友人からこんな指摘を受けました。
「かつての愛車のハナシの中でアルファ155V6のハナシが少ないけど、嫌いだったの?」 また、ぱおぱおさんからも「アルファ155はどーなんでしょう?」というご相談をいただきました。
私の
以前のブログ で触れたようにアルファ155はアルファ・ロメオのターニングポイントの一つであったと同時に、生産技術的な側面から言うと革命的なクルマであったと言えます。ところが本国での販売実績は…というと残念ながら失敗であったとしか言い様のないモデルです。では、アルファ155はダメグルマであったのでしょうか?そして現在、アルファ155を中古で買うとしたらそれは価値のあることなのでしょうか?
その辺りのことをオーナーであった経験から書いてみたいと思います。
実は、私が慌ててアルファ75をオーダーしたのも、アルファ155の発表がきっかけでした。
当時は、フィアットに吸収されたアルファ・ロメオはもう独自でクルマを設計できなくなり、これからはフィアットベースでのバッジエンジニアリング(車名だけ変えた程度のモデル)でしかアルファ・ロメオは発売されないから、
アルファ75が最後の「純血」のアルファ・ロメオになる と言われていたのです。
今となってみると、その当時の心配は杞憂であったのですが、それでも
シャーシーを独自開発できないアルファ・ロメオが、その最大の特徴であるドライビングフィールを保ち続けられるのかは最大の心配であった のです。
その心配は日本のアルファ・ロメオファンだけでなく世界中の心配だったようで、結果発売されたアルファ155はフィアットTipoとシャーシーを共有するFFセダンとして、クルマとしては至極マトモであるにもかかわらず、アルファ・ロメオとしての華がない外見とFFであることからさっぱり売れなかったのです。
日本におけるアルファ155は1992年にアルファ75の販売終了を受ける形で発売され、当初はアルファ75と共通のオールアルミ製2.0L直列4気筒・DOHC8バルブエンジンを搭載した2.0L ツインスパーク8Vと、ランチアデルタ・HF・インテグラーレのエンジン(2リッター + ターボ)と四輪駆動の駆動系を共有したQ4の2種類が販売されました。そして翌年1993年にはABSを追加装備し、1994年にはエアバッグとサイドインパクトバーが追加され安全装備の充実が図られました。
さらにDTMでのアルファ155V6TIの大活躍を受け(中身は全くの別物した)、1995年に大幅なマイナーチェンジが施され、全車ブリスターフェンダーによりワイドボディーとし、各グレードにラグジュアリー仕様のスーパーとスポーティ仕様のスポルティーバが設定されました。(これに合わせ、それまでのボディーをナローボディーと呼びます)
同時に2.0L ツインスパーク8Vは、鋳鉄製のフィアット系モジュラーエンジンに伝統のツインスパーク仕様のシリンダーヘッドを搭載し、マルチバルブ化した2.0L ツインスパーク16Vに変更されました。 日本仕様車は2.0L ツインスパーク16Vスーパーとアルファ・ロメオオリジナルのオールアルミ製2.5リッターV型6気筒(SOHC)のエンジンを搭載した2.5L V6スポルティーバ、及びワイドボディ化されたQ4の3車種となりましたが、そのうちQ4は販売低迷から早々と生産終了となり、その余った内装パーツを用いて日本向けに限定車として1996年に250台限定のV6リミテッドバージョンが発売されます。このLVにはツェンダー製のエアロパーツにQ4と共通のRECARO製のシートを装備し、側面に大きくアルファ・ロメオのエンブレムが貼られていた日本向オリジナルで、その販売は日本国内だけのモデルでした。
本国では低迷していた販売もDTM効果か、日本では比較的好調であったため、1998年には最終限定車としてV6-250台、TS2.0L-500台が販売され、アルファ155の日本での販売は終了しました。
このように最終的には日本で比較的販売が好調だったアルファ155ですが、
ATモデルもなく左ハンドルのみの車種ラインアップであったことを考えると、その販売台数は画期的であったと言って良い と思います。しかしその販売数は後期型のワイドボディのスポルティーバ仕様に集中しており、現在の中古車市場でもこのモデルが主力です。前期型のナローボディのタマ数は少なく、すでに市場からは淘汰されてしまっており、たまに出るバリモノはマニア向けと考えた方が良く、実際に購入する対象としては、後期型の2.0LTS16Vか2.5LV6となり、いずれもスポルティーバ仕様が殆どであるのが現実です。
私がアルファ75TSからの買い替えでアルファ155を購入したのは1995年のマイナーチェンジ後のことでした。当時のディーラーであったコーンズ・モータースにアルファ75を下取りに出し、私の手許にやってきたその2.5LV6SOHCエンジンを搭載したスポルティーバパッケージモデルは、それまでのアルファ75とは全く異なるクルマでした。
よく言えば現代のクルマとしてマトモになったと言え、悪く言えばアルファ・ロメオらしくなくなったと言えるクルマ でした。
当初はFFだから・・・と思っていたのですが、その
アルファ・ロメオらしくない最大の要因はスポルティーバパッケージであった と断言できます。
なぜなら、以後に初期型のスーパーと呼ばれるノーマルサスペンスションのモデルに試乗する機会があったときに、そのドライビングフィールが
歴代のアルファ・ロメオと同じく、しなやかにロールする味付けであった ことを知り、アルファ・ロメオが本来このアルファ155をどのように設計したのかが分かったのです。アルファ・ロメオはフィアットのシャーシーもFFもものともせずに、アルファ・ロメオであり続けようとしていたのです。
次回は、アルファ155のドライビングフィールや中古で購入する際の注意点などについて書いてみたいと思います。
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お陰さまで無事に100,000アクセスを達成することができました。 もともとブログは日記ですから、自らの為に書く・・・という性格のものですが、皆さんに読んでいただけることが更新の励みになり、いつの間にかネタ探しが日常になってしまいました(苦笑)
加えて、ブログを書くために調べものをすることにより、自分の勉強になることも多く、どうやら
私自身が一番楽しませていただいている と思っています。
さて、100,000アクセスですが、例によって静かにカウンターは上がり続けました。そのスピードはどちらかと言うと遅く、前日の夜中になるとカウンターは止まってしまいました。そして迎えた当日の朝イッキに到達したのですが、達成時間は午前10時前でしたので、お勤めの方にとっては厳しい時間だったのではないでしょうか。
そのせいもあってかキリ番ハンター常連の皆さんは軒並みリタイヤとなり、このままではどなたも応募がないのでは・・・と思っていました。特に例の岐阜の常連さん(笑)は苦し紛れに、前後と100,000アクセスの画像をわざわざ「作って」送っていただきました。
そうです、この画面は巧妙に作られた偽造画面なのですが、
その熱意には震撼すら覚えます(苦笑)。 そしてさらに、いつもコメントをお寄せいただいているchifurinnさんからもブログの励ましと共に、無念さが滲み出たメールをいただきました(失礼)。
それは100,200アクセスの画像なのですが、PCを開いたときにはもはやどうしようもなく、何となくキリの良いカウンターだったので送っていただいたとのことでした。
確かに美しい画面ではあるのですが、残念ながらどうしようもありません(苦笑)。 chifurinnさんには是非次回もチャレンジしていたきたいと思っています。
そうこうしていると、ようやく「ホンモノ」のご連絡をいただきました。それはぱおぱおさんというClub the Spiderのメンバーさんなのですが、偶然開いたら・・・という状態だったため、慌てて携帯のカメラでカウンターを撮影して送っていただきました。
やはり「ホンモノ」の持つ臨場感は違います(笑)。 しかも狙った結果ではなく、
偶然というのが正しいAccess Awardのゲットの仕方 ですので、この無欲の勝利は素晴らしいと思います。これはぱおぱおさんの一人勝ちかと思っていたところ、思わぬ刺客が現れたのです。
