このシリーズは止まることなく、どんどんリリースされていっているようで、本国では既に40号くらいまで発売されているとのことです。
最初にご説明したように、これはイタリアのFABBRI EDITORIという出版社が企画したもので、イタリア国内の新聞、雑誌を販売するエディコラと呼ばれるニューススタンド(いわゆるKIOSKみたいなところですね)を通じてのみ販売されているので、通常のミニチュアカーの流通ルートでは手に入りません。では、現地でエディコラに行くともれなく手に入るのか…と言うと、どうもそうでもないらしく、売ってたり売ってなかったりと結構いい加減な流通状況のようです。
しかし、その車種のチョイスは絶妙で、
この出版社の企画担当者は相当なアルファ・ロメオ好きではないかと思います。きっと楽しくて仕方ないのでしょう。実に羨ましい仕事です(笑)。 そして本日ご紹介するのは、その中でも相当シブいモデルと言える2600Sprintです。
実は、このブログを書くために、毎回取り上げるアルファ・ロメオについて手持ちの文献を改めて読み直しているのですが、そのモデル名は知っているものの、内容に関して詳しくは知らなかったり、勘違いして憶えていたりしているものが結構あることを再発見することができました。今回の2600Sprintも改めて調べてみると、随分と様々なことを発見することができました。
このクルマの起源は1958年に発表された2000Berlinaに遡ります。戦後、それまでの少量生産の高級自動車メーカーから量産車メーカーに自らを変革したアルファ・ロメオでしたが、それまでの自分たちの顧客層を全く捨て去ったわけではありませんでした。もちろん
戦前とは異なり、イタリアの敗戦によって壊滅的な打撃を受けていたのは、庶民だけでなくこの富裕層もまた同じではあったのですが、彼らの望みは若干のトーンダウンをしたものの、基本的には全く変わりませんでした。 アルファ・ロメオは息を吹き返し始めた従来からの顧客層に対して、1958年に従来の1900シリーズより重厚なデザインの2000シリーズへとモデルチェンジをします。このデザインを見ると
アルファ・ロメオが戦後の新しい顧客と、従来からの顧客の双方にアピールしようと目論んでいたことが理解できます。 従って、Berlina(セダン)に加えてアルファ・ロメオの定番ラインアップとなる、Spider(オープン)ボディと、Sprint(クーペ)ボディの三車種が用意され、Spiderはカロッツエリア・ツーリング、Sprintはカロッツェリア・ベルトーネにそのデザインを任せることにより各々のモデルの独自性を引き出していました。
しかし、アルファ・ロメオはすぐにこのモデルが、
従来の顧客に対するアピール性に欠けることに気が付きます。 その理由は…エンジンが4気筒であったことです。
現代でも高級車はマルチシリンダーが定番となっています。4気筒より6気筒、さらに8気筒、12気筒と、経済性を考えると何のメリットもない多気筒エンジンは、その低振動やパワー故に高級車には好んで採用され、
むしろ多気筒エンジンこそが高級車のプレステージと言えるのです。 そのことに気付いたアルファ・ロメオは、すぐさま新たに排気量2584ccの直列6気筒エンジンを開発し、1962年には基本的なデザインはそのままに、この三車種に搭載しモデルチェンジしてしまいます。
2600Sprintはさらに3連キャブレターを装備し、その出力は145hpまで高められ、最高速度は200km/hにまで達したと言われていますので、戦前からの富裕層も納得する性能であったろうと思われます。この2600シリーズはその後1969年まで生産されるのですが、販売台数は少なく、恐らく採算は取れなかったでしょう。しかしそれはむしろ当たり前で、その理由は…、
こんなクルマを購入できる購買層が少なかったからに他なりません。 しかし、アルファ・ロメオにとっては、従来の顧客であった富裕層に対して、引き続き充分魅力のあるクルマを提供できるメーカーであることをアピールするために必要なモデルであったのではと思います。
付属するミニチュアモデルは1964年のモンツァにアダミッチのドライブで出場したモデルです。
殆どストックのままで出場した2600Sprintは、軽々とクラス優勝を勝ち取り、
戦前のレーシングカーをそのまま販売していたアルファ・ロメオの伝統が今だ健在であることを立証したのです。 クリック↓お願いします!
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このALFAROMEO Sport Collectionはアルファ・ロメオのレーシングモデルを毎回特集するというのがコンセプトだと思っていたのですが、今回はこれまでの路線と全く異なり、1600 Junior Zagatoのストラダーレが特集されていました。
まぁ、Junior Zは私も大好きなモデルなので、文句を言うつもりはないのですが…(苦笑) アルファ・ロメオとZagato社とはとても深い繋がりがあります。最も新しい例は、1989年に限定で発売されたアルファ・ロメオSZ/RZ(ES30)ですが、やはりZagatoと言って思い出すのは初代SZからTZ、そしてTZ2へと続くレーシングモデルではないでしょうか。
しかし、この流れと今回ご紹介するJunior Zとは同じZagatoでも大きく異なる背景を持っているのです。
Junior Zは1969年のトリノショーで発表されたのですが、
これまでのZagatoの少数生産を前提とした職人の手作業による旧態のカロッツェリア(工房)から、設備を近代化した量産工場から生み出されるモデルとしてデザインされていました。 これはZagato社の経営が、初代のウーゴ・ザガートから息子のジャンニ・ザガートに引き継がれたことによる変革だったのですが、ジャンニはこれからのカロッツェリアが生き残っていくためには、
単にボディをデザインし、ワンオフに近い手作りでクルマを作るのではなく、量産メーカーからすると少量の特殊なモデルの生産委託を全面的に引き受けることのできる能力が求められる と考えたのです。
かくして、新たに発表されたこのJunior ZはGiuliaのコンポーネンツを流用し、ボディデザインだけでなく内装までも全面的に変更されていたにもかかわらず、最初から量産性を考慮し、ショーモデルはアルミ製であったにもかかわらず、そのデザインはスティール製に変更されることを前提としたものでした。(量産モデルのボンネットとドアはアルミ製)
その先進的なデザインは随所にZagatoのセンスが光っています。同じGiulia系のシャーシでも、わざと短いホイールベース(2250mm)のSpiderを流用し、ホイールセンターに運転席を配置する重量バランスを考慮したレイアウトに、空力に優れクリーンで近代的なデザインのボディを被せたこのJunior Zは、今までのどのアルファ・ロメオとも異なる、
新しい時代のアルファ・ロメオを感じさせるものでした。 細部を見ると、さらに凝ったデザインが随所に見受けられます。まずフロントデザインは一体のアクリルでカバーされ、アルファ・ロメオのファミリーフェイスである盾も従来のメッキではなく、アクリルをくり抜くという手法で表現されています。そして伸びやかなボンネットラインの根元にはワイパーで空気の流れを乱されないように一部が盛り上げられ、ちょうど現代のコンシールド・ワイパーに繋がる先駆けとなったデザインです。
そして、2シーターであることを生かして充分なリアスペースを確保し、そのハッチバックのリアゲートは、電気モーターで少し開けて固定できるようになっており、社内の空気の流れを良くすると同時に、スポイラーとしても機能するように考えられたものでした。
このJunior Zデザインは後の自動車デザインに様々な影響を与えました。ホンダの初代CR-XはこのJunior Zのデザインから影響を受けたものであることは良く知られた事実です。 最初に1.3Lの排気量で発売されたJunior Zは1972年に排気量を1.6Lに拡大し、最終的には1969年から1975年の間に1300 Junior Zが1108台、1600 Junior Zが402台生産されたと言われていますので、
この種の派生モデルとしてはジャンニ・ザガートの目指したとおり、異例の大量生産だったと言えるでしょう。 付属するモデルは後期の1600 Junior Zのミニチュアモデルです。出来は「可もなし、不可もなし」と言ったところでしょうか。
一方でこちらはSpark製の1300 Junior Zです。エッチングで再現されたワイパーや独特のバンパーなど、ディテールに優れているだけでなく、当初の短いホイールベースのオリジナルであったこの1300 Junior Zのほうが、やはりミニチュアモデルとしても好感が持てると思います。まあ生産台数からすると1600モデルのほうが稀少ではあるのですが…。
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出張中に立ち寄った本屋で、今日がCAR MAGAZINE誌の発売日だったことを思い出しました。どれどれと買い求めて仕事を終えて、帰りの新幹線でナニゲにページをめくっていると、目に飛び込んできたのがALFA164、しかもQ4でした。
しばらく、愛車であるALFA164Q4に関しては書いていなかったのですが、それはひとえにナニゴトもなかったからです(苦笑)。
現在は日常のアシとして1996年式のアルファSpider2.0TSと、この1995年式のアルファ164Q4を交互に乗っているのですが、
Spiderに乗るとその軽さから来る身のこなしに、 「やっぱりクルマは軽いが一番!」 と思い、アルファ164Q4に乗り換えると、 「コレコレ…やっぱりアルファのV6はええなぁ」 と思ってしまうのは身勝手と思いつつ、甲乙つけ難い両車の魅力を楽しんでいます。 さて、今日発売のCAR MAGAZINE誌の「追憶車景」という連載コーナーに特集されたアルファ164Q4ですが、ついに、このコーナーに載るようになったかという感慨はともかく、森口将之氏の論評はさすがで、久しぶりに雑誌で取り上げていただいたアルファ164Q4の記事を堪能させていただきました。
是非、書店でお買い求めになることをオススメいたします(笑) その記事を読んで考えさせられたのは、自動車メーカーのアイデンティティというテーマです。アルファ・ロメオは現在はフィアット資本の傘下にあります。また近年、各国の自動車メーカーはダイナミックに資本再編が進んでいるのはご存知の通りです。しかし、クルマ好きにとって大切なことは、
そのメーカーがどこの資本であろうが、そのメーカーが作ってきた、また作りたいクルマが作れているのかの方が重要 だと思います。
個人のブログですので、好き勝手を言わせていただきますと、アルファ164Q4はアルファ・ロメオのエンジニアが純粋に当時の環境下で、
「作りたいクルマを勝手に作った」 最後のモデルではないかと思います。
そこにはマーケティングという「売ってナンボ」の価値観も、親会社のセグメンテーションという「ご都合主義」も介在しない、アルファ・ロメオというメーカーに連綿と培われてきた、「自分たちの求めるクルマ」をどう具現化するかという一点に集中したエンジニアリングの成果が顕れています。 私たちが、その自動車メーカーを独立したブランドとして認められるか否かは、この哲学にも通じる独自性を持っているかが最大の要因で、エンブレムや販売網ではないことが、日本でのLEXUSブランドの曖昧さを見ると良く分かると思います。
ロータリーエンジンを作り続けている限り、マツダは仮にその社名がなくなろうともマツダですし、ELISEのようなクルマを作り続けている限り、LOTUSはどこの資本下であろうとLOTUSであり続けるのだと思います。
そう考えると、
現在のアルファ・ロメオは作りたいクルマを作っているのでしょうか? アルファ・ロメオというブランドは、決してマーケットセグメントの中で語られるものではなく、アルファ・ロメオのファンを納得させるモデルを出しながらも、たまに良い意味で裏切り、賛否両論を巻き起こしながらも、年月が経った後に、
「あのモデルはアルファ・ロメオの新しい時代を切り拓いたモデルであった」 と賞賛され、歴史に残るクルマを私たちに残し続けたメーカーだと思います。
残念ながら、私にはアルファ159もブレラも新型Spiderもアルファ・ロメオが本当に世に出したいと思っているモデルには思えません。
8Cコンペティツィオーネにしても、アルファ・ロメオが単に自分たちが、「作りたいから作った」のではなく、どこかファンに媚びているのでは?と思ってしまうのです。
それは別にエンジンがどーのこーのとか、オリジナルデザインがどーのこーのといった瑣末な問題ではなく、
アルファ・ロメオが現在の環境の下で、精一杯自分たちの好きなことを出来ているのか? ということなのです。
アルファ・ロメオにはいつか私の度肝を抜くモデルを出して欲しいものだと思いますし、またきっと第二のSZ(ES30)やアルファ164Q4のようなモデルを出してくれることを信じています。
