
「50万円ですか…」
覚悟をしていたとは言え、その金額はあまりに理不尽に思えた。買い替えではなく買い取りだったせいもあるのだろうが、リセールバリューを最優先して選んだ車の金額として考えると、とても納得できる金額ではなかった。
「それでも高い方なんですよ。人気のボディカラーで最上級グレードですし」
査定した営業マンは申し訳なさそうにそう言った。
慎二がその国産車を新車で購入したのが6年前。それまでは中古車しか買うことができなかったが、やっと新車を買える身分になったと自分自身でも感慨にふけったものだった。しかし、新車を買うに当たっては父の助言を受け入れなければならなかった。それは資金援助を受けたためでもあったが、慎二が子供の頃から受け続けた父の価値観の影響も大いにあった。
慎二の父は大手財閥系銀行の支店長だった。全ての物事において慎重で確実性を考え、酒とゴルフを嗜む程度で、一切のギャンブルには手を出さず、宝くじすら買うことのないマジメな男だった。
その父の助言はかつて父自身がそうして来たように、リセールバリューを第一とし、個人の好みをクルマ選びに一切持ち込まないというものだった。
父は借金が嫌いで、自らも一切借金をしなかった。銀行とは貸付金の金利で成り立っているので、借金をしてくれる人がいなければ成り立たない商売であり、一見すると矛盾した考えであったが、個人と会社は別と父は涼しい顔をして答えたものだった。
結婚してようやく新車を買うことにしてローンを組もうと父に相談したときに、ローンを組まずに資金を援助すると申し出たのは父で、そのときの条件がこのリセールバリュー第一というものだった。
慎二はそのクルマに全く思い入れはなかったが、世間で一番人気のあったクルマであったことから、カタログすらろくに見ることなしに、ボディカラーがホワイトの最上級グレードを買うことにした。
街中で同じグレードのそのボディカラーのクルマを多く見かけることも実際に売れていることの証明ではあったのだが、慎二にとっては目障りでしかなかった。
ホワイトのボディカラーが一番色褪せもせず、好き嫌いの影響があまりないことから、リセールバリューを考えるとそれが一番良い選択であることは分かっていたのだが、慎二にはそのクルマにもそのボディカラーにも何の思い入れも湧いては来なかったし、最上級グレードの一体何が最上級なのかすら良く分かってはいなかった。
それまでの中古車選びの方がはるかにエキサイティングで、中古車雑誌を隅々まで読み、実際に何軒も中古車店を廻り、ようやく気に入った一台を見つけたときの喜びはひとしおで、実際に納車されるまでの間は手に入る様々なアクセサリーパーツのカタログを見たり、そのクルマの試乗記が掲載されている自動車雑誌のバックナンバーを古書店で探したりと随分と楽しむことができた。
慎二は、それがたとえ予算がないための妥協の結果であったとしても、その中で自分自身が納得した本当に好きなクルマを買ったからであったことを、こうして新車を買うことになったときに初めて気が付いた。
そして、慎二にとって人生初めての新車は、何の高揚感も感動もなく、慎二が仕事に出かけている平日の昼間に納車された。
しかし、そのクルマは実際に乗ってみると故障もせずに良く走ってくれた。それまでの中古車は故障して何かしら修理を必要としたのだが、さすが新車だと故障はなく、さらにディーラーは3年間故障修理に関しては保障してくれたので、何の心配もなく運転することができた。
そして慎二はクルマを買うという高揚感に続いて、それまでは中古車故の宿命だと思っていた様々な異音や不具合に敏感になりながらクルマを運転するという楽しみも失ったことに気づいた。

アルファ156には一目惚れだった。初めて街中でアルファ156を見たときに、世の中にこんなに美しいクルマがあるのかと思った。今乗っている国産車に特に不満な点はなかったが、アルファ156に比べるとその外観は何ともアンバランスで、それまで気にもならなかった自分のクルマの全てが一気に陳腐に見えた。
気がつけばディーラーを訪ねていた。セールスマンから一通りの説明を受けたが上の空だった。そして知らされたのがアルファ156はバックオーダーを抱えており納車は半年後になるということだった。
慎二にはとてもその半年が待てなかった。これから半年もあのハリボテのようなクルマに乗り続けることに我慢が出来るとは思えなかった。
アルファ156に出会うまでは、クルマなんてこれで充分と思っていた初めての新車であった自分のクルマが、あっという間にこれほどまでに色褪せてしまうとは自分自身でも全く理解できなかったのだが、それが正直な気持ちなのでどうしようもなかった。
