参加した車両はやはり最近のアルファ・ロメオが多く、アルファ156や147が中心でしたが、皆さん思い思いのドレスアップが施され、その点でも一般の見学者も身近なクルマとして親しみが湧いたのではと思います。
しかし誰にとっても今回のイベントの本命は、1900SS Ghia Aigleでしょう。
聞けば世界に2台!というクルマですが、そもそもこの1900シリーズはアルファ・ロメオが第二次世界大戦後に量産車メーカーとして転換を果たした最初のシリーズです。
しかし、それでも戦前のようにシャーシーとエンジンを基本として様々なカロッツェリアがボディデザインをするという手法は残されており、このGhiaもそんなカロッツェリアの1社でした。Ghiaと聞けばVWのBeetleをベースにGhiaがデザインし、カルマン社がクーペボディを製造したカルマン・ギアが有名ですが、Ghiaそのものはデザインだけでなく、実際のボディ製造も行える会社でした。
このGhia Aigleは1900シリーズの中にあっても異色で、もともとは量産車であるこのシャーシーとエンジンを使って、ピニンファリーナなどの他のカロッツェリアとは異なり、高級グランドツアラーとして仕立てられています。全体のデザインは当時のアメリカ車のテールフィンの影響を受けたものですが、全体として造りは高級で、リアのエンブレム一つを取ってみてもこれだけの懲りようです。
そこにはプラスチックメッキなどというチャチな仕立ては微塵もありません。 サイドのメッキラインもこのようにデザインされ、Ghia社の仕立てであることを主張しています。
エンジンは1900シリーズの標準ブロックのようですが、ツインキャブでパワーアップされていました。それにしても最近のクルマのエンジンとは異なり、本当に美しい眺めです。
ホイールは垂涎のボラーニ製です。センタースピンナーのALFA ROMEOのロゴが泣かせます。
このクルマが三重から自走で来た・・・と言うのですから恐れ入ります。
そして隣にはこれまた程度抜群のAlfetta 2000GTVがいました。
そしてさらにAlfa75 Turbo Evoluzioneの三連発です(笑)。こんな光景はめったに見られないでしょう。
私を誘ってくれたMさんの愛車である一台はIMSA仕様のカーボン製大型リアスポイラーを装着していました。
ミニチュアモデルではお馴染みのこのスポイラーも実物を見ると大迫力ですが、聞けば後方視界は劣悪とのことでした。もともとAlfa75はリアがハイデッキで後方視界が悪かったのですが、さらのその視界の半分をこのスポイラーが塞ぐのですから、白黒車に追尾されたらひとたまりもないでしょう(笑)
個人的に懐かしかったのはこのフィラーキャップで、私もかつての愛車であったアルファ75T/Sに装着していたイタリアのRomeo Racing製のアルミキャップです。このフィラーキャップはレース車両に良く見られるクイックフィラータイプを模したものなのですが、すこぶる開けにくいシロモノで、キーを折られてしまうので、ガソリンスタンドでは降りて自分で開けなければならなかったのを懐かしく思い出してしまいました。
エンジンは1.8LのDOHCをベースにインタークーラー付きのターボチャージャーが装着されています。
しかもこのインタークーラーはデカく、残念なことにブースト圧を聞きそびれてしまいましたが、現在の穏やかなターボチャージャーと異なり、恐らくドッカンターボなのだろうと思います。
Giulia系の参加が少なかったのは意外でした。Giulia Sprintのいないアルファ・ロメオのイベントも珍しいのではないでしょうか(苦笑)。
そんな中にあって、唯一参加していたのが、このGiulia Superなのですが、これまた程度抜群で美しい個体でした。
こうして無事にイベントも終わり、いよいよ東京へ帰ることとなりましたが、同乗者は仕事の都合もあり、飛行機で東京に戻ることにしたので、途中で高松空港に寄ることにしました。地方の空港は市街から近くにあるためにこうしたときに本当に助かります。ただ、この日の東京は強風でフライトスケジュールが相当乱れていましたので、結局同乗者が家に帰りついたのは夜遅くなってしまいました。
無事に空港まで送り届け、私自身はいよいよ東京までは単独ドライブとなったのですが、実は不安な要素がありました。
その朝、ホテルから会場までクルマを動かすときに、ブレーキを引きずるような異音がしていたので、主催者の一人であるMさんにお願いして、アルファ・ロメオ高松の工場でチェックしてもらうことにしていました。
しかし、東京の主治医とも電話で相談し、ギアをニュートラルにして車体を手で押してみたところ、音がしなかったのでブレーキではないだろうと考えて、そのまま走行することにしたのですが、その判断のせいで、その後の悲劇が訪れることになろうとはその時は考えても見なかったのです。
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室戸岬を目指したことにより、結果として四国を半周することになった四国自動車博物館へのツーリングですが、それも天気が素晴らしかったから思いついたことでした。確かに相当疲れましたが、何も遮るもののない太平洋に沈む夕陽を見ることができたので、この寄り道ツーリングは大正解でした。
訪れた室戸岬は、台風中継で良く見る荒れ狂った海とは異なり、穏やかな春の海でしたが、やはり海岸の岩は荒波で削られた太平洋のエネルギーを感じさせる勇壮なものでした。
その日は夜遅くホテルに戻ったのですが、その駐車場は翌日のイベントに参加する車両が既に到着して駐車していました。その中にあって異彩を放っていたのがこの1900 SS Ghia Aigleで、ちょっとフライングですが(苦笑)じっくりと観察させていただきました。
一夜明けていよいよ本来の目的であったAROC Kagawanのイベント当日は今にも雨が降り出しそうな曇り空となってしまいました。事前の天気予報は雨でしたからまだ雨が降っていないだけマシなのかも知れませんが、こういったイベントを企画する側にとって見れば、天候はどうしようもないだけに、もう一日ズレてくれれば・・・とさぞかし恨んだことでしょう。
会場はサンポート高松という複合商業施設のイベント広場で、日常はクルマの立ち入りが禁止されている場所でした。このような場所を借りてくるのも一苦労なのは、以前に企画したアルファ164生誕20周年記念パーティで散々苦労した経験から良く分かります。
会場に入場すると係りのAROC Kagawaのメンバーの方の誘導によりスムーズに駐車場所に駐めることができました。そしてその場所は・・・アルファ164オーナーズクラブの面々の隣という特等席(苦笑)でした。
今回のイベントには私たちのクラブからも随分多数のアルファ164が参加していました。主に西日本のメンバーなのですが、クラブの全国イベントでもなければこれだけのアルファ164が集まることはないでしょう。特に初期型のアルファ164Lから、QV、Q4、Superと全てのボディ形式のアルファ164が揃ったのは久しぶりだと思います。アルファ164オーナーズクラブの面々は、伝統である
「どこでも勝手に楽しむ」 という精神?に則り、よそ様のイベントにもかかわらずクラブフラッグは広げるは、ナンバープレートカバーは自作するは・・・と、クルマそのものもさることながら、異彩を放つ存在感をアピールしていました(笑)
一方私たちの115Spiderは1台のみの参加であったこともあり、多くの方が見に来ていただき質問攻めに合ってしまいました。特にアルファ・ロメオに詳しくない方にとって、このクルマが1993年式であることは相当な驚きであったようで、「もっと旧いクルマだと思いました」と言われてしまいました。もちろんご存知のように、115Spiderはその起源をSpider Duettoに遡り・・・と薀蓄を説明するのも野暮ですので、笑って「意外でしょ・・・」と答えて誤魔化してしまいました(笑)。
一番驚いたのが、わざわざクルマを見に来たという中学生3人組で、嬉しそうに覗き込んでいたので、コクピットを開放してあげたところ大感激していました。
最近の子供はクルマに興味がなくなったと言われていますが、目を輝かせながらこうしてクルマを見に来るというのは将来有望なアルフィスタになるのでは?と思います。いつか、オトナになったときに「昔、Spiderに座らせてもらったんだよね」と思い出してくれれば本当に嬉しいことです。
事前に特に何もしないと聞いていましたので、時間を持て余すかと思いきや、他のクルマを見たり、見学に来る方に説明をしたりしていると、時間はあっという間に過ぎてしまいます。
そしてお昼を過ぎて、ついに恐れていた雨が降り出してしまいました。
それでも、何とか屋根がある場所に移動してコンクール・デレガンスの表彰やらプレゼントの抽選会などが行われました。そして、私たちはナンとコンクール・デレガンスで3位という過分な?賞を頂くことができました。
総合的に言えば、今回のイベントは大成功だった と思います。もちろん天候がもっと良ければ・・・という悔いは残りますが、それは主催したAROC Kagawaの皆さんの責任でないことは言うまでもないでしょう。
一番良かったのは、見学に来た一般の方々に対して敷居が低かったこと だと思います。ともすれば、「ガイシャのオーナー=金持ちの集まり」と思われてしまい、遠巻きに見られることはあっても、そのオーナーとクルマについて親しくハナシをするきっかけが取りにくいものです。
折角、このような公共施設でイベントが出来たのですから、次回は参加する各車に予め基本フォーマットに基づいた車両紹介プレート原稿を提出してもらいクルマに貼り出す・・・とか、アルファ・ロメオに造詣の深い方による展示車両紹介を行うとか、自分達が楽しむだけでなく、
