1900シリーズで量産車メーカーへ転換したアルファ・ロメオですが、1950年代にその転換は完全に完了したと言えます。
1952年 6C 3000 CM Spider はそのエンジンを戦前に設計された6気筒エンジンをベースにしてはいましたが、シャーシーやボディデザインは全く新しい過渡的なモデルでした。しかし一方でそれだけエンジンの設計が優れていたと言え、アルファ・ロメオは基本的にはエンジン屋であったことが窺えます。
1952年 1900 M-AR51 "Alfa Matta" は1900シリーズの変わりダネと言って良いモデルでした。古今東西でDOHCエンジンを搭載した軍用車両はありませんが、そのため軍用車両史に残る名(迷)車となっています。
1953年 1900 C52 Disco Volante Coupe は軽量化技術のためのスタディモデル的なものでしたが、そのデザインは後の多くのクルマに影響を与えたモデルでした。
1900シリーズは様々なカロッツェリアがボディをデザインし作られましたが、その中でも
1954年 1900 SSZ はザガートの軽量ボディが架装されたモデルで、最も性能の良いものでした。
従ってその高性能から多くのレースに出場し活躍したのもこの、
1954年1900SSZ (1955 Mille Miglia) でした。
1950年代半ばに発表されたGiuliettaはアルファ・ロメオの量産車メーカーへの転換を確実にしたモデルでした。後年のアルファ・ロメオに多大な影響を与えたのがこの
1956年 Giulietta Sprint Veloce です。
1956年 Giulietta Sprint Veloce (1960 Santo Stefano- Gambarie) 同時に発表されたSpiderもアルファ・ロメオの歴史に残る名車です。今尚愛され続け、一番多くの個体が残っているのがこのSpiderではないでしょうか。
1956年 Giulietta Spider Veloce Monoposto アルファ・ロメオが商用車にも力を入れていたことは意外に知られていません。
1956年 Romeo 2 はこれまたDOHCエンジンを搭載した「贅沢な」商用車でした。
Giuliettaも1900シリーズと同様に、複数のカロッツェリアがボディデザインを担当しました。
1957年 Giulietta Sprint Speciale はベルトーネが「公式に」デザインしたグランツーリスモでした。
Giuliettaは小改良を受けたため前期型と後期型に分類されます。
1959年 Giulietta Sprint Veloce は後期型で、この後に排気量がUPされGiuliaへと発展して行くことになります。
アルファ・ロメオはこうして戦後の黄金期に突入していきます。次回は1960年前半のご紹介です。
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ご存知のようにALFA ROMEO Sport Collectionは歴代のアルファ・ロメオのコンペティションモデルをミニチュア化してシリーズ化したものですが、その発売される順番は年代不同となっています。
コレクションの関係上、その発売順に紹介して来ましたが、改めて全シリーズを年代順に並べてみると、アルファ・ロメオが現代のフェラーリが足許にも及ばないほど、レースと共に発展してきたことが分かります。全ての年代においてアルファ・ロメオがレースシーンに登場しないことはなく、むしろレースをするためにクルマを作っていたのでは?と思わせるほどです。
改めてこのコレクションを年代別にご紹介してみたいと思います。まずは戦前のモデルから戦後の量産車メーカーへの転換までですが、既にご紹介したように戦前のアルファ・ロメオはさしずめ現代のアストン・マーチンやフェラーリのような少数生産の高級車メーカーでした。
レース仕様のクルマを製造し、ユーザーはレースに出場するためにそれを購入し、レースに勝てばそのスペックのままロードモデルを作るというスタイルで、当時のアルファ・ロメオは憧れのクルマだったのです。それは当時のクルマそのものの希少性からすると、想像を絶するものだったろうと思います。
まずは
1923年 RL Targa Florio です。
戦前のGPマシンの珠玉と言えば、この
1924年 P2 ではないでしょうか。
1931年 8C2300 Le Mans は名前の通りル・マン24時間レースに出場するために製作されたモデルです。
1932年 Tipo B "P3" は名車中の名車でしょう。
1938年 8C 2900B Le Mans は戦争の足音が近づく中で国家の威信をかけたモデルでもありました。
敗戦国イタリアで戦争の傷跡が癒えないにもかかわらず、
1950年 6C 2500 Villa d'Este のような高級車が発売されていたことは、同年の日本の状態を考えると驚異的だと思います。
同様にGPレースがこれほど早く再開されたのも驚異的ではないでしょうか。
1951年 Tipo159 "Alfetta" は同じく敗戦国のGPカーであるにも係らず大活躍したのです。それがイタリア国民にどれほど勇気を与えたか計り知れません。
戦後のアルファ・ロメオはこのモデルから始まったと言って良いでしょう。
1951年 1900T.I. (1954 Mille Miglia) は、アルファ・ロメオの量産車メーカーへの転換を成功させたモデルでした。
そして、アルファ・ロメオはちゃんとスポーツモデルも用意しました。
1951年 1900 Sprint は、戦後のイタリア国民の憧れのクルマとしてアルファ・ロメオへの期待を裏切らなかったのです。
1951年 1900 Sprint (Monza Coppa Intereuropa 1954) 次回は量産車メーカーとしてのアルファ・ロメオの初期の歩みをご紹介して行きたいと思います。
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「一体いつブログを書いてるのか?」とか「一体いつ仕事してるのか?」とか何かにつけて不思議がられている私ですが、それでもここ最近は本当に仕事が忙しく、なかなか落ち着いてブログを書く時間が取れませんでした(笑)
延ばし延ばしにしていたのですが、いよいよ本日ご紹介するGiuliettaでこのALFA ROMEO Sport Collectionも最後となりました。結局は全部で80台という壮大なシリーズとなってしまったのですが、飽きっぽいイタリア人の企画がよくもここまで続いたと感心しています。