こうして、慎二はセールスマンの薦めで試乗車であったアルファ156を買うことにした。ボディカラーや仕様など慎二の希望とは異なっていたが、そんなことは気にならなかった。それよりアルファ156であることの方がはるかに重要なことだった。
案の定、父は猛反対した。
父はアルファ・ロメオというイタリア車のことを「知っている」という程度で、壊れる。修理費が高い。リセールバリューが(恐らく)ない。ということから、父の価値観からすると全く受け入れられない選択であった。
慎二がアルファ156について熱く語れば語るほど、父は、「冷静になって良く考えろ」と言うばかりで、それはもはや議論ではなく、車に対すると言うより人生に対する価値観の相違となって、お互いに譲れない状態になってしまった。
慎二は人生で初めてローンを組んだ。
それまでの貯金と今の車の買取り額を合わせても、アルファ156の値段には到底届かなかった。これから生まれてくる二番目の子供のことも考えると、このローンは心の重荷になったが、父の援助は到底期待できなかったし、父とのこの議論は「勝手にしろ」という父と子の喧嘩の「決め台詞」で終止符が打たれていた。
考えて見れば慎二にとってこの決断は父に対して翻した初めての反旗であった。
それまでの慎二は父の助言に従って物事を決めてきた。それは父に盲従していたのではなく、父の助言を自分自身ももっともだと思ったからで、知らず知らずのうちに父の価値観が慎二自身にも刷り込まれていたのかも知れなかった。
しかし、アルファ156は慎二自身も気が付いていなかった父のものとは異なる自分自身の価値観に気づかせてくれた。
慎二にとってアルファ156は最早、今まで乗ってきた車の中の一台ではなく、人生の中で出会うべくして出会った一台であり、初めてのローンも、父との初めての確執も、自分自身が今まで気づくことのなかった父からの自立だったのかも知れない。
こうして手許にやってきたアルファ156に慎二は心酔した。多少の意地もあったのかも知れないが、それまでの国産車では起こりえなかった瑣末なトラブルも気にはならなかったし、かつての中古車のような感覚を研ぎ澄ませて運転するという「癖」もすぐに取り戻すことができた。
アルファ156がやって来てから、しばらく父とはクルマの話を全くしなくなった。
「全然、違うな・・・」
初めてアルファ156の助手席に乗った父は一言だけそう言った。
決して、激しい運転をした訳ではなかったし、どちらかと言うと大人しく運転したつもりだった。
しかし、父の口調は決して批判めいたものでもなければ、その言葉の後に文句が続くようなものではなく、どちらかと言うと、穏やかで、そして少し寂しげな口調だった。
「ああ・・・」
慎二も穏やかにそう応えた。
何となく。本当に何となくではあるが、慎二はこれからは父と親子ではなく、男同士としての話ができるような気がした。
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テーマ:ひとりごと - ジャンル:車・バイク
こうして長々とブログを書き連ねているのですが、
私には身の周りの出来事や文献を調べたことを文章にすることはできても、物語を創作をする才能はないと思っています。
そんな私がクルマを題材にしたShort Storyを書いてみようと思ったのは、以前に読者の皆さんに薦められたことがきっかけでした。正直言って、薦められるまではそんなことは思ってもみなかったのですが、短編小説であれば大掛かりな構成を用意する必要はありませんし、クルマを題材にするのであれば、今まで自分自身で経験したことや周囲のクルマ仲間の話をベースにフィクション化することができるのではないかと思うようになったのです。
しかし2年前に試しに書いた最初の作品は惨憺たるものでした。構成が甘いのは初めてだから仕方がなかったとしても、題材として取り上げたクルマは単に物語に登場するだけで、そのクルマの魅力が全く描ききれていなかったのです。その後も習作として数編の短編を書いて見たのですが、今度は短編であるが故の難しさを思い知るだけの結果でした。
しかし、不思議なものでそうして書いているうちに少しですが読めるものが出来るようになってきました。そして自分の作品であるが故に、あまり読み返して筆を入れすぎても自己嫌悪に陥るだけであることも分かってきました(苦笑)。
世の中の作家と呼ばれている人たちは、一番の愛読者である自分自身の批評の目からどうやって作品を守っているのでしょうか。などと弱気なことを言っていても仕方ありませんので、思い切って第一作のShort Storyをお目にかけたいと思います。第一作の題材はもちろん、ALFAROMEO Giulia Sprintです。
