しばらくクルマのブログを書いていませんでした(苦笑)が、私の現在の愛車である916Spiderはナニゴトもなく日常のアシとして働いてくれています。そのことそのものはシゴク当たり前のことなのですが、ずっとトラブルネタを楽しみにしていただいている皆さんには本当に申し訳なく思っています(笑)
一方で彼女の許にやってきた115Spiderは4月26日でちょうど2年となりました。この間は初期化と基本部品の交換に結構な費用を費やしてしまいましたが、そのおかげもあり毎日の通勤や週末のドライブへと大活躍してくれています。改めて思うのは
設計が旧い115SpiderでもSr.4になると、AC、PW、PSを装備し、加えてATであれば、きちんと整備をしておきさえすれば日常のアシとして充分使える ということです。もちろん現代のクルマに比べるとボロい部分は多々ありますが、それを補って余りある快感を与えてくれるのが115Spiderではないでしょうか。
全くクルマの運転をしなかった彼女の許に115Spiderがやってきてからの2年間で、彼女の生活は大きく変化したのではと思います。
最初はおっかなびっくりであった運転も、毎日の通勤で随分と上達しましたし、何より行動範囲が広くなりました。また彼女の仕事関係の知り合いの方々の中にもクルマ好きの方が意外に多く、アルファ・ロメオを話題に親しくなれることも多いと聞いています。加えて、アルファ・ロメオ関係のイベントに連れ出したこともあり、様々なクルマに触れる機会も増えて、「目が肥えて」来たように思います。
私自身は免許を取得してから25年以上の間、ずっとクルマに乗り続けて来ましたし、アルファ・ロメオに関しても20年近く乗っていることもあるため、アルファ・ロメオのある生活が当たり前になってしまっていますが、彼女にとってはアルファ・ロメオとの生活はおろか、クルマのある生活も新鮮で、
人生をより楽しむためになくてはならないもの になったようです。
何より嬉しいのは、115Spiderに飽きてしまうかと思いきや、その愛着はどんどん深まっているように見受けられることです。
そんな彼女の115Spider2周年を記念して、115Spiderオーナーの友人と2台でドライブに行こうということになり、大好きな南伊豆に出かけることにしました。
この赤いSpiderは一時、原因不明のエンジンの突然死というトラブルに見舞われ、何度も主治医に入院させたのですが、そのときに限って症状が出ないという、最も原因特定ができないパターンに苦しむことになってしまいました。私自身も夜中に呼び出されたり(苦笑)、随分苦労をさせられ、ようやくアース不良であることが判明し無事に修理完了となったので、今回は安心して遠出することができます。
今回のテーマはドライブピクニックで、ランチを用意して行ったのですが、
特筆すべきは115Spiderのトランクスペースの広さ です。手動のトップのおかげでもあるのですが、あまたのオープン2シーターの中でも恐らくトップクラスの広さではないでしょうか。スペアタイヤがテンパーサイズではなくノーマルサイズのため、トランクの底が浅くなってはいるのですが、椅子4脚と折りたたみテーブル、クーラーバッグに鍋や食材をすべて納めることができました。残念ながら916Spiderではこうは行きません(苦笑)
待ち合わせは東名高速の海老名SAで、オーナーズクラブの集合場所としてもお馴染みのSAです。
当日は明け方まで降っていた雨もようやく上がり、天気予報では急速に天気が回復すると言われていましたので、行楽や帰省のクルマで混み始めて来たSAで待つことしばし、赤Spiderが現れました。
心配していたエンジンの突然死もどうやら大丈夫なようで、いよいよ2台で南伊豆へ向けて出発です。
ルートは厚木ICで小田原厚木道路へ合流し、小田原西ICで海へ向かって行くルートです。この道は西湘バイパスの早川ICへ繋がるのですが、合流する際に突然目の前に海が開ける大好きなルートです。そして真鶴道路を通って熱海に向かうのですが、この真鶴道路と熱海ビーチラインは海岸線を左に見ながら走る海の眺めが素晴らしい道路です。小刻みに料金所がありお金を払わなければならないのが玉に瑕ですが、お金を払う価値のある道路だと思います。そのまま海岸線を南下し、南伊豆の弓ヶ浜まで約3時間半のドライブで到着です。
この弓ヶ浜は大好きな海岸で、クルマを停めるとそこには遮るもののない素晴らしい砂浜が広がっています。
ここで、用意したランチを広げてピクニックを楽しんだのですが、休日にもかかわらずあまりヒトのいない海岸で、のんびりとランチを楽しむことができました。こうしたゆったりとした時間の過ごし方は本当にSpiderに似合います。
その後は天城トンネルを抜け、伊豆長岡温泉で温泉を楽しんで帰途についたのですが、例え日帰りでも
このコースはドライブの充実感と現地での楽しみの両方を味わえるコース だと思います。
これからの季節はオープンドライブには最高ですので、できるだけSpiderを連れ出してやることにしましょう。
クリック↓お願いします!
スポンサーサイト
テーマ:ドライブ - ジャンル:車・バイク
離昇出力の低い軽飛行機の場合、原則として離陸時は無風もしくは向かい風が必要となります。その日は風が強過ぎて、飛行クラブの内規により離陸できないかも知れなかったのですが、何とか風も弱まり、無事に離陸することができました。
エンジンはセルモーターで自力でかけることができますが、もっと煩いかと思いきや、鼻先でエンジンが唸りを上げてはいますが、キャビンの中では会話が充分可能です。
管制塔より離陸許可をもらい、ランプ(駐機場)から滑走路の端までタクシーウェイと呼ばれる通路を自力で地上滑走し、いよいよ離陸です。
北からの風であったため、南北の滑走路を北に向かって離陸し180度旋回して南の横浜を目指したのですが、
ジェット旅客機と異なり、その上昇速度はゆっくりとしていますので、地上の景色をたっぷりと眺めることができます。 旋回して滑走路に対して並行に通りすぎる際に、調布飛行場を改めて見るとその狭さに驚きますが、大島などへの近距離定期便はターボプロップと呼ばれるプロペラ機で、ジェット旅客機は発着しませんので、この長さでも充分なのでしょう。実際にもしジェット旅客機が発着するには最低でも3000mの滑走路が必要となるのです。