そして、Giulia Sprint GTAで始まったこのシリーズの最後を一体どんなモデルが飾るのか?と思っていたところ、満を持して登場したのがちょっと拍子抜けするNuova Giuliettaと呼ばれる2代目のGiuliettaだったのですが、良く考えてみると
これには壮大な歴史の連鎖が仕込まれている のでは?と思います。
アルファ・ロメオにとってこのGiuliettaという名前は特別で、その由来はもちろんシェークスピアの戯曲であるあの「ロミオとジュリエット」なのですが、それは偶然から生まれたと言われています。
アルファ・ロメオのエンジニアたちがリストランテで食事をしながら次期モデルについて議論をしていたところ、偶然居合わせたご婦人が男性ばかりで食事をしていた彼らに向かって、アルファ・ロメオの「ロメオ」にかけて、
「まぁ。このテーブルにはロメオがこんなに沢山いるのに、ジュリエットは一人もいないのね」 と言ったことから、Giuliettaという名前が生まれたそうなのですが、初代のGiuliettaはご存知のとおり大ヒット作となり、そのネーミングの由来は次期のモデルであるGiulia(Giuliettaの姉)に引き継がれます。
恐らく、古今東西で
これほどまでに会社名との組み合わせでロマンチックな車名はない と思いますが、アルファ・ロメオ自身もそう思っているようで、この車名には相当な思い入れがあるようです。
初代のGiuliettaは、それが従来の1900シリーズより小さい1300ccのエンジンを搭載したモデルであったことから名付けられたのですから、再びGiuliettaという名前をつけるためには現行モデルよりもコンパクトな新型車種がふさわしく、確かに、この二代目は1977年11月に2000ccエンジンを搭載していたAlfettaとAlfasudとの間を埋めるモデルとして開発された1.6L(1570cc)エンジンを搭載したモデルでした。
しかし、この時期はアルファ・ロメオの経営はとても厳しく、新しくシャーシーを開発する余裕がなかったため、その上級車種であるAlfettaのシャーシレイアウトをそのまま流用するしかなく、その結果としてこの二代目のGiuliettaは、Alfettaと同じボディサイズに小さなエンジンを搭載した中途半端なモデルになってしまったのです。
それでもアルファ・ロメオが伝家の宝刀?であるGiuliettaという名前を与えたのは、それほどまでこのモデルのセールスに期待していたからに他なりません。
クルマとしてみたときには、この二代目Giuliettaは設計も新しく、それまでの品質的に劣る鋼板から、ようやく上質の亜鉛鋼板を使用したために錆に強く、Alfettaと同じトランスアクスルというレイアウトのため室内も広く、おまけにハイデッキ化されたリアのおかげでトランクルームも広大と、セダンとしては至極真っ当で、素晴らしい基本性能を備えていました。
また排気量もすぐにUPされ、1.8Lを経て2.0Lとなり結果としてAlfettaの後継モデルのような位置づけとなってしまったのですが、その設計品質を考えれば当然の結果であったと思います。
しかし、残念ながらこの二代目Guliettaが販売されていた頃の日本は、伊藤忠モーターがアルファ・ロメオの代理権を返上し、正規ディーラーが不在の時期であったため、日本に輸入されたGiuliettaはごく少数で、その結果として日本で生息するアルファ・ロメオの歴代モデルの中でも稀少車となってしまっているのが残念ですが、本国では1985年のアルファ75発表まで生産されたロングセラーモデルなのです。
では、GiuliettaはRomeoを救ったのか?と言うと、答えはイエスで、この二代目も日本でマイナーなだけで本国イタリアではそこそこのセールスを記録しているのですが、当時のアルファ・ロメオはその一車種が売れた程度では、経営状態が改善されるには至らなかったのです。
現在のアルファ・ロメオもアルファ159の販売に伸び悩み、苦しい経営状態と言えます。そして1977年当時と似ているのは、MiToというAlfasudにあたるモデルとAlfettaにあたるアルファ159との間を埋めるモデルがないことです。そしてやはり・・・三代目のGiuliettaという噂が聞こえて来るのは、
ロメオは苦しいときにはジュリエットが助けてくれると信じているからなのでしょうか。 付属するミニチュアモデルは1982年のモンツァ4時間レースに出場したものですが、あまりレーシングモディファイが似合うクルマではありませんので、ストリートモデルのほうが良かったと思います。
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「一体いつブログを書いてるの?」 という質問を良くされます。それは偏に私のブログの文章量と内容が、標準的な世間のブログなるものから逸脱しているからなのですが、実はご心配いただくほどは時間をかけてはいないのです(苦笑)
文章の書き方にはいろいろなスタイルがあると思いますが、私の場合は最初にアタマの中で全体の構成を決めてしまいます。特に最初、決めゼリフというか主題(オチ)を思い浮かべ、その主題を補強するための副主題を幾つか考えておき、全体の文章内での組み合わせをイメージしていきます。そして調査が必要な場合は資料をひっくり返し、最後に文章化するという作業手順ですので、実際に文章を書く時間はごく短いものなのです。そしてその文章を書くまでの作業は、調査を除けば食事をしながら・・・とかクルマを運転しながら・・・といった「ながら」作業ですので、他の生活時間に吸収されてしまいます。
1年間毎日更新という無謀な?ことができたのも、取り上げるテーマに事欠かなかったことに加えて、この「ながら作業」だったからこそですし、実際に数を重ねる毎に要領もどんどん良くなったように思います。
エンリコ・フミアさんとClub the Spiderのミーティングに参加したときに、フミアさんにお願いしたプレゼンテーションは大変興味深いものでした。
個人的には事前に内容を見る機会のないまま、通訳をしなければならなかったために大変な思いをしたのですが、本人も余程話したかったと見えて、「ちょっと訳させて!」とハナシを切らないと、通訳のための時間を割いてくれないほどの熱の入れようでした。
あまりに勿体無いプレゼンテーションでしたので、その一部でもご紹介したいと思い、プレゼンテーションの後の質疑応答の模様をご紹介したのが、
