したり、移動するためにタイヤを使わなかったり、形が自由に変わったりという現在の自動車に対する概念を覆すようなものではないでしょうか。
私が大好きな旧車も、それはその時代に輝かしい未来を見据えて作られたからこそ今なお魅力があるのであって、現在のハイブリッド車が輝かしい未来を見据えて作られたとは思えない以上、それがどんなに高度な技術の集大成であったとしても、それが魅力としてヒトの心を動かすことができないのも無理はないのかも知れません。
事実、減税だの補助金だのと値段を下げてやっとのことで売っているのが現在のハイブリッド車の実情で、もし本当にそれが魅力のあるクルマであるならば、例えそれが高くても喜んで買われるハズではないでしょうか。 私たちは自動車が過去の遺物になり、骨董品として珍重されるような時代を望んでいるワケではありません。人間が自由に移動できるという道具は恐らく普遍のものであり、それがどんなカタチになるにせよ永遠に人間のそばにあり続けるでしょう。
願わくばそれが私たちにとって、何かほかのものを犠牲にして得るものではなく、人類が等しく享受できる技術であって欲しいと思います。
新しい年がそんな技術革新のきっかけになるような年になって欲しいものです。
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引き続き展示車をご紹介して行きましょう。
自動車のブランドとしてこのROLLS-ROYSEほど有名なものはないでしょう。外観でROLLSをROLLSたらしめている最大のポイントはこのパルテノン神殿をモチーフにしたと言われるラジエーターグリルで、時代を超越してROLLS-ROYSEのシンボルとなっています。先日、TVで中国で作られたROLLS-ROYSEを堂々と?パクったクルマを見ましたが、その広報担当者はインタビューでこれまた堂々と…、
「ROLLS-ROYSEに似ているのではなく、デザインするに当たってパルテノン神殿をモチーフにした結果ではないか?」
と強弁していました(苦笑)。
ちなみにクルマの後方で囲まれている方はあの小林彰太郎氏です。
ルーズベルト大統領の専用車であったパッカード トゥエルヴです。当たり前ですが多くの先進国は自国のクルマを最高指導者のクルマとしているのですが、戦前の日本はROLLS-ROYSEやメルセデスでした。自動車を工業力と技術の象徴と見るのであれば当時の日本はまだアメリカやイギリスと戦争をしてはいけないレベルだったのかも知れません。
自動車に造詣の深いタイサンの千葉社長が持ち込んだ1924年Le Mans24時間レースで優勝したBENTLEYです。貴重なクルマですが、「走らせてナンボ」と考える千葉社長はこのクルマでクラシックカーラリーにも出場しており、コクピットにはラリーコンピューターを装備していました。
今回の展示車の中で最も興味深かったのがこの1922年 SUNBEAM GRANPRIXです。SUNBEAMは今は亡きイギリスのメーカーですが、このレーシングカーには当時の最新技術が詰め込まれています。
エンジンは何と!DOHCです。当時の航空機エンジンでも稀であったDOHCメカニズムを搭載したのは小排気量で高出力を出すためですが、当時のイギリスの技術力の高さを象徴しています。
当時のグランプリカーはシングルシーターではなく助手席にメカニックが同乗して走行していました。狭いコクピットに少し後方にずらして取り付けられた助手席に乗ってサーキットを走らなければならなかったメカニック氏はさぞかし大変だったでしょう。
一気に現代に戻って気になったのはBMW-M1です。BMWがランボルギーニと組んでエキゾチックカー市場に進出しようとしたプロジェクトがこのM1プロジェクトで、当時のグループ4ホモロゲーションを取得するために400台の生産が計画されスタートしたのですが、組んだ相手がランボルギーニということもあり(笑)、計画は遅れに遅れてやっと完成したときにはFIAレギュレーションの変更により参戦するレースがなくなってしまうというお粗末な結果となってしまいました。それでもあきらめきれないBMWはF-1の前座レースとしてこのM1のワンメイクレースを企画したのですが、F-1パイロットが掛け持ちで出場するとあっては盛り上がらないワケはなく、本番のF-1レースではマシンの差に泣くドライバーもワンメイクでは純粋にウデの差とばかりに熱くなり、興業としては大成功したレースでした。
ストラダーレは意外にマトモで(笑)、内装もBMWクオリティでした。イタリアの同様のモデルがレース出場を主眼においていたために、ストラダーレモデルは「仕方なく」作りました感が満点なのですが、この辺りもドイツ人の生真面目さの現れなのかも知れません。
そうこうしているうちにパレードランに出かけていたイタリア車が帰ってきました。
Coppa di Tokyoでは数多く参加していたALFA ROMEO Junior-Zでしたが、今回は一台だけでした。
LANCIA FULVIA HFは最近気になり始めたクルマです。個人的にはZAGATOモデルよりこの「お尻の薄い」FULVIAの方がお気に入りです。
ALFA ROMEO SPIDER DUETTOも参加していました。このスタイリングは不変の美しさで、見学者も足を止めて見入っていました。