参加者が一般の見学者を楽しませるような企画 があっても良いのではと思います。
次回は引き続き、参加車両の中で私が気になったクルマ達を紹介します。
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もはや満腹中枢がやられてしまい、フォアグラのガチョウのように次々と飲み込むしかない状態となってしまいました(笑)
まるで満漢全席を3日連続で食べたような気分なのですが、それでもこの博物館は手を緩めてはくれません。
何も言うことはないLANCIA Strato'sです。ラリーに勝つためだけに作られた"Purpose Built Car"ですが、そのせいもありラリーでは連戦連勝となりました。しかし、それが災いしてしまい量産車の販売促進にならないことを理由に、隣のFIAT 131 ABARTH RALLYにワークス活動が移ってしまうという悲劇的な結末を迎えてしまったクルマです。
以前にも書きましたが、「どこか切れている」LANCIAの典型だと思います。
そしてラリーに復活したLANCIAはまたもや037 RALLYというGroupBカーで復帰するのですが、今度はStrato'sの二の舞を避けるために、ベータ・モンテカルロにボディを似せて来ました。もちろんその中味は全く別物で、その活躍にも関わらず、さほどベータ・モンテカルロの販売に結びつかなかったのはご愛嬌です。
時代はAUDI Quattoroが先鞭をつけたスポーツ4WDに移行して行きます。ターマック(舗装路)ではそのハンドリング性能によりまだまだ勝つことができたのですが、ミッドシップエンジンのリアドライブというコンベンショナルなレイアウトの037 RALLYの戦闘力がなくなって行くのを受けて、「切れている」LANCIAは今度はミッドシップ4WDというとんでもないモンスターマシンを投入します。それがDelta S4というモデルで、これまた当時の量産車であるDeltaに外観を似せて作られたのですが、その過激な性能故にグループBカーは観客を巻き込む大事故を起こしてしまい、WRCにおけるこのカテゴリーは消滅してしまいます。
これほどまでのラリーカーのコレクションは日本でも類を見ないでしょう。ようやく少し落ち着いて来ました。
いよいよ反対側に展示してある国産車を見ながら出口に戻ることにします。
日本車のメカニズムがようやく世界レベルに到達したのがHONDA S800でした。時計のような・・・と評されたそのDOHCエンジンは、初期のチェーンドライブによる独特の発進時の姿勢とあいまってHONDAの名前をモータサイクルのメーカーとしてではなく、4輪車のメーカーとしてでも世界に轟かせた名車です。
好き嫌いを超えた日本の名車がこのNISSAN Skyline GTRではないでしょうか。今だに残るその車名は日本車の中でもブランドとして認められる数少ない例だと思います。
元来モータースポーツにはそれほど積極的ではなかったTOYOTAがル・マン24時間レースに挑むために社運をかけて?製作したのがこの88Cです。残念ながら本番ではリタイアしてしまいますが、その後のTOYOTAのル・マンへの執念は後に実を結ぶことになります。
これまた渋いラリーカーコレクションです。TA64と呼ばれるTOYOTA セリカのラリーカーです。当時の高性能車の定番であるDOHCエンジンにターボチャージャーを組み合わせたクルマですが、この個体はワークスカーとしてサファリ・ラリーに出場したモデルです。
懐かしいTOYOTA パブリカです。名前の通り大衆車としてデビューしたパブリカは、ようやくそれまでの大衆車の定番であった軽自動車から、もう少し豊かになった大衆に好評を持って受け入れられることとなったのですが、それだけ国民所得も伸びたという当時の経済状態も偲ばれるモデルです。
一方で国産高級車の代名詞となったのがこのTOYOTA クラウンです。「いつかはクラウン」という宣伝コピーはクルマがステータスで日本国民全部が上昇志向を持っていた時代の証でもあります。
このR31型クラウンは観音開きドアを持ち、当時のアメリカ車のデザイントレンドが色濃く反映したモデルですが、子供の頃に路上で見かけたこのクラウンはその殆どが黒塗りのハイヤーやタクシーで、プライベートユースでなければ選ばれないこのような鮮やかな色ではありませんでした。
前でご紹介したパブリカをベースに軽量で空力に優れたボディを載せてスポーツ車として仕立て直したのがこのTOYOTA スポーツ800というモデルです。たった45hpというエンジンにも関わらず、同じく前でご紹介した75hpのDOHCエンジンを搭載したHONDA S800と互角の勝負ができたのは、この軽量で空力に優れたボディのおかげで、この路線を継承していればTOYOTAは面白いライトウェイトスポーツカーを作るメーカーになっただろうと思うのですが、残念ながらこのコンセプトはこれ一台限りとなってしまいました。
これまた何も言うことはないTOYOTA 2000GTです。ロータスの影響を多く受けているとは言え、純国産で設計・製造されたスポーツカーとしては今尚最も有名なモデルです。当時の技術力の結晶とも言えるこのクルマはコスト的には全く儲からず、早々に製造が中止されてしまったのですが、前のスポーツ800と同様に、このクルマで少数手作りのカロッツェリアのような製造方法を確立していれば、TOYOTAは面白いメーカーになっていたのではと思います。
「てんとう虫」という愛称で親しまれたSUBARU360です。当時の軽自動車の中では最もスペースユーティリティに優れたモデルでした。外観はもちろんVWのBeetleの影響を受けているのですが、同じ敗戦国で、同じ国民車として開発されたにも関わらず、排気量を差し引いてもBeetleとの差は歴然としていました。
どういうワケかモーターサイクルの展示スペースに置かれていたMORGAN の3輪車です。確かに自動車とモーターサイクルの中間的なクルマなのでその立場も微妙なのは仕方ないでしょう。
このクルマの日本で最も有名なオーナーはあの宮崎 駿氏で、彼はこのMORGANに同じく彼の大好きな昔の複葉機と同じ臭いを感じるのだそうです。確かにコーナリングにはドライバーの荷重移動が必要ですし、ドライバーには皮製の飛行帽とゴーグルが似合うクルマです。
とにかくこの博物館のクルマ達はそのラインアップが素晴らしいだけでなく、その程度も素晴らしいものでした。どのクルマも整備が行き届いており、すぐに走行できることはその佇まいを見れば分かります。
クルマというのは不思議なもので、「生きている」か「死んでいる」かは何となく見れば分かるものです。「生きている」クルマはそのクルマの魅力が伝わってくるのですが、
「死んでいる」クルマは動物園で剥製を見ているようなもの で、姿形は同じでも生気がなく、その魅力が半減してしまうものです。
四国博物館のクルマ達はまるで旭山動物園の動物のように、クルマ達が生き生きしていました。
それだけでもここへ足を運ぶ価値があるのではと思います。
念願かなった四国博物館を後にした私たちは、今度は単独行動で一気に室戸岬を目指すことにしました。
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しばしの休憩をはさんで続きを見て行きましょう。
いつかは欲しいと願っているGiulietta Spiderですが、この展示車はそのハイパフォーマンスバージョンであるVeloceというモデルです。その程度は抜群で、ホンキで乗り逃げしたかったです(笑)
主治医のところで見慣れている155V6TIですが、こちらはNaniniのドライブしたクルマでした。どうやらスペアカーのようなのですが、これを見たことで3台と言われている日本にある155V6TIの完全制覇を成し遂げました(笑)
いよいよFERRARIです。FERRARIのコレクションは日本でも結構多いのですが、このオーナーは大排気量のFERRARIには興味がないらしく(苦笑)、そこにあるのはコンパクトなモデルばかりでした。
このDino246GTはフロントノーズにカナードをつけたレーシングモデルで、程度抜群の個体です。
こちらは同じ246GTでもデタッチャブルトップを持つGTS(Spider)というモデルです。それにしてもDinoには黄色が本当に良く似合います。
前回の「地獄クルマを訪ねて」でも取り上げた308ですが、こちらはGTBと呼ばれるクローズドトップのモデルで、初期型のFRPボディのものです。
スーパーカー世代には堪らないLAMBORGHINI Countach LP400です。このCountachもマイナーチェンジの度にどんどん醜くなってしまったクルマの典型で、一番美しいのがこの初期のLP400というモデルだと思います。高速時のボディリフトに苦しんだと言われる初期型ですが、その美しさのためには羽根などを付けずに我慢すべきスタイリングだと思います。
イギリス車も二台ありましたが、そのどちらもオーナーの好みが反映されたクルマでした。LOTUS Europa Specialは最近になって、街中でまた良く見かけるるようになったのですが、隣のFERRARI 308と比べてその低い車高が印象的でした。
JAGUAR E-typeは当然のことながらSr.1のロードスターモデルでしたが、この個体はハードトップを装備していました。発売当時はその安い価格から"Poor Man's Ferrari"と呼ばれたのですが、そのスタイリングは美しく、後の他のクルマのデザインに多くの影響を与えたモデルです。
