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走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

私たちの選択

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当時のアルファ164オーナーズクラブの創立者にして会長のN氏は疲れ切っていました。
それは個人の仕事の問題からクラブの問題に至るまで、最早個人の「気の持ちよう」では、どうしようもなくなっているように思えました。そうでなければ、殆ど面識のない私に胸襟を開いてその苦悩を打ち明けたりはしなかったでしょう。
会長のN氏はその職を辞することを考えていました。そして今後のクラブの運営を皆に任せたいとの気持ちだったのです。
何度か会ってお話を聞くにつれ、これからのオーナーズクラブのことを真剣に考えるようになりました。それまでは誰かがお膳立てしてくれた環境にただ入っていれば良かったのです。それまで当たり前のように存在していたオーナーズクラブという環境が実は脆く、その環境を保ち続けたいのならば、自分達が積極的に何かをやらなければならないということに気がつきました。

ここで私は選択を迫られました。会長から引き継いでこのオーナーズクラブの運営を皆でやるのか、それともこのまま会長がその職を辞して、その後は成り行きに任せるのか…という二者択一です。後者を選んだ場合は、ようやく居心地が良くなってきたこの環境は恐らくなくなってしまうでしょう。一方で、前者を選んだ場合は、まだ具体的な方法論すら見つからないまま問題の渦中に入っていくことになります。
しかしその時の私は、未だクラブでは新参者という意識があり、そんな運営の中枢に立ち入ることに躊躇いがあったのですが、苦労して今までクラブを維持してきた会長とメンバーの皆さんのクラブへの愛着を思うと、簡単に「私には出来ません」とは言えませんでした。また、特定の誰かに会長職を移管しても、やはり皆またお客様状態となってしまい、その会長に今までの負担が一気に圧しかかるだけに思えましたし、第一そんな役割を引き受けてくれる方なぞ、居るようにも思えませんでした。そこには、アルファ164オーナーズクラブは設立者であるN氏のものであるという考え方と、オーナーズクラブはメンバー皆のものであるという考え方が交錯していました。

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そして激論の末、私たちは新しい会長を置かず、関東だけでなく関西、中部、九州とローカルで取り纏めをしていただいていたメンバーの方に加えて、事務局として数名を加え、執行部という形式でクラブの運営を引き継ぐことにしました。その当時は、次期会長の適任者がいないから…という泥縄的な発想でもありましたが、一方で誰もN氏の二の舞を作りたくなかった(なりたくなかった)というのも本音だったと思います。

しかし、この形式は一人のメンバーに負担をかけず、各々がその運営の負荷を分担して担うことにより、まずは一番負荷がかかるであろう、クラブとしての最低限の活動形態を立て直すことができます。
それはクラブの顔でありコミュニケーションツールであったHPの建て直し、今までの会計の締めと報告、そしてメンバー名簿の再整理と、既存のメンバーへのお詫びと再入会募集、とやることは山積みでしたが、その当時の事務局のメンバーは素直に、
「これだけのことを会長一人にやらせていたのか…」
という思いで一杯でした。
この経験からこれからのクラブ運営に当たっての課題として、いかにしてメンバーをスタッフとして主体的に参加してもらえるようにするかということがテーマとなりました。そしてこの課題は未だに達成されてはおらず、恐らく永遠に悩み続けるテーマなのでしょう。

こうして船出した新しいアルファ164オーナーズクラブだったのですが、まだまだ様々な問題がありました。

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オーナーズクラブの罠

私がアルファ164オーナーズクラブに入会したのは2000年のことでした。
アルファ164オーナーズクラブは1993年に設立されたクラブで、私が入会したときには既に設立から7年が経過した、良く言えば成熟したクラブでした。

それまで私はオーナーズクラブになんか何の興味もなく、むしろヲタクな集団という醒めた見方をしていました。
ところがアルファ164Q4なぞというミステリアスなクルマを買ってしまったため、何かあったときにそのトラブルに関する情報が必要になってしまい、購入したショップの勧めもあって、入会することにしたのです。
つまり、私の入会動機としては「情報共有型」で、仲間を作りたいという動機は殆どなかったと言えます。
信じてもらえないかも知れませんが、初めて出会うヒトとすぐに打ち解け、仲良くハナシをするということは仕事柄、常日頃やっているのですが、本当の私は人見知りをする、どちらかというと初対面のヒトは苦手な性格なのです。
果たして受け入れてもらえるだろうかと、恐る恐る入会申込書を郵送で送ったら、当時の会長のN氏からすぐに返事がやってきて凄く嬉しかったことを今でも鮮明に憶えています。

以降、事務局という役割を引き受けるに当たって、入会申し込みを頂いたら、どんなに忙しくてもすぐに手続きをするよう心がけているのは、その時の自分の不安な気持ちと、返事がすぐに来たことが嬉しかったことを憶えているからなのです。

ハナシを2000年に戻しましょう。入会した私はどちらかと言うと運営側に回る気なぞさらさらなく、メンバーの顔と名前を一致させるのが精一杯で、イベントへの参加もそれほど積極的ではありませんでした。ところが、ある時何かの拍子に「宮ケ瀬ダムに行ってみたい」と口走ったのがキッカケで、そのミーティングを仕切ることになってしまったのです。当時の私は知らなかったのですが、アルファ164オーナーズクラブには「言い出しっぺの法則」というものがあり、自分が何かやりたいと言った場合は、自らが仕切らなければならなかったのです。
さぁ、困りました。一体何をして良いやら、どうすれば皆が参加してくれるのか皆目分かりません。

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今から思えば、その時の私は随分気負っていたと思います。これも私の悪い性格なのですが、ヘンなところで完全主義者なところがあり、単独で事前に下見まで行い、集合場所や駐車場所の確認をして、ミーティングの呼びかけを行いました。
しかし、私自身がまだメンバーの顔も名前も定かでないのですから、他のメンバーにしてみても私のことをどれだけ知っていただいているのか分かりませんし、そんな人間が呼びかけた突然の企画に果たして何人来てくれるだろうという不安の中、思いのほか大勢の皆さんが参加してくれたことが嬉しく、ほっとしたことを憶えています。

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その後も、どういうワケか何度か単独のミーティング幹事はやらせていただいたのですが、クラブ全体の運営なぞは出来るとも思いませんでしたし、当然する気も全くありませんでした。

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しかし、後に分かったのですが、私が入会したときのクラブ全体の運営は停滞期でした。こうやってスポットでのミーティングは何とか行われてはいたのですが、クラブ全体として活発な情報交換であったり、恒例の全国ミーティングなども、その準備に充分な時間が割けなかったりしていました。そして何よりメンバーから会費を預かっているにもかかわらず、会計報告すら満足に出来ない状態になっていたのです。

その原因は、クラブの創設者にして当時の会長であったN氏一人に全体の運営を委ねていたことにありました。それはN氏に問題があったのではなく、クラブが全国規模になり、もはや一人の熱意や労力では対処しきれなくなっていたからなのですが、私自身はそれに対して積極的に関与して行こうという気はありませんでした。
その時の私にとって、その問題はまだどこか「他人事」だったのですが、魔の手は着実に私に忍び寄っていました。と言うか、自分の中の何かが目覚め始めていたのかも知れません。

2001年のある日、会長のN氏から突然電話がかかって来ました。当時、会長のN氏は多忙で殆どミーテイングに来ることはありませんでした。私もお目にかかったのは一度か二度で、N氏は私にとっては遠い存在だったので、正直びっくりしたのですが、その電話の内容はさらに私をびっくりさせることになりました。

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オーナーズクラブの目的

サーバーの故障のために一時コンテンツが見えなくなってしまいました。それよりも過去のデータが全て消えてしまったため、一時は相当落ち込んだのですが、お陰さまで復旧したようです。この間にアクセス頂いた方はびっくりされたのではないでしょうか。ご心配をおかけしてすいませんでした。

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では、昨日のハナシの続きですが、オーナーズクラブとは何のためにあるのでしょうか?
オーナーズクラブに入会する方々には各々その動機があるのですが、これまた大別すると3種類の動機があるように思います。

第一は「出会い型」で、自分の好きなクルマに乗っている仲間と出会いたい。そして集まったりどこかに出かけたりしたいという自然な欲求です。創設者がオーナーズクラブを結成するキッカケはこの目的が圧倒的に多いように思います。また、発売間もないクルマや逆に稀少モデルになるとこういった欲求が高まるようにも思います。
しかし一方で、こういった直接的なコミュニケーションを望まないオーナーも確実に存在するため、イベントの参加者はいつも同じ顔ぶれ…といった状態になり、気が付けば小さな仲良しクラブになってしまっている例もあるように思います。

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第二は「情報共有型」で、トラブル情報やドレスアップ情報など自分のクルマに関係する情報を交換したいという動機です。
ネットの発達によって、以前は、直接会うという手段でしかできなかったこの情報交換が、WEB上で簡単に出来るようになったために、現在の殆どのオーナーズクラブがその活動の主軸をこのWEBサイト上での情報交換にしているのではと思います。ところが一方で、直接会って教えたり教えられたりしていた情報が、いとも簡単に手に入るようになってしまったため、ネットコミュニケーション上で礼儀を欠いていたり、その情報の有り難味が薄れてしまっているような問題も出ているように思います。

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そして第三の動機は「利益共有型」です。一番良い例がJAFで、これも立派なオーナーズクラブです。出し合った会費によりロードサービスなどを運営しているのですから、JAFに入会する動機としてはこの利益共有が最大の理由でしょう。
オーナーズクラブに入ることによって、手に入れることができるグッズや、共同購入により安く物品を買うことができたりすることもオーナーズクラブに入る動機であろうと思います。特に古いクルマですと、すでにメーカーによる部品の供給がなく、オーナーズクラブの共同製作のみでかろうじてその動態維持ができているケースもあります。
しかし、これを企画運営する方は一苦労で、継続してこの利益共有活動をし続けることは、至難のワザだと言えます。

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これらの三種類の動機(欲求)をバランス良く供給しているクラブが長続きし、メンバーも多く加入し、結果として活動も盛んだと言えるのですが、一方でそれを運営する側の思いや苦労は意外に表には出てこないものです。

明日は、私がこれまで運営側で経験し感じたコトを書いて見たいと思います。

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二つのオーナーズクラブ

ここ最近、珍しく(笑)ちょっとマジメにオーナーズクラブって…と考えることがありましたのでそのことについて書いてみたいと思います。
このブログは、オーナーズクラブの方も多く見ていただいていると思いますが、どうか読み流していただければ(苦笑)と思います。

私は現在、二つのオーナーズクラブに所属しています。
一つはClub The Spiderという916系Spiderのオーナーズクラブで、残念ながらこのSpiderは手放してしまったのですが、居心地が良いというか、別に資格があるわけでもないので、引き続きお邪魔させていただいています。

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そして、もう一つのクラブはアルファ164オーナーズクラブでこちらのほうでは現在、事務局というクラブ全体の庶務的な役目をやらせていただいています。