望むべきは本来はあった横風用の東西方向の滑走路ですが、今やそれは無理な相談でしょう。 予定通り巡航高度まで上昇して、水平飛行に移ったのですが、気流の状態はあまり良いとは言えず、機体が上下に振られますが、私自身はすぐに慣れてしまいました。よく小さな飛行機は怖い・・・と言う方がいますが、
軽飛行機は仮に空中でエンジンが停止してしまっても、高度にもよりますが、グライダーのように滑空で10km程度は飛ぶことが可能 だそうです。実際にパイロットの方にハナシを聞いてみると、常に今エンジンが停止したらどこに非常着陸するかを考えながら飛ぶそうです。もちろんその第一候補は空港なのですが、
最悪でも河川敷やゴルフ場ならば何とか非常着陸できる のです。
そして、目的地である横浜みなとみらいのランドマークタワーが近づいてきたときに、隣のパイロットの方が全く思いがけないことをしてくれたのです。
それは、本当に突然で全く予期していませんでした。彼は隣の私に向かっていきなり・・・
「操縦してください。ハイっ!」 とコントロールハンドルから手を離してしまったのです。それまでの会話の中で、私がある程度、飛行機の操縦に関しての知識があると思ったのでしょう。
計器の説明も操縦の仕方についても何も説明なく、いきなり操縦を任されたのにはたまげました(苦笑)。 もちろん彼はそうは言っても、万が一の時にはすぐに操縦を替われる体勢を取ってはいましたが、そんな気配はおくびにも出さずに、後席の搭乗者に向かって振り返りながら、
「今、操縦してもらってます」 などと説明をしています。
私はと言えば、突然のことにビックリしたのですが、実際にコントロールハンドルを握ると、思った以上に気流の影響を機体が受けており、機体をまず安定させるために細かくハンドルを調節するのに一生懸命でした。
飛行機はコントロールハンドルを手前に引くとエレベーター(昇降舵)と呼ばれる水平尾翼の舵が上下し、機首を上下させることができます。クルマですとハンドルを左右に回して方向を変えるのですが、飛行機の場合はハンドルを左右に回すと、主翼に付いているエルロンと呼ばれる舵が上下に動きます。その動きは左右反対に動くために、左に回すと左翼が下がり、右に回すと右翼が下がります。これで機体を左右に傾ける(バンク)ことができるのです。
方向はフットバーと呼ばれる左右のペダルによって垂直尾翼の舵を動かして変更します。そしてさらにフラップと呼ばれる主翼の面積を変える補助翼を動かして、翼の揚力を調整しなければならないのですが、これは離着陸時にしか使用しませんので、今の私にとっては関係のない部分ですので忘れましょう(苦笑)。
そしてコクピット正面に取り付けられたコンパスで方向を確認し、水平儀と呼ばれる計器を横目で見ながら
機体を水平に保って飛行していたのですが、これは本当に難しい作業 でした。
パイロットの方は内心冷や汗モノだったのでしょうが、
「なかなか上手いですねぇ」 などとお世辞を言いながら、少々機体が振られても全く助けてくれる様子はありません。本来ならばスロットルを調整してエンジンの出力も変えなければならないのですが、彼はスロットルを調整することはせずに、私ももはや手一杯でそれどころではありません(泣)
そして少しですがコツが分かってきました。最初の私は機体の姿勢変化に対処していたのですが、
正しくは先を読んで機体を制御する ことだったのです。この辺りはクルマの運転にも通じるものがあるのですが、道路と違って気流は見えないので五感を総動員しなければなりません。
ようやく安定して飛行できるようになったのを見極めたのか、次に彼は左旋回を指示してきました(泣)
それまでフットバーは殆ど操作せずに水平直線飛行を続けていたのですが、今度は機体をバンクさせ、フットバーで方向を変えるという操作をしなければなりません。下の写真で地平線が右に傾いているのがお分かりいただけるでしょうか。最初私は恐ろしかったのとスロットルが一定だったためにエルロンをあまり使わずに(バンクを抑えて)ラダー操作のみで旋回を試みました。機体をバンクさせると揚力が減少し、高度が下がってしまうのです。しかし・・・、
「もっとバンクさせましょう」 と言われてしまいました。確かに多少高度が下がっても、そうしなければ旋回半径は大きくなってしまい、いつまでたっても180度旋回はできません。そこで彼に操縦を戻してやって見せてもらったのですが、私自身が思っている以上に思い切り良くエルロン操作をしていたのが印象に残りました。
しかし、私が操縦したのは本当に一部分のみで、これから一番大変な着陸という作業が待っています。やはり風は強く、しかも味の素スタジアムが滑走路横に建設されたために、気流が乱れて着陸は一層難しくなったそうです。
本来ならば滑走路に対して直線でアプローチするのですが、風の影響が強いと斜めに進入し、着地寸前に機体を滑走路に正対させるそうで、あらかじめ私たちがビックリしないように予告されていたのですが、次第に風も安定してきたために実際のアプローチはストレートで、フラップもフルフラップという一番下げた状態でゆっくりと着陸することができました。着地もほぼ三点着陸と呼ばれる三つの車輪を同時に着地させる理想的なもので、
ベテランパイロットの妙技を見せていただきました。 着陸後に彼はこともなげに、
「ちょっとガソリンを入れて行きましょう」 と、機体を滑走路脇の燃料スタンド(笑)までタキシング(地上滑走)させて行ってくれました。これも恐らくサービスだったと思うのですが、飛行機の給油に立ち会える機会もそうあるものではありません。
それまでは同乗者として見ていた飛行機の操縦でしたが、
いざ自分でやって見ると大変な作業です。 さぞかし後席の搭乗者は怖かっただろうと思いましたが、着陸してから聞いて見ると、
「全然フツーだった」 と慰めてくれました。しかし・・・、
こんなに面白いものはありませんでした。正直ハマってしまいそうです(笑) これで誰も飛行機酔いをしないことが分かりましたので、次回はアシを伸ばして大島まで飛んで行こうということになったのですが、もし機会があれば次回はもう少しマシな操縦ができると思っています。
それまではPCのフライトシュミレーターで訓練でもしておきましょう。ただし私が持っているのはマイクロソフト社のコンバット・フライト・シュミレーターですので、
セスナより遥かに出力の高い戦闘機を操縦し、常に索敵をしながら敵機を撃墜しなければなりませんが・・・(爆) クリック↓お願いします!
