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走ってナンボ

アルファ・ロメオを始めとする「ちょっと旧いイタ車」を一生懸命維持する中での天国と地獄をご紹介します。

勝手にカー・オブ・ザ・イヤー

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今年もあっという間に大晦日になってしまいました。
今年は、愛車のアルファ164Q4との格闘に加えて、アルファSpider Sr.4と別れ、新たに916系アルファSpider2.0TSが加わったりと激動の?一年でありました。

さて、「勝手にカー・オブ・ザ・イヤー」と題してお届けするのは新車、旧車を問わず、私自身が今年本当に買いそうになったクルマ(考えて見ると結構ありました)の中からベストワンをご紹介するというものです。
もちろん本気で買いそうになったクルマですから、ノミネートされたクルマは、私のフトコロ具合からも現実的なクルマ達ですが、栄えある?第一位は…

アルファ・ロメオ (アルフェッタ) GTV6

です!!!!

アルフェッタは1972年に戦前のGPカーTIPO158の名前を引き継ぎ、セダンボディが先に発表されたのですが、その由来はTIPO158と同様に採用されたトランスアクスルとド・ディオン・アクスルにあります。トランス・アクスルとは通常はエンジンに付属するギアボックスをエンジンから切り離しリアに配置する方式で、車体の重量配分を限りなく50:50に近づけ、運動性を良くするために採用される形式です。またギアボックスのスペースが前にないためにキャビンを広くする効果も期待できます。
一方でド・ディオン・アクスルはバネ下の重量を軽くし、運動性向上に資するだけでなく、乗員数によってリア過重が変わってもキャンバー角が変化しない利点があります。

しかし、前述したようにこの形式は全て本来はレースに勝つために採用された形式であり、それを量産車に採用することは製造コストと整備コストをアップさせてしまいます。
アルファ・ロメオはこの欠点と引き換えに当時のライバル車とは比べものにならない素晴らしい運動性能をアルフェッタに与えたのです。

そしてセダンに遅れること2年、ジウジアーロによりデザインされたクーペボディを纏ったGTがデビューします。このクーペの特徴は現在のベルトーネデザインのアルファGTにも繋がる「オトナが4人座れる」クーペです。
そしてその最終形とも言えるのが、アルファ6(セイ)に搭載されてデビューしたV6エンジンを搭載したこのGTV6なのです。

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初期のアルフェッタGTは4気筒DOHCエンジンを搭載していましたのでボンネットは平らでしたが、V6エンジンを搭載するためにGTV6のボンネットはバルジを設けてあり、獰猛な印象を与えます。
唯一残念な点はインパネで、初期のアルフェッタGTは正面にタコメーターのみが配置され、その他のメーターは中央に配置されるという、クルマ好きの心を擽るものだったのですが、マイナーチェンジを経て普通の配置になってしまったことです。

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実は私、このアルフェッタのクーペボディが大好きなんです。初めて存在を知ったのは学生時代でもう一目ぼれ状態で現在に至っていますので、出物が出るたびに悶々としてしまいます。アルフェッタを前にするとその個体の程度はどーでも良くなってしまい、
「ああ、やっぱりアルフェッタはえーなぁ」
と危うくハンコを押してしまいそうになります。

そんなに好きなら買えばいいじゃないかって?
これがナカナカどーして、例えそれが新車同様であったとしても、アルファ164Q4に負けず劣らずの「地獄クルマ」なんですねぇ。

そういうワケで今年も、出物のアルフェッタの前に悶々としてしまいました。
そして来年もたぶん…
「いつも心にアルフェッタ」
状態になると思います。

さて、今年の11月12日より引越してきたこのブログですが、結構イキオイで毎日更新してしまいました。
よくそれだけ地獄ネタが…という周囲のアキレ顔を他所に、ネタには事欠かなかったのですが、一方で地獄ネタのときはアクセス数がアップしたのは気のせいでしょうか…(苦笑)
それよりも何よりも皆さんからのアクセス数の増加に励まされてここまで書くことができました。来年も頑張って更新します(できるかなぁ…)ので引き続きご愛読よろしくお願いします。

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テーマ:Alfa Romeo - ジャンル:車・バイク

カーマガジン誌

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既にお読みになった方もいらっしゃるかも知れませんが…
今月発売のCAR MAGZINE誌2007年2月号にエンリコ・フミア氏のインタビュー記事が掲載されています。
独立してフミアデザイン・アソチアーティを設立して以来は、多くのマスコミ取材をこなすようになった彼ですが、それまではどちらかというと知るヒトぞ知る「陰の存在」だったように思います。

しかしマスコミに登場する彼の記事を読むと、他の著名デザイナーと異なり彼の「人間としての魅力」も伝わってくるのは、それぞれ取材されたジャーナリストの皆さんも彼の気さくでユーモアのある性格に魅了されたからではないかと思います。確か、独立して最初の日本での取材記事はNAVI誌別冊のFami NAVI誌であったと記憶していますが、その記事は彼と彼の家族に焦点を当てたもので、そこからも彼の人間としての魅力が滲み出ていたステキな記事でした。

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さて、今回のCAR MAGAZINE誌の記事ですが、彼の職歴、仕事観、そして今までの作品の誕生秘話に加えて、以前私のブログでもご紹介したランチアJのことも記載されていて読み応え充分な内容となっています。まだまだ書店に並んでいると思いますので、是非、ご一読をオススメします。

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また以前のブログで私は彼の作品について
「発表されてすぐは理解し難い部分もある」
と書いたのですが、この記事を書かれた武田公実氏もこのランチアJについて
「戸惑いを隠せなかった」
とフミアさんに告白し、そのときの彼の答えが紹介されています。

前略…
私のデザインは、時として理解するのに時間が掛かることがあります。でも、いずれ必ず理解していただけることは過去の作品たちが証明しています。つまり、このJが美しいと思った方も醜いと思った方も、ともに"フミア・マジック"に掛かったことになるのですよ(笑)

どうやらこれからは安心して彼の新しいデザインについてコキおろすことができそうです(苦笑)

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Spiderの初期化

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一方のアルファSpiderも購入後、クイック・トレーディングでチェックして初期化してもらうことにしました。
初期化の基本は油脂類の交換から始まります。
エンジン、ミッションなどのオイルを抜き、その汚れ具合を見ると、そのクルマがどのような使われ方をしたかが分かります。
私のアルファSpiderは96年式で、購入時は走行56000kmでした。つまり平均すると年間6000km弱しか走っていないことになります。

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クルマに限らず機械は動かし過ぎるのも問題がありますが、動かなさ過ぎるのも問題です。
以前に走行500kmというSZ(ES30)をドイツから輸入したハナシを聞いたのですが、ゴム類や電気系統などに不具合が多発し、ちゃんと走れるようにするには、そこそこ走行している日本での中古車を仕入れるより手間とお金がかかったそうです。やはり機械モノはある程度動かしていることが調子を維持するには重要なようです。

さて、そのオイル管理ですが、諸説ありますが、私の場合はエンジンオイルは走行5000km、もしくは6ヶ月毎を基本にしています。オイルエレメントはオイル交換2回毎に交換です。これは恐らくアルファ・ロメオでは一般的な交換インターバルではないかと思いますが、今回抜いたエンジンオイルは交換後3000km程度だった(クルマに貼ってある交換シールを信じれば…)にもかかわらず、酷く汚れていました。

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ということは距離ではなく交換してから日数が経っていると推測できます。つまり前のオーナーはウィークエンドドライバーかセカンドカーとしての使用だったのではないかとの想像ができるわけです。

そこで、次にベルト類のチェックをして見ました。通常は走行距離からすると1回くらいはタイミングベルトを交換しているだろうと思ったのですが、問題は交換してからの時間です。購入して最初は結構乗り、交換してからは殆ど乗らなかったとしたら、ベルトを交換してから5年以上経過しているかもしれません。ゴム類は例え走行していなくても劣化しますので、その恐れがあれば交換です。

かくして、私の場合は以下の部品を交換してもらいました。

タイミングベルト
タイミングベルトテンショナー
バランスシャフトベルト
バランスシャフトテンショナー
ウォーターポンプ
バルブリフター
プラグ

もちろんこれらに付随してガスケット、ゴムシールの類を交換したことは言うまでもありません。

そして、古くなっていると錆の原因になるのでラジエーター液を全交換して、当面の初期化は完了しました。これだけやっておくと当面は安心して乗ることができます。

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アルファ・ロメオの場合は購入予算全額でクルマを買うのではなく20万~30万余裕を見ておくことが必要です。その資金で初期化ができないような個体はハズレと言えますし、一方でどんなにバリものの個体であっても、この程度の投資は安心料として必要だと思います。

クルマの整備サイクルは新車を買ったときにスタートします。そしてオーナーはサービスマニュアル、自分の走行距離、時間、経験といった要素からその整備サイクルを決めて行くワケですが、中古で引き継いだオーナーの取るべき手段は2種類です。記録簿を熟読し前オーナーの整備サイクルを引き継ぐか、重要な部分をリセットし自らの整備サイクルをスタートさせるかです。
よく中古車の「整備記録簿有り」は安心材料として受け取られていますが、その整備記録簿を新オーナーが自分自身の整備サイクルの決定資料として使用しなければ、何の意味もないと思います。

折角、アルファ・ロメオを好きで買ったのですから、ドレスアップやチューニングの前に、ちゃんと予算を使ってまずは調子良く乗りたいものです。

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破片地獄

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ようやく見えるようになった液晶表示を使って、エアコンの診断をすることができました。
そして突き止めた原因は、エアコンそのものの故障ではなく、エアコンの冷暖を切り替えるダクトを動かすロッドが折れてしまっていたために、冷房側にフラップが固定されてしまい、暖房に切り替わらなくなってしまっていたためだと判明しました。
ところがこのロッドはインパネの奥というかバルクヘッドの奥というか(言葉では説明しにくいのですが)、とにかく手が届かない場所にあるのです。通常でこれを修理しようとすると、アルファ164オーナーの間で恐れられている魔の「ダッシュボードばらし」を行わなければなりません。

一度でもクルマのダッシュボードをばらしたところを見たことがある方はご存知かと思いますが、よくあれだけの配線が入っていたなと思うほどの電気配線の束が、まるで臓物のようにはみ出してしまい、元に戻すのが一苦労なのです。アルファ164の場合は、それにダッシュボードの建てつけの悪さとボディの経年の歪みが加わり、一苦労どころか元に戻らない恐れすらあります。また部品代は安くても、その工賃を考えると(作業内容からすると至極妥当な金額ではあるのですが)、そのリスクを冒す気にはなれませんでした。

「ダッシュボードばらし」を避けたいのは私も主治医も同じで、何とかバラさずに済む方法を…と考えて最終的に考えついたのは…名付けて「必殺!ゴッドハンド修理法」(笑)という、長いドライバーやプライヤーを総動員して、遠くエンジンルームの上から切れてしまったロッドを電気配線を束ねるタイラップで繋げるという神技でした。
何度も試行錯誤を繰り返し、あたかも外科医のように工具を使って遠隔操作でタイラップで締めるという作業を行って何とかロッドを繋ぎ直すことができました。

そして更に問題は起こりました。作業のために外したエンジンルーム内の配線のソケットやらカプラーやらが、経年劣化と熱のためにボロボロと壊れてしまったのです。
はずさなければ作業はできす、はずすと破片がボロボロとこぼれるばかりで、石井ドクターと私はボーゼンとその破片を拾い集めてはみたのですが、もちろんどーなるものでもありません。またそのためにこれらの配線やソケットをオーダーするのもバカバカしく、中には欠品になっているものすらあります。

でも、前述の「必殺!ゴッドハンド修理法」を身につけた石井ドクターは様々なテを使って壊れたプラスチック部品を修復してくれました。もちろんこの作業は通常のメカニックの作業内容を超えています。本当にクイック・トレーディングの石井ドクターにはアシを向けて寝られません…。

教訓…「付いてるプラスチックものは外すな!」

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そして、ついでにエンジンオイルを交換して…とお願いしたときにその事件は起こりました。