「フミアさんとの一問一答(前編)」 、
「フミアさんとの一問一答(中篇)」 、
「フミアさんとの一問一答(後編)」 です。
個人的にはこの最後の質疑応答の方が興味深く、なかなか面と向かって聞くチャンスはなかったこともあり、帰りのクルマの中でもその続きのハナシをしたことを思い出します。
オーナーズクラブについてはイベントの模様を記事にすることはあっても、その運営に関して記事にしたことはありませんでした。
前半の、
「二つのオーナーズクラブ」 と
「オーナーズクラブの目的」 では一般論としてのオーナーズクラブという団体の特徴について、そして後半の、
「オーナーズクラブの罠」 、
「私たちの選択」 、
「オーナーズクラブへの誘い」 でアルファ164オーナーズクラブの運営に携わった経験を書かせていただきました。
私自身にとってはクラブ運営の節目の時期でもあり、自らを振り返る良い機会となったと思います。
考えて見れば、アルファ164の最終モデルから10年、そして916Spiderも初期モデルは同じく10年選手になろうとしています。日本車だと10年前のクルマは恐ろしく古く感じるのですが、アルファ・ロメオに関して言えば、そのデザインの古さを感じることはありません。では、本当に10年前のアルファ・ロメオは買っても大丈夫なのか?というブログの読者の方からの質問をきっかけに書いたのが、
「10年前のアルファ・ロメオはどーなのよ?(その壱)」 、
「10年前のアルファ・ロメオはどーなのよ?(その弐)」 、
「10年前のアルファ・ロメオはどーなのよ?(その参)」 、
「10年前のアルファ・ロメオはどーなのよ?(その四)」 の四部作ですが、いまだにこの記事から問い合わせをいただくので、やはり初めてアルファ・ロメオの中古車を買われる方は心配なのでしょう(苦笑)
一番書くのが辛かったのが、アルファ164Q4を廃車にする決断をした記事でした。現在、読み返してもそのときの苦い思いが蘇ってきます。
「決断の時期(とき)」 と題したこの記事には、本当に多くの皆さんからの励ましや慰めのコメントをいただきました。この決断は今も正しかったと思っていますが、ようやく最近になってアルファ164も次のクルマの選択肢として考えることができるようになって来ました。
新車で国産車を乗り継いで来た方が、初めて中古のアルファ・ロメオを買った場合に気をつけることを書いたのが、
「クルマの寿命」 と
「メンテナンスの掟」 です。
私自身が当たり前だと考えているこれらのことは、初めての方にとってみればその全てがちっとも当たり前ではなく、カルチャーショックなのかも知れないと思い、この記事を書いたのですが、少し年寄りの説教臭くなっているかも知れません(苦笑)
こうして読み返してみると、もう語りつくしたという想いと、まだまだという想いが交錯しています。
アルファ・ロメオというクルマを中心としたネタだけでこれだけの記事が書けるのですから、
アルファ・ロメオが私の人生にとって如何に大きな存在であるか改めて考えさせられました。 「蛇の毒と蠍の毒はしつこい」と言われていますが、確かに蛇の毒は慢性化するようです。
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ALFA ROMEO Sport Collectionの紹介にあったては、付属するリーフレットの記事を参考にすれば良いのですが、悲しいかなこのリーフレットはイタリア語で書かれているため読めません。
それでも不思議なもので、分からないなりに読みながら知っている単語を繋ぎ合わせてみると何となく何が書いてあるか想像できてしまいます。もちろんそんな曖昧な情報では記事を書くわけには行きませんので、他の資料を参考にしたりしてまとめ上げることになります。
記事を書くにあたっては、何にフォーカスを当てるかを考えています。それはクルマそのものなのか、デザインなのか、ドライバー(レース)なのかといったように、一つの若しくは複数のテーマを中心に、そのクルマを紹介するようにしています。
その中でもドライバーにフォーカスを当てた記事の代表作は、ファン・マニュエル・ファンジオを紹介した
Tipo159 、タツィオ・ヌボラーリを紹介した
TipoB "P3" 、マリオ・アンドレッティを紹介した
Tipo179C がありますが、それぞれに人間ドラマがあり、読んで面白い記事になっているのではと思っています。
また、そのモデルが登場した時代背景を中心にした代表作は
1900Sprint を紹介した記事がありますが、そのモデルが登場した時代を考えるときにアルファ・ロメオが如何に先進的かつ無謀?であったかが良く分かると思います。
カロッツェリアとそのデザインについて紹介したものの代表作が、
1600Junior Zagato の記事なのですが、アルファ・ロメオを語るときにこのデザインという切り口も重要で、当時の各カロッツェリアの特徴が良く表れたモデルだと、どうしてもそこを切り口に記事を書くことになってしまいます。
かつてエンリコ・フミアさんとアルファ・ロメオのデザインについて話をしたことがあります。
カロッツェリアのデザイナーにとって、いつの時代でも
アルファ・ロメオのクルマをデザインするということは特別で、素晴らしく名誉なことであると同時に、そのプレッシャーも並大抵ではない そうです。
そのデザインアイコンであるフロントグリルの盾を付けたら何でもアルファ・ロメオになるワケではなく、
過去のデザインの連続性の延長線上に未来を見据えたデザインをすることが重要 なのだそうですが、昨今のアルファ・ロメオのデザインを見ると、過去のデザインからの連続性は感じるものの、未来という部分では少し乏しいものがあり残念だと思います。
それにしても、こうして整理してみるとアルファ・ロメオは記事にするに当たって本当にネタに事欠かないクルマであることが良く分かります
。ミニチュアモデルを前にどの切り口で記事を書こうか・・・と考えながら資料をひっくり返している時が一番楽しかった のを思い出します。
このように、自分のアルファ・ロメオのトラブル日記のようなつもりで書き始めたブログが、気がつけばどんどんエスカレートして行き、ミニチュアモデルをきっかけにしたアルファ・ロメオの各モデルを紹介するようになってしまいましたが、それがさらに柄にもなく、社会問題まで取り上げるようになってしまいました。
ハイブリッド車の買い替えが本当に環境に良いことなのか・・・という疑問から書き始めた、