このオーナーはラリーカー好きなようで、多くのラリーモデルがコレクションされていました。
FORD RS200は最後のGroup BカーでGroup Bカテゴリーがそのスピード故に中止となってしまったために宙に浮いてしまったモデルですが、その可愛いフェイスに似合わず、コスワースチューンのエンジンをミドに搭載し、過激なパフォーマンスを持つモデルでした。
先日、アルファ164オーナーズクラブの仲間が所有するこのFIAT 131 ABARTH RALLYを運転させてもらい、その過激さ?にすっかりやられてしまったのですが、この個体はストラダーレではなく、実際にラリーに出場していたものです。やはりラリーカーは戦闘服?を身に纏っている姿が一番美しいと思います。
そしてここからLANCIAのラリーモデルに突入するのですが、またもや休憩を余儀なくされてしまいました(苦笑)
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やっとのことでたどり着いた
四国自動車博物館 にはそう簡単には入場できませんでした。それは
入館料を払う前の展示品がすでに垂涎もの だったからなのですが、その場所故になかなか訪れることができない方のために、展示車を順番にご紹介して行きたいと思います。
入り口横に外から見える状態で展示してあるのはPORSCHE Carrera10です。日本人にとってはあまりに有名なクルマなのですが、当時の日本グランプリをナマで見たことがなくても日産R381との死闘は映像にも残されていますので、ご覧になった方も多いでしょう。
当時は立派な敵役?だったのですが、日産がワークスのフル体制で挑んだのに対して、カレラ10はプライベーター出場でクルマはほとんど「吊るし」状態であったことを思うと、当時の彼我の技術力の差は歴然としていました。
しばし見とれた後にようやく入り口を入ると、目前に横たわっているのはFERRARIのF-1です。ここはミュージアムショップとなっており、まだ入場料を払う前の前室です。F-1のモデル名は詳しくありませんので、どなたか詳しい方に説明して頂ければと思います(苦笑)
好きな方にとってはここまででも既に腹八分目だと思います(笑)。失礼を承知で言わせて頂きますと、ここは御殿場でも那須でもなく、四国の高知なのです。一体どれほどこういった展示車に造詣のある方がいるのか?と思う土地に、
これほどまでのコレクションが存在していることに驚くことしきり ですが、いよいよ内扉を開けるとそこはまさに桃源郷でした。
なんと素晴らしい光景でしょう。奥行きのたっぷりある展示スペースの左右には整然と展示車が並べられており、周囲の壁は鏡で展示車のリアも見ることができるよう配慮されています。そして何より展示車が「近い」ことが素晴らしく、手を触れることのできる距離からじっくりと眺めることができます。
聞けば個人のコレクションとのことですが、来館者を信用していなければこのような展示形態は取れないと思います。さらに写真撮影も自由で、そのおおらかさに我を忘れて一台一台にカメラを向け続けてしまいました。
全体を見ていくと、どうやら
コレクションのテーマはオーナーの「好きなクルマ」であろう と思われます(笑)。
しかし、その趣味は私と一致しているためにどのクルマの前も素通りすることができません。本当に困った博物館です(苦笑)
軍用車両も好きな私ですが、このクルマについては全く知りませんでした。一見すると第二次大戦中のドイツで使用されていた水陸両用の軍用車両であるシュビム・ワーゲンに似ていますが、これは1955年にPORSHCEが製造した597Jagd Wagenというクルマです。予定より製造コストが嵩み(苦笑)、正式採用されなかったのがいかにもポルシェらしいですが、そんなマニアックなクルマがポンと置いてあるところがこれからの展示物の凄さを予感させてくれます。
その隣は同じくPORSCHEの356Aですが、ただの356ではありません。Carrera GSと名づけられたハイパフォーマンスモデルです。
続けてPORSCHEですがこれは550Spiderというモデルで、あのジェームス・ディーンがこのクルマで事故死したことで不本意ながら有名になったクルマです。しかもこの個体はそのジェームス・ディーンの愛車と同時にアメリカに輸入された個体で、本来ならば彼とともに仲間がレースに出場する予定だったクルマだそうです。
SHELBY Cobra 427SCというCobraの中でも最もアグレッシヴなモデルです。このクルマのオーナーによると乗るためには筋トレが必要で、ヘッドレストのないシートでは特に首を鍛えなければムチウチのように傷めてしまうそうです(苦笑)
いよいよ大好きなオカズとなってきました。ABARTHの2000Sport Spiderです。イベントでもたまに見かけることがありますが、ABARTHらしからぬデザインがあまり好きではなかったのですが、実際に間近で見るとやはりそれはABARTHで、その意外にコンパクトなボディサイズが好ましく、認識を改めさせられてしまいました。
こちらは以前から好きなABARTH 1000SPです。コンパクトなボディと高回転まで回るエンジンで大排気量のライバルを追い回すというABARTHの王道を演じることができるクルマです。
ル・マン24時間レースに出場するために製作されたABARTH Record Monza LMというクルマです。これもABARTHのエッセンスが詰まったクルマです。
可愛らしい外観に似合わない迫力ある排気音とその高性能のギャップがABARTH好きにはたまらない魅力 なのでしょう。
ここまで来て、すでにお腹いっぱい状態なのですが、
「デザートは別腹」ならぬ「アルファ・ロメオは別腹」 で、気を引き締めていよいよ目指すアルファ・ロメオです。
もはや説明の必要のないGiulia TZ1です。この四国博物館には以前TZ2が所蔵されており、それは日本に一台だけであったのですが、残念なことに今は売却されてしまいました。それでもこのTZ1は充分に美しく、しばし見とれてしまいました。
その隣に鎮座しているのはGiulia 1300GTA Juniorのグループ5レーシングです。当時のセミワークスであったMONZEGLIOによってチューニングされたチャンピオンマシンで、チームカラーであった黄色に塗られたこのクルマは、昔カーグラフィックで特集されていたので日本でも有名になった個体です。
ここまで来てデザートでもお腹一杯になりましたので、ちょっと休憩させていただいてまた続きをご紹介したいと思います。
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午前中はのんびりと公園を散策し、いよいよ四国自動車博物館へのツーリングの集合場所である高速道路のSAへ向かったのですが、高松自動車道はクルマもまばらで、しかも全体的にアベレージスピードが速いのには驚きました。一般車にブチ抜かれながらようやく指定されたSAに到着すると、すでに殆どの参加車が集まっていました。
それにしても皆さんがこのブログを愛読して頂いているのには本当に驚きます。
初めてお目にかかる方からも、「いつも楽しく読ませてもらってます」と声をかけていただけると、ブログというメディアの威力の前に恐縮することしきりです。 しかし、挨拶もそこそこに皆さんが緑スパの修理したての左ドアを観察されるのには苦笑してしまいました。皆さんにとって、この緑スパはすでにアイドルのような存在となっているのかも知れません。
「ヒトゴトとは思えないんですよね」と言っていただけると、これからも様々な地獄?をお届けせねば・・・というヘンな使命感が湧いてきます(笑)
今回のツーリングにはアルファ164オーナーズクラブからも2台のアルファ164が参加していたのですが、
そこだけ見ているとオーナーズクラブのツーリングか?と勘違いしてしまいそうになります。 気を取り直して参加される方のクルマを見ると・・・、
なんと、アルファ33です。希少車にして立派な?地獄クルマなのですが、この個体は素晴らしいコンディションでした。アルファスッドの流れを汲む水平対向4気筒エンジンを搭載するアルファ・ロメオですが、最終モデルのこれはフェイスリフトの効果もあり立派に見えます。リアの一本線のガーニッシュはアルファ164のデザインが好評だったために採用されたデザインで、
この時代のアルファ・ロメオのリアビューの共通点 です。
滅多に見ることのないアルファ75 Turbo Evoluzioneです。インタークーラー付きのターボチャージャーを装備したハイパフォーマンスモデルですが、ホモロゲーション取得のためにターボ係数を考慮して1.8Lに排気量をダウンさせて限定生産されたモデルです。その外観はエアロパーツで武装され、
アルファ75のオーナーにとっては、愛車のモディファイのお手本となったスタイリング なのですが、ノーマルのアルファ75以上に部品の入手が困難でコンディションを維持するには大変な苦労を伴うクルマです。
こんな仲間たちと出かけるツーリングは期待満々なのですが、一方で恐らくこの中で一番巡航速度が遅いであろう緑スパと、それまでの一般車のアベレージスピードを考えると不安になってしまったのも確かです。しかも緑スパにはNAVIの装備がなく、連れて行ってもらう・・・つもりでいた私たちは四国博物館が高知にあること程度しか知りません(苦笑)
引率して頂けたAROC KagawaのSさんからどの程度のスピードで走りましょうか?と尋ねられたので、安心して「110km程度でお願いします。」と答えてツーリングはスタートしました。
