多少の年代の前後はあるものの、ほぼ年代順にスタートする各参加車両を見ていると、さながら歴史絵巻を見ているような気分になってきます。
1948年 ASTON MARTIN 2L Sportsです。
戦後のASTON NARTINはそれまでのスパルタンな路線から豪華なツーリングカーのメーカーへ転換します。このモデルもそれまでのASTON MARTINとは全く異なり、流麗なスタイリングを持つ美しいクーペです。
1948年 ROSSELI 1100 Sportです。
この可愛いクルマもイタリアの至宝と言えるものです。
レストアされたのでしょうが、内装のレザートリムの仕上がりは素晴らしいものでした。
最近はこうしたイタリアの歴史的遺産とも言えるクルマ達が多く日本にやってくるようになりましたが、こうしたクルマのオーナーは自分のクルマというより、歴史の流れの中での「預かり物」という気持ちが必要でしょう。
1949年 BENTLEY Roystone Specialです。
スタイリングはオーソドックスですが、戦後のBENTLEYです。この辺が英国車の面白いところで、新旧のスタイリングが共存しているところは、「何でも新しいものが良いとは限らない・・・」と主張しています。
1952年 ASTON MARTIN DB2 DHCです。
David Brownが企画したためにDBの名前が冠されたモデルです。DHCとはDrop Head Coupeの略で屋根が外れることを意味しています。一方でFHCはFixed Head Coupeの略でこちらは屋根が固定されていることを示しています。
1953年 MG TDです。
MGというメーカーもこのTシリーズを戦前から連綿と作り続けました。さすがに1950年代にこのスタイリングは古臭いのですが、それがかえって味となっているのがMorganと並んで魅力となっています。
それにしても美しく仕上げられたTDでした。
1952年 SIATA 750 Spider Crosleyです。
これも美しいイタリア車です。イタリアではオープン2シーターをSpiderと呼びます。またそれが小さなクルマである場合にはBarcetta(小舟)と呼ぶ場合もあります。英国車に比べると随分とロマンチックなネーミングです。
1953年 LANCIA Aurelia B20です。
ランチアマルーンに塗られたこのアウレリアは先進の技術を詰め込んだ高級車でした。
1953年 PORSCHE 356 PreAです。
非常に貴重な初期型の356クーペです。このクルマも素晴らしいコンディションで、すぐにでもミュージアムアイテムとなる個体でした。
1954年 AC Aceです。
ドライバーは雅楽奏者の東儀さんで、このクルマも彼の愛車として有名な個体です。
1970年 TOYOTA 2000GTです。
あまりに有名なモデルですが、この個体はフード上にサブライトを取り付けていました。美しいボディラインをスポイルしているのでちょっと勿体無いような気もしましたが、当時のライトの光量を考えると現実的な装備なのでしょう。
1954年 JAGUAR XK120 FHCです。
先ほどご説明しましたのでFHCの意味はお分かりかと思います。XK120はDHCしか見たことがなかったのですが、このルーフラインはとても可愛くボディデザインにマッチしていました。
1954年 OSCA MT4です。
OSCA MT4にも様々なボディが架装されましたが、そのどれもが美しく惚れ惚れしてしまいます。
目の前を走り去るOSCAにしばらく見とれてしまいました。
唯一参加していたアルファ・ロメオでしたが、それが何と1955年1900SSZですから恐れ入ります。
これは以前に堺 正章さんのドライブで女神湖のミーティングに来ていた個体です。
間近に見る1900SSZは意外にボリュームがあります。
1956年 FIATT 600 Derivagione Abarth 750です。
言わずと知れたFIATのAbarthチューンモデルです。
最大の特徴は冷却のためにハネ上げられたリアのエンジンフードで、この苦し紛れの処理が最大のチャームポイントとなっているのですから皮肉なものです。
走っている姿を見て、思わず笑みがこぼれるクルマはそうあるものではありません。その少ない例がこのFIATで、そのスタイリングと「精一杯頑張ってます・・・」というリアのアンバランスさが最大の魅力ではないでしょうか。
まだまだ続きますが今日はこの辺で・・・。
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前回に引き続き参加した車両を見て行きましょう。
1934年 RILEY 12/4 Sports Specialです。
Sports Specialと名乗るだけあってラゲッジスペースが全くなく、エントラントは車外に荷物を括り付けるしかありません。雨でも降ろうものなら人間も荷物もびしょ濡れで、クルマが馬の発展形であることを実感させてくれます。
今回の出場車の中で一番気に入ったクルマです。エントリーリストを見ればいいや・・・と思って車名をきちんと確認しなかったのですが、リストによると1935年 FIAT 508Sとなっており、明らかに間違いです。
どなたか車名を教えていただけないでしょうか(苦笑)
とにかくコンパクトながらボディラインの美しいクルマです。
リアのコーダトロンカスタイルから1950年後半から1960年代のクルマであることが分かります。
コクピットもミニマムで当時の大径ステアリングのせいもあり、2名が乗車するのはかなり厳しいのではないでしょうか。
この年代は各カロッツェリアが様々なボディを架装しており、このクルマもおそらくワンオフではないかと思われます。
1937年 BENTLEY 4 1/4Litreです。
当時のフランスのBUGATTI やTARBOTと比べるとBENTLEYは無骨で、まさに「男の証明」という感じです。
1937年 FLAZER NASH BMW 328です。
FLAZER NASHがBMWのシャーシーに架装した美しいクーペです。スタイリングは当時の最先端で、特にフロントライト周りの処理が洗練されています。
1937年 JAGUAR SS100です。
その性能はともかく、スタイリングに関しては上のBMWと比較するとJAGUARはコンサバですが、当時のクルマのスタイリングはこれが普通で、そういう意味でもBMWがいかに洗練されていたかが分かります。
1937年 MERCEDEZ BENZ 170V Cabriolet Aです。
奇しくも連続して4台が1937年製のクルマだったのですが、このMERSEDEZ BENZも素晴らしいスタイリングです。
1938年 RILEY 12/4です。
このRILEYもラゲッジスペースがなく、外に荷物を括りつけていました。当時のスポーツモデルはソフトトップはおろか、ラゲッジスペースなぞないのが当たり前で、今回のような小旅行にはツアラーを使うものなのでしょう。
1939年 FIAT 508C Ala d'Oroです。
非常に前衛的なスタイリングのクルマです。これが戦前に作られたモデルだと思うと、当時の人々の目にはどのように映ったのでしょうか。
1939年 JAGUAR SS100 Roadsterです。
さきほどの1937年モデルと何が違うのか良く分かりませんが、コツコツと手を入れるイギリス人の性格からすると細かい改良が加えられているのでしょう(笑)