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この二つのオーナーズクラブはどちらも歴史があり、その活動も活発なクラブだと思います。
しかし、このような自主的な運営で成り立っているクラブは一朝一夕に順調な運営ができるものではないのです。

オーナーズクラブを類型的に分類すると、3つの種類に分けられると思います。
一つは、メーカーやディーラー/ショップ主導で組織されたクラブです。このクラブはその運営の殆どを、場合によっては資金に関してもその運営母体から援助を受けることができるため、メンバーとして参加する側は「至れり尽くせり」状態でいることができます。しかし、一方で自由な活動という点では制約を受ける場合もあったり、そのクルマのオーナーでなくなるとお付き合いも疎遠になってしまったりします。

次は、そのクラブを設立した代表者がリーダーとなり運営されているクラブです。クラブの運営方針などはそのリーダーによって決定され、またクラブの雰囲気もそのリーダーの人格に依存する部分が多く、気が合えばとても居心地の良いクラブとなります。また、多くの意思決定がそのリーダーによって為されるので、運営がスピーディに運ぶというメリットもあります。一方で、参加するメンバーがお客様状態になりやすかったり、リーダーが運営に飽きると自然消滅…といったケースも多く、この状態で長続きしているオーナーズクラブは少ないのが現状です。

そして最後はメンバーの中の何人かの集団で運営されているクラブです。このケースでも、創立メンバーのような固定メンバーでの運営と、立候補や選挙などにより運営メンバーが入れ替わるケースとがありますが、いずれにせよ運営に当たっては集団で行われるため、個人への負荷が少なく、長続きさせることができるという長所がある一方で、クラブの運営方針などで不協和音が出て空中分解してしまったり、相談してモノゴトを決めるために意思決定が遅れがちになったりする場合もあります。

以上のように、どの形式が優れているというハナシではなく、それぞれのオーナーズクラブにはその対象となるクルマの性格に加えて、運営の仕方によってもその性格が異なるのではないかと思います。
加えて、そのクラブにはその歴史においてターニング・ポイントがあり、それによって消滅してしまったり、運営方針が変わったり、運営形態が変わったりして行くものだとも思います。

それでは、引き続き、そもそもオーナーズクラブって何だろうというオハナシをさせてください。

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ALFA ROMEO Sport Collection 42

昨日ご紹介した1924年のP2からイッキに80年後のクルマにジャンプするところが、このコレクションの魅力の一つです。
古今東西の自動車メーカーで、その設立時から現在に至るまでの殆ど全てのモデルを、レーシングカーとして紹介できるメーカーなぞ殆どないでしょう。

本日、ご紹介するのは未だ現役バリバリのアルファ147GTA Cupです。前回ご紹介したこのアルファ147GTA CUPがそのプレゼンテーションモデルであったことに対して、今回のモデルは実際に2003年のCUPレースに参戦したクルマです。

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このイコールコンディションで争われるCUPレースはヨーロッパでは馴染み深いもので、車両は厳しいレギュレーションで統一され、ドライバーの技量とピット戦略が勝敗を左右するレースです。

つまり、ブッちぎりの優勝なぞ有り得ない、全てのレースがサイド・バイ・サイドの白熱したレース展開となるため、観客も楽しめるレースであると同時に、参戦するドライバーは自らの運転技術をアピールすることができ、フォーミュラやETCなどのプロフェッショナルレースへのステップアップのチャンスも狙えるカテゴリーなのです。

こう書くと、参戦しているドライバーは皆がプロの予備軍かと思いきや、アマチュアで純粋にレースを楽しむドライバーもいるため、このベース車両のアルファ147GTAは市販のV6エンジンではなく4気筒ツインスパークエンジンが搭載されています。そしてチューニングの度合いもそれほどでもなく、排気量1970ccで220hpとレーシングエンジンとしては低めに抑えられているのですが、一方でミッションはシーケンシャルの6速と、ドライバーがステップアップした際にもその経験に寄与するよう考えられています。
車重は1000kgと、これまたもう少し軽くできるだろうと思うのですが、おそらくこれも計算された重量だと思います。

レーシングカーとしてはアンダーパワーであるこの147GTA CUPを速く走らせようと思えば、足回りのセッティングをどれだけ煮詰められるかということと、ドライバーの運転技術。そして競り合いでビビらない勝負度胸が決め手になるのでしょう。

前回のモデルにはリアスポイラーが付いておらず、悔しい思いをしましたが、今回のモデルにはちゃんと付いてました(笑)
このCUPカーは外見が同じであるため、参加車両は他車と差別化するために、様々なカラーリングを施しています。
今回モデル化された車両もアルファ・ロメオのレーシングカーにあるまじき?カラーリングではありますが、これもCUPレースの魅力なのかも知れません。

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ALFA ROMEO Sport Collection 41

またもや精神衛生によくない欠番が発生しました。しかもこの欠番というか未入手のNo.40はTipo33.2 Fleronです。こんなマニアックな車種がモデル化されるとは思いませんでしたので、とても残念ですが、No.49で再び取り上げられた33.2 Fleronはゲットしましたので、いずれご紹介したいと思います。

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そして、本日ご紹介するのはアルファ・ロメオ戦前のGPカーP2です。そしてこのP2こそ、現在まで続くアルファ・ロメオのレーシングヒストリーの華々しい最初のページを飾るべきクルマだと思います。

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1910年に設立されたアルファ・ロメオは最初からレースに勝利することを意識していました。そもそもがイタリアの精神文化でもある都市対抗意識から、トリノのフィアットに対抗して生まれた会社ですから、販売よりも何よりもフィアットより優れたクルマを「ミラノ人」は作れることを証明することのほうが重要で、商売なんて二の次だったフシがあります。それは設立の翌年に第1号車24HPで早速タルガ・フローリオに出場したことからも良く分かります。

ところがそれで勝てるほどレースは甘くなく、出場した2台はいずれもリタイヤに終わってしまうのです。奮起したアルファ・ロメオは、まずは優秀なレーシングドライバーをスカウトしてレースの勝利を目指しました。そしてその後に開発したRLタルガ・フローリオでようやく名実伴った勝利を手にします。
しかし、タルガ・フローリオという公道レースで勝利を収めてもGPレースの勝利を収めることがなかなかできなかったアルファ・ロメオは一人の技術者をその勝利のために招聘します。
それが内紛で混乱していたフィアットからやってきたヴィットリオ・ヤーノだったのです。

この稀代のエンジニアは、アルファ・ロメオに移るとすぐに、全くイケてなかったP1を捨て、新しいGPカーP2を開発します。ヤーノはその当時、過給器(スーパーチャージャー)に関しては第一人者で、彼が新たに設計した8気筒1987ccエンジンはそのスーパーチャージャーを装備し、出力140hpを発揮しました。そしてそのエンジンを搭載したP2は750kgの車重から最高速度225km/hを出したと言われています。

こうしてデビューしたP2は1924年のデビュー戦クレモナで、アントニオ・アスカリが優勝。続くリヨンではジュゼップ・カンパリが優勝するという連続優勝を成し遂げます。
そして、迎えた地元モンツァで開催されたイタリアGPでアルファ・ロメオにとって最高の勝利を手にすることになります。
それは出走した4台のP2が1位から4位を独占するという完全勝利で、この勝利によりアルファ・ロメオはようやく公道レースからGPレースまでの全てのカテゴリーのレースを制することになりました。

すなわち、その時代のアルファ・ロメオはそのスピードと耐久性に優れた、最も高性能の自動車メーカーになることができたのです。それはイタリアで一番優れているのがミラノ人であることを証明しようとした当時のアルファ・ロメオが実は世界で一番優れていることを証明した瞬間でもあったのです。

アルファ・ロメオは更なる勝利を収めるべく、このP2に続いて以前にご紹介したP3を開発するのですが、まさに破竹の進撃でその黄金時代は第二次世界大戦さえなければ永遠に続くかと思われたほどでした。

付属するミニチュア・モデルは1925年のイタリアGPで優勝したGastone Brilli-PeriがドライブしたP2を再現したものです。

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それにしても、いつも戦前のレーシングカーを見て思うことは、そのカーボンモノコックでもなければ、レーシングハーネスもないこの車体に、おそらくスグにバーストしたであろうバイアスタイヤを履き、ヘルメットも被らず、耐火スーツも着ずに、現在と変わらぬレイアウトのサーキットを200km以上のスピードで走ったレーシングドライバー達の技量と精神力がどれほどのものであったかということです。

勝ったとか負けたとかではなく、彼らは紛れもない英雄だったと思います。

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ALFA ROMEO Sport Collection 39

あまりにも有名なGTA 1300 Juniorですが、意外に誤解されているのが、スチールボディのGT 1300 Juniorとの関係です。

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Giulia Sprintのエンジンはその排気量別に1300ccから2000ccまで存在し、その名前は1300、1600、1750、2000と4種類、これに組み合わせられる燃料供給方式がキャブレターとスピカ製のインジェクション。そしてツインプラグのGTAエンジンと多くのバリエーションを持っています。結果その出力はもっとも少ないGT 1300 Juniorの1290cc/89hpから最高の2000 GTAmの1985cc/240hpに至るまで、基本的には同じシャーシが受け止めたことになります。現代の基準では出力比2.7倍の差を受け止める同一シャーシーというのはちょっと考えられないことですが、このGiuliaのシャーシーはそれだけフトコロが深いというかフレキシビリティがあったと言えます。それ故に現代に生き残っているGiulia Sprintはその型式名とは別に実に様々な排気量のエンジンが搭載されているのです。

このGTA 1300 Juniorは1967年にアウトデルタによって製作されたGTAコルサをベースにして、その排気量を1570ccユニットのストロークを82.0mmから67.5mmにすることによって作られたモデルです。これは偏にクラス優勝を狙ってのことで、このショートストローク化されたエンジンに従来と同じウェーバー45DCOE14を2基搭載したツインプラグエンジンは、市販バージョンで96hpでしたが、コンペティション用のハイチューンでは160hpまで高められていました。
さらに後期にスピカ製のインジェクションを装備したエンジンでは、165hpだったと言われていますので、いかにハイチューンだったかが分かります。
このチューニングをターボチャージャーなどの過給器を使わずに、メカニカルチューンのみで達成したのですから、アウトデルタのチューナーとしての技術力はずば抜けていたのではないかと思います。

さて、今まで散々言い続けて来ましたが、このGiulia Sprintのミニチュアモデルの造形はやはり最高だと思います。今回付属するモデルは1968年のムジェロに出場した車両をモデル化していますが、そのカラーリングはオーソドックスそのもので市販モデルのカラーリングそのままで、一部スポンサーのステッカーのみが貼られた状態です。

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やはり、ロッソコルサのGiulia Sprintが一番格好良く、実際に現代のサーキットでも一番良く見かけるカラーリングだけに、古さを感じないアルファ・ロメオにとっては普遍のものだと思います。