そういった意味では分かりにくいのがALFA ROMEO GIULIA SPRINTで、一見すると普通のクーペに見えてしまいます(苦笑)
フランス車は参加が少なく、目を引いたのがこのALPINE A110くらいしかありませんでした。SMやDSならばもっと一般の見学者にもアピールしたかも知れません。
自動車メーカーが主催するこうしたイベントの意義は、自動車という自分たちの製品が世の中をどれだけ豊かにして来たかを提示し、そして未来への夢と希望に繋げていくことにあると思います。
実際にトヨタが自動車博物館を持ち、自社の過去の製品だけでなく自動車全体の歴史的な展示を行っているのもそのためですし、その点においてはMuseo AlfaRomeoのように自分たちのデザイン・技術ヒストリーのみを展示する博物館よりその意義は高いのかも知れません。
しかしながら、
その意義が霞んでしまうほどクルマそのものの社会的意義が危ぶまれている現在、どのように未来を提示するかが自動車メーカーだけでなく、私たちユーザーにとっても最大のテーマではないかと思います。 実際にこうした過去のクルマを見ることにより私たちは未来を思い浮かべることができるのでしょうか…。
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ご多分に漏れず年末の忙しさから更新が滞ってしまいました(泣)
周囲の仲間からはインフルエンザか?とご心配をおかけしてしまいましたが、単に仕事が忙しかっただけですので、ご心配いただいた皆さんには本当に申し訳ありませんでした。
今年は随分と様々なイベントにお邪魔することができたのですが、今回ご紹介するイベントが今年最後のものとなります。
それは神宮外苑を舞台に開催された
トヨタ博物館 が主催するトヨタ博物館クラッシックカーフェスタと呼ばれるもので、同日に開催された神宮の「いちょう祭り」と併催されるために多くの見学者が訪れるであろうイベントです。
以前と比較すると随分とクルマのイベントが増えたように思うのは私だけではないでしょう。マスコミも巻き込んで大々的に行われるLa Festa Mille Migliaや、地方公共団体が後援するイベント、そして先日のCoppa di Tokyoなど、様々な開催形態があるのですが、一般の方にはいまいち認知度が低いと言わざるを得ないのはその場所と開催告知で、どうしても多くの方の目に触れることが適わないのは、自動車イベントの難しさなのかも知れません。
そんな中にあって、今回のこのイベントは集客もバッチリで主催も天下のトヨタということもあり、さぞかしホスピタリティに溢れたものであろうと期待して行くことにしたのですが、とにかく人出がもの凄く、会場に辿り着くまでが大渋滞で、やっと近くまで来たものの今度は駐車する場所がないといった状態で、一瞬「もう帰ろう」とすら思うほどでした(苦笑)
ところがいざ会場に入って見るとそこは周囲と異なり意外に閑散としていました。
子供向けに電動カーの試乗コースを設けても、そのノスタルジックなスタイリングに喜んでいるのは大人ばかりですし、
ボンネットバスにカメラを向けているのは、「懐かしい~」と喜んでいるお年寄りばかりといった状態で、
とにかくこれからのユーザーである子供や若者の姿が少ないことばかりが目立ったイベントでした。 しかし参加しているクルマ達は国産、外国車を問わず、自動車が人間の英知であったり豊かさの実現であったりした時代のもので、そのクルマ達から放たれるオーラのようなものは子供にも感じることができたのではないかと思います。
それは単なるノスタルジーではなく、そのクルマの設計や開発に人間の夢が詰まっていたからではないかと思うからなのですが、そんな夢の詰まったクルマをご紹介して行こうと思います。
トヨタ博物館所蔵の1938年 BUGATTI TYPE57Cです。戦前のBUGATTIはレーシングカー並みの性能を持つツアラーが好評を博したメーカーで、走る芸術品と言われたそのエレガンスは今尚魅力を失うことのないメーカーだと思います。
これもトヨタ博物館所蔵の1965年 JAGUAR E-Typeです。JAGUARも戦前からのイギリスを代表するメーカーですが、戦後は北米のマーケットに注力し、そんな中で生まれたのがこのE-TYPEです。当時のライバルであるフェラーリの半値で買えることから”Poormans Ferrari”と呼ばれたりもしましたが、その性能もスタイリングも決してフェラーリに見劣りがするものではなく、今尚ファンの多いモデルです。
続いてオーナーカーで参加していた気になる国産車を見ていきましょう。
現在は日産に統合されたプリンスのグロリアスーパー6です。国産最高級車であったグロリアはアメリカ車のデザインの影響を色濃く受けていますが、当時はそれが当たり前で、最も身近な外国車がアメリカ車だったのです。
戦後の自動車産業の復興過程では、ノックダウン生産と呼ばれる外国車のライセンス生産が主流で、日産はオースチンと提携し、A40のノックダウン生産により自動車の生産を再開します。しかし需要はオーナードライバーではなくタクシー需要が主で、日本のモータリゼーションはまだまだ先のことでした。