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なんで土日に出張してるのか…と悲しくなりますが、仕方ありません(泣)。
ですので、本日も秘蔵?写真企画でお許しください。
日本でもGiulia Sprintは根強い人気のアルファ・ロメオですが、それは日本だけではなくアメリカを始め、世界的にも同じ傾向にあり、
程度の良いGiulia Sprintが売りに出ることは少なくなってきているようです。 これは、以前に買わないかと紹介されたGiulia Sprint 1300Juniorです。ドイツのオーナーの下で外観をGTA Lookにコンバートされサーキットを走っていたものです。
写真では分かりにくいですが、実車のこのイエローはフェラーリのソリッドイエローとは異なり、もっと透明感のあるレモンイエローっぽい色でした。外観はとても綺麗で錆も当面の手当てがしてあり、とりあえずはこれ以上、錆の進行はないだろうというレベルでした。
しかし。ここからがセンスの違いなのでしょうが、ヘッドまでボディと同色に塗ってしまうというのは…ちょっと…と思ってしまいました。
とどめはコクピットで、このロールケージでは確かに乗り降りはし易いでしょうが、本来の目的にはどうなんでしょう。
また、インパネ周りのモディファイも個人的にはちょっと違うかな…と思い、結局見送ったのですが、個体として見たときにはとても程度の良いクルマでした。
自分で好きにモディファイするとコストがかかってしまいますし、他人のセンスだとそれはそれで気に入らない部分もありますし、Giulia Sprintを本気で買おうと思うと難しいことを実感しました。 でも、一度は持ってみたいのがアルファ・ロメオ好きの共通のキモチではないでしょうか。
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毎日頑張って更新していますが、自分の中でのクオリティを落とさずに(笑)更新し続けるのも結構タイヘンです。もちろん誰かに脅迫されているわけでも、イジめられてるわけでもなく、
単に好きでやってるわけなんですが…。 残念ながらこの週末は出張になってしまい、通常の更新ができそうにありませんので、秘蔵?の写真をご覧にいれるという企画でお許しください。
本日ご紹介するのは、1986年式のSr.3 Spiderです。実は個人的にはSr.3のスパイダーならこの仕様が一番良いかな…と思っている仕様です。
まずは、エンジンがキャブレター仕様であることです。WEBER、SOLEX、DELORTOの三種類のうちどれかが搭載されていたのですが、やはりWEBERが一番でしょう。
次の特徴はこの内装です。Sr.2と共通のメーターナセル(通称オッパイメーター)と中央の三連メーター、そしてシート形状が個人的には好きです。また、ディープコーンのオリジナルステアリングも好感が持てます。
Sr.1のDuettoと呼ばれるモデルはもはやヒストリックモデルとなってしまい、ちょい乗りするにはもったいないですし、じゃあSr.2は…というとそれも錆などが怖いのでやはり乗り倒す…というワケにも行きません。でも、
115系のSpiderはやっぱりキャブ! だと思いますので、このSr.3はそのお値段からも一番現実的なのかな…と思います。Sr.3後期のインジェクションモデルよりも前期、中期のキャブモデルを…、
もし見つけたら断然、買いでしょう!! クリック↓お願いします!
アルファ・ロメオの経営が最も苦しかった時代に発売されたのがアルファ75です。そのネーミングはアルファ・ロメオの設立75周年を記念して名付けられたのですが、
会社の内情はお祝いどころではなく、倒産の危機にあったのです。 しかし、そんな状況にあってもレース参加を止めないのがアルファ・ロメオで、ある種悲壮感さえ漂うそのレース活動の中にあって、最後の華々しい活躍をしたのが、本日ご紹介するアルファ75 Turbo Evoluzioneです。
1985年にそれまでのGiuliettaに替わるベルリーナとして発売されたアルファ75でしたが、その基本コンポーネンツはトランスミッションをリアに置くトランスアクスルに、リア・サスペンションをド・ディオンとする、それまでのAlfetta、Giuliettaと何も変わることのないモデルでした。
経営危機にあったアルファ・ロメオにはもはや新シャーシーを開発する資金力はなく、コスト高を承知で従来のシャーシーを使うしかなかったのです。搭載されたエンジンも新設計のものはなく、1.6L~2LのDOHCと2.5LのV6に2.0Lのターボディーゼルとそれまでのラインアップを踏襲したものでした。
すなわち、発売当時のアルファ75は
ボディデザインと内装を近代化しただけの「化粧直し」モデルだったのです。 それでもアルファ・ロメオはこのアルファ75をレースに出場させるべく、翌1986年に当時のレギュレーションに合致したターボ係数で割り返した1762ccという排気量を持つ、Turbo Evoluzioneを発売します。その名前が示すとおりレースに出場するためのホモロゲーションモデルとして発売されたこのTurbo Evoluzioneで、アルファ・ロメオは当時のツーリングカーレースに参戦するのですが、資金力に乏しいアルファ・ロメオは大した成果はあげられず苦難する日々が続くことになります。
しかし、起死回生のチャンスが訪れます。それは休止されていたジーロ・デ・イタリアが1989年に8年ぶりに開催されることになったのです。
このジーロ・デ・イタリアは公道レースにサーキットレースを加えたユニークなレースで、第1回は1965年に開催された比較的新しいレースです。
イタリアの各都市を回るミレ・ミリアのような公道ラリーに加えて、要所にサーキットレースを行い、その総合得点で優勝を争うという、「異種格闘技」のようなレース には、当時ラリーに出場できたグループ1~4までの車両に加えてスポーツプロトタイプのグループ5、6も出場できたため、本来ならばサーキットでしか走ることのないレーシングカーからラリーマシンまでもが総出で出場し、本気で競い合ったのです。
多くのチームは、1台のクルマのドライバーを公道レースはラリードライバーに、サーキットはレーシングドライバーに運転させるという混合体制を取り、このレースに臨んだのですが、アルファ・ロメオも同様にあのチェザーレ・フィオリオ監督の下にその人選を行いレースに臨むことになります。
そのドライバーは…
①リカルド・パトレーゼ/ミキ・ビアシオン/ティジアーノ・シビエーロ
②アレッサンドロ・ナニーニ/イブ・ルーベ/アンドリエ
③ニコラ・ラリーニ/ダリオ・チェラート/セッリ
という陣容で、このアルファ75 Turbo Evoluzione IMSAは、ライバルであった、BMW M3、ランチア037ラリーを退け、1、2、3位を独占するという完全優勝を成し遂げるのです。
永年レースの世界に生きてきたアルファ・ロメオが本気を出して勝ち取ったこの総合優勝を最後に、アルファ・ロメオはレースから撤退します。 そして1992年にアルファ155でレースに復帰するまで、アルファ・ロメオはワークスとしてレースに何も参加していないという初めての期間を過ごすことになるのです。
付属するミニチュアモデルは、そのジーロ・デ・イタリアにリカルド・パトレーゼらのドライバーにより出場したモデルです。このIMSA GTUクラス仕様のTurbo Evoluzioneはオーバーフェンダーと大きなリアスポイラーが格好良く、そのワークスのカラーリングと相まって、アルファ75のオーナーの憧れでした。このミニチュアモデルも特徴を良く捕らえており佳作だと思います。
上のモデルが世に出るまでは、このProgettoK製しかありませんでした。一部のデカールは自分で貼るようにと付属しているのですが、私はとりあえず貼らずに持っています。
昨日も書きましたが、このメーカーは出来はイマイチなのですが、バリエーションの豊富さには目を見張るものがあります。このアルファ75に関しても多くのバリエーションが発売されていますので、コレクションをする楽しみは…確かにあります(苦笑)
で、ついつい買ってしまうんですよね。
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アルファ・ロメオの数多いモデルの中で一番人気のあるモデルがGiulia系ではないでしょうか。
その三車種であるBerlina(セダン)、Spider(オープン)、Sprint(クーペ)の中でも特に人気があるのはこのSprintと呼ばれる、巨匠ジウジアーロがデザインした小さなクーペです。デザインの起源はその先代のGiulietta Sprintなのですが、さらにデリケートなラインで構成されたクーペボディは見かけによらず、後席の居住性もそこそこあり、
実用的なクーペとしていまだに根強い人気があるモデルです。 そしてこのGiulia Sprintをアルミボディで軽量化したGTAは早速サーキットでその実力を発揮し、1966年より4年連続でETC(ヨーロッパ・ツーリングカー・選手権)のクラス優勝を成し遂げます。
さらに1970年にはETCのレギュレーション変更により車両規則が緩和されたのを受けて、開発されたのが本日ご紹介する1750GTAmです。
1750GTAmはその名前からすると、少し混乱する仕様で製作されています。ボディはその名前の通り、Giulia Sprint 1750GTVをベースにしていますが、その材質はGTAと同様のアルミボディではなく、通常のスチールボディで出来ています。そしてエンジンはベース車両とは異なり、2L(1985cc)エンジンが搭載されているのです。しかし、エンジンのヘッドは狭角ヘッドにツインプラグで、GTAと同じとなっている一方で、従来のキャブレターではなくスピカ製のフューエルインジェクションを装備するという
GTA1600と1750GTVを足して二で割ったような仕様 です。
そして最大の特徴はその外観で、ロードグリップを増すために採用された幅広のタイヤを収めるため、FRPでできたオーバーフェンダーをその前後輪に被せてトレッドを増し、
従来のGiuliaの繊細な印象から獰猛な印象に変えています。 よくGTAmの名前の由来を、"GTA"に"m"を付けたものと理解している方がいますが、実はこのGTAmは決して"Alleggerita"(軽い)わけではなく、この"Am"はアメリカ仕様であったスピカ製の燃料噴射を備えることから"America"の略であったと言われています。
さて、その気になる性能ですが、車両重量は920kgとGTAよりも重く、そのエンジンはチューニングの程度により195hpから240hpであったと言われています。最高速度は220km/hだったとのことですので、確かにその重量にもかかわらず1600GTAより高性能となっていました。
そして、その開発を提案したと言われるトイネ・ヘイゼマンらのドライブにより1970年のETCでデビューしたこの1750GTAmは全9戦中6戦で優勝すると言う圧倒的な速さでシリーズチャンピオンを獲得します。
1750GTAmはアウトデルタにより40台前後が製作されたと言われていますが、実際は定かでなく、アウトデルタ以外で改造されたものも数多く存在しているとのことですので、
現在でもそのオリジナルを見分けるのは至難の業 だそうです。と言うか、このGTAmを前にすると、オリジナルであるかないかなんかは瑣末なことで、この外観を見ることができるだけでもありがたいものなんですが…。
付属するミニチュアモデルは1970年のモンツァにトイネ・ヘイゼマンのドライブで出場したものですが、
第1回でご紹介したGiulia Sprint GTAと同様に「決定版」と言っていいモデル だと思います。このGiulia Sprintはボデイラインがデリケートで、中々納得の行くモデルには出会えません。もちろんその出来、不出来は多分に主観によるものなのですが、このミニチュアモデルは更に難しいGTAmのフェンダーの膨らみがうまく再現されていると思います。
ちなみに、このオーバーフェンダーもモデルのようにリベットで留められたものと、パテでスムージングされたものの両方があったようです。
一方、こちらはProgettoK製のGTA1300Juniorで、1971年のポール・リカール出場車です。上のモデルと比べると、造形もディテールも少し悲しくなってしまいますが、このメーカーの最大の特徴はそのバリエーションで、それだけでもコレクションする価値があるメーカーです。つまり単品でじっくり鑑賞したりせず、とにかく集めて数で勝負!といった楽しみ方でしょうか…。それはそれで財布には困ったものです(苦笑)
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アルファ・ロメオは熱烈なファンが多いことで有名です。そして誰かが言っていましたが、
ファンとは 「保守的で、変革を嫌い、伝統を愛する」人たち なのだそうです。