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お漏らし地獄2

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一方のアルファ164Q4の方はと言うと、様々なところから液体が漏れ出すという「お漏らし地獄」に陥っていました。
最初は、パワーステアリング、そして次にブレーキとお漏らしされ、ようやく解決したと思ったら、今度は駐車場で冷却水の染みを発見してしまいました。確かにサブタンクの液量は減っていましたので漏れたところはラジエーターに間違いありません。最初は微量でしたので冷却水を足し、ストップリークをブチ込み何とか誤魔化そうとしては見たのですが、高速走行時にフロントガラスにまで漏れた冷却水が飛んでくるという状態になり、万事休すとなりました。

ここは当然、頼りのAlfissimo Internationalです。Jasonに連絡するとExpressでラジエーターを送ってくれました。その送料を入れても日本で調達するより3割方安いのですから、日本国内の部品価格は一体誰がどのように決めているのでしょうか?と疑問に思えてきます。

早速、主治医のクイック・トレーディングに入場して交換してもらったのですが、はずしたラジエーターを見るとやはり腐ってしまっていました。ちょうど購入したときにラジエーターを新品に交換していましたので7年間の寿命ということになります。これが早いのか遅いのかはナンとも言えませんが、国産車の常識からは考えられないことだけは確かでしょう。

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さて、入場したついでに…と以前から気になっていたクライメイト・コントロールパネルの交換もお願いしました。
実は、このパネルというか液晶表示部分とエアコンのスイッチが一体になったものは、後期型のアルファ164の泣き所の一つです。

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具体的には液晶の表示部分が欠けて行き、最後には全く見えなくなってしまうというものですが、スイッチ類は何の支障もなく作動するので、みっともないことを我慢すれば放置されてしまうことが多いのですが、インパネの一等地に居座って液晶が欠けて表示されるというのはビンボー臭いことこの上ありません。
だったら新品に交換すればいいのですが、ナンとっ!このパーツはASSYでしか供給されず、そのお値段は…20万円以上するのです!!!!たかが液晶表示とエアコンスイッチにそんな金をかけるわけもなく、このお値段のせいで殆どのアルファ164は液晶表示が欠けたままになっているのです。

今回はオークションでたまたま格安でゲットしたパネルを持っていましたのでこの際…と交換を依頼したのですが、それにはワケがありました。
実は以前からエアコンの調子が悪く、温風が出なくなってしまっていたのです。
そしてエアコンの自己診断機能でチェックすべくサービスマニュアルの指示通りにスイッチを押して…液晶表示部分に表示された数字を読むと…って…「読めんがな!」と突っ込むしかなく、交換することにしたワケです。
私の場合は購入したときから表示が欠けていましたので、今回交換後に始めて全ての表示を見ることができたのですが、たかが液晶表示でも結構感激しました。

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アルファ・ロメオに乗っているとこんなささやかなことで幸せを感じることができるのです(苦笑)

ところがこの後にとんでもない事態に襲われることに…

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アルファSpider(916系)とは

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1994年のパリ・サロンで発表された新しいアルファSpiderはセンセーショナルではありましたが、正直、一抹の寂しさもあったことを覚えています。しかし一方でこれでアルファ・ロメオは完全に過去と決別し新しいスタートを切ることができたとも言えます。

惜しまれつつ製造を終了した115系のアルファSpiderは、その長寿故にアルファ・ロメオに残された最後のFRとなっていました。そしてこのアルファSpiderを最後に、純血のアルファ・ロメオはこの世からなくなることになります。
それ以降に生産されるモデルは、Tipo4プロジェクトによるアルファ164とフィアットTipoのシャーシーを使ったアルファ155となりましたが、このアルファ155は、ヨーロッパでのCセグメントに属し、本来ならばアルファ・ロメオにとってはドル箱となるべきモデルでした。しかし、市場はそのTipoシャーシーそのままのアルファ・ロメオに対して批判的で、セールスは伸び悩んでいました。例え資本的に傘下になったとしても、アルファ・ロメオの皮を被ったフィアットはファンにとっては何の魅力もないものだったのです。

一方でアルファ164は同じように他社との共用シャーシーを用いながらもフロントストラットを変更したり、剛性対策を施したりとアルファ・ロメオ独自の改良を加えていましたから、アルファ・ロメオとしての独自性は保たれており、事実好調なセールスを持続していたのです。
つまり、アルファ・ロメオがアルファ・ロメオであるためには例え借り物であろうとも、その独自性を盛り込まねばならないことにようやく気付いたアルファ・ロメオは、やっと本腰を入れてFFと取り組み始めました。そしてアルファ155とは異なり、Tipoシャーシーを利用しながらも、リアをマルチリンクとしたこの新しいアルファSpider/GTVによりアルファ・ロメオは全てのラインアップをFF化したと同時に「仕方なしに」FF化したのではなく「腹を据えて」FFと取り組み始めたと言えます。

また、その代表的なエンジンである4気筒ツインスパークエンジンもアルファ75から初期のアルファ155に搭載されたアルファ・ロメオオリジナルのエンジンブロックではなく、フィアット製のブロックを用いながらヘッドをツインスパークにすることにより、アルファ・ロメオの独自性を保つことに成功しています。またバランサーシャフトを組み込むことにより4気筒とは思えない滑らかさを手に入れ、当に「新時代のアルファ・ロメオ」と呼ぶに相応しいエンジンと言えます。

以上がアルファSpider/GTVのエンジニアリング的な側面ですが、一方でデザインに関してはアルファ・ロメオの独自性は如何なく発揮されています。
そのスタイリングの起源はなんと1987年にまで遡ります。当時、ピニンファリーナに在籍していたエンリコ・フミア氏がデザインしたその原型は、当時のフィアット社長のヴィットリオ・ギデッラをして「この美しい車を他の誰にも渡さないように」とさえ言わしめたものでした。
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しかし、そのデザインは一旦封印されてしまいます。1991年にエンリコ・フミア氏はピニンファリーナを去りますが、その後、1992年にアルファ・ロメオのチェントロ・スティーレ(デザインセンター)が発表した"プロテオ"にそのデザインコンセプトは引き継がれ、最終的に1994年に新しいSpider/GTVとして世に出ることになるのです。

しかし何故、20年前のデザインが今なお新鮮で、街中でヒトを振り返らせる魅力を持っているのでしょうか?

Spiderのリアは遠くジュリエッタ・スパイダーに共通する50年代から60年代の典型とも言えるデザインを踏襲しています。一方でGTVのリアはコーダ・トロンカと呼ばれたジュリアTZやSSに用いられた空力デザインを髣髴とさせるものです。しかし、これらは決して過去のデザインを模倣したものではなく、過去のデザインを未来へと繋ぐ、まさに「Back to The Future」と呼ぶに相応しいデザインであるからに他なりません。そして、その未来(Future)の延長線上に今の私たちがいるからではないでしょうか。
例え、そのエンジニアリングが古くなったとしても、このデザインだけはエバーグリーンで、永遠にと言っても良いほど新鮮であり続けることができるのは本当に稀有な例ではないかと思います。

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Spiderの進化

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ひょんなことから115系アルファSpider Sr.4と別れることになってしまいました。そのきっかけは以前にエンリコ・フミアさんが私のアルファSpider Sr.4を見たときに言ったナニゲない一言でした。

「なんでオレのデザインしたSpiderに乗らないんだ?」

そのときは、

「オレはこの115系のデザインが好きなんだ…」

と一応は答えたのですが、言われて見れば確かにそうです。今まで115系のSpiderが好きで乗ってきたのですが、そろそろFFSpiderの値段も初期のモデルは随分コナれて来ましたし、10年間製造されたこのSpiderも製造を終了することになりましたから、これから新車で…という訳にも行かなくなります。またSpiderはハナの重いV6モデルより初期モデルの4気筒TS(ツインスパーク)モデルのほうが軽快でしょうから、もう1台のアルファ164Q4との組み合わせとしても最適です。
そして何より購入の最大のキメ手は、30年近く設計年度の違うアルファSpiderの、何が変わって、何が変わっていないのかに興味があったからに他なりません。

今回は、イロイロと調べた結果、越谷のアルファ・デポという中古車販売店で購入したのですが、社長の坂野さんはとても親切で、私の希望通りのシルバーグレイの96年式の初期モデルであるアルファSpider2.0TSを手に入れることができました。

よくアルファ・ロメオの中古車を買う極意は?と聞かれるのですが、実に単純で、クルマを見る以前に売っているヒトを見ることだと思います。中古車は新車と違って「一物一価」ですので同じクルマは二台とありません。従って、欲しければクルマのその状態を受け入れるしかないのですが、アルファ・ロメオに関して言えば、「好きで売ってる」かどうかが決め手で、それはその店の品揃えやお店の方のアルファ・ロメオに関する知識から分かります。
お陰様で過去の様々な経験からお店の方と30分も話せば、何となくその店の本質が分かるようになって来ましたので、今回の買い物もクルマに関しては軽く試乗をしてぐるっと見ただけで、費やした時間は坂野さんとお話させていただいた時間のほうがずっと長かったように思います。

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このシルバーグレイというボディカラーは、アルファSpiderのボディラインを最も際立たせる色だと思って探していたのですが、日本では不人気色だったらしく、売り物は殆ど見かけませんでした。しかし後日、エンリコ・フミアさんに見せたときに、彼もこのカラーでイメージしてデザインしたと言っていましたので、やはり正解だったと思っています。
こうしてエンリコ・フミア氏デザインのアルファ・ロメオが私の手許に2台揃うことになりました。

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そして黒のSr.4はオークション経由で「ずっと探していた」という方の許に嫁いで行きました。いつも愛車との別れは辛いものですが、下取りや買取店に売るのではなく、次のオーナーが私と変わらずというか、それ以上に愛してくれることを確信できる相手だと分かって売ると、本当にほっとするものです。きっと大切に可愛がってくれることでしょう。

さて、中古車を手に入れたときに真っ先に行うことは、そのクルマの状態を調べて重要な部分はきちんと初期化しておくことです。
特に以前のオーナーが分からない中古車の場合や記録簿が残っていない場合などは、自分の目で確かめておくことが重要です。
アルファ・ロメオの場合は、例え現在のモデルの中古車であっても以前のオーナーの乗り方や整備ポイントがその後のコンディションに大きく影響します。
オーナーズクラブのメンバー間で乗り継がれたアルファ164の場合、例え新旧オーナーいずれもが乗り方が丁寧で、きっちり整備するタイプであっても、不思議なことにオーナーが代わった途端にそれまで出なかった不具合が出るのです。

さあ、楽しくも苦しい?初期化作業の始まりです。

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幻のフェラーリ

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フェラーリF90という名前を聞いてその形が思い浮かぶ方はいないのではと思います。今日はクリスマス・イヴですのでプレゼントといってはナンですが(笑)、珍しい写真をご紹介したいと思います。

それは1988年に当時ピニンファリーナのチーフデザイナーであったエンリコ・フミア氏がアジアのさる王族の依頼に基づいてデザインし製造された、彼だけのためのフェラーリなのです。

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戦前までの高級自動車の多くは、ベアシャーシーとエンジンを自動車メーカーが供給し、コーチビルダー(イタリアではカロッツェリアと呼ばれています)がオーナーの希望に応じてボディをデザインして架装するという手法で作られていました。従ってレーシングカーのシャーシーとエンジンにクーペボディを架装してグランドツアラーとして使用したり、セダンボディを架装してショーファードリブンにしたりと、ワンオフの自動車が数多く作られていました。これはそれまでの馬車の作り方と伝統に則った手法なのですが、現在はトラックの荷台を架装する手法として生き残っています。ところが現代の乗用車はトラックと異なり、モノコックボディになっていますので、ボディを独自にデザインするということは、とてつもない製造コストを覚悟しなければなりません。
しかし、一方でオーナーはこのコストと引き換えに「この世に一台しかない」自分だけのクルマを手にすることができるのです。

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エンリコ・フミア氏はこのクルマ好きの王族の求めに従って、当時フェラーリの最新モデルであったテスタロッサをベースに独自のデザインによるボディを架装しました。発表当時はこのテスタロッサも以前の流麗なフェラーリとは全く異なる前衛的なデザインでしたが、このF90は単に前衛的であるだけでなく、従来のピニンファリーナデザインの流麗さも併せ持つ、バランスのとれたデザインだと思います。
そのデザインは「フォーサイド・ルック」という彼のデザインテーマの一つであった、フロント、両サイド、リア各々に同じデザインモチーフを用いるという手法によって明確なテーマ(イメージ・アイコン)を与えられています。
また、サイドからリアにかけて跳ね上げられ、連続してスポイラーとして結実するデザインは、後に発表されるアルファSpider/GTVのデザインに共通するイメージです。
同様に、この「フォーサイド・ルック」は後にランチア・イプシロンにも用いられ、その商業的な成功は彼のデザインの先見性を証明したと言えるでしょう。