プリンスのグロリアのライバルが日産のセドリックでしたが、明らかにデザイン的に優れていたのはグロリアの方で、このセドリックは官公庁で良く使用されました。
日産の510ブルーバードは今尚ファンの多いモデルではないでしょうか。それはボクシーで均整の取れたデザインと当時の積極的なモータースポーツへのエントリーからスポーティという印象を与えたことにあります。特に国際ラリーへの参戦は有名で、これはサファリラリーに参戦したクルマを再現したものです。
一時、我が家のクルマでもあった三菱ミニカです。懐かしくて思わず写真を撮ってしまいました。とにかく狭くてうるさかった思い出しかないのですが、当時の平均的な国産車はそんなものでした(笑)
後に発売された三菱ギャランGTOには本当に憧れました。ダックテールというリアエンドが跳ね上げられたスタイリングもさることながら、特にMRと呼ばれたDOHCエンジンを搭載したモデルは欲しくても買えないモデルでした。
このクルマが日産の初代シルビアです。殆ど手作りに近い工程で製造されたために高価になってしまい販売的には決して成功したモデルではありませんが、スペシャリティカーという新しいジャンルに果敢に挑戦した日産の意欲作です。
日野自動車が乗用車を製造していたことを知る人は随分と少なくなってしまったのではないでしょうか。日野自動車はイタリアのミケロッティと関係が深く、このコンテッサはミケロッティのデザインによるリアエンジン車です。その垢抜けたデザインは当時の憧れで、リアエンジンである故にフロントのすっきりとしたデザインが特徴です。
こうした国産旧車の維持には外国車以上の熱意と工夫が必要とのことですが、参加していたクルマはそのコンディションも素晴らしく、オーナーの並々ならぬ愛情が感じられました。
引き続き参加したクルマをご紹介して行きましょう。
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おかげさまで無事に300,000アクセスを達成することができました。当初の予測では年末か年初くらいだろうと思っていたのですが、最近はアクセスしていただける方が増え、思ったよりも早く達成することとなりました。
時間的にはあまり良い時間ではなく、殆どの読者の皆さんはお仕事中ではなかったかと思うのですが、そんな忙しい時間帯に仕事もせずにPCで遊んでいた…という(笑)、青ガエルさんから連絡をいただきました。
恐らくPCの画面をデジカメで撮影したと思われる画像ですが、会社のPCで一体ナニをやっているのでしょうか(爆)
私が彼の会社の社長であれば叱責するところですが、当選は当選ですので、お約束どおりアルファ・ロメオのノヴェルティグッズの詰め合わせをお贈りしたいと思います。
まずは…
順当なところで携帯のストラップです。おそらく幾つあっても邪魔にはならないでしょう。
そして…
折りたたみ式の靴ベラです。ちょっと変わったノヴェルティですが、意外に造りが良くちゃんとケースにも入っていますので、重宝するかも知れません。
最後は…
テディ・ベアです(笑)。これはお子様がいるご家庭にと思っていたのですが、青ガエルさんの場合は奥様へのプレゼントでしょうか。
それにしても本当に多くの皆さんの応援をいただいてここまで書いて来ることができました。これからも頑張って続けられる限り、ネタを探して書いていこうと思っていますので、どうか引き続きご愛読をお願いします。
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300,000アクセスの行方も気になりますが、引き続きCoppa di Tokyoの模様をお伝えしましょう。
いよいよVintage & Post Vintageのクラスです。戦前のクルマということもあり、今回のラリーコースはその距離も手頃だったのではないでしょうか。
1924年 BUGATTI T13 BRESCIAです。BUGATTIはファンの多いクルマですが、その魅力は性能だけでなく美しいことで、実際に部品の加工精度を含めて全てのパーツが工芸品のように美しいことなのだそうです。
BUGATTIも素晴らしいのですが、どうしてもイタリア車に目が行ってしまいます(苦笑)
1935年 FIAT 508S BALILLA MMです。1932年に発表されたFIAT BALILLAは比較的安価であったために、イタリアでのモータリゼーションを一気に加速させたモデルです。当時としては大量生産で、1937年の生産終了までに11万台以上が生産されました。
当然、様々なボディバリエーションがあり、セダンからスポーツモデルまで幾多のモデルが作られ、その中には魅力的なスポーツモデルがあります。
こちらは、1933年 FIAT 508S BALILLA COPPA d'OROです。
目玉と言えるクラスが50's 60's SPORTS CARのクラスですが、実際にはZAGATOクラスの影に霞んでしまっていたのは残念でした(苦笑)
このクラスにはイギリス車、ドイツ車も数多く参加していたのですが、ここはやはりイタリア車を中心にご紹介しましょう。
1960年 FIAT ABARTH MONO MILLE SCORPIONEです。
ABARTHの特徴でもあるリアゲート開けもモデルにより様々で、この2重の開け方はなかなか格好良かったです。