1910年来の歴史を持つアルファ・ロメオはその熱烈なファンによって支えられて来たのですが、そのファンの中には、戦後の量産車メーカーに「成り下がった」アルファ・ロメオを認めない教条派と言われるグループがあります。次にはおそらく最大派閥であろう(笑)、独立資本としてのアルファ・ロメオしか認めない、すなわちアルファ75以前のアルファ・ロメオしか認めないグループが存在します。このグループはFR以外のアルファ・ロメオは認めないという過激分子も配下に置いているグループです。そしてさらに最近は、アルファ・ロメオ独自のエンジンしか認めないという、アルファ159以降のGM製エンジンを搭載したアルファ・ロメオを否定するグループが結成された…ようです。
本日ご紹介するのは、このいずれのグループの構成員も認める、戦前のアルファ・ロメオ8C2300 LeManです。
以前のブログにも書いたのですが、
当時のクルマはエンジン命!でした。 従ってネーミングもそれにちなんだものが多く、この8C2300は8気筒エンジンで排気量2300ccという意味です。そしてLeManとは、言わずと知れた現代まで続く最も伝統あるレースであるル・マン24時間レースを指します。
戦前のアルファ・ロメオは高級車メーカーでした。アパレルメーカーに例えるとさしずめ、オートクチュールとプレタポルテの違いでしょうか。オーナーの希望に応じて製作されるこの世に一台のクルマから、量産車と言ってもレーシングカーそのままのエンジンやシャーシーに、異なったボディを被せた少量生産のクルマなどを販売していたのです。もちろん購入したオーナーがそのままレースに出場する例や、そのオーナーがレーシングチームを結成し、有名なレーシングドライバーを雇って乗せるといった例も数多く見受けられました。
この8C2300はアルファ・ロメオの歴史の中で重要な鍵を握る二人の人物に関係しています。まずは設計者であるビットリオ・ヤーノです。彼は1923年にフィアットからアルファ・ロメオに移籍するとすぐにGPカーの設計を開始します。そしてP2と呼ばれるGPカーを完成させ、あっという間に当時のGPレースを席捲してしまいます。その後に6C1500(もうこの記号の意味は分かりますよね)シリーズを設計し、スポーツカーレースに投入するのですが、そのクルマを駆って優勝したのが、その二人目である、かのエンツィオ・フェラーリだったのです。
そして1929年にはアルファ・ロメオのワークス・ドライバーであったエンツィオ・フェラーリがスクーデリア・フェラーリと呼ばれる自らのレーシング・チームを設立し、アルファ・ロメオの準ワークス・チームとしてレースに参戦します。
このスクーデリア・フェラーリの活躍はめざましく、ビットリオ・ヤーノは1931年に新しく8気筒エンジンを搭載した8C2300を開発し、このフェラーリに託すことになったのです。
このエンジンは排気量2336ccで155hpを発揮し、最高速は200km/hであったと言われていますので、現代の目で見ても充分な性能と言えます。そしてスクーデリア・フェラーリはこの8C2300で、タルガ・フローリオ、イタリアGPなどに優勝し、そしてル・マン24時間レースにも優勝するという快挙を成し遂げたのです。何故これが快挙かと言うとすなわち、
タルガ・フローリオという公道レース、イタリアGPというサーキットレース、そしてル・マンという耐久レースの全てを制したということなのです。 レーシングカーの棲み分けが明確でなかった時代ではありますが、
現代では有り得ないオーバーオール・ウィンである と言えるでしょう。
付属するモデルは1931年のル・マン24時間レースの優勝車です。
戦前のアルファ・ロメオのミニチュアモデルは掟?により収集していませんので比較対象がないため、出来についてはナンとも言えませんが、このモデルを見ていると…
やはり手を出してはいけないなとつくづく思いました。
ハマりそうで怖いです。
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ナンとっ!ランキング4位に驚いて皆さんにお礼をさせていただいたら、あっという間に3位になっていました(苦笑)
本当にご声援いただきありがとうございます。 4位と3位の一番の違いはトップにブログの映像が載ることです。2位の愛さんと比べると、私のはナンとショボいレイアウトでしょうか…(泣)いつまで残れるか分かりませんが、まぁマイペースで相変わらずのネタで行きたいと思います。
さて、本日ご紹介するのは自分への掟?としてコレクションしないと誓ったアルファ・ロメオのF-1、Tipo179Cです。
実は、アルファ・ロメオはこのF-1に限って言えばあまり良い成績を残してはいません。それには様々な理由がありますが、最大の理由はその当時のアルファ・ロメオの経営環境にあります。もっと正直に言えば、
「F-1なんぞをやってる場合じゃない」 経営状態だったのです。しかし、もともとがレーシングカーを作ってレースで勝ってから、それを街乗りできるように仕立て直して売る、という商売で成り立っていたメーカーですので、いくら戦後に量産車メーカーとして生まれ変わったと言っても
流れている血がそう簡単に収まるわけはなく、結局ありとあらゆるレースに出場することになる のです。
しかし、まだ量産車をチューンしてレーシングカーに仕立て直して、レースをやってるうちは可愛かったのですが、F-1となると全く別のアプローチをしなければなりません。そして、最初は1975年にブラバムにTipo33 TT12用のフラット12エンジンを供給することで、アルファ・ロメオはこの禁断の世界に足を踏み入れてしまいます。
戦前のGPレースや、それを継承する形で戦後に再開されたGPレースと異なり、1970年代のF-1は全く様変わりしていました。ミッドシップエンジン、グランドエフェクト、ウィングなどの新しい設計思想が生まれ、
マシン全体の言わばシステム設計を行わなければ、勝てるF-1マシンは開発できない ようになっていました。仮に卓越した性能のエンジンがあったとしても、それだけではどうしようもないのが、近代のF-1だったのです。
そういった意味でアルファ・ロメオがブラバムへのエンジン供給からF-1復帰を始めたのは正解だったと言えます。
しかしその頼みのエンジンの信頼性が上がらず、ブラバムは1980年にあの有名なフォードコスワースDFVへとエンジンを変更してしまいます。
ブラバムがF-1コンストラクターである以上、勝てるエンジンを選ぶのは当然の判断ですし、エンジンコンストラクターとしてのアルファ・ロメオは、勝てるエンジンを開発して投入するか、さもなければ自らでシャーシーを開発し、全て自前でF-1に参戦するかのどちらかを決断しなければ、F-1を戦い続けることはできないのも自明です。
そして最大の問題は、その
F-1にはとてつもない経費を必要とすると同時に、勝てなければ企業のイメージダウンは避けられず、勝つためには高度な技術とマネジメント力を必要とするため、余程の覚悟がなければその決断をしてはならないのです。 アルファ・ロメオはブラバムにエンジンを供給する一方で、1977年には自らでシャーシー開発をすることを決定します。このヘンの判断が無謀だったと思うのですが、アルファ・ロメオにしてみれば、
「ゴードン・マーレィ(当時のブラバムの設計者)にあれこれ言われるくらいなら、自分でやってやる…」 との思いだったのでしょう。そして1979年にTipo177としてデビューします。そして同年、それまでのフラット12からV12エンジンへと変更したTipo179を実戦に投入します。
やっと誰にも文句を言われなくなったアルファ・ロメオは、その翌年にはなんとマルボロをメインスポンサーとして獲得することに成功し、ドライバーはパトリック・ドゥパイエを迎えることになりますが、そのドゥパイエをテスト中の事故で失ってしまいます。
そして1981年にTipo179Cが新たにマリオ・アンドレッティとブルーノ・ジャコメリのドライブにより参戦しますが、時代はターボ全盛に移行して行ってしまうのです。
全く懲りないアルファ・ロメオは、この後もターボエンジンを開発しF-1参戦を続けるのですが、これが更に経営環境を悪化させ、殆ど企業としては倒産状態に追いやったことは間違いありません。
まさに…
「遊んどらんと仕事せいっ!」 という状態だったのです。
アルファ・ロメオにとってNA12気筒最後のF-1がこのTipo179Cで、付属するミニチュアモデルはジャコメリがドライブしニュルブルクリンクGPに出場したものです。Marlboroのロゴが版権の関係で使用できないため、現代のF-1のようにバーコードになってしまっているのが泣かせます。
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さて、また引き続きALFAROMEO Sport Collectionのご紹介に戻りたいと思います。
今日ご紹介するのはモントリオールです。1967年にカナダのモントリオールで開催された万国博覧会にその元となったデザインスタディが出品され、それにちなんで名付けられたアルファ・ロメオの歴史の中でも珍しいネーミングのクルマです。生産型の発表はその3年後の1970年のジュネーブショーで、殆どスタディそのままのスタイルで発表されました。
このモントリオールはアルファ・ロメオのラインアップの中にあって単独車種のように思われていますが、実は
Giuliaのシャーシーを流用したモデル です。デザインはベルトーネのチーフスタイリストに新しく就任した、かのマルチェロ・ガンディーニですが、そのデザインベースは前任者のジウジアーロがデザインし、1964年に発表したデザインモデル"カングーロ"の影響が散見されますので、新規にデザインしたというよりもガンディーニによってブラッシュアップされたモデルと見るべきでしょう。
搭載されたエンジンはGiulia系の4気筒DOHCではなく、Tipo33のV8エンジンをデチューンしたものでした。以前に発売されたTipo33 Stradaleと異なり、このモデルにはTipo33/3と呼ばれた3Lバージョンのエンジンをベースに2.6Lまで排気量を落とし、出力も200hpまで下げられていました。それでも最高速度は220km/hと言われ、
当時のアルファ・ロメオの量産車(GTAなどの少量限定車は除く)の中でも最速 でしたので、アルファ・ロメオはこのモントリオールに
イメージリーダー的な役割も期待 していたのではと思います。
また、アルファ・ロメオはTipo33 Stradaleの失敗を繰り返さないように、レイアイウトは当時流行し始めていたミッドシップレイアウトを避け、コンベンショナルなフロントエンジンとし、シャーシも量産車のGiuliaのものを使用することにより製造コストを下げ、販売に結びつけようと努力もしていました。
事実、当時の販売上のライバルと考えられていたシトロエンSMより高価で、フェラーリ・ディノより安いといった価格設定でしたので、後年ランボルギーニ・ミウラを筆頭とする、当時の様々なスーパーカーと比較されることが多いこのモントリオールが、
実際は量産GT車として企画され、スーパーカーのマーケットを念頭に置いたものではなかった ことは明白です。
最終的な販売台数は1970年から1977年の間で約4000台であったと言われていますので、
量産車としては失敗だった と言わざるを得ません。しかし、いまだに名器と言われるアルファ・ロメオのV8エンジンを味わえるのは、現実的にはこのモントリオールだけなので、ヒストリックアルファの中でもこのモントリオールは別格で、
走っているのを見ることができるだけでも思わず拝んでしまうクルマです。 維持されている方によると、とにかくパーツがないクルマで主治医の知恵と努力がなければ、とても持っていられないということですので、コストさえかければパーツが手に入る
同年代のフェラーリを維持するよりも気合と根性?を必要とする ことだけは確かでしょう。
付属するモデルは、そのモントリオールが1973年のニュルブルクリンク1000kmレースに出場したものですが、実は私、このミニチュアモデルを見るまでモントリオールがレースに出ていたことを知りませんでした。
そしてビックリしたのは、このミニチュアモデルの出来の良さと、モントリオールのレーシングバージョンの格好良さです。
個人的には、もともとモントリオールのデザインは繊細過ぎて、少しインパクトに欠けると思っていたのですが、ボンネットのエアスクープを大きくし、オーバーフェンダーをつけたこのレーシングバージョンは、一気にモントリオールを獰猛にし、当時のアメリカのMOPAと呼ばれたストックカーのように見せています。
こちらは当時のMOPAの代表格である、私がこれまた大好きなダッジ・チャンレンジャーなんですが、上のモントリオールのレーシングバージョンと通じるものがあると思いませんか?写真は1972年式ですが、一番チャレンジャーらしいのは、奇しくもモントリオールの発表された年と同じ1970年式ですので、このイメージの一致は偶然ではないのかも知れません。そして、もし
モントリオールの市販車がこのレーシングバージョンのようなスタイルであったなら、北米で販売を伸ばしたかも…です。 クリック↓お願いします!