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Giuliaの気遣い彼女とGiuliaは相性が悪かった。
彼女を乗せると必ずと言って良いほどトラブルに見舞われることからも、それは相性が悪いという表現以外には考えられないことだった。
幸いにもクルマに何の興味のない女性が簡単に口にするような、「こんなクルマ手放して…」という慈悲のないことこそ言わなかったが、何らかの嫉妬に似た感情をGiuliaに対して隠し持っていることは、常日頃から周囲の仲間に言われる「女性の心理に鈍感」な私にも何となく感じることができた。
確かにGiuliaとの暮らしは彼女との時間より遥かに長く、その擬人的な名前も含めて彼女の嫉妬心を掻き立てるには充分なことなのかも知れない。

私の許にGiuliaがやってきたのは10年前。私が大学を卒業するときだった。当時、Giuliaは2年上の先輩の許にあり、決して充分とは言えないものの最低限のメンテナンスを受けながら、それでもその魅力を失うことなく元気に走っていた。先輩は卒業して大手商社に就職し、しばらく連絡も途切れてしまっていたのだが、突然連絡があり、仕事で海外赴任することになったのでGiuliaを私に譲りたいと言い出したのだ。
大学の正門前の喫茶店で久しぶりに会った先輩は随分と大人びて見えたのを覚えている。
「どうしてボクなんですか。」
「お前がコイツを運転している姿がアタマに浮かんだのさ。」
「それだけで譲る気になるもんですか。」
「コイツは乗り手を選ぶんだよ。訳知り顔のマニアには乗って欲しくないんだ。」
「ただ一つ条件がある。」
まだ何となく納得できないでいる私に先輩は真顔でこう切り出した。
「女とコイツを両天秤にだけはかけないでくれ。」
「どういう意味です?」
「コイツは女に嫉妬を焼くんだ。そして女もコイツにきっと嫉妬を焼くだろう。」
「それに耐えかねてコイツを手放したりすると、それからのお前の人生はきっとつまらんものになるぞ。」
「じゃあボクに彼女を作るなってことになるじゃないですか。それはちょっと困るなぁ。」
「そんなことは言ってないさ。ただコイツと女を比べるなと言ってるんだ。女のためにコイツを手放すようなことはしないでくれ。逆も同じで、コイツのために女と別れるのも禁止だ。」
「なんだか無茶苦茶ですね。」
「先輩はなんだかんだ言ってボクに彼女ができないと思って車を譲ろうとしてるんじゃないですか。」
先輩はただ笑っているだけだったが、その笑顔は何か未来を見透かしたような笑顔だった。
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こうしてGiuliaは私の手許にやってきた。
左ハンドルも、パワーアシストのないステアリングも、ヘンな場所から生えたシフトノブにも慣れるのに時間はかからなかった。
と言うか、いつの間にか自然にGiuliaを操れるようになっていた。
それまでは決して峠を攻めたりするドライビングをしたことはなかったが、コーナーを曲がるときにGiuliaは自分自身と一緒に曲がって行くような気がした。過去に乗ったことのあるクルマは一緒にというよりクルマが先に曲がって行くような感覚だったのだが、そのことに気がついたのもGiuliaと暮らし始めてからのことだった。
先輩からメンテナンスに関してもあれこれと指示されたのだが、不思議なことに殆ど覚えてはいなかった。唯一、女云々という言葉だけが鮮明に心に残っていた。
近所にメンテナンスガレージがなかったこともあり、大抵の整備は自分自身で行ってきた。もちろんそれまではクルマの整備なぞしたことはなかったが、不思議なことに先輩から貰ったサービスマニュアルを見ながら、何となくやっているうちにいつの間にか殆どのメンテナンスはできるようになっていた。先輩によるとその北米版のサービスマニュアルは素人にもメンテナンスができるように書いてあるとのことだったが、確かに記載されているとおりに作業をすると私のような素人でもちゃんとメンテナンスができるのだった。
そして不思議なことにそうしてメンテナンスするとGiuliaは確実に機嫌が良くなった。
父親のクルマであった無難なだけが取柄の国産高級セダンを屋根つきのガレージから追い出して、徐々に買い揃えていった工具とともにガレージはGiuliaの棲家となり、私とGiuliaは晴れた休日を待つようになった。
