走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

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祝20周年~ALFA ROMEO DAY~

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いよいよイベントのシーズン到来です。以前にもご紹介したALFA ROMEO DAYの案内状が今年も届きました。
このイベントは今年で20周年となる、長寿イベントなのですが、それは偏に主催者の方が一貫して変わらないことと、特定のスポンサーに頼らず、参加者の参加費で運営を行ってきたこと、そして運営事務局やオーナーズクラブなどのボランティアによる運営で経費を極力抑えたこと、などに加えて地元の皆さんの暖かい協力があってのことと思います。

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ともすれば、興味がない方々からすると、このテのクルマのイベントと暴走族の集会とが混同されてしまいますし、参加者のモラルによっては迷惑なイベントになってしまいかねないのですが、毎年5月のGW明けの土日、蓼科にアルファ・ロメオがやって来ると、「あぁ、もう1年経ったのねぇ」と地元の方に言ってもらえるほど、地元の人たちにとっても季節の風物詩として定着した感があります。
私自身もここ10年ほどは毎年参加させていただき、1年に一度ここで再会することのできる全国のアルファ・ロメオオーナーの方と旧交を温めるのが楽しみとなっています。
また、毎年参加する300台以上のアルファ・ロメオもその様々なモデルを見るのが楽しみで、何とかスケジュールの都合を付けて参加しています。詳しくは事務局のHPで告知もされていますので、興味のある方は是非アクセスして見て頂きたいのですが、これから過去に撮り貯めていたALFA ROMEO DAYの参加車両をご紹介したいと思います。まだ参加されたことのない方には、少しでも会場の雰囲気が伝われば…と思います。
まずは2001年のALFA ROMEO DAYからですが、この年は本当に天候に恵まれた年でした。今日は全体の「引き」の写真をご紹介しましょう。

同年に横浜で行われたMuseo Alfaromeo展に先立って来日した、6C1750 Gran Sportが展示されました。

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この頃から、随分新しいアルファ・ロメオの参加が増えました。当時はアルファ156が販売を伸ばしていた時期で、ともすればアルファヲタク(苦笑)の集まりであったこのイベントにもアルファ156が初めてのアルファ・ロメオという若いオーナーが参加してくれるようになりました。

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新旧のアルファ・ロメオが分け隔てなく仲良く並ぶのも、このイベントの特徴です。新しいオーナーの中にはGiuliaを見て…
「こんなアルファ・ロメオもあるんだ」と感激している方もいました(苦笑)

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この年は本当に様々なアルファ・ロメオが集まった「豊作」の年でした。次回は細かく気になったクルマを紹介したいと思いますのでご期待ください。

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アルファ・ロメオのカレンダー(1995年版)

本日ご紹介するのは1995年版のカレンダーです。今までと違ってこの年のテーマは良く分からないのですが、取り上げられたクルマ達はいずれ劣らぬアルファ・ロメオの名車達です。
例によって素晴らしい写真をお楽しみいただきますが、今までご紹介したことのないモデルについては簡単に説明を加えさせていただきました。

1月、2月:24HP(1910)
言わずと知れた、アルファ・ロメオの第1作目のクルマです。その当時は、まだニコラ・ロメオは経営に加わっていなかったため、まだ社名はA.L.F.A.でした。ALFA社は当初、フランスのダラック社を買収することによって自動車生産を始めたのですが、新たに招聘された名エンジニアであるジュゼッペ・メロージによる独自のボディにより、発売されたこの24HPがALFA社の独自モデルの起源と言われています。24HPというネーミングから、エンジンの出力が24馬力であったと誤解されていますが、本当は4084ccの4気筒サイドバルブエンジンで、初期モデルは42hp/2200rpmだったと言われています。

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3月、4月:6C1750GT(1930)
1923年にアルファ・ロメオ社に新たに加わったエンジニアが、ヴィットリオ・ヤーノでした。彼はすぐさまレーシングカーの製作に取り掛かるのですが、その中で6気筒SOHCエンジンを開発します。このエンジンは当初1487ccだったのですが、後に1752ccに拡大され、さらにDOHCエンジンやスーパーチャージャー付きのエンジンまで加わり、戦前のアルファ・ロメオの黄金時代を築き上げるのです。そのハイテクレーシングエンジンを搭載した贅沢なGTがこの6C1750GTだったのです。

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5月、6月:Giulietta SZ2(1959)
Giulietta SZについてはいずれ詳しくご紹介したいと思いますが、このモデルは後にSZ2と呼ばれるようになった、テールを延長しコーダトロンカというリアを切り落としたデザインのモデルです。

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7月、8月:2600 SZ(1965)
これも以前にご紹介した6気筒エンジンを搭載した2600Sprintをベースに(正確にはSpiderシャーシ)ザガートがスペシャルボディをデザインしたものです。デザイナーは当時ザガートに在籍していたエルコーレ・スパーダで、当時としては斬新なフロント周りのデザインが今も新鮮なモデルです。

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9月、10月:Montreal(1970)

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11月、12月:Alfa145(1994)
1994年にアルファ・ロメオのローエンドモデルとして発表されたのが、アルファ145です。それまでのアルファ33の後継車種という位置づけで、アルファスッドから続く水平対向4気筒エンジン搭載車として、その独特のエンジンフィールから根強いファンも多いモデルです。日本では初期に並行でこの1.7L DOHC水平対向エンジン搭載車が販売されましたが、正規輸入は2.0Lの直列4気筒DOHCエンジンが搭載されたQuadrifoglioというスポーツモデルのみでした。シャーシーはFIAT Tipoベースでアルファ155と共通ですが、チェントロ・スティーレ(アルファ・ロメオの社内デザインセンター)の独特のデザインにより、アルファ155と全く異なる外観です。

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地獄クルマを訪ねて・・・その五

一部のコアなマニア?の方からご好評をいただいております、この「地獄クルマを訪ねて」シリーズですが、最近は、「こんなクルマが入庫してるよ~」とお声がかかるようになりました。
そんなワケで今回ご紹介できることになったこのFIAT Unoは、以前からいつか取材したいと狙っていた地獄クルマだったのです。

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FIAT社は1970年代に石油ショックやストライキにより深刻な経営不振に陥っていたのですが、ようやく1980年代になって初代PandaとUnoを発表し、何とかその窮地から脱することになります。ところが、この2台の救世主のうち、Pandaが日本でも根強い人気を得ているのに対し、Unoに関しては「いまいちパッとしない」印象しか残していないのが現状です。

本来FIAT社はイタリアの大衆車メーカーであり、実用車を作らせれば本当に「いい仕事」をするメーカーであるのですが、過去の地獄クルマでご紹介した、CromaにせよTipoにせよ、日本でのFIATの位置づけは中途半端で、どのマーケットのどんな嗜好を持ったユーザーにアプローチすれば良いのかが明確でないまま、コロコロ替わった代理店のせいもあり、日本でのブランドイメージが定着しないままであるがために、現在のFIATもその販売に苦戦しているのではと思います。

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1983年にそれまでのFIAT127の後継モデルとして発表されたのがこのUnoで、デザインはもちろんあの巨匠ジウジアーロです。初代ゴルフ、PandaそしてUnoと、当時のジウジアーロは一番脂が乗っていた時期で、彼がデザインした何の変哲もない小型車は、その実用性と革新性により全てが大ヒットし、彼のデザイナーとしての地位を確立したと言えるでしょう。

そして、このUnoは初代Puntoに交替するまで、10年間で700万台というベラボーなセールスを記録したのです。事実、Unoが属したBセグメントではほぼ一人勝ち状態で、ライバルであったルノー5(サンク)やプジョー205を蹴散らして蔓延っていたのです。
理由は、その優れたパッケージングにあります。Bセグメントでありながら、その上位のCセグメントを凌ぐ居住性により、このUno以降のBセグメントカーの設計に大きな影響を与えたと言われています。
サイドから見ると、前後のドアの長さが殆ど同じであることが分かると思います。この前後席のレイアウトはヒトが乗ったときの居住性と、荷物を積むためにフォールディングした際の広大なスペースに貢献しているのです。

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残念ながら、Unoは日本ではさっぱり売れなかったクルマです。
日本でこのクラスの「ガイシャ」はパッケージングより小洒落ていることのほうが重要で、乗車もせいぜい1人か2人。特に女性が乗るケースが多いためATは必須で、そうでなければホットハッチと呼ばれるボーイズレーサー的なクルマでなければ売れないのです。この状況は恐らく現在も同じではないでしょうか。ところが、ヨーロッパでBセグメントと言えば、一番量販されるマーケットで、一族郎党が荷物をガンガン積んで馬車馬のように走れなければ評価されないクラスなのです。

今回、取材したUnoは果たして日本に何台あるのだろうというくらいの稀少な個体です。初期型の5drハッチバックという、ヨーロッパ車お約束のボディ型式に加えて、エンジンはFIAT伝統の1100ccOHCで、しかもキャブレター!もう、とことん廻してちょーだいっていうエンジンです。当然ながら、CVTなんてアブナいメカではなくしっかり5MTで安心して走れます。

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ところが唯一のチャームポイントがこのインパネで、ジウジアーロ節が炸裂しています。ナンと今は懐かしいデジパネってやつが付いているのです。どこかで見たことありませんか?? そうです、あのいすゞPIAZZAとウリ二つなんです。しかも表示はしっかり全部生きてました。後期型のアルファ164なんざ、時計が消え、風量表示が消え…そのうちACがどうなってるのか分からなくなり…交換すると15万なんて平気で言われるのに、このUnoと来たらナニゴトもないなんて…畜生っ!
おっと、取り乱してしまいました(苦笑)

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持論ですが、FIATに限らず実用車の真価はそのベーシックグレードにこそ顕れていると思います。例えて言うなら、本当に旨い「うどん」を味わうには「素うどん」が最適で、そこには麺もダシも誤魔化しの効かない、その店との真剣勝負ができるのと同じではないかと思うんです。

今回、出会ったこのUnoは、トッピングにサソリ(ABARTH)も何もない、まさに「素Uno」、しかも初期型の75SX 5drという超稀少モデルだったのです。これを味わい続けているオーナーは本当に麺フェチ…じゃなくて実用車フェチだと思います。

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恐怖の陣馬街道

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さて、昨日の問題は考えていただけたでしょうか?
外観からすると水陸両用の車輌であることは一目瞭然です。そこまで判ったならyossuieさんが考えたように、渡河架橋用の車輌というのは良い答えではあります。実際にこういった水陸両用の車輌を横一列に河に浮かべて橋にして、その上を重車両が渡るという作戦は取られています。
東京都での防災訓練では、荒川にこの渡河車輌を持ち込んでデモンストレーションをやっていましたので、テレビニュースなどでその光景をご覧になった方もいるのではないでしょうか。
しかし、問題としてはそれではあんまりですので、もう少しヒネってあります(笑)。注目ポイントは後部のラックで、ここには機雷が積載されています。実は、これは機雷敷設用の「94式水際地雷敷設装置」と呼ばれる車輌なのです。

本来ならば機雷敷設は海上自衛隊のオシゴトなのですが、この水際地雷と呼ばれる機雷は敵の上陸用舟艇を浅瀬で撃破するためのものなので、陸上自衛隊の車輌が担当しているのです。ちなみにこの車輌は陸上を時速50km/hで走行し、水上は11km/hで航行できるそうです。
この車輌で海岸線から直接海に入り、機雷を敷設して行くのでしょうが、冷戦時代に仮想敵であったソビエトの強襲上陸を想定して考え出されたユニークな装備でした。

さて、最近は気候が良くなり、暖かい日が続くようになったので、どうしてもSpiderの出番が増えてしまいます。反対にアルファ164Q4のほうはガレージで惰眠を貪っているのですが、そろそろ動かしてやらないとご機嫌を損ねてしまいそうです。
そんなことを思いながらも、やはりまたSpiderで出かけてしまいました。今回はSpiderオーナーズクラブのMeeting場所の下見という目的で相模湖周辺をドライブしたのですが、下見は一応形だけで(笑)、目一杯山道を走り回ることができました。

相模湖近くに集合し、まずは近辺を調査?したのですが、仲間のSpiderと一緒に走るのは、昨年の小淵沢以来でとても新鮮です。

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そして、下見もそこそこにお昼の場所に選んだのが、ドリームファームという、美味しいピッツエリアです。
このお店は以前にアルファ164オーナーズクラブのMeetingでもお邪魔したことがあるのですが、オーナーの方もイタ車好きでオハナシしていても楽しいお店です。当然のことながら早速、お店のブログにも私たちの訪問が紹介されてしまいました。
ここの薪釜で焼き上げられたピザは相変わらず美味しく、結構長居をしてしまいました。

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気を取り直して本来の目的であるMeeting場所の下見に戻ったのですが、この城山湖は相模湖から少し離れた場所にあり、観光客も少なく穴場と言える場所です。何があるということはないのですが、ドライブがてらに立ち寄って休憩…という場所にはちょうど良いのではと思います。

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さらに来た道を戻り、宮ケ瀬ダム近くのお店でお茶をして解散…だったのですが、ここからが本番でした。

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もう1台のシルバーのSpiderと赤のSpiderとの3台で、「道志みち」経由で国道20号線へ抜けたのですが、この狭い山道を皆は飛ばすこと飛ばすこと…(苦笑)。でもだんだん私も熱くなってきました。

今までそれほどSpiderを振り回したことはなかったのですが、久しぶりに峠道を攻めてみると、V6エンジンと異なり鼻先が軽いため、そのボディサイズと相まってヒラヒラとコーナーを駆け抜けることができます。ただし、トルクバンドが狭いため、一度回転を落としてしまうと立ち上がりがモタつくので、常に4000回転以上をキープしておかなければなりません。
だんだんそんな運転に慣れてきたころに国道20号線に到着し、赤のSpiderとはお別れしたのですが、調子に乗った私はさらに陣馬街道という山道を通って八王子に抜けるルートを取ることにしました。するともう一台のシルバーのSpiderも一緒に…となり、2台のSpiderは、少し薄暗くなってきた陣馬街道へ向かうことになりました。

この道を通ったことがある方はご存知だと思いますが、中央道の渋滞を抜けて八王子に抜けるには絶好のルートではあるのですが、それはあくまで地図で見た上のことで、実際に走るとこんな深い山が東京にあるのか…と思うほど、細く曲がりくねった道が続くルートなのです。しかし、すでにヘンなスイッチが入ってしまった2台のSpiderは、結構なペースでこの山道を攻めて行きます。
道幅はほとんどSpiderでもいっぱいで、2台のクルマが行き交うことはできないほどの狭さです。そこを調子に乗って私が先頭で走っていると、突然目の前にバスが現れました。その前にバスの停留所が見えたので、こんなところをバスが通るんだ…と漠然と思っていた矢先、本当にバスが現れたのです。しかも最近良く見る小型の路線バスではなく、フルサイズのやつです。道の片側は山の斜面で、もう一方はガードレールでその先は谷です。当然行き交える道幅なぞはありません。
慌ててフルブレーキを踏み、ABSが効き始めたころ、向かいのバスの運転手の引きつった目を見ながら(私も引きつってたでしょう)何とかお互いに停車することができました。後ろを付いてきたもう一台のSpiderもさぞかしビックリしたことでしょう(苦笑)