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ステッカーの複製

お気に入りのステッカーやレア物のステッカーなどは、どうしても貼りたいけど貼れないものです。
もし貼るときに失敗したら…とか、色褪せしたら…とか考えるとどうしても踏ん切りが付かず、気が付いたらステッカーが、コレクション状態になってしまっているのではないでしょうか。

先日、仕事で機械に貼るPLシールを作らなくてはならなくなり、あれこれ材料とやり方を試してみたのですが、その方法を使えばステッカーの複製ができることに気が付きました(笑)
ということは、これで手持ちのレア物ステッカーの複製が作れるのでココロおきなく貼れる…ということになります。それでは…ということで早速試して見ました。

今回複製するのは、アルファ・ロメオの設立80周年を記念して作成された"OTTANTANNI"ステッカーです。アルファ・ロメオは1910年に設立されましたので、この80周年のイベントは1990年に行われました。そしてその記念ステッカーは今やレア物で、私もおねだりして頂いたものなのですが、当然勿体無くてどこにも貼れずにずっと取っておいたものです。

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まずはスキャナーでこのステッカーのデータを取り込みます。
実際にはプリンターの精度で出来上がりは左右されるのですが、今回は1200dpiと高画質で取り込んで見ました。

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印刷するシールラベルはオフィスで各社の製品を試してみたのですが、最終的に↓が発色も良く使いやすかったです。

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ラベルのサイズはA4ですので、1枚のラベルに数枚のステッカーが複製できます。もちろん拡大も縮小も自由自在ではあるのですが、オリジナルに敬意を表して今回は、同じサイズでの複製としました。
ここで大切なのは印刷したときの色で、どうしてもモニターで見ただけでは実際の印刷と色が違ってしまいます。いきなり本番のシールで試すワケにも行きませんので、同じ光沢紙で何度か印刷して見て調整します。最終的にはどうしても赤の発色が違ってしまいましたが、なんとか妥協できる範囲に納めることができました。
さて、いよいよラベルシールに印刷です。

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なかなかの仕上がりです。このラベルシール用紙は耐水性とのことですが、やはり耐水性と耐紫外線で不安があります。
そこで、さらに表面に保護フィルムを奮発することにしました。

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このテの全面保護フィルムは貼るときにシワになったり気泡が入ったりするのですが、このフィルムは良く出来ており手順さえ守れば、よっぽどのことがない限りキレイに貼ることが出来ます。理由の一つがそのフィルムの厚みで、どうやらこの保護フィルムを貼ったステッカーは、あまり曲面に貼るのには向かないようです。

無事にフィルムを貼ったらいよいよステッカーをカットするのですが、用意するものは金属製のものさし、カッターナイフ、そして柳バサミです。
この柳バサミはあまり馴染みがないかも知れませんが、刃先が反っているハサミで、丸く切るときに重宝するハサミです。私は模型のデカールを切り抜くのに使ってますので持っていますが、もちろん普通のハサミでも問題はないでしょう。

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出来上がりました。いかがでしょう。オリジナルと並べてみてもそれほど遜色はないと思います。

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これで、お気に入りのレア物ステッカーを何枚でも複製することができます。
でも、そうすると有り難味がなくなってしまうかも知れませんね(苦笑)

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ミニチュアモデルの撮影機材

ミニチュアモデルの撮影には結構苦労をして来ました。最近はデジタルカメラでの撮影ですので、その場で画像をチエックして、露出やシャッタースピードを修正できるようになりましたが、以前の銀塩カメラですと、現像して見なければ出来上がりが分からないために、折角撮影した写真もいざ現像して見るとがっかりしてしまうこともあったのです。

デジタルカメラでの撮影では、これまでは黒い画用紙を背景にして、普通のレフ電球をライトに使用していたのですが、ライティングに納得が行かず、レフ板をあててみたり、布をライトに被せてみたりイロイロ試してみたのですが、やはり光源そのものを変えるのが一番確実な方法ですので、なるべく安価に…ということで、どんなものがあるか調べて見ました。

まず、電球はレフランプと呼ばれるライトの背面に蒸着膜がついているタイプでなければなりません。この鏡膜によって光が反射し、前面に集中して当たるようになりますので、エネルギーロスが少なくなります。次にビーム角と呼ばれる光の照射角も重要です。角度が狭いと中心が明るくなりすぎてしまいますし、開きすぎていると暗くなってしまいます。そして光色がなるべく昼光色に近いものを…ということでネットで探して見つけたのがこのランプでした。

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これは電球型蛍光ランプと呼ばれるもので、形は電球なのですが、中身がタングステン球ではなく蛍光管になっているものです。しかもちゃんとレフ型になっており、店舗のスポットライトや住宅のダウンライトに使用されるもののようですが、一番の利点は寿命が長いことで、確かにこれらの取り替えにくい場所に使用するのは最適なものだと思います。

ところが、スペックを見るとこれが撮影用ランプとしてもなかなか適していることが分かりました。ビーム角も130度と狭すぎず、広すぎずですし、そのランプ面の直径も80mmで現在使っているクリップライトに装着できます。
お値段は1本1449円とちょっと高いですが、撮影用のランプはもっと高価ですので、日常の読書用ライトとしても使用する私にはちょうど良いかなと思って購入しました。

そうすると、次は背景の黒画用紙が気になり始め、何か良いものは…と探して見るとありました。これはエツミ社製ドームスタジオと呼ばれるもので、ちょうど昔の食卓で虫除けに被せていた蚊帳のような構造のものです。傘のように折りたたんで収納でき、背景もリバーシブルでブルーバックとグリーンバックの2色が使えます。気になるお値段はヨドバシカメラで1980円!と格安でしたので、早速購入して来ました。
この商品に関してはこちらに詳しく書かれていますので興味がある方はご覧ください。

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このテント越しに、先ほどのライトを左右両方向から角度を変えて当てて見ると、光がきれいに回り、イヤなギラつきがなくなりました。スタジオを持っているワケではありませんので、設営撤収が楽なのも助かります。

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そして、撮影して見た結果がこれですが、少しは見やすくなったのではないでしょうか。

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一方こちらが従来のタングステン電球と黒画用紙で撮影したものです。

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プロ用の機材を揃えて撮影すれば、もっと良い写真が撮れるのでは…と思いますが、そこはシロートですので知恵を使って安価に済ますというのも結構楽しいものです。

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マニアックな視点

私(たち)のようなクルマ好きはどうしても行楽もクルマ関係の場所になりがちなのですが、それでは家族も納得してくれるワケはなく、そんなことばかりしていると、そのうちクルマ趣味に「拒否権」を発動されてしまう可能性もあるでしょう(笑)

私の友人の中には、1回サーキットに出かけると必ず1回は家族を遊園地に連れて行ったり買い物に連れて行ったりしている方がいますし、別のメンバーからはオーナーズクラブのミーティング場所は近くにアウトレットのある場所…で、という希望を頂いたりします。
そこで、ちゃんとクルマには何の関係もない行楽地に遊びに行くことになるのですが、そこは悲しい性でそのクルマとは縁も所縁もない場所でもついマニアックな発見をしてしまうのです。

先日、このブログをご覧頂いたアウグストさんからの情報なのですが、東武ワールドスクエアはどうやらスゴイことになっているようです(笑)

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関東にお住まいの方は、ご存知だと思いますが、ここはミニチュア遊園地で、そのホームページによると5年の歳月をかけて、1/25スケールでユネスコの世界文化遺産に登録されている建築物を45点を含む102点もの建造物の模型が展示されているユニークな遊園地です。よく建築模型などが展示されている場所はあるのですが、ここの最大の特徴はその数と展示場が庭園になっているところです。ガリバー気分を味わえるといったところでしょうか。

もちろん「素直に」このミニチュア庭園を楽しむのが正しい鑑賞法ではあるのですが、マニアの見所はその脇役であるミニチュアのクルマ達です。
アウグストさんの情報によるとナンと東京駅のミニチュアにアルファ75のタクシーが…ということで写真を送っていただきました。

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よくよく見てみると…確かにアルファ75です。そして笑えるのはそのタクシーのカラーリングと行灯が明らかに日本のタクシー仕様に改造されているのです。おまけにちゃんと右ハンドル化までされています(笑)。
どうしてわざわざアルファ75を使ったのか良く分かりませんが、ホームページに紹介されている写真を観察すると、フェラーリ308やらフィアット・プントやらマニアックなクルマ達が随所に置かれています。

どうやらこのミニチュア庭園のクルマ担当の方?は相当なマニアではないかと見受けました。
これは一度行って自分の目で確認しなければならないでしょう。

それともクラブの仲間と出かけて、建物のミニチュアなんてそっちのけで、マニアックなクルマばかり探して歩くってのも面白いかもしれません(苦笑)

このように面白ブログネタの投稿は大歓迎ですので、是非どしどし送ってください(爆)

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Micro Carの可能性2

軽自動車は日本が世界に誇れる規格だそうです。確かに単に小さいクルマを作ったのではなく、あの軽自動車という制限の中で最大限の性能を発揮しようとする技術者の努力は、自動車が工業製品であるが故に進歩してきたのだろうと思います。

エンリコ・フミア氏は日本の軽自動車が大好きです。来日するたびに日本の軽自動車がその制限(規格)の中で進歩し、どんどん魅力的になって行くことに驚くと共に敬意を抱いています。特にダイハツのHi-Jetに代表される軽バンが好きで、あのパッケージングの凄さに、先日来日した折には、私にスケルトンイラストを手に入れてくれ…とまで言うほど惚れこんでいます。

さて、昨日ご紹介したこのコンセプト・モデルはトリノのCAT社の依頼によりデザインされ、2004年のボローニャモーターショーで発表されたJOD-JODと名付けられたMicro Carです。
このコンセプト・モデルを見ると、エンリコ・フミア氏が日本の軽自動車を充分に研究した上で、実現可能なデザインとして製作されたことが良く分かります。

全体のデザインはエンリコ・フミア氏が提唱するフォーサイド・ルックをベースに「波」をイメージしたキャラクターラインでボディ全体の統一感を出しています。

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前後のパネルは同じ形状でコストダウンを計っています。また、昨日の赤いボディと見比べていただくと、同じパネル(サイドミラーも)をコンビネーションで用いて、同じくコストを下げながら全く違った印象になるようデザインされていることが分かります。

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サイドの眺めはランチア・イプシロンにも通じるまさに「フミア・デザイン」です。

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フロントのサービスハッチは流石に華奢で、実現する際には補強しなければならないかも知れません。

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リアハッチは現実的なデザインです。2人乗りのMicro Carですから、リアに載せる荷物はせいぜい買い物袋くらいのものでしょう。であれば、このようにガラス部分を開ける形式のほうが、軽くすることができ、しかも荷物の出し入れがし易いでしょう。

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室内のデザインも安い素材をうまく組み合わせています。こういったデザインはエンリコ・フミア氏に限らず、イタリア人は素晴らしいシゴトをします。巨匠ジウジアーロの初代PANDAの内装とも共通の、機能美を追求するだけのドイツ車とは一線を画すイタリアンモダニズムを感じると言えば言いすぎでしょうか。