しかし、一旦スタートしてしまえば隊列が整っていたのは最初だけで、高知自動車道に合流するころには110kmどころのスピードではなくなってしまいました(笑)
それもそのはずで、高知自動車道は四国山脈を横断する道路でトンネルの連続なのですが、
アルファ・ロメオのオーナーにとってはトンネルで排気音を楽しむのは常道? で、すぐに爆音大会が始まってしまいました。オープンで走行している私たちは後ろからブチ抜いていく各車の爆音をナマで楽しませてもらったのですが、特にアルファ75Evoのは強烈で、当時のETC(ヨーロッパ・ツーリングカー選手権)のドライバーの気分を味わうことができました。
しかし喜んでばかりもいられません。道を知らない私たちは必死で着いていくしかありません(苦笑)し、しかも同乗者はトンネルが大の苦手ときています。
いくら同じアルファ・ロメオと言えども、これだけ異なった車種が同じスピードで走るのは、さながら異種格闘技の様 で、軽量級の私たちにとっては苦しい戦いを強いられることとなってしまいました。
結局残ったのはアルファ164オーナーズクラブのメンバーで、きっと気を遣って私たちのペースに合わせてくれたのでしょう。最後はアルファ164に挟まれての走行となってしまいました。
先頭のアルファ164のNAVIに導かれてたどり着いた四国自動車博物館にはすでに皆さんが先着していました。
駐車場が一杯だったために私たちは特等席である博物館前に路上駐車していよいよ念願の博物館へ入場です。
そしてそこには予想以上のすばらしい光景が広がっていたのです。
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宿泊したホテルはイベントの会場の隣という好立地の
全日空ホテルクレメント高松 で、ここは主催者の一人でありアルファ164オーナーズクラブのメンバーであるMさんが手配してくれたホテルでした。Mさんは旅行代理店に勤務しているため、今回のイベントでは各企業に協賛をお願いしたり、遠方から来る私たちのような参加者の宿泊手配など大変なご苦労をされていました。
そして、そのホテルが用意してくれた部屋は客室最上階のオーシャンビューの部屋で、その部屋からの眺めは本当に最高でした。眼下には自分たちが乗ってきたフェリーが見え、彼方には高松のシンボルでもある屋島が見えます。ちょうど屋根の形をしているため屋島と呼ばれるのですが、時間があればここも訪れてみたい場所です。
夕食はホテルのフロントで予約してもらった地元のお寿司屋さんに行ったのですが、あまりの空腹で写真を撮るのを忘れてしまいました(苦笑)。
高松に限らず瀬戸内海に面した場所は魚が美味しく、ご主人のお奨めのまま地魚をメインに頂いたのですが、その味は絶品であるだけでなく、お値段もリーズナブルで大満足の夕食でした。
一夜明けると昨日の豪雨がウソのような晴天でした。今回のイベントではイベント当日だけでなく遠方から来る参加者のために、前日にオプションイベントが企画されていました。
当日の準備だけでも大変なのに、わざわざ時間を割いてこういった企画をしていただけるのは本当に有難く、 私たちも午後からの四国自動車博物館へのツーリングに参加することにしたのですが、午前中の讃岐うどん食べ歩きツアーに参加しなかったのにはワケがありました。
私の父は出身が高松で、実家の家業は漆塗りの名家でした。残念なことに父も私たち兄弟も後を継がず、漆塗りは途絶えてしまうところだったのですが、職人として勤めてくれていた方に名前を使ってもらうことにより、現在も途絶えることなく引き継がれているのです。
その漆塗りの技法は独特で、漆塗りの世界では有名なのだそうですが、漆そのものの配合は門外不出で、実際に塗っている職人にも明かされず、漆が無くなると主人が奥の間で配合して渡していたそうですから、現在作られているものはその伝統の配合ではなく、見よう見まねで作られた厳密に言うとオリジナルではないのだと、すでに他界した祖母は生前に言っていました。
午前中は、その漆塗りの創始者である私のご先祖さまの作品が展示してある栗林公園を訪れることにしました。
栗林公園は高松市内の中心にある公園で、その起源は天正時代(1572年~1593年)に遡る由緒ある庭園です。その後歴代の藩主によって造園が繰り返され現代の形となっているのですが、背景の紫雲山を借景として大小の池を作り、自然と調和した日本庭園の典型とも言える場所です。
桜の開花には少し早く、一方で梅の時期は終わってしまっていたために少し寂しい庭園でしたが、ところどころに咲く彼岸桜は満開で、その桜色が緑に映えて美しく感じられました。
それにしても天気は最高だったのですが、連休の中日にも関わらず訪れる観光客も少なく、おかげでのんびりと散策を楽しむことができました。
目指す民芸館は栗林公園の中にあり、公園の入場料さえ払って中に入れば入場無料というのが嬉しい配慮です(笑)
中に入ると、ご先祖さまの作品は一番目立つ場所に展示してありました。
この漆塗りは使うほどに朱の色が増すために、展示してあるものはまだこれから・・・といった色合いでした。確かに料亭などで永年使用されていたものは鮮やかな朱色となり、風合いが素晴らしいのですが、ずっと使わずに展示されていたために、その本来の狙いであった使い込まれた末の朱色が出ていなかったのが少し残念でした。
館内の販売店では現在製作されているものが販売されていましたが、そのお値段は・・・結構なもので、残念ながら手が出ませんでした(苦笑)。
素晴らしい晴天に午後からのツーリングに期待を膨らませながら栗林公園を後にした私たちは、いよいよ集合場所である高速道路のSAに向かいました。
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いくら製造品質が飛躍的に向上した916Spiderも製造から12年が経過するとイロイロと不具合が出てくるものです。
特に電気系統はそれが「見えない」こともあり、原因の特定がしにくい部分で、その症状から推察するしかなく、最も悩ましいトラブルだと思います。
今回、発症したのはターンシグナルで右ウインカーが点かなくなってしまいました。通常は電球切れか?と思うのが自然ですが、電球が切れた場合はインパネの矢印マークが早く点滅するのですぐに電球切れだと分かります。しかし、今回はインパネの矢印マークそのものが点灯しなくなってしまったのです。外から確認してもやはりウインカーは点いていませんし、ハザードスイッチを入れるとちゃんと右側も点灯しますので、どうやらコラムスイッチ辺りではないか?と想像できました。
このコラムスイッチは左のウインカー/ライトスイッチと右のワイパースイッチが一体となっており、部品として取ると結構なお値段してしまいます。しかもその構造は複雑であるにもかかわらず、そのギアなどの可動部は樹脂性ですので耐久性に疑問符がついてしまうシロモノです。
しかし、重要保安部品ですし、
点かないまま乗っていると手信号を出さねば整備不良として違反になってしまう ので、泣く泣く?交換することにしました。
ちなみに道路交通法では右左折時や停止時に信号を出すことになっているだけで、手信号でもそれは信号として有効です。運転席と反対側に曲がる際には腕を窓から出して直角に曲げ、運転席側に曲がる際には水平に出すのがルールで、停止するときには手の平を後ろに向けて出せば、それが停止信号として有効なのだそうですが、周囲のドライバーにその信号の意味が分からなければいくら有効と言っても実効はありませんので、危険なことに変わりはありません。しかし、ちゃんと手信号を出していれば整備不良とはなりませんので、もし警官に捕まったら「丁寧に」教えてあげましょう(笑)
コラムスイッチの交換は当たり前ながらステアリングを外さなければなりません。
エアバッグを外し、ステアリングを抜くのですが、これがちょっとやそっとでは抜けてくれません。まぁ走行中に抜けるとタイヘンですので簡単には抜けないのは当たり前なのですが、アルファ・ロメオの工場を出てから一度も抜いたことがない(であろう)ステアリングは左右にゆすった程度ではビクともしません。
仕方なくプーラーという工具の登場となるのですが、たまたま主治医のところには適当なものがなく、有り合わせの道具でプーラー代わりにすることとなりました。この辺りも経験と工夫でなんとかしてしまうのは本当に有難いことです。
やっとのことでステアリングが抜けるとあとは簡単で、パチパチとソケットを外し、コラムスイッチユニットを取り替えて作業は完了です。
本来ならば、一度エアバッグを外していますので、エアバッグの異常を知らせる警告灯が点灯するハズで、コンピュータのリセットをしなければならないのですが、どういうワケか警告灯が点灯しません(苦笑)
これも何かの異常でしょうが、警告灯が点かないことを良いことに放置することにしました。まぁ以前のアルファ164Q4も異常でもないのに点灯する警告灯がウザいので、インパネの電球を外してしまっていましたので、精神衛生上はこのほうがずっと良いことです(笑)
実際、
エアバッグの品質保持期限は10年 で、本来ならば10年経つと作動保証はなくなるのだそうです。律儀に交換している方はまずいないでしょうが、エアバッグが普及し始めてから10年以上が経ちますので、心配な方はマニュアルの記載をチェックして見ることをオススメします。
かくして、新しいコラムスイッチに交換が終わりました。操作上の変化は新品なので動きが渋いことと、スイッチ部分の印刷が綺麗なので気持ちの良いこと位なのですが、交換で問題が解決したか・・・と言うと、実は相変わらず症状が出るのです(泣)
どうやらコラムスイッチではなく別のトコロに原因があるようです。
これだから電気部品は困ります(泣)。 クリック↓お願いします!