ナニゲに気にしてはいたのですが、今朝見てみると
ナンとっ!ランキング4位になっているではありませんか…!! 思えば昨年の11月にこちらに引越して来た当初は、過去のブログネタをとりあえず移して…とせっせと作業していたのですが、読み返してみると日本語がヘンだったり、記述に間違いがあったりでそれを修正したり加筆したりしてアップしているうちに、気がつけば新しい記事を加えて毎日更新という暴挙となってしまいました。
私のアルファ・ロメオとの出会いは、学生時代に後輩が乗っていたGiulia 2000GTVでした。
当時、このテの中古車は底値で、学生でも何とか買える値段ではあったのですが、周囲の仲間はセリカだRX7だスカGだとごくフツーの車好きばかりでした。ご多分にもれず、私自身もそのクチだったワケですが、その中にあってその後輩だけは足代わりにべスパに乗り、わざわざ下宿から遠く離れた屋根つきの駐車場に駐めたこのGiuliaを乗り回していました。
正直、そのときは一体全体ナニがそんなに良いのか分からず、錆で穴が開いて助手席のフロアから道路が見えるだの、天井に指を押し付けるとどんどん指が入っていくだのとからかっていたのですが、一度運転させてもらったときの衝撃は今でも鮮明に覚えています。
多少マフラーが破れていたせいもあるでしょうが、その豪快なエンジン音と、ただ回っているのではなくちゃんとトルクがついてくるエンジンの噴け上がり、そしてロールをしながらもしっとりとノーズからコーナーに入っていく足など、ソレ・タコ・デュアル(ソレックスキャブレター、タコ足、二本出しのマフラーの略)にコイル二巻半カットなどと喜んでいる自分達からすると全く別の世界がそこにはありました。
それ以来、私はアルファ・ロメオというクルマを、単なるロマンチックな名前でちょっと変人が乗るガイシャというカテゴリーから外して、
いつか自分が本当に手に入れたいクルマとして憧れる ようになりました。
当時関西にいた私は、彼に連れられてオーナーでもないのに、柳原メンテナンスやCafe Veloceに出入りするようになっていました。
しかしその夢もなかなか叶わず、やっと30歳になったときにアルファ75TSを買うことができたのですが、それ以来のアルファ・ロメオとの生活は、単に憧れていた時代以上に、
大きな存在となって自分自身を支え続けてくれた と思います。
今はなきCafe Veloceの前にて…、入り口のショーケースに飾られた垂涎のミニチュアモデルと、故人の大垣さんのコンビーフライスの味は今も忘れられません。 楽しかったことも悲しかったことも、どうしようかと悩んでいたことも、それらの
思い出はその時に乗っていたアルファ・ロメオと共に記憶に刻まれています。 そして、大切な友人であったり、素晴らしい人たちであったり、
何よりヒトと出会うキッカケを与えてくれたことが、私にとってかけがえの無い財産 で、それらの宝物のことを思うと、故障やトラブルなどのタイへンだった思い出は瑣末なことに思えます。
そして私のこの拙いブログを、このように多くの皆さんが楽しみに見ていただき、励ましのメールなどを頂けることもまた、アルファ・ロメオと出会った私の財産だなと思います。
見ていただいた皆さんには本当に感謝です。 もちろんその道の大家の方からすると、内容が薄かったり間違った記述もあると思います。頑張って毎日更新…というのもどこまで続くか分かりませんが、どうか引き続き応援をよろしくお願いします。
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Giulia TZの魅力はその美しいデザインだけではなく、その先進性にあったと思います。
1962年のトリノショーで発表されたGiulia TZは前身のGiulietta SZから進化したモデルではありましたが、
その中身は全く別物 と言っていいモデルでした。その最大の特徴はそのネーミングの"T"から分かるように"Tubolare"、つまりチューブラーフレームで構成されたボディを持っていたのです。
この鋼管スペースフレームは、レーシングカーに用いられる構造で、細い鋼管を組み合わせてシャーシーを構成しているので、
軽量でありながらボディ剛性を強くできるという利点 があります。では、なぜ市販車に用いられなかったかと言うと、量産が困難で、殆ど手作りでしか製作できなかったからに他なりません。すなわち、レーシングカーやGPカーのように、数台だけ手作りで作られるようなクルマにのみ採用される構造であったわけです。
ところがアルファ・ロメオはこのチューブラーフレームのクルマで当時のGPホモロゲーションを取得しようとします。それはすなわち、最低でも100台は作らなければならないことを意味したのです。
アルファ・ロメオはこのチューブラーフレームの製造を自らは行わず、Zagatoに製造を委託する(押し付ける?)という手段でこの100台という大量生産をクリアするのですが、現在でもこれは最多記録で、このチューブラーフレームを持つクルマが100台も量産されたことはないのです。
このチューブラーフレームに被せられたボディはZagatoがその前身であるGiulietta SZから派生したSZ2と呼ばれるデザインを進化させたもので、
そのデザイン上の最大の特徴はコーダ・トロンカと呼ばれるテールエンド です。
スカリエッティが1962年にデザインしたフェラーリ250GTOと共通する、このリアをスパッと切り落としたデザインは従来の丸いテールよりも空力効果に優れ、さらにこのGiulia TZではそのエッジ部分をリップスポイラーのように少し開かせることにより更に空力効果を高めることに成功しています。
事実、このGiulia TZは1.6Lのエンジンで最高出力は112hpにもかかわらず、660kgという軽量な車重とこのコーダ・トロンカにより最高速度は215km/hをマークしたと言われています。
「美しいデザイン」とは、「美しく」デザインされたものではなく、機能性を突き詰めたデザインが、結果として「美しい」 と言われています。
戦闘機のデザインが美しいのは、機能性を突き詰めたからであり、どんなに美しくデザインしても、敵機より性能が劣っており撃墜されてしまっては何の意味もないのです。
Giulia TZが美しいのもこれに通じるものがあると思います。そもそもレースに勝つために設計されたクルマですから、
そのデザインは美しさを追及した結果ではなく、速さを追求した結果 なのです。
ただ、現代のコンピュータシュミレーションとCADによりデザインされたレーシングカーと異なり、全て人間がデザインしているために、この時代のレーシングカーは一台一台が異なり、そこに其々のデザイナーのセンスが発揮されているのではと思います。
こうして誕生したGiulia TZはアルファ・ロメオのワークスチームとも言えるカルロ・キティ率いるアウトデルタにより、サーキットレースに、公道レースに、そしてラリーにと様々なレースに出場し、1.3L~1.6Lクラスで上位入賞をするようになります。付属するミニチュアモデルは1964年のル・マンをクラス2位でフィニッシュしたモデルです。
こちらはBest製のミニチュアモデルです。Giulia TZはこのBest製で殆どのレース出場車を揃えることができます。これは1964年のツール・ド・フランス出場車です。
そしてこちらは1964年のセブリング出場車です。この年代のアルファ・ロメオのレーシングカーをコレクションし始めると、それだけで膨大な量になってしまうため本当に危険です(苦笑)
そしてこれは相当珍しいと思うのですが、Verem製のダイキャストモデルです。恐らく昔のSolidoの金型ではないかと思うのですが、その造りはともかく造形は的確で個人的には気に入っています。実はカルトグラフ製の緻密なデカール(このカルトグラフのデカールについてもいつか機会があればご説明したいと思います)が付属しているのですが、ミニチュアモデルと全くバランスが取れないので貼らずに持っています。
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現代におけるアルファ・ロメオのレース活動はこのDTMでの成功無しには語れないと思います。
DTMは名前のとおりドイツ・ツーリングカー選手権というドイツの国内レースではありましたが、1日に2戦というスケジュールと、2レース目はリバースポジションと呼ばれる前レースのビリからグリッドを埋めるというスタート方法や、勝つたびにウェイトハンデが増すといった、
「いかに白熱した面白いレースをするか」 を重視したレギュレーションは、当時停滞気味のFIAの国際ツーリングカーレースの運営に影響を与えました。
そして最終的にはこの大人気のDTMレギュレーションを継承する形で、1995年よりDTMと並行する形でITC(国際ツーリングカー選手権)が開催されることになり、その翌年にはITCに統一され、アルファ・ロメオに加えてメルセデス・ベンツ、オペルといったDTM組がワークスとして参戦することになったのです。
しかし、そのFIAクラス1と呼ばれたカテゴリーは、DTM時代と同様で外観こそツーリングカーの形を保ってはいたものの、
その中身は全くと言っていいほど別物 で、そのDTM以来の開発コストは各エントラントを圧迫して行き、結果として1996年限りでアルファ・ロメオもオペルも撤退することになったため、ITCレースはその1996年11月に鈴鹿で開催されたレースを最後に中止されてしまいます。
FIAのこのツーリングカー選手権はその歴史の中でレギュレーションが二転三転してきました。それは
レースとしての面白さと、参戦するメーカーが販売に結びつける広告宣伝としての魅力、そしてマシンの開発コストという様々な要素がその時代によって変わった ことに起因します。
グループ7、スポーツプロトタイプ、シルエット・フォーミュラ、そしてグループCと様々なカテゴリーが出ては消えていったのはこのためです。
DTM時代からのこのカテゴリーは、市販車と同じ形をしたクルマがサイドバイサイドで白熱したレース展開をすることが最大の魅力で、だからこそ各メーカーはこぞって参戦したわけです。メルセデス・ベンツ、BMW、アウディ、オペルといったドイツ車勢に敢然と立ち向かうアルファ・ロメオはそれだけで格好良く、そのF-1にも匹敵したという開発コストを投入しても余りあるメリットを生み出したと言えます。一方で
レースとは参戦するチームが多いから盛り上がるワケで、リバースポジションにしようがウェイトを積もうが一人勝ちするチームが出てくれば他のチームがシラケるのも当然です。 そしてその一人勝ちしているアルファ・ロメオは4WD、ABS、TCRとハイテクデバイスのテンコ盛で、莫大な開発資金とアルファ・コルセという百戦錬磨のレーシングチームで参戦しているわけですから、他のチームも同様に資金を投入してマシン開発を行わなければ勝てるわけはなかったのです。こうなってくるとレースはスプリントでも財務的には耐久レース(苦笑)となってしまい、資金的な問題から脱落するチームが出てくるのも止むを得なかったと言えます。
そういった意味で、
このカテゴリーを中止に追いやったのはアルファ・ロメオが勝ちすぎたせい…(笑) と言えなくもないと思うのですが、それは言い過ぎでしょうね。
付属するモデルはそのITCの最後を飾る1996年にナニーニがドライブしたモデルです。この姿を最後にアルファ155はサーキットから姿を消し、新たに発売されたアルファ156にその役割を譲ることになりました。
しかし個人的には、
スマート過ぎるアルファ156のレーシングカーよりも、少し無骨なこのアルファ155のほうがサーキットでは格好いい と思っています。
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ALFAROMEO Sport Collectionを順にご紹介していますが、今日はちょっと一息入れさせてください。
1月のブログで「奇跡のデルタ」と題してランチア・デルタをご紹介しましたが、このデルタの功罪のうち「罪」の部分を
モデルチェンジするきっかけを失ってしまったこと と書きました。
事実その通りで、ランチアはこのデルタ以降、スポーツモデルはおろか、イプシロンの成功を除き、
全体の販売は低迷するなか今年で100周年を迎えることになりました。 個人的にはランチアは気になるメーカーではあります。日本人にとってアルファ・ロメオはある種分かりやすいイタリア車であり、フェラーリは言うに及ばず、あのマゼラーティでさえ、東京では一日に何度も見かけるクルマです。ところが、このランチアというメーカーは日本人にとっては、
「どこか捉えどころのない」 これといって決め手のないメーカーではないでしょうか?