本当に皆さんゴメンなさいという状態だったのですが、それを除くとこの抜け道は素晴らしく、圏央道のあきる野ICに全く渋滞知らずで到着することができました。今年の6月にはこの圏央道も中央道と接続しますので、もうこの陣馬街道を抜け道に使う必要はなくなるとは思いますが、もし機会があれば一度チャレンジしてみてはいかがでしょう。
ただし、バスにはくれぐれも注意してくださいね(笑)

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美しさを狙わない美しさ

遅くなってしまいましたが、今回の能登の地震で被害を受けられた皆さんには謹んでお見舞い申し上げます。
先日、ご紹介したモントリオールのオーナーの方もご無事との連絡をいただきましたので安心しました。
私は出身が兵庫の芦屋で、阪神淡路大震災の時にはすでに東京に移住していたのですが、実家を含め多くの友人が罹災しましたので、決してヒトゴトではありません。テレビに映し出される倒壊した家屋の映像を見ていると、当時の記憶とモルタルの臭い(結構鼻に残るんです)が鮮明によみがえって来ました。その場のモノの復興も大事ですが、本当の意味で以前の生活に戻るには気持ちの復興が大切です。どうか希望を持って頑張っていただきたいと思います。

さて、残りの車輌を本日はご紹介しますが、個人的には「お宝」を最後に取っておいたつもりです。
その最初の「お宝」は96式装輪装甲車です。これも軽装甲機動車とともにイラクに派遣されて一躍有名になった車輌ですが、その特徴ある8輪車は自衛隊にとっても初めての装輪装甲車です。

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一般的には装輪式はキャタピラに比べて、不整地等の走破性が大きく劣り、大口径タイヤを採用するゆえに一般に車高が高くなりがちとなる、といった欠点があるのですが、その反面で、整備性に優れ故障が少なく、高速・長時間の走行が可能であり、構造が簡単で低コストで調達できるという利点があります。
従ってこの96式装輪装甲車も、その装甲故に重量は14.5tもあるにもかかわらず、乗員2名が8名の兵員を載せて、三菱重工製液冷4ストローク直列6気筒ターボディーゼルの出力360ps/2200rpmにより、時速100km/hで500kmの距離を走行することができます。

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走行するときに、通常は後輪2輪が駆動し、前輪2輪でステアするのですが、切り替え式で全8輪を駆動させることもできます。またタイヤの空気圧を調整できる機構がついているため、悪路の走破性が格段に向上しているそうです。また車高も1.85mとこの種の装輪装甲車としては格段に低くなっているのですが、問題は日本の道路事情により制限された車幅で、2.48mというこれまた狭い車幅のせいもあり、坂道で転げ落ちる事故が頻発したとも言われています。

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ちなみにタイヤはコンバットタイヤと呼ばれる、パンクや被弾などで空気圧が全て抜けたとしても、ある程度の走行が可能なものです。この技術は民間用にも応用されており、先日タイヤに完全に穴を開けたBMWZ4をテストドライブする機会があったのですが、本当にナニゴトもありませんでした。

展示されていた車輌には、公道を走行するために操縦手席及び分隊長席用にガラス製の風防が付けられていましたが、これは移動用の単なる合わせガラスで、戦闘時にはこのガラスを取り除き、装甲板のハッチを閉めて運転するのだそうです。
さて、低コストで調達できる…という利点があるこの車輌のお値段は…それでも…約1億円!!とのことです(苦笑)。

しかし、次にご紹介する89式装甲戦闘車のお値段はハンパではありません。そのお値段はナンと…6億円以上もするのです!!!
この車両は歩兵戦闘車と呼ばれるカテゴリーに分類される車輌です。その目的は戦車に随行し、武力制圧を行うと共に搭載する歩兵により、敵を排除することを目的としています。従って時速70km/hと高速で、90式戦車にも随行可能な性能を有しています。

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確かに、35mmエリコン砲や敵の上陸用舟艇を攻撃できるロケット弾など盛り沢山の兵装を持ってはいるのですが、それだけで6億円はあんまりです。エンジンだって直列6気筒ターボディーゼルとフツーですし、出力も600hpとこれまたずば抜けているワケではありません。何せ90式戦車でさえ、たったの7億5000万円(笑)なのです。
不思議に思って調べて見ると、このお値段は偏に量産効果によるもののようです。つまり調達数があまりに少ないと生産設備などの固定費が全てその少ない台数に転嫁されてしまうため、このような金額になってしまったのでしょう。

いざ作っては見たものの、本当に必要な装備ではなかったのかも知れません。
ナンでもカンでも欲しがらず、もう少し考えて作ってもらいたいものです。


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で、これは必要かな…と思う装備の87式自走高射機関砲です。74式戦車をベースにしていますので、油圧制御で姿勢を変化させることができる利点もそのままです。スカイシューターという立派な?名前が付けられているのですが、最後まで残ったネーミングの候補は「ハエ叩き」だったそうです(笑)

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最後にご紹介するのは、これですが…ナンだか分かる方は相当なマニアだと思います。是非これはナニをするための車輌か考えて見てください。正解は明日発表します(笑)

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今回、広報センターで見た車輌は全て、兵器であるが故に各々が何らかの目的のために作られたものです。そこには美しさを狙ったデザインなどは微塵もなく、ただその目的のために最も効果的な形状をしているだけのものです。

しかし、それが美しく見えるのは、ただ速く走るためにデザインされたレーシングカーが美しいのと同じなのではないでしょうか。

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Fun to Drive Tank?

気がついたら10000アクセスを突破していました。昨年の11月に引っ越して来て以来、何か勢いで更新して来ましたが、こんなマニアックなブログを多くの皆さんに読んでいただき本当にありがとうございます。
これからもテキトーに頑張りますので(笑)、引き続き応援をよろしくお願いします。

さて、一部の読者の方から「アルファ・ロメオは何処へ行った~?」とお叱りを受けてしまってはいるのですが、今日も引き続き陸上自衛隊広報センター潜入記?でお楽しみいただきたいと思います。

外からは見えない中庭に展示されている車両は、ほぼ自衛隊の正面装備を網羅する内容です。実は、軍用車両に限らず自動車も含めて博物館に展示されているものは、結構錆びたり朽ち果てているものが多いのですが、さすがにここは自衛隊の展示物だけあって、手入れが行き届いています。恐らくここに展示されている車両は、いざとなったら少し整備するだけで再び装備として機能するのであろうと思われます。

中庭に出て手前の両端に向かい合わせで展示されていたのが自走榴弾砲と呼ばれる、所謂「移動する大砲」です。榴弾砲とは戦車などが装備する直接照準して発射する大砲とは異なり、砲弾が弧を描いて飛んでいくため、相手から見えない状態でも攻撃できるという、歴史の古い大砲です。大昔は馬やヒトが引っ張って移動していたのですが、それを自走式にしたのがこの自走榴弾砲なのです。

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この75式自走155mm榴弾砲は、1975年に正式採用され、車体は三菱重工で砲塔は日本製鋼所が製造しています。車体重量は見かけによらず意外に軽く、25.3t(苦笑)だそうですので、90式戦車との重量差は装甲の軽さに起因する差でしょう。

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エンジンは、三菱重工の6ZF空冷2ストロークV型6気筒ディーゼルで、最高出力450hp/2,200rpmとまだ感覚的にも理解できる数値で、最高速度は47km/hとのことですので、戦車のような高速機動が必要のないこの種の車輌としては充分なのでしょう。事実、自走榴弾砲は走行しながら大砲を撃つなんてことは絶対になく、自走はあくまで移動するための手段なのです。
この自走砲の最大の特徴は、自動装填装置を備えていることで、155mmという大口径の砲弾を毎分6発というスピードで発射することができます。現在は徐々に99式自走榴弾砲に装備改編されているようですが、まだまだ現役で見ることができるご長寿装備です。

一方で、その向かい側に展示されている74式自走105mm榴弾砲は、稀少車と言えます。その理由は性能が中途半端(というか開発仕様に問題があった)であったため、前記の75式自走155mm榴弾砲に装備が統一されてしまい、結局20輌しか生産されなかったからなのです。
ただこの車輌の設計思想はユニークで、アルミ合金でできた車体はこのテの自走砲としては画期的に軽く、車重はわずか16.3tに押えられています。そのため浮航用キットを装着することにより、水上航行を行う事ができるのです。車体は小松製作所製ですが、エンジンは三菱重工4ZF2ストロークV型4気筒空冷ディーゼルで、300hp/2,200rpmながら最高速度50km/hを達成しています。

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次に目に飛び込んできたのは、戦車と言えば…の74式戦車です。
この74式戦車は61式戦車の後継として開発された第ニ世代に分類される戦車なのですが、その特徴は90式戦車の角張った車体に比べてスマートな、被弾経始のための流線的な装甲にあります。
そして、この74式戦車はいまだに自衛隊内にもファンの多い名車?なのです。

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エンジンは三菱重工10ZF22WT空冷2ストロークV型10気筒のツインターボ・ディーゼルで、最高出力720hp/2,200rpmを絞り出し、車重38tを最高速度53km/hで走らせます。 特徴的な油圧サスペンションは90式戦車にも受け継がれた姿勢制御のための機能なのですが、ストロークが大きく、悪路での走破性能に優れており、2サイクルツインターボのエンジンはパワーバンドが狭いが一瞬のダッシュ力に優れるため、結果としてこれも悪路の機動性に寄与しているそうです。
また水密構造のため水深2mまでなら潜水渡河ができ、砲塔は手動と電動で動かせるため、エンジンをかける必要がなく、静かに戦闘態勢を整えることができます。もちろん当時のハイテク技術で弾道コンピュータや赤外線夜間照準装置なども装備されています。
さらにセミオートマのパワーシフト式の遊星歯車ミッションはトルコン・スリップがないので、操縦手の感性に基づいた操縦が可能となってるため、戦車隊員からも、「単純、軽快で信頼性が高く、乗っていて楽しい」と言われているそうです。

残念ながら、戦車は兵器ですので乗っていて楽しくても、敵より弱ければどーしようもないのですが、幸いなことに、日本の自衛隊の陸上兵器はその本来の目的には使われたことがまだありませんから、こんな暢気なことを言っていられるのでしょう。
私達が、乗ってて楽しいからという理由で、戦闘力のない旧車でサーキットへ出かけていくのと同じ感覚なのかも知れません。

さて、今まで観察して来て気になったのが、自動車の車輪にあたる転輪と呼ばれる部分と、同じくタイヤに相当するキャタピラです。
写真のように転輪にはゴムが貼り付けてあります。もちろんゴムは板ゴムで中がチューブになっているワケではありませんが、それでも振動や騒音を多少なりとも防ぐ効果があるのでしょう。

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また、キャタピラもゴムが貼り付けられているタイプのものと、鉄のままのものがありました。これも恐らく上記と同じ理由なのだと思われます。

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実際にこの2種類のキャタピラでは、運動性能の違いはあるのでしょうか?
乗り味がどう異なるのか興味が湧いてきましたが、こればかりは実際に操縦している隊員の方に聞いてみるしかないでしょう。

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今回は大砲が付いた車輌を重点的にご紹介しました。もっと見たいという方も、もう勘弁…という方も、長らくお付き合い頂いている今回の訪問記ですが、明日は泣いても笑ってもその最終回をお届けする…予定です。

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ジェットコースターの最前列

この1Fの室内展示スペースは広大で、昨日お伝えした90式戦車の他にも、射撃シュミレーター(というかTVゲームですな)やフライトシュミレーターなどの参加型展示に加えて、服装体験コーナーという、コスプレが楽しめたり、装備体験コーナーという自衛隊員の装備を装着してその重さを体験するコーナーなどもあります…が、今回は次に目指すAH-1Sコブラと呼ばれる攻撃ヘリコプターをご紹介しましょう。

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このヘリコプターはアメリカのベル・ヘリコプター・テキストロン(ベル・エアクラフト)社というヘリコプターメーカーの老舗が、そのベストセラー機であるUH-1を元に開発した、世界初の攻撃ヘリコプターです。

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第二次大戦後、特に1960年代になってヘリコプターは、それまでの兵士の機動力に画期的な革命をもたらしました。
軍隊においてはいかに短時間に多くの兵力を移動させることができるかは、戦略上重要な鍵となるのですが、徒歩から馬、そして機械化(トラック)に続いて実用化されたこのヘリコプターという手段は、それまでのパラシュート部隊のみが可能であった、二次元的な「線」による移動から「点」の移動を、通常の兵士と装備で可能にしたため、作戦を立てる上でも従来の考え方から全く異なった展開ができるようになったのです。

しかし、このヘリコプターによって強襲という、いきなり敵の中心部を攻めるという戦い方は、敵も充分な兵力を持っているため、特にホバリング中に攻撃されることが多く、そこで考え出されたのが輸送ヘリコプターに機関銃やロケット弾などで武装するという方法だったのです。しかしもともとが輸送ヘリコプターだったので速度や機動性に制限があり、攻撃を専門に行うヘリコプターが開発されたのです。

では、固定翼機による攻撃とヘリコプターによる攻撃のナニが違うかというと、通常の攻撃機ですと目標周辺を一気に攻撃してしまうため、敵味方が近い状況ですと味方にまで被害が出る恐れがあります。さらに反復攻撃に時間がかかるため、その間に味方に被害が出るという欠点があるのですが、ヘリコプターの場合は目標により接近できるので誤射が少なく、さらに反復攻撃が可能なために、近接支援には最適なのです。

そう考えると「専守防衛」の自衛隊にとってこの攻撃ヘリコプターは、侵攻してきた敵を撃退するには、最適な兵器ということができます。しかも日本の地形を考えるとヘリコプターが隠れる場所はゴマンとあります。
昨日紹介した90式戦車なぞは恐らく移動できる場所には限界があるでしょうし、北海道から九州に…なんて展開はすぐにはムリでしょうから、ますますこのヘリコプターの方が実用的だと思うのですが、意外に自衛隊での採用は1982年からと遅く、何故もっと早く導入しなかったのかと思います。
ちなみに日本では機体は富士重工(あのスバルのメーカーです)がライセンス生産し、エンジンは川崎重工が供給している国産機です。

さて、間近にこのAH-1Sを見てみると、攻撃を専門に行うために、ヒトやモノを載せる必要のなくなった胴体はスリムになり、その胴体横には機体を安定させるため小さな安定翼と呼ばれる翼をつけ、そこに様々な「飛び道具」を吊り下げています。さらに機首には20mmM197三連装ガトリング砲という機関銃のバケモノが装備されており、これが主武装となっています。
兵装の最大の特徴は、この20mmガトリング砲と胴体横に吊り下げられたTOW(Tube-launched、Optically-tracked、Wire-guided )と呼ばれる対戦車ミサイルです。
このTOWは安価で7年間メンテナンスフリーなことに加えて命中率95%以上という、素晴らしいミサイルではあるのですが、誘導方式は光学照準で、ミサイルの出す光と照準中心とのズレを「有線」で、修正する事で誘導されています。もっと簡単に言えば、ミサイルが「ひも付き」で飛んで行くのですね。そのため発射から着弾まで射手が照準中心に目標を捕らえ続け、そのワイヤーを通じてミサイルに信号を送り続け、当たるまで誘導する必要があるのです。ミサイルが当たるまでじっとしていなければならないのは最大の問題で、その間に敵も反撃して来ますから、そんなに美味しいハナシはない兵器の好例です。