本来ならばじっくりと眺めるはずのALFAROMEO GIULIETTA/GIULIA SPIDERです(苦笑)
1961年 ALFAROMEO GIULIETTA SPIDERです。
1964年 ALFAROMEO GIULIA SPIDERとのツーショットもあまり見ることの出来る光景ではありません。こうして2台を並べると違いが良く分かります。
どちらが好きかは好みの問題ですが、個人的にはやはりオリジナルのGIULIETTAの方が好ましく思えます。もちろん所有するとなるとハナシは別で、改良されたGIULIAの方がずっと乗りやすいのだろうと思います。
1969年 ALFAROMEO GIULIA SPRINT 1300GTA JUNIORです。このイベントにあっては随分と近代的に見えてしまいます(笑)
もはや何も言うことのない1963年 FERRARI 250GT SWBです。
抱きつきたくなるようなスタイリングはやはりFERRARIの250シリーズで、GTOと並び甲乙付けがたい美しさを持っています。
現在250GTOのプラスチックモデルを製作中で、リアマフラーの形状が気になっていたのですが、こうして実物を見て納得できました。
世界的な不景気からこうしたクルマ達も世界的に売り物が増えているそうです。特に日本にあるクルマはその整備も行き届いており、為替の問題から高価になってしまうにも関わらず海外からの引き合いが増えているそうで、その国の経済状態から流出したり流入するのは止むを得ないことなのかも知れません。
こうしたクルマは絵画や宝石などと同様に価値の安定した財産という見方もあるでしょうが、同時に文化的遺産であるという価値観を持ち合わせたオーナーである限り、なるべく国内に留めて欲しいと願います。 それにしても濃密で夢のような時間を過ごさせていただきました。来年もこのイベントは要チェックです。
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Coppa di Tokyoをご紹介している途中ですが、恒例のAccess Awardが近づいて来ました。
何とか年内に達成できれば…と思っていたのですが、多くの皆さんにお読みいただいたお陰で、意外に早い時期に達成できるのではと思っています。
さて気になる300,000アクセス記念品ですが、今回はアルファ・ロメオノベルティの詰め合わせとさせていただき、その内容は達成後に発表させていただこうと思います。本来ならば手作りのミニチュアモデルをお贈りしたいのですが、年末の多忙な時期のため今回はご容赦ください(汗)
そしてその方法ですが、前回はクイズとさせていただいたのですが、今回は素直にアクセスアワードの王道で、300,000アクセスのカウンター画面を真っ先にお送りいただいた方に差し上げようと思います。
いつもの「キリ番ゲッター」の方も、偶然見た…という方にも等しくチャンスのあるキリ番ですから、カウンターを横目にどしどしご応募いただければと思います。
キリ番の時にはいつもご説明していますが、このカウンターは同じIPアドレスからのアクセスは一日1回しかカウントしません。従って二度三度とアクセスした方のカウントはされませんので、例えば299998でその日初めてアクセスして299999にカウンターを上げた方が、再度アクセスしても300000にはならないのです。一方で、カウンターは上がりませんから、誰かが300000に上げた後にすでにアクセスされた方がもう一度アクセスすれば、同じ300000を見ることができるのです。
それでは300000のカウンター画面を…、
510190@alfa164.com まで郵送先のお名前、ご住所とともにお送りください。
さて、今回はどなたが賞品をゲットされるのでしょうか。私が一番楽しみにしています。
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本来のCoppa di Tokyoは4クラスに分かれており、Eco Car & Cycle Carと名づけられた小排気量のクルマ。Barchettaと名づけられた50年代までのオープン。Vintage & Post Vintageという戦前のクルマ。そして50年代と60年代のスポーツカーのクラスとなっています。
全体の順位だけではなく、各クラスでの順位も付けられるのですから、自分のクルマがどのクラスに該当するのかは結構重要でしょう。ラリーそのものの勝敗は、コース最初の部分に設けられた数箇所の計時ポイントで、いかに指示どおりの区間タイムで走るかと、コース上に設けられたチェックポイントを通過することで、正しいコースを走行しているかという両方で順位が決められます。
しかし、実際にはミスコースはあまり考えられないため、正確な区間タイムが勝敗の決め手で、その計時も1/100秒単位で計測されるとのことですので、僅差による接戦が予想されます。
ドライバーとナビゲーターは最初の計時ポイントで自分たちのストップウォッチをスタートさせ、計時ポイントの各区間をいかに正確に走るかを競うのですが、スタート直後の写真を撮るために最初の計時ポイントでカメラを構えていると、クルマからカラダを乗り出して計時線上できちんとストップウォッチを押す真剣な出場者もいれば、勝負は時の運…とばかり計時ポイントをかっ飛ばす出場者もおり、