確かにイタリアでは上質な乗用車を作るメーカーとして認知されており、政治家やビジネスマンが好んで乗るクルマです。
私が以前勤めていた外資系の会社では当時、幹部社員には会社が自動車を支給していたのですが、「支給する社用車はその国の国産車を使うこと」という規則がありました。もちろん自動車を生産している国の現地法人に限った規則ではありましたが、イタリアの現地会社では確かにランチア・テーマを支給していました。ちなみにドイツではメルセデス・ベンツのEクラス、イギリスではヴォクソール(オペルの兄弟会社)、そしてフランスではルノーを支給していたと記憶しています。
ハナシをランチアに戻しますと、
現在のランチアはそのアイデンティティを失ってしまっている のではないかと思うのです。
写真は、エンリコ・フミア氏によるランチアJの発表会で披露された「幻の」ランチア・デルタです。1992年に提案されたこのプレゼンテーションには、当時の「現行の」ランチア・デルタが描かれ、そのデルタのサイズを引き継ぐカタチで新しいデルタがデザインされていました。
もし、このデルタが世に出ていたならランチアの現状は現在と大きく異なっていたのではないか…と心から思います。
ランチアの成功作であった小さな高級車イプシロンと同一のイメージを繋げるデルタ、リブラとランチアの統一されたデザインテーマが、ランチアというブランドイメージを明確にしたであろうと悔やまれます。
一時、どん底まで堕ちたFIATは最近復調著しく、ようやくFIATらしい元気な小型車が発表されています。ランボルギーニを除く全てのブランドがFIATの資本傘下にあり、その棲み分けが難しいのは良く分かりますが、
一刻も早くランチアらしいモデルが登場することを願って止みません。 何故なら…、個人的には、アルファ164Q4の次はランチアに乗りたいなと密かに思っているからなんです。
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「車輪がついてるものなら手押し車でも競争を始める」 とはイギリス人のレース好きを形容する比喩らしいですが、アルファ・ロメオもおおよそレースには向かないであろう車種でもレースに引っ張り出されるようです。おそらく
アルファ・ロメオには、トラックやバンなどの商用車を除いてレースに出ていない車種はない のではと思います。
先日のブログでご紹介したGiulietta Sprint Veloceに続いて1955年に発表されたのがこのGiulietta Berlinaと呼ばれるセダンです。実用一点張りのボディデザインはアルファ・ロメオの社内デザインによるもので、Sprint(クーペ)がベルトーネのフランコ・スカリオーネ(昨日ご紹介したTipo33のデザイナー)のデザインで、Spider(オープン)がピニンファリーナのデザインであるのに比べて、
正直無骨としか言いようのないコンサバティブなデザイン のこのセダンは、それでも、このGiulietta系3車種の中で一番のセールスを記録したのですから、
世間の消費者はまだまだ現実には実用車を必要としていた のでしょう。
それでもこのセダンを見ると、私が子供の頃に見たヒルマン・ミンクスやボルボ・アマゾンを彷彿とさせますので、
どこか懐かしくホッとするデザイン であると思います。
しかし、そこはアルファ・ロメオですからやっぱり、ただのセダンではありません。エンジンルームにはアルミ合金製の4気筒ツインカムエンジンが搭載され53hpを発揮しました。さすがにシフトはコラム式でしたが、ちゃんと4段ミッションが与えられていたのです。
一方当時の日本車はと言えば、ツインカムエンジンなんて見たことも聞いたこともない状態で、ミッションも3段のコラムシフトが一般的だったのです。
このようにただでさえ、セダンとしては非凡な性能のこのBerlinaをさらにチューンしたのが、T.I.(Touring International)でSprintと同じ65hpのエンジンが搭載され、後期型では1.3Lの排気量ながら74hpまで高められ、最高速度は155km/hと記載されていますので、本当にその速度で走行できたのかどうかはともかく、
セダンはおろか当時のクルマ全体の中でも高性能であった ことは間違いないでしょう。
そして、アルファ・ロメオですから(笑)、当然このBerlinaもレースに引っ張り出されました。
付属するミニチュアモデルは1965年のSan Martinoラリーに出場したGiulietta T.I.です。
そして正直ビックリしたのですが、このミニチュアモデルは今までのこのシリーズの中で一番と言っていい程の出来なのです。全体の造形もさることながらディティールを含めて雰囲気の掴み方が絶品なミニチュアです。
今まで、このGiulietta Berlinaにはあまり興味はなかったのですが、このミニチュアモデルを眺めているとこのクルマがどんどん好きになって行くから不思議です。
今までは、実車が好きでそのミニチュアモデルを買っていたのですが、
今回、ミニチュアモデルの持つ力を改めて発見することができました。 クリック↓お願いします!
待ちに待った?アルファ33/2 Stradaleです。
アルファ・ロメオの歴史の中で最も美しいクルマ と言われており、私の友人にはこのクルマを前にして…、
「アルファ33 Stradaleがおかずだったらドンブリ飯3杯は食える…」 とワケの分からないことを言っていたヤツもいましたが、その場に居たならば何となく分かるから不思議です。
このTipo33の始まりは1965年で、アルファ・ロメオはツーリングカーレースに新しく設定されたグループ6と呼ばれるスポーツプロトタイプカテゴリーに参戦することを決定し、車両の開発を始めます。当初はTZ2に搭載された4気筒エンジンが搭載されていたのですが、もちろんこのエンジンではグループ6を戦うことができないのはアルファ・ロメオも良く分かっており、アウトデルタは1967年に新開発の2L、90度V8エンジンを開発し搭載することによりTipo33はサーキットで活躍を始めます。
そして、その後1969年には排気量を3Lにアップし、最終的にはTipo33は水平対向12気筒エンジンまで搭載するようになるのですが、その件は過去ログのTipo33 SC12 Turbo の項を参照いただくとして、この美しいStradaleに戻りたいと思います。
1967年にサーキットデビューを果たしたTipo33/2でしたが、同時にアルファ・ロメオのイメージリーダーとしてStradale(市販モデル)を発売することは営業的には必須であり、このフランコ・スカリオーネによってデザインされたStradaleモデルが発売されることになります。
今回は、
今までのようにStradaleとして発売されたモデルを「チューニング」してレーシングカーにするのではなく、反対にレーシングカーとして開発されたモデルを「デチューニング」して耐久性や居住性を確保したところに、このTipo33 Stradaleの特徴があると思います。 エンジンの耐久性の確保のため、本来265hp/9200rpmであった出力は230hp/8800rpmまで低くされ、居住性の確保のためホイールベースは100mm延長されました。キャビンにはヒーターや、豪華とは言えないまでも何とか座り続けることができるレザー貼りのバケットシートと、金属むき出しではなくパッドで覆われた内装を用意し販売されたのですが、最終的には販売台数は3年間で18台だったと言われています。結果はともかく、
アルファ・ロメオは真剣にこのStradaleを販売しており、当時のカタログにもちゃんと記載されていたそうです。 私自身このTipo33/2 Stradaleは大好きなモデルです。2001年に日本で開催されたMuseo Alfaromeoにやってきた実車と、残念ながら今は閉館されていますが、山中湖のギャラリーアバルト美術館に展示されていた実車を見たことがありますが、見れば見るほど美しいモデルで、ギャラリーアバルトでは半日近くこのTipo33の前で過ごしたことを憶えています。
さて、付属するミニチュアモデルは、そのStradaleの中でもコンペティションユースとしてデリバリーされたもののうちの1台です。Tipo33/2はアウトデルタによりワークスとしてしかレースに出場していませんでしたから、レース出場を希望するプライベーター向けに内張りを簡素にし、フロントガラス以外をアクリルとした軽量版のStradaleを製作していました。
モデルは1968年のボローニャ~ラティコーサ公道レースに出場したStaradaleです。
そしてこちらは、決定版とも言えるMinichamps製のものです。豪華な箱に入って、パンフレットが付属し、限定販売されたもので、最大の見せ場は1/43にもかかわらず、エンジンルームが再現されており、可動式のリアカウルを開けるとパイピングまで再現されたV8エンジンを見ることができることです。
ちなみにTipo33/2のコンペティションモデルはこんなスタイルでした。このミニチュアモデルはBest製で1968年のデイトナ出場車です。
アルファ・ロメオはコンペティションモデルのほうが美しいというのが定例なのですが、このTipo33に限って言えば、
Stradaleの方が遥かに美しい と思うのですがいかがでしょうか?