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タンデムに配置されたコクピットの後席が操縦士で、前席の一等地はガンナーと呼ばれる射撃オペレーターの席です。気になったのはこの前席に座る気分で、自分で操縦してはいないワケですから、ちょうど、どこへ行くのか分からないジェットコースターの最前列に座っている気分でしょう。しかも敵に相対し、TOWが当たるまで誘導し続けなければならないのですから、この仕事は結構キツいでしょうね。

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だんだん、ナニのブログか分からなくなって来ましたが(笑)、さらに玄関から見えなかった中庭にはこんな光景が展開しているのです。これはもう徹底的に観察するしかないでしょう…。

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いよいよ中へ・・・

玄関先の「軽装甲機動車」で結構ハマってしまいました(苦笑)。
それでは意を決して?内部へ潜入して見ましょうって、別にフツーに入館しただけなんですが、特に入館手続きなどはなく、入館料も取られず(当たり前か)、すんなりと中へ入ったのですが、そこはやはり「広報センター」ですので、受付の婦人自衛官のオネーサンからまずは資料展示を見るように順路を指定されてしまいました。
もちろん物腰はソフトなんですが、制服に弱い私は(ヘンな意味じゃないですよっ)ちゃんと言われた通りにしました。
まず、エレベーターで2Fへ上がると、自衛隊の歴史と活動の記録という展示を見ることになります。ここはあ~そうですかっていう感じで見ていくと…突然、自衛隊の活躍を描いた油絵の展示が始まります。その油絵は上手いか下手かは主観ですので…感想は差し控えさせていただきますが…暫く見入ってしまうほど笑えます。

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そしていよいよ1Fの展示室に下りていくのですが、まずは吹き抜け状になっている2Fから見下ろしてみると、そこにはジオラマ風に90式戦車と、攻撃ヘリAH-1Sがど~んと展示されているではありませんか!この光景は結構圧巻です。

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それでは、まず90式戦車から見て行きましょう。
名前の通り1990年に正式に採用された61式、74式に続く第三世代の主力戦車です。
外観上の最大の特徴は、その角ばった車体なのですがこれには理由があり、複合装甲と呼ばれる技術の採用により軽量ながら防護力を高めるためです。
この複合素材はセラミック系と考えられ、米英等の重金属・劣化ウラン系複合装甲より軽量化を達成しているとのことですが、総重量はナンと50t!!!
それでも、このテの主力戦車としては軽量で、アメリカのM1A2エイブラムスやドイツのレオパルド2A6などは軽く60tを超えているそうですので、確かに軽いのでしょう(笑)

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全長は9.8m(砲身込)ですが、車体そのものの長さは7.5mですので乗用車2台分程度でしょうか。 全幅は3.3mで、全高は2.3mですので、前出の米独のライバル戦車と比べると一回り小さいらしいですが、近づいて見るとその角張った車体のせいで、実際のサイズ以上にデカく感じます。

さて、戦車というからにはその目的は主砲で敵を撃破することです。 当然のことながら敵を撃破するためには、

1.敵の装甲を相手の射程外から貫通する主砲
2.敵から攻撃されても打ち破られない装甲
3.敵よりも速く動く機動力

の相反する要素をバランスしなければなりません。主砲がデカければ重くなりますし、装甲も厚くするとこれまた重くなってしまいます。重くなった車体を速く動かそうと思うと馬力のデカいエンジンを積まなければならず、それではまた重くなってしまいます。ということで戦車にも自動車と同じ物理の法則が当てはまるわけです。

主砲がどうのこうの…という能書きはクルマのブログですので省きますが(笑)、この90式戦車の優れている点は上記の相反する要素が高度にバランスされているところにあります。最高速度は70km/hと戦車としては高速なのですが、重要な点はその加速と制動力にあります。
なぜ重要かと言うと、戦車の戦闘機動は主砲を発射するとすぐに移動し、急停車して照準し主砲を撃って、またすぐ移動するといった具合に、敵に位置を悟られないように次々に射撃ポジションを変えながら攻撃するのが原則だからだそうです。
しかし、「男っぽい」と思っていた戦車の戦い方が意外にコソコソしたものであるのは結構皮肉なものです。

ちなみに0-200mの加速は20秒と言われていますので、50tのカタマリを動かすそのエンジンはハンパではありません。搭載されるエンジンは三菱重工製の10ZG32WT水冷2サイクルV型10気筒ディーゼルエンジンで排気量は21500cc!!。しかもスーパーチャージャーによる過給付きで、その出力はナンと1500ps/2400rpmで最大トルク 4410N・m(450kgf・m)ですので、フェラーリENZOの660hpなんぞで驚いていてはいけません。
このバケモノのようなエンジンの燃費は…燃料満タン(1075L)での航続距離は390kmとのこですので0.36km/L!!
う~ん。良いんだか悪いんだか良く分かりません(苦笑)

しかし戦闘中にどうやって乗員は外を見ているのかというと、写真のペリスコープと呼ばれる小さな防弾ガラス製の窓から外を見ています。車長は砲塔の上で360度見ることができますが…、

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操縦手はたったこれだけの窓から前を見て操縦しているのですから、正直とてもマトモな神経では70km/hで走れないでしょう(苦笑)

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足回りは油圧とトーションバーを併用したハイブリッド形式という凝ったもので、簡単に言えばシトロエンのハイドロの複雑なものと言ったところでしょうか。この機構により高速機動時にも車体を安定させ、さらに窪地や斜面に隠れている時もハイドロで車体を前後左右に自由に傾けることにより、砲塔を水平に保ち、主砲を発射することができるそうです。

そして、この足回りのおかげで、90式戦車の最も得意とするのが行進間連続射撃(走行しながら主砲を発射すること)だそうで、日本お得意のデジタル弾道コンピュータによる射撃統制装置や、砲弾の自動装填装置と組み合わせることにより、世界一の命中精度を誇っているそうです。ちなみにこの自動装填装置により装填手が不要となり、乗員は車長、操縦士、砲手の3名と最小限でこの戦車を動かすことができます。写真はその照準器ですが、各スイッチ類やその造りは意外にゴツく、ハイテク機器というより精密光学機器でした。

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さて、この90式戦車の気になるお値段は…7億5000万円…だそうです。もう少々のコトでは驚きません(爆)

またまた90式戦車で結構な文章量になってしまいました。続きの「お宝」についてはまた明日ということにさせてください。

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Spiderでマジメにドライブ・・・というかコレは??

あまりに天気が良いのでどこか出かけようかと思ったのですが、そう言えばと思い出したのが、自宅からスグに行ける場所でありながら、あまりにスグに行けるために今まで行ったことのなかった、陸上自衛隊の朝霞駐屯地内にある陸上自衛隊広報センターでした。

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実は、現在は足を洗ってはいますが(笑)、中学生くらいまではミリタリー小僧だった私としては、前から気にはなっていた場所なんですが、何となく前を通り過ぎるだけでしたので、今日は勇気を出して?中に入ってみました。そして、その感想は…メチャ面白かったです。
展示内容は多岐に渡り、其々が面白かったため、連載でその内容をお伝えしたいと思います。当然、このブログの性格上?クルマ好きの視点でお伝えしたいと思いますので、どうぞお付き合いください。

場所はR254(川越街道)沿いにあり、看板も写真のように大きく出ていますので見逃す心配はありません。昔はこのテの広報センターは「ひっそりと」あったものですが、ここは国道沿いの一等地で防衛(庁)省の気合すら感じます。
そこへオープン全開のSpiderでど~んと乗りつけましたので、結構目立ってしまい、隊員の皆さんのチラ見に晒されてしまいましたが、ナニ構うことはありません。私だって立派な?納税者ですし、広報センターですのでどんなヤツが来ようと拒まれることは無いハズです(苦笑)

そして入り口正面の芝生には、おそらく最近の自衛隊車両の中では一番有名であろう「軽装甲機動車」が展示されています。もちろんこの車両はイラク派遣事業(正式にはイラク人道復興支援活動)でサマワに派遣されたものです。

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あくまでクルマとして(笑)この車両を見てみると、サイズは全長が4.4m、全幅2.04m、全高1.85mと、意外に小さいことが分かります。このサイズをトヨタのランドクルーザープラド3Drと比較して見ると、全長4.3m、全幅1.87m、全高1.85mと全幅以外はほぼ同じサイズであることが分かります。大きく異なっているのは車両重量で、ランクルがせいぜい2.0tであるのに対して、この軽装甲機動車は4.4t(戦闘重量は5.5t)もあるのです。乗車定員はたったの4名ですので、この2.4tの差はその殆どが装甲板の重さと言うことができます。しかし、この2.4tの装甲板でもこの車両はあくまで「軽装甲」で、防ぐことができるのはせいぜい小銃弾ということですので、これから館内で見る重装甲車両のことを思うと、そら恐ろしくなります。

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その重さ故でしょうか、最高速度は100km/hと大したことはありませんが、登坂能力は60%とレンジローバーも真っ青なくらいです。そして航続距離は500kmだそうですので、東京から京都くらいまでは、無給油でたどり着けそうです。このテの車両でこの航続距離は優秀で、例え軍用車両でもさすが燃費の良い日本車だと言えます。

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そのボディデザインは当然、美しさ…なんてコトは一切考えてはおらず、避弾経始を考慮した面構成となっています。被弾経始とは、戦車などの装甲を垂直ではなく傾斜させる事により、徹甲弾などの対戦車砲弾を逸らして弾く(跳弾させる)という考え方で、鉄板の厚みや重量は同一のままでも、傾斜させる事で垂直の装甲より高い防御力を得ることができるのです。
天井についているカバーは乗員の防弾のためのもので、やはりそのカバーにも傾斜が付けられています。
あと難しいのが、視界の確保と防弾機能の両立で、どんなに防弾ガラスにしても装甲鋼板よりその防弾性は劣りますから、この軽装甲機動車もガラス面は必要最小限とされ、従って視界はあまり良くなさそうです。イラクに派遣された車両にはエアコンは付いていたのでしょうか。もし付いていないとすればさぞかし中は暑かったでしょう。あと、意外だったのが足回りで、そのヘヴィーデューティーであろうことは別にして、意外にフツーでした。

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しかし、帰って調べて見て一番ビックリしたのがこの車両のお値段(正確には調達価格と言います)です。小松製作所製のこのクルマ(笑)のお値段はナンと、標準仕様で乗り出し2625万円!!!
ちなみに、フェラーリF430が2116万円で、ランボルギーニのムルシェラゴなら2882万、アストンマーチンのV12ヴァンキッシュSですら2745万円ですっ!ってもうイイですよね(苦笑)
もちろん、この車両はどんなに気に入ったとしても当然、一般人では買えないのですが、もし仮に買えるとしても…私ならアストンでしょう(爆)
う~ん。やっと中に入ることになりますが、そこにはもっとスゴい世界が広がっていたのです。ということで続きはまた明日に…、

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アルファ・ロメオのカレンダー(1993年版)

本日ご紹介するのは前回ご紹介した1994年の前年、1993年のカレンダーです。
ひとつのコンセプトでまとめられたこの年のカレンダーのテーマは戦後のBerlinaの歴史といったところでしょうか。
カレンダーとしては地味?かも知れませんが、こうやって歴代のBerlinaを並べて見るとスポーツモデルとは異なったアルファ・ロメオの「もう一つの側面」が見えてきます。

ちょっと残念なのはGiuliaT.I.が取り上げられていないところではあるのですが、順番に見ていくとアルファ・ロメオのBerlinaに対する考え方が一貫していることが良く分かります。
それは、アルファ・ロメオらしくスタイリッシュであることの大前提が、セダンとしての居住性で、一切デザインのために居住性を犠牲にしていないところではないでしょうか。特に後席の居住性は良く配慮されており、どんなにSprintやSpiderが美しく高性能で話題性に富んでいるとしても、実際に最も販売されるのがこのBerlinaであることをアルファ・ロメオは良く知っていると思います。

以前に、ALFAROMEO Dayでお目にかかった大先輩の方から伺ったハナシなのですが、その方は歴代のアルファ・ロメオのBerlinaにしか乗ったことがない方でした。理由は「まっとうなセダンだから」だそうで、ドアが4枚ついているクルマはちゃんとオトナが4人乗って、それに必要な荷物がトランクに入らなければセダンではなく、そうでなければ、それはもはやBerlinaと呼ぶに値しないクルマだと仰っていました。そしてその基準で見ると、BMWは失格で、その方にとってはメルセデス・ベンツとアルファ・ロメオのみが合格なのだそうです。

それでは、戦後アルファ・ロメオのBerlinaの変遷をお楽しみいただきますが、今まで取り上げたことのないモデルに関しては若干、説明を加えさせていただきました。

1月、2月:6C2500S Freccia D'oro(金の矢)
戦前からのアルファ・ロメオのメカニカル・コンポーネンツを基に1947年に発表された2ドアのBerlinaです。ビットリオ・ヤーノの開発したこの6気筒エンジンは戦前から戦後にかけて四半世紀もの間、アルファ・ロメオの主力エンジンであり続けたことになります。

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3月、4月:1900T.I.
そして、アルファ・ロメオが量産車メーカーに変革した最初の作品がこの1900で、量産性を考慮して初めてモノコック・ボディが採用されました。

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5月、6月:Giulietta Berlina T.I.