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最新モデルのフェラーリはともかく、90年代以前のフェラーリは新車であってもやはり「それなり」の地獄が味わえるクルマでした。
それはフェラーリがフツーの自動車としてその製造品質を他車と比べられるクルマではなく、
この世で唯一無二のクルマとして認知されていたから ではないかと思います。事実、フェラーリは他のフェラーリと比べられることはあっても、他のブランドと比較して購入を検討するクルマではなく、
ただフェラーリを買うという欲求のままに買うクルマ でした。
もちろんフェラーリの属するエキゾチックカー(スーパーカー)の市場にはポルシェ、ランボルギーニ、マゼラーティ、アストン・マーティンといった名門が名を連ねていましたが、それぞれの客層は異なっており、決して交わることはなかったのです。
本日ご紹介するのは旧き良き時代のフェラーリの最後のモデルと言ってよい、308/328系のV8フェラーリです。
308は1975年にパリ・サロンで発表されたのですが、1973年のパリ・サロンにて先行してデビューした2+2クーペの「ディーノ308GT4」をベースとした2シーターのミッドシップ・スポーツカーとしてデビューしました。先行したディーノGT4がベルトーネデザインであったのに対して、新しい308は美しいラインを持つクーペで、そのスタイリングは、フェラーリとの間柄は「鉄板」のピニンファリーナの手によるものでした。チーフデザイナーはレオナルド・フィオラバンティ(後にに328、288、F40なども担当)で、その美しいボディデザインは不朽だと思います。
初期のモデルはイタリアの労働ストライキの影響で、当初の計画であったスチールボディが間に合わず、応急的にFRPで作成されたのですが、その品質は劣悪で、スチールボディの準備が整うとともに廃止されました。
一説では軽量化を目指してFRPにしたものの、その生産性の悪さを嫌って後にスチール化されたように書かれていますが、実態は逆で、事実FRPボディだからと言って格別軽量化できていたわけではありませんでしたから、やはりこれは緊急避難的措置と見るべきでしょう。
当初はGTB(Berlinetta)と呼ばれるクーペボディでスタートした308ですが、このテのクルマの最大の市場である北米からの要求はオープン化で、1977年には今回ご紹介する(GTSSpider)と呼ばれるデタッチャブルトップを持つモデルが発表されます。
パワーユニットは2.926ccのV8 DOHCで、車名の「308」はこの排気量約3000cc8気筒エンジンを搭載していることに由来しています。フェラーリの車名は250GTOのように一気筒当たりの排気量で表わすのが普通だったのですが、それはフェラーリと名の付くクルマのエンジンが全て12気筒エンジンであった時代のハナシで、308のデビューに際してその表記方法では意味を成さなくなってしまったのです。
デビュー当初の2バルブモデルはウェーバー社製キャブレターを搭載し、最高出力255PS/7.000rpm、最大トルク30.0kg·m/5.000rpmを発揮していましたが、車両重量が1tに対しては必要充分で、格別に速いわけではありませんでしたが、何とかその外観に見合った性能は発揮していました。
一方で、年々厳しくなる排気ガス規制に対応するため、1981年には燃料供給装置をキャブレター式からインジェクション式に変更されるのですが、翌1982年にはエンジンヘッドを4バルブ化したモデル「クワトロバルボーレ」(意味はイタリア語で4バルブ)に進化し、1985年にフェラーリ328にバージョンアップし、308シリーズは10年に亘る生産を終了しました。
今回の取材車はたった1年だけ製造された2バルブヘッドを持つインジェクションモデルである308GTSiです。
その豪快さと引き換えに、セッティングが大変な4キャブレターに換えて扱いやすいインジェクションを装備し、しかもその外観はスリークな美しさを持つ308GTB/GTSiはたった1年というその生産年数から希少車と言えるのですが、今となっては
308/328の「良いとこ取り」のモデル と言って良いでしょう。
この個体は北米仕様で外観上の最大の違いはマフラーのアンダーカバーです。
ヨーロッパ仕様にはこのカバーがなくクリーンなリアスタイルであるのに比べて、北米仕様はこのスリットが入ったカバーが付くのが特徴です。日本に生存する多くの308がこのアンダーカバーを嫌ってヨーロッパ仕様に戻されているのですが、個人的にはどちらでも良いような気がします(苦笑)
室内は旧き良きフェラーリの色香が残っています。独立したメーターナセルの中にコンパクトに押し込められたメーター類は視認性が良く、私のサイズでは乗降に少し苦しいものがあるものの、一度乗ってしまえば思いのほか快適な室内は、
現代の基準からするとコンパクトな308の美点 でもあります。
もう一つの室内のハイライトはこのサイドコンソールのトグルスイッチで、328では普通のキャラメルスイッチ(四角い樹脂性)になってしまっていますが、このクラッシックなスイッチの方がずっと素敵だと思います。
絶対やってはいけないのがホイールのインチアップで、このホイールサイズが308のスタイリングにベストマッチだと思いますが、一方でタイヤの入手が困難で、定期的に再生産されているもののミシュランのTRXは高価なため、やむを得ず328用のホイールに履き替える例も多いと聞きます。
最近は価格が暴落したと言われる308ですが、むしろようやく正当な値段になったと言うべきでしょう。しかし、それでもフェラーリはフェラーリでその維持には資金力だけでなく、不調を見抜き適切な処置を行う経験と知識が必要となります。加えて同年代の他車に比べると遥かに恵まれた部品供給事情ではあるのですが、やはり一部の部品では入手に苦労するものも出てきています。
フェラーリ308はちっともスーパーカーなどではなく、
ハンドリングが素直で、エンジンパワーに見合った足回りを持つ至極真っ当なクルマ だと思います。
フェラーリが昔のような少数手作りで生産していた時代の設計思想のまま、それまでに経験したこともないような途方もない大量生産を初めて行ったのがこの308シリーズで、いかに大量生産と言えども、良くも悪くもそこにはまだフェラーリのかつての伝統である「フェラーリ基準でのクルマ造り」が残っていると思います。
その最後の伝統を味わうことの出来る308は性能ではなく、
それが12気筒エンジンを搭載していなくても間違いなくフェラーリであることと、その抱きしめたくなるスタイリングだけで、持ち続ける価値のあるクルマではないでしょうか。 前回のES30ともども最後はオブジェとなっても残したいクルマだと思います。
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先日のブログに記事を書いてから、8C Competizioneが俄然気になってしまいました。
そして、居ても立ってもいられなくなり、結局買うことにしたのが・・・この1/24のミニチュアモデルでした。
そこでホンモノを買うことができないのがいかにも小市民なのですが、それでも多少の理性はあり、1/18という大スケールには手を出しませんでしたから、我ながらオトナになったものだと思います(笑)
この8C Cometizioneは久々のアルファ・ロメオのフラッグシップクーペであることもあり、随分と各社がミニチュアモデル化しています。それは大人のコレクターの鑑賞に堪えるものから、子供のオモチャ、ひいては子供の乗るペダルカーに至るまで多様で、そのことからもこのクルマが誰もが「格好良い」と思うスタイリングであることが分かります。特に子供向けのオモチャとして製品化するには、子供がひと目見て「格好良い」と思うことが重要で、ヒストリーがどうのとか、ブランドがどうのとかマニアの薀蓄の入り込む余地はないのです。
そう言った意味で、例えこれがアルファ・ロメオでなくても格好良いと言える8C Cometizioneなのですが、どういうワケか今までそのミニチュアモデルを積極的に買うことはありませんでした。
これまで私が持っている唯一のものはAlfaromeo Sport Collectionでモデル化されたもので、これは選んで買うというよりシリーズの中に含まれているために半ば意地で買っていたものですので、どうにも買ったという実感がありません(苦笑)
ミニチュアモデルそのものの出来栄えは「可もなし不可もなし」といったところで、どこからどう見ても8C Cometizione以外には見えませんので、コレクションの中の1台としては合格だと思います。