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私はこのドアのインナーのデザインが大好きです。外観のデザインはともかく、この内装デザインは今すぐにでも日本の軽自動車に採用できると思います。

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このハンモック式のシートのアイディアも秀逸です。もし、取り外せて丸洗いできるのならばもっと良いかもしれません。

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これからは日本に限らず、世界中でMicro Carの需要は増えていくであろうと思います。ヨーロッパやアメリカの都市部や発展途上国において、Micro Carは安価で、燃費も良く、環境にも優しく、駐車場所にも困らず…と、現在自動車が抱える問題点の多くを緩和することができる現実的な選択だと思います。

ただ先進国でこのMicro Carが成功するためには、「ビンボー臭く」ないことが求められるのではないでしょうか。決して「ビンボー」で、「これにしか乗れない」のではなく、優れたデザインと機能性のために、積極的に選択されるクルマとしてMicro Carが成立するためには、日本の軽自動車の優れたメカニズムとエンリコ・フミア氏がデザインしたようなイタリアンデザインの融合が必要ではないかと思います。

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Micro Carの可能性

今日も予定外のネタですいません。
以下にご紹介するクルマはエンリコ・フミア氏のデザインによるコンセプトカーです。
残念ながら、未だにコンセプトに留まっているのですが、将来の可能性を秘めたデザインだと思います。詳細についてはまた明日…(苦笑)

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常識の非常識

自分達の常識が、世間の一般人(笑)にとっては非常識であることに気付かずにハナシているときほど、愕然とすることはありません。
私たちにとって古いクルマを雨の日に乗ることは非常識でしょう。しかし、世間の一般人は雨だからこそクルマに乗るワケで、その一般のヒトにとってみれば、雨の日に乗れないクルマを持っていることほど理解に苦しむことはないのでしょう。

今日も引き続き雨の日に乗れないアルファ・ロメオをご紹介したいと思います(笑)

2004年のALFA ROMEO DAYのフューチャーモデルだったSZ/RZ(ES30)です。ボディはFRPで錆とは無縁なのですが、クローズドトップのSZは雨の日がちっとも楽しくなく、もう一方のオープンのRZはその幌が傘以下で、楽しいとか楽しくないというレベルでは語れないほど酷いのです。

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そのRZです。これは私の友人のものですが、真横からのショットでその幌の造りがお分かりいただけるかと思います。はっきり言って、この幌はビニール傘以下のシロモノです。高速では容赦なくフロントスクリーンの隙間から雨が顔を目がけて吹き込んできますし、ブレーキをかけるとリアトレーの水溜りが室内に流れ込んでくるのです。

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Giulia Sprintは錆の問題で、雨の日に乗ると後始末が大変です。ドア下部、Cピラーの付け根、トランク内部、そしてフロアパンと、錆が出やすい部分は水吐けが悪い部分に集中しており、雨のドライブの後はいかにこの部分を素早く乾燥させてやるかにオーナーは腐心することになります。

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同じ、Giuliaのフロアパンを持つJunior Zも錆からは逃げられません。さすがにGiulia Sprintほどではないそうですが、それでも雨の日に乗ることは寿命を縮めることには変わりありません。

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115系のSpiderもSr.3になってようやく錆からは開放されましたが、それでも幌の設計はDuettoから何も変わっていないため、三角窓の隙間から雨が漏ってきます。そして漏ってきた雨水は、ちょうど左の膝の上に落ちて冷たい思いをすることになります。

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では、916系のSpiderはどうかと言うと、さすがに雨漏りはしなくなりましたが、一方で雨の日に幌を閉めると視界が極端に悪くなってしまいます。そしてリアウインドウはビニール製であることから、デフロスター(曇り止め)がなく、雨の夜などは危険ですらあるのです。

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考えてみると、それでもこれらのアルファ・ロメオに乗るのは偏に晴れの日のドライブが何モノにも替え難いほど素晴らしいからに他なりません。

どんな天候でも快適で問題なく乗れるクルマは、クルマ本来の理想の姿ではあると思いますが、それでも本日ご紹介したクルマにその全天候近代車よりも魅力を感じてしまうのは、単に私がM体質だから…だけではないと思います。

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Do It Yourself(仕上げ)

昨日は、先週DIYで修理したSpider Sr.4のバンパーの仕上げを行いました。

やはり、新しく塗装した部分とベースとの間にツヤの差があります。
Spider仕上げ

では、そもそも塗装のツヤとは何でしょうか。それは光の乱反射によるものです。表面が滑らかであると光の乱反射がなく、輝いて見えますが、表面が平滑でないと光が乱反射してしまい輝きがなくなってしまうのです。
ということは、艶を出そうと思うと表面を平滑にし、一方で艶を無くそうと思えば、表面をザラザラししてやれば良いのです。

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スプレー塗装をした表面は乾燥すると、塗料の粒子が溶けていた溶剤が蒸発し、その粒子のみが付着します。そのままですと、この粒子の凹凸により光が乱反射し、艶がなく見えるのです。
ですので、この表面の凹凸を削ってやることにより平滑にし、艶を出すのが「磨き」という作業です。
まず、本来の塗装面とスプレー塗装面との境目の部分に薄く段がついていますので、そこをまず耐水ペーパー(1000番~1200番)でそっと磨いて、段差がない状態にします。
そしてスプレー塗装面を液体コンパウンドで磨いて行くのですが、力を入れすぎたり同じ場所を磨きすぎると折角の塗装面が削られてしまい下地が出てしまいますので、注意が必要です。実は、今回私はこの失敗をやってしまい、一部タッチアップするハメになってしまいました(泣)
また、本来の塗装面以上に平滑にしてしまうと、艶が出すぎてしまいかえって違和感が残ってしまいます。
少し磨いては、乾いた布で拭き、艶の状態を見ながら作業をして行きます。コンパウンドも粗目から極細目まであるので、最初に各々を使ってみて様子を見ましょう。今回は極細目では艶が出すぎてしまうことが分かりましたので、真ん中の中目のみを使用しました。

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いかがでしょうか。塗装面に関しては殆ど違和感なく仕上がったと思います。最初のキズからすると、シロートの作業にしては上出来だと思います(苦笑)
ところが、恐れていた…というか妥協して使用したパテは乾燥するとともに、ちゃんと肉痩せしています。ここはやはりポリパテを使うべきだったでしょう。猛反省です(苦笑)

この磨き作業が約1時間ですので、全ての作業はトータルすると5時間程度でした。プロに任せると2万円~3万円位の作業ではないかと思いますので、どちらにするかはオーナーの判断次第ですが、この作業が苦にならない方ならば一度やって見てはいかがでしょう。結構楽しいものですよ。

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またもや・・・

今日は一日中、知り合いのSpiderで三浦半島の三崎までドライブしてました(笑)
というワケで更新が間に合いませんでしたので、困ったときにALFA ROMEO DAYということで(苦笑)、本日は2004年のALFA DAYでの気になった参加車をご紹介させてください。

2004年は雨に祟られたのですが、フューチャーモデルはSZ/RZ(ES30)でした。SZはともかくRZの幌は土砂降りの雨に全く役に立たず、オーナーは悲惨な目に遭っていました。
その辺のハナシはまたいずれしたいと思いますが、今回は…
「この雨で良く来たクルマ達」というテーマで集めて見ました。

まずはGiullietta 2.0です。Giuliettaと言えば、初代を思い浮かべるのですが、Alfettaの後継モデルとしてこのボクシーな二代目のGiuliettaも捨てがたいものがあります。
このAlfettaと75との間に位置するGiuliettaは、ちょうど日本で正規ディーラーがない時代のクルマでもあり、日本では稀少モデルです。その独特のスタイリングは、最初は???なんですが、良く見ると味のあるデザインです。

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こちらは初代のGiuliettaのSpiderです。この雨の中に貧相な幌で良く来てくれた…というクルマです。このGiuliettaも幌はせいぜい傘程度の役にしか立ちません。

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こちらはレーシーにモディファイされた、同じく初代のGiuliettaのSprintです。さすがに雨は漏りませんが…錆びます(泣)

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湿気だけで錆びるSudです。名前の由来はそれまでイタリア北部のミラノで製造されていたアルファ・ロメオが、経営不振から国営会社となり、政府のイタリア南部産業振興策からナポリに新工場を建設し、このクルマの製造を始めたのを記念して「南」という意味のSudと名付けらました。
ちなみに、このナポリ工場建設を機に、アルファ・ロメオのエンブレムから"MILANO"の文字が消えたのも有名な逸話です。

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こちらは勿体無いGiulia TI Superです。ある意味Giulia Sprint GTAより貴重なモデルです。

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THE RAT PATROL

20,000アクセスアワードをゲットされた方からご連絡をいただきました。福岡にお住まいのitoさんという方で、いつも私のブログをご愛読いただいている方でした。ご自身のホームページもお持ちで、愛車のSpider Sr.4とフェアレディと共に、充実したクルマ生活を送っていらっしゃるようにお見受けしました。

ところが、残念なことに記念品のABCペダルはご辞退されましたので、今回も前後賞を気合と根性と物量作戦でゲットされたi-maccoさんに贈らせていただくことにしました。
i-maccoさんは前回に続く受賞で、賞品は本日発送させていただきましたので、どうぞお受け取りください。
itoさんには何か別の記念品を…と思い、現在ご連絡を差し上げていますので、決まりましたらまた皆さんにもご紹介させていただこうと思っています。

さて、途中で20,000アクセスが舞い込んで来ましたので、ハナシが途中になってしまいましたが、実は私はこのWillis MBが大好きです。でもJeep全般が好きなワケではなく、戦後に三菱がライセンス生産をした、J-3型と呼ばれるJeepはそのボンネットの厚さがJeep本来のバランスを崩しているため格好悪く、ちっとも好きではないのです。
どうやら私はJeepが好きなのではなく、Willis MBが好きなようです。
何故だろうか…と思い返してみてハタと思いついたのが、子供の頃に見たTV番組の影響だったのです。

私が子供の頃だった1960年代は、TVでアメリカのTV映画(ドラマ)が全盛の頃で、刑事モノからファミリードラマなど様々なジャンルのアメリカのTV番組が放映されていました。
その中でも「戦争モノ」と呼ばれるTV番組が大好きで、TVに噛り付いて見ていた記憶があります。

代表的なものはビッグ・モロー主演の「コンバット」で、ナンと関西では日曜日のゴールデンアワーに放映されていました。彼が演じる主人公のサンダース軍曹が持っているTHOMPSON機関銃が格好良く、なんとかオモチャを買ってもらおうと悪戦苦闘したものです。