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7月、8月:Alfetta 1.8

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9月、10月:155Q4

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11月、12月:164Super24V

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そして、この後に156、158とアルファ・ロメオのBerlinaは続くのですが、156は後席が狭く、158は背もたれが立ちすぎているために座り心地が悪くなってしまっていると思います。
私自身は、アルファ・ロメオに限らず、セダンに試乗する際には自分のドライビングポジションに前席を合わせ、必ずその後席に試乗するようにしています。自分がオーナーになると後席に座る機会なぞ滅多にないのですが、そうすることによってそのセダンの本質が見えるような気がするのです。

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ALFAROMEO Sport Collection 31

本日ご紹介するのは、ミニチュアモデルとしても珍しい6C 3000CM(Competizione Maggiorata)Spiderです。このクルマは先にご紹介した1900C52 "Disco Volante"と密接な繋がりを持つ、後期型Disco Volanteと言って良いモデルなのです。

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ジョアッキーノ・コロンボは1924年に製図技師としてアルファ・ロメオ社に入社します。当時の主任設計者は、かのヴィットリオ・ヤーノで、コロンボは彼の下で修行を積み、一介の製図技師から設計者への道を歩み始めます。そしてコロンボは1937年には、Tipo158 "Alfetta"を設計しその才能を開花させるのですが、戦後は短期間のうちにアルファ・ロメオ、フェラーリ、ブガッティと様々なメーカーを渡り歩き、その先々で歴史に残る名車を設計した名設計者です。
その彼が、戦後アルファ・ロメオ社の依頼に基づき全くの白紙からデザインしたレーシングプロトタイプが先にご紹介した1900C52 "Disco Volante"だったのです。

残念ながら"Disco Volante"はその優れた空力デザインが後の自動車デザインに多くの影響を与えたものの、反面、高速でのボディリフトによりサーキットを走ることはなかったのですが、アルファ・ロメオもコロンボもこのプロトタイプから多くの教訓を得ることができました。
そして、その教訓を生かして次に設計されたのがこの6C3000CMだったのです。1900C52を実験的と呼ぶならば、この6C3000CMは、その実験の成果をより現実的かつ実戦的に応用したものであったと言えます。

フレームは先の1900C52で採用された多鋼管スペースフレームを引継ことにしましたが、搭載されるエンジンはよりパワーを求めて、従来の6気筒3000ccエンジンを拡大した3495ccエンジンを搭載することとしました。このエンジンは確かに4気筒エンジンに比べると、大きく重かったのですが、そのパワーは1900C52の158hpに比べ246hpと強力で、そのマイナス面を補って余りある実戦的な選択でした。しかも、6気筒エンジンの搭載に伴って延長されたホイールベースはわずか30mmで、2250mmに抑えることができたのです。
ボディはアルミ製を架装したのですが、そのボディデザインは1900C52を担当したカロッツェリア・ツーリング社から、より小規模なコッリ社に変更されました。このコッリ社は小規模ながらレーシングボディの架装を得意としており、より実戦的なボディワークで定評のあるカロッツェリアでした。
コッリ社によりデザインされたボディは1900C52に比べるとインパクトのないものではありましたが、そのデザインはむしろ奇をてらわず実戦的なものであったと言えます。
結果、この6C3000CMの重量は1900C52の735kgに対して、930kgと重くなってしまったもののその最高速度は250km/hに達し、その現実的な選択が間違っていなかったことを証明したのです。

最終的にはSpiderボディが2台、クーペボディが4台作られたと言われているこの6C3000CMは早速1953年、実戦に投入されることになります。そしてそれをドライブしたのが、戦後のアルファ・ロメオのレースシーンを代表するドライバーのファン・マニュエル・ファンジオでした。
そのスピードにおいてはライバルを凌駕していた6C3000CMは、反面信頼性には問題があり、中々勝利には恵まれませんでした。1953年のミレ・ミリアにおいては、折角途中でトップに立ちながらも左前輪がステアできないというトラブルに見舞われ、名手ファンジオのドライブにより何とか2位でフィニッシュしたものの惜しい優勝を逃してしまいます。
唯一の勝利が同年、メラノで開催された第1回スペルコルテマッジョーレ・グランプリで、アルファ・ロメオはファンジオのドライブによる6C3000CM、1台のみでエントリーし、ライバルであった2台のランチアD24と壮絶なトップ争いの末、勝利するのです。
この時に、ファンジオの許に最初に駆け寄って勝利を讃えたのが、ライバルであったランチアのドライバーのボネットでした。そして3ヵ月後のカレラ・パン・アメリカーナ・レースで事故死したボネットの死を、誰よりも悼んだのがこのファンジオで、メラノの勝利のときにボネットに勝利の月桂冠を渡せば良かったと悔やんで涙を流したと言われています。

付属するミニチュアモデルはこのメラノで優勝した状態をモデル化したものです。冒頭で書きましたが、この6C3000CMのミニチュアモデルは本当に珍しく、今回のモデル化は大変貴重なものだと思います。

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アルファ・ロメオのカレンダー(1994年版)

毎年制作されるアルファ・ロメオの公式カレンダーを楽しみにしていらっしゃる方は多いと思います。
最近はどうなっているのか良く分かりませんが、以前はディーラーの担当者が年末になると自宅まで持ってきてくれたものです。理由は…、「大きくて郵送できない」ということだったのですが、その心遣いがとても嬉しく、毎年楽しみにしていました。

事実、そのカレンダーは素晴らしいもので、こんな素晴らしいカレンダーをタダでもらって良いものかと心苦しくなるほどのものでした。
特に白眉だったのがMuseo AlfaRomeoの所蔵車を美しい写真で紹介したもので、数年続いたこのシリーズはいまだに「名作」として仲間の話題に上るカレンダーなのです。最近は新しいカレンダーを見るたびに、ため息をつきながら「昔のカレンダーは本当に良かったよね~」とボヤくのが年中行事になってしまったように思います。
ネタには事欠かないハズなのに、どうしてアルファ・ロメオはこのシリーズを止めてしまったのかと思いますが、考えてみればもう10年以上前のことですし、ご存知ない方も多いかと思いますので少しづつでもご紹介できればと思います。

第1回は、個人的に一番気に入っている1994年のカレンダーです。アルファ・ロメオのレーシングヒストリーを6枚の写真で1年間に亘って楽しめるというもので、年が明けるのがイヤになるほどのカレンダーでした。
紹介されているクルマ達は今までのブログでご紹介した車種ばかりですので、今日は能書きは置いておいて、写真を存分にお楽しみ下さい(笑)

1月、2月:TipoB"P3"

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3月、4月:Tipo159"Alfetta"

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5月、6月:GTA1300 Junior

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7月、8月:Tipo33TT12

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9月、10月:Alfetta GTV6

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11月、12月:155GTA

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どうです?署名運動でも何でもして、是非復活してもらいたくないでしょうか?

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ALFAROMEO Sport Collection 30

アルファ・ロメオのGPカーの中で最も有名であり、かつ最も美しいのが本日ご紹介するTipoB"P3"ではないかと思います。
以前にご紹介したこのコレクションの入手状況では"未入手"となっていたのですが、今回やっと手に入れることができましたので、晴れて順番通りにご紹介することができます。

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それまで"P1"でGPレースを戦っていたアルファ・ロメオは不幸な事故もあり、なかなかFIATに勝利することができませんでした。そこで、アルファ・ロメオは当時FIATに在籍していた名エンジニアであるヴィットリオ・ヤーノを引き抜くことに成功し、彼によって改良されたGPカー"P2"は1924年のグランプリをアントニオ・アスカーリのドライブにより席捲します。翌年のグランプリでは新たに設けられたマニュファクチャラーズ・タイトルをアルファ・ロメオが獲得し、アルファ・ロメオはようやくGPの代表的なチームとなることができたのですが、それは同時に悲しみの勝利でもありました。エースドライバーであったアントニオ・アスカーリを事故で失ってしまうのです。
一旦はGPレースから離れたアルファ・ロメオでしたが、1930年にはワークスレーシングチームとしてスクーデリア・フェラーリを擁し、レースに復帰することになります。そして、そのスタードライバーとしてステアリングを握ったのが「天駆けるマントヴァ人」タツィオ・ヌボラーリだったのです。

1932年に発表されたTipoB"P3"は、8気筒DOHC 2654ccエンジンに2基のスーパーチャージャーを備え、215psを発生し、最高速は232キロに達したと言われています。
この時代のアルファ・ロメオはまさに黄金期で、ヴィットリオ・ヤーノという稀代まれなエンジニアと、エンツィオ・フェラーリというレーシングチーム監督、そして天才ドライバー、タツィオ・ヌボラーリという組み合わせによって、この"P3"は勝って勝って勝ちまくることになるのです。

では、このタツィオ・ヌボラーリとはどんなドライバーだったのでしょうか。

1892年にイタリアのマントヴァ(カステルダリオ)に生まれたヌボラーリは20代後半にオートバイ・レースでデビューすると、その抜群のマシン・コントロール能力から、たちまちトップクラスのライダーとなります。その後に自動車レースへ出場するようになると、その華麗なコーナリングテクニックは神業と称され、現在の四輪ドリフト走法テクニックを生み出したといわれました。
また、そのがむしゃらな闘争心と飛び抜けた個性から、イタリアでは国民的人気を集め、イタリア人は彼のことを「ガリバルディ(勇敢な競争者)」と呼び、当時の多くの著名人と親交を深めたのですが、その中の一人から「世界一速い男にふさわしい世界一遅い動物」として彼に贈られた「小さな金色の亀」のマスコットを彼は大そう気に入り、自らのシンボルマークとして、彼の黄色いレーシングスーツの上にそれを刺繍し、愛用したとのことです。
ちょうどエンツィオ・フェラーリが、第一次大戦の撃墜王バラッカ少佐のマスコットであったプランシング・ホース(跳ね馬)を自らのエンブレムとして用いたのと同じですが、ヌボラーリのほうが洒落が効いていると思います。

さて、ヌボラーリの「伝説のレース」が1935年のドイツGPです。当時ナチスの台頭により国の威信をかけて開催されたこのGPレースに、ドイツはメルセデスのみならずアウトウニオンも含めて、潤沢な資金と高い技術力でマシンを開発し、絶対に負けない布陣で臨むのです。対するイタリアのアルファ・ロメオは既に旧式となったこの、"P3"で対抗するしかなく、誰もがドイツ勢の勝利を信じて疑いませんでした。
ところが、1位でチェッカーを受けたのは、この旧式の"P3"を神業的なドライビングテクニックで走らせたヌボラーリだったのです。観戦していたヒトラーは怒って席を立ち、観客は静まり返ったと言われていますが、一方でイタリア国民は熱狂し、ドイツは最後には同盟国であるイタリアの栄誉を称えるしかなかったのです。
ちなみに、このレースでドイツの勝利を確信していたレース主催者は、表彰式で流すイタリア国歌のレコードを用意しておらず、ヌヴォラーリ自らが持参したイタリア国歌のレコードを借りて表彰式を行ったということです。

付属するミニチュアモデルはその美しい"P3"の姿を見事に再現している佳作で、1932年のPescaraでのGPレースでヌボラーリが1位になったものを再現しています。

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ドイツのナショナルカラーであったシルバーのGPカーを従えて、トップでフィニッシュしたこの真紅のアルファ・ロメオがどれほど、イタリア人の誇りであったかと思います。

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モントリオールの真実

ブログを書かせていだたくようになってから、様々な方からご連絡をいただくようになりました。正直、全く面識のない方から、励ましをいただいたり、ご感想をいただいたりすることが、これほど励みになるとは思いませんでした。

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先月の2月18日のブログで、モントリオールのことを書かせていただいたら、さるオーナーの方からご連絡をいただきました。この方は、モントリオールの他にもSpider DuettoとGTV2.0TSをお持ちの筋金入りの?アルフィスタでいらっしゃるのですが、何回かメールのやりとりをさせていただく中で、この方のアルファ・ロメオに対する見識とその努力に本当に感銘を受けました。
北陸地方にお住まいのこの方は、縁があって20年間不動状態で展示されていたモントリオールを手に入れられ、それ以来近くに専門店もない状況の中で、周囲のお仲間や整備工場のご協力を得て、ご自分でモントリオールを何とか動かしてやろうという一念で整備され、現在は…、
「普通に乗れる状態」
にまでなったそうです。
「普通に乗れる」モントリオールがどれほどまでに壮絶なメンテナンスの結果であるか、頂いたメールによると…、

「私のモントリオールはエンジンがピストンリング抜けやオイル漏れしており、ZF製ミッションはシフトフォークの破断、シフトロッドが破折した状態で、約20年前より不動状態だったものからスタートしまして、まずはエンジンOHとミッションをOH致しました。併せて後から冷却系やブレーキ、点火系、排気系、配線にもとりあえず手を入れました。
最も問題になるのはスピカインジェクションだろうと思います。V型エンジンにおいて最も熱のこもり易いVバンクにスピカインジェクションがあるためにインジェクションのピストンパッキンが傷み易く、さらに加熱によるフュエルパーコレーションの発生、燃調の不良、エンジンの加熱、センサーの故障、オイル漏れ、オーバーヒートと陰々滅々の悪循環を見ました。」

とさらりと書いていらっしゃるのですが、この整備がどれだけ大変で、しかも資金力だけではどうしようもなく、モントリオールに対する熱意と愛情を必要とするかは想像に難くありません。
また、一人でコツコツ…では当然気持ちが萎えてしまうときもあると思いますが、周囲の同好の仲間の協力や、一緒に悩んだり考えたりしてくれる整備のプロの存在は、このテのレストアには必要不可欠であろうと思います。
そして、何より素晴らしいことは、頂いたメールから感じられたのですが、自分で整備された経験からアルファ・ロメオの設計者が何を意図していたのかを的確に掴んでらっしゃることではないかと思います。

アルファ・ロメオのオーナーには3種類のタイプがあると思います。まず最初のタイプは最も一般的なのでしょうが、アルファ・ロメオを所有し運転する喜びを味わっている方です。
そして次のタイプは、自分に合った主治医に出会い、その経験と技術により愛車を維持し、そのプロセスを楽しんでいる方です。
そして最後のタイプは、自ら手を汚してメンテナンスしながら愛車を維持し、その作業を通じてアルファ・ロメオを理解しようとされている方ではないかと思います。

そのクルマに対する理解と洞察力は当然この順番に深くなって行くのでしょう。残念ながら私自身は自分のことを2番目のタイプだと思っているのですが、メールをいただいたこの方は確実に3番目のディープな?アルファ・ロメオのオーナーであると言えます。

この方は、私がモントリオールに関して…、
「スーパーカーではなくGTカーである」
と書いたことに対して共感していただきご連絡を下さったのですが、こんなオーナーの方と同じ印象を持てたことは本当に光栄だと思います。

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自動車雑誌の受け売りや、ジャーナリストのチョイ乗りでは分からない、アルファ・ロメオに愛憎入り混じった感情を抱きながら永年付き合い続けたオーナーのみが知る、そのクルマの真価をこれからもお伝えできればと思います。

ワタシのクルマのことも書いてくれ~という方がいらっしゃったら是非ご連絡を…(笑)

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ALFAROMEO Sport Collection 29

本日ご紹介するのは、アルファ・ロメオの歴史の中でもとびきりの珍車と言っていい、1900C52 Disco Volante Coupeです。
このDisco Volanteとは"空飛ぶ円盤"という意味で、その姿からイメージされるネーミングとしては秀逸だと思います。

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1950年にAlfetta158で、そして1951年にその改良版であるAlfetta159で、GPカーのチャンピオンシップを獲得したアルファ・ロメオは量産車メーカーに転進するためにGPカーレースから一旦撤退することを決定します。
しかし、アルファ・ロメオはレースから撤退したわけではなく、より量産車に近いツーリングカーレースにその照準を合わせて車両の開発を始めるのです。
そして1953年にそのプロトタイプとして生み出されたのが、この1900C52でした。同年に発表された1900シリーズと同じ名前を持つこのDisco Volanteでしたが、量産車である1900シリーズの排気量1884cc、出力90hpとは異なり、排気量は1997ccでツインキャブを装備し、出力は158hpとコンペティション・チューンがなされていましたが、同じ1900という名前をつけることにより共通のイメージを持たせようとしていました。このことからもアルファ・ロメオがこのコンペティション・プロトタイプを量産車のセールスに繋げようとしていたことが窺えます。