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アルファ・ロメオはツーリングカーレースが本当に良く似合います。街で見かけるアルファ・ロメオと、また自分がドライブするアルファ・ロメオと同じ格好のアルファ・ロメオが少し勇ましく化粧を変えてサーキットを暴れまわる姿は、本当に格好良く、自然と応援したくなってくるものです。
アルファ・ロメオの歴史の中で最大のヒットとなったのがアルファ156です。このクルマで
アルファ・ロメオはようやく世界の自動車メーカーと肩を並べることができた と言えます。
1997年のフランクフルトショーでアルファ155の後継モデルとして発表されたアルファ156は、それまで不評だったフィアットTipoとのシャーシー共用によりデザイン上の制約を余儀なくされたアルファ155と完全に決別し、アルファ・ロメオ独自のデザインによるスタイリッシュな外見を持つ、本来のアルファ・ロメオらしいクルマでした。1998年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得したそのデザインは日本でも好評を持って迎え入れられ、販売は好調にスタートします。そして、
このアルファ156の世界的な成功によって、アルファ・ロメオの経営状態は劇的に回復するのです。 日本でもアルファ・ロメオが一部の特殊なマニアのクルマから脱皮し、他のライバル車と比較して買うクルマになったのがこのアルファ156でした。事実それ以前は、アルファ・ロメオのディーラーに来る顧客は、他社のクルマと比較して買うのではなく、「指名買い」だったらしいのですが、このアルファ156が発売されて以来、BMWやプジョー、そして国産車と比較しなかがら商談に来る割合が格段に増えたそうです。
そしてそれらとの比較検討の中で勝ち残り、セールスを伸ばしたということは、
アルファ・ロメオが品質や信頼性の面でも「アルファ・ロメオですから…」という言い訳なしで充分競争力を持ったことの証 ではないかと思います。
そして、当然のようにこのアルファ156もツーリングカーレースに参戦します。アルファ155のDTMでの活躍の記憶も冷めやらぬ、1999年のイタリア国内Superturismoレースに参戦したアルファ156はその熟成が進み、その後の2004年にスーパー2000と呼ばれる排気量2L、4気筒エンジン搭載車で改造を厳しく制限された市販車で争われるETCC(ヨーロッパ・ツーリングカー選手権)をアルファ156GTAがタルキーニのドライブで制します。
このアルファ156GTAは市販のGTAとは異なり、スーパー2000の規定により4気筒の2Lエンジンが搭載されています。出力は260hpまでチューンされ、それまでのアルファ156とは異なりオーバーフェンダーでトレッドを広くしているのが特徴です。2003年の発表当初は前期型のフロントマスクで発表され、あのミハエル・シューマッハーがそのプレゼンテーションを担当したのは有名でした。その後、アルファ156のマイナーチェンジに伴い、フロントマスクは後期型に変更されています。
付属するミニチュアモデルは2004年のETCCのチャンピオンカーです。もちろんフロントマスクは後期型となっており、またボディサイド下部が黒いグラデーションで塗装されているのが特徴です。
一方こちらが2003年に発表されたアルファ156GTAでフロントマスクは前期型です。このミニチュアモデルはSpark製で、ミハエル・シューマッハーのプレゼンテーションモデルを再現しています。
この辺りのツーリングカーレース出場車のミニチュアモデルは、造形がどーのこーの言うよりカラーリングやスポンサーステッカーで随分雰囲気が変わりますから、純粋にコレクションを楽しめます。
こちらは1999年のSuperturisomoにジョバナルディのドライブにより出場したモデルです。このJADI製のモデルはお値段が安い割りに良くできていると思います。
一方、こちらはSTW(ドイツ・スーパーツーリングカー選手権)出場車でモデナがドライブしたクルマです。定評あるMinichamps製なのですが、上のJADI製に比べると少し車高が低すぎるような気がします。
最後はアルファ156の市販モデルでSolido製のものです。このSolido製のモデルは少し造形がダルなところがあるのですが、そこがかえって昔のミニチュアモデルらしく見ていて懐かしくなります。
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本来ならば"7"をご紹介するのですが、"7"はどうしても手に入りませんでした。
コレクターの悲しい性として、これは耐え難いものがあります(笑) ので、何とかそのうちに手に入れたいと思っていますが、"6"に予告編として写真が掲載されていましたので、それをご紹介して、いよいよ待ちに待った?Giulia TZ2をご紹介したいと思います。
1960年代のクルマのデザインを好きな方の中で、このGiulia TZ2を嫌いな方はいないのではないかと思います。 フェラーリ250GTO、シェルビー・コブラ・デイトナなどと並ぶ、当時のロングノーズ、ショートデッキのファストバックスタイルの究極と言っていいスタイリングを持ちながら、それらより一回り小さく可愛さを併せ持つのが、このGiulia TZ2なのです。
この美しいコンペティツィオーネ(レーシングカー)のストーリーは1962年のトリノショーで発表されたGiulia TZ(1)に始まります。本来のGiuliaのモノコックボディに替えて鋼管スペースシャーシーにアルミ製のボディを被せたのがこのTZ1で、そのボディデザインは当時の最先端の空力理論であったコーダトロンカと呼ばれるリアを直線的に切り落としたデザインが採用されていました。
デザインは"Z"の名前が示すとおりZagatoによるもので、搭載されたエンジンは1.6LのDOHCで最高出力は2基のウェーバー45DCOEにより112hpを発揮しました。その軽量ボディと空力のおかげで最高速は215km/hと素晴らしいもので、早速カルロ・キティが率いるワークスチームであるアウトデルタからグループ4カテゴリーの様々なレースに出場することになります。
そして、その3年後にこのTZ1を更に発展させたTZ2がデビューします。鋼管スペースフレームはそのままに、アルミ製ボディを更に軽量化のためにFRP製に変更し、エンジンをさらにパワーアップし165hpまで高めたTZ2は最高速度245km/hを達成しました。
しかし、このTZ2の最大の魅力はその性能ではなく、ボディデザインにあると思います。 全高はわずかに1060mmであるにもかかわらず車幅は1540mmと広く、地を這うようなスタイルにもかかわらず、その姿は造形として美しく、今でも見るものを感動させ続けています。
最大の問題はこのTZ2の製造台数で、TZ1が112台と言われていることに対して12台が生産されたに留まります。当然、世界で現存するTZ2はそれ以下ですので、
所有することはおろか実際に見ることも難しいことだけは確かです。 私はまだ行ったことはないのですが、
高知の自動車博物館 にその貴重な1台が展示されているとのことですので、機会があれば是非この目で見てみたいものです。
さて、付属するミニチュアモデルですが、1966年のニュルブルクリンク1000kmレースに出場し、クラス優勝したモデルです。何せコンペティツィオーネですので、出場したレース毎に細部が異なっていたり、それ以上に個体差が相当あったと思われるTZ2ですので、Best製の1967年のモンツァに出場したTZ2のモデルと比較して見ても、細部が異なっていることが分かります。
個人的な主観ですが、比べて見ると今回のモデルのほうが少し「のっぺり」し過ぎているように感じます。またテールのリップの上がり具合がBest製のモデルの方が「らしい」と思うのですが、いかがでしょうか?
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Giuliettaというロマンチックな車名はもちろんシェークスピアの戯曲
「ロミオとジュリエット」 から採られたものですが、このGiuliettaはその名前ににピッタリなとてもチャーミングなクルマです。
特にSprintと呼ばるクーペボディがこの名前に最もマッチしているのではないかと思います。 戦前のアルファ・ロメオは高級自動車メーカーでした。さしずめロールス・ロイスやアストン・マーチンといったメーカーと同列の、むしろそれ以上のプレステージのあるメーカーだったと言えます。もちろん自動車そのものがプレステージのある商品であり、それを買うことの出来る富裕層が限られていたこともありますが、アルファ・ロメオはミレミリアやル・マンなどのレースに出場したレーシングカーにセダンボディを架装したり、注文に応じて専用のボディをデザインして製作したりと、
大量生産とは無縁の製造方法で製造 していました。
かのヘンリー・フォードに
「アルファ・ロメオが通り過ぎるとき、私は帽子を取って敬意を表する」 と言わしめたほど、アルファ・ロメオはその性能、デザインともに憧れのクルマであったのです。
ところが戦後になって、今までのアルファ・ロメオの顧客であった富裕層はクルマどころではなくなってしまい、また大衆に購買力が備わってきたこともあり、量産車メーカーとして転進を余儀なくされます。
「性能の良い小型車を安く大量に生産する」 という量産車メーカーになるための変化は並大抵のものではなかったでしょう。
1950年になってようやく新型の1900シリーズが発売され、アルファ・ロメオは量産車メーカーとして新しいスタートを切りました。もちろんそのネームバリューは充分で、以前から憧れをもってアルファ・ロメオを道端から眺めていた庶民は、初めて自分たちがアルファ・ロメオのオーナーになることができる幸せを享受することになります。
従ってそれが量産車であってもアルファ・ロメオである以上、高性能であることとスタイリッシュであることは必須の条件であったのでしょう。アルファ・ロメオはこの初めての量産車にも新開発の4気筒DOHCエンジンを搭載し、今までのレースで開発された様々な技術を投入し、好評を持って市場から迎え入れられることになります。
そして、その4年後の1954年にこのGiuliettaが発表されます。最終的にはセダン、クーペ、そしてSpider(オープン)の三タイプが発売されるのですが、その先陣を切って発売されたのが、このBertoneのフランコ・スカリオーネによりデザインされたSprintと呼ばれる美しいクーペでした。(後期型はジウジアーロが一部リデザイン)
本来ならば最大のセールスが見込めるセダンを真っ先に発売するのがスジですし、
当時の日本ではセダンはほとんどがタクシー需要で、クーペはおろかオープンなどという、「ヒトは乗れないモノも運べないクルマ」なぞとても買う余裕はなかったのです。 まだまだ戦後の貧しさの中で、例えそれがイタリアであったとしても、アルファ・ロメオのクーペに乗るということは、どれほどスゴいことであったのかと想像できます。
排気量は1300ccながらエンジンはもちろんDOHCで、その最高速度は高性能版のVeloceで190km/hと、当時のライバル車を大きく凌駕するその性能は、当然更にチューニングすることによりさらに高められ、様々なレースに出場することになります。
付属するミニチュアモデルは、有名なモンテカルロ・ラリーに1962年に出場しクラス優勝したモデルです。
ミニチュアモデルの造型にはデフォルメが必要だと以前に書きましたが、加えて必要なのがアクセントだと思います。
そのクルマの最大のデザイン上のポイントを、いかにうまく捉えて表現することができるかで、そのミニチュアモデルの印象は全然異なってしまう から不思議です。
そして、このGiulietta Sprintの最大のポイントはリアのテールランプに至るラインだと思います。当時のアメリカ車に影響を受けたと思われるテールフィンの表現は、テールランプにつながる形で決まります。
下のBang製のモデルと比べて見ると、今回のミニチュアモデルは実物に忠実ではあるのでしょうが、そのためにインパクトがなくなってしまい、折角のテールの形状の可愛さを殺いでしまっているように思います。
このモデルはここにコダワって欲しかったと思うポイントです。 う~ん。惜しいっ!
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今度はイッキに50年も遡ってしまいました。何せアルファ・ロメオは1910年設立のメーカーですからその位の年数のギャップは当たり前かもしれません。
アルファ・ロメオの戦後のGPシーン最後を飾るのがこのTipo159でした。
第二次大戦後に再開されたGPレースにアルファ・ロメオは戦前に開発していたTipo158で復帰します。このTipo158は当時のGPの規定であった1.5Lエンジンを搭載していたため、Alfetta(小さなアルファ)と名付けられたのですが、このTipo158の開発を担当したのはそれまでの主任設計者であったビットリオ・ヤーノに替わってその地位に就いたヨアッキーノ・コロンボでした。彼はスーパーチャージャー付きの1.5L直列8気筒DOHCエンジンを開発し、このTipo158に搭載したのですが、残念ながら1938年のモンツァで1-2フィニッシュを飾ったのを最後に、戦争のためGPレースは中止されてしまうのです。
戦後に再開されたGPレースに、戦前のTipo158で復帰したアルファ・ロメオでしたが、その戦闘力は全く衰えておらず、1946年のジュネーブGPで1-2-3位を独占するという快挙を成し遂げます。
日本と同じ敗戦国で、国土は空襲と地上戦で大きな打撃を受けたイタリアと、将来への不安でいっぱいだったイタリア人にとって、このGPレースでの圧倒的勝利はどれだけ勇気と自信を与えたかは想像に難くありません。アルファ・ロメオがその厳しい経営環境の際にもイタリア人に愛され続けた理由は、この一番厳しかった時代にイタリア人に希望を与えてくれたからなのでしょう。 そして、1951年にその改良版であるTipo159がGPレースに参戦します。そしてそれをドライブしたのがファン・マニュエル・ファンジオでした。
アルゼンチン出身のファンジオはF-1において通算51戦に出場し、優勝24回、そして5回のワールドチャンピオンタイトル獲得という、伝説の名ドライバーです。この5回のタイトル獲得という記録は2003年にミハエル・シューマッハーに破られるまで46年の間、世界最多記録であり続けたのです。
1950年にアルファ・ロメオからTipo158でGPに出場したファンジオは、その年はチームメイトであったニーノ・ファリーナにチャンピオンの座を渡しましたが、翌年のこのTipo159では圧倒的な強さを発揮し、初のワールドチャンピオンタイトルを獲得します。
ところが、アルファ・ロメオは量産車メーカーに転進するという経営方針の変更から、この年限りでGPレースから撤退してしまいます。
それ以降、彼はメルセデス、フェラーリ、マゼラーティと各チームを渡り歩くことになるのですが、彼に初のタイトルをもたらしたアルファ・ロメオとこのTipo159は彼自身にとっても忘れられないクルマであったと思います。
私自身はミニチュアカーのコレクションにあたってGPカーには手を出さないと誓っていましたので、このTipo159が私のコレクションの中で初めてのGPカーです。従って、比較対照ができないため、造形がどーこうは言えないのですが、ただこのミニチュアモデルを見ていて感じることは…、
このコクピットから半身を乗り出し、鍋と大差ないヘルメットを被り、ノーメックスなどの不燃繊維でない単なる布のレーシングスーツを着て、カーボンコンポジットでもなければ安全タンクもないこのGPカーを、最高速300kmでサーキットを走らせたドライバーと、現代のF-1パイロットを単に勝利回数なんぞで比較してはいけないな…ということなのです。 クリック↓お願いします!