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正直、彼のデザインは過去のデザインからの連続性が明確に見えないために、発表されてすぐは理解し難い部分もあるのですが、年月が経つにつれてそれはあたかも食物を消化するように感性に浸透し、いつまでも新鮮であり続けるデザインではないかと思います。
今の私の目で見て、ENZOとこのF90のどちらがより受け入れ易いデザインかと言うと、私にはこのF90のほうがはるかに理解できるデザインなのですが、もし私が大富豪でエンリコ・フミア氏にENZOをベースに新しいデザインを依頼したならば…

きっと彼は10年後の私が初めて理解できるデザインでそれに応えてくれることでしょう。

嗚呼…誰か私にこんなクリスマスプレゼントを贈ってくれないでしょうか(苦笑)

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Spider's Day

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さて、アルファ・ロメオには私が所属するアルファ164オーナーズクラブのような単一モデルの集まりもあれば、先日ご紹介したALFAROMEO DAYやALFA Meeting in MEGAMIKOのような全モデルを対象としたイベントまで様々な集まりがありますが、いずれも主催団体によって運営されており、その団体に所属するか、または申し込みをすることによって始めて参加できるものが殆どです。
ところが、ご紹介する115系アルファSpiderの最大のイベントであるこの「Spider's Day」はこれらのイベントとは全く異なります。
この集まりはオーナーズクラブのような組織された団体のイベントではなく、
「アルファスパイダーの世界へ」
というサイトの管理者であるコイダさんの呼びかけに集まるスパイダーオーナー達によって自然発生的に集まるというものです。

写真は昨年の模様ですが、このSpider's Dayは女神湖ミーティングと並ぶ「何もしない」タイプ?のイベントです。今回は奥多摩湖に朝8時に集合し、お昼には解散となったのですが、とにかくアルファSpiderを駐車場に並べ、参加者がめいめい勝手に?楽しむというある種、成熟したオトナのイベントと言える、とっても穏やかに過ごせた一日でした。

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一見すると、「それだけ?」と思われるかもしれませんが、この日のために遠く関西からアルファSpiderで駆けつけるFanの方もいるくらい毎年の開催を楽しみにされているイベントです。

参加したのは番外編?のジュリエッタSpiderからDuetto、Sr.2から4までで、結果、全てのモデルが揃いました。その眺めはやはり圧巻で、一般の方から隣で集っていたユーノスロードスター軍団の方、果ては警視庁関係のイベントで来ていた白バイ隊員の方までの注目の的でした。

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115系Spiderの特徴は「どのモデルが偉い」というヒエラルキーがないことではないかと思います。不人気と言われたSr.3も今となってはちゃんと「味」がありますし、Sr.4の洗練されたスタイルも格好良いものです。
しいて挙げるならDuettoと呼ばれるSr.1かも知れませんが、この辺になるともはや「ヒストリック」として別格になってしまい、比較の対象からはハズレてしまいます。
従って、各モデルのオーナーが負い目や優越感を感じることなく自然に集えるのが、こういった自然発生的なイベントを継続させている要因ではないかと思います。

何より、Sr.1であろうとSr.4であろうと、私たちが乗っているのはアルファSpiderなのですから…。

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土砂降りのサーキット

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アルファ164Q4でのサーキット走行は懲りたはずなんですが、不思議と一年に一度くらいはサーキットに出かけてしまいます。
2004年と古いハナシなんですが、富士のショートコースで行われたI&Fの走行会の様子をご紹介します。
参加したきっかけは、当時コース改修のため閉鎖中だった富士スピードウェイの中で、いち早くオープンしたショートコースを走ってみたかったのと、茂木でエンジンブローした後遺症から、フルコースよりショートコースのほうが安全かな…と思ったからなんですが、後者の理由は何の根拠もない単なる自分自身への言い訳だったと思います。

当日は雨でした。それも土砂降りと言っていいほどの悪天候で、第一コーナーの立ち上がりは川のように水が流れ落ちてくるというコンディションです。これではとてもタイムがどうこうと言えるような状態ではありません。

しかし、その時の私は…ひっそりと「ほくそ笑んで」いたのです。

もうご存知のようにアルファ164Q4はヴィスコマチックという凝った機構を持つフルタイム4WDです。そしてフロント-リアのトルク配分を0-100で変えてくれるというこのシステムは悪天候のサーキット走行にはもってこいのシステムではないか?と思いました。
今まではその重量とブレーキの容量不足、更にこのヴィスコマチックが災いして、サーキットでの限界走行ではコントロールの難しいクルマでしたが、このような悪天候ですとこれらの弱点が表に出ず、反対にヴィスコマチックが有利に働いてくれるのではないかと想像していたのです。
もちろん走行会ですから、無理なオーバーテイクは禁止ですが、この天候では他のクルマも無理はしないでしょうし、むしろ自分のクルマの挙動を確認しながらじっくりと走ることができるでしょうから、私にとっては絶好の機会です。

コースインして暫くは、コースに慣れるためと豪雨の中での路面のμ(ミュー)を確かめるために、少しずつスピードを上げて行ったのですが、周囲の軽量級のFF車が面白いようにスピンする中で、安定して走行ができるのにはビックリしてしまいました。
予想していた通り、今までのサーキット走行で経験したドライ路面でのネガが全く表面に出てこないのです。

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そして調子に乗って、ストレートで試して見たブレーキング競争(今までは試す気にもならなかった)ですが、見事に勝つことができました。

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他の参加者の方は、私のアルファ164が4WDであることを知りませんから本当にビックリしていました。
そして…これ以降はサーキット走行の前日、他の参加者の皆さんには申し訳ないと思いながら…

一生懸命雨乞いしています(笑)

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女神湖のアルファ・ロメオ達

女神湖には本当に様々なアルファ・ロメオがやってきます。中には「地獄クルマ」で取り上げたい稀少車が数多く参加しているのですが、そんな中から気になったクルマをご紹介したいと思います。

まずはスッドです。フラット4エンジンを搭載しFFで駆動するこのアルファ・ロメオは従来のイタリア北部(ノルド)のミラノの工場ではなく南部(スッド)のナポリ近くの工場で製造されたことに由来する名前です。そしてこのクルマ…とにかく錆びます(苦笑)。でも今なおベスト・ハンドリングFFと言われるクルマです。

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そのスッドをベースに巨匠ジウジアーロデザインのクーペボディを被せたのがこのスッド・スプリントです。アルフェッタに共通するスリークなデザインはスッドのような小型車のほうがより魅力的だと思います。

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そして、そのアルフェッタの最終形がこのアルファGTV6です。もともとは4気筒1.8Lでスタートしたアルフェッタにアルファ6(セイ)でデビューしたV6エンジンを搭載したモデルで、後のアルファ75、そしてSZ(ES30)に至るまでそのシャーシーは使用されました。

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ジュリア・スプリントのシャーシー(正確にはホイールベースの短いスパイダーのシャーシー)にザガートがボディを架装したジュニアZは後のホンダCRXのデザインに影響を与えるなど、その生産台数以上の貢献をしたモデルです。これが1969年に発表されたなんて…。

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1977年に発表されたスッドより大きくアルフェッタより小さい…ジュリエッタです。と言ってもシャーシーはアルフェッタと共通でしたので小さいとは言えないのですが(笑)。このジュリエッタの最大の特徴は、ようやく錆から開放されたボディです。でも日本への輸入量は少なく街中では殆ど見かけません。いずれ「地獄クルマ」で取材したいクルマです。

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あまりに有名なジュリア・スプリントGTA。もう何も言うことはないのですが、サイドミラー以外は本当に綺麗なノーマル仕様でした。

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個人的には大好きなジュリエッタ・スパイダーです。この個体はとても綺麗で、本気で乗り逃げしようかと思ったくらいです(苦笑)

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番外編ですが(苦笑)、ここまでやられるともはやどーこう言う必要はないと思います。これもアルファ・ロメオの楽しみ方ですので、この努力と根性に脱帽!です。

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おまけです。ヒストリックイタリア車好きで有名な某タレントの所有する1900SSです。そう言えばその方が所属していたグループサウンズのバンド名はアルファ・ロメオに通じますね。ご本人は本当にテレビで見る通り、というかそれ以上に気さくで腰の低い方でした。

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女神湖

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アルファ・ロメオに乗り続け、アルファ164Q4などというどーしようもないクルマに辿り着くと、気が付けばオーナーズクラブという団体に所属することになります。もともとはトラブル情報が欲しくて入会したのですが、いつのまにか「事務局」などというメンバーの世話役になってしまっていました。

確かにオーナーズクラブのイベントで同じアルファ164に乗る仲間が集まるのも楽しいのですが、様々なアルファ・ロメオが集まるイベントに参加するのも楽しいものです。そんなイベントの中で大好きなのが、ご紹介する「ALFA Meeting in MEGAMIKO」です。
毎年秋に蓼科アルファ・ロメオオーナーズクラブ(TAROC)主催で長野の女神湖で開催されるこのイベントの最大の特徴は…
「な~んにもしないこと」
です。

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ただ1日、芝生の広場に様々なアルファ・ロメオを並べて、参加者はピクニック気分でのんびり過ごすのが恒例です。ところがこの「何もしない」イベントは大人気で毎年150台の参加枠はすぐに一杯になってしまうのです。

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今年は残念ながら参加できず、しかも雨に祟られたようですが、昨年と一昨年は秋晴れに恵まれ本当にのんびりできました。

また、参加するアルファ・ロメオは皆すごいクルマばかりです。写真の"Disco Volante"(空飛ぶ円盤)は一昨年にイタリアのMuseo Alfa RomeoからLa Festa Mille Migliaに出場するために特別に貸し出されたものです。1953年にカロッツェリア・ツーリング社によってスペースフレームのシャシーに架装されたボディは「空飛ぶ円盤」と名づけられるに相応しい、前衛的なデザインです。クーペボディとオープンのスパイダーボディがあり、世界にこの2台きりしかないクルマです。こんなものが博物館ではなく、目の前に柵もなく停まっているのは、このミーティングに参加する人たちが本当のクルマ好き、アルファ・ロメオ好きとして主催者から認知され、信用されていることの証明ではないでしょうか?