それは豊橋にお住まいの大学生の方からでした。理系の学生である彼はあまりにつまらない哲学の講義中に、PCを見ていてゲットされたということなのですが、そもそも大学生という若い方がこんなブログを何故、読んでいただいていたのでしょうか。
私のブログも若い彼にとっては哲学の授業に負けず劣らずのつまらなさではないか と思っていたところ、この方の血筋がタダモノではない(笑)ことが分かったのです。
がっちゃんとおっしゃるこの方のお父様はアルファ164オーナーズクラブのメンバーであると当時にClub the Spiderのメンバーでもあるshuさんだったのです。そう言われれば何度かイベントに息子さんとご一緒に参加されていましたので、私もお目にかかったことのある方でした。それにしても授業中にゲットされるとは凄まじい強運ですが、これまた「ふと覗いたら・・・」とのことですので、
無欲の勝利と言って良い でしょう。
さて、こうなるとお約束どおりメールジャンケンで雌雄を決することになりました。お二人にメールでご連絡をし、ジャンケンの出し手とその理由を送っていただくこととしました。
最初ご連絡いただいたのはがっちゃんさんからでした。彼には強力な助っ人がおり、早速家族会議(笑)を緊急招集し、出し手を決めたそうですが、お父様の決断により、
「グー」 を出してこられました。
この握ったコブシに永年アルファ・ロメオを愛してきた執念を感じます。 一方のぱおぱおさんは、「神のお告げ」なるものに頼ってしまいました。しかもどうやらその神様は勝利への執念が希薄だったようで、あいこになる場面まで想定して・・・、
「最初は・・チョキ!→あいこで・・パー!→さらにあいこなら・・グー!」 と長期戦を想定したようなのですが、
一撃必殺の執念が足りなかった のでしょう。敢えなく初戦で敗北が決定してしまいました。
かくして、絶版RCカーのストラトスはアルファ・ロメオ一家のがっちゃんさんへお届けすることとなったのですが、
つまらない授業中に教室で走らせたりすることのないように願うばかりです。 しかし、ぱおぱおさんの神様にも申し訳ありませんし、何より祟りが怖いので(苦笑)、これから何か残念賞を考えたいと思います。
今回も楽しませていただきました。そして心機一転し、また新しい目標に向かって更新を続けますので、今後ともご愛読をよろしくお願いいたします。
そして、次回のAccess Awardは164,164の時に企画したいと思います。そのカウンターの数字から、何かゆかりの記念品を考えたいと思いますので、ご期待ください。
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いよいよ100,000アクセス達成が近づいてきました。
77,777アクセス達成をしたのが今年の3月6日でしたから、1日平均で約270人の方にご覧いただいていることになります。よくよく考えてみるとこれは凄いことで、こんなブログを楽しみに読んでいただけていることにただただ感謝です。
そこで、お約束どおり100,000アクセスの記念品はど~んと豪華に?と考えていたのですが、豪華といっても限界があり(笑)、皆さんにはどんなものが喜んでいただけるのかな・・・と考えた結果、決めました!その記念品とはこれです。
このブログを楽しみにお読みいただいているような方の中で、
ストラトスが嫌いという方はいらっしゃらないでしょう。 実車についての説明は別途にするとして、これはナンと!RCカーなのです。メーカーは
太陽工業 というラジコン界では老舗の会社です。
このラジカンと呼ばれるシリーズは缶の形をした筒の中にクルマが入っており、蓋の部分がコントローラーになっているという、どちらかと言うと、オモチャと言って良い部類のラジコンカーなのですが、その車種の選択とフォルムは素晴らしいものがありました。
現在はセガトイズにラジコン事業は買収されてしまい、ブランド名としてTAIYOという名前が残り、このシリーズも少しコンセプトが変わってしまっているのは残念ですが、このストラトスは買収前に企画販売されていたもので、現在は絶版となっています。
ご承知のようにラジコンカーに代表される「動くオモチャ」はそのスケール感と走行性能の両立が難しく、最近でこそちゃんと「見られる」ものが発売されるようになりましたが、以前はかろうじて「らしく見える」程度のものしかありませんでした。それは偏にシャーシーの問題で、サーボとモーターにバッテリーを配置すると被せるボディの形状は限られてしまいますし、バリエーションを増やすときには、各車異なるホイールベースという問題が立ちはだかります。
このラジカンを企画した方は相当なスキ者と見受けられ、最初からターゲットを子供ではなくオトナを対象としていますので、その
車種選択と言い、ボディの再現性と言い、とてもオモチャのラジコンカーとは思えないほど素晴らしい出来栄え です。
その中でも特にこのストラトスは素晴らしく、1/32スケールで再現された1978年のサンレモラリー出場車というカラーリングもマニア好みですし、ちゃんと全てのライトはライトポッドも含め、デカールではなくクリアパーツで再現されています。しかもこのライトは走行中に点灯するというギミックつきです。そして最も有難いのはホイールで、ラジコンカーの宿命?である走行のための実車とは異なる共通ホイールではなく、ちゃんとストラトスのホイールが再現されているのです。
ここまで拘って企画されると、
もはや勿体無くて走らせることなどできるはずもなく、私も購入してからは一度も走らせずにディスプレイしていました。 今回の記念品にこの秘蔵の?ストラトスを差し上げたいと思いますので、奮ってご応募ください。
繰り返しになりますが、100,000アクセスのカウンターを画像で
510190@alfa164.com まで、メールでお送りください。ご応募が複数の場合はメールでジャンケンをして決めたいと思います。
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本日ご紹介するのは以前に一度ご紹介したALFA SUDです。
ALFA SUDに関しては
前回に詳しくご紹介 しましたので重複は避けますが、実車に関しては実際に乗っていらっしゃった方も多く、愛憎こもった思い出があるのではないでしょうか(苦笑)
日本でのALFA SUDオーナーで最も有名な方が松任谷正隆氏ではないかと思います。氏がALFA SUD1.5tiを購入したのは1982年とのことですので、日本での正規ディーラーが伊藤忠オートであった時代です。しかも当時に氏の担当であったのは鈴木康平氏で、後にガッタメラータを起こした日本で有数のアルファ・ロメオ整備のスペシャリストの方でした。
松任谷氏は当時のアシであったメルセデスで乗りつけたために、鈴木氏は冷やかしだと思い全く相手にしなかったそうですが、それでも晴れて松任谷氏のもとに納車になったALFA SUDでドライビングに目覚めたとのことでした。事実、箱根を走り回り、ブレーキを酷使したために、長尾峠でブレーキが抜けた話や、それを現地まで直しにいった鈴木氏の話を聞くにつれ、当時のアルファ・ロメオが鈴木氏のようなメカニックの方に支えられていたことが実感できます。
日本での輸入車の印象は単にそのブランドだけでなく、扱う代理店の販売姿勢や営業マン、サービスの影響が大きい のではないかと思います。少なくとも当時のアルファ・ロメオは例えボロクルマであったとしても、そのドライビングフィールを絶賛するアルファ・ロメオファンと、アルファ・ロメオが大好きで販売している営業マンとアルファ・ロメオを弄るのが大好きなサービスにより販売されていた時代だったと思います。
ALFA SUDはその材質に問題があり、必ずしも日本では評価されず、むしろそれ以降の「イタ車は錆びる」という悪評の根源になったのですが、それでもそのドライビングフィールは素晴らしく、一度でもこのクルマに乗ってしまうと、
その後のクルマ選びに大きく影響を受けた方は多い のではないでしょうか。古くからのアルファ・ロメオファンの方も、例えそれがミラノで製造されていなくても、DOHCエンジンでなくても、そしてFRでなくても、一度乗ると
間違いなくこれはアルファ・ロメオ だと感じたのではないでしょうか。
そんなALFA SUDですが、付属するミニチュアモデルの題材となったTrofeoに関しては、ALFA SUDのワンメイクレースであった程度しか知識がありません。
しかし、前回のメルツァリオに続いて今回のミニチュアはあのロニー・ピーターソンがドライブしたクルマです!