青筋を立てて競い合うギスギスしたラリーではない、ほのぼのとした雰囲気が伝わって来ます。 まずは小排気量のクラスですが、近年このクラスに属するバブルカーがブーム?で昔からのオーナーに加えて新しくオーナーになった若い方が増えているそうです。確かに近年のEcoブームと旧車趣味の両立が可能な車種だと思いますが、やっと手に入れても
減税も補助金も出ないところが日本の行政が本来の目的意識を失くしていることを象徴しています(苦笑) 1960年 MESSERSCHMITT KR200です。恐らくこのクルマがバブルカーの代表格ではないかと思います。メッサーシュミットは言わずと知れた航空機メーカーで、ドイツの敗戦後は航空機の製造が禁止されたために、こうしたバブルカーの製造に転進したメーカーです。そういう目で見れば何となく飛行機に見えるデザインで、コクピットに乗る際には屋根全体を横に開けるところなどは、第二次世界大戦で活躍したドイツ戦闘機メッサーシュミットBf-109を彷彿とさせます。
同じバブルカーのもう一つの代表がこの1960年 BMW ISETTAです。BMW社は今でこそ自動車メーカーとして有名ですが、もともとは航空機エンジンのメーカーでもあり、前述のメッサーシュミット社と同様に戦後の苦しい時期にこうしたバブルカーを製造していました。
戦前の小排気量車として有名なのがこのAUSTIN 7で、このモデルは1929年のSPLと言うスポーツモデルです。
AUSTIN 7は様々なボディが作られ、セダンからこうしたスポーツモデルまで、バックヤードビルダーによるワンオフに近いクルマを含めると数え切れないモデルが製造されました。
1933年 MORGAN SUPER SPORTSです。空冷エンジンをフロントに剥き出しに搭載し、三輪で走行するこのMORGANは乗り味がまるで第一次世界大戦で活躍した複葉戦闘機に乗っているようと評されるファンの多いモデルです。
実際にはオートバイとクルマの中間といったクルマで、コーナーを曲がる際にはオートバイと同様にドライバーの荷重移動が必要なクルマだそうです。
スタートするまで全くノーマークだった(苦笑)1962年 FIAT 600Dです。カラーリングが素晴らしいクルマでした。
1953年 STANGUELLINI 750S MMです。50年代のイタリアではこうした小さなレーシングカーが数多く作られたのですが、その代表格がこのスタンゲリーニです。
1951年 GIAUR 750Sです。これも可愛いフォルムを持つモデルなのですが、残念ながらノーマークでした。
1952年 SIATA 300BCです。スリークなボディラインが特徴で、最初はAC BLISTOLか?と思ってしまいました(苦笑)
珍しい1954年 D.B.HBR PANHARDです。フレンチブルーはイタリアンレッドの洪水の中で一際目立っていました。
1947年 STANGUELLINI 1100S FRUAです。カロッツェリアであったフルアがそのボディをデザインしたクルマです。
1948年 CISITALIA 202S MMです。当時の理論で空力を最大限に追求したデザインで、リアのフィンやタイヤハウスのカバーなど、その効果はともかく美しいフォルムです。
1954年 OSCA MT4です。これまた後でゆっくり見ようと思いながら逃してしまったクルマです。
ご紹介しているようなクルマを間近に見ることができ、その走る姿を眺めることができるのは夢のような経験なのですが、あまりに数が多すぎるのも考えもので、じっくりと観察しようと近づいても視界に他の獲物?が入ってくるために気が散ってしまいます。もし、私がヌーの群れに向かうライオンならば迷って獲物をしとめることができないダメライオンでしょう(笑)
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これほどまでZAGATOの歴史絵巻を見ることができるイベントは恐らくないでしょう。 もっとじっくり見たかったのですが、機会を逃してしまった1961年OSCA 1600 GTSです。OSCAは大好きなメーカーなのですが、いつもなかなかじっくりと見ることができません(苦笑)
今年になって本当に良く見かける1955年 ALFAROMEO 1900 SSZです。
最初に見たのは女神湖のミーティングで堺 正章さんが乗って来たのですが、その後しばらく姿を見ることがなかったので、国外に流出してしまったのかと思っていたのですが、こうして元気に走っている姿を見るとずっと日本にあって欲しいと思うクルマです。
凄いことにALFAROMEOのSZはSVZが3台、SZが4台、SZ2が2台も参加していました。
こんなイベントは本国イタリアでもそうはないでしょう。 1956年 ALFAROMEO SVZです。SVZはZAGATOによってGiuletta Sprintから改造されたモデルで、ALFAROMEOの正規モデルではありません。
もともとがワンオフ的なクルマですので、同じSVZでも細部が異なっています。このSVZはルーフが膨らんだバブルルーフと呼ばれる形状をしています。