さて明日はこの女神湖で出会った様々なアルファ・ロメオ達を独断と偏見?でピックアップしてご紹介したいと思います。

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エンジンの主張

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アルファ・ロメオに限らずイタリアのクルマはエンジンの存在感が大きいと思います。
自動車は本来読んで字の如く、自らで動く車ですから、蒸気機関であろうと内燃機関であろうと、はたまた電気であろうとエンジン(モーター)の役割が大きいと思うのですが、昨今はエンジンの存在がどんどん希薄になりつつあるなと感じています。

そんな中にあってイタリア車だけは未だにエンジン命!みたいなところがあります。まぁ、趣味でクルマに乗っているわけですから、エンジン音は静かである必要はないのですが、少なくとも「ノイズ」ではなく、「サウンド」もしくは「ミュージック」でなければなりません。その点、イタリアのクルマはエンジン音を消す方向ではなく、良い音として聞かせる方向で作られているように思います。そしてエンジンをそのクルマを構成する主役として前面に押し出して来ます。

その一例がクルマのネーミングです。フェラーリの名前が1気筒あたりの排気量であったりエンジンの型式であったりするのは有名です。フェラーリ250GTOは1気筒当りの排気量が250ccで12気筒ですから、総排気量は3Lということになります。またフェラーリ328クワトロバルボーレとは、3.2Lの8気筒エンジンで1気筒当りバルブが4つ付いているという意味です。つまり車名を見るとそのクルマがどんなエンジンを載せているかが分かるわけですね。

アルファ・ロメオ待望の限定車8Cコンペティツィオーネの8Cとは8気筒の意味です。これは戦前のアルファ・ロメオの名車8Cシリーズに由来するネーミングですが、戦前の名前は更に8C2900とか後ろに排気量まで書かれています。

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じゃあ国産車で車名にエンジン型式がついているのは…と考えてみると…ありました。かつての日産フェアレディZの限定車432です。この432とはは4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトという意味です。

しかし最近のクルマはフェラーリでもF40とかF50とかENZOとかエンジンに由来しないネーミングが増えて来ました。国産車に至っては、その名前からは一体どんなエンジンを積んでいるのか全く分かりません。少なくとも昔は名前の後ろに1600だの2000だの付いていたので排気量くらいは分かったものですが…。
また最近のエンジンはパネルで覆われて単なる「箱」になってしまい、エンジンをエンジンとして見せるという演出は見られなくなってしまいました。その点、アルファ・ロメオのV6エンジンはメッキされたインテークが「どーだ!」とばかりに燦然と輝いている、誰が見ても「エンジン」と分かる佇まいです。

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まあそれでもトヨタ844(8気筒4カム4L)なんて名前のクルマがあったとしても、「なんだかなぁ」ではあるのですが(笑)

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海外通販のススメ

アメリカのイタリア車部品通販の有名なところとして、International Auto Parts(IAP)という会社があります。ここは、ジュリエッタからアルファ164までのアルファ・ロメオ、FIAT124スパイダー、LANCIA ベータクーペ、スコーピオン(モンテカルロ)などのパーツが純正品からアフターマーケットパーツまで充実しており、値段も日本に比べれば半額以下です。
サイトも充実しており、部品を探しやすいのですが、表示されている部品番号が純正パーツの番号と異なるため、良く調べてからでないと、折角取り寄せた部品が着かないなんてことがあります。しかし過去に何度かオーダーしましたが、オーダーして3日後に部品が到着したこともあるくらい迅速に処理してくれる頼もしい会社です。

今回は、試しにAlfissimo Internationalという会社にお願いしたのですが、ここの社長のJason Minos氏はとても親切で、アルファ164Q4のこともちゃんと分かっていました。しかも彼は「言葉は分からないけど」と言いながら、アルファ164オーナーズクラブのサイトも見ていてくれており、そして何度かメールでやり取りをしている中で、彼がアルファ164S(日本のQVに相当するスポーツモデル)のオーナーであり、アメリカでも有名なアルフィスタであることが分かりました。彼なら安心して部品探しをお願いできそうです。
また、彼は北米だけでなくヨーロッパにもネットワークを持っていますので、アルファ155以降のモデルの部品も手配してくれます。安く部品を…とお考えの方は一度コンタクトして見てはいかがでしょうか?

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そして彼は自社のドイツにあるパーツセンター経由で純正部品の番号から部品を調べてくれました。
そして調べる過程で分かったのですが、他のモデルと異なりアルファ164Q4はリアブレーキがベンチレーテッドであり、キャリパーの長さが異なっています。一瞬形状が同じだったのでIAPのWEBで通常モデル用のキャリパーを購入しそうになったのですが、やはり彼に任せて正解でした。

ところが実際にオーダーしたキャリパーを受け取ってみると、ナンだかヘンです。長さを比べて見るとやっぱり長さか短いキャリパーです。また、キャリパーはルーカス製とガーリング製(現在は合併してガーリング社になっています)の2種類があることも分かりました。私のクルマにはもともとルーカス製のキャリパーが装着されていたのですが、純正部品の部品番号は同じで、単に製造者が異なるだけのようです。それではということでガーリング製をオーダーしたのですが、何とブラケットの形状が若干異なるため、到着したガーリング製のキャリパーはそのままでは着かないということが分かりました。

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Jasonもこのミステリアスな状態を理解してくれ、一緒に「どうしたものか…」とイロイロと相談しながら、最後はガーリング社から図面を取り寄せるまでして調べたのですが、結局、「これしかないよ!」と送られてきた図面を見ると、やはり長さの短いキャリパーです。

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ということは、もはやアルファ164Q4用のリアブレーキキャリパーは製造中止で新品は手に入らないということです。今後、どうしても新品を装着しようと思えば、普通のアルファ164と同じにリアブレーキをソリッドディスクにコンバートするしかないようです。
結局、私の場合は運良くオーナーズクラブのメンバーが部品取りにと購入したアルファ164Q4より中古でキャリパーをゲットし、しかもそれは幸いなことにルーカス製でしたので、何とか取り付けることができました。

やれやれ、製造中止であることをここまで調べないと分からないなんて…。

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と怒ってみても始まらないので、勉強になったと思うことにしたら、今度は冷却水が…嗚呼…「お漏らし地獄」はまだ続くようです。

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お漏らし地獄

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パワーステアリングオイル交換を無事に終えた翌日、またもやオイル漏れを起こしてしまったアルファ164Q4。なんだかお漏らしばかりしてだらしないクルマに成り下がってしまいました。

コトの起こりは、クラッチレリーズからのオイル漏れでしたが、まあここはお約束の消耗部品なんでサクっと交換したところ、いきなりそれはやって来ました。とここまで書いたところでふと考えたんですが、クラッチレリーズシリンダーの交換をすでに当たり前だと思っているところが、一般の方からすると相当感覚がズレて来ているのでは・・・(苦笑)。

まあそれはさておき、さらにリアのブレーキキャリパーのシールからオイルがだらだらと漏れ始めたんです。主治医のところで見つかったから良かったようなものの、街中で走行中だったらとんでもないことになっていました。

オイルと水は一定の圧力の下に循環しています。まず、そのライン上のどこか弱いところから漏れ始めたときに、漏れた場所の部品を交換すると、次に弱っているところに圧力が集中し、そこから漏れ始めるものです。かと言ってライン上の全てのパーツを交換する訳にはなかなか行きませんから、せいぜいホース類のクランプを締めなおす程度しか予防策はありません。あとはどこからか漏れるということを覚悟しておくことでしょうか。

クランプで思い出しましたが、アルファ・ロメオに装着されているクランプは消耗品だと思うべきです。国産のクランプはネジで締め上げるタイプなので何度も使用できますし、増し締めもできるのですが、アルファ・ロメオのそれは形状を見ると一度緩めると二度締めできないようになっています。

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このタイプは当然、ホースが劣化したりするとすぐに緩んでしまい、ホースが抜けたり、継ぎ目から漏れ出すことになります。特にラジエーターのアッパー/ロアホースを交換される方は要注意で、良いチャンスですから国産のネジ締めタイプのクランプに交換してしまうことをオススメします。

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さて、私のブレーキキャリパーですが、通常はピストンのゴムシールを交換してハイ終わりとなるのですが、ナンとシールキットがありません。欠品であるとかという問題ではなく、もともとシールのみという部品の設定がないのです。つまりキャリパーごと交換しなければならないという訳ですが、部品代を調べて見ると結構なお値段します。すでにパワーステアリング関連で当初の予算をオーバーしてしまいましたから、そうそうお金をかける訳には行きません。
こうなったら何とかキャリパーを安くゲットするしかないようです。

安く部品を手に入れるためには海外から通販で輸入するのが一番手っ取り早い方法です。アルファ・ロメオに関してはイタリアから輸入するのが一番良いのかもしれませんが、残念ながらイタリアの業者は通販の体制が十分ではありません。やたら時間がかかったり、着いた部品が間違っていたりと過去の経験からするとロクなことがありませんでした。

次に充実しているのが意外ですがドイツの業者です。ドイツではアルファ・ロメオが数多く販売されています。ただやはり通販となると英語の問題やユーロ為替レートの不安定さなど一抹の不安があるのも確かです。

そして最もサービスと体制が充実しているのが通販大国アメリカです。アルファ・ロメオはアメリカで古くから販売されていましたからパーツも充実しているのですが、残念ながらアルファ164の販売を最後にアルファ・ロメオは北米から撤退してしまいましたので、アルファ155以降のモデルのパーツは殆どありません。アルファ164Q4も北米では販売されていませんが、一部のパーツは他のモデルと共通ですから、ちゃんと調べれば数多くのパーツを北米から輸入することが可能です。
そして、このキャリパー探しから思わぬ出会いがあったのです。

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FISCOチャリティライド

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11月23日に富士スピードウェイで開催された「富士チャリティライド2006」に行ってきました。
このイベント、Make-A-Wish of Japanという世界規模の団体の日本支部が主催するチャリティイベントです。難病を持つ子供たちの夢を叶え、病気と闘う勇気を与えようと様々なイベントを行っていますが、今回はモータースポーツのイベントとして実施されることになったものです。
欧米では自動車メーカーやクラブ、団体などが積極的に自動車を通じたチャリティイベントを行っています。私たちの「自動車趣味」が健全な趣味として世間に認知されるためにも、このようなイベントに積極的に協力することは重要だと思います。

と、思っていたら流石に様々な自動車メーカーやインポーター、そしてクラブ、出版社が協賛し、単に資金面で協力するだけでなく実際に協力してイベントを盛り上げているのを見て本当に関心してしまいました。

今回はCAR GRAPHIC誌でお馴染みのニ玄社の編集部で普段からお世話になっている牧野さんからお誘いをいただいたのですが、当日の天気予報は…「雨」。最悪のコンディションを覚悟して出かけたのですが、何とか雨は降らず薄日まで射す、まずまずの天気でした。

オーナーズクラブで…というお誘いではあったのですが、日程も差し迫っていたため、有志での参加となってしまい、しかも全員が違うクルマで参加というオーナーズクラブにあるまじき状態?となってしまいました。
参加したクルマは…アルファ75、145、164、156SW、Spiderに加えて、ランチア・リブラ、そしてマゼラーティ・クワトロポルテと多彩で、個人的には「どうだ!一台もカブってないぞ~」と満足してたんですが、会場内のクラブ指定駐車エリアにはモーガンのクラブやらマツダ初代コスモのクラブやらが整然と駐車しており、私たちは単なるイタ車集団に見えてしまったようです(苦笑)。

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イベント最大の見せ場はデモンストレーション・ランです。しかも日常では入ることのできないピットウォールからホームストレートを走り抜けるクルマを見ることができます。というか実際は音圧がもの凄く、体全体でクルマの存在を感じることができます。今回の目玉?は、難病と戦っているある子供の「フェラーリF-1と一緒に走りたい」という夢を叶えるべく、サーキットを走るフェラーリENZOの助手席から、抜き去るフェラーリF-1を見るというまさに「夢のような」企画もあり、見ていて心温まる楽しいイベントでした。でも正直な気持ちを言えば…
「ちくしょぅ!オレも乗せてくれっ!」

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サーキットイベントはともすればクルマばっかりのイベントになってしまうのですが、サーキット体験走行だけではなく、会場ではゴルフクリニックや子供向けのショーなども開かれ、家族連れで楽しめるイベントになっていました。私たちの「自動車趣味」が社会に認知されることはもちろんなんですが、まずは家族や彼女に認知されなければなりませんので(笑)、チャリティー目的でなくともこういったイベントがもっとあれば…と思います。

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されどタイヤ・・・

アルファ164Q4の純正指定タイヤはPIRELLI P-ZEROです。このP-ZEROというタイヤは当時随分様々なヨーロッパ車のスポーツモデルに純正指定されたタイヤで、以降の高性能タイヤのベンチマークとなった銘柄です。
そして、今なお製造され続けている長寿タイヤでもあります。

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イタリア車に限らずヨーロッパの車は開発当初からタイヤメーカーと共同でテストを繰り返し、最終的にタイヤのセッティングを決めて発売しますので、純正指定のタイヤが一番そのクルマの性能を引き出すことができると言えます。当時のポルシェやフェラーリがこぞって純正指定したこのP-ZEROは確かにアルファ164Q4にはベストマッチと言えるタイヤだと思います。

お世話になっているタイヤサービスの鵜沢社長から伺った話ですが、ヨーロッパのタイヤメーカーはグリップ限界よりコントロール性重視のセッティングをするそうですが、一方で、国内のタイヤメーカーは日本仕様のタイヤには、少しでもグリップ限界を高めるようセッティングしているそうです。
なぜなら、日本のアベレージドライバーはヨーロッパに比べて運転が下手クソなので、タイヤのグリップがなくなるポイントを少しでも高めにして、その代わり限界を超えるとイッキにダメになるほうが好まれ、ヨーロッパのドライバーは例え限界ポイントが低くても、滑り出してからちゃんとコントロールできるセッティングを好むそうです。
それが顕著に出るのがスタッドレスタイヤで、ミシュランも最初にヨーロッパ仕様のスタッドレスタイヤをそのまま日本に持ってきたら、「すぐ滑るダメタイヤだ」と言われたそうです。
その点からもこのP-ZEROは限界もそこそこ高いのですが、むしろ限界領域でコントロールしやすい点が最大の特徴だと思います。