一方で今回購入したミニチュアモデルはそのスケールが1/24という大きいものです。このスケールはプラスチックモデルでは定番のスケールなのですが、完成品のミニチュアモデルではあまり一般的ではないスケールです。
確かに自分で組み立てる分には手ごろなサイズなのですが、コレクションするには少々嵩張り、一方で精密な再現は1/18スケールには敵わないといった問題から、従来はオモチャっぽいものしかなかったのですが、最近はそれでも鑑賞に堪えるモデルが発売されるようになりました。
この
Motorama というイタリアのオモチャブランドの8C Competizioneもそのお値段からすると大健闘で、ボンネット、ドア、リアハッチなどが可動で、内部もそれなりに再現されています。
特に印象が良いのはホイールから覗くブレーキディスクの再現で、ミニチュアモデルは不思議なことにこの足回りがちゃんとしているだけでモデル全体が締まって見えるのです。
室内やエンジンルームはプラスチックモデルと比べると今一歩ではありますが、それでも塗装でうまく誤魔化しながらちゃんと「らしく」再現されています。
エンジンルームも上げ底ながら、特徴的なインテークを表現しているところは、所詮子供のオモチャ・・・と侮れません。
リアハッチも可動となっており、その合わせも合格だと思います。まぁ開けて見るほどのトコロではないのですが、そこはやはり開くと開かないでは気分が違います(笑)
室内は大健闘でしょう。シートの塗り分けといい、センターコンソールの独特の形状といい、うまく表現していると思います。
1/24スケールということから、バラしてディテールアップとかタイヤやホイールを外して、プラスチックモデルに流用とか考えるのは無粋で、
これはこれで素直にコレクションしておくのが順当 ではないでしょうか。
それにしても最近のミニチュアモデルはそのクオリティと価格からすると、本当にオソロシイことになっています。
以前はハンドメイドで5万円以上したクオリティのものが1万円前後で手に入りますし、レジンキットでしかないようなマニアックな車種がダイキャストモデルで発売されたりしていますので、コレクターにとっては嬉しい環境ではあるのですが、一方で私のような天邪鬼なコレクターは精密なミニチュアには少し飽きてきてしまいました。
そういう意味でもこの8C Competizioneのようにあくまでオモチャの範囲を超えない中で、一生懸命頑張っているミニチュアを見るとホッとします。
ちょっとこのテのミニチュアにはまってしまいそうです(苦笑)
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最近の新車販売台数の中でマニュアルミッション車の割合は壊滅的に少なくなってしまいました。というか、マニュアルミッションの設定そのものがない車種も多く、仮にあったとしても受注生産で納期がかかるのは当たり前といった状況です。
私の学生時代は男子はマニュアルミッション(かき回しと呼ばれてました)に乗るのが当たり前で、
オートマチックトランスミッション(AT)に乗っていると軟弱者扱いされた ものですが、今や時代は変わり、マニュアルミッション車に乗っているほうが変人扱いされてしまうのは、上記の販売台数を見ると当たり前なのかもしれません。
ではマニュアルミッションはスポーツドライバーのみのモノか?と言うとそんなことはなく、実際にアルファチャレンジの出場車の中では、セレスピードの方がタイムが良い場合もあるそうですから、最近のATは充分スポーツドライビングが楽しめるだけでなく、実際に「速い」ということなのでしょう。
アルファ・ロメオを始めとするヨーロッパ車に関して言えば、このトレンドはかなり遅れており、AT車はハンディキャップのあるドライバーのためのものという意識が強く、なかなかAT車が普及しなかったそうですが、最近は販売台数も増え、コスト増を嫌うコンパクトカーでもAT車が増えてきたことからも、もはやAT車を毛嫌いする理由はないのかも知れません。
かく言う私も、
アルファ・ロメオをATで運転して何が面白い? と思っていたクチで(苦笑)、ATの設定がなく、日本で販売に苦戦していた頃のアルファ・ロメオの見識?に拍手喝采をしていたのですが、間もなく、115Spider Sr.4にATが設定され、それが女性に売れ始めた頃、当時のディーラーの担当者からは随分ボヤかれたものです。
当時のアルファ・ロメオに限らず、ヨーロッパ車のATはZF製が主流だったのですが、このATはデリケートで、まだ前にクルマが動いているのにR(リバース)ポジションに入れたりするとすぐに壊れてしまったものです。しかし、日本車のATに慣れた女性ドライバーが新車で購入したATのSpiderはこういったムリな操作に加えて、日本車では当たり前のステアリングの据え切りを多用され、新車保証期間内に壊してしまう例が多発したのです。
当時の私は、そのディーラーの担当者と一緒になって、
「そもそもSpiderにATを載せるアルファ・ロメオが悪いっ」 と随分悪口を言ったものです。
そんな私の周囲でSpiderのATが繁殖するきっかけとなったのが、アルファ164オーナーズクラブのメンバーであり友人のT君が仲間内では初めてこのATのSpiderを買ったからなのですが、それまで「食わず嫌い」だったこのATのSpiderに試乗させてもらった仲間たちは皆、
「目から鱗」 状態となってしまったのです(苦笑)。
すでにATのSpiderの本質を見抜いていた彼は、そんな仲間の半信半疑の事前評価にも全く動じず、「いいから乗って見なよ」とキーを渡してニヤニヤしながら試乗から帰ってくる仲間を見ていたのです。
私自身はその当時、マニュアルミッションの同じSpider Sr.4に乗っていたのですが、試乗した彼のSpiderのほうが遥かに程度が良く、そのATもSpiderの楽しさを少しもスポイルしていなかったことに驚いてしまいました。
確かに、もともとがユルいボディのSpiderはマニュアルミッションで最適なギアを選び、タイムを削るような走り方ができるクルマではありませんでしたし、仮に出来たとしてもそれは少しも楽しくない走り方でした。
このSpiderは海沿いの道や高原を助手席の大切なヒトと一緒にヒラヒラと加重移動をさせながら、ノンビリと走るのが一番楽しいクルマですから、その走り方にはATのほうが適していたのです。
また、原始的な制御のATは現代のそれのような燃費を計算した難しいプログラミングによるギアチェンジをしませんから、床までアクセルを踏めばちゃんとキックダウンの後、珠玉のDOHCエンジンの一番オイシイ回転域を使って猛然と加速して行く(つもり)になれるのです。
その試乗以降、私の周囲にはATのSpiderが増えることになったのは自然なことでした。市場に出回っているSpiderもATのほうが程度が良かったことも要因ですが、むしろ
実際に乗って楽しくなければ、皆ATのSpiderは買わなかった でしょう。
メンテナンスも私のブログをお読みいただければお分かりの通り、最初にきちんと初期化してやるか、メンテナンスされた個体を買えば、大きな臨時出費はないでしょう。
ひとつ騙されたと思って乗って見るか・・・と考えている方に、T君が諸般の事情により手放すことを決めた、例のSpiderをご紹介したいと思います。
詳しくは
彼のブログ をご覧いただければと思いますが、115Spiderを探している方には検討する価値のある個体ではないかと思いますよ。
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工業製品は全てその機能を基にデザインされています。そこが芸術品とは大きく異なる点だと思うのですが、例え芸術品であったとしてそのモノに何らかの機能がある場合は、そのデザインが制限されてしまうのは止むを得ないことだと思います。例えば陶器を例にとれば、湯呑みのデザインがどんなに芸術的に優れていたとしても、お湯が注げなければ湯呑みとしては失格で、同時に芸術品としての価値も失ってしまうのではないでしょうか。
と、小難しいデザイン論はさておき、
工業製品の中でもデザインの自由度が高く、そのデザインの良し悪しが工業製品の価値に大きく影響を与えるものと、そうでないものがある と思います。
自動車は前者に属する最たるもので、単に機能だけでなくそのデザインの良し悪し(好き嫌い)が大きく売上に寄与するものの代表例だと思いますが、一方で日用品や小物はそのデザインの入り込む余地が少なく、ともすれば値段勝負となってしまい、デザインの良し悪しにより選択されることは難しいのではないでしょうか?