テーマ:その他 - ジャンル:車・バイク
調布飛行場では格納庫の建物はそれぞれが独立しており、建物の中には各飛行クラブのラウンジと事務所が併設されています。
私たち3名はプロペラカフェの駐車場にクルマを停めて、目指す
IBEX という飛行クラブの建物に向けて歩いて行ったのですが、その建物に入ろうとしたときにふと前の駐車場を見ると目に飛び込んできたのは、何とランチア・フルビア・スポルトザガートでした。こんなクルマは博物館かイベントでしか見ることはできないのですが、それが飛行場の駐車場に当たり前のように停まっているのです。
建物に向かっていた私たちは急遽方向転換をし、駐車場に向かったのは言うまでもありません。
こんな機会はめったにはないのです(苦笑) このフルビアは完全にレース仕様ですが、オーバーフェンダーを含め、そのモディファイは当時のままでオーナーは相当のマニアだと思われます。飛行場に出入りされるような方なのですから当然と言えばそれまでなのですが、そのコダワリに満ちたモディファイには本当に感銘を受けました。
ホイールもカンパニョーロのマグネシウム製です。このホイールも現在は入手難で持ち逃げ(苦笑)したくなるほどの逸品です。
そしてその隣に駐車していたのはプジョー206のWRCワークス仕様です。単なる外見だけのコスメティックモディファイかと思いきや、フルロールケージが組んであり、その汚れ具合(失礼)は実際にラリーを走っているように見受けられました。
そしてトドメはデロリアン!です。しかもコンディションは抜群の個体で、
こんな稀少車がフツーに停まっている調布飛行場は恐ろしい場所です。 私たちはこれからセスナに乗ることも忘れ、写真を撮りまくってしまいましたが、そろそろ約束の時間にもなったので、後ろ髪を引かれる思い?でこれらのお宝を後にしました。
今回、私たちを乗せてくれたパイロットの方は航空大学出身で、ヘリコプター免許も持っている方でした。現在は全く飛行機とは関係のない職業に就いておられるのですが、飛行時間は7000時間を越えるということですので、アマチュアパイロットの中ではベテランの部類に属するでしょう。まるでラグビーかアメフトの選手のような体格と柔らかな物腰で、一目で安心して任せられるタイプの方でした。
軽飛行機と言えども離陸前の手続きは旅客機と全く変わりありません。天候調査をし飛行計画書を提出することから離陸準備は始まります。その日は風も強く、雲底も3000フィート(約900m)とのことでしたので、飛行高度は2000フィートで横浜のみなとみらい周辺を一周して帰ってくるルートとなりました。飛行時間は約20分程度と短いフライトとなりましたが、気流が不安定なことと初めて私たちを乗せるため、飛行機酔いなどの心配もあったのでしょう。
今回乗ることになったのはセスナ172P SKYHAWK IIという機体です。
軽飛行機を総称してセスナと呼ぶことが多いのですが、セスナとは航空機製造会社の名前ですので、クルマを総称してトヨタと呼ぶようなものです。 ですので、最初に「セスナに乗らない?」と誘われたときに真っ先に調べたのが、IBEXがどんな機体を持っているかでした(苦笑)。
セスナ172P SKYHAWK II はセスナ社の製造する機種の中でも最もポピュラーな機体で、機体の特徴は高翼単葉でニ羽の固定ピッチプロペラを装備しています。
一般の方がセスナと聞いて思い浮かべるのがこのカタチ ではないでしょうか?
高翼という胴体の上部に翼が付いている形式は乗員の乗降が楽で、下方視界も良いことから軽飛行機には多く採用されている形式ですが、一方で低翼という胴体の下部に翼が付いているタイプに比べると最高速度は低く、またアクロバット飛行にはあまり向かないと言われています。
172Pのエンジンはライカミング社製の水平対向4気筒エンジンで、クルマと同じくガソリンで動きます。クルマのエンジンとの違いは、ギアボックスがなく、スロットルのみで回転数を調整することで、クルマが地上の1気圧の状態で燃焼を調整するのに対して、飛行機は様々な高度を飛ぶために、ガソリンの混合をチョークで調整できるようになっています。最高出力は160hpですので正しくクルマと同様と言ってよいでしょう。しかし最高速度はさすが飛行機で、対気速度は222km/hも出すことができます。乗員は4名で最大510lb(約230kg)を乗せて約1000km飛行することができますので、5時間~6時間のフライトが可能です。
このように
性能は必要にして充分なことに加えて、構造がシンプルでエンジンも整備しやすく、機体の維持費も安いことから、セスナ社のこの機種がその社名が軽飛行機の総称となるほど世界的にベストセラーとなったのは当然 です。
そして飛行前の外部チェックを行うのですが、これもパイロットの役目です。各動翼の動作点検に加えて各パネルが確実に固定されているかどうかを機体によじ登ってまでチェックします。これらのチェックはチェックリストに従って行われるのですが、
どんなベテランであってもちゃんと声を出して指差し確認を行わなければならないのは、不具合が即時に命に係わる飛行機ならでは でしょう。
しかし、最近はクルマに乗る前に始業点検を殆ど行っていない自分自身を考えると、反省することしきりです(苦笑)
飛行機のチェックリストとはこのようなもので、チェックすべき項目の量はともかく、その内容の大筋は旅客機から軽飛行機まで同じです。
さて、飛行前の外部チェックも無事に完了し、キャビンに私たちも乗り込みました。そしてコクピット内の計器のチェックが始まったのですが、機体の製造年が旧いこともありその計器の殆どがアナログで、個人的にはこちらのほうが何の計器かが分かりやすく安心できます。特に無線の周波数を表示する部分は液晶でもダイヤルでもなく、何と!光電管方式でした。
さて離陸前のチェックは無事に終了し、いよいよ離陸です。
クリック↓お願いします!
テーマ:その他 - ジャンル:車・バイク
私のブログを継続して読んでいただいている方は薄々気が付いていらっしゃるかと思いますが(笑)、
実はクルマと同じ位と言って良いほど飛行機も大好きです。 子供の頃はホンキでパイロットか航空整備士になるのが夢でした。中学受験をし、大学まで一貫教育であった関西学院中学部に合格したために文系の学部に進学したのですが、もし入試に落ちて公立校に進学していたならば、航空大学を目指したかも知れません。
ですので、学生時代にもアルバイトで飛行機に乗るチャンスがあれば、イチもニもなく飛びついてヘリコプターやら軽飛行機やらに乗せてもらっていましたし、以前勤務していた外資系の会社でアメリカ出張があると、通常ならば直行便で飛ぶルートを、わざとニューヨークやワシントンDCに一度降りて、コミューターと呼ばれる小さな飛行機に乗り換えるフライトで旅程を組むほど、
様々な機種に乗ることを楽しみにしていた のです。
そんな私にセスナに乗ってみない?というお誘いがあったのですから、断るワケがありません。喜び勇んで調布飛行場に出かけたのですが、実はなかなかチャンスがなく調布飛行場を訪れたのは初めてでした。
ユーミンの歌で調布基地と歌われている調布飛行場ですが、その歴史は古く昭和16年(1941年)にまで遡ります。当時は軍民共用の飛行場として建設されたそうですが、太平洋戦争の開戦に伴い、陸軍航空隊占有の飛行場として使用が始まりました。現在の滑走路は南北に800mのものが一本だけですが、当時は南西方向に横風用滑走路がもう1本あったようです。当初は飛行訓練や試験飛行用に使われたのんびりした飛行場でしたが、それもそのはずで、開戦当時の破竹の勢いで勝ち続けた日本では東京を防空する必要性は全く意識されておらず、
戦場ははるか彼方のもの だったのです
ところが翌年の1942年4月18日にその東京が初めて空襲を受けることになります。日本本土の警戒圏外の空母ホーネットから航続距離の長い双発のB-25爆撃機をムリヤリ発進させ、当然、着艦はできないために、そのままヒットエンドランで中国へ飛ぶという、捨て身の戦法で実施された日本本土初空襲です。そのようなわずか16機の空襲はもちろん損害軽微であったのですが、
効果的な迎撃が全くできなかったため、陸海軍軍部の受けたショックは実際の損害以上で、急遽東京を始めとする大都市防空のために航空戦力の再編成を余儀なくされる こととなります。
本来ならば最前線に送られるはずであった新鋭戦闘機とパイロットが本土防空に振り向けられたのですから、そういう意味ではこの空襲は効果絶大であったとも言えるでしょう。
その東京防空の重大拠点として陸軍は、調布飛行場に当時の最新鋭戦闘機三式戦(キ61)飛燕を装備する飛行第244戦隊を配備します。一方海軍は厚木基地に同じく局地戦闘機雷電を装備する第302航空隊を配備するのですが、そのハナシは別の機会にできればと思います。
現在の調布飛行場にも戦争の傷跡は残っており、早速見に行ったのが援体壕と呼ばれる空襲から飛行機を防御するコンクリート製の格納庫です。空港のコントロールタワー前を通り過ぎて、滑走路北側の公園内にその援体壕はありました。こういった建造物はどんどん取り壊されてしまうのですが、ここの援体壕はちゃんと保存されており、壕の開口部に取り付けられたカバーに三式戦の絵を描いて、どのような形で戦闘機が収納されていたかが偲ばれるようになっています。
壕全体は戦闘機1機がやっと収納できるだけの大きさで、入り口と主翼を収納する部分は広く、尾翼の部分は狭くなっています。これでは上空から見ると飛行機が入ってますと教えているようなもので、本当に隠せていたのか?と思いますが、調布飛行場はもちろん米軍に知られていたのですから、
隠すというより護るというのが目的だった のでしょう。
また、脇に設置されている説明板にはミニチュアが展示されており、分かりやすく見せる工夫には好感が持てました。
近づいて壕を見てみると、そのコンクリートの厚さも必要最低限で、
爆弾の直撃を受けたらひとたまりもなかったでしょうが、至近弾や機銃掃射からの防御ならば充分 だったろうと思います。
早く着いた私たちはそんな散策をした後にランチを取ることにしたのですが、格納庫の中にある
プロペラカフェ というレストランに行くことにしました。ここは格納庫内の飛行機と滑走路を離着陸する飛行機を見ながら食事をすることができるのですが、休日ということもあり順番待ちができるほど結構混んでいました。聞けば平日ならば本当にのんびりと食事をしたり、レストラン内に設置された本格的なフライトシュミレーターに乗ったりすることができるそうなので、
ここに来るためだけに調布飛行場を訪れても良い かも知れません。
そして、ここでもう一人の同乗者であるアルファ164オーナーズクラブの仲間であるkobuさんと待ち合わせて、いよいセスナに搭乗となったのですが、そう簡単に乗ることはできなかったのです。
いやぁ・・・
恐るべし調布飛行場 です・・・。
クリック↓お願いします!