1939年 ROLLS ROYSE Wirath Vanvoorenです。
ROLLS ROYSEも様々なコーチビルダーがそのボディを架装しています。Wirath Vanvoorenもその一社なのですが、軽快なイメージのあるクルマでした。
一台一台がスタート台に上がり、そのクルマの紹介が終わってからスタートするという形式は一般的なのですが、ギャラリーが多いとクルマが見えず、早くスタートしてくれないか・・・と思ってしまいます。しかし、こうして間近に見ることができる場合は見ていて厭きません。
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PCは未だ復旧半ばといったところです。このブログを楽しみにお読みいただいている皆様には本当に申し訳ございません。
私のPCはDELLのDimension 2400Cという7年前のモデルです。PCは新しいものが良いのに決まっているのですが、必要にして充分な機能を持っていたことと壊れなかったこともあり、買い換えるきっかけを失ってしまい何となく使い続けていました。
さすがにメモリーの容量は足りなくなってしまい外付けのHDDを繋いで、本体のHDがクラッシュした際の保険として重要なデータはそちらに保存するようにしていたのですが、今回ついに恐れていた故障が起こってしまいました。結果としてOSをリセットしなければならなくなり、PCに保存していたデータは全て無くなってしまったのですが、それは様々なソフトウェアも消えてしまうこととなり、PCは治ったものの、使っていた状態に戻すのに手間がかかって仕方ありません(苦笑)
しばらくは更新が遅れがちになるかも知れませんがご容赦いただきたいと思います。
さて、La Festa Mille Migliaの模様をお伝えしましたが、その週末には
Rally Nippon という同じくクラシック/ヒストリックカーのイベントがありました。
このRally Nipponはユネスコが協賛して開かれたもので、東京から世界遺産でもある白川郷を周り、奈良を経て京都にゴールするという壮大なラリーレイドで、人間が作り出したこれらの文化遺産を自動車という文化遺産で繋いで行こうという趣旨で行われるものです。
春と秋はこうしたクルマのツーリングイベントが各地で開催されるのですが、これまでは特定の地域のみで開催されていた同様のイベントがだんだん大掛かりとなり、今では500km以上を走行するこうしたラリーレイド方式のイベントも珍しくなくなりました。
考えてみれば、自動車が生活の道具として普及途上にある国では自動車を文化遺産として認知されることはなく、日本でようやくこうしたイベントが定着してきたということは、自動車文化がようやく成熟してきたと言えるのかも知れません。
土曜日の早朝に国立劇場をスタートするということで見学に行ったのですが、La Festa Mille Migliaと異なり、クレデンシャルパスなしで中に入りクルマを間近に見ることができました。
これからはその中でも気になったクルマ達をご紹介して見たいと思います。
Rally Nipponは様々な企業が協賛しているのですが、オフィシャルカーを提供していたBMWが霞んでしまうほど凄かったのが、スタートを先導するクルマを提供したペニンシュラホテルでした。香港の高級ホテルであるペニンシュラが送迎用として保有しているのがこの1936年のROLLS ROYSE Phantomで、それを先導車として提供していたのです。
こんなクルマで送迎されて見たいものですが、信頼性の点では現実的ではなく、日常で使用されているのはこちらのPhantomなのだそうです。
この2台のPhantomには70年の隔たりがあるのですが、そのどちらもがちゃんとROLLS ROYSEのPhantomとして成立しているところが、ROLLS ROYSEのブランド力の偉大なところで、それはたとえBMWが買おうが何をしようが全く揺ぎないものであることが良く分かります。イギリス資本を離れたROLLS ROYSEに関してイロイロと異論を唱える人もいますが、こうして新旧のPhantomを見比べて見るとそのアイデンティティのオーラはちゃんと受け継がれています。
参加車両を見る前にすでに感無量となってしまいました(笑)。気を取り直してゼッケン順に紹介して行きましょう。
ゼッケン1番は日本が誇る1964年 HONDA S600でした。
今尚魅力的なこの2シーターオープンスポーツは当時の日本の経済状況からすると全く商品としては成り立っておらず、もし当時に現在のようなマーケティングによる商品企画をしたのであれば絶対に世に出なかったモデルです。
1929年 BUGATTI T35Cです。
La Festa Mille Migliaで散々見たので冷静に見ることができましたが、本来なら狂喜乱舞するべきクルマです。間近に見たBUGATTIは自動車と言うより芸術品のような仕上がりでした。当時のBUGATTIが他のクルマと一線を画すモデルであったことが良く分かります。
こちらは1925年 BUGATTI T22です。
前車のT35Cよりも薄いブルーに塗られたT22ですが、BUGATTIブルーと呼ばれたフレンチブルーは後年になるほど濃くなっていくのが興味深い点です。
1932年 ASTON MARTIN LeMans Competitionです。
La Festa Mille Migliaにも出場していたのですが、このクルマでLe Mans24時間レースを走ったのですから当時のレーシングドライバーの凄さが窺い知れますが、このオーナーもきっと同じコトを考えながらこれからのロングツーリングに出発したのでしょう。
1933年 TARBOT 90Sです。
珍しいモデルですが、TARBOTも戦前のフランスの高級車でした。第二次世界大戦でフランスに進駐したドイツの将校が好んでTARBOTを接収したそうですが、それはドイツ車にないエレガンスを持っていたからでしょう。
1933年 MG Magnakです。
戦前戦後を通じてMGはライトウエイトのスポーツカーを得意とするメーカーで、戦前のモデルにもその特徴が顕著に現れています。それにしてもドライバーのコスチュームは決まっています。
RALLY NIPPONの出場車はヴィンテージカーからヒストリックカーまで多岐に渡っており、楽しませてくれます。また会場での出場車紹介も的確で、見学者への配慮も行き届いていました。
しばらくはこうして出場車をご紹介して行きたいと思いますのでお付き合いください。
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ご迷惑をおかけしております(汗)
この模様は復旧後に・・・
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パソコンがクラッシュしてしまいました(泣) そのまま現在のものを使うのであれば初期化しなければならず、そうすればPC内の結構な量のデーターが消えてしまいます。安全のために重要なものは外付けのHDDに保存していましたので、被害は最小限に留まるのが救いではありますが、仕方ありません。 と言うわけで更新を怠っておりますが、事情をご理解いただきご容赦くださいますようお願いいたします。