しかし何よりも異彩を放っていたのは、そのスタイリングで、カロッツェリア・ツーリング社によりアルミ製で作られたそのボディは、これまでのどのクルマの形とも異なる、まさに異星から降ってきたようなクルマだったのです。
もちろん、そのスタイリングは単に奇をてらったものではなく、前方からの空力だけでなく横からの風にも抵抗を減らすべくデザインされた、所謂「コンペティションのための必然」であったのですが、実際にはレースに出場することはありませんでした。
その理由は皮肉なもので、このボディの形態が高速ではロードホールディングに逆に作用し、ボディが浮き上がってしまったためと言われています。
"空飛ぶ円盤"は本当に空を飛びかけたという、洒落にならない結果だったのですが、このデザインはその後の多くのクルマのデザインに影響を与えることになるのです。
1954年に登場したジャガーDtypeや1956年発表のロータス11などにはこのDisco Volanteのスタイリングの影響を見ることができます。

Disco Volanteは、SpiderボディとこのCoupeボディが1台づつ作られ、あとはこのSpiderボディのサイドを削り落としたNarrow-side Spiderと呼ばれたボディを持つものが1台と、更に6気筒3Lエンジンを搭載した若干ホイールベースの長いSpiderが1台製造されたのみで、それ以上作られることはありませんでしたが、これ程まで貴重なモデルが2004年に日本にやって来て、こともあろうに公道を走ったのです。

2004年のラ・フェスタ・ミレ・ミリアに出場するために、Museo AlfaRomeoに大切に保管されていた、CoupeとSpiderが貸し出されることになったのです。この世に1台しかないクルマを、展示目的ならばいざ知らず、公道レースに出場するために貸し出すとは、アルファ・ロメオも随分太っ腹?だと思いますが、それ程、日本のアルファ・ロメオファンを大切に思ってくれたのでしょう。本当にありがたいことでした。

写真は以前にも紹介しましたが、レースを無事に完走した後、女神湖のイベントにやってきたDisco Volanteです。私も間近で見ることができましたが、実際にはとても小さく、異様と言うより可愛かったことが印象に残っています。

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そして付属するミニチュアモデルは嬉しいことに、そのラ・フェスタ・ミレ・ミリアに出場したときの状態をモデル化しているものです。このモデルは本当に貴重だと思います。

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実は私はこのDisco Volanteに2度遭遇しています。最初はラ・フェスタ・ミレ・ミリアの初日で、その年は土砂降りの雨の中のスタートだったのですが、雨の首都高5号線をこのDisco Volanteがかっ飛んで行くのを、休日出勤で都心に向かう5号線上ですれ違いで見たときには本当に感激しました。

それは50年の年月を経て、現代の…しかも日本に降り立った、まさに"空飛ぶ円盤"だったのです。

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テーマ:ミニカー - ジャンル:車・バイク

5セントのネジ

"5セントのネジ"はスペースシャトルの事故のときに、その原因が些細な部品であったことを比喩的に表現されたものですが、どうやら今回の高知空港でのDHC-8の胴体着陸事故の原因も、同様の表現で表されるものであったようです。
今回の事故は、機長と副操縦士の適切な判断と、教科書に出てくるような模範的な胴体着陸により、ケガ人もなく、無事に着陸できたことは本当に幸いだったと思います。
恐らくこの胴体着陸の映像は、これからも世界中の様々な航空会社の訓練で使われることでしょう。
それ程見事な胴体着陸だったのです。

久しぶりにプロの仕事を見せてもらいました。

さて、私自身は飛行機も大好きなのですが、最近の情報には疎くなってしまっており、つい先日までF-14 Tomcatがアメリカ海軍を退役したことを知らなかったくらいです(苦笑)。
当然、今回の事故でこのボンバルティアDHC-8という機体のことを初めて知ったのですが、DHCというコードを見て思い出しました。これはデ・ハビランド・カナダ社の略で、現在の正式名称である、Bombardier Aerospace社の前身である、イギリスを発祥の地に持つ航空機メーカーの老舗だったのです。

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デ・ハビランド社と言えば第二次大戦で活躍した木製の高速爆撃機モスキートが有名ですが、戦後はコメットと呼ばれた世界最初のターボジェット旅客機などを製造していた会社です。しかし現在、この由緒ある社名はなくなり、唯一このコード名として残されているのみとなってしまいました。

さて、このDHC-8の機体設計そのものはオーソドックスな高翼機で、唯一の特徴は水平尾翼が垂直尾翼の上部についていることくらいでしょうか。
主翼を胴体の上部に配置し、エンジンポッドをその主翼から吊り下げる形式は古くからあり、乗客の乗降に際して大きなボーディングタラップを必要としないことや、客席からの視界が良好なことなどもあり、中小型の旅客機には結構馴染みのある形式です。
それ以外は特に奇をてらったデザインでもありませんので、その特徴であった、低燃費、低騒音、高速を武器に近距離路線用として順調なセールスであったことは頷けます。
日本での同型式の旅客機と言って思い出すのは、フォッカー社のF-27フレンドシップです。トシがばれてしまいますが、私も子供の頃にこのフレンドシップに乗ったことがあり、窓から見える視界の良さが記憶に残っています。

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このフォッカー社も残念ながら今は倒産してしまってこの世には存在しない会社ですが、デ・ハビランド社と同じく航空機メーカーの草分け的な存在でした。設立は1910年ですので、奇しくもアルファ・ロメオ社の設立と同じ年です。
オランダ人のアントニー・フォッカーによりドイツで設立されたフォッカー社は、第一次大戦の戦闘機で最も有名なDr.1を製造したことで一躍有名になりました。この独特な三翼の戦闘機は、撃墜王マンフレート・フォン・リヒトホーヘン男爵の愛機であったことから有名になったのですが、真の名機はDr.Ⅶで、第一次大戦が終わった際に連合軍は終戦条項に「全てのDr.Ⅶを引き渡すこと」と加えたほどであったと言われています。
その後、フォッカーは故郷であるオランダへ移り、引き続き航空機を製造するのですが、第二次大戦後は旅客機メーカーとしてこのフレンドシップを始めとする中小型機をメインに製造するようになります。

日本では、このフォッカー社は馴染みが多く、フレンドシップがYS-11に交替した後も、後継機であるF-50が名古屋のエアセントラル航空(現在は全日空グループに統合)で使用されていました。
そしてこのF-50の後継機がDHC-8となるのですが、今回の事故の際の機長もエアセントラルの所属であったということですので、このF-50も操縦し、高翼機の操縦に慣れていたのかも知れません。

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航空機も自動車も神様ではなく、人間が作って操縦(運転)しているわけですので、今回の事故はその「人間」が見事にカバーした例でしょう。
事故原因については、事故調査委員会の最終結果を待たなければ軽々しく論じることはできないとは思いますが、最近の自動車に置き換えて考えてみると、メンテナンスフリーであるが故に全くと言っていいほど点検をしなかったり、運転をアシストする様々な機能があるが故に、そもそもの運転技術向上が疎かになってしまっているのではないでしょうか?
バックモニターや縦列駐車アシストなんて機能がなければ、ちゃんと駐車できないような運転技量では、イザというときに自分が困るだけでなく、他人に危害を加える可能性だってあるのでは…と思います。

ちゃんとクルマの点検を行い、さあ、練習しましょ(笑)

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ALFAROMEO Sport Collection 28

何度も書いているのですが、戦前のアルファ・ロメオは現在とは全く別格のステイタスとプレステージを持った自動車メーカーでした。自動車というものが現在ほど一般的ではなかったという点を差し引いても、その「格」たるや半端ではなかったのです。本日ご紹介するのはその中でもとびきり別格の8C2900B Le Mansです。

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これも既にご説明しましたが、この記号の持つ意味は8気筒で排気量が2900ccを表しています。
1931年にそれまでの6気筒シリーズから8気筒にモデルチェンジされたアルファ・ロメオの中心となるエンジンはビットリオ・ヤーノの設計による独創的なエンジンでした。それは直列8気筒でありながら、前後の4気筒を分離し、その中間をヘリカルギアで繋ぐことにより、カムシャフトやクランクシャフトを短くし、振動を低減することに成功したのです。
また、このエンジンには当時の最新のレーシングテクノロジーが注入されていました。DOHC、半球型燃焼室、スーパーチャージャーといったテクノロジーは、現代のエンジンでは当たり前となっている機構ですが、当時は最先端であると同時に精密な機械工作精度を必要とした超ハイテクメカニズムであったのです。

当初2336ccでスタートしたこの8気筒モデルは1931年からル・マンで4連勝、1932年、33年のミレ・ミリア、そして1931年からのタルガ・フローリオで3連勝と、公道/耐久レースでは無敵と言っていい活躍をします。
そして1935年に排気量を2905ccに拡大し、さらにスーパーチャージャーを2基装備した、8C2900にバージョンアップするのです。このエンジンは標準でも180hpの出力を発揮し、さらにチューニングされた"コルサ"になると220hpまで高められていました。そして1937年に発表された進化型の8C2900Bともなると、コンペティションチューニングでは最大295hpまでパワーアップされたのです。これは現代のエンジンでも充分なパワーであり、それを70年前に達成していたのですから、当時のアルファ・ロメオの技術力たるやまさに「別格」であったと言えるのです。

すごいのはエンジンだけではありません。この8C2900はナンと4輪独立懸架のサスペンスションで、ギアボックスをリアに配置するトランスアクスルレイアウトを世界で初めて採用したモデルであったのです。
このブログを書くために手許の書籍をひっくり返して、この8C2900のスペックを見ていると、現代のクルマのものではないかと錯覚するほどでした。

繰り返しますが、このモデルは今から70年前に生産されていたクルマなのです。

付属するミニチュアモデルは1938年にル・マンに出場するためにカロッツェリア・ツーリング社によって架装されたボディを持つモデルです。
実車はムゼオ・アルファ・ロメオに所蔵されており、日本にもやってきましたので、私も間近で実車を見ることができました。展示されていた実車は、空力を良くするためにリアフェンダーにカバーをつけた状態でしたが、全長の半分がエンジンルームで運転席の背中は殆ど後輪と同じ位置まで下げられているレイアウトはさすがに異様で、周囲の展示車の中でも異彩を放っていたことを憶えています。

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それにしてもこの狭いキャビンの中で、後方視界は全くと言っていいほどなく、前輪は遥か彼方というロングホイールベースのクルマに乗り、最高速度200kmでユノディエールのストレートを夜間に走ったドライバーの心理はどんなものだったのでしょうか。

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ALFAROMEO Sport Collection 27

アルファ164以前のアルファ・ロメオのBerlinaは、どちらかと言うと無骨なデザインが多いと思います。それは決してデザインに手を抜いていたワケではなく、アルファ・ロメオが奇をてらわずにBerlinaに求められる機能を追及した結果だと思います。
本日ご紹介するAlfettaもその美しいGTと対照的に、Berlinaは何の変哲もないセダンではありますが、当時としては革新的なレイアウトを持つ、スポーツ・セダンだったのです。

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以前にAlfetta GTの項でご説明したように、このトランスアクスルとド・ディオン式のリアサスペンスションは、本来はGPカーのためのレイアウトとして採用されたのですが、このAlfettaに関してはセダンの居住性や運動性能に革新をもたらしました。現在では殆どの乗用車のエンジンは、横置きでFFと呼ばれる前輪駆動が主流です。このレイアウトはひとえにエンジンルームをミニマムにし、居住性を確保するための手段であると同時に、エンジンやミッションなどのメカニカルコンポーネントを一体化し、製造コストを低減する目的で採用されているものです。

一方でAlfettaの場合は、縦置きの4気筒エンジンながらこのトランスアクスル方式により、従来はエンジンの後ろについていたギアボックスをエンジンから切り離すことが出来、エンジンルームを短くすると同時に前席の足元を広くする効果をもたらしました。セダンにとって同じサイズでありながら、ライバルより室内長が長く更に広いということはそれだけで大きなアドバンテージとなるのです。そして、リアに置かれたギアボックスは重量配分に貢献し、しかもエンジンが縦置きであるために、全ての重量物が車体のZ軸(縦中心)の周りに配置されることになり、セダンでありながらスポーツカー並みの重量バランスを達成したのです。
更にド・ディオン式のリアサスペンスションは、バネ下重量を軽減するとともに、セダンのように乗車人数によって重量が変化するクルマでもタイヤのキャンバー角が変化しないという利点をももたらしました。

もちろん、こんな良いことだらけの方式であるならば、何故他社も採用しなかったのかと言うと、ひとえにその製造コストにあったのですが、アルファ・ロメオはその利幅を減らしてまで(というかコスト意識があまりなかった?)この方式を採用したのは、たとえBerlinaであってもアルファ・ロメオなんだから…という自分達へのコダワリであったのかも知れません。

かくして、日本でも小林彰太郎氏を始めとする著名な自動車評論家の重鎮の皆さんが、こぞって新車で購入し、その運動性能を絶賛したこのAlfettaは、そのレイアウトを90年代のSZ/RZ(ES30)にまで引き継ぐ伝説の?レイアウトとなったのです。

今回付属するミニチュアモデルはこのシリーズの中でも極めてユニークなものです。それはこのAlfettaが発売されたときに、その優れた性能を実証するべく、ラリードライバーのGiancarlo Baghettiと彼の友人のイタリアの週刊誌OGGIの記者Gianni Taroniが企画した、市販量産車による「大陸南北縦断ラリー」に出場したAlfettaをモデル化したものです。ラリーの結果は、このノルウェーから南アフリカまでの総距離26,057Kmを29日間と14時間で無事に走りきったのですから、その性能と信頼性は大したものだったと言えるでしょう。

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一方で、アルファ・ロメオのBerlinaは歴代のモデルが警察車両として採用されています。前回アルファ75の項でご紹介した、マニアックなCARABINIERIシリーズにもこのAlfettaの警察車両バージョンがあります。何の変哲もないセダンですが、この「働くAlfetta」は何だか格好良いと思うのですがいかがでしょう?