「ちょっとマジメに環境問題について・・・」 、
「600万台の行方」 、
「ハイブリッド車では地球を救えない?」 の3部作は、その派生記事である、
「究極のエンジン」 。そして、頂いた反響を元にした
「ハイブリッド車では・・・の反響」 という記事に至るまでの長編記事となってしまいました。
今から思えば、当時はヒステリックなネット上の環境保護論者からの強烈な攻撃でブログが炎上するのでは・・・と心配もしましたし、事実、友人からも心配してメールをいただいたりもしたのですが、結果として反響は皆、冷静かつ論理的なものばかりでしたので安心しました。
そして昨今の「エコ替え」なるCMや先日ご紹介したEliicaの生い立ちを見るにつれ、日本に限らず地球規模で取り組まなければならない環境問題に対する対策が、利益を追求する企業と、その企業からの支援によって成り立っている政治家により捻じ曲げられているのでは?という疑問がますます深まって行きます。
もちろんだからと言ってNPO団体の言っていることの方が正しいということではなく、骨身を削るハナシばかりではなく、経済効率を考えなければ環境問題は解決しないと思います。
それにしても、一時はあまりの論理の酷さに中止されていた「エコ替え」というCMコンセプトがまたもや復活しているのには呆れてしまいます。
あまり過去ばかり振り返っていても仕方ありませんので、このシリーズも次回でひとまず一段落としたいと思います。
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現在FC2のサーバーで書いているこのブログは私にとっては3代目となります。
私が初めてブログなるものを書き始めたのはAOLブログでした。暫く書いていたのですが、主治医からVivid Carというサイトに書いて欲しいと頼まれ、AOLから引越しをして続けて書き始めました。
そしてさらにそのVivid Carの閉鎖に伴い、現在のFC2に引越しして現在に至るワケですが、そういった経緯で現在のこのブログには初期のAOLブログで書いていた記事も、若干のリライトはしましたがちゃんと引き継がれています。
その初期のブログの中で私が気に入っている記事は、初めてのアルファ164Q4によるサーキット走行について書いたブログで、
「いざサーキットへ(前編)」 と
「いざサーキットへ(後編)」 に掲載したものです。
このブログはどうやってサーキット走行の緊張や不安を伝えようかと何度も書き直しながら書いたのですが、実際のサーキット走行直後に書いたものですので、その臨場感が多少なりとも伝えられたかな・・・と思っています。
そして「読んでいただける」ことに重点を置いた記事の第一作が、「地獄クルマを訪ねて」というシリーズの第一回目で取り上げた
ランチア テーマ8-32についての記事 だったのですが、自分の体験を書いた記事だけでなく、評論まがいの(笑)記事は実際に書き始めてみると本当に難しく、自動車評論家の皆さんの苦労を垣間見ることができました。しかし、そのクルマを何故オーナーは苦労して持っているのか・・・を想像して書くことが結構楽しく、今でもその取材対象を探し続けています。
エンリコ・フミアさんとの親交は私にとっては生涯の財産だと思っています。彼との出会いによってクルマのデザインに対する興味が深まりましたし、実際に彼のデザインプロジェクトのお手伝いをすることができたことを光栄に思っています。その
LANCIA Jというデザインプロジェクトの記事 でも書いたのですが、彼ほどユーザーに近いデザイナーはいないと思います。
初めて購入したSpiderはSr.3のオンボロだったのですが、キャブレター仕様だったこともあり、その乗り味は今でも懐かしく思い出します。オープンエアの爽快感と地獄?を初めて味わったのもこのクルマでした。この記事は初期のAOLブログ時代に書いたものですが
「電子制御と機械制御~Spiderのある生活~」 と題した記事は、その時の私がSpiderとの生活をどう思っていたかを少々エキセントリックに描写しています。当時はSpiderに乗ることが「非日常」だったのですが、現在はそれに慣れてしまい、逆に屋根のあるクルマに乗ることが「非日常」になってしまっています(苦笑)
この記事を読み返してみると、私自身は改めてSpiderの魅力を再確認することができるのです。
「Virus Spider」 と題した彼女のSpiderとの出会いについて書いた記事を読むと、今でもその当時の驚きと戸惑いを思い出します。購入当初の彼女は運転免許こそ持っていたものの、実際の運転に関しては全く忘れてしまっていました。しかしその後、彼女のドライビング・スキルは見違えるほど上達し、もうちゃんとSpider乗りとしてのスムーズな荷重移動と少々のトラブルには動じない神経を身につけてしまいました(笑)
今ではどこにでもSpiderで出かけるようになった彼女ですが、最近のクルマに全く興味を示さないという副作用も出てしまいました。
ひょんなことから買い続けるハメになってしまった
ALFA ROMEO Sport Collection でしたが、それを実車の解説とともにご紹介しようと思ったのは、単に持ってるだけになりつつあった膨大なアルファ・ロメオに関する資料を整理したかったからかも知れません。
当初は30台程度のシリーズで立ち消えになるだろうと思われたこのコレクションも、終わってみれば80台という壮大なものとなってしまいました。毎回紹介するアルファ・ロメオに関して、時代背景やデザイントレンドに加えて、当時のレースシーンなどを織り交ぜながら記事を構成するのは、実は大変な作業なのですが、一方で自分自身の勉強にもなり、思い返してみると楽しい作業となっていました。ご紹介するモデルもあと1台となってしまいましたが、ホッとしている反面寂しくもあります。
このミニチュアモデルの紹介記事に関しては、賛否両論で「面白くない」という友人がいる反面、「役に立つ」と誉めていただける方もおり、このコレクションの紹介の後も新しく続けるかどうかは微妙ですが、少なくとも自分としては書いていて楽しい記事でした。
次回は、このALFA ROMEO Sport Collectionの紹介記事を中心にさらに振り返って見たいと思います。
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記念すべき?1本目のブログの最初の写真です。この写真から全てが始まったと言えます。 11月12日で私がこのブログを書き始めてからちょうど2年が過ぎることになります。