海ほたるでは夕焼けに染まる富士山と美しい夕陽を見ることができます。いつもならこんなに美しい夕陽は大歓迎であるはずなのですが、今回は沈む夕陽がうらめしく、もう少し太陽が欲しいと思いながらやってくるクルマを待ち受けていました。
そしてようやくやって来たのが1952年FIAT 8Vですが、そのドライバーはタレントの堺 正章さんでした。
お疲れだろうと思うのですが、ギャラリーに元気に手を振るサービス精神は流石で、どんなイベントでも画面の中と変わらない氏のサービス精神にはいつも感心させられます。
1957年ALFA ROMEO SVZです。これも有名な個体ですが、やはりこうして走っている姿が一番美しいクルマです。
1956年ALFA ROMEO GIULIETTA SPIDERですが、これはSEBLING SPIDERと言って良いほどモディファイが施されたクルマです。ドライバーは近藤 真彦さんですが、このクルマはかつては堺 正章さんのドライブで数多くのイベントに出場していたクルマです。
堺さんとは対照的に運転に専念する近藤さんでしたが、プロのレーシングドライバーとしての経験もある氏ですから、その真剣な表情から本気であることが窺えました。
それにしても何時見ても素晴らしい完成度です。多くのGIULIETTA SPIDERのオーナーが理想とするクルマです。
エントリー車にはサポートカーとして伴走するクルマが付いています。大抵はワンボックスやワゴンなどで、それは工具を積んだりする必要があるためなのですが、近藤氏のサポートカーはBENTLEYのコンバーチブルでした。恐らくサポートカーの中でも最も目立つクルマだったのではないでしょうか。
1959年LANCIA FLAMINIA SPORT ZAGATOです。
ZAGATOも他のイタリア車と同様に隙のないデザインで、その後姿も抱きつきたくなる程美しいものです(笑)
車名はあまりに有名な1926年ROLLS ROYSE SILVER GOHSTです。当時のROLLS ROYSEは現在の高級とはケタ外れに高級で、さながら自家用ジェットのようなステータスだったでしょう。
これも美しいデザインの1960年ALFA ROMEO GIULIETTA SSです。
1957年ALFA ROMEO GIULIETTA SPIDERです。他のGIULIETTA SPPIDERが何かしらレーシングモディファイされている中にあってノーマルの姿はそれはそれで格好良い物でした。
1956年LOTUS MK11 LE MANS SR.1です。その独特な姿は他の出場車と異なり、地を這うようですが、公道では走行が難しい場所もあったのではないでしょうか。
こうしたオープンコクピットのドライバーはそのファッションもクルマの一部と考えなければなりません。ヘルメットの形状やカラーも重要なことが良く分かります。
豪華なロードスター1958年BMW 507 ROADSTARです。このくらいのオープンだと快適に走れるのではないでしょうか。
1959年FIAT 500 SPORTです。現在のFIAT500のご先祖様でデザイン上のモデルとなったクルマですが、そのサイズは現代のFIAT500と比べて二周りは小さいことが分かります。
1933年FIAT BALILLAです。これでBALLILAを3台見ることができました。
こちらはレーシングモディファイされた1961年ALFA ROMEO GIULIETTA SPIDERです。フロントスクリーンを取り払い、バンパーを外して軽量化するだけで、随分と印象が変わるものです。
しかしフロントスクリーンを取ると走行中のノイズは相当なもので、インカムを付けていないと隣同士で会話もできなくなってしまいます。
1964年ALFA ROMEO GIULIA SSです。先ほどのGIULIETTA SSと基本的には同じボディデザインですが排気量UPに伴い車名がGIULIAに昇格?したモデルです。
こうして後姿を見ると、そのデザインが素晴らしいだけでなく後方視界も素晴らしいことが分かります。
こちらもフロントスクリーンを取り払った1961年ALFA ROMEO GIULIETTA SPIDERです。レーシングスクリーンのサイズはこの位だと何とかインカムなしで走れるのでしょう。
初めて見た1967年RONART JAGUAR W152です。
実に美しいインパネです。今回の出場車の中でもピカ一ではないでしょうか。
小柄なオープンモデルが多い中、このサイズはとてつもなく大きく感じます。
余計に小さく見える1959年 FIAT ABARTH 750 RECORD MONZAです。
この後姿は堪りません・・・。
ようやく到着したエントリーNo,1の1927年BUGATTI T35Cです。この年代のクルマのフロントライトではナイトクルージングは厳しいと思いますが、ここまでくればもう道は明るいので心配ないでしょう。
1947年FIAT FARINA MMです。今回の出場車の中で唯一MM(Mille Miglia)の名前を冠したクルマですが、実際のMille Migliaのレースは全速で1000マイルを走るのですから、クルマとドライバーへの負担はとてつもないものだったでしょう。
これまた美しい後姿です。こんなクルマ達が家の前の道を全速で駆け抜けるレースがMille Migliaだったのです。
ほぼ最後尾で入ってきた1957年ALFA ROMEO GIULIETTA SPIDERです。基本はノーマルですがフランス式のイエローフォグが装着されており、それがフロントのアクセントとなっていました。
いつかは見る側から走る側になって見たいと思うイベントですが、印象に残ったのがエントラントのマナーで、自分達がお金を払って勝手に遊んでいるのではなく、こうした公道イベントを継続して成功させるためには、地元の協力や一般の見学者の理解が必要なことを良く理解されており、チェックポイントに入ってきたエントラントは疲れているであろうにも係わらず、皆にこやかに手を振って観客の声援に応えていました。クルマもそのスタイリングが決して威圧的ではないこともあり、偶然居合わせたクルマに全く詳しくない見学者にもそれは微笑ましく見えたのではないかと思います。
自動車趣味が密室の楽しみではなく、他者に理解されなければ成り立たないことを改めて痛感したイベントでした。
それにしてもお腹一杯・・・(笑)
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コース中間のチェックポイントということもあり、やってくる出場車も途切れがちだったのですが、ようやく続々とやってくるようになりました。
東京コンクールデレガンスで白洲次郎の愛車であったBENTLEYを見てから戦前のBENTLEYの無骨さが好きになったのですが、これは同年代の1926年BENTLEY 3-4.5LITREです。
あまりに有名な1926年BUGATTI T37Aです。オーナーの奥様は女優の木内みどりさんです。私は以前にこのクルマを青山のSELANの前で見たことがあるのですが、クランク一回転でエンジンをかけたのがとても印象に残っています。本物のBUGATTI乗りとはこのオーナーのことを言うのでしょう。
戦前のアストンは高級レーシングカーの製作に秀でたメーカーでした。これは1932年ASTON MARTIN LE MANS COMPETITIONというル・マン24時間レースに出場するために作られたモデルです。当時はこんな状態で24時間を走ったのかと思うと、現代のル・マンカーは恵まれていると思います。