今回、そんな日用品のデザインにエンリコ・フミアさんは敢えてチャレンジしたのですが、その素材はユーティリティライターと呼ばれる汎用のトーチ型ライターで、世間で所謂「チャッカマン」と呼ばれているものです。残念ながらこの「チャッカマン」は登録商標で、全てのトーチ型ライターの総称ではありませんので、この商品は「ユーティリティライター」と呼ばれているようです。
よくもこのような製品にイタリアンデザインを導入したものだと思いますが、このメーカーである
東京パイプ は「チルチルミチル」という名前で有名な100円ライターの製造販売元で、社長さんがイタリアンデザイン好きということもあって、今回、エンリコ・フミアさんにデザインを依頼することになったのだそうです。
先日、フミアさんが来日した折にこの量産試作品を頂いたのですが、
デザインの入り込む余地が少ない中、他の同様の製品と少しでも差別化できるよう、厳しいコスト制約の中にあって随所に工夫が凝らされていました。 このようにちゃんとフミアさんのサインであるEFをデザイン化したマークも入っています。
フミアさんとは食事をしながら昨今の自動車産業の状態についてハナシをしたのですが、日本以上にイタリアは厳しく、自動車産業に元気がないのは「いずこも同じ」という状況のようでした。
しかし、そんな中にあってもちっともメゲていないのが彼の良いところで、今後のカーデザインについて彼の持論を聞く事ができました。
彼は、今後のデザインはシンプルなものに向かうだろうと予測していました。ハイブリッド、EV、燃料電池へ・・・とクルマはどんどんそのメカニズムが複雑になって行くのですが、一方でだからこそ、操作系を含めてクルマそのもののデザインはシンプルになるべきだと考えているようです。
それは単にコンパクトカーというだけでなく、複雑なメカニズムをシンプルに操作できるもっとユーザーフレンドリーなものになるべきだと、彼自身は考えています。そしてそれはスタイリングにも顕れるべきで、EVとステッカーを貼っただけの従来のガソリン自動車と同じスタイリングのクルマではなく、新しいスタイリングトレンドが必要になると熱く語っていたのが印象的でした。
実を言うと、彼自身が一番注目している自動車が日本の軽ワゴンで、あのパッケージングは素晴らしいと絶賛していました。事実、軽ワゴンのスケルトン画が手に入らないか・・・と頼まれたのですが、日本では当たり前に見かける商用バンのどのカタログを見てもそんな凝った画が載っているはずもなく、まだ約束を果たせずにいるのですが、意外に
彼が考える「シンプル」のヒントは日本のコンパクトカーに隠されている のかも知れません。
さて、このユーティリティライターですが、夏前には店頭に並ぶとのことですので、もし見かけることがあれば直接手にとって見てください。
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ようやく事故で入院していた緑スパの鈑金塗装が終わりました。
今回のようなダメージの場合、一般的にはドアを新品に交換してしまうのですが、最近は環境問題もあり、出来るだけ修復する方法が取られているそうです。
緑スパの場合はドアの部品なぞ出ないこともあり、当然のことながらコストのかかる鈑金を行ってもらったのですが、主治医経由で持ち込まれた鈑金工場は綿引自動車という、老舗中の老舗の工場でした。
この綿引自動車の技術力は抜きん出ており、実際に入庫する自動車もフェラーリなどは当たり前で、ABARTHやらJAGUAR D-typeなど
デリケートな曲線を持つ旧車のレストアが得意な工場 なのですが、当然のことながらそのお値段も技術に見合った結構なものだそうです。
実際に
保険会社は、綿引・・・と聞くと半泣きになる そうで、聞けば今回も主治医との間でこんなやりとりがあったそうです。
保険会社:「どうでしょう幾らくらいかかりますかね。なるべく安く上げて欲しいんですが・・・」
主治医:「あのね。綿引だよ。分かってるよね?そんないい加減な仕事を綿引がやると思う?」
保険会社:「そこを何とかお願いしてもらえませんかね」
主治医:「ムリだね。実際、Spiderのサイドラインはデリケートだからね。たとえオーナーが気がつかなくても、綿引は納得できるまで叩くよ~」
保険会社:「・・・・・」
かくして、ドアをはずし、ドア内張りを全部剥がし、手叩きでパネルラインを出す・・・という職人技の末にドアは完全に元に戻りました。と言うかその仕上がりは元以上と言って良いでしょう。
さらにダメージは左ドアだけでなくその前後のフェンダー部分にも及んでいました。
ドア前部分も少しですが、塗装の剥がれがあり、さらに後ろ側にも同様の剥がれがありました。
自分で起こした事故であればタッチアップで何とか修理してしまうような傷ですが、そんないい加減な作業を綿引がするはずはありません。この両端の塗装の剥がれを修復するために、左パネルを全塗装することとなりました。
このようにドアは完全に修復され下地塗装を行ってボディに取り付けられます。
リア部分のマスキングを見ればどこまで塗っているのかが良く分かります。ドアではなくリアパネルの傷のためにここまで塗装するのです。そしてさらにフロント部分はそのパネルの継ぎ目がないという理由で・・・、
なんと反対側のフロントフェンダーまで塗装することとなってしまいました。ここまでやってもらえると、追加料金を払って全塗装すべきだったのでは?と思ってしまいますが、そうなると右側に結構あるエクボ傷やヘコミを徹底的に修復してくれるでしょうから、その支払額が恐ろしいので、今回は事故修復に留めてもらいました。
聞けば、鈑金で一番難しいのは平面だそうです。確かにパテなどを全く使わずに手で叩いて平面を出すのは難しいとは思います。
一番難しいのが平面が多いトラックなどで、旧車の曲面パネルのほうがやりやすい・・・と事も無げに言うのは、
それがトラックであろうと歴史ある名車であろうと作業の手を抜かない職人の誇り なのでしょう。
加えて、バラしたついでに・・・と開け難かったドアノブの調整までして頂き、緑スパは復活しました。
こうなったら次回は右側に貰い事故を・・・(爆)
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以前のブログ記事 で、Spider用のドライビングジャケットとしてレザーのフライトジャケットが良いと書いたのですが、最近では街中でそのフライトジャケットを良く見かけるようになりました。定番はMA-1と呼ばれるフライトジャケットで、表生地がオリーブ色のナイロン製で、裏生地がオレンジ色のものなのですが、実際に着ているヒトはこれがフライトジャケットだとは知らずに着ているのかも知れません。
一方でB-3はカジュアルにモディファイされたものから、オリジナルに忠実なものまで様々な種類を見かけるのですが、どうしてもオリジナルに忠実なB-3には目が行ってしまいます。
私自身が着用しているのは、AVIREX社製のB-3なのですが、現在のAVIREX社はカジュアル指向になりかなりモディファイされてしまっているのに対して、1986年製のこれはオリジナルに忠実に製作されています。
シープスキンのB-3は重いのが欠点ですが、一旦カラダに馴染むと着心地も良く、何より防寒に優れていますので冬場は重宝しているのですが、街中で見かけることが多くなってくると、差別化したい・・・という気持ちが湧き上がって来ました。
以前から気になっていたモディファイがエンブレムで、この
B-3に限らず第二次世界大戦中のアメリカ陸軍航空隊のフライトジャケットにはエンブレムが片袖に付いているのが格好良い のです。
ところが、このエンブレムは刺繍やワッペンではなく、写真等で見るとまるで直接描いているのでは・・・と思うほど革に馴染んでいたので、一体どんなものだろうと調べて見ると、
MASH というお店が扱っていることが分かりました。このお店はマニアックで(笑)、このエンブレムを復刻再生産したようなのですが、早速取り寄せてみてその内容にさらにビックリしてしまいました。
購入した”貼り付け基本キット”なるものにはこれだけのお道具?がセットされており、詳細な説明書が添付されています。
そして、その説明を読むとこのMASHのコダワリがひしひしと伝わって来ましたので、その説明を引用してご紹介したいと思います。
「この"AAF Decal 革用・水転写式”は、US AAF(US ARMY AIR FORCE)において1943年に採用され、大戦を通じ、革製の飛行服、メカニックス衣料、グラブ、飛行帽、バッグと実に多くの革製品に使用された40s独特のデカールを忠実に再現、復刻した物であり、そのクラッシックな風合い、ヒビ割れ感等は現在一般に用いられている熱転写貼り付けタイプの物では到底表現し得ない味わい深さがあり、以前より多くの革飛行服好きの方々等より復刻の要望を頂いておりました。 21世紀の今日において、40年代時と同仕様のデカールを制作可能なメーカーは世界でも極めて少なく、その少ないメーカーの全面的な協力を得、完成したこのデカールの色調、描画線の正確な再現、プリント方式等、全てのディテールは必ずや皆様に満足頂ける極めて高いレベルにあると自負しております。 只、40年代 US AAFが使用した"AAF Decal 革用・水転写式”は本来、紙製品、金属製品、木工品等に使用されていた方式の物を戦時における緊急的な処置として、折り曲げ、曲げ伸ばしが繁多に生じる革衣料品の簡易マーキング目的に転用使用された物であり、その貼り付けに際しては、いささかの手間と時間 を要し、加え貼り付け後の強度に関しては、残念ながら早期の剥離等の欠点があることは使用に先立ちご理解頂かねばなりません。」 このように敢えて当時のままの材質や使用方法にコダワった復刻版に敬意を表して?私もその
「いささかの手間と時間」 をかけてみることにしました(笑)
まず最初に貼り付け位置を決めるのですが、袖上から1inch(約2.5cm)下が正式?だそうですので、そこに付属している型紙をテープで固定します。
さらに貼り付け面を付属のスポンジに水を含ませてあらかじめ拭いておきます。