でも、私が一番好きだったTV番組は「THE RAT PATROL」でした。

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この番組は第二次大戦中の北アフリカ戦線を舞台にした、アメリカ軍の特殊部隊とドイツのロンメル機甲師団との戦いをテーマにしたもので、もちろん主人公のクリストファー・ジョージが演じるトロイ軍曹はめちゃくちゃ格好良かったのですが、それよりも登場するJeepがとにかく格好良く、子供だった私はたちまちイチコロに参ってしまったのです。特に大好きだったシーンはオープニングテーマに登場するJeepが砂丘をジャンプして越えるシーンで、殆どの戦争映画に「脇役」として登場するJeepを、「主役」として人間以上に際立たせた名作ドラマだったと思います。

もちろんドラマですから、内容はお気楽なアメリカ映画にありがちなフィクションのカタマリなのですが、このドラマには実在のモデルがあります。それはイギリス軍のS.A.S.(Special Air Service)という特殊部隊で、実際にJeepで砂漠を単独で行動し、当時優勢だったドイツ軍に対してゲリラ的に後方撹乱や補給線攻撃に活躍した部隊です。
ちなみに、このS.A.S.は現在も対テロなどの特殊部隊として活躍しています。

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一方、当時の日本ではどうだったかと言うと、「くろがね四起」と呼ばれた95式小型乗用車がありました。
この自動車は、昭和11年(1936年)から昭和20年(1945年)まで、ちょうど10年間にわたり陸海軍の小型乗用車として製造された軍用小型4輪駆動車で、開発の時期からすると実はJeepより古いモデルです。
当初は偵察・連絡用のオートバイに代わるものとして二人乗りで設計され、その後の改修でエンジンが1200ccから1400ccにアップし、ようやく座席は4席になりましたが、いかんせんJeepと比べると、その性能もデザインも古色蒼然としたものです。
それよりも何よりも、日本軍の用兵思想がなっておらず、機械化していない徒歩や馬で移動する部隊に、機動力が命!の小型乗用車を配備しても何の役にも立たなかったでしょう。
それもそのはずで、主力とは言え、当時の殆どの車両装備は民間の乗用車を徴用したもので占められており、このような専用設計の車両は数も少なく、その殆どは後方で使用され、Jeepのような多様な使われ方はされませんでした。

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さて、先日の問題の答えですが、こ~んずさんの想像の通り、これはライフルラックと呼ばれる小銃を固定するためのものです。
固定される小銃はM1ガーランドと呼ばれた小銃で、Jeepのフロントスクリーンを倒した状態の時にこのラックに小銃を入れて移動の際に固定する装備です。

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軍事評論家の方によると、第二次世界大戦の日本軍と連合軍の装備を比較したときに、その物量の差や作戦の差を除けば、決定的な敗因は3つに絞られるそうです。一つはレーダーで、次にブローニング製の12.7mm機関銃、そして最後はJeepなのだそうです。

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Access 20,000 達成!

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お陰さまで20,000アクセスを達成しました。

先週に一週間後辺り…と予想したのですが、ほぼ予想通りでしたので、皆さんも準備しやすかったのではないでしょうか。
今朝からカウンターの上がり具合が微妙で、皆さんが狙っていらっしゃるのが良く分かりましたが、どうやらお昼過ぎに達成しましたので、ちょうど遅いお昼休み位に開いた方に幸運が訪れたのではないかと思っています。

お約束どおり、用意したアワードのABCペダルを差し上げますので、20,000目にアクセスして頂いた方は是非、ご連絡をください。

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前回の16,400アクセスと違って、今回の20,000アクセス達成はお昼間でしたので、前回記念品をゲットされた某氏は、お仕事の関係から、まずPCの前にいることは不可能なハズで、これはムリだろうなと密かにほくそえんでいたのですが(笑)、ナンとその直後にメールでご連絡を頂きました。まさかと思ってメールを開いて見ると、以下の画像が添付されていたのです。

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ご覧のように、ちゃんと前後賞は押さえていらっしゃいます。恐るべき執念です(笑)
しかし、シゴトをほったらかして一体ナニをやっているのでしょうか…。
この執念と努力を他のコトに振り向けられたならば、必ずどんなことも成就するだろうと思われます(爆)

さて、現在のところ20,000アクセス目の方からはご連絡がありません。このままですと、また前後賞ということで某氏に賞品がさらわれることになってしまいます。
これでは、昨日のJeepのハナシではありませんが、アメリカの物量作戦に負けたようで悔しいので、是非名乗り出ていただきたいものです(笑)

あっ!決して某氏にアワードを渡したくないと言っているワケではありませんので、くれぐれも誤解なさらないように…、
ねぇi-maccoさん(あっ…言っちゃった)

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ご近所の名店

昨日の不摂生が祟り、いまだに復活できずにいますので、予定外のコンテンツです(苦笑)

クルマ趣味に限らず何でもそうだと思うのですが、同好の志にとっては涙が出るほど素晴らしい環境が、全くその趣味のない方にとってはどーでも良いことってあると思うのです。
その好例が私の自宅の近所のクルマ屋さんだと思います。

そのお店とは…
オートジャンクションです。

おおよそ、スパルタンな四駆のオーナーでこの店を知らない方はいないという程、そのスジでは超有名なスペシャルショップです。特にミリタリージープに関しては日本で屈指のノウハウを持っており、全国からこの店を頼って軍用車両のレストアや整備の依頼が来るそうです。
事実、このショップの禁断のシャッターの奥にはとんでもないお宝が整備を待っているのです。
このショップでは第二次大戦中のWillis MBは当たり前?で、米軍のジープであれば、戦後のM38、M151はフツーに見ることができます。さらに、Ford GPWやDodge Command Carを始め、ランドローバーの野戦救急車なんてクルマもさらりと入庫していたりします。
いずれ潜入取材をさせていただこうと思っているのですが、そのジャンクヤードにはとんでもない「お宝」が部品取りのために積み上げられている一方で、たまに停めてある"For Sale"の物件は、写真のように完璧にレストアされた個体です。

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ちなみにこのWillis MBは知るヒトぞ知る、第二次世界大戦で米軍で活躍した軍用車両です。
もちろん"Jeep"という愛称の方が遥かに有名で、戦後は四駆の総称として使用されるほどになった名称ですが、その由来は定かではなく、General Purpose(万能)もしくは Government-use(政府用)の G とホイールベース 80 インチの車両を表す識別符号の P から来た符号 GP から"Jeep"と命名されたという説と、漫画「ポパイ」に登場する「ユージン・ザ・ジープ」からという説などがあります。

そもそもの開発のきっかけは、1940年にアメリカ陸軍補給廠が、ポーランド侵攻におけるドイツ軍のキューベルワーゲン(かのビートルのご先祖)の活躍に注目し、自動車メーカーに小型軽量の多目的車両の開発オーダーを出したと言われています。各社競作となったこの車両は、最終的にはアメリカン・バンタム社が落札し、プロトタイプを製作することになったのですが、バンタム社の生産能力を危惧したアメリカ陸軍はこの設計図を公開し、Willis Overland社はWillis MAを、Ford Motor社もFord GPと呼ばれるプロトタイプを製作。3社合わせて数千台規模により実戦投入された結果、Willis MAに改良を加えたMBが正式採用されたのです。

最終的に、このWillis MBは第二次世界大戦中に、647,925台が製造され、さらにその水陸両用タイプのFord GPAも12,778台製造されるという大ヒットとなったのですが、戦場での信頼性だけでなく、その姿は、戦後進駐してきた占領軍の象徴としても敗戦国に強烈な印象を残したのです。

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余談ですが私の父は学徒出陣で徴兵されましたが、幸いなことに既に戦場へ兵士を運ぶ輸送船なぞなく、本土決戦に備え内地で陸軍砲兵として敗戦を迎えたのですが、進駐して来た米軍のJeepを初めて見たときに、「こりゃ負けて当然…」と思ったそうです。

その理由の一つはWillis MBの卓越したデザインにあります。1940年と言えば、殆どのクルマは独立したフェンダーにライトポッドが取り付けられた現代の目から見た所謂「クラッシック・カー」のカタチをしていたのに対して、Willis MBはそのグリルにライトを埋め込み、従来のどのクルマにも似ていない機能美を身に付けていたのです。この普遍的なデザインがどれほど優れていたかは、現代のJeepにもその形状が受け継がれていることからも分かります。

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実は、私もこのWillis MBのステアリングを握ったことがあります。学生時代にスキーで宿泊した赤倉高原のペンションのオーナーがこのWillis MBを所有しており、私に運転させてくれたのですが、その軽い車体と細いタイヤにより、雪道をナニゴトもなく走破できるため、面白くてスキーをせずに乗り回して遊ばせていただいたのですが、フロントガラスが取り払われていたため、とにかく寒かった経験があります。
その記憶もあり、このFor SaleのWillis MBにはちょっとソソられるものがありましたが…恐らく高くてとても買えないでしょう(苦笑)

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ちなみにこのWillis MBは極めてオリジナルに忠実にレストアされているのですが、フロントウィンドウに取り付けられた赤い矢印のパーツは何のためのものだと思いますか?
どうぞ考えて見てください。

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ごめんなさい

急な飲み会で予定していた内容でUPできませんでした(汗)
そこで…、フランス車フェチのあ・な・たにお送りする、複雑な写真をお目にかけます。
これは私の自宅近くの駐車場の光景なんですが…、
う~ん。シュールです(苦笑)
某氏の感想を是非聞きたいものです。

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Do It Yourself(本塗り)

パテの乾燥を待って、再度320番→600番の耐水ペーパーで磨いて下地を作って行きます。
写真がピンボケで申し訳ないのですが、作業を急いだのとやはり恐れていた「肉痩せ」が起こり、2度に分けて埋めたのですが、パテで埋めた部分が少し凹んでしまいました。
個人的には納得が行かなかったのですが、時間の関係もあり、オーナーに了解してもらい、今回は作業を継続することにしました(苦笑)

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続いて塗装前の下地作りです。マスキングをしてプライマリーサーフェイサー(プラサフ)を塗るのですが、ポイントが2つあります。完全なマスキングと塗装面の脱脂です。
スプレーは霧状になり隙間にも入って行きますので、余計なところにプラサフが付くとはがすのが厄介です。またプラサフは本塗装と違って、削った面の平坦度を確認する意味もありますので、極力削った面だけで済ませる必要があります。

マスキングには新聞のチラシを使います。このチラシは薄くで表面がツルツルしている写真満載のものが最適です。マスキングテープは塗装面に貼る部分に気泡や浮きがないようによく抑えてしっかり貼り付けておきましょう。
次に脱脂ですが、塗装面に油分が付いていると塗料を弾いてしまいますので、面倒がらずに脱脂をしておかなければなりません。こういった地道な作業手順が仕上がりを左右しますので、面倒がらずにやっておきましょう。
説明する順序が逆になってしまいましたが、マスキングをする前にシリコンリムーバーをスプレーし、キレイな布でふき取ります。マスキングをしてからだとチラシの印刷インクが溶けて(当たり前ですね)しまいますので、マスキングする前に脱脂をしておくのがポイントです。また、マスキングする際に折角脱脂した部分に触らないように注意して作業しましょう。