当初は別のサーバーに書いていたブログ記事の引越しから始め
、「消えないように保存しとけばいいや」 程度にしか考えていませんでしたが、成り行き上続けて書き始めてしまい、元来の凝り性?からここまで書き続けてしまいました。今日のこのブログを含め。今までに書いたブログ記事は505本にも及び、我ながらよくぞここまで続いたものだと思っています。
ある友人から言われたのですが、
私のブログはブログではない そうです(苦笑)。確かにブログとは日記形式で、身の回りで起こったことや感じたことを自分のために記録したり、世の中に発信したりするものなのでしょうが、私の場合は身の回りの私的なことはあまり書いていません。
当初は自分のアルファ・ロメオにまつわるトラブルレポートを書いていたのですが、アルファ・ロメオというクルマに関しても書くようになり、さらにクルマ全般に関してやクルマを使った楽しみ方まで、気がつけばアルファ・ロメオに限らず、
人生の中でクルマとどう付き合うか?というメッセージ性の強いブログになって行った ように思います。
そして、読んでいただくと言うより自分の記録のために書いていたこのブログが、いつの間にか多くの方に読んでいただけるようになり、さらに楽しみにしていただけるようになるにつれ、私自身も「読んでいただく」ことを意識してブログを書くようになって行きました。
しかし、私自身のアルファ・ロメオにまつわる経験は、皆さんの「反面教師」になるのがせいぜいで、他人の不幸と笑い飛ばして読んでいただければ程度にしか思っていなかったのですが、それがこんなブログであっても、何かを世間に発信するということの恐ろしさを知ったのが、ある読者の方からいただいたコメントからその方のブログ記事を読んだときでした。
今やアルファ164オーナーズ・クラブのメンバーにまでなってしまった、
きゃつおさんのブログ の「A Lot of Livin' to do」と題した記事には・・・、
「アルファ・ロメオの天国と地獄」、このブログでこれまでのイタ車に対する不安が吹っ飛びました!といいますか、ここまであっけらかんと直して全開走りしてぶっ壊して、また直して、ついでに仲間の車も直して、車と別れて、車と出会って・・・アルファ・ロメオと人生を楽しんでいる姿がよくわかり、最初の記事から一気読み!わき上がる高揚感を久しぶりに味わいました。自分がとても些細なことに拘っていたように思えます。 このブログにはアルファ・ロメオと生活する苦楽が凝縮されています。1年ぶっ通しで毎日更新というお馬鹿な企画〈失礼〉もさることながら、寝る間も惜しんでブログを書き、精力的に仕事をこなし、遊びもアクセル全開、今できることを精一杯やって全力で生きる、これがこの人の生き方であり、これは勇気を与えてくれる元気のブログです。 人生は短い。急がなければ。やりたいことがいっぱいある。やるべきことがたくさんある。 人生は A lot of livin' to do ! というわけでアルファ・ロメオを買うことにしました。 と書かれていたのです。今だから言えますが、これには正直参りました。
私のゴタクを並べたブログが、単なる共感や反発ならいざ知らず、確実に一人の方の人生に影響を与えてしまった と分かったとき、私は「畏れ」と言って良い感情を持ちました。その時はもうこれ以上ブログを書くことを止めようかとさえ思ったのです。
もちろんそれはきゃつおさんの感想であり判断であることは言うまでもありませんし、そのことに対して私自身が何かをできるワケではありません。そしてどんな形にせよ、世の中に何かを発信するということは、そこにウソや偽りがない限り、(間違いはあるかも知れませんが)少なくとも私自身にとっては真実であり、誰かに何らかの影響を与えることはむしろ光栄なことなのだと思い直すと、随分と気が楽になったのです。
かくなる上はきゃつおさんにはトコトン地獄巡りをして人生を楽しんでもらうしかありませんが(笑)、もし、きゃつおさん以外にも
私のブログのせいで人生を狂わせてしまった方がいらっしゃれば、この場を借りてお詫びしたい と思います。
影響を与えてしまった責任は、出来る限り、
これからもクルマを通じていかに人生を楽しむか・・・というメッセージを発信し続ける ことにより、それをアフターサービス(笑)と考えていただければと思っています。
さて、冒頭に505本と書きましたが、其々の記事には自分自身で納得できるものもあれば、そうでないものがあるのも事実です。特に改めて読み返してみると、我ながら良く書けていると思う(苦笑)ものから、出来れば消してしまいたい・・・と思うものまで玉石混交なのですが、それはあくまで作者である私自身の感想であり、お読みいただいている皆さんは違う感想を持たれているかも知れません。
次回からは、「祝 3年目突入」ということで?、私自身が選ぶ「The Bests of My Blog」を自分自身の再評とともにご紹介したいと思います。
さて、いよいよ3年目に突入です。いつまで続くことやら・・・(笑)
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大磯ロングビーチの駐車場は日常では見ることのできないクルマで溢れていました。
子供のためのチャリティイベントですので家族連れの来場者も多く、子供を対象としたアトラクションも数多く用意されていましたが、それが有難いのはむしろオトーサンの方で、同じ会場内で子供を遊ばせておいて、心置きなく堂々とクルマを見て廻れるというイベントはそうそうあるものではないでしょう(笑)
次に目に飛び込んで来たのは、FIAT AUTOMOBILE GROUPのブースに展示されていたアルファ・ロメオ6C 1500 Super Sportです。ご存知の通り先日行われたLa Festa Mille Migliaに出場し、結果優勝したクルマなのですが、この個体はイタリア本国のMuseo Alfaromeo(アルファ・ロメオ博物館)が所蔵しているクルマで、特別に貸し出されて出走したものです。レース時には走り去る姿しか見ることができませんでしたが、今回はじっくりと観察することができました。
ボディカラーはイタリアンレッドなのですが、実は現代のアルファ・ロメオに塗られているRosso Alfaとは色調が異なっています。現代のレッドがヴィヴィッドであることに対して、それはもっとくすんだ赤で、こちらがオリジナルのイタリアンレッドと言えます。