ところが、このタイヤが結構なお値段します。そして高性能タイヤの常で、磨耗してくると一気に性能が低下してしまいます。P-ZEROに関して言えば、だいだい8分山までが初期性能発揮領域で、6分山が使用の限界といったところでしょうか。
私は「クルマは走ってナンボ」という主義ですので、クルマをガンガン使い倒します。従って、そうそうP-ZEROを年に2回も履き替えるというわけには行きません。
また、タイヤは新調できてもクルマはどんどんヤレて行きますので、私のアルファ164Q4には走行10万キロを超えたあたりからは、P-ZEROは合わなくなってきたなと感じていました。

そんな折に鵜沢社長から、
「ダマされたと思って履いてみな」
と紹介されたのがこのBARUMというメーカーのタイヤでした。もちろん紹介されるまでは全く知らなかったのですが、この会社はチェコで80年以上の歴史がある会社で、近年ドイツのコンチネンタル社と技術提携しタイヤを生産しているメーカーです。

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そして、最大の魅力はそのお値段で何と、P-ZEROの半分以下で買えてしまうのです。輸入元は横浜ゴムで、本来は韓国製の安売りタイヤの対抗商品として輸入を始めたのだそうですが、これが履いてびっくりで、めちゃくちゃ良いのです。
まずは、タイヤショルダーの当たりが柔らかい(表現が難しいですが…)ので、ボディへの攻撃性が少ないと感じました。確かにP-ZEROと比べるとグリップ限界は低いのですが、シャーシーも弱ってきていますので、むしろバランスが良いと思います。
サーキット走行もしてみたのですが、シャーシー限界の手前でグリップがなくなり、まだクルマがついて来る領域でコントロールして体勢を立て直すことができます。またウエットでの性能はP-ZEROと比較しても遜色ない、総合性能からすると、とてもリーズナブルなタイヤです。

それ以来、オーナーズクラブのメンバーにもオススメし、私自身も既に3セットも履き替えてしまいました。

さるオーナーズクラブのメンバーの名言です。

「すり減った高級タイヤより新品のクソタイヤ」

BARUMがクソタイヤだとは思いませんが、P-ZEROを5分山まで履くくらいなら、BARUMを7分山で履き替えたほうがはるかに安定したタイヤ性能をキープできて良いと思っています。

メルセデス・ベンツのEクラスやBMWの5シリーズなど重量級のスポーツセダンには良くマッチすると思いますよ。

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テーマ:アルファロメオ - ジャンル:車・バイク

地獄クルマを訪ねて…その参

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今回の地獄クルマは以前に取り上げたランチア・テーマと同じくTipo4兄弟の1台、

フィアット・クロマ

です。
残念ながらこのクルマ、4兄弟の中で、日本では最も売れなかったクルマです。それは当時の正規ディーラーの販売網の問題だけでなく、フィアットというブランドが日本でイマイチ中途半端だった(今でもそう?)ことに起因します。

実際には1985年の発表から1994年の製造中止までの10年間で45万台以上のセールスを記録していますので、主な販売地域であったヨーロッパでは結構売れたクルマと言えます。
ですので、単に日本で売れなかったクルマなんですが…じゃあ、日本の厳しいマーケットで受け入れられなかったダメクルマかと言うとむしろ反対で、このフィアット・クロマ、イタリアではタクシーやパトカーとしての需要に加えて、プローディ元首相の公用車として使われていたくらいですので、至極真っ当な実用車と言えるでしょう。

日本には発表から2年後の1987年、当時のインポーターであるJAXにより発売され、翌年にはホルマン社製のフルエアロキットを纏った姿で販売されるようになりました。
このあたりが、このクルマの悲劇ではないかと思うのですが、そもそもが実用車として企画されたモデルを無理やりスポーティに仕立てて売ろうとしたため、その中途半端さ故にユーザーからソッポを向かれてしまったのではないでしょうか。

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日本に導入されたフィアット・クロマのエンジン型式も2.0の4気筒DOHCターボとノンターボという当時のフィアットの定番エンジンでしたが、ターボでも155psと動力性能は大したことはなく、むしろ「必要にして充分」な動力性能しか与えられていなかったわけですから、やはり「カッコだけ」のクルマと見なされてしまったのでしょうね。

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さて、このフィアット・クロマの最大の特徴は5ドアハッチバックであることです。デザインはランチア・テーマと同じく巨匠ジウジアーロが率いるイタル・デザインですが、「高級車」のランチアと異なり、「大衆車」のフィアットですので、この5ドアハッチバックという選択は、差別化を図るという意味でも当然のことだったのでしょう。

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残念ながら日本ではこれも、「中途半端」と見なされてしまうボディ形式ですが、ヨーロッパでは根強い人気があり、セダンとワゴンの良所を兼ね備えているのが特徴です。さすがバカンスの国ですねぇ。確かにDセグメントサイズのボディのこのラゲッジスペースは広大で、さらに後席を畳めば単身者の引越しくらいはこなすのではないかと思われるホドです。
余談ですが、当時のジウジアーロデザインにFFジェミニがありますが、ボクシーなデザインに同じテイストを感じるのは私だけでしょうか?実は私、アルファ・ロメオの75TSを買う前はFFジェミニを2台乗り継いでいたので、何となく懐かしさを感じてしまいました。

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このように、フィアット・クロマは、

実用車として見ると理想的な使い勝手に優れたクルマ

と言えます。もちろんTipo4シャーシーのユルさと、お約束?の製造品質の問題はありますが、他の兄弟車の高級車路線と比べると全然許せてしまうから不思議です。
ただ悲しいかな、生存台数が天然記念物並みに少ないため、地獄クルマに見えてしまうのかも知れません。

日本ではクルマのレッドブック(絶滅危惧種)の上位に来る…であろうフィアット・クロマですが、生き残っているフィアット・クロマは、その本来の実用車としての役割を果たすべく、あたかも古民具のようにオーナーに使い倒されていてもらいたいと思います。

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職人の死

このことを書こうかどうか正直悩みました。だから自分の中で気持ちが整理でき、こうして文章にするまでに時間がかかってしまいました。

市井の一職人である、しかも自動車メーカーの創始者でも開発エンジニアでもない、修理工場のメカニックである方の訃報がこれほどまでに全国紙で取り上げられ、クルマに興味のない人々の心まで打ったことがあったでしょうか?

12月2日。私は朝日新聞の夕刊に大きな見出しを見つけました。それはポルシェオーナーの間では伝説のカトー・オートテクノロジーの加藤氏の職場での事故死を伝える訃報でした。

実は、今から15年以上前、私はこのカトー・オートテクノロジーの近所に住んでいました。向かいには当時F-3000などのレーシングカーの整備を行う工場がありました。方や、日本の最高峰のレーシングカーを整備する設備の整った工場に対して、お世辞にも立派とは言えない、むしろ場末の鄙びた整備工場といった佇まいのこの薄暗い工場には、場違いとも思える様々な年式とグレードのポルシェ達が出入りし、加藤氏の手によって整備されていました。当時、私はアルファ75を購入したてで、整備はディーラー任せ。今から思うと整備の質の把握もメカニックの方とのコミュニケーションも何もできていなかったのですが、そのポルシェの整備工場からは向かいの近代的な工場に勝る、何かオーラのような燐とした雰囲気が感じられました。

「ポルシェの神様 整備士加藤さん、仕事中に事故死」

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そこには故加藤氏の様々なエピソードが記されていました。
<朝日新聞>坂田達郎氏、佐藤正典氏記事より

(前略)
故障を直せと迫る客に、「乗り方が悪い」と答えた。エンジンをいじれないようにテープで封印。自らしばらく運転して、車を客に返した。封印はついたまま。車は調子が良くなっていた。
(中略)
箱根に妻と弟の3人で行った帰り、東名高速だけ弟に運転を任せた。オイル交換で工場に行くと、「誰かに貸したでしょ」と加藤さんに言われた。エンジンの音で見抜かれたのだ。
(中略)
「5番のシリンダーから音が出ている。そのうち壊れるよ」と指摘されたことがある。その後、本当に壊れた。
(後略)

また、
<毎日新聞>池田知広氏記事には、
(前略)
十数年前の鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)でのレース中だった。ポルシェの現地メカニックから電話が入った。予選で成績が振るわないという。
「2周してみて」。加藤さんはドライバーに指示すると受話器に集中した。走行音を聴きアドバイスした。「左前の車高を0.4ミリ上げ、右後ろの車高を2ミリ下げて。0.4秒縮まるよ」。しばらくし「0.5秒縮まった」と連絡があった。
(中略)
突然の事故は、翌日のレースに出場するポルシェの整備中に起きた。
下敷きになった加藤さんを見つけた長男順一(33)さんは「最後までやり切るのがおやじの信条」と父の工具を使い整備を終わらせた。「もういいよ」と客は泣いた。加藤さんが整備した1台は翌日、茨城県内のレースで総合優勝した。
(後略)

各紙とも、それを記事にした記者の方は異なっても、客であるオーナーを通じてクルマと真剣に向き合う、「技を極めた」職人の生き様が記されていました。だからこそ、表面的に愛想がなかろうと、工場がボロであろうと、愛車を信じて任せられるメカニックを求めて全国からオーナーが訪れたのでしょう。
そのとき私たちオーナーは反対にクルマを通じてメカニックの方の生き様と向き合っているのではないでしょうか。

クルマ趣味を通じて、このような出会いができることは本当に幸せなことです。そして私たちはその出会いを求め、そして出会えたことをいつまでも誇りに思うのです。

加藤等氏のご冥福を心からお祈りします。

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やっとこさ交換・・・

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パワーステアリングオイル交換の最大の問題は専用工具が手に入らないことでした。通常のパワーステアリングオイルのラインはステアリングラックに繋がる短い距離だけですから、そのまま抜けるのですが、アルファ164Q4の場合はリアのトランク下の4WDアクチュエーターまで伸びていますから、オイルを全量抜いて入れ替えるためにはどうしても専用工具(SST)が必要になるハズです。

と考えた私は各方面に専用工具について問い合わせて見ましたが、返ってくる答えは「ありません」ばかりでした。
いい加減あきらめかけたときに、主治医であるクイックトレーディングのチーフメカニック、石井ドクターから思いもかけないことを言われました。

「作っちゃいましょう」

なるほど…。そもそも何のための専用工具かと言うことを忘れてました。細く長いチューブの中の液体を抜く方法を考えれば良かったのです。
石井ドクターが用意したのは注射器の親玉のようなオイル抜き器でした。これをオイルラインに装着し、新しいオイルを注入しながらゆっくりと古いオイルと入れ替えていくことにより、最終的には全量のオイルが交換されるという寸法です。
おかげで、無事にオイル交換も完了し、オイル漏れを起こしていたパワーステアリングポンプ、ステアリングラックも新品に交換し、ようやく作業は完了しました。

いわゆる専用工具というものには二種類あります。それは特定の作業をやりやすくするための工具と、その工具がなければ作業ができないというものです。
アルファ・ロメオに関しては昔から日本のメカニックが様々な工夫の末に便利な工具を自ら改造して作り出したものが数多くあります。それは作業を正確に、楽に、そして速く行うために試行錯誤の末に編み出したメカニックの知恵と工夫の成果であるのですが、アルファ・ロメオ本社ですら持っていない工具も数多くあるそうです。たかが工具、されど工具と言ったところでしょうか。

最近の自動車整備は、コンピューター診断により悪い部品を見つけ、単に交換するという単純作業になりつつあります。エンジニアでなくチェンジニアと悪口を言われるのはそのためですが、アルファ・ロメオは単にドライブする喜びだけでなく、整備に工夫が必要なクルマ弄りの喜び?まで提供してくれるようです。

とにかく、やっとのことでステアリングオイルの問題は解決したのですが、また何やら駐車場の床にシミを発見してしまいました。

今度はナンだぁ?