次に今回の新兵器?バンパープライマーをスプレーします。これは塗料の「食いつき」を良くするために細かい粒状になって表面に付着する塗料です。ちゃんと脱脂をすれば本来はさほど必要のないものですが、保険の意味もあり今回は使用して見ました。
そして…効果のほどは良く分かりませんでした(苦笑)が、もっと大面積を塗装する際には効果を発揮するのかも知れません。

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プラサフをスプレーして見ると、その表面の状態が良く分かります。例のパテ埋めした部分以外は平坦になっていますが、やはり孔の部分は少し凹んでしまいました。
マスキングを剥いで、再度耐水ペーパーで磨いて行くのですが、今回は600番を使用して丁寧に塗装面を確認しながら磨いて行きます。

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そして、再びシリコンリムーバーで脱脂をして本塗りのためのマスキングを行います。本塗りの場合は、新しく塗った部分と従来の塗装の部分が自然にボケるように、前回のプラサフの際よりも塗装する部分を大きく残してマスキングするのがコツです。

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いよいよ本塗りですが、いきなりスプレーせずに、チラシに試し吹きをして色を確認して見ましょう。今回は元のボディの退色が少なかったため、殆ど違和感はありませんでしたので、このまま塗装続行です。
模型を作る方はコツをご存知だと思いますが、スプレー塗装は塗装面から20cm~30cm位の距離を保ち、指の力を均等にかけ、一方通行で吹いていくのがコツです。
初心者が犯す失敗は大別すると二種類あります。一つは塗装面との距離がマチマチでスプレーしてしまうことと、もう一つは、仕上がりを急ぐあまり同じ箇所に長くスプレーしてしまうことです。前者は塗装ムラの原因となり、後者は塗装ダレの原因となります。
一度に厚塗りせずに方向を変えながら、根気良く何度も吹いていくとだんだんとキレイになってきます。

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4~5回、スプレーした状態です。ようやく下地が隠れて来ましたが、まだ下地のプラサフが透けて見える状態です。
さらに塗装を続けると…、

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ここまでキレイに塗装ができました。ボディ色が幸いして例のパテ盛りした部分も意外に目立ちません。
スプレー塗装をすると表面がザラザラして艶のない状態になりますが、乾燥してから磨きますので心配は無用です。

そしていよいよ最後の仕上げのコンパウンド磨きとなるのですが、しっかり塗装を乾燥させてからでなければ今までの作業が台無しになってしまいますので、一週間後に作業をすることにしました。

ここまでの作業がビールを飲みながら(笑)の、約4時間ですので、材料などの準備をして臨めばそれほど大変な作業ではありません。保険を使えば簡単に「交換」されてしまうのかも知れませんが、環境保護の点?からも補修にチャレンジして見てはいかがでしょうか。

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Do It Yourself(バンパー補修)

私の以前のブログでご紹介したのですが、突然Sr.4のSpiderを購入してしまった女性がSpiderと暮らし始めて1年経ちました。
納車してすぐはオルタネーター不調によるバッテリー上がりなどの初期トラブルはあったものの、その後はノートラブルで彼女のSpiderは日常のアシとして毎日活躍しています。
ということは毎日走っているワケですので、少々の接触事故はあるだろうなと思っていたのですが、これが意外に全くないまま、幸運にも1年が過ぎたのですが、今回ついに軽い接触事故を起こしてしまいました。

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どうやら雨の日にタクシーと接触したらしいのですが、状況を聞くと最悪でも五分五分といった状況でした。ところがタクシーの運転手はその辺を良く分かっており、接触相手がガイシャのオープンであったことから修理代が相当かかると思ったのでしょう。お互いに治しましょう…と警察にも届けずに別れてしまったということなのです。タクシー側の被害は殆どなかったようですので、仮に五分五分でも修理代の半分は相手持ちになるのですから、まんまと逃げられたと言ってよいでしょう。
オーナーには事故の処理について厳しく?お灸をすえておいたのですが(笑)、ブツかったバンパーを見ると亀裂はないようですので、ここはDIYで修理することにしました。

修理するに当たっての最大の問題はボディカラーで、このVerde Inglese(British Green)というカラーは製造中止で、純正のペイントが入手できないのです。最初は純正のタッチペンでも買って、シンナーで薄めて模型用のハンドピース(スプレーガン)で塗装を・・・と思っていたのですが、まずは塗料探しからスタートしなければなりませんでした。
ところが、最近は便利になっており、スペシャルオーダーで塗料を作ってくれるサービスがあるのです。
今回オーダーしたのはSOFT99のボデーペンオーダーショップで、純正の色番号(エンジンルームかトランクリッドにラベルが貼ってあり、そこに書かれています)を指定してサイトでオーダーするとスプレーにして送ってくれました。お値段は2000円で通常カー用品店で売られている同様のカースプレーの約2倍のお値段で、私にはリーズナブルだと思えました。
小さなジャムの空き瓶などにスプレーを空吹きしておくとタッチアップ用にも使えますので、もう補修用のペイントのない古いクルマなどのオーナーは一度オーダーしてみてはいかがでしょう。ただし、当たり前ですが経年変色には対応していませんので、あくまで新車の時の色となってしまいます。

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さて、ペイントはこれで手に入りましたが、それ以外にも揃えるお道具があります。今回用意したものは…、

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です。それぞれはナニに使うのか?ということは順番にご説明して行きますが、仕上がりをある程度きちんとしようと思うと、やはりこれだけ必要になります。

まず患部(笑)を普通に洗車の要領で軽く洗います。もちろん全体を洗車しても良いのですが、今回の目的はバンパー補修ですので、洗車に夢中になると時間がなくなってしまいますので、周辺のみを洗って作業開始です。

めくれ上がった部分をカッターナイフでカットしてから、まずは320番の耐水ペーパーで傷の部分を削って行きます。耐水ペーパーは番号が少ないほど目が粗いのですが、今回は下地がFRPですので、荒削り用に320番と下地作り用に600番を用意しました。念のために仕上げ用に1000番も用意したのですが、個人的には1000番の替わりにスポンジコンパウンド(後に登場します)を使ったほうが作業は楽だと思います。

耐水ペーパーをブロックに巻いて患部を削ってならして行くのですが、その際に注意するのは、傷を消すときにバンパーのエッジは消さないように磨いて行くことです。Spiderのバンパー上部は段が付いており、この段のエッジを削ってしまえば仮にキレイに傷を消すことができても、塗装したときに「ここを削りました」と分かってしまいます。一通り荒削りが終わったら、600番のペーパーに替えて今度は磨きの要領で細かく仕上げて行きます。
指でなぞってみて周辺と段差がなくなるまで削って、削りの作業は終了です。

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削って行くと、思ったより傷が深い部分が出てきました。写真の○印の部分ですが、1箇所はエグれており、そこから線状の亀裂が走っています。
この傷はこれ以上削っても消えませんので、パテ盛りによって補修することになります。
当初はこれほど深いとは思っていませんでしたので、用意したのは模型用のパテ(田宮模型製)です。模型用の練りパテだと厚く盛ると、乾燥に時間がかかると同時に、乾燥したときに「肉痩せ」と言われるパテが縮む現象が起きてしまいます。従って、深い傷には通常、エポキシパテと呼ばれる2液混合で硬化させるタイプを使用するのですが、今回は仕方なくこのパテを使用するしかありませんでした。
パテを塗ってしばし乾燥待ちです。さて、うまく消せるでしょうか…(続く)

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シューティングブレークの粋

いつも私のブログをご愛読いただき、コメントをお寄せいただいている、山形にお住まいのこ~んずさんのブログを私も楽しみに読ませていただいています。

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こ~んずさんと初めてお会いしたのは昨年の4月だったと思います。アルファ164オーナーズクラブのイベントで那須ツーリングを企画した際に、お友達のアルファ164Q4オーナーの方とご一緒に参加されたのが初めての出会いでした。
その後、茂木の12時間耐久でお会いしたりと、距離の割には接点が多く(笑)、バーチャルとリアルの両方でお付き合いさせていただいている方です。
この方のブログは私と違い「正統派」のブログで、日々の出来事や社会問題などにも言及されており、本当に面白く拝見しているのですが、そこに書かれていた様々なワゴン改造車のハナシを読んで思い出したのが、このシューティングブレークのことでした。

以前の私のブログでご紹介したGMC Typhoonを買っていただいた方の次のクルマ選びの際にご紹介したのが、LYNX社が製造していたジャガーXJ-Sをベースに改造された、シューティングブレークでした。

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おおよそ、ワゴンと呼ばれる車種には各国で歴史と伝統があります。
それはその呼び方に表されているのですが、アメリカでは荷物とヒトを運んで大陸を横断した駅馬車にちなんで、「ステーションワゴン」と呼ばれます。この「ワゴン」という呼名が一番一般的で、やはり馬車の時代からの名残です。
一方、ヨーロッパのフランスでは「ブレーク」と呼ばれます。バカンスの国ですので、日常を「ブレーク」し荷物を積んでバカンスに出かけることから付けられた名前です。そしてイタリアでは「ジャルディネッタ」と呼ばれています。
イギリスはさすが貴族の国で、「エステート」が一般的でした。もともとは「地所」という意味で、やはり領地を見回る・・・という意味から名付けられた名前です。
ところが、更に趣味性を高めたのが、アストン・マーチンを改造した「シューティング・ブレーク」です。これは貴族が狩りをするためのクルマとしてオーダーしたことによるもので、猟犬と猟銃を積んで移動するためのクルマに特別に名付けられたものです。

さて、例のTyphoonオーナーから、そろそろ次のクルマという相談を受けたときに思いついたのが、このシューティング・ブレークでした。この方は八ヶ岳に別荘をお持ちで、さらにその時期に大型犬を飼い始めたこともあり、別荘への移動にこのシューティング・ブレークはうってつけだと思い、「こんなクルマもあるんですよ~」と軽い気持ちで紹介したのです。

もちろん、本当に買うとは思ってもいませんでしたから、まずは日本の方にありがちな、ステーションワゴン=バンといったイメージを取り除いた後に、シトロエンのXMブレークとか、ランチア・テーマ・ワゴンなどをオススメするつもりでいたのです。

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しかし、この方はシューティング・ブレークというロマンチックな名前の由来と、このLYNXのスタイリングに参ってしまいました(苦笑)

さて、ホンキで探すことになってしまったこのLYNXですが、正しくはLYNX Eventerと呼ばれています。このイベンターという名前は馬術競技の馬場馬術、耐久、障害の三種混合の競技名に由来する名前で、やはり貴族の使うクルマとして意識されたネーミングです。そしてかのチャールズ皇太子もオーナーの一人だったと言われているクルマなのですが、最大の問題はその生産台数で、LYNX社はXJ-Sをベースとしてはいるものの、その全てが受注生産で、67台を製作したのみなのです。