確かに私はシングルドライバーだった。助手席に最後に人を乗せたのは先輩を空港に送るときで、そのときも最後にと先輩にドライバーズシートを譲ろうとしたのだが、コイツはもうお前のものだからと先輩は頑としてステアリングを握ろうとはしなかった。
オーナーズクラブやアルファ・ロメオのイベントがあることも知っていたが、どうしても参加する気にはなれなかった。他のGiuliaは単なる同型車で、自分のGiuliaとは似て非なるものでしかなかった。メンテナンスも他人任せにしなかったのはGiuliaと自分自身の濃密な時間を邪魔されたくなかったのかも知れない。
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彼女は大学の同級生だった。しかし学生時代に出会ったことはなく、友人との飲み会で会社の同期の女の子と紹介されたのが初めてだった。
話をするうちに同じ大学であることが分かり、急速に仲良くなっていったのだが、特に自分から告白したワケではなく、いつの間にか自然に付き合い始めていた。
そして図らずもGiuliaに続いて彼女も私にはなくてはならないものとなった。
彼女とのデートには父親のクルマを使った。Giuliaを引っ張り出すことを考えたこともあったが、どこかに先輩のあの言葉が引っかかっていた。お互いに会わなければ嫉妬を焼くこともないだろうと考えたからだったのだが、彼女との付き合いが深くなるにつれ、Giuliaとの時間が減ったことも確かだった。
1ヵ月振りに開けたガレージの中でGiuliaは薄らと埃を被って佇んでいた。ドライバーズシートに座り、チョークレバーを引いてアクセルペダルを数回煽った時点で、イグニッションキーを廻す前に何故かバッテリーが上がっているのが分かった。そしてその予想通りエンジンに火は入らなかった。
私にはGiuliaが放っておかれたことで私を責めているように思えた。
父親のクルマからジャンプコードでバッテリーを繋ぎ、しばらくエンジンをアイドリングさせながら私はドライバーズシートにただ座っていた。
最初はカブり気味だったエンジンが徐々になめらかな回転になっていく過程は、まるでGiuliaの機嫌が少しづつ良くなっているような気がした。
私は悩んだ末にGiuliaと彼女を会わせることにした。先輩の言葉は相変わらず気にはなったが、Giuliaも彼女も失いたくはなかった。
そしてGiuliaのことを彼女に話したのだが、もちろん先輩の例の言葉を伝えることはしなかった。
彼女はアルファ・ロメオというメーカーは何となく知っていたがGiuliaのことは全く知らなかった。考えて見れば彼女にクルマの話をしたことはなかったし、デートには明らかに親から借りたと分かる分不相応な国産高級セダンを使っていたために、彼女からすると私は大してクルマには興味がないのだろうと思っていたようだった。ひょっとすると私もクルマの話題を敢えて避けていたのかも知れない。
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彼女と一緒に久しぶりにガレージの扉を開けた。ガレージの扉から差し込む光の中でGiuliaは薄らと埃を被ったまま佇んでいた。本当は前夜にメンテナンスをしておこうと思っていたのだが、何だかGiuliaにその魂胆を見透かされるような気がしてできなかった。
「このクルマだったのね。」
「ずっと聞けないでいたんだけど、ひょっとしたら二股かけられてるんじゃないかと思ってたの。」
「どうしてそう思ったんだい。」
「何となく。休日にデートしているときに、あなたは誰かとの約束を断って私と逢っているような感じがしていたの。」
彼女はGiuliaと私の関係をすぐに見抜いてしまった。相手が人間であろうとクルマであろうと彼女には大した違いはなかったのかも知れない。
「でも綺麗なクルマね。アルファ・ロメオって言うからもっと新しいのかと思ってたんだけど、すごく小さいのに何だかセクシーな感じがするわ。」
彼女はBertoneだのジゥジアーロデザインだのといった知識は全く持ち合わせてはいなかったが、そこには初めて紹介された恋人の女友達を値踏みするような、冷静を装いながらもリベラルな観察眼があった。
そして最後に先輩が座った助手席に彼女が初めて座った。
その日、Giuliaは機嫌が良かった。久しぶりのロングツーリングだったのだが、終始Giuliaは快調で、気難しいところは微塵もなかった。いつもはキャブがカブり気味になる首都高の渋滞も、愚図ることもなく切り抜けることができた。
私にはGiuliaが彼女に精一杯気を遣いながら自分の存在をアピールしているように思えた。