Bengt Ronnie Petersonは1944年にスウェーデンに生まれ、カートレースで国際チャンピオンになった後にF-3、F-2とステップアップし、1970年にマーチからF-1に参戦するや否や、すぐに頭角を現し、翌年の1971年にはジャッキー・スチュアートに次いで年間チャンピオン2位という結果を残しました。
日本で有名になるのは1973年にロータスに移籍してからで、その後にあの有名なティレル6輪のドライバーとしても名を馳せるのですが、不幸にして1978年のイタリアGPの事故がきっかけで死亡してしまいます。
彼のドライビングスタイルは豪快で、テールをスライドさせて走るそのスタイルは「サイドウェイ・ロニー」と呼ばれ、親しまれたドライバーでした。
恐らく、1976年のこのTrofeoにはゲストドライバーとしての参戦だったのでしょうが、彼の豪快なドライビングスタイルで走るALFA SUDを見てみたかったものです。
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オープンの気持ちよい季節になりましたが、そう考えるのは私だけではないようで、916SpiderのオーナーズクラブであるClub the Spiderからミーティングのお誘いがありました。
もう一つのアルファ164オーナーズクラブも不定期ではありますが、月に一度週末の夜にミーティングを行っているのですが、Club the Spiderも今後は定期的にミーティングを行うようです。
こういった定期ミーティングは、あまり気張ってプログラムを考え始めると続かなくなってしまいますので、むしろ特に何かをするでもなく、ただ集まりましょう…という程度が長続きのコツではないか と思います。
今回のミーティングも集まってお昼ごはんを食べて解散というものだったのですが、その「まったり感」が心地よく、のんびり楽しませてもらいました。
集合場所は横浜本牧のシンボルタワーとのことだったのですが、本牧の工場街の中を大型トレーラーに紛れて走っていると、一体こんな先に何があるのだろう?と心配になってきました。しかし、イザ到着して見るとビックリで、そこは
芝生の広場が広がるミーティングには素晴らしい場所 でした。
集まったSpiderは私を含め、7台と少な目でしたがその分、まったりと過ごすことができました。916Spiderも発表から10年が経過し、そろそろ様々な不具合が出始めるころなのですが、アルファ164と異なり設計が新しいのか、まだそれほど深刻なトラブルはないようです。
ですので勢いモディファイが話題になるのですが、ブレーキの効きが悪いとか、もう少しパワーが欲しいなどという王道な?モディファイのテーマからアクセサリー類に至るまで、オーナーの嗜好性が見えて面白い話題でした。
また、DIYでウインドウリフレクターを製作する方や、リアスクリーンの形状を変えて自分で製作する方まで、意外に自ら手を動かすタイプの方が多いのも好感が持てます。
そんな取り留めのないハナシをしていると時間はスグに経ってしまいます。そろそろお昼を・・・と移動した先は、本牧のシーメンズ・クラブという船員食堂でした。土地柄外国人の船員も多く立ち寄るこの店は由緒正しい?レストランで、一旦中に入ると本牧に米軍施設があった時代を彷彿とさせてくれます。のんびりと本を読めるライブラリーラウンジやビリヤード台などがある、いかにもアメリカのクラブといったこの場所は意外に穴場で、これまたゆっくりと食事を楽しむことができました。
この本牧シンボルタワーからシーメンズクラブというコースは他のオーナーズクラブもよく使っているらしく、当日もMR-Sのクラブが来ていました。その中にあって見つけた珍しいMR-Sがこれで、ザガートがデザインし、モデリスタが100台限定で発売したVM180ザガートというモデルです。
ザガートとトヨタとは様々なスペシャルデザインで提携しており、有名なのはハリヤーザガートがあります。それに比べてもこのVM180は随分手が入っており、Aピラーとガラス、ドアミラーを除いて、すべてザガートによる新設計となっています。そのせいで、オリジナルのMR-Sと比べると随分印象が変わって見えるのですが、TVRなどにも通じる独特なライト周りのデザインは異彩を放っていました。
エンジンも給排気系のライトチューンが行われ、マフラーも変更することで、ベースに対して15psパワーアップし、トルクも若干増加させたということですので、
もはやMR-Sとは別物のクルマ と言えるのかも知れません。
昼食後は解散となり帰途に着いたのですが、オープンでのんびりと湾岸線を走っていると、追い越し車線を相当なスピードで駆け抜けるアルファ164に出会いました。その特徴ある外観はメンバーのTさんのクルマだったのですが、さすがに最近は街中でアルファ164を見かけることはなく、見かけるそれは殆どがメンバーであるところが少し寂しくもあります。今回も偶然ではありますが、ランデブー走行を楽しませてもらいました。
気がつけば100,000アクセスが近づいて来ました。今のペースですと1週間から10日後が達成日となるかと思いますが、今回は奇をてらわずに、
100,000アクセスの画面を送っていただいた方に記念品を差し上げたい と考えています。当然、複数の方の応募があると思いますので、その場合は、早い者勝ちではなくメールジャンケンで決めたいと思います。
さて、気になる(笑)記念品ですが、まだ考えが決まっていません。もう少し時間を頂いて発表しますのでご期待?ください。
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例年のALFA ROMEO DAYのレポートですと、ここで参加車両の中から気になったものをご紹介するのですが、今年は雨のためと分散駐車のためじっくりと車両を見ることができませんでした。
しかし、個人的な天国は事務局のT君が最近入手したJunior-Zを試乗することができたことです。
このJunior-Zに関しては、
ALFA ROMEO Sport Collectionですでにご紹介 しましたので、詳しくはそちらをお読みいただければと思いますが、彼のJunior-Zは1600で生産台数の少ない稀少モデルです。しかも彼が入手する前にレストアされており、さらに彼の注文で細部までコダワって仕上げただけあって
素晴らしいコンディションの個体 でした。
小雨の中を会場から蓼科グリーンバレーを往復するコースで試乗しただけですが、それでもそのコンディションを実感することができました。
エンジンの始動はイグニッションキーをONにし、しばらく電磁ポンプの「チチチ・・・」という音を聞いてからセルを回すことによって行います。このあたりは旧いキャブレター車に乗ったことがある方はご存知かと思いますが、ツインキャブでありながら全くむずかることなく、始動後もスムーズなアイドリングです。
ミッションは悪名高い?ジュリア系のものなのですが、ちゃんとオーバーホールしてあるミッションは決して1速に入りにくいということはなく、お約束の2速をなめてから1速に入れるという動作をしなくてもスムーズにシフトすることができます。ミッションそのものは現代のクルマのようにシンクロが強力ではありませんから、シフトはゆっくりと行う必要はありますが、ダブルクラッチを使う必要はありませんでした。これなら