そして貼り付け面に付属の接着剤を塗りこんで行くのですが、この接着剤はどうやら木工用ボンドと同質のものらしく、白い粘性のある接着剤で、乾くと透明になるタイプのものでしょう。
デカールはプラスチックモデルに付属しているものと同様で、水に浸して剥離させるタイプのものです。しかし、フィルムの厚みが結構あるために、おそらく割れやすいのではと思いますが、この辺が当時の技術の限界だったのでしょう。
貼り付けはプラスチックモデルと同様で、水に浸して台紙からスライドさせて貼り付けます。ただ、プラスチックと異なり、貼ってからの位置調整があまり出来ないため、慎重に型紙の中心に持っていかねばなりません。
しばらく放置するとだんだん乾いて来ました。確かに白色の接着剤が乾燥すると透明になるために、乾燥の度合いが分かりやすかったです。説明書に書いてある通り、完全に乾燥するまでには結構な時間がかかりますが、私の場合は表面がデコボコなシープスキンでしたので、密着させるためには仕方ないでしょう。
さらに、アイロンで密着させるのですが、ここでちょっと失敗してしまいました。
説明書には付属のリケイ紙をデカールの上におき、さらにハンカチを当ててからアイロンを動かさずに上から押さえるように・・・と指示されていたのですが、
リケイ紙からアイロンがはみ出るとその跡がついてしまう・・・ という注意を読み忘れてしまったのです。
アイロン処理の後には、付属のコーティング剤を塗り、ドライヤーで乾燥させるのですが、写真のようにアイロンの跡がついてしまいました。
それでも、最後に保湿クリームを塗ると目立たなくなりましたので、なんとか誤魔化せそうです。
二度のコーティングの後にこのデカールはちゃんと革に密着しました。出来上がりも写真で見た当時のものと全く同じに仕上げることができたのではないかと思います。発色が少し鮮やかすぎるのが気になりますが、これは使用しているうちに褪せて来るのであれば、風合いが出て自然な感じになるのではと思います。
貼り付け方を含めて相当実験を繰り返したであろうこのデカールは、その努力に報いるためにも
説明書を熟読してから作業する ことを強くオススメします。
それにしても戦時に膨大な量の軍服にこんな面倒な作業を行っていたとすると、やはり当時のアメリカの物量戦略には恐れ入ります(苦笑)
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私が一番最初に115 Spider Sr.3を購入したときに当時の主治医からこう言われた経験があります。
「Spiderの幌は傘ですよ。雨の日に濡れると傘屋に文句を言うヒトはいないでしょ?」 それから私自身は115 Spiderを2台乗り継ぎ、916Spiderに行き着いたのですが、どんなに幌の対候性が良くなったとしても、雨の日に傘をさして出かけたくないのと同様に、Spiderで雨の日にドライブするのは気が重いものです。
それでも出かけることにしたのは、私が所属するClub the Spiderのツーリング企画が、「関東オフ会in三浦半島」と題して行われることになっていたからなのですが、事前の天気予報とは裏腹にどんよりと曇った今にも雨が降り出しそうな寒い朝に大黒PAに集合することとなりました。
その日は出だしからツイていませんでした。首都高に乗ろうとした入り口が点検のため閉鎖されており、やっと開いた一般の入り口でETCカードを抜いて係員に出したところ、精算された料金が割引になっていなかったために文句を言ったのですが、その係員は平然とETCゲートを通っていないからダメだと言うのです。
呆れてETCゲートは閉鎖になってるじゃないか・・・とさらに文句を言うと、もう一人の係員がすぐにその事情を察して、ちゃんともう一度カードを受け取って割引扱いにしてくれました。ところが当の係員は私に向かってカードを返す際にまた同じことを繰り返して、「本来ならばできない・・・」と繰り返したので、さすがに温厚な私もクルマを降りて、私より遥かに年上の係員に理を説かねばなりませんでした(苦笑)
状況を見ずにマニュアル通りの受け答えしかできないのは本当に困りもの で、久しぶりに熱くなってしまいました。
さらに、その日はなんとレインボーブリッジが閉鎖される・・・という異常事態で(苦笑)、目指す大黒PAには遠回りをしなければなりませんでした。
それでも早朝の首都高はガラガラで、約束の時間より早く到着することができたのですが、久しぶりに訪れた日曜朝の大黒PAは不景気などどこ吹く風・・・といった状況です。
フェラーリなぞは最早、当たり前の景色で有り難味も珍しさもないのが日曜朝の大黒PAの特徴なのですが、ど肝を抜かれたのが、マクラーレンSLRでした。
これは流石に人だかりが出来ていました。それにしてもお値段約6000万円と言われるクルマが平然と駐車しているのですから、まだまだ日本は安泰です(苦笑)
そうこうしている内に仲間達が集まってきました。総勢20台という大所帯は圧観ではありますが、
私たちのクルマを全部足しても、そのお値段はあのマクラーレンSLR1台に遠く及ばない 現実には忸怩たる思いがあります(苦笑)。でも、負け惜しみではなく、じゃあ欲しいか?と自問すると、ちっとも欲しいと思わない自分に気がつくのです。
本当にこのテのクルマは見てるに限ります。
天気は回復する様子もなく、雨脚はどんどん強くなってきました。立っているだけでも寒く、早々に意を決して出発したのですが、やはり横浜横須賀道路も雨です。
20台近い916Spiderの編隊走行は結構目立つもので、クルージングスピードは抑え目でも割り込んでくるクルマはありません。
そして、最初の目的地は三崎口から国道を折れて海岸へ入っていったところにある、ビーチサイドレストランでした。
恐らく、知らなければ絶対辿りつけないであろうという場所にあるこのレストランは最高のロケーションではあるのですが、恨むべくはその天候で、もし晴れた日であったなら・・・と本当に残念でした。
こうしたツーリングで一番困ってしまうのが駐車場で、まとまった台数を収容できる施設はそうそうあるものではないのです。幹事さんはよくこんな場所を見つけてきたものです。
残念ながら、レストラン前の駐車場はすぐにいっぱいになってしまうため、私たちは特別に用意していただいた海岸沿いの空き地に駐車することとなったのですが、雨のために道がドロドロで、折角、皆洗車をして綺麗にして来たのにクルマは耕運機状態となってしまい残念でした。
もちろんレストランは貸切状態となったのですが、今回は初めて参加する方もいらっしゃり、最初はぎこちなさが目に付きましたが、食事が終わる頃には打ち解けてようやくオーナーズクラブらしく?なってきました。
私が事前にチョイスしておいた名物料理?のマグロの尾の身ステーキです。このメニューならば当然ビールなのですが、最近はノンアルコールビールが用意されている店が増えたので助かります。
のんびりと食事を終えた一行は次なる目的地である横須賀美術館を目指して出発したのですが、何とか集合写真を撮りたいとの思いから、その途中で畑の中にクルマを停めることにしました。
しかし、残念ながらあまりの寒さと絵面の悪さから(笑)、早々に撤退を余儀なくされてしまいました。
横須賀美術館に着いても雨は止まず、結局一度もトップを開けることのないSpiderのツーリングとなってしまいましたが、仲間と走るその道中は天候に関係なく楽しいものでした。
ツーリングイベントの成功の8割はその日の天候で決まる ものですが、今回のルートもロケーションも素晴らしかっただけに、本当にこの天候が恨まれる一日でした。
でも、一番悔しがっていたのは幹事さんだと思いますので、次回のリベンジに期待しましょう(笑)
そうそう。昼食時にハナシが出た、
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予定を変更して速報をお届けしたいと思います。
どーでしょう?いよいよ日本の公道を走る8Cが出始めるようです。
この写真は都内某所で納車最終整備を行っているところです。主治医が偶然遭遇して撮影したものなのですが、携帯電話のカメラで撮影したものですので、画像が荒れていて申し訳ありません。決して興奮で手が震えていたワケではないと思います(笑)。
スタイリングに未来への提言がない・・・とか、もっと現実的な値段で・・・とかイロイロと文句もあるでしょうが、
誰がナンと言おうと素直に格好良いアルファ・ロメオは本当に久しぶり ではないでしょうか。
どうやら日本へはアルファ・ロメオによって厳選?された正規ルートでのデリバリーだけでなく、早くも並行でも入って来るようですので、ひょっとしたら都内では見かけることが結構あるかも知れません。
地球温暖化の問題や化石燃料の問題も考え出したら、脳天気に喜んでばかりもいられないのかも知れませんが、その答えはフェラーリの公式コメント?に集約されているような気がします。
「我々が製造するエキゾチックカーは自動車全体の生産量からすると僅かであり、そのオーナーによる年間走行距離も他の自動車の平均走行距離に比較すると僅かなものである。従って我々の製造するクルマが環境に与える影響は微小である」 小難しいコメントですが、要は
「ちょっとくらい目くじら立てなくてもいーじゃんか・・・」 と言っているワケです(笑)
いかにもラテン系の発想ですが、おそらく皆が腹の底のどこかで思っていることではないでしょうか。
もちろんそれを正々堂々と公言するかどうかは別にして、自動車が「夢」でいられる数少ないジャンルですので、オーナーもそれを見る私たちも素直に楽しむことにしましょう。
主治医はエンジンも始動させてもらったそうなのですが、同型のエンジンを搭載するマゼラーティよりも甲高い音でどちらかと言うとフェラーリっぽい音だそうです。
この8Cには純粋にクルマが好きなエンジニアの夢が詰まっています。フェラーリですらマーケティングやらセグメントコンペティションやら小難しいことをアレコレ考えてクルマを造らなければならない時代にあって、自分たちが造りたいクルマを本当に素直に造ったらこーなった・・・というクルマがこの8Cではないでしょうか。
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テーマ:アルファロメオ - ジャンル:車・バイク