テーマ:ドライブ - ジャンル:車・バイク
この記事を書くべきかどうか迷ったのですが、未だに解決していない事件なので情報提供のお願いという意味も込めて書くことにしました。
タイトルに書いた卑劣な行為とは
「ひき逃げ事件」 のことです。
残念なことに新聞記事そのものを私は見ていないので、ネット上で一番詳しいレスポンスの石田記者の記事によると、その事件の内容は・・・
男性がひき逃げされて死亡、目撃者多数もクルマは見ず 13日朝、大阪府東大阪市内の市道で、道路を歩いていたとみられる男性がクルマにひき逃げされて死亡する事故が起きた。警察では死亡ひき逃げ事件として捜査を開始。現場に落ちていた塗膜片から車両の特定を進めている。 大阪府警・河内署によると、事故が起きたのは13日の午前8時20分ごろ。東大阪市菱江2丁目付近の市道で、男性が頭から血を流して倒れているのを通行人が発見、警察に届け出た。 男性は近くの病院に収容されたが、全身強打による外傷性ショックなどが原因で間もなく死亡。現場にクルマのものとみられる塗膜片が落ちていたことや、近くの公園でゲートボールをしていた複数の人が「ドーンという音が響いた後、男の人が宙を飛んでいくところを見た」などと、事故直後の様子を目撃していたことが判明した。ただし、男性をはねた車両そのものは目撃されていないようだ。 現場は片側1車線の直線区間。警察では死亡ひき逃げ事件として捜査を開始している。この道路は通勤時間帯を中心に、近くにある幹線道の抜け道として使うクルマも多いことから、警察では事故が起きた時間帯に聞き込みを行う方針だ。 というものです。事故そのものの目撃者がいないことからも犯行車両を特定するにはかなり難しいであろうことが想像できます。しかし意外なところから犯行車両の車種が割り出されました。
通常は落ちていた塗膜片を分析すれば車種は割り出せるのですが、警察の資料には該当する車種がなく、車種の特定が難航していたそうなのですが、それは近くのコンビニの防犯カメラの映像で、
その映像にはアルファ164が写っていた のです。
こんなマイナーな車両ですから、意外に犯人の特定は早いか・・・と思いきや、捜査に当たっている河内署によると関西地区で一時抹消を含め、
登録されているアルファ164は何と5000台! もあるとのことで、その車両を一台一台当たるという地道なローラー捜査を余儀なくされています。
ちなみに落ちていた塗膜片は、捜査員によると「メタリックのモスグリーン」とのことです。このモスグリーンという表現は個人の印象ですので何とも言えませんが、「グリーン」であることは確かでしょう。しかも4層コートの塗膜であったことから限りなくオリジナル塗装であろうと思われます。
だとするとかなり
対象車両は絞られる のではないでしょうか。
以降の捜査はアルファ164を対象に絞られたようで、
中古車を扱っている業者さん にも協力依頼が来ているとのことです。
また、事故の状況からフロントスクリーンが確実に割れているとのことで、そのまま車両を運転し続けることは難しいだろうと思われますので、修理をするのであればこれからスペシャル・ショップに持ち込むであろうことも想像できます。
幸いなことにアルファ164オーナーズクラブの関西地区メンバーにはグリーンのアルファ164オーナーはいませんでしたが、メンバーでなくても悲しいのは、この運転者が単なる生活の道具としてクルマに乗っていたのではなく、クルマを愛して、何らかのコダワリを持ってアルファ164に乗っていたのであろうということなのです。そうでなければアルファ164なんてクルマは持っていられないハズです。
同じクルマを愛するものとして、地球温暖化や騒音以前の問題で最もやってはいけないことが他者を傷つけることで、不幸にしてそれが起こってしまったならば、むしろ最大限の償いをしなければならない と思うのです。
このブログをご覧になっている方の中で、関西地区でグリーンのアルファ164に乗っている方をご存知であれば、是非、直接聞いてみていただけないでしょうか。仮にその場で動揺して立ち去ってしまったにせよ、
事件は犯人の逮捕ではなく自首で解決して欲しい のです。
また、知り合いではないけれど見かけた・・・という方は
河内警察署(072-965-1234) まで情報をお寄せください。
一日でも早くこの事件が解決することを願って止みません。
クリック↓お願いします!