街乗りとして充分通用する でしょう。
エンジンは快調で豪快に噴け上がってくれます。オーバーホール後ということもあり、4000rpm程度までしか廻しませんでしたが、1600ccのエンジンはトルクも充分で、蓼科高原の登りをグイグイと加速して行きます。
ステアリングは中立付近に少しダルな部分があるものの、ノンアシストということもあり、ビビッドに反応してくれますので、ワインディングが楽しいクルマです。
Junior-ZはシャーシーやエンジンをGiulia Sprintと共用していますが、それに比べても全体的に軽い印象でした。それは単に車重が軽いという絶対的な「軽さ」だけでなく、エンジン、操作系の軽さからくる
軽快感のある「軽さ」 でした。
彼は良い買い物をしたと思います。
試乗から戻って少し業者の出店ブースを見て回っていると、会場アナウンスで1時間早く終了する旨の案内がありました。確かにこの天候では、私達のように雨をしのぐ場所のない参加者は厳しいだろうと思います。
そしてクルマを一旦動かすことになったのですが、そこで事件は起こりました。タープを張った場所から離れて駐めたR君のアルファ156に荷物を積むために、R君に近くまでクルマを持ってきてもらったのですが、そこは土手状になった道で、彼には道の端が良く見えなかったのです。退場するクルマがひとしきり出てしまい、見送りを終えたスタッフの皆さんが本部に戻る目の前で、彼のアルファ156は土手から前輪を踏み外し、大きく右に傾いて行きました。
私達は土手の下からその光景を見ていたのですが、スローモーションで傾いて行く彼のアルファ156を見てはいても、なすすべはありませんでした。
ところがサスガにスタッフの皆さんは動きが早く、すぐに総出で押し上げてくれたので、何とか事なきを得たのですが、そのまま転げ落ちていたら大惨事になっていただろうと思います。
幸いダメージも少なく、フロント下部のプラスチック製のルーバーが割れた程度だったのですが、彼にしてみれば災難だったでしょう。
例年は20km近い渋滞で、都内に帰るのは夜になってしまうのですが、帰路の中央道は奇跡的に渋滞もなく、あの悪名高い渋滞の名所である小仏トンネルもスムーズに抜けることができました。
天国と地獄を見た
今年のALFA ROMEO DAYは、例年と違った意味で思い出に残るものとなりました。 クリック↓お願いします!
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今年も恒例のALFA ROMEO DAYに行ってきました。
気がつけばもう10年以上参加しているこのイベントですが、昨年が20周年ということで一つの節目であったのですが、今年は天候に祟られてしまいました。
過去にも何度か悪天候のときはあったのですが、今回ほどの降雨は初めてとのことです。
それでも200台以上のアルファ・ロメオが全国から集まって来るのですから、
このイベントがどれほど楽しみにされているかが良く分かります。 かく言う私も毎年参加するのを楽しみにしているのですが、それは単にアルファ・ロメオが集まるイベントだからだけでなく、オーナーズクラブのイベントと違って進行を考えずに気の合った仲間とのんびり過ごせるからなのです。というワケでこれまた例年通り、今年も参加する仲間のためにランチを用意することにしました。もう数年間、「ラウンジ510」と称して皆の食事を用意するのはどういうワケか私の担当となってしまいました。その仕込みは時に徹夜になってしまうこともあり、買出しから準備まで結構大変なシゴトなのですが、
皆が喜んで食べてくれるのが励みになり、年々そのメニューはエスカレートして行く傾向にあります。 今年は、彼女も手伝ってくれるということで一緒にメニューを考えたのですが、結局何か暖かいものを・・・ということでまずはミネストローネスープ。そして、現地であまり調理をせずに・・・と煮込みハンバーグを使ったハンバーガーにしたのですが、それではちょっと物足りないなと考え、さらに現地で揚げる揚げたてコロッケを追加することにしました。仕込みは大変ですが今年は二人ですので何とかなるでしょう。
最大の問題はハンバーガー用のバンズでした。日常目にしてはいても、いざ買うとなると意外に扱っているパン屋さんはありません。最悪は自分達で焼こうかとも思ったのですが、試しにと広尾ガーデンヒルズ内にある
KIRI FRESH というパン屋さんにお願いすると、大きさや塩加減までこちらの指定で焼いてくれることとなりました。
二人でやると仕込みも早く終わり、いよいよ当日となったのですが、残念ながら天気予報は的中して朝から雨が降っています。局地予報では長野の松本は午後から曇りとのことですが、雲行きはとてもそんな風には見えませんでした。
これは雨支度を・・・と以前から持っていたタープを用意することにしました。このタープは15人用と巨大なもので、運ぶのも張るのも一苦労なシロモノです。そもそもは私の知人が購入したのですが、あまりの大きさにとても張れない・・・と頂いたのですが、当然食材や椅子を詰め込んだ115Spiderに載るワケもなく、同行するR君のアルファ156に積んでもらうことにしました。
例によって中央道談合坂SAに集合し、連なって諏訪ICを目指したのですが、同行したアルファ164、166、156に115Spiderでは巡航速度が違います。それでも暫くは115Spiderを先頭にオトナしく走っていたのですが、ついに辛抱できなくなったのか2台のアルファ164が飛び出して先に行ってしまいました(苦笑)
それでもほどなく第二集合地点のおぎのやに到着し、また全車揃って会場を目指したのですが、案の定雨が止む様子はありません。
到着した会場は入場待ちのアルファ・ロメオ渋滞(笑)ができていました。その理由は例年のようにグランドに駐車ではなく、周辺の芝生に駐車となってしまったからでした。
こんなことはALFA ROMEO DAY始まって以来、初めて なのだそうですが、降り続いた雨のせいでグランドがぬかるんでしまい、クルマが入れないのです。
仕方なくグランド外周の通路部分や周辺の芝生部分にクルマを駐車したのですが、とても駐車し切れず、一部の車両は蓼科パークホテルの駐車場に駐め、アルファ・ロメオのワゴンでピストン輸送することとなってしまいました。このワゴンは連休中に毎日お邪魔した箱根のカフェ・ジュリアのクルマなのですが、これに乗るのも一興だったのかも知れません。
ようやくクルマを駐車し、持ってきた巨大タープを張る場所を・・・と探したところ絶好の場所を見つけました。それはグランドから少し下がったところにある人工池の端の芝生でした。タープの設営は皆さんにお願いし、持ってきた食材を降ろそうとしたところ最初の事件は起こりました。