コクピットは現代の軽自動車よりもはるかに狭く、特に横方向は殆ど余裕がありません。搭乗者は半分身を乗り出す格好で乗ることになるのですが、大柄なイタリア人が2名乗るのはさぞかし暑苦しかったでしょう(苦笑)
それにしても、
アルファ159や147といった現行車の中にあって、最もアルファ・ロメオらしかったのがこの6Cだった のがちょっと悲しい現実でした。
個人的にも大好きなのがこのアルピーヌA110です。ラリーカーとして有名なこのA110はゴルディーニチューンのルノーエンジンをリアに搭載したモデルで、1970年前半のラリーを席巻したクルマです。
このクルマもコクピットは狭く、よくこの中にドライバーとナビゲーターの2名が乗れたものだと感心します。過去に一度運転させてもらったことがあるのですが、カラダか硬い私は、乗り込むだけでも閉口してしまい、乗れば乗ったで天井にアタマがつかえ、殆ど前方が見えませんでした(苦笑)。それでもさすがフランス車でシートの座り心地はとても良かったです。
展示されていたのは旧いクルマばかりではありません。こちらはブガッティEB110ですが、このクルマも発表は1991年ですからすでに17年前のクルマです(笑)
今でこそ、ヴェイロンの発表により注目を集めているブガッティですが、その起源は古く、1909年に当時ドイツ領アルザス(現在はフランス)で設立され、その高性能エンジンとバランスの取れたシャーシ設計により戦前のレース界で大活躍したメーカーです。
しかし、1963年にイスパノ・スイザ社に吸収されてその伝統ある社名は消えてしまいます。
それでもブガッティというブランドの復興を望む声は多く、1987年にイタリアのモデナで新たにブガッティ社が設立され、そこで設計製造されたのがこのEB110でした。そういう生い立ちから、本来のブガッティとは何の関係もないEB110ですが、ブランドとして引き継がれたその社名の神通力?は衰えておらず、日本ではバブルであったこともあり1億円以上という金額で取引されていたクルマです。
そして、ブガッティというブランドは落ちつかないのも宿命のようで、このブガッティ社も1995年に倒産し、EB110の系譜は一代で途切れてしまうことになります。
現在のブガッティは1998年にその商標権を取得したVW社が設立した全く別物の会社で、話題のヴェイロンとこのEB110との間には技術的な関連性は全くありません。倒産しては復活した自動車メーカーのブランドは他にもありますが、これほどまで「名前だけ」が売り買いされたブランドは他にはありません。
ブガッティの流浪の旅が今度で終わることを願って止みません。 以前から見たいと思っていたのがこの
Eliica です。ご存知の方も多いかと思いますが、このクルマは慶応大学の研究室から出た世界最速の電気自動車でその最高時速は370kmにもなるクルマです。しかもその加速はモーター特有のリニアなもので、最大Gは0.68とポルシェターボ並の加速を誇ります。馬力換算するとモーターの出力は800馬力を超えるというもので、
電気自動車の可能性を具体的に提示した 特筆すべきクルマです。
しかも、その先端性能を持つ電気自動車が、自動車メーカーからではなく産学協同とはいえ、大学の研究チームによって為されたことはスゴイことだと思います。というか自動車メーカーが如何に目先の利益確保に固執し、こういった要素開発に目をつぶっていたかが良く分かります。
電気自動車の実用化に際しては、シャーシー、サスペンスションといった従来の自動車製造の技術は継承されるでしょうが、動力源である内燃機関(エンジン)技術はかつての蒸気機関のように不要となってしまうのです。
内燃機関がピストンの上下運動をクランクシャフトを介して円運動に変換し、それを更に駆動輪に伝達するという、どう考えても効率の悪い方法を連綿と採用しているのに対して、最初からモーターという円運動の動力源を使用しているだけでも、物理的に考えると革命的に効率が良いことに加えて、各ホイール内にインボードモーターという形で搭載すれば、スペース効率、エネルギーロスの最小化、全輪駆動による走行安定性と良いことずくめになり、自動車の可能性を画期的に拡大しているにも関わらず、自動車メーカーはハイブリッド車を含めて、内燃機関を搭載した自動車を造り続けてきました。
「自分で自分の首を絞める」開発をやりたくない のは良く分かりますが、では電気自動車は世の中に不必要か?と考えると、化石燃料の枯渇と環境問題からすれば絶対必要なのは自明の理で、最近になってようやく自動車メーカーから実用プロトモデルが出てきても、このEliicaを見るとそれは遅きに失した感があります。
象徴的であったのが、このEliicaの隣に展示されていたHONDAの2008年のF-1(RA-108)でした。
本来であれば、最先端の技術の結晶であるはずのF-1が、隣のEliicaと比べると何とも色あせて見えてしまったのです。もちろんこの2台のクルマは全く目的が違うのは言うまでもありませんが、
子供たちにより未来を提示していたのは明らかにEliicaのほう でした。
そして意外?に人気があったのがDeLonghiの出店で、新しいトレピウーノのカラーリングもさることながら、そのトレーラーにハマってしまいました。
イベントとしてはかつてのFISCOでやったような、走行中心のもののほうが楽しめるような気がしますが、大磯ロングビーチという立地は確かに参加しやすい場所なのかも知れません。
それにしても、戦前のクルマから電気自動車までこの100年でクルマはどれだけ進歩したのでしょうか。Eliicaを前にして、
内燃機関を持つ自動車はそれほどの差はない と感じてしまった、ちょっと皮肉なイベントでした。
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最近流行している言葉に「カーボン・オフセット」というものがあります。ご存知のとおり、地球温暖化の原因と言われているCO2をいかに減らすか・・・という運動の中で、CO2を排出した者が植林をしたりして排出した量に見合ったCO2削減活動をすることを「カーボン・オフセット」と言うのですが、自動車もこのCO2排出の元凶の一つであることは言うまでもありません。
私たちは自動車を社会活動に不可欠な輸送の道具として「やむを得ず」使用しているワケではなく、道楽で乗り回しているのですから、
どこかで多少なりとも罪滅ぼしをしておかなければ・・・ と考えるのは私だけではないようで、今回、大磯ロングビーチで開催されたチャリティイベントは自動車に関係するメーカーや出版社が協賛する盛大なものでした。