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執念の調査

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調べてみるとまず、TUTELAはフィアットグループのオイルメーカーであるセレニア社の潤滑油関係の商品名であることが分かりました。そしてGI/Rは型番です。現在アルファ・ロメオの指定油はすべてTUTELAになっていますが、FAJ(Fiat Auto Japan)にはGI/Rのオーダーリストはありません。つまり今のクルマで使われているモノは無いと言うことです。

困った私は海外のサイトを調べてみることにしました。そして判明したことは・・・

TUTELA GI/R
Specific hydraulic fluid, Colour GREEN
Spec : ISO VG 22(規格) Fully synthetic(化学合成油) SAE 5W(粘度)

で、現在は製造中止になっていることでした。をいをいっ(怒)

では、そもそもこの規格のオイルを使う理由は何なんでしょうか?ファクトリーマニュアルをよくよく見てみると書いてありました。
ヴィスコマチック4WDシステムは単にメカニカルな部分のことだけでなく色々なシステムの複合体を指しています。特に今回の問題のオイルを使用している場所はハイドロリックグループと呼ばれ、リアにある4WDのアクチュエーターを作動させるためのものです。
そしてその作動油を供給するオイルポンプがパワーステアリング用のポンプを共用していたのです。
つまり、パワーステアリングポンプがステアリング系(1st stage)とヴィスコマッチ系(2nd stage)用で上下分割の一体になっており、最大油圧がおのおの100バール/200バールと違っていたのです。どうやらこれがアルファ164Q4だけ他のアルファ164と違うオイルを使用している理由のようです。

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ここまで判明したら、もはや DEXRON III 規格のオイルで代用しようという気は起こりませんでした。オイルの粘度が異なるために適切な作動をしなかったりポンプに負担をかけているのであれば、早急にこのTUTELA GI/Rなるオイルを手に入れて交換しなければなりません。

残念ながら現在のアルファ・ロメオのディーラーはアルファ164のことを殆ど知りません。アルファ164を新車で販売していた大沢商会は撤退し、同じくCORNES MOTORSも販売を止めてしまっています。街中で見かけるアルファ・ロメオのディーラーはアルファ156以降のモデルしか販売した実績はないのです。ましてやアルファ164Q4などという希少なモデルに関しては「見たこともない」という状態です。

そしてやっとのことでイタリア本国のFiat Auto社がは正式にこのGI/Rの代替品としてAKROS ULTRA BRAKE を認定していることが分かりました(Parts# 59059818)。でもなぜTUTELAではないのでしょう?純正のオイルメーカーも相手にしなくなってしまったのでしょうか?これからのことが思いやられます。頭にきた私は、並行輸入業者を通じて今度はTUTELA社に問い合わせを入れてもらいました。そると…
TUTELA GI/Rの後継品はZC75というオイルだという回答が帰ってきました。ん?ZC75?ナンとそれは、現在のアルファ・ロメオの主流であるセレスピードというセミオートマの作動油だったのです。こんな重要な(オーナーだけか?)ことをディーラーを含め日本で誰も知らないなんて…。

とりあえず、日本最後の在庫であるAKROS ULTRA BRAKEというオイルを、他のオーナーズクラブのアルファ164Q4オーナー用にもと3台分買占め(苦笑)、何とかオイルは手に入りましたが、さらに新たな試練がやってきました。全量交換には特殊工具(SST)が必要で、アルファ・ロメオの正式ディーラーには配布されていたようですが、最近のディーラーなどは持ってなかったり、持っていたとしても使い道がないので「どこかにいっちゃった」状態なのです。

そうこうしているうちにオイル漏れも酷くなり、ステアリングからの異音はますます大きくなってきました。さて、

どーしたものやら…

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パワステオイルの謎

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アルファ164には全てのモデルに共通する「泣きどころ」があります。その最たるものがステアリングラックで、中古で販売されているアルファ164を購入する場合は、まず最初にチェックすべき箇所なのですが、当然使っているといつかは交換しなければなりません(これがまたベラボーに高いっ)。一番の原因はパワステポンプの容量不足とステアリングラックのシールの弱さです。

日本車の場合、日本の道は狭く、駐車スペース事情も悪いことからパワステポンプの容量は大きく、ユーザーがやむを得ずに行う「据え切り」に対応していますが、アルファ164は全く対応していません。従って、据え切りを繰り返すと、あっという間にステアリングラックが逝ってしまいます。またステアリングを一杯まで切る、いわゆる「フルロック」という状態を常用すると、シールがダメになりオイル漏れを起こしてしまいます。

オーナーズクラブにはこのステアリングラックの弱点を補うために

1.ステアリングを切ったまま駐車をしない
2.片輪を乗り上げた状態で駐車はしない
3.フルロックでのUターンをしない
4.ガソリンスタンドの洗車などで運転を任せない


という掟?があり、このような状態を起こさないようにわざわざ駐車場を借り替えたヒトもいるくらいです。

オイルが漏れ始めると、まずはラックブーツという蛇腹状の筒の中に溜まっていきます。この状態では外にはオイルが漏れていませんから気付きませんが、ラックブーツのゴムが劣化して蛇腹が切れたりすると、溜まっていたオイルが一気に外に漏れ出すために、発見したオーナーはビックリすることになります。このような事態を防ぐためには、車体の下にオイル染みがなくても、常日頃からパワーステアリングオイルの液量をチェックしておく必要があるのです。

私の場合の始まりはステアリングラックからの異音でした。走り始めて低速でステアリングを切ると「ゴーッ」とスゴイ音がし始めました。これはいよいよステアリングラックがご臨終かと覚悟を決めたのですが、パワーステアリングオイルを足すと異音が一度は治まります。これはどうも単にステアリングラックだけの問題ではなさそうです。

実は以前から気になっていることがありました。純正指定のパワーステアリングオイルに関してオーナーズマニュアルの説明を見るとTUTELA GI/Rという銘柄が指定されています。このGI/Rというオイルは他のFFモデルではTUTELA GI/AというDEXRON II規格の一般的なパワーステアリングオイルであることに対して、アルファ164Q4にのみ指定されたオイルなのです。なぜ?とまた調べてみると、どうやらアルファ164Q4はこのパワーステアリングオイルをヴィスコマチックという4WDのアクチュエーターの作動油と共用しているため、他のモデルにない特別な指定となっているようです。

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残念ながら私は今までこのGI/Rなるオイルを見たことがなかったので、当時の主治医に私のクルマに現在何を入れているのか問い合わせて見ました。そると返ってきた答えは、DEXRON III規格のオイルとのことだったのです。このGI/RがDEXRON IIではなくDEXRON III規格のオイルであるならば何の問題もないはずですが、どうもしっくり来ません。他のアルファ164Q4オーナーに聞いてみると、もっと粘度がない(サラサラ)のオイルのようです。ということはオイルの粘度のせいでパワステポンプやホースに負担をかけているのでは?という疑問が湧いてきました。

そこで私は、このナゾのTUTELA GI/Rの正体について調べて見ることにしました。

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Virus Spider

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それは今年の4月のことでした。突然、とある女性から電話がかかってきました。彼女は人材紹介会社の役員で私とは十数年以上の付き合いになるのですが、日常は殆ど仕事の話しかしない間柄でした。

彼女 「ご無沙汰してます。突然で申し訳ないんですが確かアルファ・ロメオに乗ってましたよね」

私は彼女の口からアルファ・ロメオという言葉を聞いて本当にびっくりしてしまいました。確かそんなハナシを何かの折にしたのかも知れません。

私 「ええ。でもどうしたんですか?」

彼女 「実はアルファ・ロメオが欲しいなと思ったら、そういえばって思い出したんです」

さて、156かなそれとも147かなと思った私は更に聞いてみました。

私 「アルファ・ロメオの何が欲しいんですか?」

彼女 「え~っと、Spiderっていうオープンカーなんですが…」

私はてっきりFFの916系Spiderだと思ってしまったんですが、それはそれで困りました。きっと街中で見かけたんでしょう。でもすでに販売は終わってしまいましたし、何よりもATやセレスピードの設定のないモデルです。しかも彼女は確かペーパードライバーだったハズです。

私 「Spiderって今売ってるSpiderのことですか?」

彼女 「いいえ、昔のSpiderなんですが」

私 「…」

これには相当タマゲました。こともあろうに彼女の頭の中には先々代のSpider。すなわち私のと同じFRの115系Spiderが刷り込まれているようです。

私 「いやぁ~実はボクもそのSpiderを持ってるんですよ」

私は、決心して彼女を試乗させることにしました。一見すると格好の良いクルマではありますが、女性が乗るにはちょっと勇気の必要なクルマです。空調は殆ど期待できませんし、風の巻き込みも結構激しいクルマです。そして最終モデルの生産終了が1993年ですからメンテナンスに関してもほったらかしという訳には行きません。ナビシートにでも乗ってみるとアキラメるだろうなと思いながら半蔵門の彼女のオフィス前で待ち合わせることにしました。

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いざ彼女を乗せて桜満開の靖国通りを走り出すと、彼女は満面の笑みで応えてくれました。

彼女 「やっぱりSpiderって最高ですね!!」

これは最高の一台を彼女のために見つけるしかないようです。
そしてこの試乗会の1週間後、彼女は私の見つけてきたVerde Inglese(British Green)という珍しい塗色のアルファSpider Sr.4を購入してしまいました。
もちろんATのモデルにしたのは言うまでもないのですが、すでに彼女は周囲のクルマ好きからアルファSpiderに関する専門書まで借りて、Sr.1とかSr.3などと嬉しそうに話しています。

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そして彼女は何と、ペーパードライバーのためのトレーナーまで予約してしまっていました。何と、納車されたばかりのアルファSpiderにそのトレーナーを乗せて練習しようと言うのです。

トレーニングの当日に私も見に行ったのですが、さすがにアルファSpiderでペーパードライバーの講習というのは初めてだったようで、トレーナーの方もびっくりしていました。

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そして…お約束どおり、このあとオルタネーターのトラブルで彼女のアルファSpiderは私の主治医のところに早速入院してしまいました。
それでもケロっとして笑っている彼女は、もうしっかりと「Spiderのウイルス」に冒されてしまっているようです。

アルファSpiderというクルマの「ウイルス」に一度冒されてしまえば、運転に自信があるかないかとかメンテナンスに不安があるかどうかなどは瑣末なことになってしまうようです。

永年のペーパードライバーから脱出し、クルマを購入するだけでも結構な冒険だと思うのですが、彼女はただクルマを買ったのではありません。彼女が買ったのは「アルファ・ロメオ」しかも「ちょっと古いアルファ・ロメオ」なのです。

緑のアルファSpiderに乗っている今の彼女はとっても素敵で、私にはもっと人生を楽しもうとしているように見えました。そしてきっとアルファSpiderとの生活はその期待を裏切ることはないと思います。

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オープン禁断症状?