何と!トランクオープナーのワイヤーが切れてしまったのです。このままではトランクが開きませんから折角持ってきた食材を出すことが出来ません。さてどうしたものか・・・と同じ115Spiderに乗っているALFA DAY事務局のT君に相談したところ、「ワイヤーを切ってしまえば?」とアドバイスをもらいました。確かにこのままではどうしようもありませんし、どうせ交換することになるのですから、ワイヤーを切断することにしたのですが、悲しいかな工具はトランクの中です(泣)
これまたありがたいことに、同行しているのはアルファ164という地獄クルマ(笑)ですから、必要な工具はすぐに調達することができました。しかも恐ろしいことに電工ペンチまで揃ってしまいました。
ワイヤーを切断し、中のケーブルをペンチで引っ張るとトランクは無事に開いてくれました。またまた部品を調達して修理しなければなりませんが、ひとまずは開いたので良しとしましょう。
早速、食事の用意を始めて皆で食べ始めたのですが、お陰さまでメニューも好評で、かなり余裕を見て持ってきた食事は見事に空になってしまいました。
本来ならばこれでめでたく解散ということになるのですが、事件はこれだけでは終わらなかったのです・・・。
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クルマ好きの方にとって洗車は好き嫌いの分かれる作業ではないでしょうか。
洗車ヲタクと呼ばれるほど、様々なケミカル剤やワックスを試してとことんまでクルマを磨き上げる方もいれば、ガソリンスタンドの自動洗車機任せで全く無頓着な方もいらっしゃいます。
ただ不思議なことに私自身は、あまり他の方が洗車しているところに立ち会ったことがないのですが、確かに洗車という行為は、一人でやるものであまり仲間とワイワイ洗車をするものではないのでしょう。ですので、
他の方がどのように洗車しているのか興味があります。 連休中に結構ドライブした115Spiderを洗車することにしたのですが、私自身は洗車という作業を好きな部類に入ると思います。私は洗車を大雑把に3段階に分けています。まずはスペシャル洗車ですが、この場合は一日仕事で、エンジンルームからタイヤハウスの内部まで洗います。次に普通の洗車で、月に一度程度行うボディのワックスがけを中心とした洗車です。そしてちょっと汚れたりしたときに行うスポット洗車で、これは軽く水洗いをする程度に留めています。
今回は普通の洗車をしたのですが、この工程をご紹介したいと思います。
115Spiderの駐車場はホースで水をかけることができません。ですので、バケツの水のみで洗うことになるのですが、それを前提にお読みいただければと思います。
まずはスポンジでボディを軽く水洗いし、その後に泡立てたシャンプーでボディを洗って行きます。シャンプーは写真のSONAXのものを使っているのですが、泡立ちと保ちのよいシャンプーだと思います。
幌は閉じた状態で上から順番に洗っていくのですが、あまり擦らずに軽くボディを撫でるように洗っています。タールやピッチなどが付着している場合は、シャンプーでは落ちませんのであまり深追いをせずに、シャンプー後にケミカル剤で落とすようにしています。
シャンプー剤は乾くとかえってシミになるので、夏場や空気が乾燥しているときにはバケツを2個用意して、パネル毎にシャンプーと水洗いを交互に行うと良いでしょう。今回はあまり乾燥しなかったのとSpiderが小さかったのでイッキにシャンプーしてしまいました。
続いて水洗いですが、ホースで水をかけられませんので、スポンジでシャンプー剤を洗い流して行きます。一通り洗ったらセーム皮で水分を拭くのですが、私はこのプラスセームを永年愛用しています。適度な厚みと水含みの良さで、使いやすい人工セーム皮だと思います。
ボディが綺麗になったらワックス掛けですが、このワックスは色々とコダワリが多いのではないでしょうか。一般的に塗りやすく拭き上げやすいものは保ちが悪く、その逆のものは長保ちすると言われていますが、必ずしもそうではないと言うヒトもいて正直良く分かりません。ただ言えることは、液体ワックスより固形ワックスのほうが手間はかかる分、出来上がりの艶と保ちが良いのではと思います。
私の洗車の師匠?は友人のK君で、彼の洗車にかけるコダワリは相当なものです。最近愛用しているワックスは彼のご推薦で、この艶、保ち、作業性がバランスされた使いやすいワックスです。このブランドはスーパーオートバックスなどで取り扱われていますので、比較的入手し易いと思います。
ワックスの塗りこみはそれほど神経を使う必要はないと思います。良く直線的に塗れとか言われていますが、それほど神経質になる必要はなく、むしろ気を遣うのは厚く塗り過ぎないことだと思います。塗装面に残るワックスの厚みは同じですので、厚く塗ってもそれだけ拭くのに手間がかかるだけで意味はありませんので、できるだけ薄く延ばして塗ってやります。
このワックスは拭き取りが楽なので本当に助かります。拭き取りは一般的な使い捨てのクロスペーパーを使用していますが、コツはケチらずにどんどん新しいものに替えて拭くことだと思います。
ワックスの仕上がりはこんな感じです。液体ワックスなのですが、固形ワックスのような深い艶があり気に入っています。
次にトップの掃除ですが、この115Spiderはビニール製のトップですので、簡単に汚れを落としてやることができます。用意するのはビニールクリーナーです。私は写真のを使っていますが、家庭用のマイペットなどでも良いと思います。
半分拭いた状態です。黒なので目立たなかったのですが、雑巾が真っ黒になるほど汚れていました。
そして保護剤を塗ってトップの掃除は終了です。
オープンのリアウインドウの曇りは皆さん苦労されているのではと思います。折りたたみ時の傷はもちろんのこと、汚れを放置しておくと細かい傷がついてしまい後方視界の妨げになってしまいます。
私はこのプレクサスで磨いているのですが、初めて使ったときは感激しました。
そしホイール掃除に移ります。ヨーロッパ車のブレーキは国産に比べてダスト量が多く、すぐにホイールが汚れてしまうのですが、今回パッドを替えたことにより随分と汚れがつきにくくなりました。
それでも鉄粉に反応するクリーナーを吹きかけると、あっという間に紫色に変色してしまいます。
足元が綺麗なクルマは気持ちが良いものです。
最後にガラスを磨いて終了となるのですが、今回はくすんだメッキを磨いてやることにしました。最近はあまり使われなくなったのですが、以前は高級車にはメッキパーツが多用されていました。しかしこれらがくすんでくると、イッキにみすぼらしくなってしまうのです。
この研磨剤を綿に含ませた金属磨きはメッキ磨きには最適です。ステンレスの流し台なども磨けるので、家庭用としても使えるスグレ物だと思います。
使い方は簡単で、適量を剥がすようにして取り、メッキ面を磨いてからふき取ればメッキの輝きが蘇ります。
洗車に関しては本当に奥深いものがあり、
効率だけを重視せずに過程を楽しむ気持ちがないと苦行になってしまう と思います。また、自分で洗車することによりボディの傷などをチェックすることができます。
洗車設備がない駐車場でもバケツの水でこの程度の洗車ならばできますので、全くヒト任せの方も、たまには自分で洗ってみることをオススメします。
もし、オススメの洗車方法やケミカル剤があれば是非、教えてください。