テーマ:交通事故 - ジャンル:車・バイク
グダグダ言っていてもはじまらないので(苦笑)、笹本氏より依頼のDUCATI 900の製作に取りかかろうと思います。
プラモデルも作風というものがあり、フィニッシャーによって出来上がりが異なる ものです。今回はあくまで「素組み」を前提に追加工作を行わずに製作しますので、その個性は塗装でしか発揮できませんが、これから改めてプラモデルを作ってみようという方にも参考になるように、ご説明して行きたいと思います。
ただ、お断りしておかなければならないのは、
私自身はプロのフィニッシャーでも何でもありません ので手先は十人並ですし、持っている工具も高価なものはありません。また、しばらくプラモデルを作っていませんでしたので、「手が慣れる」までに時間がかかってしまい、自分自身でも納得がいかない部分も多々あります・・・。と言い訳はこのくらいにして、まずはエンジンの組み立てです。
DUCATI 900はL型ツインと呼ばれる90度のバンクを持った2気筒エンジンを搭載しています。このタミヤのモデルに限らず、バイクのモデルはエンジンが見せ場ですので、
このエンジンをどう表現するかは出来上がりに大きく影響する部分 です。
プラモデルを製作するための工具はそれほど特殊なものは必要ありません。もちろん凝りだすと様々な特殊工具もあるのですが、一般的なものは以下の写真のようなものです。
左はヤスリですがこれもホームセンターなどで売っているもので充分だと思います。ハサミもクラフトハサミと呼ばれる文具店などで売っている工作用のハサミです。私が使っている右のニッパーは電工用のものですが、刃先が揃っているものであれば通常のニッパーでOKです。カッターナイフは普通のものに加えて刃先の鋭いアートナイフと呼ばれるものは重宝しますので、これは持っていなければ買っておいてください。
コダワルべき道具はピンセットで、小さな部品を摘んで接着したりするのに必要です。必ずしも高いものが良いワケではありませんが、先端が揃っていることと、握ってみて指の力がちゃんと先端に過不足なく伝わるものでないと、部品を飛ばしてしまったりして最悪は失くしてしまったりしますので、この
ピンセットだけは自分に合ったものをじっくり選んで購入してください。 プラモデルはランナーと呼ばれる枠の内部に部品が成型されています。子供の頃は手でむしって部品を取り外したものですが、部品に傷をつけてしまいますので、
ニッパーを使って丁寧に切り離します。 このランナーは小さな部品を塗装したりするときの持ち手になったりしますので、必ずしも全て切り離してしまわずに、次の作業を考えてわざと残したりもします。
シリンダーは3層を重ね合わせるように接着していくのですが、私の場合、使用する接着剤は用途に応じて3種類のものを使っています。
まずはスチロール樹脂用接着剤と呼ばれるプラモデル用のサラサラしたタイプです。この接着剤はプラスチックの表面を溶かして接着するもので、接着するまでに時間がかかるのですが、面の接着には向いています。接着までに時間がかかるということは貼り合わせてから位置を調整できるというメリットもあるのですが、接着面が小さいと接着力が弱くなってしまうので小さな部品の接着には向きません。
次はクリアボンドと呼ばれるゴム系の接着剤です。これは接着剤そのものが硬化するタイプですので、小さな部品やプラスチックと他の素材(ゴムなど)との接着に向いています。これも接着までに少し時間がかかりますので微調整が可能です。
そしてアロンアルファなどの瞬間接着剤です。接着力が強力ですので小さな部品同士の接着には向いているのですが、一発で位置を決めなければならないのと接着する際に白濁してしまうので、目立たない場所の部品や接着してから再度塗装するような場所に使います。
今回、シリンダーの接着には最初にご紹介したスチロール樹脂用接着剤を使用しましたので、接着するまでには動かないように固定しておく必要がありました。私はマイクロバークランプと呼ばれる秘密兵器?を使用しましたが、洗濯バサミや輪ゴムでも充分です。
シリンダーとクランクケースが組みあがりましたので、これから塗装に入ります。今回は2台を並行して組み上げるために、作業は倍になってしまいますが、部品を混ぜたりしなければ比較的効率よく作業を進めることができました。
塗装をするためには、
極力部品を手で触る必要がないように準備しなければなりません。 私の場合は爪楊枝を使ったり、カマボコ板にガムテープを輪にして両面テープのようにして部品を固定して塗っています。また前述したように、小さな部品の場合はわざとランナーから切り離してしまわずに、ランナー毎切り離しておくと塗装のときに部品に触らずにすみます。このカマボコ板は小さな部品をカッターで切ったりするときにも重宝しますので、カマボコを食べた際には捨てずに取っておくと良いでしょう。
メッキパーツにもエナメル系の塗料だと直接塗ることができます。そもそもは塗装せずに組み立てる場合を想定して、あらかじめメッキを付けてくれているのですが、安っぽいメッキだとギラギラしてしまい、どうしてもオモチャ然としてしまいます。こういう場合は面倒ですが、私はメッキを全て剥がして再度塗装をしてしまいますが、有難いことにタミヤ模型のメッキパーツは品質が高いものを使っていますので、
少しツヤを抑える処理を最後にすれば、実物同様にメッキパーツの美しさを再現することができます。 プラモデルは雄型と雌型と呼ばれる2対の金型で成型されます。ちょうど鯛焼きだと思っていただければ分かりやすいと思います。ですのでどうしても金型の合わせ目にパーティングラインと呼ばれるスジが入ってしまいます。実物にはないスジですので、金型を設計するときにいかに目立たない部分にこのパーティングラインを持ってくるかが設計の極意なのですが、その点でもタミヤ模型は群を抜いています。それでも部品によっては目立ってしまうところもありますので、
ヤスリやナイフを使ってこの線を削り取ってやります。 小さな部品のパーテイングラインはデザインナイフの刃先を立てて削ぐように動かしてやれば盛り上がった線を削ってやることができます。
今回は「素組み」をテーマにしましたので、本来ならばキャブレターのエアフィルター金網は実際に金網を加工して置き換えてしまうのですが、敢えて塗装で表現して見ました。フラットブラックを塗ってからクロームシルバーを筆に付けて、筆に付いた余分な塗料を拭きとってから筆の腹の部分で表面をなぞるように塗ってやれば、モールドされた網の部分にだけ塗料を付けることができます。
こうしてエンジンブロックは組みあがりましたが、同じシルバーでもフラットアルミ、クロームシルバー、メタリックグレィと三種類のシルバー系塗料を使って塗装しています。それでもまだ少しのっぺりして見えてしまいますので、このエンジンブロックにスミ入れをして行きます。
スミ入れは過去にもご紹介したのですが、シンナーで薄めた塗料を塗ってやることにより、毛細管現象で窪みに塗料が溜まり、部品の凹凸が強調されるというテクニックです。また部品の余計なツヤを抑えて統一感を出すという効果もありますので、
エンジンなどの精密感を出したい部品には効果的 だと思います。今回はセミグロスブラックを薄く溶いて全体に塗って見ました。
右がスミ入れ後で左がスミ入れ前ですが、いかがでしょうか?
そして最後にパイピングをしてエンジンブロックの組み立ては終了です。これからいよいよフレームを組み立ててこのエンジンを搭載していく工程となります。
ここまでの作業に約2晩で延べ4時間程度かかってしまいました。
もう少しスピードアップして行きましょう(苦笑) それにしてもだんだん何のブログか分からなくなってしまいました(泣)
クリック↓お願いします!