1989年式のアルファSpider Sr.3と別れてから1年。金曜日になると週末の天気予報を気にする習慣をやっと忘れかけた頃、新しい仲間がまた私の許にやってきました。アルファSpiderに限らずオープンボディのクルマに一度乗ってしまうと、屋根の無いクルマに無性に乗りたくなるという禁断症状が出るようです(泣)

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今度手許にやってきたアルファSpiderは最終の1990年式Sr.4です。購入の決め手?は、このアルファSpiderがヨーロッパ仕様で、日本/北米仕様でどうにも気に入らなかったリアのハイマウントストップランプがないモデルだったことです。またサイドマーカーの位置も日本/北米仕様がバンパー横であることに比べ、フェンダー横であり個人的にはこちらの方が好ましく感じられました。
このクルマ、日本の商社マンがイギリスで購入して乗っていたもので本人の帰国とともに日本にやって来たのは良いのですが、日本では乗るところがない…と手放したものです。確かにイギリスの田園地帯を駆け抜けるアルファSpiderはまさに「水を得た魚」だったでしょう。

さて、不評だったウレタン化粧の「エアロディナミコ」と呼ばれたボディのアルファSpider Sr.3に比べ、洗練されたSr.4ではありますが、いざ乗ってみるとこれも間違いなくアルファSpiderでした。その「現代化」された外観に比べ、シャーシーやエンジンは従来のアルファSpiderと何ら変わらないのです。唯一の違いはステアリングにパワーアシストが着いたことぐらいでしょうか? 私の購入したモデルには装着されていませんでしたが、これ以外にもエアバッグやAT仕様も用意され、この最終Sr.4は何とか装備は現代の基準に追いついたモデルだったと言えます。そしてこのクラシカルとモダンの融合がアルファSpider Sr.4の最大の特徴なのです。

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それでは、以前に所有していたSr.3と比較してみましょう。

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フロントとリア以外は全く同一で同じパネルを使用していることが分かります。本来、デザインはオリジナルが一番優れており、マイナーチェンジでイジればイジるほど悪くなっていくものですが、変更された部分はまるで、もともとのデザインがそうであったように全く違和感なくフィットしています。オリジナルのピニンファリーナのデザインがいかに優れていたかと、手を加えたエンリコ・フミア氏を始めとするデザイナーの非凡な才能が発揮されています。
115系Spider(歴代のSpiderを区別するためこう呼ばれています)はこのSr.4で終結するのですが、まさにそのフィナーレを飾るに相応しい完成されたデザインだと思います。

購入して真っ先に行ったことは、どうしようもないドライビングポジションを改善することでした。昔からイタリア車のドライビングポジションはステアリングが遠く、「手長猿」しか運転できないと言われたものですが、ご多分にもれずアルファSpiderもペダルに脚を合わせるとステアリングが遠く、独特の場所にあるシフトレバーも遥か彼方?になってしまいます。またさらに、周囲のSpider乗りの間では「Spiderは腰で乗れ」と言われるほどこのクルマは半分寝た姿勢で運転するのが格好良いのです。

様々なステアリングをチェックしてやっと見つけたのが、NARDIのRALLYステアリングというディープコーンタイプのステアリングでした。これで8cmほどステアリングが手前に調節されやっと普通のポジションが取れるようになりました。しかし、シフトレバーは結局満足できる長さのものがなく、遥か彼方とまでは言えませんが、腕を目いっぱい伸ばさなければシフトできない状態です。

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また、オーバーサイズと思われる純正のタイヤサイズ(195-60-15)もワンサイズ細いもの(185-60-15)に変更してみると、随分と回頭性が良くなりアルファSpider本来の軽快な走りを取り戻すことができました。

さあ、また週末の天気予報をチェックする生活の始まりです。

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地獄クルマを訪ねて・・・その弐

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さて、地獄クルマの第二回目は…

ランチア・モンテカルロ

です。

前回のランチア・テーマ8・32の項で、このメーカーは「どっかキレたことをやらかす…」と書きましたが、このミッドシップ2シーターのモンテカルロ、その「どっかキレた」ランチアの典型かと思いきや、ちょっと違うヒストリーを持っているのです。

実は、このベータ・モンテカルロは、1960年代終わりにFIATの2シータープロジェクトとしてX1/20のコードネームでピニンファリーナとアバルトにより開発されていたクルマです。先に開発がスタートしていたベルトーネのデザインによるものはX1/9と呼ばれ1972年に発表され、市場からは好評を持って迎え入れられたため、それに気を良くしたFIATはX1/9の上級モデルとしてX1/20の開発を進めるのですが、オイルショックの影響でマーケットが冷え込んでしまったため、既存のFIAT製品との競合を避けるためにランチアのブランドで急遽、ベータ・モンテカルロとして発売することにしたモデルです。
つまりランチアにしてみれば突然、「売れっ!」と言われたわけですね。

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ところが販売は不振でさっぱり売れず、一時的に1978年には生産中止になってしまいます。これはベータ・モンテカルロそのもののせいではなく、この時代のスポーツモデルがオイルショックにより等しく直面した販売不振なんですが、それでもしぶとく、1980年のジュネーヴショーでマイナーチェンジを行い、「ベータ」という名前を取って「ランチア・モンテカルロ」として再度販売を開始しますが、やっぱり売れず、1981年には生産を終了してしまいました。

このモンテカルロ、なんと北米マーケットにも売ろうとしていました。しかし商標の関係から「モンテカルロ」という名前が使えず、「スコーピオン」という名前で、また安全基準の関係でフロントライトを丸目に変更して発売したのですが、案の定…売れませんでした(苦笑)

さて、主治医のクイックトレーディングで発見したこのモンテカルロはSr.2と呼ばれるマイナーチェンジ後の個体です。そしてよく見てみると、ランチア、ピニンファリーナ、アバルト(これはこの個体特有のもの)、ミッドシップ2シーターとイタ車のスポーツカー好きには卒倒しそうなくらいのブランドがテンコ盛りなんですね。同じ組み合わせのものはグループBカーのランチア037ラリーがありますが、実はその外見はこのモンテカルロを模してデザインされています。全然関係の無いラリーカーにそのイメージを纏わせるまでして売りたかったんでしょうね。

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このクルマの最大の魅力はこの

「ブランドテンコ盛り」

ではないでしょうか?ミッドシップ2シーターとは言え、その性能は全然大したことはありませんし、当然、部品はない、ボディ剛性もない、暑い、燃える…などハンパな気持ちでは維持できないクルマです。

しかし、もはやアバルトが亡き今、これらのブランドが集結して一台のクルマを作り上げることは不可能ですし、またそれぞれのブランドが単なる「名義貸し」ではなく本気で関わった作品と言えるのが、このランチア・モンテカルロではないかと思います。

このクルマは国宝級の重要文化財です。博物館に飾られるのではなく、街中で走り去る姿を見て合掌したいものです。

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アルファ・ロメオのDNA~アルファ164Q4との生活~

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前回でアルファ・ロメオには共通のDNAがあるというオハナシをしましたが、では、もう一方のアルファ164Q4の方はどうでしょうか?

アルファ164Q4はアルファSpiderと異なり、電子制御で4輪へのトルク配分を調整し、パワステ、ABSを装備し、速度に応じて減衰力を調整する可変ダンパーを装備しています。もちろんこれらの一つ一つの装備は現代では全く珍しくない電子デバイスなんですが、アルファ164Q4のこれらは、一つの明確な目的のために装備されているのではと思います。

もともとアルファ・ロメオはFRこそスポーツドライビングにふさわしい駆動形式であると信じているフシがあります。確かに前輪でクルマの方向を決め、後輪でクルマを前に進めるという前後輪で役割を分けるほうが理にかなっていますし、歴代のスポーツカーはそのエンジンの置き場所が異なっていたとしても前輪で操舵し、後輪で駆動しています。

諸般の事情からFFをベースにクルマを設計しなければならなかったアルファ・ロメオのエンジニアたちは、当初FFのネガティブな性格を全く消そうとしませんでした。ステアリングが切れなくても、タックインが激しくても、フロントのトラクションがすぐ抜けてしまっても、これらはFFであるが故に発生する問題ですから、
「だって仕方ねーじゃん」
という気持ちではなかったでしょうか。

でも、彼らは本当のアルファ・ロメオファンが自分たちと同じようにFRを待ち望んでいることを良く知っていました。しかし彼らは単にFRに戻るのではなく、FFでもFRでもない全く新しいドライブ・フィールを追求しました。アルファ164Q4に搭載された凝った4WDメカニズムも様々な電子デバイスも、FRを愛するアルファ・ロメオファンに向けての
「じゃあ、こんなのどーだい?」
という一つの提案だったのではないでしょうか。

クラッチを繋ぎ、アクセルを踏み込むとこのクルマは殆どノーズを上げず、一瞬フロントに向けられたエンジンパワーは少しづつリアに配分され、まっすぐに加速して行きます。コーナーに進入する際はステアリングを切っただけ曲がるニュートラルステアという状態を維持し続けます。それは、プッシング・アンダーと呼ばれる挙動ではなく、例えコーナー途中でアクセル開度を変えても、それに合わせて前後トルク配分を変えて、殆ど感じられないほどの弱アンダーステアを維持しようとします。

確かに、FFのように積極的にタックインを誘発する走り方も、FRのようにパワードリフトに持ち込み、カウンターステアでクルマの向きを変える走り方もできません。その代わりに、いかなる状況でも限りなくオン・ザ・レールで走行するという別の世界を楽しむことができるのです。最大の問題はタイヤの限界を超え、制御コンピュータの処理能力を超えた状態になったときに、いきなりオーバーステアになったり全く予測できない挙動を示すことですが、サーキットで限界走行をしない限りはこのような破綻は訪れません。

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アルファ・ロメオはスポーツモデルではなく、アルファ164というアッパーミドルセダンに、様々な理由から「乗らざるを得ない」スポーツドライバーに向けて、そしてメルセデス・ベンツでもBMWでもなく、自分たちのブランドを選んでくれるこれらのアルファ・ロメオファンに向けてのメッセージとして、この開発・製造コストを考えると大赤字のクルマを贈ったのではないかと思います。

アルファ164Q4はそのドライブ・フィールにおいて他のどんなクルマとも異なりますが、それでもアルファSpiderと同じく、乗り手の感性を裏切らないドライブ・フィールを提供してくれます。
アルファ164のようなセダンに乗るときに人間はわざと感性を鈍くさせます。それはこの大きさのセダンならばおそらくこの程度の挙動であろうという経験から来る想像に基づいた自然な行為だと思います。

しかし、アルファ164Q4は走るほどに体感するクルマのサイズが小さくなり、気がつけば小さなクーペ、例えばジュリア・スプリントを運転しているような感覚に陥るのです。

爆発的な加速や、超クイックなステアリング・フィールは乗り手の感性を裏切ることによるエンターテインメントかも知れませんが、これらは麻薬のようなもので、慣れてしまえば当たり前になってしまい、より過激な麻薬を求めてしまうものですが、アルファ・ロメオが提供しようとするエンターテインメントはどの大きさのクルマであっても、クルマを自由自在に操ることのできる楽しさなのです。
どうやらアルファ・ロメオのDNAには、この
自由自在」にクルマを操れる喜びを、どのサイズの、どのボディ型式のクルマにも提供すること

とすり込まれているのではと思います。

最初の車検を終え、様々な天国と地獄を体験した私はこのアルファ164Q4ととことん付き合って見ようと思い始めました。

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電子制御と機械制御~Spiderのある生活~

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ひょんなことから手許にやってきた89年式アルファSpider 2.0Veloce。そして地獄と天国を交互に味わい続けているアルファ164Q4の2台を乗り比べてみると、アルファ・ロメオというメーカーがどんなクルマを作り続けて来たのかが何となく分かってきます。

かたや、世界に一種類しかない4WDシステムを搭載し、当時としては最先端の電子制御に挑んだアルファ・ロメオのフラッグシップサルーン。
そしてもう一方は、「走る化石」のような、電子制御など何もない、ツインキャブのアルファSpider。
クルマとしては全く異なる、両極端と言っても良いくらいの2台のクルマですが、この2台にはアルファ・ロメオが考えるクルマは乗り手に何を提供するか?というテーマがしっかり共通して存在していると思えます。

恐らくそれは、アルファ・ロメオが「クルマとは何か」という命題に対して設立以来不変の考え方を持ち、その時代の技術をこのテーマを達成する手段として用いてクルマを作って来たので、あたかもDNAのように受け継がれて来ているのではないでしょうか。
では、そのDNAとは何なのでしょうか?
「Cuore Sportivo」(スポーツ精神)がアルファ・ロメオのキャッチフレーズですが、どうやらこの言葉にその意味が隠されているようです。

アルファSpiderは決して速いクルマではありません。発売当時においてもその性能は最高ではありませんでした。オープンボディは剛性が低く、コーナリングの限界も決して高くはありません。走っているとあちらこちらからミシミシと色んな音が聞こえてきます。風の巻き込みはもの凄く、100km/h以上はクルマよりも人間の限界が先に来てしまい、とても出す気にはなりません。
現代のクルマの評価基準からすると「ボログルマ」と言って間違いはないでしょう。
ところが、これがとても気持ちいいのです。これらの欠点が欠点ではないかというと間違いなく欠点なんですが、全く嫌ではないのです。

アルファ・ロメオはそれがどんなボディ形式のクルマでも乗り手の感性を裏切りません。全てのクルマの挙動が、このぐらい踏んだらこのぐらいスピードが出て欲しいとか、このぐらいステアリングを切ったらこのぐらい曲がって欲しいという乗り手の感性以上の反応を示さないのです。ですから、低速でも高速でも、まっすぐな道からワインディングまで、クルマを操るという喜びを提供し続けてくれるのです。

オープンで走るということは夏は暑く、冬は寒いという当たり前の状況に身を晒すことになります。雨が降れば幌を上げていてもどこからともなく雨が漏ってきてカラダを濡らします。
一度その雨漏りについて主治医にボヤいたのですが、逆に説教されてしまいました。

「オープンの幌は傘ですよ。傘を買って、傘屋に雨の日に濡れると文句いうヒトはいないでしょう?」

アルファSpiderで走った後は、ちょうど全力でスポーツをしたあとの快感ではなく、軽くカラダを動かしたあとの爽快感に似た感覚に陥ります。

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クルマに近づいて行くときに見えるその姿、運転席に座って見るフロントフェンダーの眺め、キーを回して聞くDOHCエンジンとキャブレターの吸気音、そしてクルマから出る様々な音がスピードを上げるにつれて、風の音に消えていく過程、街中のウインドーに映るクルマと自分の姿、周囲の人々の視線と話し声、そしてクルマを停めて振り返って眺めるその姿に至るまで、単にクルマに乗るという行為を一つのドラマに変える魅力を持っているのです。
もし、「クルマなんて走ればいいや」と思っている方がいれば、それは「運動なんて筋肉を動かして有酸素運動ができれば何でもいいや」と思っているのと同じことではないでしょうか?