このイベントは以前はFISCOで開催されていた
Make a Wish of JAPAN という団体のチャリティライドだったのですが、この団体は難病と戦う子供たちに夢と希望を与えようという主旨で設立された世界的団体の日本支部です。そしてその主旨に賛同した各企業や地元が協賛し開催されたのですが、その実行委員長があの外館さんだったので、一も二もなく参加することにしました。
実は私がこのイベントに参加するのは2回目で、前回はCAR GRAPHIC編集部の故牧野さんからお誘いいただいてのことでした。不慮の病で亡くなられた牧野さんもこのイベントには熱心で、その成功に向けて本当に一生懸命取り組んでおられましたので、
どうやらこのイベントには何か心を熱くさせるものがある のかも知れません。
会場の大磯ロングビーチに到着すると、その駐車場から既にイベントとなっていました(苦笑)。特にアルファ・ロメオの密度は高く、会場に入場する前に既に充分楽しませてもらいました。
FISCOで開催されていたときにはサーキットでの走行会やフェラーリF-1のデモ走行など、どちらかと言うと走行中心のイベントだったのですが、大磯の会場ではクルマを走らせるワケにもいかず、車両展示が中心となったものでした。
会場に入るなり目に飛び込んで来たのは、MG-TCやAustin Sevenという戦前のモデル達で気分は否が応でも高まります。
そんな中で、気になったクルマをご紹介したいと思います。まず最初はクラッシック・フェラーリの中でも毛色の変わった330GTCです。有名な250シリーズの発展形である330シリーズは特に北米のマーケットを意識して企画されたラグジュアリーなGTでした。
リアセクションの造形は当時のアメリカのデザイントレンドの影響を受けており、僅かなテールフィンとメッキされたテールランプベースなどからも、いかに当時のフェラーリが北米を向いていたかが分かります。
室内もゴージャスでトリムにまで皮が張られていました。それにしてもこのクルマは見事なコンディションでした。
それにしても、こんなクルマがさらりと展示というか駐車されているのには恐れ入りました。これは協賛したメーカー(代理店)が持ち込んだのではなく、ヒストリックカークラブに所属する個人のクルマなのです。
いきなりこれですから、先が思いやられます(苦笑)
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アルファ・ロメオのBerlinaはSprintやSpiderといったスポーツモデルと異なり、おおよそ流麗とは言えない、どちらかと言うと無骨なデザインが特徴でした。
今回ご紹介するのはその無骨なデザインの1750Berlinaです。
アルファ・ロメオのアッパーミドルクラスを担うBerlinaはその歴史が旧く、戦後に量産メーカーに転進したとは言え、アルファ・ロメオ=高級車というブランドイメージは根強く残っていました。
1900シリーズで量産メーカーとして再出発したアルファ・ロメオでしたが、その1900Berlinaはサイズが小さく、Berlinetta(小さなセダン)と呼んだほうが適当なモデルでした。
当初はアッパーミドルクラスの購買層が少ないと判断したアルファ・ロメオでしたが、イタリアの経済復興も軌道に乗り、いよいよアッパーミドルクラスの製造に乗り出します。1958年に発表された2000Berlinaがそれで、1900シリーズの足回りとエンジンをそのまま使用しながらモノコックを新設計した2000Berlinaはいかにもコンサバティブな高級車といった出で立ちで、戦前からのアルファ・ロメオユーザーに対してアピールすることに成功します。気を良くしたアルファ・ロメオはこの2000berlinaを更に発展させ、1962年に直列6気筒エンジンを搭載した2600Berlinaを発表し、更なる高級車路線にもマーケットを広げようとします。そしてこちらは1969年まで製造される長寿モデルとなったのですが、それは人気があったからではなく、思ったほど売れなかったためモデルチェンジができなかったからに他なりませんでした。
さて、2000Berlinaが2600Berlinaに発展したことに伴い、アルファ・ロメオはこのアッパーミドルレンジを何かで埋める必要が生じました。暫くの空白期間の後の1967年にようやく発表された1750Berlinaでしたが、その中身は既に発表されていたGiulia Superのメカニカルコンポーネンツをそのまま流用し、ボディサイズを大きくしたもので、販売が好調であったGiulia Superより大きなサイズを必要とする購買層にアピールし、1972年の販売終了までに1万台以上のセールスを記録することになります。
1750Berlinaは後にエンジンの排気量をUPし2000Berlinaへと発展して後継モデルであるALFETTAがデビューした後まで製造され、1977年の生産終了まで9万台近くのセールスを記録するロングセラーモデルとなりました。
日本にも当時の伊藤忠モータースにより輸入されましたが、その価格故に販売台数は少なく、日本では希少車となっています。
1750/2000Berlinaの最大の特徴はそのルーミーな室内と広大なトランクルームにあります。内装はお世辞にも豪華とは言えませんが、その路線はランチアの守備範囲で、
アルファ・ロメオはBerlinaであったとしてもスポーティでなければなりません でした。Giulia Sprint Veloceと同じ高性能バージョンのエンジンを搭載したのも、単にその重量増加に伴うパワー対策だけでなく、スポーツイメージを引き継ぐためのものでした。
アルファ・ロメオのBerlinaに乗ることは、単に「お金持ち」であるだけでなく、「ウデに憶えのあるドライバー」であることを要求したのです。 アルファ164を境にしてアルファ・ロメオのBerlinaはスタイリッシュになって行きます。それまでのBerlinaはお世辞にも美しいとは言えない代わりに、セダンとして真っ当なルーミーな室内と大きなトランクルームを備えていました。そしてその無骨なスタイルのセダンにアルファ・ロメオの盾が付けられ、アウトストラーダをかっ飛んで行くのが、たまらなく格好良かったのです。
以前のALFA ROMEO DAYで年配の方に突然話しかけられたことがあります。
「あなたはこのALFA164のオーナーですか?」
「そうですが・・・」