私はシングルドライバーを卒業することにした。彼女とのデートにはそれまでの国産高級セダンではなくGiuliaを使うことにしたのだが、それは同時にGiuliaに一人で乗る機会がなくなることを意味していた。
しかし、Giuliaの気遣いは長くは続かなかった。最初はワイパーが急に動かなくなったり、ライトが片目になったりと可愛いものだったが、それは徐々に酷くなり、最悪だったのはホテルの駐車場の出口で立ち往生したことだった。例の駐車場の出入口にある目隠し暖簾からちょうどフロントガラスが出たところでエンジンが止まってしまったのだ。しかもその出口は上り坂になっていたため、もとの駐車場に惰性で戻るしかなかったのだが、彼女をタクシーで帰して駐車場に戻ると、Giuliaはナニゴトもなかったようにエンジンがかかるのだった。
それでも彼女はGiuliaに乗るのを止めなかった。それはGiuliaと彼女の戦いのようで、お互いに意地になっているとしか思えなかった。そして彼女はこの戦いのルールだと思っているかのように、決して私にGiuliaを降りてくれとは言わなかった。それを口にするとこの勝負は負けだと思っているのか、どんなトラブルに逢っても彼女は決して文句を言わなかった。
そんなある日のことだった。彼女が長期出張になり久しぶりに一人でGiuliaと過ごす週末が訪れた。金曜の夜にガレージでGiuliaのエンジンオイルを交換し、少し同期が狂い始めたキャブレターを調整し、翌朝は箱根にGiuliaを連れ出すことにした。
箱根へのルートは決まっていた。かつてシングルドライバーだったときには毎週末と言ってよいほど私とGiuliaは箱根に出かけていた。
東名高速を御殿場まで飛ばし、長尾峠のタイトなコーナーを駆け上り、箱根スカイラインから芦ノ湖スカイラインを経て箱根新道を下り、小田原厚木道路で東名高速に戻るのがいつものルートだった。
Giuliaもこのルートはお気に入りで、私とGiuliaはまるで一つになったかのように、お互いが思ったとおり走ることができた。
それは突然のことだった。ちょうど芦ノ湖スカイラインの山羊さんコーナーと呼ばれる展望台を過ぎて緩い下りのワインディングに差し掛かったときだった。Giuliaのブレーキが突然利かなくなってしまった。所謂ブレーキ抜けというトラブルだが、前夜にブレーキフルードもチェックしていたし、問題はないはずだった。
その後のことはスローモーションのようだった。不思議なことに初めての経験だったにも関わらず、私は全くパニックに陥らなかった。心のどこかでGiuliaを信用していたのかも知れない。
オーバーレブを覚悟してギアを1速に落とし、サイドブレーキを使いながらやっとのことでGiuliaを路肩に停めたとき、初めて自分が冷や汗をかいていることに気づいた。
ローダーを待つ間、静かな時間だけが流れていった。様々な思いが交差する私に対して、Giuliaはナニゴトもなかったように涼しい顔をして路肩に佇んでいた。
私にはGiuliaが彼女を認めて自ら身を引いたように思えた。彼女を乗せていないときにそれを私に告げたのは、Giuliaのせめてもの気遣いのように感じられた。
私はGiuliaを降りることにした。それは先輩の言いつけどおりGiuliaと彼女とを両天秤にかけたのではなく、むしろGiuliaのほうから別れを切り出されたような気がしたからだった。
そのことを告げたとき、彼女は何も言わなかった。どちらかが選ばれたのではない結末は、勝ち負けを超越した女同士にしか分からない共感のような感情があったのかも知れない。
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最後にガレージでGiuliaのメンテナンスをし、学生時代の後輩に久しぶりに連絡をし、Giuliaを譲ることを告げた。
「どうしてボクなんですか。」
「お前がコイツを運転している姿がアタマに浮かんだのさ。」
「それだけで譲る気になるもんですか。」
「コイツは乗り手を選ぶんだよ。訳知り顔のマニアには乗って欲しくないんだ。」
「ただ一つ条件がある。」
あのときと同じ大学の正門前の喫茶店で私は静かに話し始めた。
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いかがでしたでしょうか。自分自身ではすでに何度も読み返し筆を入れ続けてきたのですが、だんだん「弄り壊し」のようになってしまったので、敢えて皆さんに見ていただこうと公開することにしました。
設定も構成もベタですが、Giuliaを愛するオーナーの心象を少しは描けたかなと思っています。
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