アルファSpiderは高価なクルマではありません。中古車で86年式から89年式くらいのSr.3のアルファSpiderが見つかるなら、一度買ってみてはいかがでしょうか?仮に1年ほど乗って手放したとしても殆ど値段は落ちないでしょう。その確実に「ボロな」アルファSpiderに、それを承知で付き合ってみると、自分のクルマに対する価値観が変わるかも知れませんよ。もし、全然気に入らなかったとしても…、アルファSpiderと過ごしたその時間は後々まで自分の中の語り草になること請け合いです。

かくして私の手許に風のようにやって来たアルファSpiderは、約1年半の間、私に様々なことを教えて、新しい生徒の許に旅立って行きました。

ではもう一方の電子制御のほうは…?それはまた次回にということにしましょう。

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アルファSpiderについてちょっとお勉強・・・

ご存じない方にアルファSpiderというクルマについてご説明しましょう。

1964年にアルファ・ロメオ社はGiulia Spiderの製造を中止する。このコンパクトにして流麗なボディデザインを持つSpiderは、もともとは先立って製造中止されたGiuliettaのボディから派生したモデルであったが、後継モデルである新しいGiulia Sprintの生産開始に伴い、名前を変えて生産が継続されていたものであった。本来はほかのGiuliettaとともに製造中止するはずであったが、アルファ・ロメオにとって販売車種の中にSpiderモデルがないことは多くのファンの期待を裏切ることでもあったために採られた措置であった。しかしそれも製造ラインの問題からさすがに継続生産は1年が限界であったため、アルファ・ロメオは急遽Giulia Sprintのボディをそのまま使用し、その屋根をカットしたGiulia GTCを1965年に発売し、Spiderファンを納得させようとしたが、販売は少数に留まり、それはその後に発表される全く新しい「Spider」のための繋ぎでしかなかった。

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1966年、アルファ・ロメオはGiulia Sprintのメカニカル・コンポーネンツをもとにした新生Spiderを発表する。ピニンファリーナによるそのボディ・デザインは一般公募により「Duetto」と名づけられたが、そのラウンドしたテールのデザインから「イカの甲」とか「ボート・テール」などのニックネームで呼ばれていた。その当時では最先端の空力デザインはアルファ・ロメオファンに絶大な賛辞とともに迎え入れられ、販売も好調にスタートする。

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以降、SpiderはそのメカニズムをGiulia Sprintと同じくしながらデザインはまったく別の発展をすることになる。1969年にその独特のデザインであったリアをすっぱりと切り落とし、既にGiulia TZ-1でその効果を実証済みであったCoda Troncaボディに進化する。これは当時の空力デザインの最先端であり、その後の多くのスポーツカー/レーシングカーに影響を与えたものであった。

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後年、Spider(その型式から115系Spiderと呼ばれる)を分類するため、初期のモデルはSr.1、そしてこのマイナーチェンジ版はSr.2と呼ばれるようになる。
このSr.2のボディデザインは13年もの間販売されたが、さすがに古ぼけてきたため1983年、当時の流行であった空力パーツと北米向けの衝突安全対策を付加したSr.3に進化する。この黒のウレタンパーツを付加したデザインは確かに流行の先端ではあったが、本来のSpiderの持つデザインの流麗さを台無しにしているとしてファンには不評であった。

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しかし、時代は「安全」というキーワードに大きく傾倒していく。数多くのオープンモデルがその安全性の低さゆえに製造中止となり、市場から姿を消して行くことになる。その最たるものがMGやトライアンフなどの英国産オープン車であったが、アルファ・ロメオSpiderはこれらのライバル車が消えたことにより、またアルファ・ロメオの経営状態の悪化により後継モデルの開発ができなかったことにより、その製造は継続され続けたのであった。

1989年、Spiderは最後のデザイン変更を受ける。Sr.4と呼ばれるそのボディデザインは不評であったウレタン空力パーツを取り除き、アルファ164の成功により新しくアルファ・ロメオのデザイン・アイコンとなったリアのランプ類を一本ラインにまとめる手法により、本来のデザインが持つ流麗さを取り戻し、好評を持って迎え入れられる。時代はユーノス・ロードスターの販売開始によりオープンモデルが再燃し始めていた。低迷し続けていた販売も上昇に転じ始める。

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1996年に全く新しいFF形式のSpiderにその座を譲るまで、このSpiderは基本的なメカニカル・コンポーネンツをGiulia Sprintと同じくし、30年近くの間製造し続けられたことになる。ミニと並び、これだけ長寿のモデルは今後も発生し得ないだろう。

ちなみに後継のSpider(区分するためその型式から916系Spiderと呼ばれる)はアルファ164と同じ、ピニンファリーナ時代のエンリコ・フミア氏のデザインであるが、先日彼に確認したところ、この最終Sr.4のリデザインにも彼は関わっていたそうである。

さて長々と「お勉強」したところで(笑)、次回はこのSpiderに乗ってみて感じたクルマの性能とは?ということについて書いてみたいと思います。

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Spiderとの出会い

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度重なる修理の出費に感覚が麻痺してしまい、もはや少々の請求書にはビクともしない強靭な神経ができてしまった私は、もっと地獄を見たいと思うようになってしまいました。

そんな私はフトしたきっかけで更なる地獄探検に行くことになってしまったのですが、それはこんな主治医との会話から始まりました。

私:さすがアルファ・ロメオのフラッグシップですねぇ~。修理代でヘタな中古車が買えちゃいますよね。

主治医:ほんとですよね。まあ、アルファ164Q4は重要文化財ですからオーナーさんにはそれなりの責任感を持って動態保存していただかないと…。

私:梅小路の蒸気機関車じゃないんですから、動態保存なんて(笑)

主治医:でも本当に、この修理代でここにあるSpiderは買えちゃいますよ。

私:えっ?Spiderってそんなに安いの?

主治医:まあ、普通に売ったらその値段では売りませんが、お世話になってますからねぇ。

私:・・・・・・。・・・・・・・!☆○♪☆■□△$\(泣笑)

かくして、1989年式のピニンファリーナの傑作デザインであるアルファ・ロメオSpider 2.0Veloceが私のもとにやってくることになってしまいました。

このSr.3と呼ばれるモデルの、一般的には人気がないと言われている理由はその
「取って付けたような」
エアロディナミコと呼ばれたウレタンの空力パーツのせいですが、それはそれで良く見ると今やレトロと言っていい「味」を感じます。しかもこのエンジンは定評あるアルファ・ロメオの4気筒DOHCエンジンです。更に、決め手はこの個体がSr.3最終のヨーロッパ仕様でウェーバーのツインキャブを装着したモデルであったことです。平成の時代に作られた新車にキャブレターが装着されていたことも驚きですが、その吹け上がりの豪快さと新車のときからユルいボディが幸いして、全然ボロく感じません。

自分で手を入れられる電子制御のないメカもおそらく維持費軽減に役立つでしょう。部品代も調べてみるとアルファ164Q4に比べ破格です。

あ~あ。何て言い訳しよう(泣)

でもこのSpiderに乗ってみると、クルマについて本当に色々と考えさせられるものがありました。

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エンリコ・フミア氏とランチアJ

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それは、クルマに何の興味もない方が見ると自動車とはまだ呼べない塊でしかありませんでした。
しかし、今までのどの車にも似ていない、しかしどこか懐かしさもあるそのスタイリングは、それが実物の1/4サイズであっても、初めて見たどんなヒトにも強烈なインパクトを与えるものでした。

エンリコ・フミア氏はランチア設立100周年を記念して、ランチアの歴史に対するオマージュとして、また低迷するランチアに対する未来へのスタイリング提案として、この「ランチアJ」というスタイリングモデルを作り上げました。

単なるモデルの製作であっても、ここまで漕ぎ着けるには並大抵の努力では不可能だったでしょう。確かに、もしこれが正式に承認されたプロジェクトであったならば、このようなクレイモデルはそのデザインプロセスの中で何台も作られるものです。
しかし、「ランチアJ」はランチアから依頼されたプロジェクトではありません。またピニンファリーナのようなカロッツェリアが、自社の資金で自動車メーカーに提案するスタディモデルでもありません。
エンリコ・フミア氏が彼自身の熱意と、彼の作品を待ち望む日本の仲間達の資金支援によって形を成したものなのです。

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当時の彼からの提案書にはこう書いてありました。

(前略)
思うに私が提唱した未来のライフスタイルとデザインは、もはや皆さんの文化となって定着したようです。日本という国は、イタリアと違う部分もありますが、似ているところも多くあります。特に言えるのは、文化への愛着と造詣の深さでしょう。その昔、アルファ・ロメオやランチアというブランドが立ち上がったときから、イタリアのエレガント・スポーティネスや大人の遊び心といった文化がクルマを取り巻く人々によって育まれ、大切にされてきました。この意味でも、皆さんはイタリア車のユーザーであると同時に、正統な文化継承者でもあるのです。

さて、今年はランチア100周年という記念すべき年です。私は、特別に日本の皆さんのために、あることを思いつきました。それは、ランチアの新しい世紀を祝う、全く新しい生粋ランチアの提案です。かつて幸運にもチェントロ・スティーレ・ランチアのトップにいたときは、自分の思う限りの素晴らしいランチア車をデザインすることができました。その内容は決して間違いではなかったと確信していますし、イプシロンの商業的成功が証明しています。フィアットをはじめとするイタリア工業界の低迷が続く中、この機会に未来のイタリア車のあるべき姿を世に示し、日本をはじめとする世界中のイタリア車オーナーに希望と夢を与えたいと心から深く願っています。
(後略)

そして私を始め日本のエンリコ・フミアファンは彼とともにこの希望と夢の実現に向けて共に動き始め、その第一段階がこのデザインモデルだったのです。

ボディサイズをDセグメントと想定したそのスタイリングは、単なるデザイン提案ではなく、前後、左右の各パネルをシンメトリックにデザインし、生産効率まで考えてあります。最大の特徴はその観音開きの前後ドアですが、各ディテールには過去のランチアの名車へのオマージュが散りばめられており、通人をニヤリとさせることでしょう。ボディの下部は全周に渡ってメッキでウェーブラインが入れられており、デザイン上のアクセントとなっています。
今までのどのクルマにも似ていない、しかし間違いなくランチアのクルマであると分かる「ランチアJ」を見た途端に、私たちはこのプロジェクトの実現を願わずにはいられませんでした。

未だかつてカーデザイナーとそのユーザーが一緒になって未来のクルマの提案を自動車メーカーに対して行うことなどあったでしょうか?

どんな有名な実績のあるデザイナーも為し得なかったこのプロジェクトはエンリコ・フミアという、製造決定権を持つ自動車メーカーの役員ではなく、数あるクルマの中から彼の作品を選ぶ購入決定権を持つユーザーを大切にする、稀有なデザイナーでなければ始められなかったであろうと思います。

そして、「ランチアJ」は静かに皆の心の中で動き始めています。

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