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一般のドライバーはサーキットでコンマ数秒を縮めるようなドライビングをするワケではありませんが、
同乗者を怖がらせないドライビング は目指しているのではと思います。
私が彼女の115Spiderを運転しているときに、「何だか地面に吸い付いているよう・・・」と言われたことがあります。過分な誉め言葉なのですが、
スムーズで最低限の荷重移動 が同乗者にはそう感じるのではないかと思います。
クルマは4輪でその車重を支えています。115Spiderの場合は前軸重量は660kgで後軸重量は530kgですから、静止状態では前の2輪に330kgづつ、後ろの2輪に265kgづつの重量が載っていることになります。前後の重量バランスは55:45ですから、バランスの良いクルマではないでしょうか。また、115SpiderはFR形式ですから後輪で駆動し、駆動していない前輪で操舵しているために、その挙動は素直で、そのシャーシーもユルく、サスペンスションもハードではありませんから、走行中のクルマの状態が分かりやすいのではと思います。
走行中のクルマはこの4輪の荷重バランスが刻々と変化していますので、
どこに荷重が載っているかと、次にどう荷重移動させるかを意識しながらドライブすることにより、スムーズでかつ必要最小限の荷重移動でクルマをコントロールすることができ、結果として滑らかな運転ができる のではと思います。加えて言えば、その結果アクセルを踏んでいる時間を長くすることができるので、サーキットでも速く走ることができるのではないでしょうか。
余談ですが、最近のクルマはタイヤの性能も良く、ボディ剛性も素晴らしいことに加えて、様々な電子デバイスに助けられて、クルマの挙動を意識することなしにアクセルを踏みハンドルを切ればクルマは曲がってくれますが、昔のクルマはそうは行きませんでした。常にクルマと路面の状態を把握し、クルマと対話しながらドライブしなければスムーズに走ってはくれなかったために、そういうドライビングスタイルが身についてしまったのですが、現在の若いドライバーは安全デバイスの進歩により最初から電子制御に助けられてドライブしているために、結果的にそういったことに無頓着になってしまっていると思います。土砂降りの雨の高速を平気でトバすドライバーや、首都高のバンピーなコーナーをタイヤのグリップのみで曲がる運転を見ていると、恐らく自分が危険な運転をしていることなど分からずに運転しているのだろうと思います。
同じことをするのでも、分かってやっているのと知らずにやっているのは、その後の危険予知という点では雲泥の開きがあります。 できれば免許を取って最初に乗るクルマは、パワーがなく、安全デバイスも必要最小限のクルマで、まず運転技術を磨くほうが良いと思います。
さて今回のレッスンですが、三段階(三日間)に分けてこのスムーズで必要最小限の荷重移動でクルマを走らせることを学んでもらおうと考えました。
初日はアクセルとブレーキです。一般のドライバーはどうしてもアクセルは加速をするためのもので、ブレーキはクルマを止めるためのものだと思いがちですが、加えて
アクセルもブレーキもスピードをコントロールするためのもの でもあります。それが分かっていないと、ブレーキを踏みすぎてスピードが落ちすぎてしまったり、アクセルを踏みすぎて、またブレーキを踏まなければならないためにギクシャクした運転になってしまうのです。
レッスン場所は箱根で、箱根ターンパイクを登り、芦ノ湖スカイラインでこの練習をしてもらうことにしましたが、連休中ということもあり早朝の箱根も結構な交通量で、しかも朝箱族と呼ばれる腕利きのドライバーではなく、観光でドライブに来たサンデードライバーも多く、後ろから見ていると良い意味での反面教師となってくれました(笑)
まずは登りの箱根ターンパイクですが、急な登り坂はブレーキを踏む必要が殆どないために、
アクセルワークのみでスピードをコントロールする ことを重点に走行してもらいました。そして芦ノ湖スカイラインではその応用で、アップダウンがあるコーナーでそのスピードをアクセルとブレーキでコントロールしてもらおうと思ったのですが、これから
進入するコーナーの最適な速度を見極めるのは経験が必要 で、最初は低速でも恐怖心が先にたって、ついブレーキを多く踏んでしまいます。こればかりは反復して練習してもらう他はないのですが、ちゃんと段々と進入スピードが速くなってきました。
そして2日目は、コーナリングラインで、Out-In-Outという理論を実践してもらい、その効果を実感してもらいました。
本来ならばスピードコントロールとコーナリングラインはセットなのですが、一度に多くのことは混乱してしまいますし、何よりも
今回のレッスンの目的は速く走ることではなく、スムーズに走ること ですので、その要素であるスピードコントロールとコーナリングラインを別に学んでもらうことにより、段々と理解できるように考えたのですが、それが正解だったのかどうかは今後の上達が証明してくれるでしょう。
今回、彼女のために工夫したのは
コーナーの脱出前にパーシャルと呼ばれる加速も減速もしない領域を設定して、安定してコーナリングできるスピードを実感してもらう ことでした。
ちょうど下の図の②番がそれなのですが、コーナーの手前の直線①を使って充分に減速したら、そのスピードで②を走ることにより、どの程度のスピードまで減速すれば、コーナーを曲がれるかを体感してもらおうと考えたのです。ですので、だんだん慣れてくるに従ってこのパーシャル領域は短くなって行くでしょう。
そして③で加速するのですが、これらの加減速をスムーズに行うには走行ラインが重要で、クルマの姿勢が安定した状態で減速と加速を行うことがスムーズに走るコツであることを体感してもらうことができれば、今回のレッスンの目的は達成されるのではないかと思います。
一般的にはこのOut-In-Outというコーナリングラインは速く走ることを目的としたラインですが、私は
安全のためにも必要なライン だと思っています。コーナーの進入時にOutに寄ることで、カーブの先まで見通せるようになるため、少しでもブラインド状態を減らし、カーブの深さや対向車を早く見ることができます。ですので、一般道での走行の場合は極力Out側に寄り、コーナー手前でちゃんと減速していれば、その状況に合わせて、Out-In-InやOut-Out-Outとあらゆるコーナリングラインの選択が可能となるのです。
最終日はカラダで覚えてもらう(笑)ことを目的に、道志みちを通って山中湖から箱根を登るルートとし、たっぷりとワインディングを走ってもらったのですが、随分とスムーズに走れるようになったと思います。
3日間を通じて早朝に都内を出発し、ブランチを箱根の
カフェ・ジュリア でいただいたのですが、日参してくる私たちにオーナーの外舘さんもビックリしていました(笑)
以前にも書きましたが、運転は漫然とすることも、テーマを持って意識してすることもできます。そしてスポーツと同じで、理論と実践がセットとなって初めて上達するものだと思います。こういった練習は何も箱根まで行かずとも、