テーマ:模型・プラモデル・フィギュア製作日記 - ジャンル:趣味・実用
私の所属するアルファ164オーナーズクラブは(私も含めて)本当に個性的な面々の集まりです。
全くイベント事には参加しないメンバーもいるかと思えば、とにかく全てのイベントに駆けつけるメンバーもいます。そして、どういうワケか昼間には全く会うことがなく、夜のミーティングにしか来ないメンバーもいるのですが、この
「夜のミーティング」はクラブイベントの定番になっている「怪しい」?ミーティング です。
月に一度(不定期)ですが、週末の夜10時になるとどこからともなく第三京浜の都筑PAにその面々は集まって来ます。都内在住であればともかく、近県からであると決してアクセスが良いとは言えない場所であるにも係わらず、遠くは千葉や埼玉からもメンバーがやって来ます。
どんなスゴいイベントが・・・?と思いきや、ただ
単に集まっておしゃべりをしているだけのミーティング なのですが、そのミーティングに今回も14台ものクルマが集まったのですから本当に恐れ入ります。
集まって来るのはどちらかと言うと、昼間は仕事をしている会社員の方が多いのですが、週末の夜遊び?を楽しみに遠くからでもクルマを飛ばして集まって来るのです。
暗いために写真撮影もままならなかったのですが、このテの集まりは私たちだけでなく、先週末の都筑PAはアメ車のオンパレードで、ダッジViper、コルベットから旧いインパラまで様々なアメ車で駐車スペースは埋め尽くされていました。
仕方なく、私たちは通路の路肩に駐車せざるを得なかったのですが、それでも一列に並んだアルファ164は結構注目の的で、派手なアメリカ車に負けない存在感があるようでした。
通常は取りとめのない話をして解散・・・となるのですが、大抵はどこかで不具合の相談が始まります。そしてどういうワケか修理が始まってしまうのですが、今回もトランクリッドのエンブレムが交換できない・・・というメンバーのクルマを早速イジリ始めました(笑)
この辺りが他の集団と違うところで、単にクルマの見せ合いをしている人たちからするとかなり怪しい集団に見えるのではないでしょうか(苦笑)
まぁ、一般の方からするといい年をしたオトナが暴走族でもないのに夜中に集まって屯していること自体が相当アヤシイとは思いますが・・・。
そして、今回は以前の私の愛車であったアルファ164Q4の内装を移植した個体も来ていました。
懐かしくもフクザツな心境ではありましたが、こうして
様々な部品がメンバーに受け継がれているのは幸せなこと だと思います。
そうこうしているウチに遅れてやって来たのが笹本氏で、彼の新しいセカンドカーであるFiat Punto Cabrioretの初お披露目となりました。
普段アルファ164は見慣れているので、何かとんでもないモディファイでもしない限り、アルファ164にメンバーが集まってくるようなことはないのですが、メンバーが買った新しいクルマとなるとハナシは別で、早速試乗会が始まりました。
それは単に幌を開けてみたり、運転席に座って見たりするだけでなく、挙句の果ては巨漢が5人乗車でPAの中を走り回るという、周囲から見るとちょっと異様な行動にまでエスカレートしてしまいました。
それにしてもこのFiat Puntoですがよく出来ています。内装も決して高級ではないのですが、かといって日本の廉価グレードに見られるビンボー臭さがないのは流石です。幌も電動で開閉できますし、後席だって意外なほどちゃんと乗れてしまいます。実際に5人乗車で走っているところを見ると、サスガに
オトナの男5人だと見苦しい ですが、両脇に女性が乗った後席の真ん中は適度な密着感があり、恐らく特等席でしょう(笑)
確かにハンドリングをどーこう言うクルマではありませんが、
運転している人間も同乗者も、さらに見ている人間までもがほのぼのするクルマ でした。
笹本氏のこういったクルマ選びのセンスは素晴らしく、これからも少しずつイジって行くそうですので、楽しみです。
お決まりのパターンはこの後、ファミレスに移動して
「正統派のクルマ談義」 に花を咲かせるはず・・・なのですが、私は参加メンバーの顔ぶれを見て成り行きが恐ろしくなってしまい先に失礼してしまいました。そしてその予想は的中し(爆)、かなりディープなクルマ談義?が展開されたようです。その模様は
笹本氏のブログ に詳細がレポートされていますので、どうしても興味がある・・・という奇特な方はそちらもお読みいただければと思います。
それにしても皆早く帰って寝ましょうね・・・(苦笑)
クリック↓お願いします!
テーマ:イベント - ジャンル:車・バイク
どういうワケか、
昔から私の周囲の友人達はワガママなヒトばかりです。 血液型もB型がやたら多く、私の血液型はO型ですので、さる人によると
「O型はB型の面倒を見るのが運命」 なんだそうです(泣)
夜中に突然飲み屋に呼び出されてタクシー代わりに使われたり、故障したクルマを修理させられたり、随分と被害を被ってきました。これらの被害状況はいずれ詳しく暴露したいと思っていますが、今回も最近開設した某ブログの作者である笹本氏よりとんでもない?依頼を受けるハメになってしまいました。
先日のアルファ164オーナーズクラブの勝沼ツーリングのときのことです。いきなり、「ちょっとちょっと」と手渡されたのはバイクのプラモデルでした。聞けば仕事で行った解体現場に残されていたものを拾って来たとのことで、それはそれでラッキーだね・・・とハナシは終わるはずだったのですが、それを私に作れというのです。それも2台も・・・(泣)
彼から手渡されたプラモデルはタミヤ模型の1/12スケールDUCATI 900というバイクで、しかもMIKE HAILWOOD REPLICAというものです。
このタミヤ製のプラモデルはご存知の方も多いと思うのですが、
作りやすさと精密さのバランスが取れた世界一と言ってよいプラモデル です。
最近の子供はプラモデルを作らなくなってしまったようです。事実、以前は街中に見かけた模型屋はどんどん閉店してしまっていますし、
営業している模型屋も客は私のような年齢のオトナばかり です。
私の子供の頃は、男の子は殆どと言って良いほどプラモデルを作って遊んだものです。もちろんどんどん深みにはまっていく者もいれば、一過性の遊びとして卒業してしまう者もいましたが、
手にしたことのないという男の子はいなかった と思います。
当時は限られた小遣いの中で、どのプラモデルを買うかというのは一大事で、
失敗の許されない投資 でしたから、模型屋の店先で穴の開くほどプラモデルを見比べては悩みに悩んだものです。
事実、当時のプラモデルの中には箱絵は格好良くても、中身はとてもそうは見えないシロモノだったり、部品と部品がどうやっても組み合わず、完成しても接着剤のカタマリになってしまったりと、それは酷いものもあったので、折角なけなしの小遣いをはたいて買ったにもかかわらず、いざ作ってみると随分がっかりした経験もあるのです。
そんな中にあって、当時から絶大な信頼性があったのがこのタミヤ模型で、その組み立てやすさとモールドと呼ばれる部品の凹凸などのシャープさ、そして組み立て説明書の親切さなど、日本の他のメーカーに比べて群を抜いていました。もし、同じ模型がタミヤ製と他社製で発売されていれば、
タミヤ製であるというだけで選択して間違いはなかった のです。
さて、彼から無理やり渡された(笑)この1/12スケールのバイクですが、タミヤ模型のラインアップの中でも現在まで続いているシリーズです。
製造は箱で確認すると1983年と、もう25年前のキットですが、そのパーツ割を見ても現在のキットと比べても遜色のない出来です。
ただ悪い癖で、説明書と見比べながらパーツ割を見ていると、つい追加工作をしたくなってしまいます。具体的にはカウルやフードの付け根のビスのモールドを切り取って、虫ピンの頭を埋め込んで・・・とか考えてしまいましたが、そんなことを始めると「未完成病」にかかってしまいますので、
今回は「素組み」と呼ばれる、キットに追加加工を一切しない形で組み上げる ことにしました。その代わりに細かい部分の塗装でハイライトをつけてやれば、随分と見栄えがするのでは?と思わせる素性の良いキットです。
残念ながらバイクはあまり作った経験がなく、大昔に今回と同様に頼まれて数台組んだことがある程度なので、正直あまり気が乗らないのですが(苦笑)、渡されてしまったものは仕方ありません。しかも彼のリクエストは、2台並べて飾りたいので一台はオリジナルの塗装で仕上げて、もう一台はアルファ・ロメオをテーマにカスタム塗装で・・・というものです。
ワガママもここまで来ると大したもので逆らう気も起こりません ので、何とか希望に沿った形で組み上げて見たいと思います。その過程はまた随時ご紹介しますのでご期待?ください。
それにしても、自分のプラモデルも作りたいんですがねぇ・・・。
クリック↓お願いします!