しかし日本には既に3台輸入されていることを突き止め、その輸入を手がけたガレージ日英の白鳥社長に相談に行きました。
当然、日本のオーナーは手放すワケはありませんので、イギリス国内で探すことになったのですが、ひょんなことからその売り物が出てくることになりました。それはイギリスのジャガー・オーナーズクラブの方からの情報で、オーナーの方はすでに他界されており、その未亡人の方から…、
「イギリスで他のオーナーの手に渡るのは忍びないが、日本で大切にしてくれるのだったら…」
という売却OKの情報だったのです。その気持ちは良く分かりましたし、おそらく生前のオーナーは大切にしていたのでしょう。しかも何台も見比べて買うようなクルマではありません。白鳥社長と送られてきた写真を見ながら、日本の道路事情に合わせたラジエーターのコア増しやら電気系統の強化策などを相談していたのですが、残念なことにキャンセルとなってしまいました。やはり中古の英車は不安ということで奥様のお許しが出なかったとのことなのですが、私も白鳥社長もこの縁をアキラメたくはありませんでした。

私たちは経験上、このようなクルマがおいそれと欲しいときに売りに出ることなどないことを良く知っていますし、その程度が素晴らしいとなると尚更です。

そして、このLYNXは日本に輸入されました。新しいオーナーは英車好きで有名な俳優F氏の関係者でした。F氏の息子さんはミュージシャンで、有名なグループのリードボーカルを担当されているのですが、その所属する音楽事務所の社長さんがF氏に感化されて購入することになったのです。

こうして無事に海を渡ったLYNX Eventerは白鳥社長のもとでリフレッシュされ、素晴らしいオーナーの許で元気に都内を走っています。私もたまに青山界隈で見かけるのですが、その姿を見かける度に、その縁を取り持つお手伝いができたことがちょっと嬉しいクルマです。

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Get the Access 20,000!

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先日アクセス16,400を達成したのですが、気が付けばあっという間に、アクセス19,000を突破しました。
だいたい一日150名の方に見ていただいているようですので、このペースですと1週間ほどで20,000アクセスに到達する勢いです。

前回の16,400アクセスアワードの時には「告知が遅い!」と一部の友人からお叱りを受けてしまいましたので(苦笑)、今回は早めにアワードの告知をさせていただきたいと思います。
幸運な20,000アクセス目でお越しいただいた方に、今度はどんな記念品を…と考えたのですが、これにしました↓

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このアルミニウム合金製のABCペダルは東京のCOLLECTIONというお店で販売されているもので、私がアルファ75TSに乗っていたときに一時装着していたものです。従って中古品となりますが、取り付けビスなど欠品はありませんし、装着していたのは短期間ですので状態は良いと思います。
また、アルファ・ロメオのエンブレムなどが入っていませんので、アルファ・ロメオ以外のクルマに装着されても違和感はないと思いますがいかがでしょうか。

前回と同様に20,000人目にアクセスしていただいた方は、その画面のコピー(PCのPrint Screen機能を使ってください)をメールで私までお送りください。このブログのメール機能では画像の添付ができませんので、直接510190@alfa164.comまでお送りください。大変申し訳ありませんが、賞品は宅急便の着払いでお送りさせていただきますので、当選された方は送料をご負担ください。

今回も、前回の前後賞繰上げ当選の某氏の「オトナ気ない」作戦が予想されます(笑)
まあしかし、どんなに頑張っても最後は「運」ですので、皆さんに均等にチャンスはあると思います(爆)。
ですので、どうぞお気楽に楽しんでいただければと思っています。

さて、どなたに差し上げることになるか今から楽しみです。
えっ!? 乗ってるクルマはAT? う~ん。オブジェとしていかがでしょう(苦笑)

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Happy Birthday To Myself

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恥ずかしながら、今日は私の誕生日です(笑)
もはや、齢47になると別に誕生日だからと言って誰かが何かをしてくれるワケでもなく、唯一のプレゼントはイタリア自動車雑貨店の前で例の駐禁ステッカーを初めて頂戴した位でしょうか…(泣)

しかしお陰さまで、このブログを書き始めて、少しは過去を振り返る機会が持てるようになりました。
私は免許を取って20歳のときに初めて自分のクルマを持ちました。今でこそクルマを持つということは、それ程大したことではないのかも知れませんが、自分で一生懸命アルバイトをして、やっとの思いで買った中古のジェミニは当時の私にとって、唯一と言っていい財産でした。

それ以来、気が付けば27年の間、私の側にはいつも何かしらクルマがあり続けました。
関西も東京も生活環境に於いては、どうしてもクルマが必要ではありません。むしろクルマがあるが故に駐車場の問題やら維持費の問題やら心労の方が多いかもしれません。
従って、私にとってクルマは生活のための必需品ではなく、趣味の側面が強い、自分の心を豊かにしてくれるモノでした。

しかし、自分自身考えてみれば、アルファ・ロメオが傍にいる生活が16年も続くことになるとは思ってもいませんでした。
国産車に限らず他のメーカーのクルマに乗る機会もゴマンとあったのですが、いざ自分が生活を共にするクルマ…として考えたときには、どういうワケかアルファ・ロメオ以外は考えられずにここまで来てしまいました。

生活の道具でないからこそ、私にとって、アルファ・ロメオより優れている他のクルマよりも、アルファ・ロメオが他のクルマより優れている点のほうがずっと重要なのだと思います。

クルマが生活の必需品でないからこそ、自分の趣味性を最優先したクルマ選びをすることができます。そして、環境問題やエネルギー問題を考えたときに、一体あと何年の間、現在のようなクルマの乗り方ができるだろうかと考えたときにも、やはり妥協をせずに、これからも自分の趣味で、乗るクルマを選んで行きたいと思っています。

でも、アルファ164Q4よりも乗りたいクルマが見つからないのが現在の最大の悩みです。
是非、皆さんのご推薦をお聞かせ頂きたいと思っています(苦笑)

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Giulia Sprintの決定版!

実は、Giulia Sprintには全てのスケールを通じて決定版と呼べるモデルが存在します。というか少なくとも私はそう思っています(笑)

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それは…AUTOartの1/18 Giulia Sprint 1750GTVです。
このミニチュアモデルは本当に素晴らしく、その全体の造形といい、ディテールといい、Giulia Sprintらしさで言えば一級品だと思います。
AUTOartはゲートウェイグローバル社のブランドで、このメーカーは1998年にアメリカで設立されたまだ若い会社です。ご多分にもれず、製造そのものは中国で行っており、コストパフォーマンスに優れた製品をリリースしている注目株のメーカーです。

このブランドの最大の特徴は、1/18という大スケールに精密なディテールを加え、リーズナブルな価格で販売しているところにあります。
車種の選定も若干アメリカ人好み?なところがあるものの、適度にマニアックなそのラインアップは、これからの展開に期待が持てるメーカーなのですが、アルファ・ロメオのモデル化にはそれほど熱心ではありません。いささか唐突に発売されたこの1750 GTVはこのブランドで唯一のアルファ・ロメオで、最初に1/18モデルがリリースされ、後にそれをスケールダウンし1/43も追加で発売されました。

しかし、不思議なもので1/18のこのモデルはGiulia Sprintの特徴を良く表現しているのですが、1/43の方は少し違和感を感じます。おそらく理由はそのディフォルメにあるのでしょう。やはりミニチュアモデルにスケールは重要で、スケールが異なるとその表現も変えなければ「らしさ」が変わってしまう例だと思います。

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一方で1/43の方は、もちろん良く出来てはいるのですが、何となくボディ全体が薄くシャープすぎる気がします。

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1/18スケールでは、このAUTOartの1750 GTVが発売される前までは、このYat Ming社のGTAしかなかったのですが、お値段のせいもあり、AUTOartと比べるとどうしても見劣りがしてしまいます。ただし、全体の造形は決して悪くはありませんので、今となっては惜しいミニチュアモデルです。

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そして、一番賛否両論が巻き起こったのが、1/24のプラスティックモデルです。その2台であるグンゼ1/24とタミヤ1/24のGiulia Sprintのモデルについては、また別の機会にご紹介したいと思います。

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Giulia Sprintの決定版?

以前のブログで、Giulia Sprintのモデル化は本当に難しいと書いたことがあります。おおよそ、プラスチックモデルからレジンキット、ダイキャストモデルに至るまで、どのミニチュアモデルにもその造形に対して必ず賛否両論が巻き起こるのが、このGiulia Sprintなのです。

現在のところ、1/43ではALFA ROMEO Sport Collectionのモデルが私にとっては最良のGiulia Sprintのモデルだと思っています。

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このシリーズを企画する側もそれを分かっているのか、このGiulia Sprintのバリエーションはまだまだ増えそうで、私はまだ入手していないのですが、ALFAROMEO Sport Collection 39もこのGiulia Sprintのバリエーションが予告されています。

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しかし、ここに来て波乱の予感がしてきました。それはMinichampsから今度リリースされる1300GTAです。
MinichampsはMuseo Alfaromeoシリーズと銘打って、Museoに所蔵されるアルファ・ロメオをモデル化していましたが、既に発売されたGiulia Sprint GTAに加えて、今回ブリスターフェンダーが特徴の1300GTAも発売されることになったのです。
まだ、現物を見ていないので何とも言えないのですが、写真で見る限り、全体の造形といい、ディテールといい、その出来は素晴らしいものです。

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こうなって来ると、このMinichamps製のGiulia Sprintのシリーズも目が離せなくなって来ます。事実、これからの製品化の予告を見るとバリエーション展開がされて行く予感がします。今年のMinichampsの製品化予定のなかから、アルファ・ロメオ関連のものを抜粋して見ますと…、

180 120904 ALFAROMEO GIULIA 1300 1970 GREEN
180 120994 ALFAROMEO 2000 SUPER 1970 'RIJKSPOLITIE'
100 120500 ALFAROMEO GTA 1300 JUNIOR
100 721283 ALFAROMEO GTA 1300 JUNIOR 'JAGERMEISTER' R.MASCHKE. DRM 1972
400 120334 ALFAROMEO SPIDER 2003 BLUEMETALLIC
400 120460 ALFAROMEO 75 3.0V6 1987 RED
400 120510 ALFAROMEO 159 SPORTWAGON 2006 BLACK
400 120561 ALFAROMEO 147 2005 RED
400 120571 ALFAROMEO BRERA 2005 SILVER
400 120590 ALFAROMEO 159 'RACE CONTROL'
400 120600 ALFAROMEO GTA 1300 JUNIOR RED
400 120621 ALFAROMEO MONTREAL 1972 GREEN
400 120630 ALFAROMEO 2600 SPIDER 1964 BLACK
400 120631 ALFAROMEO 2600 SPIDER 1964 SILVER
400 120650 ALFAROMEO SPIDER 2006 SILVER
400 120700 ALFAROMEO 164 SUPER3.0 V6 24V 1992 DARK BLUE METALLIC
400 511224 ALFAROMEO ALFETTA 159 SWISS GP 1951 J.M.FANGIO.WINNER
400 751202 ALFAROMEO 33 TT12 PESCAROLO/BELL TEAM WKRT 1000KM SPA 1975
403 120523 ALFAROMEO 8C COMPETIZIONE 2003 RED MET.
430 120790 ALFAROMEO 156 'POLIZEI'