日常走っている道路でも充分できる と思いますので、これからも引き続き練習してもらいましょう。
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このブログをお読みいただいている皆さんは、恐らく殆どと言って良いほど自動車運転免許をお持ちだろうと思います。しかも、運転技術に関してはアベレージドライバー以上ではないかと勝手に想像するのですが、改めて運転技術というものについて考えてみると、
何をもって「上手い」と言うのかは本当に奥深い なと思います。
私が考える運転技術の三要素は・・・、
1.基本操作がスムーズにできる クルマの操作(MT、AT問わず)をスムーズに行うことができ、日常のスピード領域においてクルマの挙動を制御することができる。
2.交通の中で予防運転ができる 街中(高速道路)で、歩行者や他車の動きを読み、何が危険かを察知することができ、それに対して準備若しくは予防をすることができる。
3.ワインディングでクルマをスムーズに走らせることができる クルマの荷重移動をスムーズに行え、結果として滑らかな走行ができる。
ではないかと思います。もちろんサーキット走行において速く走ることができることも、運転が「上手い」ことだと思うのですが、それは上記の3要素の延長線上にあることで、これらが出来ないドライバーはサーキットを速く走ることはできないのではないでしょうか。
クルマの運転に関しては、
教習所で初歩を習って以降は他人から運転について教わる機会は殆どない と言って良いでしょう。残念なことに交通違反を犯してしまい受けることになる教習も、交通法規に従った安全運転というポイントについてのみですし、一般のドライバー向けに行われる自動車メーカーやJAFが主催するセーフティドライブレッスンを受けたことがある方はさほどいないのではないかと思います。
つまり、殆どのドライバーは教習所を出て以降は、誰からも運転を教わる機会はなく、我流で運転するか、誰かのクルマに同乗する機会に「見て学ぶ」以外は、自分のドライビングを体系的に見直す機会はないのではと思うのです。
以前から「運転を教えて」と言われていたのですが、他人に教えられるレベルかどうかはともかくとして、改めて考えてみると、
永年かけて我流でやってきたことをどうやって教えるのか は本当に難しく、気が付けば出来ていることや、無意識にやっていることを、改めて見直してみると、それをどうやって他人に伝えるのかは本当に悩ましいことでした。
そういえば・・・と運転に関して出版されている本を探して見ると、どれもピンとくるものはありませんでしたが、参考になった本はこの2冊でした。
新潮社から発行されている、言わずと知れた中嶋悟氏の交通危機管理術を10年以上前に購入したのですが、そのときは軽く読み飛ばしただけで、それほど印象には残っていませんでした。当時はあの中嶋悟が・・・という興味で購入したのですが、今回改めて読み返して見ると参考になる本でした。これは私にとって「アンチョコ」で、既に知っていることを「どうやってヒトに伝えるか」という点でとても参考になりました。
新しく免許を取得した方や、運転する彼女に贈るにはうってつけの一冊 だと思います。
そして、これまた有名なポール・フレール氏のハイスピード・ドライビングです。この本は二玄社から発行されており、今回改めて購入したのですが、何度読んでも奥深い内容です。運転を教えるために購入したのですが、自分の参考になる本でした(苦笑)。
これほど理詰めにドライビングに関して考察した本はない と断言できます。「こうすれば速く(スムーズに)走れる」ということを、「何故、それが速いのか」を理論的に解説してくれています。しかもポール・フレール氏という現在は90歳!というベテランドライバーの永年に亙るレーシングドライバーとしての経験と実践に基づく解説は、私ごときがどーこう言う内容ではなく、ひれ伏してご拝聴するしかないものです。
もし、
まだ読んだことのない方は是非読む価値のある一冊 だと思います。
今回のレッスンのテーマは
「スムーズなワインディング走行」 ということでしたので、早速カリキュラムを考えることにしましょう。
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連休中ですので調べものをしながらブログを書くことができます(苦笑)
本日ご紹介するのは戦後のアルファ・ロメオ転進のきっかけとなった1900シリーズの中からSprintと呼ばれるクーペモデルです。
アルファ・ロメオに乗り始めてもう随分経ちますが、当時の最新モデルを新車で購入したり、中古で過去のモデルに乗ってみて感じるのは、このアルファ・ロメオというメーカーの独自性というか個性です。
クルマという工業製品として見たときに、また販売やサービスも含め、トータルで商品として考えたときにも、アルファ・ロメオというブランドは決して上位にランクされるメーカーではありません。故障せずに燃費が良く、使い勝手の良いクルマを作るメーカーはトヨタを筆頭に世界中にあまたあると思います。輸入車に限っても、販売やサービスでもっと優れたネットワークを持ち、信用を得ているディーラーはこれまた多くあるのではないでしょうか。
私個人だけかも知れませんが、クルマを買うという事は、家を買う次に失敗の許されない重要な買い物だと思っています。ですので、どのブランドのどのモデル、そしてどんなグレードを買うか・・・という決断は慎重かつ綿密に熟考を重ねて決定するべきものなのですが、そうやって
理性的に考えれば考えるほど、アルファ・ロメオというブランドは候補車リストの下へ下へと追いやられてしまうのです(笑) では、そんなブランドが何故、今まで生き残っているのでしょう。イギリスでは多くのブランドが消滅し、生き残っているブランドもジャガーを始めとし、その全てが他国の資本傘下に組み入れられてしまっています。フランスでもタルボ、マトラ、アルピーヌ、ファセルとやはり多くのブランドが消えて行きました。
アルファ・ロメオも現在はフィアット傘下にある一ブランドでしかありませんが、そのブランドを残す価値のある何かがあるのではないでしょうか。
私が考えるその理由とは、アルファ・ロメオの歴史において、
経営戦略の転換がいつもギリギリ間に合って来たことと、アルファ・ロメオのブランドアイデンティティである、スポーティという軸がブレなかったため ではないかと思うのです。
皮肉なもので、ブランドアイデンティティを捨てて経営を立て直そうとしたメーカーは、失敗すれば倒産してしまい、他社が救済しようにももはや残す価値のないブランドとなってしまい、アルファ・ロメオのように会社が傾いてでも、
そのアイデンティティにコダワリ続けたメーカーは、例え経営が破綻してしまっても、引き続き価値のあるブランドとして生き残る のです。
商品において最も重要なのが、品質でも性能でも価格でもなくブランドであるというのは今や常識ですが、それはアパレルやラグジュアリー市場だけでなく、自動車においても当てはまるのは、昨今の自動車業界の動向を見れば納得できます。
そんなアルファ・ロメオが自らの意志で積極的に経営方針を転換したのが、戦後の量産車メーカーへの転進ではなかったでしょうか。