今までのラインアップを見ていると、どうやらレースヒストリーのあるクルマを特集してモデル化して行くのだろうと思っていたのですが、次に届いたのはアルファ147GTA CUPという現代のアルファ・ロメオでした。
このアルファ147はアルファ・ロメオのボトムレンジを担うべく、2000年のパリサロンで発表されたアルファ145の後継モデルです。
ボトムレンジと書きましたが、それはボディサイズと搭載するエンジンの排気量が一番小さいという意味で、クルマとしての出来や面白さは何ら変わることはありません。むしろこのアルファ147は
当時のアルファ・ロメオの全モデルの中で一番しっかりしたボディ剛性を持っており、内装の材質や組み付けも一番上質なモデルだったのです。 というか、その位気合を入れて作らなければ、VWゴルフを筆頭とするライバルがひしめきあうヨーロッパのBセグメント(小型車)マーケットではとてもセールスを維持することができないほど、昔とはマーケットの様相が様変わりしているのです。
そして本来は、4気筒1.6Lが搭載されたエンジンルームに、先に発売された156GTA譲りのV6 3.2Lエンジンを搭載した147GTAは、出力250hpを発揮するホットハッチとなりました。本来のGTAの"A"とはAlleggerita(軽量化)という意味なのですが、現代のGTAはその車重が1390kgで、
決して軽くなっているわけではなく、むしろエンジンのパワーアップにより性能アップを図ったモデルだと言えます。 この上級車のエンジンを搭載し、パワーアップを図るという方法は古くからあるのですが、そのためにはシャーシー剛性のマージンがなければならず、本来のベース車両の基本性能が良くなければ成り立たない方法です。代表的な例としてMBの500EやBMWのアルピナなどがありますが、日本でも古くはプリンス・スカイラインのS54Bなど歴代の名車と呼ばれるハイパフォーマンスモデルには良く見られる手法です。
さて、このアルファ147GTA CUPですが、そのGTAをベースにワンメイクレース用の車両として開発されたものです。しかし最大の変更はエンジンをV6に替えて4気筒DOHCエンジンとしたことで、恐らく重量配分と整備コストを考えてのことだったのでしょう。結果、出力は220hpと市販のGTAより低いのですが、一方で車重は軽量化により1000kgと軽いため、性能的には互角以上だそうです。
以前も同様な手法でアルファGTVでCUPカーが製作されたのですが、アマチュアレーサーの登竜門としてこのCUPレースはとても人気があり、ビデオで見たことがあるのですが、
車両がイコールコンディションであることからバトルの連続で、見ている分には(笑)とても楽しめたものです。 本来ならば、この車両はCUPレースに使用されるのですが、数台が日本にも輸入され、アルファ・チャレンジなどに出走していますので日本で実物を見る機会もあります。
以前のブログでご紹介した、私がプロデュースのお手伝いをした
アルファロメオ マフラーミュージック コレクション の取材の際に、このアルファ147GTA CUPカーのサーキットでの走行シーンをオンボードカメラで撮影させていただきましたが、さすがにメーカーが製作したレーシングカーだけあって細部の作りもしっかりしていました。
付属するミニチュアカーはそのCUPカーのプレゼンテーション時のもので、実際にレースに参戦しているクルマは様々なカラーリングが施されています。
実は今回、撮影のためにブリスターパックを初めて開けたのですが、ナンと!リアスポイラーが付いていないではありませんか!取り付け穴はちゃんと開いていますので付け忘れたとしか思えません。厳重な(笑)イタリア自動車雑貨店の皆さんの検品の目も潜り抜けたのでしょう。これでは「ワケあって安い」コーナー行きの品物です(苦笑)。
やはりミニチュアカーはちゃんと自分で検品しなければ、時たまこういう目に逢ってしまいます。 気を取り直して、Minichamps製のアルファ147TSと比べるとこのアルファ147GTA Cupはオーバーフェンダーなどで随分勇ましい格好になっていることが良く分かります。また、同じ1/43スケールの昔のアルファ・ロメオのモデルと並べて見ても、もはやとてもボトムレンジなどとは呼べない大きさです。こんなところからもクルマが衝突安全対策や居住性の確保などの理由から、年々大きくなってきたことが実感できます。
別名
「醜いジュリア」 と呼ばれるGiulia T.I.(Touring International)を私は決して醜いとは思わないのですが、その
「ハコ」がサーキットで暴れまわっている姿は一種痛快 ではあります。
1962年に発表されたGiulia T.I.は1.6LのDOHCエンジンと4輪ディスクブレーキを持つ(初期の生産モデルのみドラムブレーキ)当時としては先進的な機構を持つモデルでした。それは当時の国産車と比べて見ても歴然としています。
当時の国産車といえば、未だにルノーやヒルマンのノックダウンによる生産車を含めて、リーフリジッドサス、ドラムブレーキ、OHVエンジン、そしてコラムシフトであったのですから、このGiulia T.I.のスペックは、
現代の基準で言えばさしずめスーパーカーのスペックを持つセダン と言って良かったのではないでしょうか。
アルファ・ロメオが、市販車としてはノーマルでもすでに充分以上の性能を持つこの Giulia T.I.をツーリングカーレースに出場させるべく、さらにチューニングを施したのがこのGiulia T.I. Superです。
1963年に登場したGiulia T.I. Superは、ノーマルから100kg近く軽量化され、エンジンはツインキャブ化され20hpアップの112hpとなり、翌1964年に無事にグループ2のホモロゲーションを取得します。
当時のツーリングカーレースではGiulia T.I.のような「ハコ」車は珍しくなく、最大のライバルであったロータス・コルチナを始め、オースチン・ミニ、ヒルマン・インプ、ジャガー・Mk2、そしてBMWやサーブなど、当時のサーキットシーンを見ると様々な「ハコ」が目一杯走り回っています。そしてその
サーキットでの活躍がダイレクトに新車販売に結びついた「古き良き時代」 であったため、各メーカーはこぞってセダンのハイパフォーマンスモデルを開発し、サーキットへ送り込んだのです。この傾向は日本でも同じで、スカイラインやコロナ、ブルーバードなどの日本グランプリでの活躍は皆さんもご存知の通りです。
Giulia T.I. Superの総生産台数は500台と言われていますので、Giulia Sprint GTAとほぼ同じ台数が作られたことになります。しかし、現存する台数はGTAに比べると遥かに少なく、
その「通好み」の外観と見かけによらない元気な走行シーンをサーキットで見かけると、それだけで嬉しくなってしまう のは私だけでしょうか。
付属しているミニチュアカーは、1964年のSvezia-Rallyをクラス2位でフィニッシュしたモデルです。造形は少しデフォルメが過ぎて、全体的に角張り過ぎているように思えますが、もともとがアクの強いデザインですからこれも「味」かも知れません。ただこのアイボリーホワイトにトリコロールのストライプはGiulia T.I.にピッタリで、その後、Giulia T.I.をレース仕様に改造されたクルマにも多く見られるカラーリングです。写真は、私に「買わないか」と持ちかけられたGiulia T.I.のラリー仕様ですが、やはりこのカラーリングを身に纏っていました。
そして私は…危うく買うところでした(苦笑)
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創刊号に付いていたGiulia Sprint GTAのモデルが意外に?良い出来だったので、第2号は…と期待していたところ、届いたのは33SC12 Turboというこれまたシブいモデルでした。
この33に関してご説明すると相当長くなってしまいますので、いずれ機会があれば詳しくご紹介したいと思いますが、33が開発された目的の、スポーツプロトタイプ選手権のグループ6というカテゴリーこそ、ポルシェ、フェラーリを始めとするスポーツカーメーカーがしのぎを削る、ある種
「真の世界最速」を決める戦い だったと言えます。
1967年に2LのV8エンジンを搭載して33/2として実戦に投入されて以来、この33シリーズはライバル達の排気量アップに苦汁を舐めながらも進化を続け、1973年にはチューブラーフレームのシャーシーに水平対向12気筒エンジンを搭載して33TT12に進化します。そしてやっとのことで1975年、念願のメイクス・タイトルを獲得したのですが、レギュレーションの変更により一旦はこのレースから撤退することになります。
しかし、アルファ・ロメオは1977年にこのTT12を改良し33SC12として再度このクラスでのレースに復帰するのです。もちろんこのカテゴリーで勝ったとしても、メイクス・タイトルを得ることができないのは承知の上でしたが、
それでもアルファ・ロメオはサーキットから去ることよりも戦い続けることを望んだからではないでしょうか。 この年、クラス優勝を成し遂げた33SC12は、この年限りでサーキットを去り、それ以降アルファ・ロメオはF-1でより厳しい戦いのほうにシフトして行くことになるのです。
すなわち、
この33SC12こそアルファ・ロメオの歴史の中でのスポーツプロトタイプの最後の姿 と言えるのです。
そして、この33使いとして最も有名なドライバーが、私も大好きな、Arturo Merzarioです。
1970年代のレーシングドライバーの中でも、最も個性的な一人と言って良いのが彼でしょう。マルボロの個人スポンサードを受け、ヘルメットを被っていないときにはいつもテンガロンハットを被って、サーキットを歩く姿は名物となっていました。彼は今でもサーキットイベントで当時と同じテンガロンハット姿で登場して皆を楽しませてくれています。
さて、この33SC12のミニチュアモデルですが、そのMerzarioのドライブによりSalisburgo 300kmレースに出場したものです。モデルの出来としては、最も有名なBrumm製のものと比べてもほぼ同等と言えるのですが、そのBrumm製に比べるとスマートに見えます。
2001年に日本で開催されたMuseo AlfaRomeoで展示された33TT12を間近で見たのですが、その記憶からはBrumm製のモデルのほうが、「らしい」と思うのですがいかがでしょうか?