テーマ:模型・プラモデル・フィギュア製作日記 - ジャンル:趣味・実用
今年もF-1が無事に開幕しました。レギュレーションの変更により電子デバイスが禁止された今年のシーズンはよりドライバーの技量が試される波乱の年となりそうですが、
残念ながらそこにはアルファ・ロメオはいません。 アルファ・ロメオは1987年を最後にF-1から撤退しましたので、もうすでに20年が経過したことになります。最後はオゼッラにエンジンを供給するという形での参加だったのですが、そのオゼッラもフォンドメタルに吸収されてしまい今は存在しないチームです。1987年と言えば、ホンダがどんどん頭角を現わしてきた時期でもあり、新旧交替の年でもありました。
F-1最後のアルファ・ロメオは全くパッとしない成績でしたが、アルファ・ロメオは近代F-1史に輝かしい成績を残しています。戦争による中断の後、1950年に初エントリーしたアルファ・ロメオはTipo158により初戦のイギリスGPでいきなり1位から4位までを独占するという完全勝利を成し遂げます。
その後もマクラーレン、ブラバムなどの有力チームにエンジンを供給した後に、シャーシーも独自に開発する
フルコンストラクターとしてもF-1に参戦 し続けたのです。
今回ご紹介するTipo179Cに関しては以前一度ご紹介していますので、クルマに関しては
そちらを参照 していただければと思いますが、歴代のアルファ・ロメオF-1は蒼々たるドライバーによってドライブされています。
その中の一人が今日ご紹介するマリオ・アンドレッティです。
マリオ・アンドレッティと聞いて、CARTで活躍していることを知っていても、F-1と結びつけることができるのは相当古くからのモータースポーツファンではないでしょうか。実は彼は
F-1、インディー500、デイトナ500を制覇した唯一のドライバー なのです。
マリオ・アンドレッティは1940年にイタリア領モンタナ・ディストリア(現クロアチア)で生まれ、戦後に家族ともどもアメリカに移住した移民でした。その後アメリカ国籍を取得したために、レーシングヒストリー上はアメリカ人ドライバーとして記録されているのですが、名前のとおり彼の「血」はイタリア人だと言えます。
1964年にアメリカの国内USACレース(現在のCART)に参戦した後、1968年になるとスポットでF-1にも参戦するようになります。その才能はF-1デビュー戦のアメリカGPでいきなりポールポジションを獲得したことにより注目を集めるようになります。
そして1976年にコーリン・チャップマン率いるロータスと契約しF-1にフル参戦するようになると、彼の安定したドライビングと高いマシンセッティング能力により、低迷していたロータスをどんどん上位に押し上げて行くようになりました。そしてついに1978年のシーズンでは年間6勝を挙げ、ワールドチャンピオンのタイトルを獲得するのです。
1981年にアルファ・ロメオと契約した彼でしたが、その成績は振るわず、最高だったのは初戦のアメリカGPの4位に留まりました。
彼のこれまでの戦績からすると、
残念ながらこれは彼の問題ではなく、Tipo179Cの信頼性の問題 でした。何故ならチームメイトのジャコメリも同様にカナダGPでの4位が最高で、チーム全体での
完走率は50%と半分のレースにリタイアしていた のですから、いくら名手と言えどもどうしようもなかったのでしょう。
そしてこのシーズンを機に、アンドレッティはF-1引退を決意するのですが、彼の能力を高く評価していたウイリアムズやフェラーリまでもがスポットでのエントリーを依頼し、その期待に答えた彼は、フェラーリを駆り、イタリアGPでは予選1位、決勝3位と有終の美を飾ってF-1界に別れを告げたのです。
しかし、彼はレースから引退する気なぞは全くなく、アメリカに戻ってCARTに復帰した後も活躍を続け、1984年にはCARTの年間タイトルを獲得したのですから大したものだと思います。
またアンドレッティ一家はレーシングファミリーとして活躍していることで有名です。息子のマイケル・アンドレッティは父親同様にF-1とCART両方に参戦しているドライバーです。最近では親子2代のレーサーも珍しくなくなって来ましたが、アメリカのアンサー家やフォイト家と並び、
その全員がトップドライバーとして活躍している例は少なく、アンドレッティ家はその少ない例 に数えられています。
付属するミニチュアモデルは以前にご紹介した車番23番のジャコメリ車に対して、22番のアンドレッティがドライブしたものですが、2台並べてみると微妙にマルボロレッドの色が異なっています。具体的には23番の色のほうがオレンジっぽいのですが、これが実車に忠実なのか、はたまたモデル化の際のミスなのかが定かではありません。どなたかマルボロレッドの変遷についてご存知の方がいらっしゃれば是非ご教示ください。
クリック↓お願いします!
テーマ:ミニカー - ジャンル:車・バイク
やっと手をつけられるようになったAccess Awardの記念品ですが、今回は1位の方と2位の方の両方に差し上げることにしました。
題材は「Open Ferrari」で、買うまいと思いながらつい買ってしまった京商の1/64の中から、1位の方にはTestarossa Spiderと360Modena Spiderの組み合わせで、2位の方には365Daytona Spiderを製作することにしました。
過去の経験から飾り台はやはりアガチス材ということで、ウレタンのマホガニー色仕上げとしました。
しかし、同じだと面白くない…という探究心?から2位の小さい飾り台には新たにタモ材を選んでみました。
タモとはモクセイ科トネリコ属の落葉広葉樹で北海道などに多く分布する木です。美しい柾目の木目が特徴でバットやラケット、スキー板などに用いられる材木なのだそうですが、いざペーパーかけを始めてみると、その美しい木目に沿った細かな空洞が目立っています。おそらくそこにニスが浸透していくために、アガチス材と比較して木目がはっきりと分かる仕上げになるのでしょう。
同じ白木の材料でも暖かい地域のアガチス材と寒い地域のタモ材は全く異なる性質を持っている ことが分かりました。
写真はウレタンニスを1回塗った状態ですが、その違いが分かっていただけるでしょうか?