1939年MG TAです。MGはイギリスの軽量スポーツカーメーカーとして有名ですが、軽量であることがレースカーにとっては何よりも重要だということが良く分かるのが・・・
その12年後の1951年MG TDと見比べたときです。MGは軽量であるが故にメカニズムをあまり進化させずともスポーツカーであり続けたことが良く分かります。
ナビゲーターなしで参加していた1952年DB HBRというクルマです。4日間のレースを単独で走るのは猛者としか言い様がありません。
美しいブルーのボディカラーの1953年BANDINI 750 SPORT SILUNOです。大柄な男性2名ではさぞかし窮屈だったでしょう。
1933年MG L TYPE MAGNA SPECIALです。MGの中でも高性能モデルなのですが、先ほどのMG TAと比べると何となく速そうに感じます。
ひときわ目を引いた1949年 FIAT SIGHINOLFI 1100 SPORTです。
この時代のクルマはテールの造形が素晴らしいものが多く、後姿にも見とれてしまいます。
夏場はともかく、クローズドボディのクルマは随分と走りやすかったのではないでしょうか。1949年CISITARIA 202SCです。
クローズドボディであってもその後姿が素敵であることには変わりありません。
1954年MORETTI 750 SPORTです。この時代のイタリアのクルマは皆が同じようなサイズと形でありながら全く異なっています。
1935年ASTON MARTIN MKⅡ LE MANS SPECIALです。先ほどの1932年のアストンと比べると大差ないように見えますがおそらく性能的には相当進歩しているのでしょう。
テールの造形があまりに素晴らしかったので写真を撮りました。長く伸ばされたテールはユノディエールのストレートで高速安定性に寄与したのでしょう。
1957年BANDINI 100Sです。コ・ドライバーはタレントの長江健次さんで、日焼けした顔で実に楽しそうに乗ってらっしゃいました。
ようやく見慣れたクルマがやって来ました。1956年ALFA ROMEO GIULIETTA SPRINT VELOCE LIGHT WEIGHTという軽量化されたVELOCEを更に軽量化したモデルです。
最初見たときはOSCAかと思ったのですが、1953年MORASSUTTI SPORTというクルマです。
続いてはこれまた有名な1953年LANCIA AURELIA B20です。シックなマルーンのボディカラーはこの時代のLANCIAのイメージカラーで、高級車であるLANCIAを際立たせています。
1955年MORETTI 750 SPECIALEです。このクルマも後姿が美しいクルマです。
1956年MASERATI 150Sです。ちょっとオーバーデコレートなところがまたMASERATIらしいと言えば贔屓目が過ぎるでしょうか。
素晴らしいコンディションのALFA ROMEO GIULIETTA SPRINT VELOCEでした。
こうしてやってくるクルマを撮影している内にいよいよ夕陽が沈んできてしまいました。ますます撮影コンディションが悪くなるのですが、まだ真打?が登場していませんのでもう少し粘ることにしましょう。
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今年も
La Festa Mille Miglia が無事に開催されました。「無事に」というのは昨今の経済情勢からで、こうしたイベントは主催者とスポンサーの見識が深くないと経済情勢に左右されてしまい、開催できない・・・という事態もあり得るのです。
日本ではそれは伝統行事にも及んでおり、昨年来から中止されたり縮小されたりしたお祭りが数多いことを思えば、
「CO2を垂れ流してクルマで遊んでる場合じゃないだろう」 と世間から後ろ指指されかねないこうしたイベントを開催するのは大英断だろうと思います。それは主催者とスポンサーに加えてエントラントがこのイベントを文化事業として認知しているからで、それを継続することは追い風のときも向かい風のときも各々に膨大な準備が必要になることを思えば、素直に脱帽するしかありません。
昨年はスタート場所である明治神宮でその出場車を見学したのですが、今年は少し趣向を変えてゴール間近の「海ほたる」で待ち構えることにしました。
当初はゴールの明治神宮で・・・とも思ったのですが、ゴール時間を考えるともう暗くなっており、撮影には不向きと考えてのことだったのですが、結果として見物の人も少なく撮影には好条件の場所でした。
スタートはゼッケン順ですがチェックポイントである海ほたるに入ってくる出場車は順不同ですので、今回は撮影順(到着順)に気になったクルマをご紹介して行くことにしましょう。
待つことしばし、最初にやってきたのは1925年ROLLS ROYSE PHANTOMⅠTORPEDO TOURERです。エントリーリストではこの車名なのですが、私にはどう見てもBENTLEYに見えます。何かの間違いなのかも知れません(苦笑)
今年の目玉と言って良いと思うのですが、なんとBUGATTIが5台も参加していました。これは1929年BUGATTI T35Cです。
これは珍しい1925年BUGATTI BRESCIA T22/13Rです。この狭いコクピットで殆ど半身を晒して4日間走り続けるのはさぞかし辛かったでしょう。ご夫婦のエントラントでしたが、男同士なら・・・と考えるとゾッとしてしまいます(笑)
1936年LAGONDA LG45 TYPE7です。その可愛いスタイリングは観客にもアピールしたようで、「可愛い~」と声がかかっていました。
1936年JAGUAR SS100です。自動車史に残るあまりに有名なクルマで、SS100という名前の通り最高速100マイル(約160km/h)を誇ったスポーツモデルです。
大好きな1947年STANGUELLINI S1100です。イタリアのスポーツモデルは何故かひと目で分かります(苦笑)
1935年FIAT BALLILA 508S COPPA D'OROです。とても美しいブルーのツートーンのカラーリングですが、イタリアの小さな虫と言われるFIAT BALLILAもなんと3台もエントリーしていました。
最初はRILEYかと思ったのですが、1931年RALLY N.C.Pというモデルでした。残念なことにこのRALLYというクルマは初めて見たのでそのうち調べて見ようと思います。
1951年BANDINI 750 SPORT SILUROです。これもSTANGUELLINIと並ぶイタリアの宝石と呼ばれているモデルですが、本当に美しいクルマでした。
これも同じく1935年FIAT BALLILA 508S COPPA D'OROですが、こちらはオーソドックスな少しくすんだレッドのボディでした。どちらかと言うとこちらのボディカラーが一般的で、イタリアのナショナルカラーです。
こちらは1938年RILEY 12/4 SPECIALです。アルミのボディがとても美しいクルマなのですが・・・
4日間のドライブの最後ということもあってそのアルミボディは少し汚れていました。しかしそれが本当に格好良く、歴戦の跡といった風情を醸し出していました。
1948年ROSELLI 1100 SPORTです。こんなに美しいボディデザインが戦後の復興の最中に作られたことに本当に驚きます。
このテールの美しさはどうでしょう!