続いては正規モデルの?SZです。SVZの成功を見て、ALFAROMEOは急遽ZAGATOに正式にSZとして開発を依頼するのですが、SVZとともにたちまちレースシーンで活躍することとなります。ZAGATOのアルミニウムを使った軽量化技術の面目躍如といったところですが、一方で量産性は全くなかったためにALFAROMEOの量産スペシャルモデルという目的には適わなかったモデルです。
それではゼッケン順に参加した1961年 ALFAROMO GIULIETTA SZをご紹介しましょう。
この個体は今年のCafe de Gluliaでご一緒した元アルファ164オーナーズクラブメンバーであるK氏の愛車です。ご挨拶できなかったのですが、元気に走る姿を見て安心しました(笑)
SZは赤…という印象が強いのですが、このブルーのボディはそんな中にあって一際目立っていました。イエローのSZもなかなか格好良いのですが、この明るいブルーも新鮮で格好良かったです。
続いてはSZ2です。このモデルは後のTZに続く過渡的なモデルで、SZの後期モデルとして製造されたものです。生産台数はわずか30台と言われていますが、後にSZから改造されたものもあるようで、その台数は定かではありません。
最大の特徴はリアのスタイリングでTZと同様にコーダトロンカが試験的に採用されています。
決してリアだけが変更されたワケではなく、フロントのディテールもSZとは異なっています。殆ど手作りに近いアルミボディだからこそできることで、実際に一台一台が異なっているのですが、それがどこまで製造差なのか意図的に実験したものなのかは分かりません(苦笑)
ZAGATO絵巻の中で最多だったのがこのALFAROMEO JuniorZでした。全部で7台も参加していたのですが、面白いことに生産台数が圧倒的に少ない1600 JuniorZが5台と逆転していました。
こちらが最初に発表された1970年 ALFAROMEO 1300 JUNIOR Zです。
そして2年後の1972年に1600 Zへとマイナーチェンジされるのですが、外観上の最大の違いはフロントバンパーの形状です。
今回のイベントに誘ってくれたアルファ164オーナーズクラブメンバーでもある青ガエルさんの愛車です。ホワイトのボディカラーはJUNIOR Zに良く似合っていると思います。
もはやお腹一杯…という状態ですが、Coppa di Tokyoの主役はZAGATOだけではありません。続いて本命?とも言える出場車たちをご紹介して行きましょう。
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Coppa di Tokyoの模様をお伝えしていますが、特別展示車からして尋常ではありませんでした。
まずは、1954年 MORETTI 750 ZAGATOです。
このクルマはとにかくカラーリングが素晴らしく、ツートーンで塗り分けられたラインがZAGATOの「Z」を表現しています。こういうセンスはイタリアならではで、そのスタイルの魅力を際立たせていました。
そして、お馴染みのALFAROMEO TZ1です。お馴染みではありますが、希少であることには変わりなく日常では博物館でしか見ることが適わないクルマです。
TZはSZの発展型ではありますが、その外観の最大の特徴はリアを切り落としたコーダトロンカと呼ばれる当時の最先端空気力学に基づくボディで、加えてその縁がリップスポイラーとして機能しているという現代にも通じる理論に基づくデザインにあります。
今年のフューチャリングメイクスであるZAGATOは大挙して参加していました。当初の参加枠は30台ほどだったと聞いていましたが、実際にはこの展示車も含めると38台も参加していました。しかしその存在感はそれ以上で、スタート地点では
「あたり一面ZAGATOだらけ」という桃源郷 となっていました。
恐らく年式からすると参加資格はないのでしょうが、新し目のZAGATOも参加していました。これは1986年 ASTON MARTIN V8 VANTAGE ZAGATOです。ASTON MARTINとZAGATOのコラボレーションはDB4があまりに有名ですが、それを再び蘇らせようとしたのがこのVANTAGE ZAGATOでしたが、世に出たのがASTON MARTIN冬の時代だったため生産台数も少なく、現在では殆ど見ることができないモデルです。
限定で生産されたのがこの1986年 LANCIA HYENA ZAGATOです。LANCIA DELTAをベースにZAGATOがそのボディを架装したのがこのHYENA ZAGATOですが、同じ時期に同じくZAGATOによって製造されたALFAROMEO SZ(ES30)と共通部品が多く、リアのウインドスクリーンは共通です。このガラスは一時期欠品となったために、両方のオーナーがお互いに相手の部品が入手できるのでは…と探し回ったという逸話があります。
LANCIA FULVIA SPORT ZAGATOが三台並ぶ様は壮観でした。特に中央の一台は大変珍しい1967年の初期型で、FULVIA SPORT ZAGATOの原点とも言えるモデルです。
ノーマルのLANCIA FULVIAも格好良いのですが、やはりZAGATOは別格でその獰猛なルックスは際立っていました。
参加していたZAGATOの中でも一番旧いのがこの1947年 FIAT 500B ZAGATO PANORAMICAでした。