上の写真は小さい飾り台でタモ材です。木目にそって窪みがあります。
一方こちらはアガチス材です。タモ材に比べて木目が詰まっています。どちらが良いわけではなく、木の「味」ですから、今回はニスを薄めに仕上げることにしました。
ニスの下塗りを2度行った後に、800番の耐水ペーパーで表面を均した状態です。使い込んだ味が出てはいるのですが、このままではあんまりですのでさらに上塗りを2回繰り返します。
今までならば、ここでさらに研ぎ出しをして鏡面になるように仕上げるのですが、木目を強調したかったのでニスを薄めにして最終塗りとして飾り台は完成としました。
そしていよいよミニチュアモデルの組み立てです。この京商のミニチュアモデルは簡単なキットになっています。部品構成はこんな感じで、シャーシー、ボディ、内装、シートに前後ホイールというのが全車共通の構成です。
360Modenaはリアエンジンもちゃんと再現されており、カバーの「Ferrari」の文字もちゃんと書かれています。
このまま完成させても充分なのですが、それでは面白くないので恒例のディテールアップをします。
360ModenaとTestarossaは排気管の着色とサイドミラーの鏡面を塗装することにしました。用意するのはクロームシルバーのエナメル塗料と面相筆です。
360Modenaは排気管がボディ側と一体で成型されていますので、面相筆に塗料をつけたら軽く拭きとって、筆の腹(側面)の部分で排気管の外周をなぞるように塗装します
ミラーの塗装は面相筆の筆先を使って塗るというより、塗料を載せるように落としていくとうまくいきます。失敗してもエナメルシンナーを綿棒につけて拭き取れば何度もやり直せますので、
手が慣れるまでトライ してみてください。
実はこの「手が慣れる」というのは重要で、こういった作業はしばらくやっていないと最初は、「こんなにヘタだったっけ・・・?」と情けなるほど出来なくなってしまっています。しかし、何度か繰り返しているとだんだん出来るようになり、しかも安定して来るのです。私も模型などをしばらく作らずにいて、再開するときには、いきなり本命を作らずに、「手慣らし」用の模型を一つチョイチョイと作ってから、本命のキットに取り掛かるようにしています。
一方のTestarossaの排気管はシャーシー側にモールドされていますので、その先端部のみクロームシルバーで塗装することにします。本来ならば更に排気管にピンバイスで穴開け・・・となるのですが、力尽きてしまいました(泣)
ミラーの鏡面を塗装して、この2台は出来上がりです。いつものように飾り台に配置して、記念プレートを貼り付けました。
実際にディスプレイしてしまえば、あまり目立たないディテールアップですが、やった方には充実感があります(苦笑) そしてこちらは365DAYTONA Spiderですが、この1台サイズの飾り台はなかなか可愛らしく気に入ってしまいました。こちらもちゃんとマフラーエンドは着色してあります。
大変永らくお待たせしてしまい、すいませんでした。この記念品をご両名にお送りさせていただきます。発送しましたら別途ご案内をお送りしますので、あと少しお待ちくださいね。
クリック↓お願いします!
テーマ:ミニカー - ジャンル:車・バイク
このトシになって「親友」などという言葉を使うのは本当に照れくさいのですが、
人生においてそう呼べる人間と出会えることはそうはない と思います。
特に多感な青少年時代に出会わなければ、社会に出てしまえばどんどん人付き合いはその範囲が狭くなってしまい、心で語り合うことができる巡り遭いなどなくなってしまうものです。
彼との出会いはアルファ164オーナーズクラブに入会したときに遡りますから、今から8年ほど前のことになります。
その当時の私は、ヒトと出会うためではなく、単にトラブル情報を得るための入会でしたので、どちらかというとミーティングは面倒くさく、むしろ徒党を組むという行為には否定的でした。
そして、彼は私とは対極的な存在で、気さくにどんなメンバーともハナシをしている彼を見て、その風貌も含めて
自分とは相容れない人種 だろうと思っていたのです。そういった意味では第一印象は決して良いとは言えませんでした。
その当時のクラブは大別すると二種類のタイプの方がおり、ヲタクっぽい話題や行動には否定的で、アルファ164をどうやってお洒落に乗りこなし、人生を楽しむかをテーマとしている(であろう)グループと、クルマ大好き、アルファ・ロメオ大好きなちょっとヲタクっぽい(であろう)グループでした。もちろん明確に分かれていたワケではありませんでしたが、服装のセンスや持ち物のセンスも含めて見ていると何となく分かってしまうのが不思議でした。
もちろん彼は前者のグループで、私にはどちらかと言うと、とっつき難く、それほど親しくハナシをすることはありませんでした。
私はと言えば、当時勤務していた会社でどんどん責任が増えて行っていた時期とも重なり、ヘンな気負いもあったため、仕事関係でのお付き合いに疲れ果てていました。ですので、何の仕事をしているかを根掘り葉掘り聞かれることもなく、ヘンな売り込みもなく、純粋にクルマのハナシだけで盛り上がれるオーナーズクラブの集まりが楽しくなり始めて来ました。
そして彼とも少しづつハナシをするようになったのですが、そこで初めて彼の仕事のことや私と同い年であることを知るにつれ、クルマのことを離れて様々なハナシをするようになっていました。
その後に私は転職し、彼も人生の転機を迎えたこともあり、いつの間にか人生相談をし合うようになると、さらに距離は縮まって行き、なんでもハナシができる間柄になって行ったのですが、今思えばそこにはアルファ164という共通点が大きな意味を持っていたように思います。
当たり前ですが、彼とは出身も育った環境も学校も職業も全く異なります。そして当然のことながら人生観も異なる中で、
唯一といって良い共通点がこのアルファ164だった のです。
何の制約もなく選んだクルマが同じアルファ164であるということは、
どんなに他のことが異なっていたとしても、大きな価値観を共有しているという安心感がある のです。それが世間的に見栄の張れるクルマであれば別ですが、アルファ164のような一般的には敬遠されてしまうような車種だと尚更です。私たちのようなクルマ好きにとっては、それほどまでに同じクルマを選ぶということは重要なことだと思います。
今では困ったときや悩んでいるときは、どんなに隠していても彼には見透かされてしまいます。そしてそんなときに彼がくれるアドバイスは、私とは全く違う視点に立ったもので、その通りできるかどうかは別にして、ハッと気付かさせてくれるものがあります。
願わくば、私も彼に対して同じ刺激を与えられていれば良いとは思いますが、こればかりは自信がありません。
そんな彼が、新たに
ブログ を立ち上げました。そして意外に?その独特の文体と表現力に新たな彼を発見し、私自身も楽しみに読ませていただいています。
そこには私のブログのような能書きはなく、彼の
人生の機微と価値観がクルマを中心に散りばめられています。 私もこんなブログを書ければ良いのですが、柄ではないので恐らくは無理でしょう(苦笑)
さて、これだけプレッシャーを与えた彼の今後のブログが楽しみです(爆) クリック↓お願いします!
テーマ:その他 - ジャンル:車・バイク