全体的にタイムスケジュールは遅れ気味で、夕陽を遮るものがない海ほたるでも段々と暗くなってきました。AUTOモードで撮影を始めたときはシャッタースピードも1/250秒だったのですが、今はその半分にまで落ちてしまいました。銀塩カメラであれば撮影をアキラメざるを得ないのですが、デジタルカメラの場合は後から補正できますので、撮影を続けることができます。
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雨が続いたためなかなかボディの仕上げに手を付けることができません(泣)
ご存知のようにスプレーによる塗装は空気中の湿気と密接な関係があるため、湿度が高い状態で塗装をすると、塗装が白濁する「カブリ」と呼ばれる現象が起こる可能性が高いのです。
まぁ、自分のための組み立てですので急ぐ必要はありませんから、天気が良くなるまでスプレー塗装は止めることにしましょう。
その間はそれ以外の組み立て作業を進めることにしたのですが、シャーシーの組み立ては一通り終了し、エンジンの組み立てに移ります。
実は、今回は可動式のボンネットを固定してしまう予定でいますので、完成するとエンジンは見えません。ですので、別に追加工作はおろか塗装をする必要すらないのですが、将来フルディテール加工をすることもあるかも知れません(笑)ので、一応さらっと組み立てておきたいと思います。
エンジン関係の部品のパーツ割は標準的なものですが、全体的にモールドは甘く、シャープな出来上がりにはなりそうにありません。もし
ディテールアップするのであれば使うパーツは最小限にして、残りは自作するか、別販売されているディテールアップパーツを使用するほうが現実的でしょう。 実際にホワイトメタル製の250GTO用エンジンも販売されているようですが、そこまでしなくともディテールアップは可能だと思います。
私ならまず一体で成型されている6基のキャブレターを切り飛ばし、アフターパーツに置き換えます。同様にメッキパーツで再現されているエアファンネルもアルミの挽き物に置き換えです。
エンジンブロックとヘッドカバーはこのまま使用し、バッテリー、ジェネレーターなどは同じくホワイトメタル製のアフターパーツに置き換えます。それをベースに2基のディストリビューターを加工し、プラグコードのパイピングとキャブレターに繋がる燃料系のパイピング、加えてラジエーターホースなどを追加工作するだけで随分と見栄えが良くなるのではないかと思います。
なんてことを考えながらそれでも塗装して仕上げてしまうのが悲しい性ですが、あくまで素組みでの出来上がりがこの程度ですから、これからディテールアップにチャレンジされる方の参考になるのではないでしょうか(苦笑)
ちなみに塗装は適当です(笑)。使用した塗料はベースをフラットアルミとし、セミグロスブラックとフラットブラックで黒の色調を分け、実物でメッキしてあるだろう部分はクロームシルバーを塗って見ました。エキゾーストマニホールドは耐熱塗料が塗ってあるイメージでライトグレイで塗装して見ましたが、ホンキで見せるのであればもう少し工夫が必要でしょう。
ちはみに、説明書の塗装指示は全くアテになりませんので、雑誌などに掲載されたエンジンの写真などを資料として参考にしてください。
続けてこのエンジンをシャーシーに載せるのですが、ここで問題が発生しました。説明書によるとエキゾーストマニホールドをエンジンに取り付けてからシャーシーにエンジンを載せるよう指示されているのですが、それではシャーシー下部にあるエキゾーストパイプに繋げることができないのです。タミヤのキットを作っているとこのようなことはないのでつい仮組みを怠ってしまいますが、それはタミヤが群を抜いて優秀なだけで、
総じてプラスチックモデルの組み立て説明書はこんなものですので、やはり仮組みは必須です。 仕方なく片側のエキゾーストマ二ホールドを一度外してシャーシーにエンジン本体を取り付けてから再度取り付けることによりエンジン組み立ては終了です。
組みあがったシャーシーを見ると250GTOがフロントエンジンでありながら、フロントアクスルより後方にエンジンが搭載されたフロントミッドシップと呼ばれる形式であることが良く分かります。少しでもエンジンを後方に搭載することによりクルマの中心に重量物を近づけ運動性能を向上させようとする設計者の意図なのですが、それも限界に近づき、この後にコンペティションモデルはリアにエンジンを置くミッドシップの時代に突入して行くことになります。
どうせ見えないから・・・とエンジンは適当に作るつもりだったのですが、思ったより時間がかかってしまいました(苦笑)
次はコクピットの組み立てです。コクピットはドアを可動に加工しなくとも、ガラス越しに見える部分ですので、少し追加工作をして見たいと思います。
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テーマ:模型・プラモデル・フィギュア製作日記 - ジャンル:趣味・実用
久しぶりに日本を縦断した台風18号でしたが、久しぶりであったせいか特に東京では台風に対する備えを怠っていたように思います。
私が子供の頃は、台風が近づいてくると家の雨戸を補強したり、ろうそくを準備したりと、家庭レベルで台風に対して備えをしていました。子供にとってそれは非日常のイベントで、少しワクワクしながら警報が発令されると学校が休みになることもあり、不謹慎にも直撃してくれないかな・・・と思ったりしたものですが、オトナになると会社が休みになるワケもないため、台風はイベントなどではなく災害でしかなく、実際に街に出てみるといかに台風に対する備えがないかを思い知ることになります。
一番大きな問題は外に置いてある様々なモノです。私が子供の頃は台風が来ると分かると、庭の植木鉢やらゴミ箱やら固定していないものは家の中に入れ、外に固定してある物置などもさらにロープで補強したりしたものです。しかし、現在の東京で(他の都市も恐らく同様でしょう)台風の日にやむを得ず外に出ると、実に様々なモノが風で飛ばされて来ます。路上に放置されている自転車や看板に始まり、ゴミを入れるペール缶などが道路に飛ばされて来るためにクルマで走行するには実に危険な状態となります。
私も被害こそなかったのですが、クルマの側面に大きなゴミ箱が直撃しました。また目の前を捨て看板と言われる立て看板が飛んで行き肝を冷やしました。あんなものがクルマの正面を直撃したらフロントガラスを突き破りクルマを傷つけるだけでは済まないでしょう。
これらは台風の被害ではなく管理者の無責任による人災です。当たり前と言われればそれまでですが、その当たり前のことができていないのですから、
マスコミは台風の進路を報道するだけでなく、こうした飛散する可能性のあるものを片付けるよう呼びかけて欲しい ものです。
そんな台風の日に115Spiderが故障したと連絡を受けました。聞けばエンジンが吹けずに坂を上らない・・・とのことで、何とか会社の駐車場まではたどり着いたものの、普通に走れる状態ではないとのことです。
実は、以前から少し症状が出ていたのですが、ATの1速・・・つまり発進時にエンジンが吹けず、ちょっとガマンして2速に入れてやるとナニゴトもなくなるという現象がたまに出ていました。それはエンジンがまだ充分温まっていないときに起こり、エンジンが温まると出ないというもので、最初はついにトルコンがやられたか・・・と冷や汗が出たのですが、どうもそうではなさそうでした。
今回の現象もやはりまだエンジンが充分温まっていない時なので、同じ症状か・・・と考えてチェックすることにしました。
駐車場でキーを受け取り、クルマを動かして見ると・・・エンジンは冷えているにも係わらず、症状が全く出ません(苦笑)
こういった目に見えないトラブルは症状が出ないと手も足も出ず、対策も経験則に基づく可能性の追求しかできません が、走らない・・・というのは問題ですので、一応主治医の下に持って行くことにしました。