その名前のとおり、最大の特徴はキャビンのガラス処理で当時としてはこの曲面ガラスは限界だったでしょう。
ZAGATOの遊び心の表れがこの1951年 FIAT 750 ZAGATO MMです。
ホイールのZ模様は、単なるデザインでしかありませんが、とてもチャーミングでした。
この辺りのモデルが最もZAGATOらしいと言えるのではないでしょうか。1959年 FIAT ABARTH 750 RECORD MONZAです。
1960年 FIAT ABARTH 1000 RECORD MONZA BIALBEROです。
同じく1960年 FIAT ABARTH 1000 BIALBEROです。RECORD MONZAと見比べることができる機会なぞ滅多にないので、勉強になりました(苦笑)
1959年 FIAT ABARTH 750 GT SESTRIEREです。あまりABARTHを知らない方からすると十把一絡げにFIAT ABARTHで片付けられてしまいがちですが、こうして順番に見るとその違いが分かって本当に興味深いものがあります。
ZAGATOデザインの面白いところはこのアンバランスで、あるモデルは流麗で美しいかと思えば、別のモデルは獰猛で攻撃的なデザインであるところではないでしょうか。
ZAGATOにピニンファリーナやベルトーネの持つデザインの一貫性とは別の一貫性があるとすれば、とにかく軽量で空力を追求しているところではないかと思います。 引き続きZAGATOのモデルをご紹介して行きましょう。
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Coppa Giappone が主催するCoppa di Tokyoが先日開催されました。このイベントは今年から始まった年間6戦が各地で開催されるクラシックカーラリーの2009年度の最終戦で、
各戦で獲得したポイントが累積され、年間総合ポイントで順位が決まるという、日本のクラッシックカーラリーでは初めての年間を通じたイベント です。
2010年の予定も決まっているようで、ようやく日本でもこうした自動車文化が定着したと感慨もひとしおなのですが、実際に見学したのは初めてでした。
Coppa di Tokyoのスタート地点はCitta Italiaと呼ばれる汐留に造られた再開発地区でした。このCitta Italiaの最大の特徴はその街並みがイタリアの市街を再現していることで、オフィスビル、ホテル、住居、店舗といった街を構成する全ての建物が共通したイタリアの街並みの再現というコンセプトで建てられるという画期的な試みなのだそうですが、オープン以来なかなか店舗も増えず、経営的には苦しいのではないかと思っていました。
どういうわけか日本人は外国の街並みを再現したりするのが好きなようで、バブルの時代には各地にこうしたテーマパークが乱立し、そして景気の後退と共に消えていったのですが、このCitta Italiaはテーマパークではなく、「街」ですからおいそれと閉じてしまう訳にもいかないのだろうと思います。
こうした企画自身は悪いとは思いませんが、決して良いとも思わないのが正直な実感で、むしろ違和感を覚えてしまうのは私だけではないでしょう。簡単に考えればイタリアのローマの一角に「日本村」なる街ができ、日光江戸村のような建物を建ててイタリア人が住んでいるところを想像してみればその違和感はご理解いただけるのではと思います。
と、文句はこの位にしておきますが(苦笑)、それでもこうしたクルマのイベントにこの街並みは素晴らしくマッチしており、Coppa di Tokyoの運営事務局がこの場所を選んだのは正解だったと思います。
会場に到着するとそこは完全に別世界でした。日本からイタリアに瞬間移動しただけでなく、更にタイムスリップしたかのような光景が目の前に広がっていたのです。
エントリーしているクルマは年代別、サイズ別にクラス分けがされています。特に参加車が多いと感じたのは戦前のクラスで、他の長距離イベントと異なり走行距離も短いため、クルマにもドライバーにも負担にならないことから、多くのエントリーがあるのでしょう。
特に今回はZAGATOの90周年を記念して、フューチャリングメイクスとして取り上げられたこともあり、多くのZAGTOモデルが参加していました。
このイベントも敷居が低く、私のような見学者もエントラントも自由に出発前の車両の間を行き来することができます。これも成熟したイベントの特徴で、
決して不用意に車両に勝手に触れたりしないという暗黙の了解があるからこそで、歴史的な名車や世界に数台といった希少車を間近に見ることができるだけでなく、目の前を走り抜けて行くのですから、こんな贅沢な経験はそうできるものではありません。 この光景だけでも舞い上がってしまいます。実際にお目当てのクルマをじっくりと観察しようと思っても、前後左右がお目当てだらけで(笑)、とてもじっくりと観察どころではありませんでした。
参加車だけでなく、関係者のものと思われるクルマも只者ではなく、ちょっと離れた場所にフツーに駐車しているのが、MASERATTI GHIBLI SPIDERなのですから恐れ入ります。
しかもそのコンディションは抜群で、しばし見とれてしまいました。