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Driving Jacket for Spider

私自身はSpiderに乗るときにも、それ程服装に気など遣わないのですが、各自動車雑誌にSpiderが紹介されるときには、必ずと言っていいほど、
「Spiderはタダでさえ目立つスタイリッシュなクルマなので服装にも気を遣うべきである」
みたいなことが書かれています。
ただ、オープンに乗る際には機能的なDriving Jacketがあればいいな…と思ってずっと探していました。

私が考えるDriving Jacketに求められる機能とは、
・軽いこと
・動きやすいこと
・防風(水)性に優れていること
・身の回りの小物が収納できること
に加えてスタイリッシュなことではないかと思います。
そして最近見つけたのが、このL.L.BeanのExplorer Jacketなのですが、スタイリッシュであるかどうかはともかく、それ以外の上記の条件をほぼ満たしており、Driving Jacketとして最適なのです。

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L.L.Bean社は1912年にレオン・レオンウッド・ビーンという名の生粋のアウトドアマンによってアメリカのメイン州で設立された会社です。HPによると彼が、メインの森をハンティングで歩き回った時に、冷たく湿った足を何とかならないかと思いついたアイディアに基づき、地元の靴職人に頼んで、作業用のゴム靴にレザー・トップを縫い付けてもらったそうです。こうしてメイン州の森を歩き回るための、快適で機能的なブーツが作られたそうですが、この革新的なブーツ(メイン・ハンティング・シュー)はアウトドア用フットウエアを完全に変えるものであり、それ以来、様々なアウトドア用品を製造販売するようになった会社です。

アメリカではもう1社、アウトドアグッズで有名なEddie Bauerがありますが、こちらも設立は1920年と老舗です。
この2社の其々の特徴は、西のEB東のLBと言われるようにまずは地域性にあります。上記のようにL.L.Bean社が東海岸のメイン州が発祥の地であることに対して、Eddie Bauer社は西海岸のシアトルが発祥の地です。
そしてL.L.Beanがどちらかと言うとハンティングから派生したアウトドアグッズが中心であることに対して、Eddie Bauerは登山用品で定評を得た会社です。
もともとは両社ともヘビーデューティを前提とした装備や衣料を手がけていたのですが、最近はEddie Bauer社のほうがややカジュアル路線に向いているような気がします。

両社とも以前はアメリカから直接通販でしか購入できませんでしたので、私もカタログを取り寄せてFAXで注文書を送るという原始的な(笑)方法でオーダーしていたのですが、最近はWEBだけでなく日本国内でも店舗がありますので、実際に手にとって試着して購入できるようになりました。

さてハナシをこのExplorer Jacketに戻しましょう。さすがL.L.Bean製だけあって、細かいところにまで配慮が行き届いています。生地はコットンで軽いのですが、防水加工がしてあり、土砂降りとなると厳しいですが少々の雨ならば充分水を弾いてくれます。
フロントはジッパーとボタンの両方で閉じられるようになっており、首まで閉じてしまえば、完全に雨風を遮断することができます。また、襟の部分にはフードも内蔵されており更に防水対策は完璧です。

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一方で通気性にも配慮がされており、裏地はメッシュでわきの下には通気孔が空けられています。特筆すべきはその内側の収納で両側に様々なサイズのポケットが仕込まれているので、ちょっとした小物を入れておくことができます。
また、上下4箇所のポケットも単なる飾りではなく、マチが充分にあるために、デジカメなどをスムーズに出し入れすることができます。また下のポケットのサイドは開けられており、ハンドウォーマーとして手を突っ込めるのが嬉しい仕掛けです。

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このように、日常使う分には軽くて動きやすく、イザというときには充分な防水機能を持ちながら、イロイロ収納できるジャケットというのは、あるようで無かったので、このジャケットを見つけたときには本当に嬉しくなりました。
このジャケットはズバリ買いです!!

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Spiderでマジメにドライブ(後編)

R140を走って秩父市街を抜けると長瀞渓谷に到着です。長瀞は荒川の上流部の渓谷で、結晶片岩類による岩石段丘で有名です。平たく言えば大きな一枚岩の上を川が流れていると言ったところでしょうか。あいにく地質学には詳しくないので間違っていたらゴメンなさい(苦笑)。国の名勝天然記念物(1924年(大正13年)12月9日指定)に指定されており、県立長瀞玉淀自然公園の中にある観光地です。
周囲には駐車場がゴマンとありますし、川下りなんかも楽しめるのですが、まだシーズン前だったこともありクルマもまばらで閑散としていました。
しかし、ちゃんとクルマを駐めて散策すると、駐車場代(だいたい500円程度)を取られるので(セコイっ)、周囲をウロウロと走って探検して見ました。

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この長瀞周辺はサクラの名所でもありますので、これからの花見のシーズンは絶景ではないでしょうか。R140は川の西側を走っていますので、橋を渡って東側に回りこみ長瀞トンネルを抜けて帰途に着くことにしたのですが、そのまま突き当たると皆野寄居有料道路の皆野・長瀞ICになります。
しかし今回のドライブの趣旨は高速道路を使わないということですので、敢えて有料道路には乗らずにここは左折です。左折するとこのように路肩に不気味な(笑)表示がありますが、この山越えのルートは私にとっては今回のドライブの目玉?の山岳ワインディングなのです。

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このルートは一部周囲に集落があったりするので、それ程とばすことはできませんが、それでもそこそこは楽しむことができる道です。

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そして突き当たりが県道11号線となりますが、ここで右折すると元来たR140もしくはR299に戻ることが出来ますので、ご家族連れなどの場合は右折が良いかと思います。

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今回、私はさらなる山岳ワインディングを楽しむべく、左折して定峰峠を越えてR254へ抜けるルートを選びました。

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ここからの県道11号線は道幅は狭いのですが、路面の舗装は良く、カーブも素直ですので、ブラインドコーナーで対向車にさえ気をつければハイペースで抜けることができ、Spider程度の大きさのクルマであれば結構楽しめるルートです。ただ、あちこちにレッカーサービスの看板が出ているのが不気味ではありますが…(苦笑)
もちろん夜間は真っ暗ですので、夜間走行する場合は充分気をつけて下さいね。

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定峰峠を下ったところで、遅めの昼食をいただきました。ここの蕎麦は手打ちで、並盛りでもこのボリュームです。天ぷらは近くで取れた山菜でふきのとうが絶品でした。ちなみにお値段は800円!!+おばちゃんの世間話付きでした(笑)

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きっと皆さんもそれぞれ定番のドライブ・ルートをご存知だと思います。今回は片道で3時間程度のコースをご紹介しましたが、日帰りであればこの程度のコースがあまり疲れずに良いかと思います。
正直言うと、この「ひとりドライブ」は意外に楽しかったので、これからも新しいルートを開拓してみたくなりました。

それにしても、いつもは季節感の全くない能書きばかりのブログを書き連ねているのですが、こんな風にどこかに行きました…的なブログをきちんと書かれている方には本当にアタマが下がります。これって結構手間のかかるものですねぇ(苦笑)

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Spiderでマジメにドライブ(前編)

先日のダブル・デートで本当に反省しました。
Spiderに乗っていながら仕事が忙しかったせいもあり、最近は通勤で会社との往復に乗るばかりで、殆どフツーのドライブにSpiderを連れ出したことがなかったのです。
これではイカン!と一念発起し、日帰りドライブに出かけましたのでそのコースをご紹介したいと思います。
何しろ私は花粉症とは無縁ですので、この時期にオープンドライブしても何の問題もないのですっ!!と意気込んでは見たものの、東京地区以外にお住まいの方には何の参考にもならないと思いますので、ゴメンナサイ。
まずドライブコースですが、ドライブは目的地に着く手段ではありませんから、コースそのものが楽しくなくては何の意味もありません。そして気が向いたら変更も容易なコースで…ということで、今回私が選んだのは埼玉の長瀞渓谷へのドライブでした。

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まずは、自宅である高島平を起点としてR254(川越街道)で川越を目指して出発です。もちろん今日は最初から屋根を開けてのスタートで、本当に久しぶりです(苦笑)
高速道路は効率良く目的地に着く手段ではありますが、今回のドライブの主旨ではありませんのであくまで下道を利用することにします。
しかし野火止を過ぎた辺りから混み始めたため、予定を変更し英インターからR463へ左折し所沢航空記念公園を横目にバイパスを使って北上し、R299を使うルートに変更しました。実はこのルートは帰りに使おうと思っていたのですが、渋滞にハマってしまってはドライブの意味がありませんから柔軟に計画変更です。

このR463の所沢インターを過ぎた辺りにはマニアックな旧車で有名なCORGY'Sさんの整備工場などがあり、横目で見るだけでも楽しいルートです。

さて以前はこのR299で飯能市街を抜けるのは結構大変だったのですが、バイパスが開通し現在はスムーズに通行できるようになっています。JR八高線を跨ぐといよいよ大好きなドライブコースが開けて来ます。他の地域からこのドライブコースを行かれる方は、とりあえずこのR299の飯能あたりを目指してくださいね。

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実は私、このR299が大好きです。高麗川沿いのゆるやかなワインディングは道幅2車線でそこそこあり、高出力の大型スポーツカーでもゆったりとドライブが楽しめるコースです。道端にクルマを停める場所はあまりないのですが、ところどころにある橋を渡れば、クルマを停めて川に下りて一休みすることもできますので、まったりドライブには最高の道だと思います。

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どんどんR299を北上して行くと正丸トンネルに着きます。今回は先がまだあるので、フツーに正丸トンネルを抜けましたが、トンネル手前に正丸峠を越えて、またR299に戻るルートもありますので、お好みに応じて通ってみても良いと思いますが、アルファ164では少し厳しいコースでしたから、大きいクルマにはこの峠越えのルートは向かないかも知れません。

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さて、さらにR299を行きますと左手に「道の駅あしがくぼ」があります。道を挟んで反対側は果樹公園となってますので、季節によっては様々な果樹狩が楽しめます。今回は「ひとりドライブ」でしたので、一人でイチゴ狩をするわけにも行かず、ちょっと休憩しただけでしたが、地元の野菜を売っていたりとご家族連れの寄り道には良い場所でしょう。

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休憩後さらにR299を走ると目の前にR140との交差点が見えてきます。この交差点を右折すると、いよいよ長瀞が近づいて来ます。

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そして続きはまた明日に…。


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Spiderのダブル・デート!?

昨年の12月9日のブログ"Virus Spider"で、ペーパードライバーでアルファSpiderを買ってしまった女性のことをご紹介しましたが、その彼女と久しぶりにお会いすることになりました。
折角だから2台の新旧Spiderで横浜赤レンガ倉庫へ…、とお誘いしたのですが、言ってしまってからちょっと心配になりました。

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彼女の勤務先は半蔵門で私の職場は門前仲町ですので、待ち合わせをするためには首都高のPAが一番都合が良いのですが、果たして彼女は一人で首都高に乗れるのでしょうか(笑)
恐る恐るメールで待ち合わせ場所を大井PAで…、と連絡して見ると、びっくりしたことにOKの返事が返って来たのです。私は半蔵門の彼女の事務所まで迎えに行くことを覚悟していましたので、この返事には本当にビックリしてしまいました。

彼女がこのブログを読んでいたら叱られてしまうかも知れませんが(というか読んで頂いているようですので確実に叱られるでしょう)、いくら毎日通勤に使っているとは言え、自宅から会社までは15分程度の距離ですし、殆ど首都高には乗らないと聞いていましたので、これは彼女にしてみれば相当チャレンジングな待ち合わせであろうと思います。

少し早く大井PAに着いて待つことしばし…、見慣れたヘッドライトが大井PAにゆっくりと入ってきました。しかも待ち合わせ時間ピッタリです。どうやら私の心配は杞憂だったようですが、さらにビックリしたことに彼女はSpiderの幌を開けて来たのです。そこにはニットの帽子を被った立派な!Spider乗りがいました。実は、私自身は少し寒かったせいもあり幌を閉めていたのです。すかさず彼女から

「ダメじゃないですか~、幌を開けないと!」

とお叱りを受けてしまいました。以前はSpiderは幌を開けてナンボ、とか好きなことを言っていたのですが、通勤に使っているせいもあり、最近は幌を開けている時より閉めている時のほうが圧倒的に多くなってしまっていたのです。115系のSpiderに乗っていたときには幌を閉めれば閉めたで、風切り音やらスキマ風やらでそれほど居住性が良くなるワケではなかったので、むしろ幌を開けていたほうが気持ちよかったのですが、916系のSpiderは幌の出来が格段に良くなっており、幌を閉めてしまえばハードトップと大差ないほど居住性が良くなるのです。

少し恥ずかしくなった私も早速幌を開け、オープン2台のランデブー走行で、一路横浜を目指して大井PAを出発したのですが、まだあまりスピードが出せない彼女と一緒に一番左側の車線をゆっくり流して湾岸線を走っていると、いつもとは違う景色が流れて行くことに気付きました。
先週はこの同じ道をマゼラーティSpiderと、とても書けない速度でランデブー走行をしていたのですが、正直とても景色を見る余裕なぞなかったのです。
皆さんも一度湾岸をフツーの速度で走って見ることをオススメします(苦笑)

彼女からこれまでのSpiderとの生活について聞いていると、もはやSpiderが彼女の生活の一部になっていることが良く分かりました。
彼女はSpiderに乗ることで、より一層彼女らしく生活をエンジョイしているようでした。周囲の人たちもSpiderに乗っている彼女を"彼女らしい"と思っているようです。
それは、彼女がSpiderを単なる移動の道具として使っているワケでもなく、さりとて生活の中心に置くわけでもなく、私のように変にマニアックな地獄巡りをせずに(笑)、Spiderと上手に暮らしているからなのでしょう。

彼女は既に立派なSpider乗りでした。そして仮に将来、今のSpiderと別れることがあったとしても、彼女の中でSpiderと暮らした時間は決して色あせることはないでしょう。

というか…もっと濃いアルファ・ロメオに乗っているかもしれません。

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憧れのジュリア

PCの中を漁っていたらこんな写真が出てきました。実は今でも後悔している、私にとっては「縁がなかったGiulia」です。

現在ではGiuliaの中で人気があり価格も高いのは、一般的には「段つき、寄り目、三本線」とか言われているGiulia Sprintなのですが、私は断然1750GTVだと思っています。
それは1300ccよりパワーがありバランスのとれたエンジンと、4灯のライトを持つフロント周りの造形が好きなためです。確かにGiuliaの最終型は2000GTVで、性能的には優れてはいるのですが、重くなった車重とフロント周りの造型があまり好きになれません。
最近では周囲の仲間からも「やっぱり1750だよな~」という声を聞きますので、今後はこの1750GTVの人気が出てくるのかも知れません。

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写真は以前に、買わないかと紹介された1750GTVで、お値段も破格でした。程度はそれなりではあったのですが、このまま乗るも良し、レストアしてバリもんにするも、レーシングモディファイするも良しという、今考えれば選択肢の多い状態であったと思います。

Giuliaを選ぶポイントは、まず第一にボディの状態だと言われています。機関系は最後は換装してしまえば済むのですが、ボディだけは修理するしかなく、錆の対策と塗装をちゃんとしようとするとヘタすると購入金額と同じ位かかってしまうと言われています。このボディは程ほどに錆びており(笑)、これからレストアするにしても部分対策で充分で、ボディ塗装も一度塗りなおされていたこともあり、色変更をしないのであれば充分このまま行ける状態でした。

錆で注意する部分はサイドシルの内側、特にジャッキアップポイント周りと、リアクォーターウインドウ周り、そしてトランクの周辺が錆びやすいポイントでしょう。これらの中でもジャッキアップポイントが錆びている場合は、その錆がフレームまで進行している可能性がありますので、カーペットを剥がしてフロアパンまでチェックする必要があります。とにかく錆びるとすぐに穴が開くクルマですので、この程度は…と放っておくと半年もしないうちに腐りが出てくるのが、このGiulia系の錆の特徴です。

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内装はこんな感じで欠品もなく、最大の問題であるダッシュ割れがないのが救いではありましたが、ステアリングのクリアは剥げてしまっており、オリジナルにコダワルならレストアするかNARDIか何かに換装するしかないだろうな…という状態でした。シートは一部破れており、外して張り替えるか、レーシングモディファイをするのであれば交換だったでしょう。