さて、その可能性ですが、まずが以前からの症状と切り離し、豪雨の中を走ったことによりエアフローに水が入ったのでは?という可能性を検討することにしました。入った水がエンジンが温まったっことと時間が経ったことにより乾燥したと考えれば、私が乗ったときに症状が出なくなったことの説明がつきます。
エアクリーナーボックスをバラし、エアフローの内部を覗いて見たのですが、特に水が入った形跡はありませんでした。一応内部をエアガンで洗浄し、さらにコネクターの接点も掃除しておきました。
次に以前から可能性を疑っていたO2センサーです。O2センサーの接触が悪くなるとエンジンが息継ぎを起こしますので、同様の症状が出る可能性があるのです。しかも接触だと回復する場合もありますから出たり出なかったり・・・という場合もあるでしょう。
外したO2センサーですが、多少の焼けはあるものの正常で、特に接触が悪くなっているとは思えませんでした。
こうなるとお手上げで、その症状が出たときに様々なチェックをして見る他はありません。特にATミッションの場合はその原因がエンジン側にあるのかミッション側にあるのかを最初に切り分けないと、原因の特定に時間がかかってしまいます。しかもミッション側となると最悪は載せ換えを含めオオゴトになってしまうため、心と財布の準備も必要です(苦笑)
このまま症状が消えてくれると良いのですが、もし再発するのであれば私が乗ってるときにしてもらいたいものです。
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クルマ趣味の本流が自らがクルマを所有して楽しむということに異存がある方はいないでしょう。
一方で、クルマのミニチュアカーを収集したり、カタログやマニュアルなどの紙物を集めたり、そのメーカーのグッズを集めたりするのも立派なクルマ趣味で、これらは往々にして本流のクルマを所有することとセットになっているものなのですが、最近ではそれ単独で趣味として成立している例を良く見かけます。
良い例がテレビゲームで、グランツーリスモの名人は意外にクルマの免許を持っていなかったりするのですから、
そのヒトにとってグラン・ツーリスモは「ヴァーチャル」・シュミレーションではなく、「リアル」・シュミレーション なのかも知れません。
そんなクルマ趣味の中に最近はマンガも加わったようです。過去には「サーキットの狼」に始まり、その題材に取り上げられたスーパーカーは実物を巻き込むブームとなり、それは一種の社会現象にまでなったのですが、それ以降はクルマを題材にしたマンガはクルマそのものを主人公にしたものは少なく、むしろクルマを中心におきながら人間を描いた作品が多いように思います。例えば西風氏が描くクルマは、クルマ単体の魅力と言うよりその周囲の「人間」を描くことによりより一層クルマの魅力を引き出しているように思えます。クルマ趣味の断片を切り取ったようなショートストーリーの集大成とも言える「GT Roman」に描かれたアルファ・ロメオとそのオーナーは若干オバカっぽく描かれ過ぎているものの、その言動は大なり小なりアルファ・ロメオのオーナーには共通しており、氏の人間観察の鋭さが窺い知れます。
田中むねよし氏もしかりで、ご自身の体験に基づく自伝のようなそのストーリー展開は、読者を田中氏に置き換えさせ、自らの体験のような感覚に引き込みます。
そんなクルマを題材にしたマンガの中で、私が好きなのが新谷かおる氏の「ガッデム」で、WRCという珍しい題材を選んで描かれたこの作品は、その内容もストーリー展開も素晴らしく、松本零士氏のアシスタントをされていたという氏の経歴から想像できる通り、しっかりとしたリサーチに基づくメカニズムの描写と、精緻に設定されたキャラクターとストーリー展開が読む者を飽きさせない魅力を持っています。氏の作品は「エリア88」があまりに有名ですが、「ファントム無頼」、「ふたり鷹」など個人的には大好きな作家です。
クルマを題材にしたマンガの中で最近知ったのが、岡本健志氏の「クワドリフォリオ」というアルファ・ロメオを題材にしたマンガです。
相当マニアックなマンガであるこの「クワドリフォリオ」はテスト中に事故死したF1レーサーを父に持つ高校生の女の子が主人公で、その彼女の愛車がSZ(ES30)という設定が凄いのですが、描き込まれているさまざまなアルファ・ロメオは結構正確で、オーナーでなければ分からないであろう描写などはなかなか秀逸です。
惜しむらくはそのストーリー展開で、おそらく長期連載を前提に書き始めたのであろうストーリー運びが連載していた雑誌の休刊に伴い急遽終わらせる必要に迫られ、単行本2巻分で終わらざるを得ず、どうも尻切れになってしまっています。本来の予定通りの連載であればこのストーリーはどう展開したのであろうと思うと、少し残念な作品です。
読んで見るとこの作品の主人公はあくまでアルファ・ロメオではあるのですが、それがアルファ・ロメオでなければならないか・・・と言うとそうでもなく、ストーリーそのものはどんなクルマであっても成立するように思えます。おそらく岡本氏は
このストーリーを書きたいから書いたのではなく、アルファ・ロメオが好きだから描いたのでしょう。 その想いはちゃんと伝わってくる作品です。
どんな切り口で描くにせよ、アルファ・ロメオとそれに係わる人間が魅力的でなければマンガが成立しないのは当然で、今後、北方謙三氏の書くマゼラーティのようにアルファ・ロメオを中心据えた小説なんかが世に出ると嬉しいのですが・・・どなたか書いてくれませんかねぇ。
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カタ・・・カタ・・・カタ・・・カタ・・カタ・・カタ・・カタ・カタ・カタ・カタカタカタタタタタタ・・・・ 六本木通りを走っていたときのことです。走るスピードに併せてカタカタカタと異音がしています。
窓を閉めていると殆ど聞こえないのですが、窓を開けると結構な音量です。隣にはメルセデス・ベンツのSLが私と併走して加減速しています。ちょうど荷造りバンドか何かがクルマの下に挟まっているような音です。おそらくSLは私のSpiderなんかと違ってキャビンの密封性も良く自分のクルマに挟まった異物の音なぞ聞こえないのでしょう。
かっこ悪いなぁ・・・などと話しながら、次の信号で止まったときにでも教えてあげようと窓を開けてうまく止まるチャンスを窺いながらそのカタカタ音を聞いていたときのことです。ふいに隣のSLは信号の手前の路地を左折してしまいました。
そして再び走り出したSpiderでしたが、例のカタカタ音は依然として聞こえてきます。
えっ??ワタシ?? てっきり隣のSLからの音だと思っていたのですが、なんと自分のクルマからだったのです。もしあのときに声をかけていたら大恥をかいていたところです(苦笑)
しかし、そのときはまだ何か道に落ちていたものを拾ったのだろうと思い、どこか停めやすいところでチェックしようと考えながら引き続き走り続けることにしました。
そして六本木通りから桜坂へ曲がろうとしたときのことです。横断歩道を渡ろうとしていたオバサンが不思議そうな顔で私のクルマを見ながら通り過ぎて行ったときに、どうやらタダゴトではないことに気がつきました。もはやどこか適当なところで停まってチェックするのではなく、今すぐチェックしなければならないようです。
すぐにクルマを路肩に寄せて降りてみると・・・、
あぁぁぁ!左のフォグランプがユニット毎外れ、ハーネスでぶら下がっています。カタカタと音がしていたのはランプユニットが地面に当たっていた音だったのです。ランプユニットを地面に引き摺りながら走ってくるクルマを見たら誰でもビックリするのは当たり前です。それにしても私はなんてオバカなんでしょう(泣)
その場ではどうすることもできず、とりあえず外れたランプユニットを元に戻すしかありません。それにしてもあれだけの距離を引き摺った割りには破損は最小限で、見た目にはガラスが割れただけのように見えます。
しかし、何故ランプユニットが外れたのでしょう??