オープンボディのGHIBLIはクーペボディよりもずっと軽快に見え、しかもそのスタイリングには全く隙がありません。
内装のコンディションも抜群で危うく乗り逃げしそうになるほどでした(笑)
それにしても参加車ではないクルマですでに恍惚状態になってしまうのですから、先が思いやられます。
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先日ご案内したMake A Wish of Japanが主催するチャリティーライドというイベントに行ってきました。
当日午前中に都内で所用があったため、私が会場に向かったのは午後になってしまったのですが、午前中は台風か…と思うような悪天候で、こんな天候で果たして入場者が来てくれるのかと心配になる程でした。
しかし、午後になると急速に天候は回復し、都内から目指す箱根の元フェラーリミュージアムのミュゼオ箱根に向かう途中では晴れ間も出てきました。
御殿場は雨こそ上がったもののいまだ厚い雲の下でした。会場のミュゼオ箱根の中庭はかつてフェラーリ・ブランチやアルファ・ロメオ・ブランチが開催されていた有名な場所で、この庭がフェラーリで埋め尽くされる様は雑誌などでも度々紹介された有名な光景です。
そんな中庭にクルマで入る機会はそうそうあるワケではありませんし、フェラーリミュージアムが閉館してしまった今となっては益々チャンスがなくなったと言えます。
閑散としているのでは…と恐る恐る会場にクルマを乗り入れると、それでも結構な台数がすでに入場しており、まずはほっとしました。
しかも入場しているクルマ達は素晴らしいクルマが多く、周囲に目を奪われながら係りの方の誘導により私の916Spiderも駐車させてもらい、ゆっくりと参加車を見て回ることにしました。
やはり最初に目に飛び込んできたのはLancia 037 rally Stradaleでした。もともとはWRCに出場するために開発されたものですが、グループBのホモロゲーションを取得するために200台生産されたこのStradaleモデルは希少車中の希少車です。
次にはやっぱり8C Competizioneなのですが、先に037に見入ってしまうのが悲しい性です(笑)今回のイベントではチャリティータクシーとして同乗走行があったり撮影会があったりと引っ張りダコだったこの8Cでしたが、ドライバーはあの外舘さんで、外見に似合わないアグレッシブなドライブで(笑)、同乗者を楽しませていました。
会場内で催された様々なアトラクションの中で、今回一番興味があったのがスタジオ内でのクルマの撮影でした。ミュゼオ箱根の建物の中にはクルマが自走で入ることのできるスタジオがあり、日常はカタログの撮影や雑誌の取材などで使用されているのですが、今回はそこを開放してチャリティーでプロのカメラマンとスタッフにより自分のクルマの写真を撮ってくれるというのです。
スタジオを覗いてみると大体の撮影は午前中に終わったようで、順番を待っているクルマもいなかったために早速、撮影してもらうことにしました。
ところが雨の中を走ってきたためにクルマが汚れてしまっています。仕方なく洗車させてもらおうとお願いすると、スタッフが総出で洗ってくれました。
当然ながら床も汚れてしまうのですが、クルマを一旦スタジオに引き入れた後に床を掃除していよいよ撮影開始です。
そして出来上がった写真はその場でA4サイズにプリントしてくれるのですが、プロのカメラマンのスタジオ撮影で3000円というのは破格で、こうしたスタジオを借りる費用を考えるとあり得ないお値段です。しかもチャリティーですから実際にはこれらの方々は皆、ボランティアであることを思うと本当に有難い話です。
イベントも終盤になり、三々五々参加者が帰り始めるとようやく日差しが射すようになってきました。もう少し早く天候が回復してくれればと思いますが、こればっかりは仕方ありません。
しかし、一方でようやくクルマを動かして好きな場所で写真を撮ることができるようになりましたので、急遽自分のための撮影会となりました。
会場の撮影スタッフとしてボランティアで参加していたクラブのメンバーにも写真を撮影してもらったのですが、私が持っていったコンパクトカメラと彼らの機材との差は歴然で、更にその撮影の腕の差まで加わると、同じようなアングルで撮影してもこれだけの差が出てしまいます。
(撮影:NOBUさん) 正直、自分で撮った写真と比べてゲンナリしてしまいましたが、こんな風に撮り比べる機会はなかなかありませんから良い勉強になりました。
当初のご案内どおり、会場ではこのブログをお読みいただいている読者の方ともお話をすることができました。こうしたヴァーチャルな世界での繋がりであっても、アルファ・ロメオとこのブログがなければ絶対に知り合うことがなかったワケですから、実際にお目にかかるとその感慨もひとしおです。
日本人はチャリティーと言うと何となく崇高な理念による社会奉仕活動というイメージを持ってしまうかも知れませんが、必ずしもスタッフとして参加するだけでなく、その場を訪れて楽しむこともチャリティーだと思います。
その意味では、今回のスタジオ撮影はまたとない機会で、出来ればイベントの目玉として今後も続けて欲しい企画でした。
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