1900シリーズについては、過去にもご紹介してきましたので重複は避けますが、戦後の復興がようやく始まったに過ぎない1951年当時はクルマとは実用に供するものであり、加えて言うならばトラックや商用車といった運搬の道具としての需要が主で、ギリギリでセダンのようなファミリーカー、しかも小型車しか販売は見込めない時代でした。同じ敗戦国ドイツでもVWのTYPE1と呼ばれるビートルがようやく販売を開始したのが1949年でしたし、NUOVA500と呼ばれたFIATのチンクェチェントが発売されるのはさらに遅れること1957年でした。一方の日本では1947年にトヨタが完全自力設計のSA型と呼ばれた小型自動車(4気筒995cc)を発売しましたが、ドイツやイタリアに比べても経済状態はさらに劣悪で、全く売れなかったのです。
その時代背景から1951年に発表されたこの1900 Sprintを見ると、これが如何に
量産車メーカーの経営判断としては馬鹿げていた かが分かります。トゥーリング製の流麗なボディを身に纏い、ツインキャブのDOHCエンジン(1884cc)から100hpという高出力を発生し、最高速度180km/hを出すクルマはおおよそ実用車とは程遠く、販売も見込めないクルマであったろうと想像できます。
それでもアルファ・ロメオはこのクルマを世に出したのです。それは戦前から現在に至るまでのアルファ・ロメオのアイデンティティの証であり、そしてこんなクルマを作ることのできるアルファ・ロメオを消費者は支持し、いつかは・・・という夢を与えたのではないでしょうか。
もちろんアルファ・ロメオは現在のマーケティング理論に基づくブランディングなどということは考えてはいなかったろうと思います。むしろ
湧き上がるパッションに突き動かされてデザインし、世に出すことのみを考えて製造した のでしょう。敗戦後のまだ荒廃した国土と、疲弊しきった国民の前にこのクルマを見せることで、自分達イタリア人のプライドを呼び覚ましたかったに違いありません。
本来のブランドとはそうやって作られるもの ではないでしょうか。
付属するミニチュアモデルは1954年のモンツアに出走したモデルですが、そのワイヤースポークの再現といい、このシリーズの中でも良く出来たミニチュアだと思います。
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本日ご紹介するのは、過去にも一度ご紹介したGiulietta SZで、その中でもテールを伸ばしてその先端を切り落としたコーダトロンカと呼ばれるテールエンドを持つSZ2というモデルです。
後年、有名になったGiulietta SZですが、それは決して当初から計画されたものではありませんでした。1956年のミレ・ミリアに出場したブリオーロは愛車Giulietta SV(Sprint Veloce)をアクシデントで大破させてしまいます。彼はそのクルマを修復すべくザガートに持ち込んだのですが、そこで単に修復するのではなく、オリジナルのスチールボディをより軽量なアルミボディに変更し、デザインもより空力特性を向上すべく変更し、さらに軽量化を果たします。オリジナルのGiulietta SVでも895kgと充分軽量であったその車体はこの改造により750kgにまで軽量化されたのです。
あくまで、個人ベースによるこの改造後、ブリオーロによってレースに出場したこのGiulietta SVは後にSVZ(Sprint Veloce Zagato)と呼ばれ、好成績を収めると他のGiulietta SVオーナーも注目するようになります。結果、個人ベースでの改造というカタチで17台ものSVZが誕生することになるのですが、それはあくまで改造車としての数であり、
量産車としてはとてもコストに見合うものではなかった のです。
当時のアルファ・ロメオはGiuliettaベースのスペシャルモデルはベルトーネに発注しており、それはSS(Sprint Specilale)と呼ばれる流麗なクーペボディでした。最初から量産を前提としていたSSは、そのボディはスチール製で、それでも軽量化されたその車体は860kgとなっていました。
そこに全く予期せずにSVZが登場することにより、当初アルファ・ロメオが考えていたSSをレースに投入する計画は見直されることになります。
純正のワークスカーが改造車に負けるワケにはいかなかった のです。
アルファ・ロメオはSSをラグジュアリークーペとして販売し、レース用のスペシャルモデルは改めて、ザガートに発注することにします。こうして誕生したSZは
アルミのハンドメイドボディを持ち、極めて生産性が悪く、高価なモデルとなってしまい、アルファ・ロメオが計画したものとはかけはなれたものとなってしまった のです。
それでもSZは改造車SVZより空力特性に優れ、車両重量は785kgと若干重いものの、たちまちレースで活躍するようになります。そしてハンドメイドとしては異例とも言える210台が製造されるのですが、その製造工程から各車とも微妙にカタチが異なっており、後にレプリカボディも登場したりしたために、一体どれがオリジナルか定かでなくなってしまいました。
そもそも事故車のオコシから始まったこのSZですから、車台番号が合ってさえいれば、オリジナルのボディ・・・というのはあまり意味がないのかも知れません。
事実、ザガートもそのボディをより空力特性を改善すべく、改良したボディをデザインしました。それがこのSZ2と呼ばれるボディで、ノーマル?のSZのラウンドしたテールを伸ばし、当時の最新理論であったコーダトロンカと呼ばれるリアを切り落としたデザインとし、おまけに15kgの軽量化を果たして性能アップをしたのですが、その生産台数は30台と少なく、レースでクラッシュしたりして現存する台数は10台程度と言われています。曖昧な台数なのは前述したように、ザガート自らが後にSZを改造したモデルも存在したと言われているからで、こうなるとホンモノ、ニセモノの区別がつかなくなっていますが、最近の研究で車台番号とエンジン番号が分かってきましたので、もし売り物が出れば、
購入者が何をホンモノとするか判断できるようになってきた のは喜ばしいことだと思います。
ビジネスとしては決して成功とは言えなかったSZですが、その先進性とレースでの活躍により、後年アルファ・ロメオのレーシングモデルの代表作とまで言われるようになったのは本当に皮肉なものです。しかし、本来ならば「勝手なことを・・・」とお目玉を食うような改造車販売をしたザガートを咎めることもせずに、正式プロジェクトとして認知し、最終的にはTZ2に至るまでレースに投入したアルファ・ロメオにもびっくりします。やはり
会社の体質が販売よりもレースだったのでしょうか(苦笑) 付属するミニチュアモデルは1963年のル・マンに出場したものです。SZ2はSZよりもさらに個体差が大きいと言われていますので、このミニチュアモデルが実車に忠実なのかどうか定かではありませんが、素直にその格好良いカタチを楽しむことにしましょう。
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