こちらがBrumm製の33SC12です。デカールなどの貼りこみに雑なところもありますが、挽きモノの金属ホイールが美しいモデルです。
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ALFAROMEO Sport Collectionの創刊第一号は、当たり前と言えばその通りの、Giulia Sprint GTAです。
ブックレットは12ページから成り、約半分が特集されたモデルについての記事で、後半はアルファ・ロメオの歴史についての解説が記されています。さらにオマケでバインダーで綴じられるように穴が開けられた厚めの紙に印刷されたリーフレットが挟まれており、歴代のアルファ・ロメオが発表された順番に紹介されています。創刊号に付いているものは1910年の24HP Torpedoから1914年のGrand Prixまでの4台がその真横からのカラーイラストでスペックとともに紹介されているのですが、これも中々渋くて見ているだけで楽しくなってくるものです。
さて、特集されたあまりにも有名なGiulia Sprint GTAですが、発売は1965年で、その前年に設立されたアルファ・ロメオのワークスであるアウトデルタがETCに参戦するためのホモロゲーションモデルとして開発されたモデルです。
市販されたGTAは、Giulia Sprint GTをベースにボディを低圧アルミニウム製に変更し、エンジンもヘッドをツインプラグとし、更に圧縮比を高め、キャブレターもWEBER製40DCOEから45DCOEに変更され、最高出力は115hpにまで高められていました。
軽くなった車重は一気に745kgとなりましたが、最高出力の115hpは正直言って、大したことのないパワーです。 実は、このスペックはホモロゲーションを得るための市販モデルのスペックで、このGTAをベースにアウトデルタはエンジンを160hpまでチューンし、車重もさらに700kgまで軽量化し、ETCでロータス・コルチナやBMWを相手に暴れ周ったのです。
付属する1/43のミニチュアモデルは「GTA使い」としてあまりに有名な、Andrea de Adamichがドライブし、1966年のMonzaに出走したモデルです。右のフロントフェンダーに描かれた白いマークは、ピットから判別し易くするために描かれたもので、現在でも簡単なレーシングモディファイの定番として、様々なオーナーが愛車に再現しています。
このGiulia Sprintは実はモデル化しにくい車種で、その微妙なボディラインはミニチュアにした時にある程度デフォルメしなければ人間の目には違って見えてしまうのです。
特に難しいのがリアにかけてのラインで、その車高のバランスとともに、微妙に下がり気味なところをうまく再現できていなければモデルとして合格点は出せません。 他社のモデルもいずれ機会があればご紹介しますが、今回ご紹介したこのモデルが個人的には一番Giulia Sprintらしいと思います。
さすが「アルファ・ロメオ社公認」だからでしょうか…(笑) クリック↓お願いします!
最近は本と一緒にミニチュアカーが付いて来る形式のものが流行っているようです。これも以前ご紹介した「食玩」と同じく、流通経路の問題で、雑誌扱いになるために書店で取り扱いできるというメリットがあるのです。
日本ではデアゴスティーニが有名で、毎号異なるクルマ、バイク、飛行機が付いて来るものもあれば、ラジコンやロボット、帆船などのように毎号少しづつ付いて来る部品を購入して、組み立てて行くという形式のものもあります。
ご紹介するAlfaromeo Sport Collectionはイタリア本国で発売されている雑誌形式のミニチュアカーのシリーズです。毎号レースで活躍したアルファ・ロメオの説明が書かれたブックレットに、そのミニチュアカーが付属してるのですが、その内容は別にしてデアゴスエィーニのシリーズに比べると、ビニールで包まれた本にブリスターパックされたミニチュアカーがテープで留めてあるという
パッケージングはいささか乱暴な、いかにも「イタリアもの」(笑)といったシリーズです。 ごく少量がイタリア自動車雑貨店に入荷しており、最初は「へぇ~」という軽い気持ちで購入し始めたのですが、その車種は結構マニアックであるだけでなく、そのブックレットの写真も(というかイタリア語で書かれているため写真しか分からないのですが…)珍しいものが載っていたりするので、
気がつけば「お取り置き」までしてもらって毎号購入するようになってしまいまいました。 ただ、悲しいのは入荷数にバラツキがあるため、買いもらしたものがあることと、一体次がいつ出るのか、はたまたいつまで続くのかが分からないことなのですが、それでも買い続けてしまうのはやはりその車種の魅力なのだと思っています。
ミニチュアカーの出来そのものは、まぁ平均点…といった程度ですが、一応
「アルファ・ロメオ社公認」 であるらしいですし、今まであまり良いモデルがなかった車種もありますので、コレクションには有難いシリーズです。
そんな中から不定期になるとは思いますが、順番にご紹介して行きたいと思っています。
始めるに当たってとりあえず、現在までに発売された車種を下記にまとめてみました。
イタリア自動車雑貨店ではどこから買い付けて来るのか、たまにブックレットが付いていないミニチュアカーだけの販売もしていることがありますので、過去に発売されたモデルも手に入れるチャンスはあるかも知れませんよ。
1 Giulia Sprint GTA
2 33 SC12 Turbo
3 Giulia T.I. Super
4 Alfa147 GTA Cup
5 Tipo159
6 Giulietta Sprint Veloce
7 6C 1750 GS
8 Giulia TZ2
9 156 GTA
10 33 Stradale
11 Giulietta T.I.
12 155 V6TI
13 Giulia TZ
14 Montreal
15 179C (Formula)
16 8C 2300 Le Mans
17 1750 GT am
18 75 Turbo Evoluzione IMSA
19 1600 Junior Zagato
20 2600Sprint
21 33/2 Daytona coda lunga
22 Alfetta GTV2.0
23 1900T.I.
24 Alfa Brera
25 Giulietta SS
26 Giulietta Spider Veloce Monoposto
27 Alfetta
28 8C 2900B Le Mans
29 1900 C52 Disco volante coupe
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昨日のブログを書いていて、今まで選ぶのをお手伝いしたクルマのことを思い出してみました。
確かにクルマを購入したり、買い換えたりすることは、現在ではそれほど大きな決断ではなくなっていますし、通常でしたら使用目的の変化や予算、はたまた担当セールスの熱心なオススメなどで、買うクルマを決めてしまっている方が殆どだと思います。
一方で、私に相談して来るような方は上記の一般的な方と異なり、大別すると2種類の方に分かれています。
一つ目のパターンは
購入する車種は決まっており、中古車で「上物を探して欲しい」という希望 です。この場合は、知り合いの業者の方にお願いして探してもらったり、実際に私自身が見に行って現車をチェックしたりしてご紹介するのですが、当然私のところに来る依頼は、
「難しいお題」 ばかりです(笑)。
写真は2年ほど前に「どーしても探して欲しい」と依頼されて、散々探しまわり、やっと納得できるものを見つけることができた、アルファ155V6LV(Limited Version)です。
この依頼人は、最初は、
「アルファ155ってどーなんでしょう?」 という相談から始まったのですが、その内に雑誌ででも見たのでしょう、どうしてもこのLVが欲しいと言い出してしまいました。
実は、このLVは日本だけの特別仕様で、アルファ155Q4の生産終了に伴い、本来はその専用の内装であったRECAROのバケットシートと内装を流用し、確かZender製だったと思いますが、純正オプションだったエアロパーツで仕立てられた限定車です。
ただそれだけでは寂しいので、カッティングシートでボディサイドにラインとリアに大きなエンブレムを付けて、本来の黒のホイールを白く塗った、悪く言えば…、
「在庫処分のヤッツケモデル」 なのですが、それはそれで目を惹きますので、他と違うアルファ155として確かに魅力的ではあります。ところが、このカッティングシートが曲者で劣化が早いため、殆どのモデルが部分的に剥がれたり、最後には全部が剥がされてしまったりしています。そして塗装の焼けのせいで、その剥がされた後がくっきりと見えてしまい、ビンボー臭いことこの上ないのです。
依頼人はこのラインとエンブレムが気に入っていることもあり、まずは少なくともエンブレムの部分だけでも残っているモデルを探すことにしました。ラインのほうは、まぁ後からでも貼ることができますが、エンブレムだけは元のデータがないとどうしようもありません。
もちろんクルマとしての程度のほうが重要で、このSOHCV6エンジンはメンテナンスを怠るとタペット音が酷くなってしまったり、エンジンの回転が悪くなってしまったりして、本来のアルファ・ロメオの魅力を殺いでしまいます。
依頼者はアルファ・ロメオはおろか、外車に乗るのも始めてでしたので、心構えだけは前もって説明しましたが、実際に乗ってみて失望させたくはありませんでした。 ところが、限定車であったこともあり、売り物で出ていたLVはタマ数も少なく、あったとしてもロクなものはありませんでした。そして、やっとのことで見つけた個体がこれだったのですが、クルマは静岡にあり、私自身はちょうど忙しくて見に行くことができませんでした。
こんなときにありがたいのがオーナーズクラブのネットワークで、近所の方にお願いして見て来てもらい、心配だった部分を確認することができました。そして、アフターサービスのことも考え、一旦業者販売で東京の当時の主治医のところで仕入れてもらい、初期メンテナンスの後に依頼者に販売してもらったのですが、その後は一般的なメンテナンスだけで元気に走っているようです。そして最近は、
「あのラインを剥がそうかな…」
などと言っていますので、やっとクルマ本来の魅力に気づいてくれたのかも知れません(苦笑)。
そして二つ目のパターンは、昨日のGMCタイフーンのように「どんなクルマがいいかな?」と相談に来られる方です。
そして私が紹介したクルマを買ったことをきっかけに、その方の生活や人生観まで変えてしまうようなドラマが生まれるのです。 この種のクルマ選びにお付き合いして紹介したクルマ達は、本当に思い出深いものばかりです。そしてそのお話はまたいずれさせて頂こうと思います。
あっ!誤解のないようにご説明しますと、私自身はクルマ関係の仕事ではありませんので、商売でクルマ選びのお手伝いをやっているわけではありません。
ですので、どうか突然の依頼だけはご勘弁を…(苦笑)
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テーマ:Alfa Romeo - ジャンル:車・バイク
アルファ・ロメオに乗っていると周囲からは
「コダワリのクルマ趣味人」 だと思われるようです。
ただ、私自身は今まで誰彼構わずアルファ・ロメオを勧めたことはありません。むしろ、どうしてもアルファ・ロメオを探して欲しいと頼まれたときだけ、希望に沿ったアルファ・ロメオを紹介するようにしています。
ただ、今まで私にクルマ選びの相談を持ちかけてきた方々は、皆さんクルマに対して一般のユーザーとは違う、
「何か」を期待していた ように思います。ですので、
本人も気付いていないその「何か」を私なりに想像して紹介したクルマを気に入って、本当に買っていただいた時には、まるで自分がクルマを買ったように嬉しかった ことを憶えています。
この写真を見て、これがGMCタイフーンというクルマだと分かった方は相当のクルマ好きではないかと思います。
GMCタイフーンは
「世界最速のSUV」 と呼ばれ、1992年から1993年の2年間で4602台のみ作られた限定車です。もともとはサイクロンというピックアップトラックの荷台をキャビンに改装したもので、ちょうどトヨタのハイラックス・サーフなどの生い立ちと同じです。
エンジンは4.3LのV6でギャレット製のツインターボにインタークーラーという当時のチューンの定番?で武装し、最高出力は285psと表記されていました。
当時、R32のスカイラインGTRに代表される日本のハイパワー車でも280psという業界の自主規制上限までのクルマは結構販売されていましたから、この285psという出力そのものはそれほど、インパクトのあるものではなかったのですが、
このエンジンの本当の実力はそのトルクで、ナンと48.4kgmもあったのです。 従って最高速度はともかく、発進加速から100kmくらいまでの中間加速は暴力的で、さる自動車雑誌のテストでは中間加速はフェラーリ・テスタロッサを凌いだと言われていました。
私も試乗したときに、メーターがマイル表示であることに気付かず、100kmまで加速して…とアクセルを踏み続けて、結果として100マイルまであっという間に到達してしまい、隣に乗っていたブローカーの方が慌ててマイル表示であることを教えてくれて、ビックリしたことを憶えています。
このクルマを紹介した方は当時、トヨタ・マークⅡのツインターボに乗ってらっしゃいました。もともと速いクルマが好きではあったのですが、八ヶ岳の別荘にも行くし、かといっていかにもなメルセデスには乗りたくはないし…と受けた相談に対して、私の出した答えがこのGMCタイフーンだったのです。もちろん、その方はそんなクルマを知る由もなかったのですが、私の説明と写真を見ただけで気に入り、すぐに購入してしまいました。
ただそれからが大変で、
会うたびに高速でイジメたスカイラインだのRX7やらとのバトルのハナシを散々聞かされたものです。 でも、自分が勧めたクルマを気に入って、そうやって乗っていただけるのは本当に嬉しいものです。
その方は、現在はようやく速いクルマを卒業し(笑)、これまた私のオススメしたローバー・ディスカバリーに乗って愛犬と一緒に八ヶ岳通いをされています。
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