ランプユニットは外側がケースから生えた棒でバンパーに固定され、内側の2カ所でビス留めされているのですが、どうやらそのビスが徐々に振動で緩んで外れてしまったようです。
上の写真でご覧になれるとおり、下側の穴にはネジの受け金具が残っていますが、上側は金具が外れてしまっています。穴が開いているステーが割れていたわけではありませんので、恐らく金具はランプユニットが外れてから落ちたのだろうと思いますが、このままではネジを締めなおしても一箇所しか固定することはできませんので、応急修理としてテープで固定することにしました。
今までの様々な経験から出先での応急修理に重宝するのはこうしたテープやタイラップと呼ばれる電気コードの結束バンドで、私はいつも工具と一緒にクルマに積んでいます。 特にこの透明テープは以前にリアスクリーンを割ったとき以来、緊急用として車載工具の仲間入りをしたのですが、ランプユニットに水が入らないように割れたガラスの上から全面に貼り付けることにしました。しかもテープが透明ですので光も透過しますし、補修していることが分かりにくいという利点もあります。
当然のことながらバルブはダメになってしまい点灯はしないだろうと思いながら、ライトを点けてみると・・・、
ナンと、スモールランプもフォグライトのプロジェクターランプもナニゴトもなく点灯するではありませんか!
ほっとしたのですが、良く考えて見るとガラスが割れてしまっているのですからどちらにせよ交換しなければならず、おそらくガラスのみ・・・という部品は出ないハズです。ということはユニット毎交換せざるを得ないのですが、それでも部品が届くまで一体どのくらい時間がかかるのか分かりませんので、その間だけでも点灯するのは有難いことです。特に916Spiderのランプユニットはスモールライト、フォグランプに加えてターンシグナルまで一体となっているために、このユニットが死んでしまうとクルマを走らせることができなくなってしまいます。
早速、ePERで調べて見るとユニットで30,000円!と結構なお値段します。しかももし悪魔のB/O(バックオーダー)だと一体いつ部品が来るかも分かりません。
こうなると、「困ったときの坂野社長」(笑)で、ALFA・DEPOTの坂野社長に中古部品を持っていないか問い合わせてみると、「ありますよ~」と嬉しい返事が返って来ました。
すぐに主治医のところに送ってもらい、翌日に交換するというスピード修理となりました。
問題のネジですが、下の写真の3箇所の穴の左2箇所がネジ穴です。適当な受け金具を見繕ってもらい、しっかり留め直して修理完了です。
アルファ・ロメオに限らず、こうした趣味クルマを維持する上で周囲の助けは必須 で、今回も皆さんの助けで復活することができました。
それにしても、
付いているものが突然外れるのも困りもの です(苦笑)
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以前のDUCATI900の際にも書きましたが、プラスチックモデルのメッキパーツというのは功罪あり、個人的にはいらないと思うパーツ処理です。
プラスチックモデルがまだ子供のものであった時代は、塗装をして組み立てるのは上級者だけで、殆どの子供はパーツをランナーからむしり取り、塗装せずに各パーツを接着して組み立てていたものです。ですので、無塗装で組み立てたときにも実感が出るように、塗装する際の下地色としては邪魔な色でパーツを成型したり、パーツにメッキをしたりしているのですが、メッキパーツの問題は2点あります。
まずは
ランナーから切り離したりバリを取るためにヤスリをかけたりする際に、メッキが剥がれてしまうという問題 です。タミヤ模型のモデルはそれを最小限にするためにメッキパーツのランナーと部品との間の枝は最も細く作られ、しかも切り離す場所が目立たない場所になるよう設計されていますが、その他のメーカーのものや旧いキットではランナーからメッキパーツを切り離しただけで、その跡が目立ってしまいます。また接着する面もメッキがついていると接着剤の力が弱くなってしまい、うまく接着できません。
また、
メッキの光りすぎによりかえって実感が殺がれ、いかにもオモチャ然とした仕上がりになってしまう ことがあります。では、上から塗装すれば良いのですが、メッキは塗料をはじいてしまうため、うまく塗装できないのです。
このフジミのキットも最近のキットであるにも係わらず、そのメッキは昔と同じでいかにも・・・という出来栄えで、パーツ割もランナーから切り離す場所を考えた設計とは思えません。加えて一部にバリが出ていました。これらを削るとメッキは剥がれてしまい、とてもそのまま塗料でタッチアップして誤魔化せる状態ではありませんでした。
余談ですが、プラスチックモデルの金型もその他の工業製品の金型と同様で、使い続けると痛んできます。この金型の保守も重要で、きちんと補修をしないと雄型と雌型の間に隙間が出来てしまい、そこにプラスチックが流れ込み、「バリ」と呼ばれる余分なものが部品と一緒に成型されてしまいます。
残念ながらフジミの金型はタミヤのものに比べると精度が甘く、新作であるにもかかわらず一部にバリが出ていたりパーティングラインが太くなっていたりしています。ということは製造し続けられた旧い金型だとこの状態はもっと顕著でしょう。それもプラスチックモデルですから当たり前と言えば当たり前なのですが、組み立てる側の余計な処理が増えることには違いありません。と言うか、タミヤが群を抜いて優秀すぎるのですが・・・(苦笑)
ですので、プラスチックモデルは初期ロットを買うのが鉄則で、基本的にはどんどん製品の品質は悪くなって行くものなのです。すぐに作る予定のないモデルにもかかわらず新製品を買う理由は、決してコレクションのためだけではなく、こうした理由もあるのですが、なかなか理解をしてもらえません(苦笑)
本題に戻りましょう。250GTOのハイライトの一つであるANSAの4本出しマフラーのエンドは、実物もメッキされているためにこのキットでもメッキパーツとなっています。
一方のグンゼ産業のものはマフラー本体からホワイトメタル製のパーツになっており、エンドの部分は金属磨きで磨いてやることにより素晴らしい実感を得ることができます。
最初はこのエンド部分をコンバートすることを考えたのですが、残念ながらプラスチック製のマフラーにホワイトメタルのエンドを付けるとエンド部が重くなりすぎてしまい、マフラーが折れてしまいそうなのでアキラメざるを得ませんでした。