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エンジンの状態はあまり良くありませんでした。プラグコードからリークしており火花が出てアブナイ状態でしたが、これは交換すれば済むことでしょう。キャブも再調整すれば元気を取り戻したと思いますが、ヘッドオーバーホールは必須で、街乗りでもサーキットでも最終的にはエンジンは全体的に手を入れなければならない状態でした。

Giuliaのエンジンは排気量によらずマウントが殆ど共通であるために、よりパワーを求めて排気量の大きいエンジンに換装されてしまうことが多いのです。オーナーが納得して行うことは何の問題もないのですが、私のように1750が好きで購入する場合、エンジンが2000ccに換装されてしまっていては魅力が半減してしまいます。幸いこのエンジンは1750のオリジナルでしたので、もし購入していたらオーバーホールだったでしょう。

伝統のアルファ4気筒エンジン

私が、何故このGiuliaを見送ったかと言うと、それはひとえに「縁がなかった」としか言い様がないのですが、今、考えるとそのクルマの状態の中途半端さにあったと思います。贅沢なことを言っているのは良く分かっているのですが、レーシングモディファイをするために内装を剥がすには、まだまだ勿体無い状態でしたし、仮に街乗りで乗るにせよエンジンのオーバーホールにはそれなりの費用を覚悟しなければなりませんでした。
すなわち、街乗りで仕上げるにもサーキット仕様にするにも、ちょうど中間点にいる状態であったために、どちらにするか踏ん切りがつかない個体だったからに他なりません。
もっとボロければ、迷いなくサーキット仕様にしたでしょうし、もっと状態が良ければオリジナルのまま大切に乗ることになったでしょう。
最近はますますGiulia選びが難しくなってきました。それはマーケットに出てくるGiuliaの程度の問題だけではなく、私自身のGiuliaに対する「思い入れ」が濃くなっているからなんでしょう。
もっと気楽にGiuliaとの縁を楽しめればいいなとも思っています。

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ALFAROMEO Sport Collection 26

昨日の流れからすると本日ご紹介するGiulietta Spiderはなかなか良いチョイスだと思います。
GiuliettaをベルトーネがデザインしたSprintとSprint Specialeは既にご紹介しましたが、ではピニンファリーナはこのSpiderでGiuliettaをどのように料理したのでしょうか。

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1954年のトリノショーでデビューしたGiuliettaは本来ならば一番販売量が多いであろうBerlina(セダン)ではなく、ベルトーネデザインによる美しいファストバックスタイルのSprint(クーペ)でした。それはアルファ・ロメオがこのGiuliettaを小さいけれども高性能な、戦前のアルファ・ロメオのイメージを踏襲するモデルとして、マーケットに印象づけるための作戦でした。
事実、搭載されたエンジンはレーシングエンジンと同様のDOHCではありましたが、排気量は僅か1290ccであり、出力も65hpとそれほど高性能ではなかったものの、その車重880kgから最高速度は100mphと言われていました。この100mph(約160kmh)は当時の量販車の目標であり、高性能車の証でもある数字だったのです。
そのSprintの発表から翌年、満を持して発表されたのがBerlinaとSpiderでした。
ピニンファリーナのデザインによるSpiderはSprintのイメージを残しながらも全く新しいデザインであり、むしろ当時ピニンファリーナが手がけたランチア・アウレリアGT Spiderをモチーフにしたもので、このGiuliettaを繊細で女性的なイメージで解釈したものでした。

フロントグリルはSprintと共通したイメージを残しているものの全体的には低められ、バンパーには「カツオ節」と呼ばれるオーバーライダーが付けられて差別化を図っています。またホイールベースも他の二車種と異なり180mm短い2200mmとされ運動性の向上を狙っています。このショートホイールベース版のシャーシーは後にSZやSSのベースとして用いられることになります。
そして本来は空力に劣ったオープンでありながらも、Sprintより20kg軽量なボディのために同等の最高速度を維持していたこのSpiderは、その可愛く美しいボデイと高性能故に、Giuliettaシリーズの中で最も愛されるモデルとなるのです。

当初は65hpであったエンジンは、翌年の1956年にはウェーバーの40DCOEを2基装備した90hp版に換装され、Veloce(速い)という名前が追加された高性能バージョンに移行します。
さらに1959年にはマイナーチェンジが行われ、各部の補強が行われますが、折角短かったホイールベースは50mm延長され、フロントガラスには三角窓が追加されて少し近代的な外観となります。後にこのマイナーチェンジ前のモデルを750系、そしてマイナーチェンジ後を101系と呼ばれ区別されますが、現在ではどちらも稀少ですのでオーナーのコダワリとは別に、見ている分にはそれほどの差は感じられないのが現実ではないでしょうか。

そして1962年にはエンジンが1570ccにアップされたGiuliaシリーズにバージョンアップします。外観はボンネットにエアスクープが加わるとともに、チャームポイントであったボンネット中央に縦に付けられていたメッキラインがなくなります。また、小さく可愛かったテールランプも大型化され、可愛いGiuliettaからオトナのGiuliaへと成長するのですが、生産台数はGiuliettaには遠く及びませんでした。やはりファンは可愛いGiuliettaの方を愛したのでしょう。

Giuliettaの生産台数は、Sprintが27,142台、Berlinaが137,876台、そしてこのSpiderが17,096台と大ヒットで、後のGiuliaシリーズも加えると20万台近くが生産されました。アルファ・ロメオはこのGiuliettaシリーズによりようやく量産車メーカーとしての地位を確立したと言えますが、それを達成したのが単にBerlinaの販売のみでなかったところが、アルファ・ロメオらしいところで、確実にSprintやSpiderというスポーツモデルの販売が貢献しているのがこの販売台数を見れば良く分かります。

Giulietta Spiderにはレーシングモディファイが加えられたモデルが存在します。代表的なものとしてはSebring Spiderと呼ばれるフロントガラスを短くカットしたものが有名ですが、付属するミニチュアモデルはMonopostoと呼ばれた助手席をカバーし、運転席周りを小さくラウンドした風防で覆ったモデルで、これは1956年のミレ・ミリアに出場したものです。
余談ですが、後に916系のSpiderをこのGiulietta Spider Monopostoをモチーフにして改造したモデルが存在しますが、不思議と時代を超えて同じ印象になっていたことを憶えています。

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一方こちらはノーマルのGiulietta Spiderでdel Prado社から販売されていた世界の名車シリーズに付属していたものです。
三角窓があることから101系をモデルにしているようですが、やはりそれなりの出来でした(泣)

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ALFAROMEO Sport Collection 25

昨日のBreraからの流れで取り上げるには最も適当なモデルがこのGiulietta Sprint Speciale(SS)ではないかと思います。何故なら、このGiulietta SSはアルファ・ロメオの歴史の中で「最も美しいクーペ」と呼ばれているからなのです。

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アルファ・ロメオには、その歴代のモデルにカロッツェリアにデザインを託したスペシャル・モデルが存在しています。
以前にご紹介した1954年に発表されたGiuliettaには、ベルトーネのフランコ・スカリオーネがデザインしたSprintと呼ばれたクーペと、社内デザインによるBerlina(セダン)、そしてピニンファリーナによるSpider(オープン)モデルが標準として製造されていました。
加えてアルファ・ロメオはこのGiuliettaをベースにしたスペシャル・モデルのデザインをカロッツェリアに委託します。委託されたのはザガートとベルトーネの2社で、その依頼に基づきザガートがデザインしたものが有名なSZ(Sprint Zagart)でした。このSZはアルミニウム製のボディを架装することで車重は僅か785kgに抑えられており、その軽さを生かしてレースで活躍し始めます。そしてこのSZはSVZ、SZ2を経てTZへと進化し、最終的にはTZ2によって結実します。

一方で、ベルトーネのフランコ・スカリオーネはSprintをデザインした経験から、Sprintと異なるコンセプトのスペシャルティ・クーペをデザインします。
1957年のトリノ・ショーで発表されたこの"Speciale"はそれまでの一連のデザインスタディであったBATシリーズを発展させたもので、薄くそして低くデザインされたフロントノーズから、伸びやかに続くリアまでのラインが最後にはスパっと切り落とされた、コーダ・トロンカと呼ばれるテールで終わる美しいクーペでした。

そのボディはザガートと異なり、スチール製ではありましたが、それでもSprintより35kg軽い860kgまでの軽量化を達成していました。当然のことながらエンジンの出力が同じであれば、車重が軽いほうが有利ですので、レースの世界ではSZが圧倒的に強かったのですが、ベルトーネはこのSSをその本来の目的であったレーシンガーやラリーカーのベース車から、グラン・ツーリスモ的な性格とし、そのスチール製故の生産の容易さから量産に移行します。

結果、SZの製造台数が210台であったことに対して、SSは1366台も製造されることになります。そして更に1963年にGiuliettaがGiuliaに移行した際にも生産は続けられ、Giulia SSは1400台と合計で2766台という、この種のスペシャル・モデルとしては異例の大量生産を達成するのです。
アルファ・ロメオの歴史の中ではSZの方が有名ではあるのですが、営業的に成功したのはこのSSの方であったことは言うまでもありません。

以前に聞いた話ですが、アルファ・ロメオのチェントロ・スティーレ(デザイン研究所)のデザイナー達が煮詰まったときに、Museo Alfaromeoの中で訪ねるクルマが、このGiulietta SSとプロテオなのだそうです。デザイナー達はこのクルマからいまだに数多くのインスピレーションを得ているのでしょう。私もこのGiulietta SSはEver Greenなクルマだと思います。

同じクーペボディでも、昨日ご紹介したBreraとの最大の違いは、そのデザインが何の制約も受けずに破綻していないところにあります。マゼラーティクーペをベースにデザインされたBreraを、後から無理矢理アルファ159ベースに変更したためにデザインが破綻してしまったBreraと、最初からGiuliettaをベースにデザインされたこのSSとの違いはそこにあり、結果として現在でも見るヒトを感動させるのではないかと思います。
ジウジアーロのBreraは第2のSSに成り得たデザインであったと思うと残念でなりません。

付属するミニチュアモデルは、1960年のタルガ・フローリオに出場したモデルで、その美しさをうまく表現しています。

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またいつの日か、アルファ・ロメオにはこんな"Speciale"を出してもらいたいものです。

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ALFAROMEO Sport Collection 24

またもやですが、23番目は未入手です。このコレクションを入手し始めて好きになってきた1900T.I.ですのでいずれ手に入れたいなと思っています。ねっ!イタ雑さん(笑)

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そして、本日ご紹介するのはなんとバリバリの現行車であるBreraです。そもそも、このシリーズはアルファ・ロメオの中でもレースで活躍した車種を取り上げる…はずだったのですが、Junior Zに続いてリリースされたBreraは、現在のところレースでは何の戦績も残していないクルマです。

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このBreraに関しては各自動車雑誌で取り上げられましたし、何しろ実車が見たければショールームに行けば見ることができます。恐らくお願いすれば試乗することも可能でしょう。
そう言えば近々、Q-TronicというATモデルも発売されるようですので、やっと販売的にはアルファ159も含めて本番と言えるでしょう。
実は、アルファ159が発表になったときに、こっそりと(笑)試乗に行ったのですが、混んでいるかと思いきや、左ハンドルのMT車を運転できるような客は殆どおらず、試乗車は結構暇を持て余していました。お陰で時間を気にせず乗り倒すことができたのですが…(笑)
やはり、日本のマーケットではATモデルがないことには手も足も出ないでしょうし、ディーラーにしてみても、「さぁ、商売商売…」と言ったところでしょうか。

さて、このBreraですがそのデザインは、言わずと知れた巨匠ジウジアーロです。ジウジアーロとアルファ・ロメオの関係はもはや切っても切れないと言えますし、また、彼ほどアルファ・ロメオのデザインに必要なものは何であるかを知り尽くしているデザイナーはいないと思います。

2002年のジュネーブショーで発表されたBrera Conceptはセンセーショナルでした。そのガルウィングドアは現実的ではありませんでしたが、マゼラーティのクーペをベースにデザインされたその伸びやかなデザインは、単なるスタディモデルの域を超え、すぐにでも量産に移れる完成度でした。そして事実、私たちはそれを待ち望んでいました。

アルファ・ロメオはその歴史の節目に、自分達の原点を確かめるようなモデルを発表します。その一番最近の事例はSZ/RZ(ES30)でした。アルファ・ロメオがFIAT傘下になり、「これからどーなるんだろう?」と不安で一杯であったときに発表されたこのES30は、その奇抜なデザインに対する賛否両論の中でも、殆どのアルファ・ロメオファンはこう思ったのです。

「こんなモデルを出せるのだからアルファ・ロメオは大丈夫だ…」

そしてこのBreraはその発表より早く、アルファ156のフェイスリフトに"Brera顔"として登場したために、多くのファンはこのBreraがデザインスタディで終わってしまうのではないかという危惧を抱いたのですが、それは杞憂に終わり、やっと2005年にBreraは新しいアルファ159のシャーシーをベースに発表されるのです。そしてこのBreraは、かつてのES30がそうであったように新世代のアルファ・ロメオの旗手として、従来のアルファ・ロメオファンにとっての「安心材料」となる"はず"のモデルでした。
なぜ、私が"はず"と書いたのかというと、最初に量産型のこのBreraを見たときに、私はこれは私たちが待ち望んでいたBreraではないと思ったからです。ガルウイングドアが無理なのは仕方ありません。内装も良しとしましょう。でもこの全体の造形には正直がっかりしてしまいました。

ジュネーブショーで発表されたときのBrera Conceptは全長4388mm、全幅1894mm、全高1289mmでした。そしてこの量産型のBreraはそれに対して、全長4413mmと若干長いにもかかわらず、全幅は1830mmと64mm狭くなっています。ここまではギリギリOKだったのですが、最大の問題はその全高で、1372mmと83mmも高かったのです。結果、量産型のBreraはこの崩れたバランスにより、一気にずんぐりとした単なるクーペに成り下がってしまったと思います。と書いたら言いすぎでしょうか。
でもそれほどまでこのオリジナルのBreraは素晴らしかったのです。

付属するミニチュアモデルは、もちろん量産型Breraを忠実に再現しており何の文句もありません。

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一方で以下に紹介するミニチュアモデルのスケールはなんと1/5という大きさで、メーカーは"Bonini Models"です。
Brera Conceptの開発途中に、そのCADデータを基にItal Designが発注したもので最終的には5台納品されたそうです。恐らく、デザインプレゼンテーションや実車が展示できないショーなどへの展示目的で作られたのでしょう。
このモデルを見ても、もともとのBreraがどれほど素晴らしいデザインであったかが良く分かると思います。

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地獄クルマを訪ねて・・・その四

主治医であるクイックトレーディングに入院してくる、まず世間ではめったにお目にかかれない…であろう「地獄クルマ」(失礼!)を不定期にご紹介するこのコーナーも4台目となりました。

本日ご紹介するのは、アルファ・ロメオオーナーは名前は知っていても、めったにお目にかかれないFIAT Tipoです。
このFIAT Tipoほど、私たちにとって身近で有名なクルマはないはずなのですが、その実態がベールに包まれ(というか単に見かけないだけなのですが…)ているクルマもないのではと思います。