「アルファ・ロメオはセダンが本流ですな。私はオトナが4人乗ってその人数分の荷物が積めないセダンはアルファ・ロメオじゃないと思ってるんですよ」
「きっとイロイロ乗られたんでしょうね」
「ジュリア・スーパーからアルフェッタ、今は75ですが、それ以降のアルファ・ロメオには興味が沸かないんですよ・・・」
これがアルファ・ロメオの全てだとは思いませんが、
紛れもなくアルファ・ロメオのひとつの哲学であった ことは確かだと思います。
付属するミニチュアモデルは1968年のスパ24時間レースでクラス1位になったクルマですが、殆どストック状態で勝つことができた平和な時代の最後だったと思います。
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このイベントの特徴のひとつが、旧いアルファ・ロメオが多くやってくることで、そのオーナーとも気さくにハナシを聞けるところだと思います。事実、私自身も115Spiderのことについて聞かれたりもしましたので、様々なオーナーと触れ合うことができるのも毎年参加される方の魅力になっているのでしょう。
今年は、例年よりも参加台数が少なくさらにこぢんまりしていましたが、だからつまらなかったかというと全然そんなことはなく、参加している方々はそれぞれで楽しんでいたのが印象的でした。
毎年、「目玉」として芝生広場の中央に展示駐車されるクルマは今年はなく、それはちょっと寂しかったのですが、それでも気になった参加車両は何台かありましたのでご紹介したいと思います。
相変わらず「欲しい病」が止まないGiulietta Spiderです。このGiuliettaは本当に程度が良く、
オーナーの気持ちが伝わってくる個体 でした。
内装も綺麗でステアリングも貴重なオリジナルでした。消火器をグローブボックスに収めるところは流石です。
そして屋根のあるほうのGiulietta Sprintです。室内にはロールケージが入れられ、補助灯も追加するというレーシングモディファイが施されている個体ですが、その車高の下げ具合といい完璧と思えるバランスです。
旧いアルファ・ロメオをオリジナル状態で乗るか、モディファイするかは最も悩ましい選択だと思いますが、そのいずれもオーナーの拘りとセンスなくしては成り立ちません。 その好例がこの2台のGiuliettaだと思います。
思わず乗り逃げしたくなるほどのGiulietta SS(Sprint Speziale)です。SSはベルトーネによるデザインで、アルファ・ロメオが「正式に」オーダーしたスペシャルモデルでした。本来ならばレース参戦を目論んで製作されたSSでしたが、アルファ・ロメオが知らない間に、事故車のオコシから派生したザガートによるSVZのほうが性能が高かったために、グラン・ツーリズモとして発売された経緯があります。
そのデザインはサーキットで映えるであろう獰猛さはなく、むしろ街中で魅せる優雅と気品が感じられるものです。
絶対にボロいまま乗ってはいけないのがこのSS です。
一方の
Giulia Sprintは何でもアリ だと思います。ちょっとボロいまま乗り倒されているGiuliaも生活感が漂って格好良いものですし、オリジナルに拘ってレストアされたものも素敵だなと思います。モディファイもサンデーレーサー風からこの個体のように徹底的なものまで、その各々に魅力があります。
オリジナルで乗るとこんな感じになります。どちらも同じGiuliaではありますが、オーナーのクルマ観が見て取れます。では、お互いに相手に対して否定的かというと全然そんなことはなく、どちらもGiuliaの愛し方なのです。
ALFETTAは好きなのでつい写真を撮ってしまいます。もはや「ちょっと旧い」から「旧い」に昇格した感のあるALFETTAですが、ちゃんと程度の良い個体はあるもので、同じくやって来ていたGTV6ともども素晴らしいコンデイションでした。誤解を恐れずに言いますと、
Giuliaより新しいALFETTAを維持するほうが遥かに資金と根性を必要とします。 ヒストリックモデルとして定着しているGiuliaに関しては、その部品から整備ノウハウまで蓄積されており、これから新たにオーナーになったとしても、ちゃんとした主治医さえ見つかれば何の心配もないと言えます。またこの時代のクルマ全般に言えることですが、
最初にやるべき初期化をちゃんとしてやればそうそう壊れることもありません。 一方でALFETTAのような70年代から80年代のクルマは、未だにその立場が微妙で、ヒストリックモデルと言うには新しく、現代車と言うには立派に旧い(苦笑)という年代で、部品の欠品から原始的なカーエレクトロニクスの問題まで、ちゃんと走らせるためのハードルが高いのです。しかも、Giuliaと異なり、一生懸命維持していても「変人扱い」しかされないこともしばしばなのですから、オーナーには相当な負担を強いることになります。
ですので、私個人は
ALFETTAやALFASUDを維持していらっしゃるオーナーには本当にアタマが下がります。 さて、女神湖を後にした私たちは、いつもの蓼科パークホテルで温まることにしました。
このホテルでは、もはや「顔パス」の極み で、お風呂にもタダで入れていただいたりと歓待してくれました。毎年クラブランで使っている会場ではあるのですが、その「おもてなし」には感謝です。
蓼科パークホテルに寄ったのは冷えたカラダを温めたかったのと、渋滞情報を確認して帰路の計画を立てるためでもありました。毎回のことながら帰りの中央道は楽しかった思い出が吹っ飛ぶほどの渋滞に悩まされるのです。渋滞の元凶は例の小仏トンネルで、その自然渋滞のメカニズムも解明されているのですから、JHには早急な対策を望みます。
渋滞の最後尾までは笹本氏に隊列を引っ張ってもらい連なって走行したのですが、その結構なペースに115Spiderはついて行くのがやっとで、疲れる間もなく無事に都内まで帰ることができました。
それにしても帰りの中央道は路肩に停まっている故障車が多く、渋滞の原因にこそなってはいませんでしたが、停まっているクルマには気の毒な状況でした。そしてその故障車とは、シトロエンCXやBXといった「ちょっと旧い」フランス車ばかりで、DSや2CVといった「旧い」シトロエンがいなかったのは、やはりアルファ・ロメオと同様の現象なのでしょうか。
旧いクルマは壊れない・・・ を実感しました。
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