下の写真の左側がグンゼ産業のホワイトメタル製のリアエンドです。まだ磨く前ですがこれを金属磨きで磨いてやると落ち着いた素晴らしい光沢が再現されるので残念です。
しかし、とてもメッキパーツをそのまま使う気にはなれませんでしたので、メッキを剥がす処理をして塗装により仕上げることにしました。
メッキを剥がす方法はイロイロありますが、ペーパーで削り取ってしまうのが一般的でしょう。この方法はバリやパーティングラインも削ることができるので一石二鳥なのですが、細かいパーツだとそのペーパーがけも大変です。
下の写真の左側はランナーから切り離した状態で、右側はパーティングラインをヤスリで削ったものです。メッキが削れてしまいタッチアップどころでは修正できないのがお分かりいただけるかと思います。
今回は、メッキ剥離液という秘密兵器?を使用してメッキを剥がすことにしました。
金属のように電気を通す材料にメッキをする場合は電解メッキと呼ばれる方法でメッキされるのですが、これは材料に電気を通して電位差を生じさせ金属を表面に付着させるというメッキ方法ですので、逆の電位を与えてやればメッキを剥がすことが可能です。恐らく理科の実験でやった方も多いのではないでしょうか。
しかし、プラスチックは電気を通さないので、金属分子をコロイド状になったパラジウム触媒によって表面に付着させる無電解メッキという方法でメッキされています。このメッキを剥がす場合は剥離液と呼ばれる薬品を表面に塗布してやるのですが、それが今回使用する
メッキクリーン という剥離液です。
使い方は簡単でまずは部品を動かないように固定してやり、筆で剥離液を塗ってやります。今回は全体の剥離ですので部品全体に塗ってやりますが、接着する面のみにこの剥離液を塗ってやればそこだけメッキが剥離されますので、いちいち接着面をヤスリがけする手間を省くことができます。
10分ほど放置してやればメッキが剥離液に溶け出し下地が現れてきます。この時点で塗り残した部分をチェックできますので、メッキが残っている部分に再度剥離液を塗ってやります。
メッキが剥がれたら表面に残った剥離液を水で洗ってやれば終了です。
後はクロームシルバーで塗装してやるのですが、メッキよりも落ち着いて実感が増していると思います。
250GTOの組み立てに際してはメッキパーツをそのまま使うか、剥離して塗装し直すか、その部品によって使い分けてみようと思います。
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いよいよボディの本塗装です。ピンクで下地を塗装しましたが、本塗装でイタリアンレッドを塗る前にサーフェイサーの時と同様に表面のゴミを始末しておきます。
例によって本塗装は三度に分けて行います。まずは少し遠くから軽く全体に塗料を吹いてやります。
このときは多少まだらになってもOKで、一旦乾燥させます。
二度目は最初の塗装よりもゆっくり目に吹くのですが、最初の塗装でまだらになった状態からレッド一色になるように塗装します。多少塗装面が「ゆず肌」と呼ばれるブツブツ状態でも構いませんので、再び乾燥させます。
最後は塗料が垂れてくる寸前で止める感じでゆっくりと塗装してやります。そうすると塗装した表面はこの程度の艶を出すことができます。
本来ならば最終仕上げできちんとペーパーから順番に磨きを入れるのですが、最終仕上げで用いるコンパウンド磨きだけで表面を仕上げてやろうと考えると、この「垂れてくる寸前」という塗装方法は必須なのですが、一方でこの方法は危険と隣り合わせです。
その危険とは・・・、
このように乾燥する際に塗料が垂れてしまうことがあるのです。
塗料は溶剤が蒸発することにより表面が硬化して行きます。スプレーはその塗料が粒状になって表面に張り付きますので、乾燥が速いとその粒が残ってしまいます。一方で乾燥が遅いとその粒は潰れて行きますので、硬化したときは表面が滑らかになり光沢が出るのですが、一方で乾燥が遅いため塗料が垂れてしまうリスクもあるワケです。垂れる直前で止めるという技術は何度も失敗して会得するしかないために、必ずしも成功するときばかりではありませんので、このように塗料が垂れてしまった場合はその部分を1200番から2000番のペーパーで削って滑らかにしてやります。この際に削りすぎは厳禁で、少しづつ周囲の表面の状況を見ながら削って行きます。そして再度もう一度スプレー塗装をしてやると修正完了です。
果たしてピンクで下地を作った効果はどうでしょうか。比較のためにサーフェイサーも吹かずにイタリアンレッドで塗装したグンゼ産業の250GTO(左)と並べて見ました。
実は太陽光の下で見るとその効果は歴然で、フェラーリ独特のちょっと黄味がかったレッドが再現できたのですが、蛍光灯の下で撮影するとその差はあまり分かりません。
例によって乾燥を待つ間に、他の作業を並行して進めます。組み立て説明書によると、フロントサスペンスション→リアサスペンスション→マフラー→エンジンルーム→コクピットの順に組み立てるよう指示されています。最終的にボディを被せて出来上がりとなるのですが、特段の問題はなさそうですので、指示通りに組み立てて行くことにしましょう。
フジミのプラスチックはタミヤのものと比較すると弾力性があり、ヤスリで削ったりする加工にはあまり向いていません。バリやパーティングラインはアートナイフで削り取ってやります。モールド色はセミグロスブラックですので、フレームなどはそのままでも良いのですが、「なんとなく」塗装をすることにします(苦笑)
最近作ったバイクのモデルは手を抜くところがないのですが、クルマのモデルに関して言えば、自分が「見せたい」と思わない部分は手を抜くことが可能です。今回はボディがメインですので、それ以外の場所で見えない部分はサラッと組むことにします。
ディスクブレーキも見せ場にすることはありませんので素組みでやっつけます(苦笑)
フレームもこんな感じです。キットの部品のままパーティングラインを削ったのみで、塗装して組み立てたものですが、完成したモデルを底から覗くことはまずないでしょうからこのレベルで充分です。
続いてはプラスチックモデルの最大の難敵?であるメッキパーツについて考察してみたいと思います。
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