などの製品化が予告されています。いずれも最近のMinichampsの例ですと、最初の所定ロットを製造すると再販はなさそうですので、一旦入手し損ねると、オークションなどでプレミア付きの価格でしか手に入らなくなる恐れがあります。
Giulia Sprintのコレクターの財布にとっては厳しい状況になって来ました…。

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コーンズ・モータースの思い出

大沢商会が代理権を取得することにより販売が再開されたアルファ・ロメオでしたが、その当時は街で走っているアルファ・ロメオを見かけることなぞ全くと言って良いほどありませんでした。
当時はフツーに日常のアシとなったアルファ33や75、そしてGTV6なぞは並行輸入でしか日本には輸入されなかったのですから、絶対数が少なかったのもムリはありません。
しかし、正規に輸入販売が再開される…ということは少なくとも街中でアルファ・ロメオの看板を見かけることになるのです。その当時からのアルファ・ロメオのオーナーだった方や、アルファ・ロメオに憧れを抱いていた方であれば、きっと同じ感情だったと思うのですが、今でこそ当たり前のように街中で見かけるビル上の広告や、ディーラーの看板が当時は本当に新鮮で、嬉しくて仕方なかったことを憶えています。

当時のディーラーにとっての課題は、この既に存在するアルファ・ロメオファンに受け入れて貰えるか…、ということだったと思います。ヘタに知ったかぶりをしても敵いませんし、かと言って全く知らないのも信用してもらえないので、この「口煩い」ファン層とどのように接近して行くか…という課題についてはそれぞれのディーラーにとっても、個々の営業マンにとっても難しい問題であったろうと思います。

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コーンズ・モータースは当時、横浜町田に加えてR246に面した池尻大橋のビルの1Fにショールームを開設していました。クルマを2台展示すればいっぱいになる程の狭いスペースでしたが、その中の貴重な1台分の展示スペースに新車を展示するのではなく、Giulietta SZを展示したりして、昔からのアルファ・ロメオファンにアピールしようとしていました。
そして、ようやく第三京浜の川崎IC近く(港北区山田)にサービス工場を開設し、本格的に都内でのセールスを開始することになります。

コーンズ・モータースはご存知のようにフェラーリやロールス・ロイスの正規代理店で知られるコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドの100%出資による販売会社でした。
大沢自動車販売のように新規で自動車販売をスタートしたディーラーと異なり、コーンズ・モータースを始めとする独立系の契約ディーラーは、各々が以前から輸入車の販売に精通していたディーラーばかりでした。その中にあってコーンズ・モータースはそのバックグランドを含めて申し分なく、絶大な信頼を得ていたディーラーでした。
コーンズ・モータースはアルファ・ロメオの販売に当たって、自分達が販売した新車だけでなく、Giuliaなどの従来のアルファ・ロメオも整備する体制を整えて、「無料診断」で集客をしようとしていました。
気難しい(笑)アルファ・ロメオオーナーもコーンズが見てくれるということで、この無料点検日には結構来場していました。
後日、あるGiuliaオーナーから聞いたハナシなのですが、自分が常々気になっている箇所をちゃんと見つけてアドバイスできるかどうか、見極める意味で入場させたところ、ちゃんと指摘したので信用したと言っていました。

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確かに、古いアルファ・ロメオが入場しているだけで、技術力のある信用できる工場だと思ってしまうところがあり、またこの無料点検日には珍しいアルファ・ロメオを見ることができるかも…という期待から私のような新規オーナーも、この無料点検日にはディーラーに遊びに行くようになっていましたので、集客という目的では大成功だったと言えます。

今にして思えば、アルファ・ロメオをコーンズが販売するという組み合わせは鉄板で(笑)、いまだに中古車で「コーンズ物」と誇らしげに広告されているのを見ると、特に根拠があったわけではないのですが、コーンズ物>大沢物という当時のヘンな図式が生き残っているのが笑えます。
でも、確かにコーンズ・モータースのセールスは皆さんガツガツしたところのない紳士的な方ばかりで、私の担当だったY氏のその飄々とした物腰を懐かしく思い出します。

クルマの印象は、そのメーカーと販売が築き上げるもの…という好例が、このアルファ・ロメオとコーンズの組み合わせだったと思います。

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大沢商会の戦略

勝手な想像かもしれませんが、当時の大沢商会がアルファ・ロメオの代理権を獲得しようと考えたのは、単にビジネスとしてチャンスがあるからだけでなく、アルファ・ロメオを心から愛している社員がいたのであろうと思います。

このパンフレットを改めて読み返して見ると、大沢商会がアルファ・ロメオの販売再開に当たって、今回販売するアルファ・ロメオがどんなクルマであるか…より以前に、アルファ・ロメオに乗るということが、どれほどのことであるかを一生懸命説明しようとしていたことに感激しました。

本文の内容をお読みいただけないのが残念でならないのですが、いのうえ・こーいち氏の文章はアルファ・ロメオの販売が再開されたことに対する純粋な喜びに満ち溢れ、アルファ・ロメオに対する憧憬を表現した素晴らしい文章です。

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ご覧いただいたように、決して安いコストで作られたパンフレットではありません。販売に直結させる広告宣伝を考えるのであれば、このようなパンフレットよりもカタログやパブリシティにコストをかけるのが当然でしょう。
しかし、大沢商会はアルファ・ロメオのクルマを売る前に、アルファ・ロメオというブランドを認知してもらうという一見すると遠回りの方法にコストをかけました。

アルファ・ロメオを買うという行為に誇りが持てる…。
ユーザーをそんな気持ちにさせることが、クルマとして国産車と比べて見たときに、お世辞にも優れているとは言えなかった当時のアルファ・ロメオに国産車の倍のコストを払ってもらうために、絶対に必要なことだと考えてのことだったのでしょう。
そして、その戦略は間違っていなかったと思います。

でも…アルファ75もSpiderも本当にボロかったぁ(笑)

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発掘調査の成果?

元来整理が悪く、加えてモノを捨てない性格が災いして、何か探しモノをしようとすると、いきおい部屋の中を発掘調査することになってしまいます。
しかし、シゴト以外の(笑)記憶力だけは良いために、「あることだけは」分かっているので始末が悪く、見つかるまで徹底的に探してしまうのが悲しい性なのです。

しかし、今回偶然発見した「これ」は存在したことも、貰ったこともすっかり忘れていたパンフレットです。

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アルファ・ロメオは永らく伊藤忠オートによって輸入販売され、伊藤忠オートの自動車販売からの撤退を機に、その代理権を引き継いだ日英自動車がアルファ・ロメオを輸入販売していました。しかし、これも長く続かず、日英自動車がオースチン・ローバー・ジャパンとなると、他社の自動車ということで代理権を返上してしまいます。

この時点でアルファ・ロメオには日本で正規の輸入販売者がいないという事態になるのですが、1986年(だったと思いますが…)コスモ石油が事業の多角化という方針の一環でアルファ・ロメオの輸入販売に名乗りを上げます。こうして、アルファ・ロメオ社とコスモ石油の新規事業開発部門であったコスモ開発との共同出資でアルファ・ロメオ・ジャパンが設立され、日本で販売を再開されることになったのです。設立時に販売が予定されていた車種は、アルファ75TSとSpider Sr.3のニ車種で、以降アルファ75Milano(AT)を加えて本格的に販売をスタートする予定でした。

当時、私は行きつけだったコスモ石油のガソリンスタンドでそのニュースを聞いたのですが、アルファ・ロメオがようやく日本に帰って来ることに興奮し、社会人になって間もないにもかかわらず、頑張って貯金すればいつかは買えるのでは…と期待していました。

しかし、ハナシは二転三転してしまいます。アルファ・ロメオ・ジャパンは一部試験輸入をしただけで、この合弁は解消されてしまうのです。理由は今となっては定かではないのですが、イタリアと日本の経営に対する考え方の違いと、国内で販売を開始するにあたって、新規に立ち上げなければならないPDIセンターやサービス工場などのコストの負担に加えて、コスモ側が見込むほど日本での販売予測が立てられなかったことなどが理由だったと言われています。

これでまた、アルファ・ロメオの暗黒時代に逆戻りか…と思った矢先に、この代理権獲得に名乗りを上げてくれたのが当時、倒産から立ち直った大沢商会でした。大沢商会は中堅の輸入商社でマニアックなブランドの日本代理権を持っていることが特徴の商社でしたが、一度経営不振から倒産し、再建も一段落していました。
大沢商会は大沢商会アルファ・ロメオ事業部が輸入を行い、大沢自動車販売というアルファ・ロメオ専門に販売する会社を設立し、ようやく日本での販売が再開されることになったのです。

再開するに当たって大沢商会は単に今までのアルファ・ロメオファンだけでなく、新規ユーザーにアルファ・ロメオというブランドをアピールすることに力を注ぎました。その一環で作成されたのが今回発見したこのパンフレットなのです。

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これまた偶然、中に挟まっていた「試乗券」です。当時私は関西にいましたので、試乗会場に関西のディーラーが指定されています。これらの名前を見て懐かしい方も多いのではないでしょうか。

何せ、「偶然発見した」ものですので保存状態も悪いのですが、全16ページからなるこのパンフレットは、そのコピーをいのうえ・こーいち氏によって書き下ろされた力作です。その内容は…また明日ということでご期待ください(笑)

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アルファ75のカタログ

本日ご紹介するのはアルファ75のカタログです。

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私が初めて買ったアルファ・ロメオがこのアルファ75でした。1991年の私は、いつかはアルファ・ロメオに乗りたいな~と思いながらなかなか踏ん切りがつきませんでした。ところが、アルファ75が製造中止となり次期モデルはTipoベースのFFとなる…と雑誌の記事で見て以来、特にアルファ75にコダワリがあった訳ではないのですが、当時のセンチメンタルな
「最後のアルファ」
というコピーに気持ちが昂ぶり、居ても立ってもいられなくなり、当時R246の池尻大橋にあったコーンズ・モータースに飛び込んだのでした。

結果としてその時期がフルオーダーの最終受付で、ボディカラーやオプション(サンルーフ)などが選べた最後の機会となりました。それ以降はオーダーしても、どんな仕様が来るか良く分からない…という状態になりましたので、私の決断はギリギリセーフだったのです。
そして、納車までの3ヶ月!の間、このカタログは孔が開くのでは…という程、私に見つめられ続けました(笑)
思えば、一番楽しかったのがこの納車を待つ間の3ヶ月だったのかも知れません(爆)

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今では最初のアルファ・ロメオがこのアルファ75で本当に良かったと思っています。
新車なのにどこかボロかったこのアルファ75は、私にアルファ・ロメオとの付き合い方を「みっちり」教えてくれました(笑)

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