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なぜ、私たちにとって身近かと言いますと、アルファ155、145、146、GTV/Spiderは全て、このTipoのシャーシーをベースに設計製造されたからなのです。それが良かったか悪かったかはともかくとして、1990年代中盤のアルファ・ロメオの量産車はアルファ164を除き全てがこのTipoのシャーシーを使用していたわけですから、このTipoというクルマの出来が悪いわけはありません。

FIAT Tipoは1988年に、モデル末期でどうしようもなく販売が落ち込んでいたFIAT Ritomoの後継車として、3/5ドアハッチバック車としてデビューしました。ヨーロッパのこのCセグメントというクラスは、日本以上に重要なマーケットで、量産車メーカーの底力というか力量が最も問われるクラスです。歴代のFIATはこのクラスを得意としていましたので、当然このTipoの開発には「社運をかけて」望みました。

FIATは当時最先端?の設計/製造方法であった、車両の構造をユニット化し、基本シャーシーに様々なボディ形式を被せることにより、車種別々の開発費を抑えるという手法をこのTipoで実施します。それは当時のFIATがランチアに続いてアルファ・ロメオまでも傘下に入れざるを得ず、各ブランドの開発費を統合する必要に迫られていたことによります。この計画はTipo2/3プロジェクトと呼ばれ、その最初のクルマがこのTipoだったというワケです。
余談ですがこのTipoベースのバリエーションは凄まじく、FIATからは…、
テムプラ (Tipoのセダン版) 、テムプラ・ウィークエンド(ワゴン)、テムプラ・クーペ、クーペ・フィアット、ブラーボ/ブラーバが製造され、
ランチアからは…、
デルタII、デドラ、デドラ・ステーションワゴンが製造されました。
そしてアルファ・ロメオに至っては…、
前述しましたように、アルファ145/146、アルファ155、GTV/Spiderが製造されましたので、Tipoシャーシーは「骨の髄までしゃぶり尽くされた」と言えます。

さて、このTipoですが発表の翌年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞する位ですから、クルマとしては至極まっとうで、Cセグメントに求められる実用車としてはすこぶる秀逸なクルマだと言えます。
ヘンに「いいカッコ」せずに、実用車をフツーに設計したときのFIATは本当に良い仕事をします。Panda、Unoがその良い例ですし、このTipoも同様です。Panda、Unoが巨匠ジウジアーロの作品だったことに対して、このTipoはカロッツェリア「I・DE・A」に在籍した時代のエルコーレ・スパーダの手によるものです。3ドアはごくフツーのデザインであることに対して、日本に輸入された5ドアはその個性が光っています。特にその「とってつけたような」リアはTipoの個性であるとともに、ラゲッジルームを有効に広げるためでもありました。この辺りが実用車には重要で、デザインのためのデザインではなく、その成果が必ず居住性や使い勝手に反映されていなければ、真の実用車としては評価されないと思います。

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残念ながらこのTipoは日本では全くと言っていいほど売れませんでした。Cromaのときにも書きましたが、それはひとえに日本の輸入体制が脆弱だったことと、日本のマーケットでのFIATのポジショニングが曖昧だったことによるものです。私はどうしてこのTipoに、日本だけABARTHのバッジを付けて売ったのか理解に苦しみますが、「イタリアの熱い血」とか何とか言って売らなければFIATは売れないと思ったのでしょう。かくして日本への輸入は1994年に打ち切られてしまったのですが、ヨーロッパでは1995年まで製造され、FIATにとってはスマッシュヒットとなったクルマです。

その日本でこのクルマに乗っているオーナーは、このクルマのサイズ(5ナンバー)とその居住性、そして必要にして充分な動力性能を評価している「分かっているヒト」と言えるでしょう。
誤解を恐れずに言わせて頂ければ、クルマに対してヘンな期待も夢も持たず、冷静に自分のライフスタイルに合った道具としてクルマを選んだときに、このFIAT Tipoは選択肢の最後まで残ってしまうクルマではないでしょうか。

FIAT Tipoが農家の納屋に耕運機なんかと一緒に入っているとすごく絵になると思うんですが…。

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Spiderの季節到来!?

ミニチュアモデルのことばかり書いて、お前はちゃんとクルマに乗っているのか?とお叱りを受けそうなので、この週末のことを書きたいと思います。

しばらく仕事が忙しく、なかなかオーナーズクラブのミーティングに参加できなかったのですが、土曜日の夜は久しぶりに夜の?ミーティングに参加することができました。本来ならばアルファ164で参加するところなのですが、今回は久しぶりだったのでSpiderで行くことにしました。するとクラブの仲間のNさんもマゼラーティSpiderで参加するとのことで、私のアルファSpiderと一緒に集合場所の第三京浜都筑PAに行くことになりました。

彼は一見するとちょっと強面で、近寄りがたいイメージがあるのですが(笑)、実はとても優しい男で、その彼の風貌とこの白のマゼラーティはとても良く似合っています。しかし、最近のマゼラーティの品質の向上は著しく、彼によると「ナニゴトもない」そうですが、ただ彼は、アルファ164を2台乗り継いだヒトですし、その前はマゼラーティ228に乗っていたとのことですので、何と比較して「ナニゴトもない」と言っているのかは定かではありませんが…(苦笑)

彼のマゼラーティは、"カンビオコルサ"と呼ばれるパドルシフトのオートマチックを搭載したモデルです。所謂フェラーリのF-1マチックと同じ形式のセミオートマなのですが、アイドリングからアクセルを空ぶかしすると、「シャーン」と回転が上がると同時にフライホイールがないのでは?と思うほどイッキに回転が落ちるので、これで通常のMTだとダブルクラッチを駆使しなければギクシャクしてマトモに運転できないのではと思ってしまいます。しかし、このマゼラーティのV8は最高の音です…(嗚呼)

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首都高5号線を高島平から乗り、都心へ向けて結構なペースで私が先導して走り始めたのですが、2台のイタリアのオープンが連なって走る姿は結構目立ってしまい(ドライバーの風貌のせいもあると思いますが)、特に煽ったわけでもないのですが、他のクルマはどんどん道を譲ってくれます。おかげで2台はヒラヒラと気持ちよく首都高を走り、竹橋JCTを抜け芝公園からレインボーブリッジを渡り湾岸に入るまで、殆ど渋滞に逢わずに走り抜けることができました。

ここまでの適度にカーブが続く首都高では、絶対的に軽い私のアルファSpiderの方が有利であったのですが、湾岸に入ると状況は一変し、マゼラーティの豪快な加速とそのサウンドを外野から堪能することになりました。不思議なもので気心が知れた仲間との走行ですと、ここで抜いて欲しいな…とかここで並んで欲しいな…と思うとちゃんとお互いにそれが出来てしまうのです。マゼラーティは停まっていても美しいのですが、やはり抜き去るナナメ後ろからの姿が最高に美しいことを再発見できました。

車両実勢価格からすると、私のアルファSpiderは彼のマゼラーティの1/10であるのですが(泣)、では楽しさも1/10かと言うと全然そんなことはなく、マゼラーティの貴族的な艶かしさはありませんが、アルファSpiderには軽戦闘機のような機敏さがあることが良く分かりました。アルファ・ロメオはすべての車種に共通して、この「軽さ感」があるように思います。そしてそれがアルファ・ロメオらしさなのかも知れません。

そして本日日曜の東京は、まるで初夏を思わせる陽気でしたので、大好きな荒川に出かけてみました。
秋ケ瀬橋を渡り、荒川の堤防沿いの道から河原に降りていくと、東京とは思えない(埼玉ですが…)写真のような別世界が開けます。
Spiderにとっては冬は気持ち良い季節と以前に書きましたが、寒いより暖かいほうが良いことは言うまでもありません。しばしクルマを停めてボーッと日光浴を楽しみました。
昨晩のランデブー走行といい、今日の日光浴といい、いよいよSpiderを持っていて本当に良かったと思う季節がやって来ました。
幸いなことに私は花粉症ではありませんので、これからの季節はオープンエアドライブを堪能したいと思っています。
花粉症の方はゴメンなさい…。

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う~ん。なんてブログらしいネタなんだろう…(爆)

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Alfetta GTのミニチュアモデル

昨日ご紹介したAlfetta GTですが、大好きなモデルですと自然とミニチュアモデルのほうも手許に増えてしまいます。
アルファ75の項でも書きましたが、実物を持ってしまうとミニチュアモデルが増え、大好きなのに持てないとこれまたミニチュアモデルが増えるというのは、コレクターの悲しい習性なのかも知れません。

こちらは私が20年以上前に始めて買ったアルファ・ロメオのミニチュアモデルです。その当時から欲しかったAlfetta GTをせめてミニチュアで…、と探してやっと専門店で見つけたのがこのSolido製の1/43Alfetta GTでした。
オーバーフェンダーを装備し、レースカーのようにAgipカラーを身にまとっていますが、本当に実車がこのカラーリングで存在したのかどうか定かではありません。現在の精密なものと比べるとオモチャ然としていますが、良く見ると造形は素晴らしく、Alfetta GTの特徴を良く捉えていると思います。そしてこの最初の1台を買ったおかげで…現在のコレクションが始まってしまった罪深いミニチュアモデルです(苦笑)

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そして、Solido製の対極にあるのがこのMinichamps製のAlfetta 2.0GTVです。全体の造形も、ミラーやワイパーなどのディテールも素晴らしく、写真では良く分かりませんが室内の表現といい、もはやハンドメイドモデルと比べて遜色ない出来なのがMinichamps製の特徴です。
しかし一方で、最近のMinichampsのモデルは殆どが限定で、ボディカラー毎に製作台数を決めて発売していますので、気に入ったボディカラーは見つけたときに買わないと、二度と手に入らないという危険性があるので要注意です。まぁ、ミニチュアモデルもプラモデルも基本的には「一期一会」なので、現在のようにインターネットが普及していなかった時代は、専門店通いをサボると悔しい思いをしたものです。

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以下のモデルは、スーパーマニアックメーカー(笑)ProgettoK製のものです。Minichamps製と比べると相変わらず出来は劣りますが、レース仕様に対するこのコダワリはタダモノではありません。
これは1976年のスパ24時間に出場したモデルです。残念ながら1位はBMW3.5-CSLに奪われてしまいますが、2、4、6位に食い込むという大健闘を見せ、その耐久性とスピードのバランスの良さを実証しました。

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これはその翌年の1977年のスパ24時間に出場したモデルです。このProgettoKのスゴいところは各仕様の再現に手を抜かないところで、単にデカールを替えてハイ終わりではなく、ちゃんとオーバーフェンダー、ホイール、フロントのフォグランプなどが変更されています。

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こちらは1984年のETCチャンピオンカー(排気量1.6L~2.5LのDiv.2)です。V6エンジンを搭載したGTV6のモデルですが、もちろん特徴あるボンネットの膨らみもちゃんと再現されています。
確か、この実車は日本にあるハズで、昔のカーグラフィックTVで実車を見たときにETCのチャンピオンカーが意外に改造範囲が少なく、フツーに見えたことが印象に残っています。もちろん運転するときっと別物なんでしょうが…。

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そしてあまりに有名なカラーリングのGTV6がこの1986年のツール・ド・コルス出場車です。当時、BMW M3と並びターマック(舗装路)のラリーにはツーリングカーも出場し上位に食い込む健闘を見せていました。

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とにかくAlfetta GTには思い入れが強く、例の京商のコレクション発売のときもAlfetta GTに当たると「やったっ!」と思ってしまいましたので、きっといつかは実車を…(泣笑)

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ALFAROMEO Sport Collection 22

昨日のブログでご紹介したリストの通り、21号は未だに入手できていません。このTipo33は好きな車種なので何とかいずれ手に入れたいのですが…(苦笑)

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気を取り直して本日ご紹介するのは、これまた私の大好きなAlfetta GTです。昨年末のブログで書いたように、何せ私が昨年本気で購入しそうになった「勝手にCar of The Year」の栄えある1位となったクルマがこのAlfetta GTなのです。

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1972年にセダンから発表されたAlfettaは、その名前を戦前の名GPカーであるTipo159 "Alfetta"に由来します。
それはこのGPカー特徴であったギアボックスをエンジンから切り離しリアに配置するという、”トランスアクスル”レイアウトと、リアのキャンバー角が変化しないド・ディオン方式のサスペンスションを踏襲していたことによるものです。
実は、このTipo159を設計したオラツィオ・サッタ・プリーガが、当時のアルファ・ロメオの設計部門のトップとなり、この新しいAlfettaを生み出したからなのですが、そのGPカー譲りのレイアウトは製造コストの問題を除くと、乗用車にとってもある種、理想的なレイアウトと言えたのです。

まず、トランスアクスルはエンジンルームにギアボックスを配置する必要をなくしました。このことは重量配分だけでなく、同じ全長でも室内長を長く取ることを可能にしました。
そして、ド・ディオン方式のサスペンスションは、乗用車の運動性能に大きく影響を与えた、乗車人数による重量の変化の影響でキャンバー角が変化することを無くしました。さらにリアのバネ下重量を軽くするために、リアのディスクブレーキをインボート方式にまでして、徹底的にシャーシーレイアウトに拘ったのがこのAlfettaだったのです。

セダンに関してはまた別の機会に譲るとして、そのセダンの発表から2年後の1974年に巨匠ジウジアーロのデザインによりデビューしたのがこのAlfetta GTでした。セダンより110mm短いホイールベースにもかかわらず、このシャーシーレイアウトにより充分な後席のスペースを確保しながら、スリークでスタイリッシュなデザインのこのAlfetta GTは、Giulia Sprintの後継モデルとして好評を持って市場に受け入れられます。最初は1.8LのDOHCエンジンを搭載したGTはその後に1.6Lに加えて2.0L、そしてターボが加わり、最終的には2.5LのV6エンジンまでもが搭載され、1986年まで製造され続けました。

初期型のインストゥルメントパネルは特徴あるもので、運転席正面にタコメータのみが独立して納められ、スピードメータなど他のメーターは中央に配置されるという、レーシーなものでした。その後マイナーチェンジされ通常のメーターレイアウトに変更されてしまいますが、このメーターレイアウト故に初期型に拘るマニアも多いのです。
一方でAlfetta GTが発売された時代はアルファ・ロメオにとってはどん底と言っていい時代で、度重なるストライキによる製造品質の悪化、スティールの品質の悪さから来る錆、そしてその独特のレイアウトに起因するメンテナンスコストなど、オーナーにとっては決して維持しやすいクルマとは言えない現実がありました。

このAlfetta GTも当然のことながら様々なレースに出場するのですが、Giulia Sprint GTAに比べると意外に知られていないのがその戦績で、1976年にはETCでクラスタイトルを獲得し、その後にGTV6が1982年から4年連続で同じくクラスタイトルを獲得しているのです。

付属するミニチュアモデルは1979年のジーロ・デ・イタリアに出場したモデルです。このレースに関しては75 Turbo Evoluzione IMSAの項で詳しくご紹介していますので重複は避けますが、後年のこの75と同様に戦うAlfetta GTはとても格好良く、実車でレプリカを作りたくなってしまいます。
ミニチュアモデルの出来は中々のもので、Alfetta GTの特徴をうまく表現している佳作だと思います。

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